大悪魔の農場   作:逆真

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とあるプレイヤーの最後

 西暦2138年某日、DMMO-RPG『ユグドラシル<Yggdrasil>』が日本のメーカーによって発売された。

 

 このゲームの最大の特色は何と言っても自由度にある。

 

 多彩な職業。基本職と上位職業を合わせると二千を超える。プレイヤーのレベルキャップは百までであり、一つの職業のレベル上限は十五であるため、最低でも七つの職業を持つことになる。逆に、レベル一の職業を百個持つビルドも可能になる。

 

 外装も種族的な縛りの範囲であれば、いくらでも弄れる仕様だ。プレイヤーのアバターだけではなく、武器や住居などの外装も変更しやすい。

 

 そして、九個の世界によって展開される広大なフィールド。

 

 外装人気と言われる現象を引き起こしたユグドラシルはすぐに、日本のDMMO-RPGの代表的な立場になった。

 

 

 だが、全て、過去の話である。

 

 

 爆発的な人気のユグドラシルだったが過疎化して久しい。

 

 つい先日、サービス終了が決定した。12年の歴史に幕を下ろす。仮想現実だけあって、残すものはない。全てのデータは消去され、ユグドラシルという仮想世界は現実世界と絶縁することになる。

 

 仮に残るものがあるとすれば、それはユグドラシルの思い出にしがみつくプレイヤーの未練だけだろう――。

 

 

 

 

 

 ユグドラシル最終日。

 

 ミズガルズ。ラカノン樹海。

 

 それなりにレアモンスターも出るが、特に用事がなければ立ち寄ることのないエリアだ。記念すべきゲーム最終日に誰もいない程度には、重要度の低い場所である。

 

 そのラカノン樹海の一角に、奇妙な建造物がある。

 

 パッと見はマヤのピラミッドに近い。しかし、近づくにつれてマヤのピラミッドとは大きく違うことが分かってくる。

 

 大きな立方体の上に立方体が置かれている形になっており、それが全部で七段である。一番下の立方体が大きく、上に行くにつれ小さくなっていく。色は全ての立方体が白で統一されていて、一つの立方体には継ぎ目も溝もない。

 

 建造物の名をホシゾラ立体農場。全盛期のユグドラシルにおいて上位ギルドの一つに数えられたギルド「ラグナロク農業組合」のギルド拠点である。

 

 十大ギルドには及ばないものの、プレイヤーの間ではそれなりに恐れられたギルドであり、このホシゾラ立体農場も数多くの侵入者を返り討ちにしてきた。こうして最終日まで残っていることこそが、その力の証明であるとも言える。

 

 ……否。

 

 侵入者など、挑戦者たるプレイヤーなど、年単位で来ていないのだが。

 

「いやー、まさかギルマスが最後まで残っているとは思ってなかったわ」

「ん? そりゃ意外な感想だ」

 

 そんな立体農場の最上階、第七階層『展望台』の『宴会場』にて、語り合う二つの影があった。

 

 六人ずつが腰かけられるように椅子が配置された丸テーブルが15あり、その一つに向かい合うように彼らは座っていた。

 

 一つは人型の蜥蜴――リザードマン。全身鎧で、頭部だけを露出している。その鱗は炎のように赤く煌めき、獰猛さを隠そうともしない。

 

 もう一つは黒髪の人間、のように見えるが、その正体は悪魔だ。魔術師らしいローブと腰に佩いた剣が、魔法剣士であることを示している。

 

 ユグドラシルにおいて、プレイヤーは人間種、亜人種、異形種に分けられる。その中で、異形種は種族的なペナルティを受ける代わりにステータスが高めになっている。しかし職業の自由度の面では人間種の方が優遇されているため、ガチプレイヤーは人間種を選ぶ傾向にあった。異形種の中にも強いプレイヤーはいるのだが、異形種はどちらかと言えば遊びの面が強かった。

 

 上位ギルドの中には異形種限定、あるいは天使限定のギルドなんてものもあったが。

 

 彼らのギルドでは、種族や職業に対する取り決めはなかった。ただ、ユグドラシルを好きに楽しみたいという連中が好きなように楽しんだ。

 

「正直、ギルマスは大将がやめた時点で、後追い引退するかと思ってたんだけど」

 

 リザードマンからの言葉に、悪魔はややばつが悪そうに唸る。図星らしい。

 

「あー。確かに兄貴がいなくなったのはデカかったよ。兄貴も義姉さんもいねえんじゃ張り合いないし。でも、だからこそあの二人の分までやってやろうじゃないかって気はあったよ。ま、結果はこのザマだけどさ」

 

 乾いた笑いを上げる悪魔。その表情はぴくりともせず、口も動かない。いくら仮想現実の技術が進んでいると言っても、感情に合わせて表情を変えられるほどではない。

 

「おまえはよく頑張ったよ、ギルマス。いや、パレット」

 

 リザードマンはそう悪魔――パレットに言う。労いの言葉をかける。

 

「いや、二年近くログインしなかった俺が言うのも何だけどさ。まだここが残ってたなんて思ってなかったからさ」

「…………」

「と、そろそろやべえわ。寝る」

「ん。グッドナイト」

「その口癖相変わらずなんだな。おまえも早く寝ろよ。名残惜しいのも分かるけど、どうせ明日早いんだろ?」

「まあな」

「ま、無理にとは言わないけどさ。じゃあな」

 

 その言葉を最後に、リザードマンの姿が消える。

 

 たった今ログアウトした彼を含めて、ギルドメンバーの中でログインしたのは五人だけだった。そして、その五人ともがこの世界から退出した。サービス終了まであと一時間もない。これから新しく誰かがログインしてくる可能性は低い。つまり、このホシゾラ立体農場でサービス終了の瞬間を迎えるのはパレット独りだけの可能性が非常に高いわけだ。

 

 この場にいるのが自分だけであると再認識したパレットは大きな溜め息を吐き出した。やはりアバターとしての彼の表情は変わらないが、現実世界の彼の表情は大きく歪んでいると察せられるほどの何かが込められた溜め息だった。

 

「……じゃあな、か。せめて、またどこかで、くらい言えないもんかね」

 

 誰も聞いていないのに、あるいは誰も聞いていないことを理解しているからこそ、独白は大きく苛烈なものになる。

 

「ふざけんな!」

 

 それは恨み言で、それは罵倒で、それは懺悔で、それは八つ当たりで、それは後悔で、それはただ叫んでいるだけだった。

 

 意味はない。返答はない。虚しいだけで悲しいだけだ。それでも、吐き出させずにはいられなかった。ゲームの中での鬱憤だ。ゲームで発散しなければ馬鹿馬鹿しいだけだ。

 

 ……違う。理屈ではないのだ。純粋に感情の問題なのだ。そんなことはパレット自身が一番よく分かっていた。

 

「何が名残惜しいのも分かるけど、だ! てめえにはその名残惜しささえねえってのか!? もう全部過去のことかよ。もう何の愛着も執着もないってのかよ。あんなに楽しんでいたじゃねえか、あんなに楽しかったじゃねえか! 俺だけかよ! もう俺だけしかいねえのかよ! 何だよ。兄貴も義姉さんも、ログインすらしねえってどうなってんだよ。二人が出会ったのは、このユグドラシルなのに!」

 

 ギルド「ラグナロク農場組合」二代目ギルド長、パレット。農場の魔王と蔑称を受けた、ユグドラシルでも最上位にいたプレイヤーのひとり。

 

 最初は、クランとすら呼べないような集まりだった。この自由を満喫できるユグドラシルをひたすらに楽しむことを目的として、仲間を募った。それが徐々に大きくなって、ワールドエネミーを倒し、ギルド拠点を手に入れ、ワールドアイテムを集め、上位十大ギルドを目指した。あと一歩で届かなかった。ランキングの最高順位が十一位だったのだから笑える話だ。

 

 始まりは、サービスが開始して半年頃だった。戦闘主体のクランと生産主体のクランが一つになって、「ラグナロク農業組合」になった。

 

 それが気づけば、八十八人になった。パレットの実兄である初代ギルド長の引退を契機に、彼に続くように引退する者や他のギルドへ移籍する者が出てきた。

 

 新しいギルドメンバーを募ったが、メンバーが減ることはあっても増えることはなかった。加入条件を厳しめに設定してしまったことが原因だ。いま思い出せばバカなことをしていたとは思うが、おそらく焦りがあったのだ。最強である兄の不在と、兄の存在がギルドを繋ぎ止めていたという事実に。兄を超えたいというみっともない嫉妬もあった。……それに加えて、どこかで「彼らの代わりはいない」と思っていたのだろう。

 

 一年で、メンバーは半分未満の三十人になった。三十六人によるレギオンが組めなくなったことで、六人パーティーによる行動が主になり、ギルドとしての行動はほとんどなくなった。

 

 やがてパーティーを組むことも少なくなり、単独での行動が多くなった。

 

 ギルド内での会話もなくなった。気の合う仲間がいなくなったことで、移籍・引退するメンバーはどんどん増えていった。

 

 気づいた時には、自分だけになっていた。それからは、ギルド運営の金貨を集めるだけの日々だった。惰性を送るだけの毎日だった。変化も感動も達成感もない。会話がなく、独り言も増えた。

 

 かつてのギルドメンバーは戻って来ず、新しいメンバーも入らず、ギルド拠点を攻略しようとする挑戦者も来ない。

 

 とんだ裸の王様だ。

 

 否、城どころか農場なのだから王様ですらない。ただの農民だ。しかも職業には「ファーマー」がないため、鍬も扱えない無能だ。出来るのは精々帳簿付けと番犬代わりだ。

 

「ん、あほらしい……」

 

 自覚はあるのだ。自分がどれだけ無様で、どれだけ愚かなことを言っているのか。

 

 所詮、この世界はゲームなのだから。

 

 飽きたゲームより優先するべきことなど、山ほどある。それこそ、ゲーム最終日であろうと、それよりも大事なことなんて山ほどあるはずなのだ。

 

 兄夫婦も二度目のおめでただと聞いたばかりだ。その関係で忙しいのだろう。疲れて甥っ子とともにベッドで眠っているのかもしれない。それはきっと素晴らしい光景のはずだ。ユグドラシルを始める前には想像もできなかったほど、美しい光景のはずなのだ。

 

 そして、あの二人についていかなかったのは自分だ。過去に張り付いているだけの、みっともない人間擬きがここにいる。

 

 ならば、孤独な最期も必然だ。

 

「……でも、独りは寂しいんだよ」

 

 ぽつりと呟いてから、パレットは『宴会場』を出る。

 

「最終日、だからな。好きな場所で終わらせてもらうか。これから誰か来るわけでもあるまいし、今から侵入者があっても、ここには間に合わないだろうからな」

 

 ギルドメンバーが勢ぞろいししていた全盛期と比較するとかなり弱体化しているが、そこはランキング十一位になったギルドのホームだ。ホシゾラ立体農場はプレイヤーの作ったギルド拠点の中でも最難関ギルドに数えられた。

 

 特色としては、設定上、上の階層に行くほど階層の面積が少なくなることだろう。よって、第一階層が一番大きい。すぐ上の第二階層と比較しても、体積で言えば倍近い。つまり戦力の多くも第一階層に集中されることになり、侵入者・挑戦者のプレイヤーの大多数が第一階層で撃退されている。

 

 そんなダンジョンだからこそ、この世界に許された残り時間で攻略など不可能だ。第一階層を突破することさえできないはずだ。

 

 それこそ、かの『大侵攻』に匹敵するような物量を用意でもしなければ。そして、このダンジョンにそんな価値がないことはパレット自身がよく理解していた。

 

「大侵攻、なぁ……ペロロンとか茶釜さんとか、来てんのかな? 来てんだろうなぁ」

 

 サービス史上最大の人数で構成された討伐隊による『大侵攻』。攻め落とさんとしたギルドは、当時第九位にいた『アインズ・ウール・ゴウン』。ユグドラシルの悪の華。最悪最恐のDQN集団。魔王の軍勢。ワールドアイテム所持数、唯一の二桁。たった四十一人で上位十大ギルドになったぶっ壊れども。

 

 ランキング上位にいたこともそうだが、ひとりの異形種プレイヤーとして、彼らのことは知っていた。今はどうか知らないが、全盛期のユグドラシルでアインズ・ウール・ゴウンを知らないなどモグリだ。ラグナロク農業組合のメンバーにも、ファン・アンチがそれなりにいた。

 

 ギルドとしての交流はなかったが、そのメンバーである『ぶくぶく茶釜』や『ペロロンチーノ』とは交流があった。それ以外のメンバーとも面識や戦闘経験はあるが、それほど印象に残る交流はない。

 

「……ん。余所は余所。うちはうち、だな」

 

 パレットは自分が目的地に着いたことを認識する。

 

 彼の目の前には巨大な両開きの扉。左右の扉で巨大な鐘の一枚絵になるようになっている。無論、装飾にはこれでもかと希少金属や宝石が使われている。

 

 パレットは意を決して、扉を開ける。

 

 ホシゾラ立体農場第七階層『展望台』最終領域『大鐘の間』。このホシゾラ立体農場の最深部とも言うべき場所である。物理的には最深部というか最高部なのだが細かいところは気にしてはいけない。

 

 システム的には第七階層の領域として存在しているが、実際は屋上部分に存在している。そのため、ミズガルズの夜空や周囲の光景がよく見える。外から晒されているようにも見えるが、どういう理屈なのか農場の外からこの領域には入ってくることはできない。農場の外から飛んできて、ここに入ろうとしても、見えない壁に邪魔される。ゲーム的なメタシステムと言われたらそれまでだが。

 

 先程パレットが入ってきた扉も物理的に繋がっている扉ではなく、どちらかと言えばワープ装置に近い。

 

 領域の中央には、巨大な鐘とそれを覆う鐘楼がある。人どころか巨人さえすっぽりと入ってしまいそうなほど巨大な鐘だ。寺院にある和鐘ではなく、西洋式の洋鐘。鍍金が塗られているわけでも宝石が埋められているわけでもないのに、闇夜の中でも異常な存在感がある。

 

 それもそのはず、この大鐘こそはユグドラシルにおいて二百種類しかない一点もの『世界級』の一つ、『天の神鐘』なのだから。

 

 ラグナロク農業組合が所持しているワールドアイテムはこの鐘と、パレットが常時装備しているものの二つになる。鐘は偶然取得条件を満たしたため手に入れたが、もう一つの方にはそれなりの苦労話はある。もはやその苦労を語り合う仲間も思い出す時間もないが。

 

「ん……」

 

 鐘のそばに、美しい女がいた。

 

 人間に換算すれば年齢は二十歳か、少し上といったところだ。

 

 最初に目を引くのが膝まで届く長い黒髪。次いで、その頭部に生えた二本の耳。人のものでなく犬のそれ、つまりは犬耳だ。

 

 衣装は修道服をイメージした黒いドレス。腕輪やネックレスなどは希少金属製で繊細な装飾と数多の宝石が施されている。

 

 ギルドメンバーではない。プレイヤーですらない。NPCだ。

 

 守護者統括、ソラ・ゾディアック。この立体農場に存在するNPCの中で最も地位の高いNPCである。

 

 戦闘能力も全NPCの中で見ても高い部類で、レベルは百。種族は人狼、職業は地属性魔法を得意とするエレメンタリスト(アース)。「ゾディアック」という名前ではあるが、彼女自身は黄道十二宮星座とは関係がない。立体農場には「十二星天」と名付けられたNPCのシリーズがいるのだが、彼女がその十二星天の直接的な上司である、という設定のために与えられた名前なのだ。

 

 製作者はテラ・フォーミング。全盛期のラグナロク農業組合で、ギルドのサブマスターだった人物だ。現実世界では、パレットの義理の姉、つまりは兄の伴侶である。兄と同じ日に引退した。

 

「しかし、ついにここに来るプレイヤーはなしか。まあ、第五階層まででどうにかなったからな」

 

 侵入者の大半は第一階層『農園』で脱落する。『農園』をどうにか突破しても、第二階層『貯水池』で水底に沈むか、第三階層『獣舎』で魔獣に喰らわれるか、第四階層『工場』でトラップに嵌まって潰される。そして、それらを突破したとしても、第五階層『倉庫』の倉庫番たちによって片付く。

 

 第六階層『住居』および第七階層『展望台』は結局出番がなかった。出番がないにこしたことはなかったが、結局なかったのは少々寂しい。

 

 どうせなら、農場を攻略されてしまった方が、パレットだってもっと早くにこのゲームを引退できたのだが。

 

「……ん」

 

 たとえNPCだとしても世界の終わりを一緒に見届ける誰かがいるのは僥倖と考えるべきか。

 

 こんなことならば他の階層からNPCを連れておくべきだったかとも考えたが、邪魔くさいだけなのでやらなくて正解だろう。このワールドアイテムの大鐘だけが配置されたシンプルな領域にやたら人影があるのも無粋なだけだ。

 

 周囲を見渡す。ホシゾラ立体農場の最上階から見渡せるすべてを。しばらく、その行為に没頭する。もうすぐ終わろうとする世界の全てを可能な限り脳裏に焼き付ける。

 

「日付が変わるまで、あとちょっとか。……いやマジであとちょっとだな。一分切ってんじゃん」

 

 時計を見れば、サービス終了までカウントダウンをすべきタイミングになっていた。

 

「ん、鐘の設定いじれば良かったな」

 

 定時になると、『天の神鐘』は自動で鳴るようになっている。一日四回の六時間ずつ。日付が変わる零時と、朝の六時と、昼の十二時と、夕方の六時だ。

 

 サービス終了がちょうど日付変更のタイミングのため、零時の鐘の音を聞かずにユグドラシルは終わる。あらかじめ設定を変えておけば時間をずらせるのだが、すっかり忘れていた。

 

「まあ、いいか」

 

 どこまでもマヌケな野郎だと自嘲しながら、目を瞑る。頭の中でカウントダウンを開始する。明日の仕事も早い。ログアウトと同時に寝て、朝早くに起きて、働いて、明日の夕飯時にでも、この間抜け話を兄夫婦にメールで教えよう。

 

 次のゲームは何をしよう。それとも、いい加減自分も兄のように身を固めるべきなのか。しかし兄ほど高給取りではないため、アピールポイントは少ない。元ユグドラシルプレイヤー限定の婚活パーティーなど誰か計画してくれないだろうか。

 

 などと考えているうちに、残り数秒になった。

 

 

 ああ、終わる。

 

「――3」

 

 十二年の時間が終わる。

 

「2」

 

 あの日々が、仲間たちとの絆が終わる。

 

「1」

 

 しかし本当に悲しいのは、この世界の終わりではない。この悲しさを誰かと共有できないことだ。

 

「0」

 

 また、ひとりになった。

 

 

 自分の内からあふれた温度が頬を伝う。

 

 

 だが、

 

 

 世界終了の余韻に浸る準備をしていたパレットの耳に、驚きの音が入る。

 

 

 

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン

 

 

 

 

「……ん?」

 

 鐘の音が聞こえる。

 

 聞き飽きるほど聞いた、『天の神鐘』の音が聞こえる。

 

「んんん?」

 

 

 

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン

 

 

 

 

 目を開くと、そこには鳴らし手もいないのに自動で揺れる大鐘。ちょっとした建造物級の大きさでありながら、その音が大きすぎるという印象はない。むしろ快い。不快感など皆無。神々しささえ覚える。……心無しか、記憶にある鐘よりも綺麗な音がしている気がする。

 

 

 

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン

 

 

 

「んーん?」

 

 時計を見る。鐘が鳴っていることから察していたが、時刻は十二時を過ぎている。つまり、サーバーに何かしらの問題が発生して、ゲーム終了が少し伸びたということだろう。

 

 

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン

 

 

 

「あのクソ運営が、って怒るべきなのか?」

 

 苦笑するパレットだが、正直感謝を述べたい気分だった。終了の余韻が色々とかき乱されたことは確かだが、最後にこの鐘の音を聞けたことは良かった。

 

 しかし、強制終了するならばともかく終了が延期になるなど珍しい事態だ。過去にも色々と問題を起こした運営だったが、まさか最後の最後にやってくれた。公式ホームページにどのような謝罪文が乗るか楽しみだ。これまでであればお詫びアイテムが配布されたであろうが、ゲームが終わるのだ。もらえる手段がない。そう思うと勿体ないものだ。

 

「パレット様。どうかなさいましたか?」

 

 鐘の音が響き渡っている中で、パレットは自分の名前が呼ばれたことを理解した。鈴の鳴るような、聞いたことのない声だった。

 

 困惑しながら声のした方を見れば、そこにはソラ・ゾディアックの姿がある。彼女の姿しかなかった。首を傾げそうになったが、その前に、ソラの綺麗な唇が動く。

 

「鐘に何か問題でも?」

 

 喋っている。NPCが喋っている。しかも、その動くはずのない美貌に怪訝そうな色を浮かべて。

 

「ん、えっと?」

 

 パレットは混乱している。状態異常としての「混乱」ではなく、精神的に混乱していた。現実では有り得ないことが起きている。仮想現実だからこそ有り得ないことが起きている。

 

 困惑の声を上げたことで、ソラだけではなく自分の口も動いていることに気づく。仮想現実の身体である口が、言葉に合わせて動くなど有り得ない。技術的に可能不可能の問題ではない。パレットはそのあたりの知識は専門外だが、現時点での技術でそれは夢物語のはずだ。

 

 そして、パレットが混乱しているのはソラや自分の口が動いているからだけではない。自分の精神状態にある。パレットは混乱しているのは間違いない。だが、想像を超える事態に対して思っている以上に混乱していない。自分が落ち着いていることに対して、落ち着かないのだ。まるで精神に自分ではない何かが混ざっているように。

 

 ――落ち着け。

 

 自分自身に命令する。普通、こういう時は落ち着こうとすれば余計に緊張して思考が暴走するものだが、どういうわけかすんなり精神は安定した。

 

 自分自身のことだ。生まれてずっと付き合ってきた自分のことだ。自分が一番理解しているはずだった。しかし、現実は違う。身体ではなく精神が自分のものではないような感覚だ。しかし嫌悪感はない。これが自然であるかのように。

 

 ――ああ、成程。

 

 パレットは理解した。そして、自分なりの正解を見つけ出す。

 

 ――これ、夢だ。

 

 聞こえてくるはずのない鐘が聞こえているのは、夢だからだ。喋るはずのないNPCが喋っているのは、夢だからだ。動くはずのない表情が動いているのは、夢だからだ。自分の精神が自分のものではないような違和感があるのは、夢だからだ。

 

 おそらくカウントダウンの際に目を瞑った時、そのまま寝落ちしてしまったのだろう。なんて間抜けだ。

 

 そういえば、先程まであったはずの強烈な眠気がない。ハイになるほど眠くはなかったはずなので、やはりこれは夢なのだろう。まさか睡眠が不要な身体になったわけではあるまい。パレットの種族は悪魔だが、それはあくまでもゲームの話。現実にまで適応されるはずがないのだ。

 

「パレット様?」

「ん? ああ、何でもないぞ、ソラ」

 

 さん付けしようかな、苗字で呼んだ方がいいかなとも思ったが、夢の中でNPC相手にそこまで畏まっても仕方がない。

 

 パレットはソラ・ゾディアックを観察する。

 

 現実世界では縁もないような、とんでもない美人。兄の妻――義理の姉の娘とも言える存在であるから、パレットにとっては血のつながらない姪っ子のような相手。果たして、どのような距離感が正しいのかは分からない。しかし、夢の中でそこまで深く考える必要はないだろう。

 

「ソラ。俺の名前を呼んでくれるか?」

「はい、パレット様」

 

 自覚などなかったが、これが自分の思うソラの脳内声優だったわけだ、とパレットは妙な感想を抱く。耳が幸せになるような美声だ。

 

 ギルドメンバーの中には実際の声優もいたのだが、彼女よりも好きな声かもしれない。

 

「ところで、あれはどうしますか?」

「あれ?」

 

 ソラの指差した方向を見れば、そこには万里の長城のような、ひたすら長い城壁が見えた。見えたと言っても、三十キロは離れているようなのだが。

 

 自分の夢の中にどうしてあのような不純物があるのか不明だが、そういうこともあるのだろうと納得することにした。どの道、これは夢だ。心理学者や占い師でもない限りは、細かいところまでは気にすることはないだろう。

 

「放っておけ」

 

 口にしてから、ギルドマスターらしからぬ発言だったかもしれないと反省する。夢の中であっても、夢の中だからこそ、かっこつけるべきだろう。

 

「向こうから攻めてきたら、返り討ちにしてやるがな」

「では、そのように」

 

 さて、このいつ覚めるともしれない夢をどうやって堪能するべきか。それとも、起きるように努力してみるべきか。流石にニューロンナノインターフェイスをいつまでも起動させておいたら脳みそが休まらない。さっさと起きて電源を落とし、ちゃんとベッドで寝るべきだろう。

 

「……寝ちゃうかな」

 

 夢の中で寝れば現実で起きれるのかは分からない。だが、やってみる価値はあるだろう。最悪、朝になれば起きるだろうし。

 

「せっかくだからここで星空でも眺めながら寝るか」

「ではベッドを持って……いえ、違いますか。パレット様、良ければ膝をお貸ししましょうか?」

「ん、いいの? じゃあお言葉に甘えて」

 

 夢とはいえこんな美人に膝枕をしてもらえるとは。自分の妄想力も捨てたものではないものだ。夢だと自覚しているからこそ、虚しさなど忘れてしまおう。

 

 夢の中なのだから、ゲームでアイテムボックス開くようにアイテムを出せないか、と考えながら手を動かしてみると、手が湖面に沈むかのように消えた。

 

 一瞬驚いたものの、そのまま動かしてみると、空間に窓のようなものが開き、その奥にはユグドラシルで持っていたはずのアイテムがあった。回復用のポーションが並んでいる。

 

「夢の中でもユグドラシルのことを思い返すとか、どんだけ好きだったんだよ、俺」

 

 手を動かして空間をスライドさせていくと、ジャンルごとに固まっていることを知る。夢なのに妙にシステム的だ。そして、家具の棚で目当てのものが見つかった。掴んで空間から引っ張り出す。

 

 二人掛けにはやや大きめのソファだ。

 

「流石に床にごろ寝するのもな」

 

 夢の中だからどうせ床も柔らかいのかもしれないが、夢の中であってもこんな美人に膝枕をしてもらうのだ。最高のシチュエーションにしておこう。

 

「では失礼して」

 

 ソラがソファの端に座る。ソラの準備ができたところで、パレットもソラの反対側に座る。そして、そのまま横に倒れるようにして、頭をソラの膝に預けた。

 

「んー、思ったよりいい眺めだ」

 

 それにしてもリアルな夢だ。頭の裏から伝わってくる体温。夜の冷たさに染まった微風。星々の光。緊張を隠そうとする息遣い。

 

 夜空以上に、此方を覗き込んでくるソラの瞳に吸い込まれそうだった。

 

 眠気など感じていなかったのに、身体中の力が抜けてしまいそうだ。ゆっくりと海に沈むようなイメージだ。そのまま瞼が重くなっていく。

 

「このまま眠ったら、全部消えそうだな……」

 

 夢とはそういうものだ。ゲームも同じだ。まさに、ユグドラシルは泡沫の夢だった。だからこそ失いたくなかったし、だからこそ大切にしたかった。現実に戻りたくない、とは言わない。パレットも尊敬する兄夫婦のいる現実の方が大切だ。しかし、あの夢からまだ目覚めたくなかったのも事実だ。こうして、夢に見るくらいなのだから。

 

「心配いりませんよ、パレット様」

 

 鈴の鳴る綺麗な声が、パレットの鼓膜をくすぐる。

 

「私はどこにも行きません。永遠に、貴方のそばに」

「――――ああ、それはいいな。そうしてくれ」

 

 落ちかける意識の中、そっと右手で彼女の頬に触れる。やはり、夢にしてはしっかりとした感覚がある。肌の質感も、体温も感じる。しかしこれが夢ではないわけがない。ユグドラシルは終わったのだから。ゲームを止める時間になったのだから。戻りたくないが、現実に戻らなければならない。

 

 そういえば、義姉はこのNPCに何とも微妙な表情をしたくなるような設定をつけていたのだった。しかも、直接的ではなく詩的な表現だったため、印象深い。

 

 なら、ソラへの愛の言葉はそれに倣うのが最も適しているだろう。

 

「おまえといると、月が綺麗だな――」

 

 その言葉にソラがどんな顔をしたか確認もできずに、パレットの意識は夜に沈んだ。

 

「本当に綺麗だ」

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