それは純粋な殺意だった。それは濃厚な敵意だった。悪魔であるデミウルゴスでなければ、身動きが出来ないほどの感情の圧力だった。
「悪魔の諸相・触腕の翼!」
肩を掴まれたデミウルゴスは反射的に特殊技術を発動する。
鋭利で平たく薄い触手のような羽を射出する。流石に相手も驚いたのか、デミウルゴスから離れる。
相手との距離が出来たことで、デミウルゴスは僅かに乱れた衣服を直す。一秒とかけずに自らの精神状態を落ち着かせると、相手の方を見た。
「突然背後から肩に触れるとは、不躾ですね」
そこには、襤褸切れを着た男がいた。服だけではなく顔や身体も全体的に小汚いために分かりにくいが、非常に整った顔をしている。ギラギラと殺意に煌めく瞳が見下すように此方を貫く。
種族は分からない。人間種のようにも見えるが、人間形態の異形種である可能性もある。年齢は青年と呼べる程度には成熟している。翼もないのに宙を飛んでいるのは魔法によるものだろう。
「ネハン・オフィウクス。この世で最も偉大な天使たるライフ・イズ・パンダフル様の自慢の息子だ。僕に殺される名誉に感謝し、僕の手を煩わせたことを反省しながら地獄に落ちるといい」
その発言に、デミウルゴスはこのネハン・オフィウクスと名乗った存在がライフ・イズ・パンダフルというプレイヤーの被造物――自分と同じNPCであると看破した。そして、あの建造物がホシゾラ立体農場であることも判明した。十中八九間違いないと思っていたが、これでユグドラシルの存在は確認できた。
持ち帰る情報としてはこれで十分。相手が隙を見せたらすぐに撤退すべきだと判断した。
デミウルゴスは強い。同じ階層守護者たちと比較すれば全体的なスペックは劣るものの、多彩な特殊技術と天才的な頭脳、悪魔的センスはそれを補って余りある。しかし、能力が分からない相手に対して不要な戦いをするのは愚か者の所業だ。
ましてここは仲間のいない敵地。対して相手は増援を呼んでいるかもしれない。下手をすればデミウルゴスが感知できないだけで、すぐ近くにいる可能性だってあるのだ。否、ちょうど真下の地上には竜を連れた少女もいるのだ。あれらがすぐにでも飛んで来ると思った方がいい。
「これはご丁寧に。私はヤルダバオトと申します」
咄嗟に偽名で名乗り、デミウルゴスはネハンを観察する。
徒手空拳であるため、剣士や騎士のような戦士職ではない。この距離感を保っているということは、野伏や暗殺者でもない。弓矢や銃器を持っていないため弓兵でもなく、楽器もないため吟遊詩人ではない。肩を掴まれたダメージから察するに、修行僧のような肉弾戦タイプではない。そうなると、可能性が高いのは魔法詠唱者。着ている装備がもう少し特徴的ならば系統だけでも絞れるのだが、ただの襤褸切れでは考え様がない。
「質問なのですが、どうして貴方は私を殺すなどと?」
本気で質問したわけではない。おそらく先程の独り言を聞かれて激怒したのだろうと予想はできている。どちらかと言えば挑発の意味合いが強い。分かり切ったことを聞くことで、相手の神経を逆撫でしようという魂胆だ。
だから、ネハンからの回答はデミウルゴスにとって予想外のものだった。
「そんなの、なんとなく見た場所に、おまえがいたからだけど?」
意味が分からなかった。否、悪魔としてのデミウルゴスは理解した。しかし、理性を持つ賢者としてのデミウルゴスは自らの推論に納得ができなかった。
そんなデミウルゴスにネハンはより詳細に告げる。
「僕はさ、久しぶりに外に出たんだ。ユグドラシルじゃない異世界とやらに転移して、初めて農場の外に出たんだ。やはり農場の外など無価値なものに溢れていて気分が悪い。そんな僕の視界におまえは僕の許可なく入った。おまえが死ぬ理由なんてそれで充分だろう?」
その言葉に、デミウルゴスは蛙の顔をひきつらせた。
デミウルゴスはただ空中に飛んでいたわけではない。アイテムを使用し、可能な限り気配は消していたのだ。普通の目では発見できない状態だった。それを見つけられたということは、彼も探知の魔法かアイテムを使用していたことになる。
そこまでやっておいて、勝手に視界に入ったから殺す?
そこらの虫けらならばまだしも、偉大なる御方にお仕えする自分を?
気配を隠し、此方の正体を知らないにしても、それ相応の実力者であることは見抜けるはずなのに、そんな八つ当たりとしか言い様のない理由で、このデミウルゴスを殺すと?
縄張りへの侵入を咎めているわけでもなく、侮辱の言葉を聞いたからでもなく?
「……ここまで不快な気分にされたのは二度目ですよ」
あの愚か者どもによるナザリック地下大墳墓侵攻に匹敵する怒りを、デミウルゴスは感じていた。しかし、挑発するつもりが自分が怒りに飲まれてどうすると仕切り直そうとする。
「貴方は――」
「《
それはデミウルゴスも行使可能な第十位階の魔法。星を召喚してぶつけるシンプルにして強力な一撃だ。この世界においては、第三位階が一般的な限界であり、最高位でも第六位階。先程の「ユグドラシル」「異世界」という言葉もあり、この男がユグドラシルからやってきたと断言できる証拠はほぼそろったと言っていい。
「物騒な方だ」
しかし、デミウルゴスは慌てない。転移妨害も発動していないようなので、短距離転移の魔法で回避させてもらった。長距離の転移をしないのは、大ぶりな攻撃が罠であることを警戒してだ。長距離転移の隙を狙って、思わぬ一撃を受けるかもししれない。
デミウルゴスという標的にかすることもなく、隕石は地上に落下していく。確かこの真下にはドラゴンと戯れる天使の少女がいたはずだが、まさか目の前の男もそれを考慮していないわけではないだろう。彼と彼女が仲間ではなかったという場合を除いて。
案の定、ネハンは隕石を回避したデミウルゴスには注目しているが、大地の方には目もくれていない。デミウルゴスも同じだ。この高さまで届く悲鳴が上がったような気がするが気のせいだろう。
「僕の魔法を無駄にするとは。楽に死ねると思わないことだ」
「それは恐ろしい」
余裕たっぷりに煽るデミウルゴス。挑発は効いているようで、ネハンは青筋を浮かべ、苛立ちを隠そうともせず歯軋りの音を響かせる。
「両生類風情が」
ネハンが次なる魔法を放つ構えを見せ、デミウルゴスもそれに応じようとする。
しかし、乱入者の声に二人の戦いは中断された。
「――――ネハンんんんん! やっぱりおまえか、こいつてめえおまえこのクソゴミクズ!」
声は下から聞こえてきた。正面の相手に注意しながらも下を見れば、地上にいたはずの少女が竜を伴って飛んできていた。隕石の直撃を受けたらしく、ボロボロだった。
敵の増援が来たはずなのに、デミウルゴスは「しまった」とは思わなかった。
何故かと言うべきか、当然だと言うべきか、敵意は見ず知らずのデミウルゴスではなく、ネハン・オフィウクスの方に向けられていた。
「どうしたんだい、ミシェルちゃん。何をそんなに怒っているんだい? はっ、どうしたんだい、その怪我! 一体、誰にやられたんだ」
事前に予想できていたのに、彼らが普通に関係者だったことに驚くデミウルゴス。頭脳明晰な彼をして、今現在の状況がどういうものなのか全く整理できないでいた。
まさか地上に仲間がいることを忘れて隕石を落としたわけではあるまい。地上から此方の状況を知ることは難しいが、空中から下は丸見えなのだから。それに、先程の位置関係と隕石のサイズではデミウルゴスが回避に失敗しても彼女に当たっている。実際、下にいた彼女たちは回避が間に合わず隕石によるダメージを受けた様子だ。てっきり合図か何かあったのだと思っていたが――。
デミウルゴスなど眼中にないとばかりに、天使の少女はネハンの胸倉をつかもうとするが、ネハンはそれを避ける。空振りした手の指をそのままネハンに指差し、少女――ミシェル・キャンサーは叫ぶ。
「おまえだよ! お・ま・え! 脳みそを貝塚にでも忘れてきたの!? おまえ、今、《
「使ったけど?」
え、とデミウルゴスは思わず声に出してしまった。
先程の《
むしろだから何とでも言いたげな態度はどうしてなのだろう。
「それでダメージ受けたんだよ、私と私の可愛いペットたちは!」
「うん。それで?」
謝るでもなく、開き直るでもなく、きょとんとしていた。煽っているのではなく純粋に疑問に思っているようだった。
「え、いま、『それで?』って言った? 自分の魔法のせいで仲間が怪我をして、怒っているのに、『それで?』って言った? え、待って、感情と理解が追い付かない」
「僕に待ってくれなんてミシェルちゃんはいつからそんなに偉くなったんだい?」
「階級同じだよね!?」
ネハンは呆れ返ったような深い溜め息を吐き出す。まるで駄々をこねる子どもへの態度のようだ。
「確かに僕が放った隕石でミシェルちゃんは怪我をしたのかもしれない。でも、だ」
ポン、と肩に手を置いて優しく諭すように言う。
「そもそもミシェルちゃんがちゃんと避けてくれていたら当たらなかったんじゃないかな? 君のミスのせいで僕に責任を負うなんてことになるのはダメだと思うんだ。ミシェルちゃん、自分が悪いって早く認めよう。僕に迷惑をかけないでくれ」
デミウルゴスは、天使も怒りが限界に達すると無表情になるのだと知った。
「自分が何言っているか分かってます?」
「そう言われると、確かに僕も不注意だったのかもしれない」
「貴方も悪いんじゃないです。貴方が悪いんです」
「でも、だからと言って、僕が悪いってことにはならないんじゃないかな? 逆に、そこにいたミシェルちゃんに非があるっていうか……僕にごめんなさいって謝るべきだって気づきなよ」
「それが流れ弾を当てた同胞に言うセリフかあああああ! 殺してやるぅううう!」
槍を突き出すが、ネハンは余裕すら感じられる動きで回避する。
「やめるんだ、ミシェルちゃん。冷静になって考えるんだ。君如きが僕に勝てるわけないだろう! ちゃんと身の程を弁えるんだ。君は君の創造主と同じくらいバカだけどそれくらいは分かるはずだろう?」
諭すような口調でとんでもない暴言を言われたミシェルは怒りのままに槍を振り回す。当然のようにネハンには当たらない。ネハンは純粋な魔法詠唱者であるため、身体能力で回避しているのではなく、魔法や特殊技術で防いでいる。
彼女の使役している竜たちはミシェルが怒りのままに動くため、援護もできずにオロオロしていた。
「あああああああああああああああ! こ、この、てめ、このやろ、こ、こん、わた私だけじゃなくて、ママまで、いや、いやマジでマジ、ち、ちく、ちくしょう、パレット様ならともかくママを、ここここのやろおおおおおおおおお!」
「逆ギレって良くないと思うんだけど!」
デミウルゴスは情報を得た歓びを味わうことはなかった。むしろ虚しさが胸に満ちた。始めて味わう感情に戸惑いを隠せなかった。無論、非常に気分が悪かった。
「…………」
此方に構う余裕がないと判断したデミウルゴスは魔法を行使し、転移した。罠も何もなかった。仲間割れをしている二人に攻撃するべきだったかもしれないが、一刻も早くこの場から立ち去りたかったのだ。
後に、デミウルゴスはアインズにこう語る。
――あれは苛立ちや呆れよりも、一周回って恐怖を感じました。正直、あの男には二度と会いたくありません。
■
「というわけで、謎の敵を逃がしてしまった。ああ、皆、どうかミシェルちゃんを責めないで欲しい。まあ、ミシェルちゃんが無能なのは明らかなんだけど、僕に免じて許してあげて欲しいな」
「そうだな。ミシェルに追及するべき責任はねえから安心しろ。ただ、おまえは死のうか、ネハン。いや、脱獄囚。いや、ゴミ」
場所はお馴染みのホシゾラ立体農場第六階層『会議堂』。
ただ、今回は会議ではなく裁判のために使われていた。某地下墳墓には裁判所もあるのだが、農場には残念ながらないため、会議堂で代用している。
被告人のネハンは鎖で手足を縛られて床に転がされていた。周囲にはソラを除く階層守護者と十二天星が全員集まっていた。もうすぐパレットとソラも来るため、転移した初日の朝以来の出席率になる。
全員、ネハンに有罪判決を下すために仕事を無理やり切りあげてきたのだ。中には死刑判決をパレットに直訴するつもりの者さえいる。
転移してから一番空気が悪かった。ジュウがパレットに物申した時や番長と船長の喧嘩など比較にならないほど、空気が最悪だった。それに気づかない、あるいは気づいていても自分が原因だとは欠片も思っていないネハンは宣う。
「おいおい、ジャックス。僕の名前はネハンで正しいよ。ゴミなんて名前じゃない。ところで、この鎖はいつ外してもらえるんだい? どうして拘束されているのかの説明もまだなんだけど」
「一応聞くんだけどさ。おまえ、俺たちがおまえに対して怒っているってわかっている?」
「え? それは……誤解だと思うけどな。悪いことなんて何もしていないんだから」
本気で分かっていないらしい。ある者の表情から感情が消え、ある者の笑みが濃くなり、ある者の周囲の温度が上がった。感情を抑えきれずに壁や机を叩く者も複数人。
「のう、皆の衆。もう色々とすっ飛ばして死刑ってことでいいじゃないかのぅ。再投獄じゃダメじゃって。パレット様のことじゃから兄君の子であるこやつには甘いんじゃろうし。こんな奴、生きているだけで農場の迷惑じゃ」
それを聞いて、ネハンは顔を強張らせる。この男でもここまで罵倒されたらショックを受けるのだと、この場にいる半数が誤解した。
「――――っ。そんな、ガジュマル……ついにボケが始まったか……! 農場に不可欠な人材である僕に暴言を吐くなんてボケが始まった以外には考えられない。ヘチマ並みにスカスカの脳みそだとは思っていたけど、限界だったんだね」
「致死毒ぶち込むぞ、糞餓鬼」
「なっ! 仲間に対して何てことを言うんだい!」
「どの口で言っとるんじゃおまえ!」
興奮のあまり、ガジュマルの全身から毒液が出る。何人かに飛散して、悲鳴が上がった。
「だから説明してくれよ。皆、何をそんなに怒っているんだい? ちゃんと説明してくれ。僕が納得できていないのに一方的に処罰するなんて理不尽だろう! 僕が何をしたって言うんだい!? 本当に心当たりはないんだ」
『こいつすげえな』
「もふもふ」
ドブロクとマクラの皮肉に、ネハンは本気で照れた。
「いやぁ、それほどでもあるよ。僕がすごいのは今に始まったことじゃないけど、その誉め言葉は謹んでもらっておくね。ただ、もう少し具体的に格式高い言葉で表現するべきだと思うんだ。風船もどきと毛玉くんにはそんなことも分からないのかい?」
『ああ、おまえは間違いなくすごいよ。殺意を抱かせるクソ野郎度百パーセントだよ』
「もふー!」
ツインカーメンが四本の腕全てに武器を構えた。それに追従するように、リンカが肩を回して首を鳴らす。ニゲラとポッポも得物を取り出す。
「「パレット様に決めて頂くまでもありません。もう殺しましょう」」
「私に任せろ。口の中に手ぇ突っ込んで内臓全部引っ張り出してやる」
「それより首吊りがお似合いだヨ」
「処刑用BGMは任せるのさ」
「ん、待て、おまえら。時間をくれ。ここは俺が説得する。頼む。いえ、すみません。お願いします皆さん」
ジュウに心底申し訳なさそうに懇願されたら、流石に他のNPCは黙るしかなかった。彼に恩がない者はこの場にはいない。ガスマスクも外しているため、本気だと分かる。
「ふー、助けてくれるならもっと早くしてくれよ、ジュウ。皆がバカで困っているんだ」
「ん、早くも庇う気が失せる戯言はやめてくんねえかな?」
「皆が僕やおまえやパレット様と同じくらい賢かったらこうはなっていないんだが」
それを聞いて、ジュウはこめかみを抑える。
「ん……。おまえ、まだ親父が賢いなんて妄想続けてんのか? 親父はライフ様じゃねえんだよ。あのヒト、すげえ馬鹿だぞ。異世界にやって来て最初に出したまともな指示が『畑を作る』だからな。周辺の町に潜り込んで情報収集とか変化した法則の実験とかじゃねえからな」
ジュウとしては呆れて欲しかったのだが、何故かネハンは目を輝かせる。
「何? 最初に畑を……ふふ、成程。そういうことか。流石はパレット様。叡智、聡明、頭脳明晰という言葉はあの御方に捧げるためにあるような言葉だ。嗚呼、世界に名を轟かせるべき大賢者!」
「突然どうした。怖っ」
ネハンの態度にドン引きするジュウ。ジュウ以外の面子は今更引くほど彼に期待していない。
「ジュウ。まさかおまえもパレット様のお言葉の真意が分かっていないわけではないだろう?」
「ねえよ、真意なんか。あの願望に表も裏もねえんだよ。そりゃ偉大なる農場の統率者が考えなしだって認めたくないのは分かるけど、現実を見ろ。理想を押し付けて真実を捏造するな」
ジュウの本心だったのだが、ネハンは「ふふ、まだ時ではないのか。ならば、そういうことにしておこう」と意味深に返すのだった。
「ん……これから説明することを親父が到着するまでには理解しろよ」
「む? パレット様は何か急用でもあったのか?」
「ソラの絵を描くのにはまってんだよ、親父。切りのいいところまで描いてから来るってよ」
本当にいいところまで描いているのかもしれないが、ネハンのやらかしと直面したくなくて現実逃避しているだけかもしれない。
「ソラの絵? 成程、そういうことか――」
「変な深読みはいいから。もう演技とかでいいからさ、ミシェルに頭だけでも下げてくれよ。こんなくだらないことに時間使いたくねえんだよ。忙しいんだよ、俺たち」
「だったら僕にも仕事をくれよ。ここにいる役立たずの皆より成果を出してみせよう!」
「その根拠のねえ自信はどっかからやってくるんだ! ああ、もう、話を戻すぞ。皆がどうして怒っているのかって言うとだな――」
そして、ジュウは噛み砕いてネハンに説明する。本来ならば、この話に噛み砕くものなど何もない。ネハンが脱獄して勝手に不審者に喧嘩を売ってその流れ弾がミシェルに当たって、その過失に関してネハンが反省も謝罪もしていないために皆が怒っているだけなのだから。
悪戯をした幼児に反省を促すように優しく、そして易しく説明する。
「何だよ、それ! ふざけるなよ!」
説明が終わった後、ネハンの反応はまさかの逆切れだった。
「ミシェルちゃんに不要な怪我をさせただけで、皆してそんなに怒ることないじゃないか! 死んだわけじゃないんだし、すぐに魔法で回復できる程度の怪我じゃないか! 怒るなよ、水に流せよ!」
「誰か最高にむごい殺し方、知らん?」
「ファラリスの牡牛に全裸で放り込むのはどうだろうか?」
「足に塩を塗ってヤギに舐めさせるっす」
「だから何でそうなるんだ! ミシェルちゃんなんかのために僕がひどい目に遭っていいわけないだろう!」
「…………うわああああああん!」
ついに泣き出すミシェル。
「なんかって、なんかって言いやがった、こいつ! 反省とか謝罪とかの次元じゃないよ、私のことなんかって言った、こいつ! 嫌われ者のくせに、好き嫌い多いくせに、納豆とミントで発酵蔵と畑をダメにしたくせに、穀潰し以下の囚人のくせに! 役立たずですらないのにぃ! ライフ様の被造物であることと強い以外に何も取り柄なんてないのに!」
ネハン・オフィウクス。
役職、十二天星『へびつかい座』。隔絶領域『牢獄』領域守護者。囚人。
創造主、ライフ・イズ・パンダフル(初代ギルド長、パレットの実兄)。
レベル百。種族、人間。職業、ネクロマンサー。
属性、極悪(カルマ値-500)。
罪状、納豆持込禁止区域で納豆を食し酒・チーズ等の発酵食品を蔵ごとダメにした罪、他人の領域にミントを植えて三十の畑をダメにした罪、繁殖用の鮎を乱獲した罪、御神酒を盗み飲みした罪、品種ごとに分けられたコーヒー豆を勝手にブレンドした罪、船のマストで遊んで帆を破いた罪、人参を食べ残してゴミ箱に捨てた罪、女性部屋に無断侵入した罪、花畑でキャンプファイヤーをした罪、家畜の餌を横取りした罪、頻繁に脱獄する罪、等。
「ドクター、こいつ殺してよ!」
「何で上司のガンリュウじゃなくて俺に言うんだよ」
「番長だとすぐに殺しちゃうでしょ! 手加減下手くそなんだから。こいつには可能な限り苦しんで死んでもらわないと」
「まあまあ。落ち着き給えよ」
割って入ったのは芥山だった。本日は五つの外装のうち、優しげな青年だった。だが、彼は別にネハンの弁護をしたいわけではない。逆だ。ネハンの減刑を考えているジュウを説得しようとしているのだ。
「ジュウ。君だってネハンのせいで計画が結構狂ったんじゃないのかい?」
痛い所を突かれたジュウ。すぐに反論しようとするが、芥山は間を置かずに叩きかける。
「君はこの世界のレベルに合わせてことを運んでいた。だからこそ聖王国――人間たちには我々が丘陵地帯を支配しようとしていることは予想もしていないはずだ。しかし、《
芥山が指摘する通り、このタイミングで第十位階である《
おまけに、ネハンが交戦したという蛙頭の存在が気にかかる。ジュウの予想では、それは丘陵地帯の亜人でも聖王国の関係者でもない。ひょっとしたら自分たちと同郷の可能性もある。情報らしい情報がない状態で逃したのは非常に拙い。
「丘陵地帯の方はそうでもねえよ。聖王国については……また徹夜して考え直すわ。蛙頭の何かに関しては、追っ払えただけ良しとしようぜ」
周囲の誰もそれに納得していなかった。ジュウの言葉がその場しのぎであることを見抜いたからだ。それどころか、スケアとハヤが物申す。
「そうやって甘やかすと為にならないである。ここは心を鬼にして磔刑に処すべきである。カラスの餌にでもしてしまえ」
「ドクター。お願いですから睡眠不要のアイテムに頼らずちゃんと寝てくださいな。あと、ネハンの処刑は馬を使った八つ裂きの刑を勧めますわ」
従兄弟のような存在であるため、可能ならば庇ってやりたいジュウだったが、今回ばかりは――いや、今回のことも庇いきれないと思った。やばい。泣きたい。逃げ出したい。こんな設定を与えて生み出したライフ・イズ・パンダフルを助走をつけて殴りたい。
パレットに仕事や決断を押し付けることを好まないジュウであったが、ネハンのことばかりはどうにかして欲しかった。怒りのあまり泣き止まないミシェルを見てつくづくそう思う。
「う、うううう……!」
「ミシェル。こっちに来るのさ」
「ポッポ!」
「よしよし。私の胸で泣くがいいのさ、ミシェル。遠慮する必要はないのさ。私は親友が泣き虫のクソ雑魚ナメクジでも見捨てたりしないのさ」
「ポッポ姐さん、ひどいっす。鬼っす、悪魔っす、人の心がないっす!」
「私は天使だから鬼でも悪魔でも人でもないのさ」
「うう、ポッポが私を慰めつつ苛めるよ……」
そう言いつつも、ポッポから離れないミシェル。ポッポは自分に縋りついてくる彼女の頭を優しく撫でる。
「よしよし、ミシェルはいい子なのさー。そうだ。この後、ケーキでも食べるのか? 今の第一階層は静かだからきっと落ち着くのさ。何がいいのか?」
「……チーズケーキ」
「じゃあ私は苺のショートケーキにするから分けっこするのさ」
「夜刀丸たちも一緒がいい」
「モーマンタイ、なのさ。ドラちゃん用のお菓子も食堂に手配してもらうのさ」
そんな二人を見て、何故かガンリュウは幸せそうに溜め息を吐き出した。
「ふぅ……。女人同士の絡みはとても尊いものだ。しかし残念なのは二人とも年増なのがな……」
念のために表記すると、ポッポもミシェルも外見年齢は人間の十代後半程度である。童女というには無理があるが、少女と呼んで差し支えないのだ。老化しない天使の年齢について考察するのも滑稽な話だが。
「俺、ネハンだけじゃなくてこの無粋極まりない変態野郎の処刑許可も嘆願するわ」
ジャックスが殺気立つ一方で、何故かネハンは照れ臭そうに笑った。
「へへ、美少女二人の仲が良くて僕も鼻が高いよ。やっぱり農場には僕がいないとね」
「おまえ、どんな思考回路してんだ。何でそんな結論になるんだ。本気で黙ろうか。……いや、全員黙った方が良さそうだな、親父が来たみたいだぞ」
■
会議堂に向かうパレットの脳裏に蘇るのは、実兄と義姉と交わした会話だ。ホシゾラ立体農場を手に入れてしばらく経った頃、ネハンを作ったばかりの頃、あの二人が夫婦になる少し前だったはずだ。
『兄貴さ、ネハンのフレーバーテキスト見たけど性格悪そうなことしか書いてねえじゃん。現実にいたら嫌われ者じゃ済まないぜ?』
『俺のNPCってことは俺の息子だ。
『義姉さん、アンタの婚約者がやべえこと言ってんだけど』
『でも私は彼のそんなところも好きだから』
『受け入れるだけが愛じゃないと思うんだ! とにかく兄貴! その価値観、現実で実行するんじゃねえぞ』
もしもあの時、NPCたちが実際に意志を持った生命として動くと知っていたら、兄を殴ってでもあのフレーバーテキストを書き換えただろう。今となっては後の祭りだが。こうしてNPCが生命として活動するなど想像もできないため言っても仕方がないことだが。
「受け入れるだけが愛じゃない、よな」
かつての己の言葉を思い出し、パレットは苦笑する。運命とはどういう風に回るか分からないものだ。ならばこそ、あの日の己の言葉に従おう。ここには、あの兄もいないのだから。
会議堂に入る。
さあ、お説教の時間だ。
「ネハン。ちょっくら叔父さんと殺し合いしよーぜ」
ネハン・オフィウクス
人間。
十二天星の番外にして例外。
一言で言えばクズ。頭無惨かもしれない。
囚人なのだが、創造主が与えたアイテムのせいで頻繁に脱獄する。あくまでも設定であったため、今回の脱獄がパレットの認識では初犯なのだが、NPCたちにとっては何十回目の脱獄。設定に書かれていただけの犯罪歴もNPCたちの認識では現実にあった事件。
余談
彼とジュウを含めて農場のNPCには五人の人間がいるのだが、残りは「元奴隷の花農家」「元公爵令嬢のメイド」「元勇者の金庫番」。この三人の設定に書かれた『過去』とネハンの人格が、農場で人間という種族への印象が悪い理由。