城壁への接触はジュウに、亜人側への接触はバヌに一任させるという形で結論が出た。パレットは警備体制の見直しと各階層の状態を自分の目で確認するために、ソラを伴って『会議堂』から退出した。
偉大なる御方の姿がなくなった途端、階層守護者と十二天星はジュウに詰め寄る。
「ジュウ!」
「ドクター」
「軍師殿」
「ジュウさん!」
「先生!」
「ジュウの兄御!」
「ジュウちゃん」
第三階層『獣舎』階層守護者ジュウ。崇高なる八十八人の御方々のまとめ役であるパレットが手ずからに創造したシモベの一体。医師にして軍師。ホシゾラ立体農場の三頭脳のひとりであり、緊急時における階層守護者を除くNPCの指揮官という立場にある。階層守護者の中では最弱の部類だが、彼の本懐は自分が戦うことではないため、侮るような愚か者はいない。
第二階層『貯水池』階層守護者ジャックス・ゴールはジュウの胸倉をつかみ、吊るし上げる。
「おいこら、ジュウ! おまえなぁ、不敬が過ぎるぞ! ヒヤヒヤしたわ!」
「阿呆。今のは身を削った忠勤だと賞賛するべきだろう」
ジャックスを諫めるのは第五階層『倉庫』階層守護者ガンリュウ。だが、それは火に油を注ぐ行為であった。誰だって焦燥している時に嫌いな人物から反対意見を言われたら激高する。
「はあぁ?! ついに脳みそ腐れ落ちたか、モスキート野郎!」
「貴様こそ電子回路が狂ったか、ポンコツロボ」
「喧嘩なら買うぞ、穀潰しの偏食家が……!」
「刀の錆になりたいようだな、高燃費のガラクタめ」
ものの数秒で一触即発状態になったジャックスとガンリュウを、それぞれの補佐――ニゲラ・ピスケスとミシェル・キャンサーが宥める。
「やめろヨ、船長」
「番長も落ち着きなって」
だが効果はない。周囲の守護者たちもどうやって止めようか様子をうかがう。
「――落ち着け、おまえら。しゅこー、しゅこー」
制止の声をかけたのは、ジャックスに胸倉をつかまれたままのジュウだった。
「俺たちがすべきなのは、喧嘩か?」
ガスマスク越しではあったが、有無を言わせない迫力があった。顔が見えないから威圧感があるのか、顔が見えなくてもこの威圧感なのかは不明だが、機械仕掛けの海賊も剣聖の吸血鬼もその言葉に怯んだ。別に声を荒げたわけでもなければ、大声だったわけでもない。ただ、この男が声を出すだけで効果があった。
「ちっ。おまえに言われたんじゃ仕方ねえな。おい、変態吸血鬼。今日のところはここまでにしておいてやるよ」
「それはこっちのセリフだ、暴食ロボ。ジュウに感謝するんだな」
「いや、喧嘩の原因はジュウの兄御なんすけど……」
『しっ。ぶん殴られるぞ』
「殴らねえよ。人を何だと思ってんだ。しゅこー、しゅこー」
『おまえにじゃねえよ。そっちの二人にだよ』
「……ん。そろそろ下ろせ、ジャックス」
「お、おう。悪いな」
床に足をつけたジュウは乱れた衣服を直しながら言う。
「ん。まあ、俺に対し何か言いたい奴もいるとは思うが、後にしてくれ。せっかく親父からファーストコンタクトを分捕ったんだ。楽しいおつかいにするために、色々と準備しねえとな。一度『獣舎』に戻るか。しゅこー、しゅこー。手伝え、マクラ」
「もふもふ」
宙に浮く毛髪妖怪、もとい、マクラ・アリエスはもふもふと進言するのである。
「もっふもっふもふ」
「ああ、それもそうか。礼を言う。見落とすところだった。しゅこー、しゅこー」
「よくそれで会話できますわね」
「このガスマスク、通気性はそれほどよくねえんだよな。しゅこー、しゅこー」
「いえ、ドクターの方ではなくマクラきゅんの方に対して言ったのですけど」
ハヤからの言葉に肩を竦めるジュウ。お道化るような仕草だが、そのガスマスクの下にどんな表情をしているか分かったものではない。というか、通気性云々は嘘である可能性もある。
「てか、さっきは普通に名乗ってたよな?」
「もっふもふ」
「御方の前だから頑張ったそうだぞ」
リンカからの質問への返答を、ジュウがシンプルに訳す。腑に落ちないが、これ以上追及しても時間の無駄なのでリンカも突っ込むことはしなかった。
「チョーカとジャクチョも俺と来い。ああ、ガンリュウ。ミシェルを借りていいか?」
「無論。ミシェル。行ってこい」
「うん、いいよ。よろしくね、ドクター」
「うちも了解っす」
「………………」
「ジャクチョ、返事くらいした方がいいっすよ。せめて頷くっす」
スケア・クロウ・リブラが手を挙げる。
「吾輩は良いのであるか? 探知は必要だと思うであるが」
「おまえにはどっちかと言えば、農場に残ってもらった方がいいだろ。これからやることを考えたら、ジャクチョで問題ねえ。しゅこー、しゅこー」
「もふもふ」
「できればネハンも引っ張り出したいところだが、あいつは無理だろうな」
この場にいない十二天星『へびつかい座』ネハン・オフィウクス。十三番目にして、例外にして、最強。階層守護者以外で唯一のレベル百NPC。『牢獄』の領域守護者であり同時に囚人でもある彼の名前が出た途端、全員が顔をしかめた。心底聞きたくない名前を聞いたとばかりに。
「そりゃ無理だろう」
「ああ。ダメじゃな」
「不可能っすよ」
「反対ですわ」
「むしろ反対意見しか出ないであろうよ」
「こればっかりは不本意ながらこの変態に同意するぜ」
「誰が変態だ、ガラクタ」
「事実だろうが、ロリコン」
「おい、いい加減にしとけよ」
「だってこのスクラップ寸前の鉄くずが」
「だってこの廃棄処分予定の腐れ肉が」
「ガキかてめえら」
海賊ジャックスと倉庫番ガンリュウ。この二人が同じ場所にいれば何度言っても衝突することは明白なので、この場は早く解散すべきだ。
早く話を進めろとメンチを切り合っている二人を除く全員がジュウを見る。
つい先程まで糾弾される立場だったのも関わらず、ジュウがそうすることに異議を唱えるものはいない。口に出さないだけではなく心にも思わない。ソラもネハンもいないこの場では発言権は平等である。ならば、一番頭がよく一番周囲を見ていて一番同胞を理解しているジュウが取り仕切るのは至極当然のことだからだ。あと、口は悪いがかなり真面目であることも大きい。他の者が進行役になると遅くても二分で脱線する。
「長老、芥山さん」
「何じゃ?」
「何かね?」
ガジュマルと芥山。
共にこのホシゾラ立体農場の生活基盤に大きく関わる階層を守護している。正反対な要素が多い二人ではあるが、どこかの海賊と吸血鬼のように意味もなく言い争いをするようなことはない。
「親父がこれからどうするつもりなのかは分からない。というか、親父自身が決めかねている感じだった。俺が城壁からどういう情報を持って帰れるかで決まるとは思うが……籠城戦になったら二人が要だ。頼むぞ」
「分かっておるわい。儂を誰だと思っておる」
「問題ない。任せてくれたまえ」
「感謝する。しゅこー、しゅこー」
方向性が違う二人は一片の逡巡もなく胸を張るのだった。何とも頼もしいことだ。
逆に、この場にいないソラに関しては不安が残る。常に冷静沈着にして頭脳明晰である彼女にしては、妙に浮足立っている。どうやらパレットに膝枕を要求されたことに浮かれているようだった。ジュウにとって彼女は階層守護者としてではなくNPCとして最も評価しているうちの一人だけに残念だ。
浮足立つならば、初夜を迎えるくらいのことはして欲しい。御子を身籠ってくれたら万々歳だ。
偉大なる御方の後継はあるべきなのだ。ある視点で見ればそれはジュウ自身だが、ジュウはこの立体農場の支配者になるつもりは毛頭ない。農場の運営よりも獣舎で家畜の世話をしている方が性分に合っている。
更に言えば、ジュウにとっては従兄弟とも言うべきネハン・オフィウクスこそが後継になるべきだとも考えているが……それこそ本人が拒絶する意見だ。彼はそういう風に創造された。そう生きるしかないように創造された。
「親父を理解できない時もあるが、ライフ・イズ・パンダフル様はもっと理解できない……」
ラグナロク農業組合初代ギルド長にしてユグドラシル最強の天使ライフ・イズ・パンダフル。パレットの実兄。御方々が農場を手に入れた際、何かあったらしく、パレットにギルド長の席を渡したと聞いている。
何故、ライフ・イズ・パンダフルがいなくなったのに、パレットは残ったのか。その理由が分からない限り、NPCは潜在的に「パレットもいつかいなくなってしまうかもしれない」という不安と戦うことになる。御方を完璧に理解できるなど不敬であり不可能ではあるが、理解しようとする努力は怠ってはならないはずだ。
「ライフ様がどうかしたんか?」
ジュウの独り言を拾ったのは、生きる火山、第四階層『工場』階層守護者のバヌだ。
「いや、ライフ様ほどの力があれば親父ももっと気楽に俺を送り出せたはずなのに、って思ってよ」
適当に取り繕った理由ではあるが、まぎれもない本心だった。
ジュウは人間種であるため、亜人種や異形種のように種族レベルは持たない。そのため、レベル百は全て職業に割り振られている。指揮官系を主とし、魔獣使いや医師のレベルもある。だが、それらは全て直接的な戦闘能力はないか、かなり弱い。あくまでも集団戦を前提としている。単体での能力値が階層守護者最弱と評価される所以である。
「……いや、今の俺たちに必要なのはどちらかと言えば間諜か。ま、ないものねだりをしても仕方がない。やれることをやろう」
「だな」
「違いない」
ジュウは今度こそ自分の守護する階層に戻ろうとしたが、重要なことを思い出し、踵を返した。
「それと、ハヤ。ソラが戻ったらちゃんと親父から目を離さないように言っておいてくれ。ちょっと目を離した隙に農場から抜け出すかもしれん」
それを聞いて、ハヤは微妙な顔をする。
「ドクター。そんな、自らの創造主を元気すぎて危ない子どもみたいに……」
「でも、パレット様は義務感で縛っとかないと自由すぎるって、ライフ様とテラ様が言ってたな」
『え? 俺はアッチッチ様がそう言われていたのを聞いたぞ』
「確かに、リリートン様と鉄人女様がおっしゃっていたのである」
「「お二方はご兄弟であられますから」」
「ネハンのクズ野郎もそういうところあるからな」
「もふもふ」
「ってことは、兄御も……。ああ、考えてみたら納得っすね」
つまるところ、そういう血筋でそういう一族なのだろう。腑に落ちない部分はあるが、そう考える方が納得である。
「チョーカ。何だ、その散歩前に玄関ではしゃぎまわる犬を見るような目は」
見れば、チョーカだけではなく全員から似たような目を向けられていることに気づく。肩をポンと叩かれたので振り返ると、ガジュマルの枝のような手があった。
「気にしたら負けじゃよ」
「どういう意味だ? って聞くのは無駄だな」
変に聞き分けの良い男である。今日に関しては時間がないというのもあるのだろうが。
「ん。他に何か言いたいことがある奴はいるか? 俺はこれから忙しくなるし、親父やソラも同じだろうから、意見は今の内に言っておいた方が効率的だぞ」
「では、失礼して」
手を挙げたのは、第四階層守護者補佐にして『おうし座』の十二天星、巨大な聖騎士、ジャンボマン・タウラスだ。
「何だ、ジャンボ。おまえは今回の任務には不向きだから連れて行けないぞ。外に出たいならバヌさんを手伝ってくれ」
「いや、そうではない」
巨躯の天使は指で自分の胸を指し示す。心臓、あるいは自分を指し示しているのだと全員が思った。しかし違う。ジャンボマンが指差したのは自身が纏う全身鎧だ。
「全裸になって良いだろうか?」
ズッコケた。
発言者のジャンボマンを除く全員が派手にズッコケた。空中に浮かんでいたドブロクやマクラさえズッコケた。
階層守護者たちと十二天星たちの感情と行動が完全に一致した珍しい場面である。
「む? ちょっと分かり辛かったか。では言い直そうか。これから鎧を脱ぐ。なので皆で私の一糸まとわぬパーフェクトボディを鑑賞して欲しい」
「「別に意味が分からなかったわけではありません」」
「おまえ突然何を言い出すんだ!?」
「脈絡も伏線もなかったっす!」
「ビックリしたである!」
『今言う必要あったか!? いや、今じゃなくても言う必要あるか?』
「誰が貴方の全裸なんて見たいと思うんですの!? どうせならマクラきゅんの裸を見たいですわ」
「余計な本音漏らしてんじゃねえよ、ド変態リーダー!」
「待つのだ、リンカ。どうせ罵倒するなら私を罵倒してくれ! 全裸の私を見ながら、全力で罵倒してくれ! お願いだ! これから全裸になるから、皆で私を口汚く罵ってくれ! 鎧を脱ぐから足を蹴ってくれ、腹を殴ってくれ、顔を叩いてくれ!」
「なんかこいつうるさいんじゃけど」
「普通に気持ち悪いヨ」
「うちの補佐がすまんね。多分、階層守護者と十二天星がこれだけ揃う機会がないからテンション上がってんのだと思うんよ。彼、基本的に自分の領域では全裸なんよ」
「すまないで済んだら即死魔法は要らないのだよ、バヌ。あと、後半の情報は聞きたくなかった」
バヌのフォローになっていない言い訳を聞いて、芥山は眉間を指で押さえる。仲の悪い二人も同意見だった。
「全くだな。変態はこのポンコツだけで十分だというのに」
「本当だぜ。特殊性癖はこの吸血鬼で間に合っている」
「あー、もー! 番長も船長もやめなよ。ドクターが泣きそうな顔してるでしょ。ガスマスクで分からんないけど絶対泣いてるよねあれ!」
「……泣いてねえよ。目から感情があふれているだけだ」
「もふもふ」
これまで黙っていた『おとめ座』ポッポ・ディスコ・ロック・ヴァルゴが手にある琵琶を弾き始める。ギターの弾き語りのように。
「ん~、ジュウちゃんってばお疲れの様子なのか。こんな時こそ歌が必要なのさ。というわけで聞いてください、リサイクルボトル様作詞作曲『いいことあるさ、ゴミ箱とかに』」
『追い打ちやめろって!』
■
「あいつ、俺に似すぎじゃない……? さっきのやり取り、クソ親父と昔やった通りだわ……」
小声でそんなことを宣いながら、パレットはホシゾラ立体農場の中を行く。現在歩いているのは第六階層『住居』の通路。すでに『食堂』、『仮眠室』、『大浴場』などは回った後だ。大浴場には後で改めて個人的に行こうと決めている。
「ご安心を、パレット様。ジュウも本気で言ったわけではないでしょう。最終的にパレット様が折れることは明白でしたから、無駄話のショートカットのつもりだったのではないでしょうか?」
「ん、それどういう意味?」
しかしながら、過去の自分を思い返してみると、兄に対してはあんな感じの発言を何回かしたような覚えがある。懐かしさと同時に、やはりジュウは自分の中の「何か」を引き継いだ子なのだと奇妙な感慨を抱く。
しかし、こうしてソラと会話している中では特に彼女の製作者、兄嫁のテラ・フォーミングを彷彿とさせる部分はない。無論、彼女があえてそう振る舞っているのかもしれないが。
ジュウが特別に創造主の影響を受けているのか。それとも、ソラがテラから遠いだけなのか。両者の違いは何なのか。他のNPCとももっと会話してみるべきだろう。
彼らが自分へ敵意や殺意を抱いている様子はなかった。いま現在は安全だと、信用に足る存在であると認識しても問題はないだろう。いつまでもそうであるとは限らないが。NPCの口からすでに何度も聞いた「崇高なる御方々」とやらにふさわしい条件がどのようなものかは分からないが、そう呼ばれている以上はそう呼ばれるにふさわしくあるよう努力すべきだ。実際になれるかは別として。
「ソラ。おまえにとって俺って何なんだ?」
「シモベ一同にとっては我らの王と言う他にないかと。私個人にとっては愛しい御方でございます。あ、膝枕でしたらまたいつでも可能ですので」
「ああ、いや、じゃあ、いつかまたお願いしちゃおうかな?」
ここで断れるほど、パレットは人間が出来ていなかった。最早建前を言うつもりさえない。
格好つけるのはやめた。先程の醜態を晒しておいて今更すぎる。
「おまえが俺を好きなのは、義姉さんがおまえに与えた『設定』か?」
「はい。偉大なる我が創造主テラ・フォーミング様に命をいただいたあの日、パレット様を殿方として愛するお許しを戴きました」
プレイヤーとNPCの違いは色々とあるが、その一つにフーレバーテキストが挙げられる。文字通り、文字だけの設定だ。フレーバーテキストに「ワールドチャンピオンより強い」だなんて書いても、ワールドチャンピオンより強いNPCができるわけがない。
……実際問題、ワールドチャンピオンより強いNPCというのは存在するのだが。このホシゾラ立体農場にはいないが、あの恐るべき地下墳墓の第八階層に。フラッシュバックする映像。胎児のような天使の死によって、大軍勢が足止めを受ける。時間にすればほんの数秒。だが、その数秒が致命的な数秒になった。大軍勢による大侵攻は、あの数秒で撃破された。数で勝っていたはずの侵略者は、まさに『質』で押しつぶされた。
最強とはまさにアレのことだ。
閑話休題。
どうやらNPCたちの人格は種族や性別だけではなく、フレーバーテキストに書かれた設定による部分も大きいらしい。
ソラ・ゾディアックが完成した時、パレットは兄とともに最初にお披露目を受けた。後に義姉と呼ぶことになる兄の婚約者は、手塩にかけて作り上げた自分の娘を高らかに自慢してきた。外装の拘り一つから、使用可能な魔法や装備の性能まで事細かに説明してくれた。その中で最も印象深かったのが、フレーバーテキストの最後の一行だった。
――パレットと一緒だと、ソラは月がとても綺麗に見える。
ある文豪が生徒に教えたとされる、アイラブユーの有名な和訳が元ネタだ。本当に言ったかどうかという確証はかなりあやふやなのだが、文学好きならば知っていて当然程度の常識にはなっている。
随分詩的な設定だと当時は感心したものだ。対象が自分であるのは微妙な気分だったが。付き合いが長いだけあって、性癖は完璧に把握しているらしく、わざわざパレットの好きそうな外装にしているあたり、本当にやめて欲しかった。こうして動き出すとより魅力的に見える。
「もしや、迷惑でしょうか?」
「いや全然」
義姉は現実世界で生きているはずだが、プレイヤー「テラ・フォーミング」としては死んでいるに等しい。ならば、ソラはテラの忘れ形見と言っても過言ではない。
義理の姉の子である以上はつまり、姪っ子だ。血の繋がりはなくとも、魂の繋がりはある。そう考えても、やはりあの二人の面影は感じない。
「……義姉さんの子であって兄貴の子じゃねえから法律的には問題ないはずなんだよな。そもそもこの世界の法律がどうなっているのかは不明だけど。いや、法っていうか倫理的にはどうなんだろう。ホシゾラ立体農場内での法律はどう扱うべきなんだ。ユグドラシルの倫理観って何だ。運営の決めた禁則事項に従えばいいのか。だとしても何親等の関係がどういうなんて規則はねえよ。古代北欧か? それとも……」
「パレット様?」
「ん、何でもねえ」
どう見ても何でもなかったようで、ソラは「は、はあ?」と釈然としない返事を返してきた。
ここでパレットは自身の違和感に気づく。果たして自分はこのような考え方をするタイプの人間だっただろうか、と。間違っても義姉の子を性的対象として見るような人間だったはずではないのだが。法や倫理から見て問題があるかどうかではなく、最初から性的に意識しないように努力する程度のモラルはあったはずなのだが。
(身体だけじゃなくて倫理観まで悪魔になったのか? それで欲望に忠実になったと? ……案外、これが俺の本性なのかもな。兄貴や義姉さんに言ったらどんな顔をするかな? ソラを通して義姉さんに興奮しているみたいで嫌なんだけど……。うん、義姉は義姉、ソラはソラだ。それでいいだろう。義姉さんのことは大好きだったけど、女として好きかって言われたらない。兄貴も物好きだよね)
ライフ・イズ・パンダフルもテラ・フォーミングもこのホシゾラ立体農場にはいない。二人だけではなく、他の八十五人のメンバーもいない。自分だけしかいない。NPCたちはいるが、自分との認識の齟齬や知識の欠乏は非常に危うい。それでもジュウに外壁への接触を一任したのは、自分の息子ならば大丈夫という根拠のない確信だ。……会話したのは今日が初めてだが。
ソラを始めとするNPCにはどのような距離感で接するべきなのか、正解が不明である。彼ら彼女らにとっては長年仕えてきた主人という認識のようだが、自分にとってはほとんど初対面の他人だ。ひょっとしたら、守護者の誰かが自分を殺そうと考えているなどと言われても不自然なことではない。
軽く試した限りでは、魔法やアイテムはユグドラシルと同じように使えるようだ。しかし、一部の能力は現実化に関して仕様が変わっている。守護者の誰かと練習試合でもしてそのあたりの変化を検証する必要がある。また、仮想現実であったユグドラシルとは異なり、痛覚や嗅覚、味覚が機能している。
更に言えば、フレンドリーファイアが解禁されている。つまり、仲間に対しての攻撃が有効化しているのだ。現実化しているので当たり前と言われたらそれまでだが、これは守護者を始めとするNPCから不意打ちをされたら最悪死ぬことを意味している。敵意や殺意はなくとも、いつまでもそうとは限らない。それに、これからプレイヤーの襲撃を受けることがあるかもしれない。同盟を組んだ相手から闇討ちされることだってあるかもしれない。
パレットというプレイヤーは決して最強でも無敵でもない。組合最強のプレイヤーは兄の方だ。ユグドラシルの全プレイヤーの中でも五本の指に入ると言われた、ライフ・イズ・パンダフル。
対して、パレットは基礎スペックが高いとは言えない魔法剣士。比率は魔法職寄りで、サブアタッカー。剣と魔法でメインアタッカーを支援することを目的としたビルド構築。当然だが、純粋な魔法職や戦士職には火力でも手数でも遅れを取る。二つの技術が使える代わりに性能が中途半端になるのは魔法戦士の宿命とも言えた。
もっとも、スペックが低いのは人間形態・半異形形態の話だ。完全異形形態になれば、パレットの能力はプレイヤーの中でも上位の部類に入る。だが、完全異形形態になるにはいくつかの条件を満たさなければならず時間制限もある。また、一部の魔法と特殊技術が使用不可になり、カタログスペックが高いだけのアタッカーになってしまう。つまり、スピード勝負には弱い。
ネハンを除く十二天星には、レベルの差もあり、余程悪い条件でない限り、負けるつもりはない。階層守護者で言えば、最も相性が悪いのは機動力・火力重視のガンリュウ。次点でプレイヤー殺しに特化しているガジュマル。
そして、階層守護者三人以上と戦う場合、ほぼ確実に負ける。組み合わせ次第では逃げることもできない。二人までなら課金アイテムやワールドアイテムを使えばどうにかできる範囲だ。しかし、得るものはない。それに、身内の子など殺したくはない。殺すのも殺されるのも嫌だ。
そこまで考えた時点で、パレットは自分の本心を察する。どうやら自分はNPCを、ギルドメンバーたちが残していった子どもたちを、身内だと思いたいようだ。仲間たちのように、信頼し合える関係になりたいと考えているようだ。
無駄に悩んでいた己を自嘲する。ならば、そうなれるように努力するだけだ。裏切られた場合は裏切られた時に考えればいい。もし裏切られたとしても、それは信頼される努力を怠った自分のせいなのだから。
「俺はどうするべきなのかな、兄貴。俺はどうしたいのかな、義姉さん」
根本的な問題だが、自分は何を目標に動くべきなのか。この世界でホシゾラ立体農場を維持することを目標にするべきなのか。それとも、あの現実世界に帰るべきなのか。もっと言えば、自分は帰りたいと考えているだろうか? ユグドラシルが終わったあの世界に。兄夫婦がいるあの世界に。
結局、パレットの基準はそこだ。兄と義姉の二人に尽きる。二人の子どもも加えて考えるならば、答えは出ているようなものだ。
ソラ・ゾディアック。ネハン・オフィウクス。それに、自分の子や仲間たちの子もいるのだから。彼らを放って行くなど論外だ。
ソラに関しては、義姉の子以上の感情を向けそうになっている自分もいるのだが。
ユグドラシルという世界は終わったが、ラグナロク農業組合もホシゾラ立体農場もここにある。
何がどう転ぶかは分からないが、なるようになるしかない。
自分はラグナロク農業組合のギルドマスターで、NPCたちは自分のことを王だと言っている。ならば、それらしく振る舞うだけだ。ラグナロク農業組合の行動はいつだってシンプルなのだ。
――――この世界は、楽しんだ奴が偉い。
ユグドラシルではないのだとしても、楽しみ方はあるだろう。
これから出会う相手が友好的な隣人ならば仲良くしよう。しかし、敵対的な害獣や畑泥棒ならば、殺すだけだ。
そんな如何にも悪魔らしい思考を抱えたまま、パレットは笑った。
「まあ、何にせよ、鐘の音は聞こえたか。安眠を妨害したお詫びは用意しとこう。時間設定も変えとかないとな」