ローブル聖王国。
信仰系魔法を行使する聖王を頂点とする、宗教色の濃い半島の国である。一部にマーマンなどの亜人種がいるが、主な国民は人間だ。
珍しい特色としては二つの点が挙げられる。
一つ目は国土が巨大な湾によって横にしたU字型になっている点だ。このため、国は事実上南北に分断されており、北聖王国と南聖王国と呼ぶ者もいるほどだ。
二つ目は半島の入口、国土の東側にある城壁だ。北から南にかけて全長百キロを超える城壁は、スレイン法国との間に存在する丘陵地帯に住む亜人の侵攻を防ぐためのものだ。この城壁の巨大さは聖王国が亜人をどれだけ危険視しているかを証明している。実際、歴史の中でどれだけ国と人が亜人たちに泣かされてきたかは考えるまでもない。
亜人の多くは人間よりも身体能力面で優れている。魔法能力に長けたもの。体内から毒や糸を出すもの。肉体が強靭なもの。脆弱な亜人の代表であるゴブリンでさえ、闇夜を見通す目と小柄な肉体は状況次第で非常に厄介なものだ。
この城壁はそんな亜人たちの侵攻を防ぐ最強の盾であり護国の最前線である。しかし、これだけ巨大な城壁ともなれば費用や人員の問題が出てくるのは必然だ。この城壁をどのように活かすかは試行錯誤を繰り返され、柔軟な部隊の連携や徴兵令などの試みが実施されてきた。今日も、兵士たちはいつ来るかも知れぬ亜人たちを警戒している。
要塞線には三つの大きな砦が存在し、その一つである中央部拠点に、その男はいた。
どの部分をとっても分厚いとしか言い様のない、筋肉隆々とした男だった。野性味のある顔をしていたが、唯一、目だけがアンバランスに小動物的だった。そんな一種の滑稽さを醸し出す顔を険しくしながら、男――オルランド・カンパーノはこれまでの人生で最大の驚愕と向き合っていた。
「――おい、さっきの鐘の音はあのデカいのから聞こえてきたのか?」
問いを向けられたのは、オルランドの背後に控えた兵士たち。付き合いも長い歴戦の猛者たちだ。その中の誰もがオルランドと同じ――あるいは彼以上の――驚きを胸に抱えていた。その中の一人が代表して答える。
「おそらくですが。この中には夜間警備のものはおらず、我々も鐘の音で目が覚めたものですから。カンパーノ班長閣下」
聖王国の兵士階級から考えると班長は決して高い地位ではない。しかし、オルランドは先代聖王から「九色」の一つを与えられた男であり、その実績と経歴と気性から粗暴者たちに人気がある。この場にいる者の多くはそんな立場にあるため、「閣下」と継承をつけるのも決して嫌味ではなく本心からである。
「そうかい。そうかい」
兵士の返答に頷きながら、オルランドはその顔に対して小さな目を『それ』に向ける。肉食獣の如き視線は『それ』から離れることはない。視線を離すべきではないとオルランドの戦士としての本能が主張する。戦士ではなくとも、『それ』から目を離すのは無理であろうが。
本来であれば城壁の先は、広い草原が広がり、徐々に丘があるという景観のはずだ。厳密には、城壁から四百メートルほどは国を挙げての土木工事のおかげで遮蔽物のない平地なのだが、その先であっても決して高い山があるといった地形ではない。
数十キロ以上の距離から、暗闇でもはっきりと認識できるほどの高さを持つ人工物などあってはならないのだ。
そんなものがあったら、どんな間抜けでも気づく。だが、現実にその人工物は存在していた。
この距離でこれほど明確に認識できるということはかなり巨大だ。それこそ、この城壁よりも遥かに高さがある。横幅は正確なところは分からないが、やはり巨大と考えるべきだろう。オルランドには測量の知識などないため、おおよその数値も出てこないが。
「閣下、よろしければ夜番の者から話を聞いてきましょうか?」
「うん? そいつには及ばないさ。どうせこの後、夜番のはずのあの人に会うからな。その時に詳しい話は聞くさ」
オルランドはそう言って、夜空を仰ぐ。月の場所を確認して、現在が日付が変わるかどうかの深夜であることをようやく知った。朝が遠いことに憂鬱になりながらも、視線を巨大人工物に戻す。
ほんの十分ほど前のことだ。
兵舎で熟睡していたオルランドは大きな鐘の音に叩き起こされた。
意識が覚めたばかりの頃は亜人の侵攻でも起きて警鐘が鳴らされたのだと思った。しかし、警鐘にしては妙に落ち着いたリズムだ。それに、至極綺麗な音だと思った。加えて、短い。正確な回数を数える余裕はなかったが、十回程度しか鳴っていないのではないか。亜人侵攻の警鐘がそんなに短いわけもない。
寝ぼけていたのかと混乱していると、再び警鐘が鳴る。今度は自分が思い描く警鐘の音だった。鳴らしている者の焦りが伝わってくるようなリズム。単なる亜人侵攻では決して有り得ないほど。
夜中の緊急事態であるため、最低限の身支度と装備だけをして城壁の持ち場にかけつけた。そして、結果があの巨大人工物の発見である。
現場は混乱していると言ってもいい。当然だ。あれが何であるかの答えを持つ人間など誰もいない。
最初に脳裏に浮かぶのは亜人の要塞。しかし、あれほど巨大な人工物を作る技術が丘陵地帯の亜人にあるとは思えない。文化レベルの高い亜人もいるにはいるが、衣装や武器とは次元が違う。内部がどのようになっているか分からないが、あれのガワだけを作ろうにも、この城壁よりも時間と費用が掛かりそうだ。まして、世界を夜が支配してからの数時間であれを建造するなど神でなければ不可能だ。
ならば、あそこに巨大人工物などないというのはどうか? 魔法の中には幻術を見せるものがある。これならば……無理である。戦士であり、魔法の知識をそれほど持っていないオルランドでも分かる。この城壁にいる人間全員を相手に、しかもこれだけの長時間魔法をかけ続けるなどできるはずがない。
では、二つの考えを合わせればどうか。亜人たちは長い時間をかけてあの建造物を作っていた。しかし、その全工程を魔法なり何なりを使って隠蔽していた。何らかの事情によって魔法を解除し、聖王国側に見えるようになった。……あの巨大さで、長時間を通り越して長期間の隠蔽など不可能だ。
ならば、あの建造物はどこから現れたのか。まさか天上から落ちたり地面から生えてきたわけではあるまい。
オルランドはそこで思考を止めることにした。難しいことを考えるのはオルランドの仕事ではない。魔法や神話に詳しい者がああだこうだと考察してくれればいい。オルランドにとって重要なのは、これから戦いが起きるのかどうかという点だ。
聖王国九色が一色、オルランド・カンパーノ。現在の九色の中ではぶっちぎりの問題児だ。他人の命令を聞くことを嫌う上、強さを重んじる性分を持つ。貴族や上官相手に起こした問題や暴力事件の数は数えられない。国家でも上位の実力者であるにも関わらず、班長という低い地位にいるのはそのためだ。逆に言えば、それほどの鼻つまみ者でありながら矯正も追放もされないのはそれだけ強いからだ。
そんな男だからこそ、あの未知の巨大建造物には恐怖よりも興奮が勝っていた。あの建造物は一体、どんな奴が作ったのだろうか。中にはどんな奴がいるのだろうか。
「まさか、亜人どもがあれを作ったんですかね?」
「だとしたら、あれは城壁に対抗するための要塞か……?」
「あんなのを作れそうな亜人に心当たりはないけどな」
「……もしそうなら、国家総動員令が発動されるかも、か」
近くにいた兵士の言葉を、オルランドは期待とともに首肯する。
「はは! 聖王国の歴史上、一度しか起きたことのない大戦争を俺らの時代でもう一度ってか! ……まあ、時間が時間で事態が事態だ。すぐに国家の中枢に話が通るってことはないだろうな」
普通に考えれば、あの建造物が亜人の要塞かそれに近いものだろう。しかし、戦士の勘が告げている。あれは少なくとも要塞の類ではないと。こうして遠くから眺めていても正体は分からない。まして、こんな暗闇の中だ。月明りだけでは、その全貌さえ分からない。その存在感だけしか伝わってこない。
あちこちで篝火が燃やされ、警戒状態になる。平野部分から亜人が侵攻していないかと目を光らせる者が多数。成程、最初の国家総動員令が発令された時もこんな感じだったのかもしれない。
おそらく前線基地に所属する者は全員起きているだろう。これから将軍や各部隊の隊長などが集められて会議が開かれるはずだ。亜人の侵攻に備えて戦闘の準備もしなければならない。やるべきことは山積みで、のんびりしている暇はなかった。
オルランドは基地の中枢へと向かう。一瞬でもあの建造物から目を離すことに強い抵抗を覚えながら。
■
明朝。
亜人の侵攻などないまま、夜が明けた。城壁の兵士たちは立場の上下も関係なく緩みそうになる気を締め直すのに必死だった。
砦の代表者たちが出した結論は「聖王国首脳陣からの返答が来るまで厳重警戒態勢で現状維持」というものだった。及び腰であると蔑むのは簡単だが、最善に近い。相手が未知すぎるのだ。まして、建造物が出現してから亜人たちの侵攻があるわけでもなく、此方から攻めるには遠すぎる。馬などを使えばすぐかもしれないが、人の足であの距離を行くのは厳しい。場合によっては大群があの辺りに集まっているかもしれないのだ。慎重にならざるを得ない。
オルランドは再び巨大建造物を見ていた。夜の時とは違い、太陽に照らされた姿を。距離が距離だけに細かいところまでは見えないが、その距離感故に、建造物の巨大さを確認できた。大きな遮蔽物がないとはいえ、この距離で存在に威容を覚えるのだ。
この城壁のように横に長いわけではないが、途轍もなく巨大だ。広さも高さも聖王城を上回っているだろう。
「官僚連中にはどんな風に伝わってんだかね」
深夜、突然謎の鐘の音が聞こえたと思ったら、それまで何もなかったはずの場所に巨大な建造物が出現しました。なんて馬鹿な報告、寝ぼけているのかと思うだろう。
少しだけ仮眠してきた兵士たちは例外なく「ああ、やっぱりある……」という顔をしている。
実際、周囲の兵士の中には未だに夢でも見ているような顔をしている者がそれなりにいる。夜中に起きて一睡もしていないせいで眠たいだけかもしれないが。
太陽の光が、謎の建造物の姿を明らかにする。
形状は箱のような四角形の上に箱を置いて、更に箱を重ねているといったもの。上に行くほど箱の大きさは小さくなっていく。塔や城、館と言うにはかなり風変りである。壁がどのような材質なのかまでは分からない。人の手が加わったものであることは明らかだった。誰がどう見ても山や丘ではない。
同時に、あれを人間や亜人の手で作れるかと言われても、不可能なような気がした。時間云々の問題ではなく技術や資源の問題もある。
間違いなく自然のものではなく、さりとて人の手で創造するには不可能なもの。
「この距離じゃ何がどうなってんのか分かりませんね。お得意の目でどうにか見えませんかね、旦那。あの建物が何なのか分かりませんか?」
オルランドは隣に立つ殺し屋のような目をした男に訊ねるが、返事は芳しくないものだった。
「無茶を言うな。この距離だぞ。俺に見えているものとおまえに見えているものにそこまでの差はない」
「ですか」
オルランドもその答えは予想していたのか、残念がる様子もなかった。
「上官に対してその態度は何だ? 不愉快極まりない……と普段なら言うんだがな。こんな状況でも普段のようにしているおまえには関心するよ」
殺し屋のような目の男の名はパベル・バラハ。オルランドと同じく九色のひとり――聖王国を代表する実力者――であり、通称「夜の番人」。百発百中の超名手として知られる兵士長である。同じ九色と言っても、オルランドはパベルに敗北した経験もあり、彼に敬意を払っている。
夜が明け、見通しが良くなったことで夜中から途切れることのなかった緊張状態は一時期的に解除された。オルランドはその隙を付いて、パベルに会いに来たのだった。自分が認める数少ない実力者の意見を求めるために。
おそらく、今日にでもあの巨大人工物の調査をするための隊が組まれるはずだ。近日中に聖王国首脳陣が学者や冒険者を集めて本格的な調査隊を組むかもしれないが、それとは別に現場で調べる部隊は絶対にいる。直接的な接触は避けるかもしれないが、ギリギリ安全な距離で近くに行って監視をする必要はある。果たしてどの程度の距離が安全と言えるかも分からないが、その部隊にはレンジャーの能力もあるパベルは絶対に選ばれるだろう。
逆に、能力が隠密行動に向かない上、強者に突撃する癖のあるオルランドが選ばれる可能性は低い。
「旦那はあれが何だと思いますか?」
「亜人どもが建てた何か、と言えば満足か?」
「そう言うってことは、旦那も違うってんですかい?」
遠回しにオルランドもそうは思っていないことを告げられると、パベルはため息を吐き出した。そう、多少知恵のある者なら気づく。緊張状態がピークだった頃ならばともかく朝になって、人の目で世界が見えるようになると考える余裕ができてくる。
「将軍や兵士たちも言っているが、あれを亜人が作れると思うか? 作れたとして、作った意味は何だ?」
「そりゃ城壁から見える位置に作ったんですから、聖王国に攻め入る要塞でしょう」
「ああ、そう考えるのが妥当だ。しかし、今日まで見えていなかったというのが気になる。魔法などで隠していたとも考え辛い。あの大きさだ。……そう、あの大きさが問題だ。高さもだがな」
「聖王国に攻め入るにしては、あれほどの大きさは不要ですね。示威行為としては大成功ですが費用対効果が悪すぎますわ。それに、城壁に対抗してだとするとちょっと遠い気もします」
昨日まであの建物は見えなかった。普通に考えれば隠して作ったことになるが、だとしたらもう少し近くに作ってもよさそうなものだ。
「ああ。色々な意味であれほど巨大な建造物を作れるなら、聖王国に侵攻する意味はない。あそこに住めばいいのだからな。聖王国が全く気付かなかったということは、あれを作るのに聖王国にあるものは必要ないということだからな」
「じゃあ、あの建物はあれを作った亜人の住処なんでしょう」
「……結局のところ、問題はそこに帰結する。あれは誰が作った?」
今回の場合、5W1H――『いつ』『どこで』『誰が』『何を』『どうして』『どのように』――の中で重要なのは『誰が』の部分だ。手段も目的も分からないのは、人が分からないことも大きい。相手の正体が分かれば、手段や目的も自ずと見えてくる。それが見えて来ないことが、城壁の兵士たちの憔悴を加速させているのだ。
「今の私たちにできることは、亜人が見えた場合、すぐに対応できるように構えておくことだ」
「そりゃそうですね」
「分かったらさっさと持ち場に戻るなり仮眠を取るなりしろ。いつ亜人が来るかも分からん――」
「だったら旦那こそ――――どうしました?」
パベルが建造物の方を見たかと思えば、そのまま空中に視線を固定している。ただでさえ鋭い視線に剣呑な色が映る。子どもが見たら泣き出しそうな悪鬼羅刹の表情だ。
「何か来るぞ……!」
パベルの発言を受けて、オルランドだけではなく周囲の彼の部下も視線をこらして、パベルと同じ方向を見る。
そして、彼らにも見えた。パベルたちの様子から他の兵士たちも視線を向けて、『それ』に気づく。
建造物の方から飛んで来る、巨大な竜が見えた。
建造物の方向からやって来たからと言って、建造物と関係があるとは限らない。建造物があるのは丘陵地帯だ。元からいた亜人が攻めてくる可能性だってある。
だが、今回に関してはその可能性を考えるのは無駄だろう。何故ならば、この場にいる兵士は誰独りとして聞いたことがない。丘陵地帯に、十メートルはあろうかと言う巨大なドラゴンがいるなどと。そんな存在がいれば噂の種に出てもおかしくはない。
「GYAAAAAAAAAAAAA!」
竜は咆哮した。その咆哮だけで怯みあがってしまいそうなほどの迫力に満ちていた。最強の生物。大陸の覇者。それこそが竜なのだから。
壮年の竜で戦闘能力――難度は百前後だと言われている。海の守り神と言われるシードラゴンもそのあたりになる。人類の最高位にいる実力者も、九十から百程度だ。だが、あの竜は難度百を超える。予想ではなく、断言できる。この距離でも伝わってくる威圧感が難度百程度で収まるものか。
漆黒の鱗に巨大な翼。首と尾は胴体よりも長い。羊のような角。牙と鱗は凶暴さを隠そうともしない。およそ邪悪な竜と聞いて万人が思い浮かべるような生物が此方に向かって飛んでくる。
竜の隣には、白い翼を広げて追従する人のようなものの姿もある。それも二つ。人間で言えば十代前半の子どもほどのサイズだ。片方は翼を除けば人間の少女のように見えるが、もう片方は翼付きの毛玉だ。
そのまま城壁まで飛来してくるかと思ったが、遮蔽物のない平野の入口――城壁から四百メートルの地点に着地する。
パベルもオルランドもその他の兵士たちも、おそらく城壁にいたすべての人間が竜に注目する。この竜が陽動で余所から別動隊が侵入する可能性もあり、普段ならその可能性を考慮して動くのだが、この時ばかりはそれを行うだけの判断力がなくなっていた。
「……人が乗っているな。ひとり、いや、二人か」
よく見れば、竜には馬のように手綱や鞍がつけられている。つまり、あれほどの威容を持つ竜を支配しているということだ。しかも、その手綱を握っているのが若い女性なのだから面食らう。無論、何らかのマジックアイテムで支配している可能性の方が高い。
竜に騎乗しているもう一人は、白い服を着ている。顔は黒っぽいが、素顔なのか仮面のようなものを被っているのかは分からない。ほぼ確実に亜人だとは思うが。
「全員、亜人ですかい?」
「翼を持つ二人は亜人で確定だろう。いや白い毛玉はモンスターか? ……あのような種族に心当たりはあるか?」
「いやぁ、俺には何とも。弓使いである旦那ほど目は良くありませんからね。遠目だと翼持ちの二人だか二体だかは、他の二人と比べて少々小さいってことくらいしか」
丘陵地帯に住んでいて翼を持つ亜人ならば、
謎の一行は城壁側の困惑を知ってか知らずか、竜から降りて、此方に向かってくる。竜も馬のように引き連れられている。翼持ちの少女の方は歩いているようだが、毛玉の方は浮かんだままだ。その足取りはゆっくりとした。戦意は感じられない。緊張感の欠片も伝わって来ない。
しかし、それはあくまでも謎の一行の話だ。気軽な足取りに、城壁の兵士たちはむしろ緊張感を高まらせる。当然だが、竜がいることも大きい。
「……俺は此処に残った方がいいか。おい、上にこのことを伝えて来い」
パベルの指示に、彼のそばにいた副官はすぐに了解し、上層部の下へと走った。
「オルランド、お前も自分の隊に戻った方がいいぞ。あの歩調なら砦に着くまでに時間はかかるだろうが、いつまでもゆっくりしてくれるとは限らんぞ」
「了解だぜ、旦那! 場合によっちゃあ兵士総出でドラゴンスレイブか。楽しいパーティーの始まりだな!」
■
「もふもふ」
翼を持つ毛玉のモンスターもとい十二天星マクラ・アリエスは何事かを呟いた。傍で聞いていたチョーカ・カプリコーンとミシェル・キャンサーには通じなかったが、上司であるジュウには理解できたようで同意するように頷いた。
「ああ。見れば見るほど長いな。端の方が見えないとはな。一つの建造物を囲っているというよりは地平を遮断していると見た方がいいか。察するに文字通りの意味で最前線ってところか? それほどの期間と費用と人材を使うだけの意味がある敵が、あの城壁の主人にはいるわけだ。国境、と見ていいのか? いや、国内で内戦をしている可能性もあるか。このあたりの平地は明らかに人為的に整地されている。あの砦から見やすいようにするためだろうな。四百メートルってところか。これより先を開いてない理由は何だろうな。何らかの取り決め? それとも技術か費用の問題? それとも、この距離が最善なのか。おっと、これから更に切り開いて行くって場合もあるか。だとしたら……しゅこー、しゅこー。うっかりしていた。考え事に集中しすぎると呼吸を忘れちまう」
ぶつぶつと独り言を始めたジュウを先頭に、後ろにチョーカとマクラ、その後ろに竜を引き連れたミシェルという風に見える隊列である。時折、竜は人懐っこい犬か猫のようにミシェルにじゃれつく。外見の巨大さと邪悪さには似合わない素振りだが、普段からこうなのでジュウも他の者も特に注目することはない。
頭を擦り付けてくる竜を撫でながらミシェルはジュウに質問を向けた。
「……ドクター、この距離でも攻撃が来ないってことはあんまり警戒されてないのかな?」
「それはねえだろうな。何か剣呑な雰囲気がここからでも分かる。攻撃の射程範囲内に入ってねえだけかもしれねえぞ?」
「まっさかー。ハヤ姐さんだったらとっくにヘッドショックしてくる距離っすよ。ぷぷぷ」
ジュウの考察の通りにここが何らかの外敵に対する最前線ならば、当然、近距離用の戦士だけではなく遠距離攻撃が可能な弓兵や魔術師がいて然るべきだ。こんな遮蔽物の邪魔がない平野で、何の障壁も使わずに接近しているのだ。攻撃の意思があるのならばとっくにしているはずだ。
「しゅこー、しゅこー。連中にとってのセーフティーラインはまだ先ってことだろうな。ぼちぼち警告の一つでもして欲しいところだけど。言葉を交わしてコミュニケーションを取ろうぜ。……まさか言語を使用しない種族じゃねえだろうな。言語が違うだけなら、特殊技術でどうにかできるんだけどよ。図書館の本で見た『えいりあん』みたいに目の発光で会話する種族だったらどうするかね」
「スケアさんはともかくポッポは連れてくるべきだったんじゃない? スケアさんの目ほどじゃないけどさ、あの子、広範囲から音が拾えるから便利なのに」
ミシェルが推薦してくるポッポ・ディスコ・ロック・ヴァルゴは吟遊詩人の能力として、音による探知が可能だ。探知特化のスケア・クロウ・リブラや暗殺者のジャクチョ・スコルピオに次いで、農場では上位の
しかし、ジュウがポッポを同行者に選ばなかったのには理由がある。
「ポッポがいると助かる場面も想定されるけど、撤退になることも考えるとな。あいつ、足も翼も早くねえからな。バフかけるにしてもワンテンポいるし、メリットとリスクを天秤にかけると微妙にリスクの方が高いんだよ。しゅこー、しゅこー」
「それもそっか。流石ドクターだね」
「もふもふもふ」
「兄御、マクラは今なんて――」
砦まであと五十メートルという距離まで差し掛かったところだった。
「そこで止まれ!」
声のした方を見れば、大砦の上に男がいた。艶のない、傷だらけの全身鎧。周囲には参謀らしき男がひとりだけのように見える。しかし、ジュウは特殊技術で生命反応を探知できる。全身鎧の男の後ろに何人かが控えていることは探知しており、それがいざという時に盾となる兵士だということを看破していた。視認できないため断言はできないが、タワーシールドか大きいラウンドシールドを持っているだろう。
あの男がこの大砦の代表者と見て間違いないだろう。あるいは囮の影武者かもしれないが、ジュウの目的からすればどっちでもいい。重要なのは話ができるか否かだ。
「ここより先は聖王国の領土である! 貴様ら亜人どもが来てよい場所ではない! 早急に立ち去れ!」
腹まで響く大声を受けて、ジュウたちは怯むどころか安堵を覚えた。
「杞憂で終わって良かったね、ドクター。音以外で会話するどころかちゃんと言語が通じる種族だったみたいだよ? 亜人呼ばわりは心外だけどさ」
「あれ、人間っすかね? 人間以外の種族はいないようっすけど」
「もふもふ」
「俺たちを亜人呼ばわりとはな。種族を鑑定できる奴はいねえのか? それにしても、聖王国か。しゅこー、しゅこー。ぴんと来ないな。そんな名前のギルドがあるのか?」
あの男が言う「聖王国」とは御方々と同じようにギルドなのか。それともギルド拠点の名前なのか。それとも全く別系統の組織なのか。
「チョーカ、親父は何だって?」
「『もっと情報を引き出せ』だそうっす。流石に今の言葉だけじゃ何も分からないっすよ」
「だよな。まずはこっちから名乗って向こうにも名乗ってもらうか。……おーい!」
ジュウは指揮官の特殊技術とガスマスクの効果を使って、拡声器を使うように声を大きくする。相手にとってはすぐ近くにいるかのように聞き取られるはずだ。妨害されれば声は届かないが、今回はそういうことはないようだ。
「始めまして、えーと、軍人様? 私はあそこに見えるホシゾラ立体農場を支配するラグナロク農業組合にお仕えしているジュウと申します。そこからで良いので話を聞いてもらえませんでしょうか?」
それを聞いて、チョーカが吹き出し口元を手で押さえる。
「ぷぷぷ。兄御が敬語を使うと聞き慣れなさ過ぎてマジ気持ち悪いっす」
「茶化さないの。真面目な場面なんだから。……まあ、同感だけど」
「もふっもふもっふ」
この
友好と敵対を同じくらいに期待しながら。