断章の大嘘吐き   作:292299

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こんなに傷だらけでも、私は幸せでした

捻り捻れて、世界が歪む。そう錯覚するほどの重圧が、空間を侵食する。それは杜塚眞衣子の悪夢と混じり、杜塚眞衣子を中心として涌き出た神の悪夢だ。その存在を感知できるのは、悪夢の断片を抱えた者に限られる。何も知らない人々は、何も知らない間に、悪夢へ飲み込まれた。

 

しかし次の瞬間、それは抑制された。幻のように悪夢は消え去り、その事に人々は気付かない。異変を察知できたのは、神の悪夢の解決にあたる時槻雪乃と、その護衛対象である白野蒼衣だ。飛び出した時槻雪乃を追って白野蒼衣は、マンションの近くにある公園へ辿り着いた。

 

『ーー君の持っている刃物を無かったことにした』

 

時槻雪乃はカッターナイフを手に持っていた。時槻雪乃は断章保持者であり、いくつもの暗示で暴発を防いでいる。その1つに、自身を刃物で傷付けるという条件があった。刃物に関しない痛覚では、断章を解放できない。その時槻雪乃の刃は、球磨川禊によって消し去られていた。

 

「どういうつもりかしら、球磨川さん」

『ボクの役割は魔女だからね』『王子様の下まで、シンデレラを連れていくのさ』

 

「シンデレラではなく、灰かぶりよ。灰かぶりに魔女の出番はないわ」

『そうだったかな?』『でも灰かぶりにだって、魔女の出番はあっても良いんじゃないかな?』

 

「だったら貴方には、早々に退場してもらうわ」

『おいおい、武器もないんだ』『王子様とシンデレラの仲を邪魔しないように、大人しくしていると良いよ』

 

そんな球磨川禊の顔面に突き刺さったのは、

ーー固く握られた拳の、右ストレートだった。

 

 

 

「白野くんーー」

「ーー杜塚さん」

 

夕日に照らされているのは、どこにでもいる普通の少女だった。学生服を着た杜塚眞衣子の姿は、赤く染め上げられて浮かび上がる。母親の介護で登校しておらず、学生服を着たのは久しぶりの事だ。たった数日前の事だけれど、それは杜塚眞衣子にとって遠い出来事で、今となっては夢のように思えた。

 

杜塚眞衣子に対する白野蒼衣も学生服だ。数日前、初めて異形に襲われた。それからは下校後、異形を探す時槻雪乃と行動を共にしている。異形と化していた黒磯夏恵が、杜塚眞衣子の従姉妹と確認されてからは、マンションの周辺を見回っていた。しかし結局、異形に襲われたのは初回だけだった。

 

「あのーー」

 

杜塚眞衣子の声は言葉にならず、消えるように途切れてしまった。

そして再び、口を開く。

 

「白野くんは友達っている?」

「うん、いるよ。杜塚さんは?」

 

「私は、そんなに、いないかなぁ」

「そうなんだ。でも僕も、そんなに沢山いる訳じゃないよ」

 

杜塚眞衣子について白野蒼衣は、何も知らない。先生に頼まれてプリントを持って行き、その途中で異形に襲われた。それで結局プリントは持って行けず、詫びるために電話をかけた。翌日、学校で杜塚眞衣子から御礼を言われた程度だ。その際、母親のガンが原因で、学校を休んでいる事を聞いた。

 

そんな白野蒼衣に対して、杜塚眞衣子は片思いをしていた。いつからと言えば、入学して間もない頃からだ。プリントのことで突然に電話が掛かってきた時は、驚いたけれど嬉しかった。だから時槻雪乃と行動を共にしている白野蒼衣を目撃して、杜塚眞衣子は落ち込んでしまった。

 

「私も、白野くんのーー」

 

杜塚眞衣子はスカートの端を握り締めて、途切れそうになる言葉を繋いだ。心臓は爆弾のように鼓動して、今にも破裂しそうだ。立っているのも辛いほど、体は震えていた。そんな姿を白野蒼衣に見せたくないから、意地と根性で抑えている。まるで極寒の中、裸で立っているようだった。

 

「ーー友達に、してほしいな?」

 

そう言って、杜塚眞衣子は手を差し出す。

涙を流しそうになってしまう気持ちを、きっと白野蒼衣は分かっていない。

どれほどの決意と覚悟の下に行われたのか、きっと白野蒼衣は分かっていない。

 

「友達に? もちろん、いいよ」

 

普通である事を心掛ける白野蒼衣に、断るという選択肢はなかった。

日常に染み付いた動作として、反射的に行った。

あるいは機械的と、そう言えたかも知れない。

 

そうして舞台において定められた役割を演じるように、杜塚眞衣子の手を取った。

白野蒼衣の役割は王子で、杜塚眞衣子の役割は灰かぶり。

神の悪夢の舞台装置は、無慈悲に進行する。

 

ーー『君を普通の女の子にするために、ドレスを整えてあげるぜ』

 

球磨川禊のかけた魔法が解ける。一時の間、杜塚眞衣子の形を留めていた封印は、内側の内圧に負けて破裂した。常人であれば一生は外れないであろう封印が、わずかな時間で破られてしまった。なぜならば、これは人の悪夢ではない。神が不要と断じて切り離した、人の身に過ぎた神の悪夢だ。

 

ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!

 

どこかで鳴り響くベルの音、それは火災報知器の音だった。マンションから発せられた警告音は響き渡り、周辺へ火災を知らせる。それは公園にも届き、そして世界を一変させた。大いなる闇が立ち昇るように、広がった重圧は世界を歪める。杜塚眞衣子から流出した悪夢が、世界を狂わせた。

 

燃えているのは、杜塚眞衣子の家だ。母親を殺した灰かぶりに、もはや帰る家はない。魔法の解ける時間になっても、もう家へ帰れない。他でもない自身の手で、自分の居場所を壊してしまった。閉じ込められて弱り切った翼を使って、それでも死ぬ思いで飛ばなければ、このまま地面に墜ちて死ぬしかなかった。

 

杜塚眞衣子は大きく羽を広げる。連なったハトの羽が目から飛び出し、薄暗くなった空へ広がった。柔らかい肌を内側から突き破り、ハトの頭が生える。それらはクチバシを使って、杜塚眞衣子の肉体を抉り始めた。髪の毛のあった頭部は、いくつもの歪曲した爪に覆われ、絶え間なくガリガリと削られる。

 

夕日は落ちて、黄昏の時間だ。

杜塚眞衣子の肉体は、すでに異形と化していた。

 

「キャアアアアアアアア!!」

 

杜塚眞衣子は悲鳴を上げた。痛いという事もあるけれど、こんな姿を王子様に見られるのは恥ずかしかった。だから白野蒼衣と繋いでいた手を振り払う。もはや顔とすら言えない部分を、かつて両手だった奇形で覆い隠した。杜塚眞衣子の全身から生えたハトの口は次の瞬間、一斉に声を上げる。

 

「ーー灰ダ!」

「ーー灰ダ!」

「ーー灰ダ!」

 

「ーー灰ヲ!」

「ーー灰ヲ!」

 

「ーー悪ヲ!」

 

どこにでもいるような普通の少女は、白野蒼衣の目前で異形と成り果てた。天へ立ち昇るハトの狂声は、白野蒼衣の耳から入って脳を侵す。とても立っていられず地面に手を着くと、ハトの目玉が見えた。杜塚眞衣子と触れていた手、その手に生えた目玉だ。その目玉は確かな意思をもって、白野蒼衣を見つめている。

 

ーー感染した

 

「うわっ!?」

 

手に目玉が増える。さらに手首へ、新たな目生が生えた。それは増殖を繰り返し、腕を這い上がる。思わず腕を押さえ、その進行を止めようと試みた。しかし何の意味もなく、汚染されたように両手へ感染する。もはや、どうしようもない。杜塚眞衣子と同じように変わり果ててしまう。

 

その自分が変わっていくような感覚に、白野蒼衣は顔を歪めた。

 

「ーーやっぱり持ってた!」

『ーーあっ』

 

時槻雪乃のカッターナイフは消し去られた。しかし球磨川禊の隠し持っていたカッターナイフを、時槻雪乃は強奪する。そのギチギチと伸ばした刃先で、自身の片腕を傷付けた。かつて両親を殺した姉は、彼女に言った。火は熱いのではなく、痛いのだ。だから火は、痛みでできている。

 

「ーー〈私の痛みよ、世界を焼け〉!!」

 

真っ先に炎上したのは、球磨川禊だ。そして次に異形を焼き、汚染された白野蒼衣の両腕も焼いた。それは常人であれば瞬時に炭化するほどの火力だ。悪夢の断片である断章を常人に用いれば、基本的に即死する。しかし、同じように断片を宿している者は耐性を持っていた。

 

「ーー〈焼け〉!」

 

一片の容赦もなく、追撃する。時槻雪乃の片腕は、刃を刻まれ出血した。水音を立てて落ちた血は、地面を焦がして蒸発する。異形を包む業火は、敵を灰に変えるまで止まらない。白野蒼衣は炭化した両腕を下げて、熱の痛みを肌で感じていた。しかし、その炎は突然に消える。同時に、白野蒼衣の炭化した両腕も治り、痛みは消えた。

 

『万が一のために用意してたのに』『こんな事に使われるなんて心外だぜ!』

「ちょっとーー放しなさい、球磨川! 殺すわよ! いいえ、殺す!」

 

時槻雪乃の背後から、球磨川禊は拘束する。異形よりも先に炭化したはずなのに、平然と復活していた。両腕の動きを制限された時槻雪乃は、手に持ったカッターナイフを振り回す。そして脚を蹴られた球磨川禊は、時槻雪乃と共に転倒した。2人は公園の地面を転げ回り、土まみれになる。

 

「杜塚さんーー」

 

杜塚眞衣子の目から生えて連なった羽が、焼け焦げて崩れ落ちる。その光景から白野蒼衣は目を逸らせなかった。変わり果てた、その姿は白野蒼衣にとって悪夢だ。かつて幼馴染みだった溝口葉耶は、白野蒼衣の拒絶によって、変わり果てた姿になってしまった。その時から他者を拒絶する事は、白野蒼衣にとって禁忌となっている。だからこそ、その悪夢が、白野蒼衣の断章だ。

 

「ーーし ら の  く  ん」

 

元の声すら分からない、低く歪んだ声だった。どうして、こうなってしまったのか。まるで全ての罪を、その身で受けてしまったようだ。他者に罪を押し付けられて、どうしようもなく変わり果てるしかない少女だった。そう思った時、逆であることを白野蒼衣は理解した。他者に罪を押し付ける事もなく、すべてを受け入れたから、こうなったのだ。

 

杜塚眞衣子は自ら望んで、こうなった。杜塚眞衣子は自らの結末を受け入れていた。すべての準備が終わった状態で、白野蒼衣は招かれたのだ。球磨川禊は、この結末を与えるために場を整えた。白野蒼衣は自身の断章を用いて、杜塚眞衣子を殺さなければならない。それこそ白野蒼衣に与えられた、単純な役割だった。球磨川禊によって時槻雪乃が妨害されている今、白野蒼衣しかいない。

 

「ごめん、杜塚さん。やっぱりボクは、君の友達になれない」

「わ た し を 、 あ い し て」

 

憎いから殺すのではない。愛しているから殺すのだ。杜塚眞衣子が母親を殺したように、杜塚眞衣子は王子様に殺される。それが杜塚眞衣子にとっての幸福だった。どれほど痛くても、苦しくても、そのためならば我慢できる。それが愛であるのならば、他人に押し付けるなんて、もったいなかった。

 

「よく聞いて、杜塚さん。〈本当の君は何だ?〉」

 

空へ飛んで行きたかった。ハトに憧れていた。杜塚眞衣子は自由になりたかった。恋をして、愛をして、そんな普通の人生に憧れていた。今となっては、もはや叶わない夢だ。愛されたかったのは今の変わり果てた杜塚眞衣子ではなく、思い出の中にしか存在しない過去の杜塚眞衣子だった。愛されたかった時は、もう過ぎてしまった。

 

シンデレラでいられる時間は終わってしまった。

 

「〈君の好きにすればいい。君の本当の形は、君しか知らない。誰も君の形を、縛ってなんかないーー変われ〉!!」

 

流出していた悪夢が、杜塚眞衣子へ収束する。そうして泡が弾けるように悪夢は終わった。あとに残されたのは焼き焦げた学生服だ。杜塚眞衣子の姿は、どこにもない。収束した悪夢によって、跡形も残らないほど変えられてしまった。その公園の上空を、ハトが飛び去っていく。まるで全ての罪が浄化されたような、それは白いハトの一群だった。

 

 

 

 

 

マンションの一室で、遺体が発見された。

ガンの末期だった杜塚良子と、その娘である杜塚眞衣子だ。

チェーンロックなどが不自然に消えていた事から、事件を疑われる。

現在も捜査中だけれど、しばらく経てば心不全、もとい原因不明とされるだろう。

 

親戚によって開かれた葬儀に、ボクと白野くんは参列していた。

眞衣子ちゃんの通っていた学校から、生徒会や教師も参列している。

少なくとも眞衣子ちゃんの母親と違って、人の少ない葬式ではなかった。

 

『悪夢によって引き起こされた出来事を』『無かったことにした』

 

ただし、異形となった人々は別だ。

異形の宿す悪夢によって、断章の効果は阻害される。

完全に復活するという事もなく、それは中身の抜けた死体に過ぎない。

眞衣子ちゃんの従姉妹だった黒磯夏恵は、行方不明のままになってもらっている。

 

「他に方法はなかったのかな、球磨川さん」

『死のうと思って死ぬのではなく、あるいは知らない他人に殺されるよりも』『幸福な結末だったとボクは思うぜ』

 

「杜塚さんの人生は、これからだったんだ。生きていれば、きっと良いことがあった」

『思ってもいない事を言うもんじゃないぜ』『どこかで聞いたような、他人事の台詞だ』

 

「でも死んだら、それで終わりだ。終わらなければ、続きはある」

『何のために生きるんだい?』『いつまで生きればいいんだい?』

 

「それを探すために生きるのも良いんじゃないかな?」

『生きる事は手段であって、目的じゃないぜ』『そんなだから不老不死を人類の夢だなんて勘違いするんだ』

 

「死にたくないから生きるのは、悪いことかな?」

『その死にたくないだけの連中が、眞衣子ちゃんにゴミを押し付けたのさ』

 

「杜塚さんは、みんなの罪を抱えて死んだんだね」

『おいおい、違うだろ』『白野くん、君に殺されたんだ』

 

「そう、だね」

『眞衣子ちゃんは君に殺されたかった』『その覚悟は汲んであげてくれよ?』

 

また、どこかで人は死ぬ。

神の悪夢でなくても、罪を押し付けられて人は死ぬ。

生きる事よりも重要なのは、どのように人生を終えるのかという事だ。

 

痛みを抱えて、苦しみを抱えて、

それでも自らの望む死を得るためにシンデレラは空へ飛び立った。

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