断章の大嘘吐き   作:292299

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家族のホワイトシチュー

みんなと力を合わせて、媛沢遥火は幼児の世話をしている。小学校の頃から付き合いのある横川麻智。死者を蘇生する本物の超能力者であるらしい球磨川禊。それと媛沢遥火の両親だ。世話をしている幼児は球磨川禊の子という設定であるものの、ここにいる誰の子でもない。数年前に死んだはずの幼児だった。

 

最初は抱く人を変えれば驚いて、一時的に幼児の泣き声は止まっていた。しかし慣れてしまったようで、どうやっても泣き止まなくなっている。無限に続くように思えた泣き声だったけれど、やがて寝息へ変わった。それで疲れ果てた3人も、媛沢遥火の部屋で眠りに落ちる。媛沢遥火の両親は、リビングルームへ戻っていった。

 

しばらく経って突然に、媛沢遥火は目覚めた。起きた瞬間、ここは何処なのか分からなくなる。視界に映っている光景は寝る前と変わらない。それなのに見慣れた部屋が、まるで冷たい牢獄のように感じられた。その変化を肌で感じられるほど、正体の知れない重圧が掛かっている。

 

「ーー!?」

 

声を出せない。体も動かせない。布団の上で横になったまま、媛沢遥火は目を見開いた。呼吸も満足にできず、不安を覚えるほどに息苦しい。開いた目から自身の手は見えているけれど、どうしても肉体の主に反して動いてくれない。いったい何が起こっているのか分からなかった。

 

眠る前に光量を落とした電灯は、薄暗いまま部屋を照らしている。動けない媛沢遥火の位置から見えるのは、横川麻智と球磨川禊だ。幼児は安全のために、3人から離れた位置に置いてある。ちょうど媛沢遥火の後ろだ。今の媛沢遥火から幼児は見えず、とてつもない不安に襲われた。

 

もしかすると今にも、幼児は死んでいるのかも知れない。

そんな不安で胸が張り裂けそうになる。

 

数年前に媛沢遥火は、それを見てしまっていた。赤く変色して、力の抜けた体だ。炎天下の車内で、まるでオーブンへ入れられたように焼けていた。食べた事もない、その肉の感触は舌に現れる。それは食べた事のある焼いた肉の感触と合わさって、内臓の裏返るような吐き気を覚えた。

 

ふと、何か燃えるような音が聞こえる。その幻聴と思っていた不吉な音楽は、いつまで経っても消えてくれない。なにかの焦げる臭いが、どこからか漂ってくる。どこからと言うよりも、すぐ近くに思えた。窓は閉まっているから外からではない。何か起こっているのは、この家の中だった。

 

今さらになって媛沢遥火は、横川麻智の様子に気付いた。横川麻智も目を見開き、体を動かせない様子だ。その恐怖に怯える目は、媛沢遥火を見ているようで、見ていなかった。対面する横川麻智の視線は、媛沢遥火の後ろへ向いている。そこに何か恐ろしい物があるようだった。

 

そこでムクリと半身を起こしたのは、球磨川禊だった。この異様な空気の中、何も感じていないように平然としていた。まだ眠そうな球磨川禊は、焦げた臭いに気付いて辺りを見回す。そして横川麻智の向こうから、さらに媛沢遥火の向こうへ、幼児のいる所へ目を向けた。そして何かを見つけたように視線を止める。やはり媛沢遥火の背後に何かあるのだ。

 

その球磨川禊は突然、布団に倒れた。恐ろしい断末魔を上げて、口から血を吐く。その光景を見ることのなかった横川麻智は、まだ幸いと言えるだろう。しかし媛沢遥火は今日で2回目だった。最初の1回目で球磨川禊は、数年前に亡くなった幼児の死を無かったことにした。その正気を抉られるような光景を突然に見せられ、媛沢遥火は意識を飛ばされそうになる。

 

辺りに広がっていた恐怖は上書きされる。状況は好転した訳でもなく、媛沢遥火に掛かっていた重圧は、さらに異質なもので占められた。死を覚えるほどの、それは重く苦しい感覚だ。それが球磨川禊から発せられている事は明らかだった。とても人に思えない。人の形をした怪物に思えた。そのせいで肉体の感覚は狂って、体の上下を引っくり返した気持ち悪さを覚える。

 

そうして次の瞬間、媛沢遥火は解放された。まるで夢の事だったように、重苦しい空気も、異様な音も臭いも消え失せた。その代わりのように幼児は泣き始め、その幼児を媛沢遥火は大切に抱き寄せる。まだ幼児は死んでいない。媛沢遥火は不安と恐怖を消すために、抱えた幼児の実体を実感した。

 

『うっかり熟睡するなんて』『うっかり大失態だぜ』

 

球磨川禊は、部屋の外を探るように警戒する。その耳に聞こえたのは、廊下を軋ませる音だった。幼児の泣き声に誘われて、あるいは球磨川禊の上げた断末魔のせいか、なにか近付いている。球磨川禊は、部屋の扉に付いた鍵を掛け、逆に窓の鍵を外す。何をしているのか、媛沢遥火は疑問に思った。

 

「球磨川さん、どうしたの?」

『どうしたも、こうしたも』『最悪の場合は、窓から脱出するんだぜ』

 

「脱出?」

 

ここは家なのに、それは、おかしいと思った。

 

『ここをオーブンにしようと』『そう思っていた誰かが』『今まさに来ているのさ』

 

そこまで言われても媛沢遥火は、よく分かっていなかった。その代わりに横川麻智は、武器になりそうな物を探す。幼児の母親について球磨川禊から聞いていた横川麻智は、すぐに悪い想像へ思い至った。媛沢遥火を守ることを最優先に、相手を殺すつもりで椅子を手に取る。

 

廊下の足音は隣の部屋に構わず、真っ直ぐに向かってきた。幼児の泣き声は止まらず、そこに人がいる事を知らせてしまう。そして、それは扉の前で止まった。扉の向こうから感じるのは、さきほどの異様な気配だ。扉のノブを回す不快な金属音と、そして激しく扉を叩く恐ろしい音が鳴り響いた。

 

ドンッ

 

包丁の先端が扉を貫通した。叩き付けられた包丁は、その異常な力で先端を割られる。床に落ちた金属片は、場違いに澄んだ音を鳴らした。それでも構わず何度も叩き付けられ、それによって空いた隙間から差し入れられたのは指だ。それなりの厚さであった扉を、その指は握り潰すように圧し折る。その力は明らかに人のものではなかった。そうして強引に広げた穴から腕を差し入れ、その手は扉の鍵へ伸ばされる。

 

「わあああああ!!」

 

椅子を掲げた横川麻智は、その不気味な腕へ叩き付けた。その衝撃は軽い物ではなく、跳ね返った椅子によって頭部を強打する。まさかの自爆によって物理的に、横川麻智は気を失いそうになった。しかし不気味な腕に通じた様子はなく、そのまま鍵に触れる。そこで前へ出たのは球磨川禊だった。

 

『ーー〈 却本作り〉』

 

球磨川禊は、その手に何かを握っている。目に何も映らず、在るべき形もないけれど、そこに何かあった。おぞましいほどに世界を歪ませる、長大な捻れた何かだ。扉の外にある異様な気配を忘れさせるほどに、それは壊れ切った強烈な存在感を発していた。あるいは同じ物だったのかも知れない。球磨川禊は、それを扉の向こうへ叩き付けた。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

思わず、耳を塞ぐほどの悲鳴だった。扉に傷はないけれど、それは確かに貫通した。慌てた足音は、扉の前から去って行く。まるで首を締められているように感じる、異様な気配は去って行った。媛沢遥火と横川麻智は、やっと呼吸できたように感じる。恐ろしいものは過ぎ去って、自然と笑顔を浮かべられた。

 

「助かった!」

 

しかし球磨川禊は鍵を開けると、廊下へ飛び出す。

逃げた何かを追いかけるつもりだ。

 

「ちょっと、球磨川さん!?」

『そこで鍵をかけて閉じこもってると良いぜ!』『ボクは止めを刺しに行く!』

 

「あぶないって! ちょっと!」

『やろう、ぶっころしてやるぜ!』

 

明るい声を上げて、球磨川禊は出て行った。残された横川麻智と、幼児を抱えた媛沢遥火は追いかける事もできない。球磨川禊の言った通り、鍵をかけて部屋に閉じこもる事にした。しかし、鍵の横に開いてしまった穴で不安を覚える。これでは鍵をかけた意味はない。

 

媛沢遥火は、幼児の世話をしている。まるで泣き止む様子はなく、しばらく手は離せないだろう。媛沢遥火の頭の中は、幼児の心配で一杯だ。そうではない横川麻智は恐ろしい事に気付いてしまった。今、この部屋の外は、どうなっているのか。どうして、あれは家の中を、我が物のように歩いていたのか。眠っている間に、何が起こったのか。

 

「ねえ、ハル。ちょっと私、様子を見てくるから、ここに赤ちゃんと一緒にいてね」

「え? あぶないよ、麻智。じゃあ、私も一緒に行くよ」

 

「ハルは、赤ちゃんを守るの。そうでしょ?」

「麻智ーーそうね。うん、わかった」

 

横川麻智は扉を開けて、廊下の様子を探る。電灯は点いておらず、不安になるほど暗かった。この中を球磨川禊は突っ切って行ったのだ。横川麻智は呼吸を整え、ゆっくりと歩く。引き返したい気持ちは強く、足は止まりそうになった。それでも何とかスイッチの下まで辿り着き、廊下の電灯を点ける。

 

「ひっ!?」

 

電灯は廊下を照らし、血の跡を浮かび上がらせた。血の付いたまま歩いた、人の足跡だ。媛沢遥火のいる部屋の前から、扉を開けっ放しのリビングルームまで続いている。正確に言うと逆で、リビングルームから部屋の前まで続いていた。よりにもよって、そのリビングルームは光々と明るい。

 

そのリビングルームへ向かうしかなかった。外へ通じる玄関へ行くのならば、リビングルームの前を必ず通る構造だ。廊下の壁にある窓を、見ないように前へ進む。もしも何か映っていたら、もはや耐え切る自信はなかった。真っ黒な窓に反射する自身の姿すら恐ろしく、風で起こる物音に心を荒らされる。

 

そうして何とか辿り着いたものの、横川麻智の心は一瞬で折れてしまった。リビングルームは血塗れで、あちこちに肉片が飛び散っている。テーブルの上に、なぜか並べて置いてあるのは切断された手足だ。床に中身を引きずり出された胴体が転がっている事から、ここで雑な解体が行われた事を想像できる。リビングルームに充満した血の臭いで吐きそうになる。

 

ここで一緒に、みんなで夕食を食べた。少し前まで、こんな状態ではなかった。媛沢遥火の両親も、その時は生きていた。この惨状を媛沢遥火に、どう伝えれば良いのか。床に崩れ落ちた横川麻智は、一時的に恐怖も忘れるほど苦しむ。そこへ玄関を開ける音が聞こえて、心臓が止まりそうになった。

 

『ごめんごめん』『逃がしちゃったぜ』

 

ヘラヘラと笑う球磨川禊に、横川麻智は恐怖を覚えた。どうして笑っていられるのか分からない。そんな態度の球磨川禊に、横川麻智は怒りを覚えた。それは球磨川禊に対する不審へ変化する。球磨川禊という人間は、媛沢遥火に近付けてはいけない人間だったのだ。こんな血の海を見て笑っていられるなんて、まともな人間ではない。

 

『ふむふむ』

 

まるで何も無いように、球磨川禊は入ってしまった。よく見ると靴を履いたまま、平然と土足で踏み入っている。媛沢遥火の両親だった血と肉片を踏み荒らして、何も構わず奥へ進んで行った。そうしてクッキングヒーターに置かれている寸胴鍋の、その蓋を開ける。それは自動的に切れたらしく、鍋から噴きこぼれた跡が残っていた。

 

『これなら父親は、何とかなりそうだぜ』

 

どうして鍋の中を見て、そう言ったのか。

気付いた横川麻智の体を、悪寒が駆け抜けた。

 

それはシチューだった。少なくともシチューのルゥは投入されていた。底の深い鍋に浮かんでいるのは黒い毛髪だ。湧き立つほど熱せられて、煮込まれた肉は白く変色している。首を切断した後で、丸ごと放り込まれたらしい。乳白色の液体に浸けられて、もはや表情も分からないほど膨れ上がった顔が、プカプカと浮かんでいた。

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