エペル×監督生
「僕は変わらないよ、これからもずっと。」
彼は風に舞い散る花びらのなかで、柔らかく微笑んで目を伏せた。長い睫毛が日差しを反射してきらりと光る。
「さよなら」
翻したその華奢な背中からは、未練も後悔も感じられなかった。
「エペル」
二度と振り返らない後ろ姿に、小さく呟いた。
「……さよなら」
* * *
春を告げる
with エペル・フェルミエ
* * *
エペルは食堂の片隅で1人、しかめつらで目の前に置かれた皿を見つめていた。
「なにしてるの?」
「寮長に言われて……ミルフィーユを美しく食べる訓練を……」
これが、彼と監督生との出会いだった。
ごにょごにょと口を開いた後、はっとして睨み上げたエペルは、不機嫌そうな低い声を放つ。
「キミこそ1人で何を? 今日はアイツはいないの、かな」
「あー……ソイツを探してる途中で、ここに」
アイツ――グリムはやはり有名人だなと思いながら、監督生は頬を掻いた。
「そう」
と言って、再び皿に視線を落とすエペル。
「ミルフィーユは、横に倒してから切るといいよ」
監督生は思わず、ナイフとフォークを持ったまま硬直していた彼の両手首を掴んで、てっぺんにちょこんと乗った苺を皿の脇に下ろし、クリームと生地の重なりあった真四角のそれを横たえてみせた。
「……あの」
エペルの声がゼロ距離から聴こえる。吐息が耳をかすめたような気さえした。その瞬間に勢いよく身をのけぞらせた監督生を見て、彼は吹き出した。
「キミ、変なの」
無意識のうちに自分から近づいたとはいえ、監督生の心拍数は爆発的に上昇。
初めて近くで聴いたエペルの声。
初めて見たエペルの微笑み。
長い睫毛、透き通るような肌、華奢で小柄な体型からは想像できなかった、案外骨ばっていた手首。
「顔、真っ赤だよ。林檎みたいに」
首を傾けたエペルは、細めた目からすべてを見透かしているようだった。席を立ち、監督生に迫る。腰をかがめ、上目で表情を伺うと、困ったように顔をしかめてからぐっと距離を詰めて。
ふわ、と、柔く唇を食む。
「ただの挨拶だよ」
離れたエペルはそう言って微笑んだ。監督生は突然のことに小さく震えながら、両手で顔を覆った。燃えるように熱い。
なんで?
なんでこんなことに??
「アイサツ……」
「そう、挨拶」
エペルの細長い指が、顔を覆う手を絡めとり、続いて監督生の額に口づける。
そうして2人は、度々『挨拶』を重ねるようになった。幾重にもなるミルフィーユのように、甘く、芳しく。
* * *
「オイ聞け子分! お前の元の世界への帰り方がわかったゾ!!」
それからしばらく経った、ある日のこと。
午前の授業を終えて食堂に入ると、食い意地のあまり先に到着していたグリムが、出会うなりそう言ってはしゃいだ。横には学園長の姿もある。
「えっ!! 本当か?!」
監督生よりも先にそう声をあげたのは、エースとデュースの2人だ。その声に驚いて身を縮こませると、後ろからジャックが入って来て通り過ぎていくのが見えた。
エペルは――
はっとして辺りを見回すが、その姿はなかった。もともと食堂にいた形跡もない、同じクラスのジャックと行動を共にしている様子もない、1年のセベクも既にそこにいて、同寮のヴィルとルークもいる。
「どした? うれしくないのか?」
監督生の挙動が不審なことを察知したエースが、ひょいと顔を覗き込む。
「うれしいよ、うれしいけど……」
鼻の奥がつんとする。目の前が滲む。これは、うれしいから、なのか? それだけなのか?
「らしくないですね、監督生さん?」
「そーだそーだ、どうしたんだゾ!」
学園長とグリムを直視できない。伝えなきゃ。戻るんだって、もう会えなくなるんだって。
「監督せ……」
デュースが伸ばした手を振り払い、監督生は駆け出した。
どこ? どこにいるの?
エペル。
ちゃんと伝えたいことがあるんだ。
ドンッ。
「痛っ」
「……すまない、大丈夫か」
眼前が歪んでよく見えていない。出会い頭に長身の男とぶつかり、派手に転けた。長い腕が目の前に差し出されているが、それを取る気にもならなかった。
もうだめかもしれない。ちゃんと話せないかもしれない。言いたいこと、訊きたいこと、これからのこと。
「人間の子は解せないな」
という声と共に距離が縮まり、二の腕を掴まれて弱気な気持ちごと強制的に立たされる。
「何故いつまでも床に転がっている?」
「……ツノ太郎」
だめだ、この人の前では。
呆れたようにマレウスが息を吐いたのがわかった。監督生は音もなくぼろぼろと涙を零していた。
「こんなところで泣いている場合か。」
腰をかがめて顔を近づけるマレウス。エペルと違い上背があるため、覗き込むというより覆われる感覚がした。厚い雨雲が空を支配し、恵みの雨をもたらすように。
「お前の探しものは中庭だ。早く行くんだ。」
マレウスはそう言って大きな手で監督生の頬を撫で、涙を拭いてやる。そしてすれ違いざまに、その背中をぽんと押した。
駆け出した監督生は、中庭に出るや否や声をあげた。
「エペル――!!!」
はっとしてベンチから立ち上がったエペルの姿を認めた。ごうっと風が吹いて、木から花びらが勢いよくひらめいた。柔らかな日差しを受けて、きらきらと光の雨が降り注いでいるように見える。
その光の粒の中に、彼はいた。
一層眩く見えた。
青翠色に透けたエペルの瞳が、監督生を捉える。
「あの、あのね、エペル」
「帰れるみたいだね」
息も絶え絶えで、うまく声にならない。言葉が紡げない。せめて魔法が使えたなら、何か彼に自分の想いを伝える術があるのに。
「それは、そうなんだけど」
そうじゃない、聞いてほしい言葉は、君を想うこの気持ちなんだ。
「よかったね、これでお別れだ」
そう言ってエペルは、監督生との距離を詰めた。そしていつものように、そっと顎に手を添えて、唇を重ねる。
「お別れの挨拶、かな」
「エペル、そうじゃなくて――」
指先が、その言葉を遮る。
「もうここでのことは、忘れたほうがいい。元の世界に戻るなら、キミは変わるんだ」
「エペル、どういうこと」
「ただでさえ、アイツがいつもキミの傍にいて、僕は何も出来なかった。守ることも、助けることも」
その言葉の意味が、にわかには理解できなかった。
「アイツって……」
「彼だよ。エースクンも、デュースクンも、僕よりずっとキミの傍にいた。僕はただ、強くなりたいと思いながら何もできなかった。」
初めて会ったあの日、エペルが言った“アイツ”とは、監督生が思ったグリムのことではなく、エースとデュースの2人のことだったのだ。
嫉妬にも似た、無力感。
力になりたいと思いながらずっと、自分はただ『挨拶』という名のそれで、監督生を縛ることしかできなかった。
「でも、エペルがいてくれたらそれだけで」
それ以上のことは、望んでいなかった。近かろうが遠かろうが、何かをしてくれようがくれなかろうが、いつしか、その存在を感じるだけで愛しかった。幸せだと思えた。
「それじゃあダメだ。キミが帰るならもう傍にはいられないし。でも」
「でも……?」
おさまっていた涙が、再びこみあげて来る。マレウスの呆れ顔が頭をよぎる。このままではよくない。よくないのに、何も思い浮かばない。どうしよう、どうしよう。
「僕は変わらないよ、これからもずっと」
そう言って、エペルは柔らかく微笑み、身を翻した。
「さよなら」
行ってしまう。彼を引き留められない。花びらの舞う光の雨の中に、その姿は小さくなり、そして消えていった。監督生は膝から崩れ落ち、声を殺して泣いた。
「さよなら」
程なくして監督生も、学園から消え去った。
* * *
元の世界、元の日常に戻ってからのある日のことだ。
立ち寄った図書館で、英字新聞が目に飛び込んできた。
内容をすぐに判別するのは難しかったが、本のようなものの写真に惹かれて、つい読み込んでしまった。
それは『いつの時代か特定はできないが、魔法士が書いた手記が見つかった』という旨のものだった。豊作村という、今は存在しない村の辺りで発見されたそうだ。その魔法士の名前が
「エペル・フェルミエ……」
はっとして、近くにあったパソコンでその名前を調べた。
手記の概要も含めて、エペルという人物については既にウェブ上で記事になっていた。発見された手記には、紫蘭の押し花がしおりのようにはさまれていたらしいこと。マカロンよりミルフィーユを好み、そんな食べにくいものをとよく言われて、変わった人物として扱われていたこと。そして、生涯独身だったということがわかった。
――僕は変わらないよ、
これからもずっと。
「エペル……」
もし魔法が使えたなら、すぐにあの「さよなら」を撤回して、華奢な背中を思い切り抱き締めに行くのに。
「会いたいよ、エペル」
本当はあの時、素知らぬ背中と裏腹に気持ちを押し殺していたなんて、魔力のないただの人間にはわからない。
自分にばかり変われと要求し、宣言通り自分は変わらなかった、自分勝手な彼のことを、これからも変わらず、死んでも忘れないと、誓った。
* * *
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
こちらはTwitterでのツイステ小説企画で書かせていただいたお話です。
お話自体はYOASOBIの『ハルジオン』にインスピレーションを受けたのですが、エペルの誕生花である紫蘭の花言葉をテーマにしなければならなかったので、タイトルをつけるのにややこしいなと思い、もう1曲最近よく聴いているyamaの『春を告げる』からとりました。
丁度2曲聴きながら読みきれるくらいなので、ぜひ、と言いたかったですがこれを読まれる頃にはもう読みきっているんですよね、、、()
これからもぽちぽち書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
しぇるた