小説 真夏の空席   作:Nagi.rekka

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小説 真夏の空席 Episode.Ⅻ -Tokiko Phase-

 

【挿絵表示】

 

 

 

 その日も朝から強烈な日射しだった。

 白く反射する歩道に、私の影だけが動いているかのように感じた。

 ただただ歩くだけしかない、目新しい物のないいつもの通学路を歩いているとつい考え事をしてしまう、嫌でも考えてしまう。それはどう足掻いても絵の事だった。

 模試の結果を受けたあの日から、数日が経っていた。

 あの後いくら描いても、絵は上手くならなかった。むしろ焦る気持ちとは裏腹に、描く程に描ける分量も完成度も下がり、そもそも最後まで描き切る事が出来なくなっていった。途中でもう、失敗だと分かる。続けてももうダメだと分かってしまう。その一枚を描き続けて、修正して、向かう先が分からなくなってしまった。以前にどうやって描いていたか思い出せない。そんなことは意識せずとも、とにかく描けていたし描くのが楽しかった。ただただ描く内容の事ばかり考えていて、どうやっていたかなんて夢中で考えた事がなかった。

 描けていた時と見た目は変わらないのに、私の手は変わってしまっていた。もう、描いてはくれなかった。

「描いて、描いてよ。私の手・・・・・・ちゃんと描いて、お願い・・・・・・」

 呟いても、声はむなしく虚空に消えていった。 

 何度も絵が描けない原因を探した、理由を探した。けれど、分かる事はなかった。

 技術は出来ている、デッサン関連の本を読んでも書かれている事なら。けれど今まで感覚的にやってきた部分は、そもそも勉強したり練習したりして身につけたものじゃない。それが出来なくなった今、どうすればいい? 誰にどんな風に聞けばいい? 仮に聞いたとして、それで本当に答えは出る? 自分でさえ混乱しているのに、何が原因なのかも分からないのに・・・・・・。

 

 その日は珍しく暑さがひいて、空も曇り気味だった。気分的にも室内で過ごしたくなかった私は、彼をオープンテラスに誘った。

「なんだか今日は、元気ないように見えるけど。大丈夫?」

「・・・・・・うん」

 それは私の上の空を彼なりにオブラートに指摘する言葉だった。けれど、もうまともに勉強する気力はなかった。勉強したところで、絵が描けなければ・・・・・・。

「少し・・・・・・休んだ方がいいんじゃない?」

「時間が、ないの」

「そんな、まだ高校生なんだし。これからいくらでも。それに・・・・・・万が一美大がダメでも他の方法だって」

「・・・・・・絵は、どこでだって描けるっていうの? 趣味で描くから、それでいいって」

「・・・・・・」

 考えるより先に、言葉が出ていた。

 彼は気遣いで言ってくれた、そう分かってはいても。

「人によっては、それでいいかもね・・・・・・」

 震える声を、抑えきれなかった。

「でも、違う。私にとっての絵は、違う。私、どうしても描けるようになりたいものがあるの。今感じているものの全てを、感情を、本物の感覚を。たとえ何分の一でもいい、絵に落とし込みたいの。あと何年、何十年先に見返しても、せめて自分だけはその想いを“再生”する事が出来るようにって。鮮やかに“再生”出来るようにしたいって。もっと言えば、そこに・・・・・・“本物”が欲しい。見た途端に、その世界に引きずり込まれるような、そこに確かに“存在する”って思えるような絵を描きたい」

「君が描きたいものは、分かるよ。でも、僕には・・・・・・分からない。“そこまでして”手に入れたいもの? それに急ぐ理由には」

「そんな風に“余裕持って”考えられるのは、確実な方法があるって分かっているからだよ」

 ほの暗い想いが、胸の内からどんどん溢れてきた。隠していたはずの想いが。

「私の目指す場所にたどり着く為の確実な方法なんて・・・・・・ないんだよ。自分で、探求していくしかない。どうしても、絶対に欲しいものなのに。・・・・・・美大を受けるのも、それが一番“確率が高い”から。私が求める場所に行く方法を、手段を、より多く知る事が出来る。在学中に分からなければ、そのまま残って追い求めてもいいし、独学でやる為の基礎や知識だって美大にいる間に得られる可能性は高い。美大はね・・・・・・手段なんだ。今の私が取れる“最善”の選択はこれで、他を選ぶ余裕なんてない。だって・・・・・・そこまでしたって、分からないんだもの。もしかしたら、明日には得られるかも知れない。でも、大人になっても髪がすべて白くなってもそれでも、得られないかも知れない。もちろん努力はする。でも、それでたどり着ける保証なんてない。だから、少しでも可能性を上げたいの。少しでも・・・・・・」

 彼の目を見ればすぐに分かった。理解していない、出来ない。そういうものを見る目。

「そこまでするものなの? そういうのは、本当に目指すべきだって思う“もの”は、分かるもの? 自分で。目指すべきだっていうのは」

「一時の感情だって言うの?」

「・・・・・・一般論で言えば、そうかも」

「ふふっ・・・・・・分かるよ。だって耐えきれなくなるもの、身体が。その存在を知ってしまった時、そして数パーセントでもそこにたどり着ける可能性があると分かった時、もう目指す以外の選択肢なんかなくなるんだよ。そして、その熱は消えない」

 黒い感情が、どんどん胸の中を塗りつぶしていった。

「ねぇ・・・・・・兄さまは、どうしても焦がれているものってある?」

「それって、やりたい事っていう意味?」

「違う。焦がれている事」

「よく、分からない」

「・・・・・・昔から、欲しくて欲しくてたまらない事。何より大切なもの。それを手に入れる為なら、すべてを賭けてでもって思いながら・・・・・・取り組んでいるもの」

「ないかも、しれない」

「私はね・・・・・・どうしても行きたいところがあるんだ。でも、はっきり分かる分、そこまでの距離も高さも嫌でも思い知らされる」

 皮肉めいた笑みが、口を覆う。

 自分でも嫌味だと分かっている、でも止められなかった。

「どこへでも、行きたい場所に行ける強い翼を持ってる“あなた”には・・・・・・分からないかもね。私の持っているのは貧弱な翼。一直線に目指して、何もかも賭けても、たどり着けるか分からない貧弱な翼。それでも、これで飛ぶしかない。目指すしかない。あなたに・・・・・・私の気持ちが分かる? 身体の中に、マグマみたいに赤黒く燃える想いがある。いつも、いつだって。情熱なんて優しい言葉じゃ足りない。焦り、焦燥感、不安。もしも、もしも手に入らなかったら・・・・・・それしか、そればかり考えてしまう。遠のけば、苛立ちや自責に苛まれる。ほんの少しでも近づけば、すべてが報われて、楽しくて。空転している時ほど、自覚がある時ほど自分を責める想いが強く暴れ回る。そうやって身体の内側を焼かれながら、それでも手放せない・・・・・・」

 高ぶった感情が、言葉を、口調を激しくさせた。

 大きくなる声は、もう取り返しがつかなかった。

「言いたいことなんて分かるよ、見え透いてるよ。誰だって、多かれ少なかれそういう顔をするもの。分かるよ考えている事なんて!」

 言葉は、とめどなく溢れ続けた。

「冷静になれって? 客観的になれって? 現実を見ろ社会を見ろ将来を考えろ? そんなこと、他人なんかより余程分かってるよ! 何度も何度も何度も・・・・・・先の不安だって、こんな不安定な事に何もかも賭けるなんて、自分が一番考えてるよ、分かってるよ! でも・・・・・・分かってて辞められるなら、とっくに辞めてる。諦められたら、どれだけ楽かって。何度も考えたよ・・・・・・でもダメだった。だって・・・・・・分かってるから。自覚してるから。これが私の“やるべき事”なんだって」

 彼の青白い肌が、より青く見える程に顔色が変わった。知った事か。

 私はもうとっくに、自分の激情を抑えられなかった。

「あなたにはたぶん・・・・・・分からない」

 去り際に言葉をぶつけて、気がつけば私は飛び出していた。彼一人を置き去りにして。

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