「――それでは改めまして。神谷さん、受賞おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「まず今回の受賞を受けての、ご感想はいかがですか」
「はい、素直に嬉しいです。今回の絵は、モチーフも含めて個人的な思い入れの強いものでしたので」
「ご自身の過去の体験を描いている、との事でしたが。しかし人の姿を描かなかったのは何故でしょうか」
「そうですね・・・・・・これは、私の学生時代の体験を絵にしたものです。しかし、ご覧の通り学校の教室に机と椅子がある、それだけの絵にしています」
「他の生徒達はぼかされてはいますが、全員椅子に座っていますよね。タイトルの通り、空席が中心にひとつ描かれている。しかしこれは果たして“体験”なのでしょうか? その時神谷さんが見ていた風景なんですか?」
「いいえ、私はこの絵のような教室の風景を実際には見ていません。・・・・・・お恥ずかしい話ですが、私は一度だけ学校を抜け出した事があるんです。けれど、抜け出して体験したあの午後のすべてが、今の私を作ってくれました。あの体験があったからこそ、今の私があると思うんです。確かにその時私は教室にいなくて、けれど何度も、私は自分のいない教室を、空席になっているであろう自分の机を思い浮かべていました。抜け出した午後だけではなく、美大に入り絵のお仕事をはじめた後も、何度も。もしあの時に抜け出さなかったらどうなっていたのだろうと。あの出来事が、常に今のすべてにつながっている。この風景は、そんな様々な想いと共に私がずっと“思い描いてきた”風景なんです」
「実際には見ていない、けれど確かに存在し、そして何度も思い描いた風景。という事ですか」
「はい。まぁ、そんな背景は絵を見ただけでは分からないですよね」
「むしろすごいのは、その背景がまったく分からない状態で見ても伝わってくるものがあるという事ですよ。机と椅子があるだけの窓辺の風景、窓の外まで白飛びした写真のように何も描かれていないので、タイトルを見なければ季節さえ分からない。極端に情報が絞られているんです。・・・・・・それなのに、臨場感というか、絵を見た途端本当にそこにいるような気にされてしまうんです。そして、何故か様々なものが伝わってくるんです。私見ですが、私にはそれが“感情”に思えました。おそらくそれは、その光景を“見ている人物の感情”なのだろうと。様々な、特別な感情を抱きながら見た光景、それを絵にされているんだなと」
「言葉にされると、少し照れますね。でも、汲み取ってくださってありがたいです」
「正直、最初絵を見た時にすぐそう思ったんですけど、私だけかなと思っていたんです。でも、違った。審査員の皆さん、言葉は違えどほとんど私が感じた事と同じ事を仰っていました。これだけの方々に“絵として描かれていない事”を伝えられる絵があるんだと、衝撃を受けました」
「ありがとうございます。私は今まで“形にはない、けれど確かに存在するもの”を、表現する事を追求してきました。今回の絵は特にそれに特化というか、ストイックに挑んで描いたものです。手応えはありましたが、どこまで伝わるか不安な部分もありました。なんとか伝わってくれたみたいで、今は胸をなで下ろした気分です」
「伝わりましたよ! でも、形にはないものという表現の通りで、中々この“絵を見て感じた感覚”が言葉では説明出来なくて。審査員の方々や評論の言葉を読んで、なんとか今言葉にまとめましたけど」
「それでも、全部じゃない気がしてます?」
「はい。分かります?」
「意図的に、そんな“言葉でも文章でも”表現出来ないものを、けれど確かに絵を観た人の中に存在するものを意識して描きました。だから言葉にならないのはある意味、意図した通りとも言えて、私としては嬉しい限りです」
「インタビュアーとしては歯がゆい限りですが・・・・・・」
「あはは、失礼しました。でも、絵に限らず創作表現ってそういう“形に残せないものが見た瞬間や聴いた瞬間に、いつでもまた体験が出来る、再生出来る”というとても特別な性質を持っていると思うんです。すべてそうでなきゃいけないとも思いませんし、私の作品のすべてでそれが出来るとも限りませんが。やはり私は、それを大切にしていきたいんです」
「今のお話を伺って、ようやく答え合わせのように絵を見て感じていたものの正体が分かった気がします。言葉には出来ませんが」
「それでいいと思います」
「はじめてこの絵をみる方々にも、是非この“感覚”を体験いただきたいですね。本日は、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
第三回 新日本美術芸術院賞
作者 神谷朱鷺子
作品名 真夏の空席