小説 真夏の空席   作:Nagi.rekka

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小説 真夏の空席 Episode.Ⅰ-Tokiko Phase-

 

【挿絵表示】

 

 

「・・・・・・やはりここの音楽はいいね。音がいい、曲もいい」

「ありがとうございます」

 私はお礼を言いつつ、カウンター越しにグラスを渡した。

「こういう雰囲気の店で、酒と音楽を楽しめる。週末まで働いた甲斐があるというものだよ」

「そう言っていただけると何よりです。と言っても、私はただのバイトですけど」

 この人はいつも、一番初めにきついウイスキーのストレートと、チェイサーに水を頼む。つまみは頼まず、ただ味わうようにゆっくりと飲みながら、店内の話し声やざわめき越しに流れる音楽を、一人楽しそうに聴いている。

 週末にだけ現れて、いつも少し上質な生地のジャケットを着ていた。一度だけ職業を聞いたけれど、ただの会社員とだけ言っていた。

 

 この店には、そんな“大人”がよく集まっていた。

 週末は中々の賑わいだけれど、それでも下品にならないのは客層が限られているからかもしれない。

 内装、お酒の種類はもちろん、ビリヤード台からその日流すBGMの選曲までマスターの趣向で揃えられているから、そこに魅了されてリピーターになる人が多い。今日はエレクトロ・スウィングが流れていた。

「これは・・・・・・Caravan Palaceだ、懐かしいね。君くらいの年代だと、あまり聞かないかもしれないけどね」

 一瞬、ドキリとした。自分の年齢を見透かされたのかと思った。

 けれど、この人からすれば私は“若者”程度のカテゴリにすぎないんだと思い返し、冷静さを取り戻す。

 マスターもこの人と同じくらいの世代だから、趣向に通じるものがあるのかもしれない。

 

 表参道のプールバーSaphir。

 私はここでアルバイトをしている、年齢を誤魔化して。

 きっかけは簡単だった。

 昼休みに友達から、隣のクラスの子が“例の店”の面接で落とされたという話を偶然聞いた。例の店とは学校内で昔からある有名な噂で、年齢を偽って受けても調べられないけれど、面接で受かる事はほとんどないという都市伝説みたいな店の事だった。

 大体の子はそのまま聞き流す話だったかもしれない、でも塾の受講費を稼がないとと焦っていた私にはうってつけの話だった。

 

 半信半疑でその店に行くと、日中にだけアルバイト募集の張り紙が小さく貼られていた。少し躊躇したけれど、どうせ別の場所で年齢を偽り働くつもりだったから、ダメ元で応募した。

 面接はマスターと一対一だった。

 ワイシャツにベスト、ネクタイはしていなかったけれど、いかにもバーのマスターと言われてイメージするような格好をしていた。私は面接早々に聞いた。

「このお店の時給ってちょっと高いですよね。なんでですか? 何かあるんですか?」

 マスターの目が、一瞬少しだけ驚いたように見えた。気のせいかもしれないけれど。

「うーん、別に特別な事はないんだけどね。言ってしまえば、合う人が中々いないんだよね」

「合う人?」

「そう、合う人。この店の従業員は少人数でね、俺の他にはバーテンとか厨房とかで何人かいる程度で、アルバイトは君一人という事になる。内容は書いてある通り、バーテンの補助だね」

「補助って、具体的に何をするんですか」

「注文を取る、注文された品を出す。雰囲気を崩さず、応対する。これが出来ればいいね」

「・・・・・・それだけですか?」

「うん。酒はバーテンが、料理は厨房が作るからね。ビリヤード台は俺が見てるし。まぁ、ようは適正というか、素養が大きいね」

「はぁ」

「どう、出来そう?」

「やったことがないので分かりませんが・・・・・・やってみたいです」

「じゃあ、任せようかな」

「え?」

「採用、という事で。君が良ければもうシフトを組みたいけど、どうする? やる?」

「えぇと・・・・・・」

 それから私は、あっという間にバーカウンターに立つバーテンダー補助になっていた。マスターの言う通り、お客様から注文を取り、出来た料理やグラスを出すのが私の仕事だった。そしてカウンター越しに、様々な大人達とやり取りをする。

 やっていてなんとなく、学校の子達がここの面接を通らない理由が分かってきた。このバーは本当に独特の雰囲気があり、そぐわないような子だとすぐに浮いてしまう。

 けれど私は、なんだか妙にこの場に合っていた。自分よりずっと年齢の離れた人達の中にいる事が、どこか心地良かった。同級生の子達にはないものを、感じられているような気がした。自分の強いこだわりや“好き”を持っている人達が大勢いる空間に、心地よさを感じたのかも知れない。

 私の場合のそれは絵だけれど、例えば音楽やお酒、ビリヤードに対して、余所ではなくここに来るようなちょっとこだわる人達には、言葉でうまく言えない共通するものがあって、私はそういう人達と交わす少ない会話が、嫌いじゃなかった。

 

 でも、だからだろうか。

「おねーさんさあ」

 そういう中にあって“ノイズ”は嫌でもはっきりしてしまう。

「なんかオススメってある?」

 大学生風の男は、顔にニヤケた笑いを貼り付けていた。甲高い声と相まって、軽薄さが際立つ。

 表参道にあるプールバーという物珍しさに惹かれ、たまにこういう場違いなお客が来る。常連の方々は寛容な目で見ていてくれるし、マスターから教わったおかげでずいぶんこの手のお客のあしらい方には慣れていた。

「すみません、私はあくまでも受付のようなものですから。そちらに当店のバーテンダーがおりますので、お呼びしますね」

 そう言い終えると、相手の反応など待たずにバーテンのロウさんの所に向かった。

 すべてを耳打ちし終える前にロウさんは状況を把握し、男の前に飛んでいった。きっと要望に応じて完璧なカクテルを作る気だろう。

 

 アルバイトをはじめてからすぐに、何故わざわざアルバイトが必要なのかが分かった。

 このロウさんという人は職人気質で、可能な限り最高のものをと追求するあまり、夢中になりすぎて複数の接客が出来なくなる人だった。一対一であれば本当に丁寧に相手の要望を聞き、できる限りの一杯をと考えて作るのだけれど、完成してお出しするまで他の事が一切手につかなくなってしまう。もちろん注文も聞こえない。

 マスターはマスターで、開店から閉店までビリヤード台にずっとはりついている。常連のお客様とはコアな話やアドバイスをし、人が空いた時には常に最高のコンディションにしようと台のメンテナンスに勤しんでいる。

 しかし何よりすごいのは初心者への対応で、エネルギーが湧き出すといった様子で嬉々として丁寧に教える。本当に楽しそうに教えるので、遠目に見ていても結構気になったりしてしまう。このビギナーコーチングは業界では結構有名らしく、団体予約や勉強会が開かれる事もしばしばだった。

 けれど、そこに全力投球するから他の事は基本、スタッフに任せきりだった。

 とはいえ、ビリヤードに限らず仕事は丁寧に教えてくれるし、怒られたりすることは一度もなかった。むしろどんどんビリヤードに専念出来るのが嬉しいらしく、日に日にご機嫌になっていった。

 見た目は細身なのに背が大きく、黙っていると強面のおじさんなのに、キューを手入れしたりお客様と話している時には子供みたいに満面の笑顔をずっと浮かべている。

 

 そう、この店の人達は子供みたいに熱中してしまう人が多いのだった。

 例外は厨房で、それは調理スタッフを束ねる料理長のノウさんの影響が大きかった。

「神谷さんすまないね。あの人達、夢中になると周りが見えなくなっちゃって」

 最初の頃、店の様子に驚いていた私にノウさんはよくそう言って気遣ってくれた。基本は厨房にいるのにお店の様子をよく見ていて、ビリヤードに浮かれるオーナーには「もう閉店三十分前ですから切り上げてください」と言ったり、ロウさんに「注文詰まってますよ」と催促したり、まるで調整役のように立ち回っていた。

 きっと私の入る前から、この3人の奇妙なバランスでお店のサービスと運営は成り立ってきたんだろう。

 

 けれどそれ故に、中々忙しくてもこの濃密な環境に対応できる人が、つまりは“合う人”がアルバイトで見つからなかったのだろう。そして私は運良く、その“合う人”だった。

 正確に言えば、私もこの人達に負けないくらいこだわっているもの、夢中になれるものがあるから、怯まずにやっていられるのかもしれない。

「・・・・・・もうすっかりバイト慣れたね」

 ロウさんと男を傍観している間に、気付いたらノウさんが厨房から出てきていた。手に持ったトレーには、おいしそうな料理が並んでいる。

「マスターがいる台の分。行ってくれる?」

「分かりました」

 さっき厨房に流した注文が、もう出来ていた。このアルバイトは意外に手が空く時間が少なく、良い意味で退屈しないものだった。

 トレーを受け取りカウンターを出る。背中越しに、厨房に戻るノウさんの声が聞こえた。

「しかし君が入って良かったよ。“上手に出来る子”で助かってるんだ」

 それは、お世辞ですらない素直な褒め言葉。本来なら、浮かれ喜んでもいいはずのその言葉が、今の私には重く刺さった。

 無難にマスターとお客様の前に料理を置き、軽い挨拶をしながらも、頭は別のことを考えていた。それは、昼間の学校での会話だった。

 

「――しかしホントすごいよねぇ、朱鷺子は」

「えー、どうしたの急に」

「だってあのバイト受かっちゃうんだもん。受かった子なんて何年もいないのに」

「たまたまだよ。運良くっていうか」

「またまた。朱鷺子ってホント器用っていうか、全部そつなくこなしちゃうよね。コミュ力高いし、成績だっていいし。その上絵も描けて美大目指すなんてさー」

 

 “・・・・・・その上”

 

 その言葉に、悪意なんてない事は百も承知だった。それでも。

 私にとっての絵は“その上”なんていう位置づけじゃない。むしろ逆。

 何一つ、他が不器用でも構わない、うまくいかなくても構わない。他がいかに”うまく”やれても、意味がない。

 私は、絵が描きたい。ただただ描きたい。

 器用にしたいんじゃない、効率的にしたいんじゃない。

 非効率でいい、要領が悪くたって構わない。

 それでも・・・・・・自分が納得できる絵が描きたい。

 自分が描きたい絵が描きたい。

 絵が描ければいい、それだけのはずなのに。

 それが私の、一番大切な事のはずなのに・・・・・・。

 

 最近、描けていない。

 思うように進まない勉強とバイトで、まとまった描く時間が取れない。クロッキーは時々出来ているけど、それも塾がはじまればどうなるか・・・・・・。

 いや、迷ってもしょうがない。美術予備校の方ではずっと好評価だったし、今は課題の学科対策に集中しないと。お金を貯めて塾に通う事だけに専念しないと。

 頭の底から浮かんでくる悪い考えを振り払い、私はカウンターに戻った。


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