小説 真夏の空席   作:Nagi.rekka

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小説 真夏の空席 Episode.Ⅱ-Tokiko Phase-

 

【挿絵表示】

 

 

「――お疲れ様でした」

「あぁ。気をつけて帰ってね」

 店を出る頃には、当然のように真夜中になっていた。日付は変わっていないけれど、帰って眠る頃にはきっと明日になっている。

 お店を出ると空調の効いた空間は消え、少し湿気を帯びた熱気が顔に当たる。帰り道、少し細い路地を一人で歩く。この路地は駅までの近道で、夜はあまり近づくなと言われているけれど、時間の惜しい私は最近よくこの道を使っていた。人通りが少ないから酔っ払いに絡まれる事もない。

 けれど今日は珍しく、車が停まっていた。黒いバンで、街灯が少ないこの道では近づかないと気付かない程暗闇に同化していた。そのまま横を通り過ぎようとしたとき、不意にドアが開いた。

「おねーさん、帰り?」

 それはさっき店に来ていた男だった。

 顔や服装なんてほとんど忘れていたけれど、ニヤけた表情と軽薄なノリで思い出した。考えたら、今までも何度か店内で声をかけられていた気がする。たまに来る程度で、大抵はすぐに帰って行くからあまり覚えていなかった。

 とうとうナンパまでされるようになったかと、内心うんざりした。今はただでさえ放っておいて欲しいのに・・・・・・。

「良かったらこの後」

「ごめんなさい、私用事があるんです。それにお店以外では」

「冷たいこと言うなよ」

 血が凍るかと思った。

 男の手は、私の腕を強く掴んでいた。表情も声のトーンも変わらない、なのに目が笑っていない。薄暗い、下劣さを感じる目。

 本能が直感が、うるさいくらいに警鐘を鳴らした。危ない、本当に危ない。今すぐに逃げないと。

「あの、本当に困ります」

「ちょっと付き合うだけでいいからさー。大丈夫少しだけ、それで満足するからさー」

 話す様子とは裏腹に、手に込める力は異常だった。絶対に離さないような力で、まるで動かない。このままじゃ・・・・・・。

「いやっ、離して!」

「ダメだね。嫌でも付き合ってもら」

「――ちょっと、いいですか」

 急に、路地の暗がりから声がした。

 私も、腕を掴んだままの男も固まって、声のする方を凝視する。

「そこの人、僕とこれから約束があるんですよ。すみませんけど離してもらえますか?」

 男はしばらくしてから、我に返った様子で怒鳴り返した。

「なんだよてめぇ誰だ! 知り合いだか知らねぇけど、こそこそ見てんじゃねぇよ出てこい!」

「こっちだよ」

 急に、声が耳元に変わった。

 見れば私のすぐ真横に、一人の青年が立っていた。色の白さが薄暗い街灯の下でもよくわかった。

「あっ」

 青年は瞬く間に男の手をさっと振り払った。私はすぐに車から離れ、その場に身構えた。

「てめぇ」

「今、警察を呼びました」

「はぁ? 俺はただそこの女と話してただけだ。そんな事であれこれ言われる筋合いはねぇだろ。なんか証拠でもあんのかよ!」

「今までの会話は全部録音してます」

 青年はポケットからボイスレコーダーをちらつかせる。

「そ、そんな言い合いいくらだって」

「当人が証言すれば分かる事です。それにここ、車両進入禁止ですよ?」

 そういえばこの道で車を見かけないのは、そもそも進入禁止だったからだと思い出した。

「どちらにせよ、一度警察の人には“じっくり”調べてもらう事になりますね。ほら、もう近くに来たみたいです」

 気がつけば、サイレンの音が遠くで鳴っていた。

「・・・・・・くそっ」

 男は勢いよくドアを閉めたかと思うと、すごいスピードで車を飛ばしていった。安堵すると、一気に緊張が途切れた。思わず地面にへたりこんでしまう。

「・・・・・・大丈夫ですか?」

「はい。ありがとう、ございました」

 近くで見ると、自分より年下に見えた青年は思ったより大人びていた。

 整った顔立ちに切れ長の目。そして近づいてはじめて、自分より背が高いことに気付いた。たぶんすらりと細い体型が、暗がりでは高身長を感じさせなかったんだろう。

 こちらを見る瞳の色が、何故かとても綺麗に見えた。

「立てます?」

 手を取られ、ようやく立ち上がる。

「すみません、本当に助かりました。ありがとうございます」

「いや・・・・・・別に」

 改めて頭を下げると、青年は少しだけ困惑した様子だった。

「それより、あの男は?」

「えっと、私の働いてるお店にたまに客として来てたんです。でも、店の外で声をかけられるなんて今までなくて」

「以前に何度か話してます?」

「はい。と言っても、接客の会話程度ですけど」

「そうですか・・・・・・」

「あの、あなたは一体」

「・・・・・・すみません、挨拶が遅れました。僕は、まぁちょっと訳あって探偵事務所の仕事をしている者です。もっとも、手伝い程度ですけど」

「探偵?」

「はい。実はこの周辺で、同じような被害が増えていて。調査と情報収集を兼ねて張ってたんです」

 探偵、捜査・・・・・・まるでドラマの世界のようだ。けれど今、自分の目の前で起こったそれは明らかに現実に起きていて、そして事件だった。

 私は事件の当事者になったという事実を、まだ飲み込めずにいた。

「そういえば、パトカー・・・・・・」

 冷静になるにつれ、それがまずい事であると気づきはじめた。

 事情聴取を受ければ、自分が年齢を偽って働いている事なんて簡単にバレてしまう。

「あぁ、あれは嘘なんです」

 青年はそう言うと、声のしていた暗がりの方に歩いて行く。そして戻ってくると、手にはスマホと小型スピーカーを持っていた。

「僕の声を向こうでスピーカーで流して注意を引き、サイレンの音も同じスピーカーで遠くから聞こえているように流したんです。このアプリは結構優秀で、本当にそこにいるみたいに音を聞かせる事が出来るんです」

 なんだか、マジックのタネ明かしを見ているような気分だった。

 分かればなんてことない方法だし、青年は淡々と語るけれど、物怖じせずにそれを実行する事なんて普通出来るだろうか?

 青年はあの男についていくつか質問してから、もうこの道は使わず明るい表通りの道を使うように言って立ち去ろうとした。

「待って! あなたは・・・・・・名前もまだ聞いてないし、お礼も」

「さっきので分かったかも知れませんが、この件は少し危険なんです。だから僕の名前を言う事は出来ません。それに、これ以上あなたは関わるべきじゃない」

「そんな、私もう無関係じゃ。それに同じような被害が増えてるって言いましたよね? 私、あの男の事もっと、話せる事があるかもしれない」

「ダメです。これ以上、危険なことに巻き込む訳にはいかないんです。申し出はありがたいですけど、今日は帰ってください。次からは別の道を」

 紳士的な、けれど有無を言わさぬ口調で青年は帰り道を促した。私は従う他ない。

 明るい通りまで付き添ってから、青年は一人、元の道に戻ろうとしていた。でもこのままじゃ・・・・・・。

 さっきは確かに怖かった。整理し、冷静になるのに時間がかかった。けれど考えてみれば、同じようにあの恐ろしい経験をする女の子が、私以外にも出るかも知れない。そう思ったら、黙ってなんていられなかった。

 もう足さえ消えていく暗闇に、私は叫ぶように話しかけた。

「あの! あの男・・・・・・いつも指輪をしてました、昆虫の。お店の、バーテンの人が言ってたんです。グラスの扱いが雑だって、あんなゴツい指輪を何度もグラスにぶつけたら傷がつくって。私もグラスを渡すとき気を遣った事、思い出したんです。確か緑色で、たぶんあの虫の形は・・・・・・コガネムシ」

 しばらく待っても、暗闇から返事はなかった。足音も立てず、そのまま青年は夜に消えた。

 

 それから数日。

 私はお店からの帰り道を変え、あの男を見かける事もなくなった。もう大丈夫だろうという気持ちが半分、また出くわしたらという恐怖半分で、今日も帰り道を歩いている。

 あの青年は、あの後どうしたのだろうか。手伝いと言っていたから、大元は大きな探偵事務所なのかもしれない。でも、ドラマみたいにそんな犯罪に介入するのだろうか。警察と協力しながら、解決するなんて事を。

 起きた出来事の派手さのないリアリティと、イメージでしかない知識が両極端で、噛み合わない。

 そんな風にあれこれ考えながら歩いていると、不意に路地の方から声がした。

「・・・・・・こんばんは」

 思わず警戒し、防犯ブザーを握ったけれど、その声があの青年のものだと気づいた。

 暗がりに同化していた青年の姿が、街灯の下にすっと現れる。やはり月のように白い肌が、印象的だった。正面に立つと身長差で見上げるような形になるから、余計に夜空の月みたいに見える。

「あの、この間はありがとうございました」

「いえ、むしろ今日はお礼を言いに来たんです」

「えっ?」

 青年は、スマホを取り出し画面を見せてくれた。そこには短いネットニュースの記事が表示されていた。

「名前や写真は出てませんけど、あの男は犯罪グループの一員でした」

 そこには最近頻発していた、若い女性の誘拐事件について書かれていた。

「実は中々難航している事件だったんです。というのも、手口が厄介で。やり方自体は若い女性、それも学生くらいの年齢の女性をターゲットにしていて、車に乗せて誘拐し、身代金を要求するという難しくない方法だったんです」

「じゃあ、なんで」

「巧妙なのは、事前調査で被害届をまず出さないだろう相手を見つけ、狙ったという事です。まず、相手を夜遊びしているような経済的余裕のある家庭の、それも学生くらいの年齢の女性に絞った。そして相手に応じて、数十万円程度の金を払えば解放すると言う。十万円程度の場合もあったみたいです」

「そんな事が」

「誘拐された被害者は、夜の街を歩く程度の額なら持っている事が多く、その場で渡してしまう。もしその場で払えなくても、世間体を気にする両親ならまず支払うし大事にしようとしない。娘の夜遊び防止代くらいにしか考えないところもあったみたいですし、とにかく被害届を出せないような相手を狙っていた訳です」

「でも、私働いていたし。夜遊びでもないのに、なんで間違われたのか」

「多分何度かあなたを見て、別に経済的に困っている風でもないのに働いていると分かったんでしょう。そしてどこからか、年齢をごまかして働いている情報も得ていたみたいです。多分働いている事がバレたくない相手からなら、いくらか取っても大丈夫だろうと踏んだんでしょう」

 確かに、金額によっては渡していたかもしれない。今の私には、被害届を出すなんて出来ない。

「でも、じゃあどうして」

「あなたのくれたヒントのおかげです」

「ヒント?」

「コガネムシの指輪、あれはグループメンバーの明かしだったんです。正確には、仲間とやり取りする為のウェアラブルユニット。不自然な動きをせずに、連絡や情報を飛ばす為に使われていたんです」

 思い返せば、指輪にしては少し大きく感じていた。でもあれにそんな機能があったなんて、言われなければ分からなかった。

「車は偽造ナンバーだったし、警察じゃない僕らは中々証拠がなくて動けなかった。でも、おかげで警察に逮捕させるところまで持って行く事ができた。だから報告を兼ねて、お礼を言いに来ました」

「お礼だなんて」

「今もまだ、アルバイトを?」

「えっ、はい。今日も帰りで」

「何故わざわざ年齢を偽ってまで働いているのか、僕には知りようがないし止めるつもりもありません。ただ、もし何か困っている事があるなら言ってください」

「・・・・・・」

 どこから話せばいいか、そもそも何を話して良いのか。私には分からなかった。

「まぁ、いきなりですよね。でも、僕は何かお礼がしたいだけなんです。それにもしあなたが困ってるなら、力になりたい。・・・・・・そうだな、何かひとつ望みがあれば、出来る限り協力します。僕に出来る範囲で、ですけど」

 気持ちは嬉しい、けれどお金を貸してなんて言えない。言いたくもない。その負い目を感じながら勉強しても、たぶん集中出来ないだろう。大体、塾に通って本当に成績が上がるかさえ、疑いはじめてしまっているのに・・・・・・。

 それでも、大丈夫だと断れない空気を彼は作っていた。まるで普段から、誰かを助ける事に慣れているかのように。そして、何故かそれを望んでいるかのような、少し切ない目をしていた。

 

 ふと、青年が制服を着ている事に気づいた。

「あなたの服、西麻布学園の」

「あ、そういえば着替えるのわすれてた」

 それは有名な進学校だった。

「あなた、高校生?」

「一応」

「一応?」

「・・・・・・あまり、まだ実感が湧いていなくて」

 彼は最近編入してきて、それまでは外国で暮らしていたと言った。

「もしかして・・・・・・ううん、あんな学校通えるんだから頭良いよね」

「どうかな」

 彼の飄々とした自己評価は、しかしどこかに自慢ですらない自信を感じさせた。大体、あんな進学校の生徒が探偵の手伝い? ますます分からない。でも、もしそうなら。もしかしたら、彼に教われば・・・・・・。

「決まった」

 彼の目に、少し期待が宿る。

「じゃあ・・・・・・勉強教えて!」

 そして困惑の表情に変わった。

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