小説 真夏の空席   作:Nagi.rekka

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小説 真夏の空席 Episode.Ⅲ-Kouichirou Phase-

 

【挿絵表示】

 

 

 雑居ビルの屋上は、夜でも寒くはなかった。

 むしろ暑いくらいで、コンクリートに触れれば生ぬるい熱が伝わってくる。照明をつけずとも、ビルの灯りや街灯のおかげで見下ろす景色はよく見えた。

 目を凝らせば手元も見えるから、不自由はない。都会の街が眠らないのは、ヨーロッパでも日本でも変わらない。それでも、今が真夜中である事に変わりはない。日付ももうすぐ変わる。

 そんな時間に、僕はひとりビルの屋上にいる。その事実は改めて考えるとなんだか奇妙で、口元が緩んでしまう。日本に来て、こんな日々を送ることになるなんて思いもしなかった。

 物思いにふけっていると、一台の車が走ってくるのが見えた。双眼鏡を取り出し、スマホで通話アプリを立ち上げる。レンズ越に見えたのは黒いバンで、窓ガラスにも黒いフィルムが貼ってあって中は見えない。襟につけたピンマイクとイヤホンの位置をなおし、話しかける。

「――叔父さん、聞こえますか?」

「あぁ、良好だね。そのまま繋いでおいてくれ」

「映像も行ってます?」

「見えてるよ。まったく、あんなフィルム貼った車いまどきないな。しかも透過率がかなり低い、検挙対象になるぞ」

「そこまで見えるんですか?」

「いや、繋いでいる映像を画像処理にかけてる。簡易的なものだがね。とにかくこいつは怪しい、すまないが追ってくれ」

「わかりました」

 車はそう速度を出さず、小さな路地へと入っていく。

「ルートBに向かってます、行きますね」

「了解。まぁ、無理しない程度にやってよ」

「わかりました」

 そう返事をしながらも、僕は勢い良く走り出していた。

 風を切るように非常階段を駆け下り、ルートBで車が停まるであろう地点を目指す。まるでドラマや映画の探偵のような事をしていると思うと、やはり口元が緩んでしまう。まさか“私立探偵の手伝い”をする事になるなんて夢にも思わなかった。

 

 ――日本に着いた僕は、義父の元から東京の高校に通う事になった。

 フランスでは飛び級で大学に通っていたけれど、日本では休養のつもりでと言われ、高校に編入する形になった。

 西麻布学園は、都内では中々の進学校だと聞いていた。けれど内容は正直、退屈だった。興味を引く事もなく、周囲も受験の最中にやってきた編入生にあまり興味を示さなかった。成績の良さから話しかけられる事はあったけれど、それらは大概低俗な興味本位だったから、日本語や国際英語が通じないふりをしてやり過ごした。少なくともこの学校で何か見つけられる事はない、と三日を待たずに気づいてしまった。

 素直にその事を話し、それでも環境が変わって気分転換にはなっていると話すと、義父は少し渋い顔をした。僕が慌てて、本を読んだりしながらゆっくり考える時間にするから大丈夫だと話すと、より険しくなった。

 そして突如、スマホを取り出し誰かに呼び出し通知をかけはじめた。

「コウ、実は君に会いたいと言っている男がいるんだ」

 それが叔父さんだった。

 

「いやぁはじめまして! 君が航一郎君かぁよろしく。私は遊学という。君の、まぁ叔父にあたる者だね」

 最初に出会った時から、叔父さんは黒のアロハシャツを着ていた。模様も黒いので何の模様なのかよく見えなかった。ウェーブがかった髪は、アインシュタインやベートーヴェンを彷彿とさせた。けれどその色は、驚くほど黒々としていた。

「・・・・・・よろしく、お願いします」

「ははっ、お願いされる事など何もないよ。それより、聞くところによれば君は宇宙工学を専攻していたらしいじゃないか。あの分野は最近、どうなっているのかね?」

「えっと、そうですね。・・・・・・叔父さんは、私立探偵をしているんですよね?」

「おやおや、偏見は良くないなぁ。職業名が当人を規定する訳ではないのだよ。私が職業を選択しているにすぎない。故にすべての私立探偵が宇宙工学に精通している訳ではないが、私には興味があり、またある程度の知見もある」

 義父が呆れた顔で会話に入った。

「あー・・・・・・コウ、すまない。こいつは変わり者でね」

「何を言う。まぁ、否定はしないが。それより、差し支えなければ教えてくれないかね?」

「おい、話しておいたろう。コウは」

「いえ、大丈夫ですよ。そうですね、最近だと・・・・・・」

 一般人にどう説明すべきか迷ったけれど、その杞憂はすぐに消し飛んだ。叔父さんは基本的な専門用語なら知っており、また知らない用語や内容に関してはすぐに説明を求めてきた。そして瞬く間に理解していった。

 最新技術であってもそれが余程革新的なものでなければ、基礎理論を理解していれば応用として理解出来るというのは、工学の世界では珍しい事じゃない。けれど、それはあくまでも理屈の上での話であって、本当にそんな話し方が出来る人に僕ははじめて出会った。

「――なるほど、そんな事があるのか。やはりESA(欧州宇宙機関)の試みは面白いものが多いねぇ」

「おいおい、それくらいにしてくれ。今日は挨拶に来ただけだろう?」

「何を言う、今良いところなんだぞ。しかしすごいな彼は、資料なしにここまで話せるとは」

「いえ、叔父さんの方が。あの、あなたは一体どういう・・・・・・」

「私はただの私立探偵だ」

「・・・・・・」

 こんなに信用出来ない自己紹介は、聞いた事がなかった。

「おい、冗談だと思われてるぞ」

「何故かね?」

「まったく・・・・・・コウ、本当にこいつはただの私立探偵なんだ。まぁ、優秀ではあるんだが」

「いやぁ好奇心が抑えられなくてね。知識だけなら持っているんだ、色々とね」

 一筋、そこに光が見えた気がした。

「・・・・・・あの」

「ん?」

「僕に・・・・・・お手伝い出来る事、ありませんか?」

 僕が探偵事務所を手伝う事になったのは、それからだった。

 

 ――目的地に近づいてきた頃、叔父さんの声がイヤホン越しに聞こえてきた。

「GPSを見るに、そろそろ着きそうかね。走らせて悪いが、私より若人の方がその辺頼りになるのでね」

「叔父さんそんなに歳いってましたっけ?」

「秘密だね。まぁイマドキ張り込みなんてと思うかもしれないが、ツールなんて大概何らかの対策がされてしまっているもんでね。でも生身の人間を防ぐ方法は、たかが知れている。だからそこをうまく使えれば、実は高い確実性が得られるんだ。それに現場というのは重要でね、月並みな言い方だがデスクに向かっていては得られない情報が得られる」

「叔父さんがデスクに向かっているところ、あまり見かけないですけどね」

「たまには使うさ、最近は暑いからほとんど使わないがね。とにかくツールも使う、自分でも動く。一周回って、こういう探偵の王道が一番確実なんだよ。それにいかにも古典的で、探偵感あるだろう?」

「ふふっ」

「面白いかね」

「少し」

「それは良かった」

 あえて少しと答えたけれど、僕は実のところこの“探偵手伝い”の仕事を結構面白く感じていた。まだはじめて間もないけれど、僕の生活は、日々は、この仕事によって大きく変化した。

 手伝いをしている間は、まるで突然流れてきた軽快な音楽に乗せられて、駆け抜けているような気分だった。追い風の中を走っているようで、時に自分の足よりも早く身体が押され流されそうになる。けれど、それさえも利用しながらうまく曲がり、飛び、駆け抜けていくような心地よさは奇妙で、今までに体験したことのない感覚だった。新鮮な空気が全身を抜けていくような、透明で、けれど好奇心を刺激される感覚。少なくとも、そこに退屈はなかった。

 

 目的地に着くと、まるで狙ったかのように車が停まっていた。

「着きました」

「ご苦労さん」

「これからどう・・・・・・ちょっと待ってください。誰か来ます。あれは・・・・・・女性です。若い、もしかしたら十代かも。まずい」

 追っているターゲットが、若い女性を狙った誘拐事件を起こしている所までは掴んでいた。けれど被害者がまるで名乗り出ず、私立探偵では現行犯や証拠収集が関の山だった。だから古典的な張り込みなんていう事をしていた。

 ルートBは車両進入禁止区域だと分かっていたから、土地勘のない犯人がそれに気付く前に、現場を押さえ通報すれば車内を調べることが出来る。あんな違法車だから警察も詳しく調べられるし、逮捕は出来ずとも様々な情報を得る事が出来る。

 けれど、早すぎる。

 もし歩いてくるあの女性が被害にあえば、通報する間すらなく走り去られてしまう。何より、被害者を出す事を食い止めなければ。

 どうすれば、どうする・・・・・・。

「叔父さん、ちょっと通話切りますね」

「え、何か起きた?」

「いえ、起こりそうなのでちょっと行ってきます」

「ちょっと待」

 強制的に通話を切る、狭い路地にワイヤレススピーカーを置く。

 タイマーでサイレンが鳴るようアプリはセットした。後は、思い描いたシナリオがうまく行ってくれればいい。大丈夫、上手くいくはずだ。

 そう自分に言い聞かせ、声が震えぬよう痛いほど激しい鼓動を隠して、僕は口を開く。

「いやっ、離して!」

「ダメだね。嫌でも付き合ってもら」

「――ちょっと、いいですか」

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