堕天使に恋をするまで   作:公証人役場

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EP.02 シエスタ①

 

 

 

 

 p.m. 02:43 シエスタ・◼◼◼◼私室

 

 

 

 

 日差しの程よく差し込む一室、青を基調として配置された家具。開け放たれた窓から風が流れ込み、空調によって冷えた空気が僅かに暖かみを帯びる。

 机と椅子とテーブルとソファにテレビ。隣の寝室に行けばベッドがある以外には至って特徴もない部屋だが、それでも寛ぐには十分だった。

 

 家主ではないがソファに腰掛けて本を読む女の姿はラフなものだった。白いシャツに黒の短パン、青い長髪を流すのではなく後頭部で纏めて結い上げて蒸し暑さから逃げている。

 静かに本を捲る姿は絵になっていて、帰ってきた家主はそれを見て僅かに固まった。

 

「おかえり、かなり良い部屋に住んでるんだね」

「ほとんど使わないから住んでると言えるのかは微妙だがな」

 

 高層マンションにあるテラスから海を一望出来る一室。シエスタという観光都市にある数少ない居住地において、最上階に近くこれほどの展望を備える部屋が果たして幾らするのか。

 そんな下世話な話をするような仲ではないため、次に口を開けば出てくるのは野宿かと思っていたというあんまりな内容だった。

 

 そんな訳あるかと軽口に軽口で返しながらキッチンからグラスに氷を入れてテーブルに置く。脇に抱えたボトルには暗い色の液体が満ちている。

 

「高そうだけどいいの?」

「これはヘルマンに貰っただけだから分けてやる。俺のコレクションはやらん」

「あのコレクション二百年ものとかなかった?私としてはお酒は飲んでこそだと思うんだけどなぁ」

「……飲みたいなら今度だ、ここにはない」

 

 今はこっちを飲めとコルクを抜いてグラスに注ぐ。氷が崩れて音を立てる。

 

「いい香り。これ、ほんとに高いお酒なのによく貰えたね」

「よく分からないがアイツからの祝いらしい。気が向いたら連れの女と一緒にいつでも遊びに来いと言われた」

 

 言って、注いだ液体を一息に飲み干して次を注ぐ。

 本来ならばもっと味わって飲むべき値段と価値のあるものである。断じて一息に飲み干すことなどあってならない、なんて前にバーで誰かに言っていた男がそれをするのを見て苦笑する。

 

「で、連れの女って私のこと?」

「俺といるような奇特なやつがお前以外にいるわけないだろ」

「お褒めに預かり光栄だね」

「バカ女が」

 

 悪態を吐いて更に一気。飲み干したら次を入れる。空になったグラスを見たら無言で注ぐ。礼を聞いても知らないふりをしてグラスを傾け、ようやく味わうように飲む。

 

 口に広がるのは芳醇な味わいと奥深い香りだった。酒精が心地よく舌に伝わり、僅かな甘い香りが鼻腔を刺激する。

 ああ、悪くない。なんて言葉が思わず漏れるほどには満足出来る。

 

 互いに無言で味わい、空になれば無言で注ぐ。

 そこまで大きくないボトルを二人とはいえそこそこのペースで飲んでいれば、一時間もしないうちに底を尽きるのは仕方の無いことだった。

 

「あれ、もう空っぽだ」

「そこそこなペースで飲んだしこんなものだろう。俺は満足した」

 

 立ち上がってグラスを下げる。洗うのが面倒なのかそのまま放置して新しいグラスを出して氷を入れて冷蔵されていた飲み物を注いでもってくる。

 テーブルにグラスを置いたらポケットから煙草を取り出しながらベランダに向かい、外に出て火をつける。

 

 肺に煙を取り込んで吐き出す。何度も何度も繰り返してきた動作であり、一本吸う間に何度繰り返すのか数えることすらない行為。

 傭兵というのは意外と煙草を吸わない者が多数派だ。

 それは傭兵が常に生死の境を歩くようなものであり、肉体の機能を低下させる可能性のある煙草を好んで吸う行為は自殺に近いという理由が多い。

 

 煙が青空に溶けていく。灰は崩れて床に落ちた。

 

「そうだモスティマ」

「何か用かな?」

「俺は一先ず休業するがお前はいつまで暇なんだ?」

 

 それによって予定を調整するんだが、と話を続けても彼女から返事がなかった。

 

「……モスティマ?」

「……天魔とか言われてるのにそんなあっさりやめれるの?てっきり手続きとかいるのかと思ってたんだけど」

「傭兵に手続きもクソもないだろう。もう誰が名付けたのかも分からない天魔なんて名前は捨てた。今の俺はただのマルス、何者でもないマルスだ」

「じゃあマルス、明日からしばらくペンギン急便の仕事があるから付き合ってよ。私にとっても休暇みたいなものだからさ」

「……仕事は休暇じゃないだろう」

「内容が内容だから実質休暇だよ」

 

 溜め息を吐いて首を振り、煙草を吸い終えたマルスが部屋に入ってソファに凭れ掛かる。そのまま目を天井に顔を向けて目を閉じ、モスティマが読書を再開する。

 明日の予定を話すのでもこの後の事を話すのでもなく、ただ無言のまま時間が過ぎていく。ページの捲られる音とテーブルとグラスがぶつかる音以外には何も無い静かな時間。

 

 日が暮れる頃、両者共に腹が減ったと言い出すまで心地の良い沈黙は破られなかった。

 

 

 

 

 

 p.m. 08:37 シエスタ・ビーチ

 

 

 夜の海辺といえば何か。

 

 ──答えは花火。

 

 夜の空に咲く派手なそれではなくとも、手元で光る淡い輝きもまた花火と呼ばれる娯楽の一つ。特殊な加工によって鮮やかな火花を散らす棒を持って砂浜にしゃがむ男女の絵面は些かあれだが、それを見るものはいない。

 

「童心に返るのも案外悪くないものだね」

「……火花が散る様子を眺める遊びなんて初めてだ。興味深い」

 

 夕食を終えて街を歩き、宛もなく彷徨った末に海辺で花火をする二人。直前にあった出来事とその経緯は省略するが、結果としてまあ穏やかではある休日の夜にはなっていた。

 月と星に照らされその光を反射する海。反対側にある煌びやかな街並み。人の来ない穴場、今も手元で輝く火花。

 

 まあ悪くはないなと二人揃って思う程度には満足していた。

 

「ペンギン急便のボスは本当にあのペンギンなのか?」

 

 たわいのない質問だった。ただこうして火花が散るのを眺めていて、夕食の後に遭遇した珍妙な生物とその立場についてふと思っただけ。

 戦場から戦場へ。都市から都市へと渡り歩いたマルスが初めて見る生き物。ペンギン急便のボス、エンペラー。

 

「そうだよ。あれで音楽でも結構有名だからね、ボスは」

「マジか」

「やっぱり初見はびっくりするよね。みんな君みたいな反応をするから見ていて面白いよ」

「世の中不思議なものが多いな……」

 

 火花が消えたものを水を入れたバケツに入れる。残り数本になった花火に火をつけて先程とはまた違った彩りを楽しむ。

 

「いいこと思いついたよ」

「言ってみろ」

「今日から煙草の代わりに花火を咥えたらどうかな?」

「海に沈めるぞお前」

「乱暴はよくないと思うなぁ」

 

 軽口を言い合う最中も視線は手元で散る火花に固定されている。海を見るのでも互いの顔を見るのでも夜空を見るのでもなく、ただひたすらに消えていく火花の姿を目に焼き付ける。

 遠くからそれを見る監察官も今はいない。シエスタ内にいる危険な人物としてマルスを監視する為に隠形を行っていた者もいない。

 

 寄る波の音と火花の散る音だけが響く。

 

 遠くでは二人以外の誰かしらが誰かと花火を楽しんでいたり団体でバーベキューに盛り上がっていたりするが、そんな喧騒も遠い。

 互いに口を開くことも無く最後まで手元で咲く花を見続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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