この眼に視えるモノ   作:ニコフ

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02話 人ならざるモノ

「あー、さすがにお尻が痛い」

 

 エルバが列車に揺られ例の町、リオールの最寄り駅に着いたのは午後を回った頃だった。イーストシティ駅でアームストロング少佐の熱烈な別れの抱擁を躱し、列車でここまで辿り着いた。今朝早くから特急列車で北から長時間揺られていたこともあり、彼の尻は固い木製の座席に悲鳴を上げていた。

 

『この地上に生ける神の子らよ――祈り信じよ、されば救われん――』

 

 尻と腰をさすりながらエルバがリオールに辿り着くと、町の街頭ラジオからは宗教放送が流れてきていた。それを耳にした彼は無表情のまま、小さく呟いた。

 

「教主様はうまくやっているようで」

 

 彼の目には冷徹な色と僅かばかりの葛藤が見えるようだった。

 こんな片田舎の町で軍服姿は目立つのか、エルバが行く先々で彼は好奇の視線に晒された。もっとも絡んでくるものが居なかったのは、彼のその見た目故だろう。

 エルバが腹ごしらえがてら近くの定食屋へと向かうと、そこには見覚えのある金髪のお下げと自分よりも一回り大きな甲冑がいた。

 

「ご無沙汰しております、鋼の錬金術師殿」

「――ッ! げふッ! げほッ」

「クライス大尉、お久しぶりです」

 

 その二人組、鋼の錬金術師ことエドワード・エルリックとアルフォンス・エルリック兄弟へ声をかけると、丁度水を飲んでいたエドワードが盛大にむせる。アルフォンスは表情こそ分からないものの、柔和な声色で挨拶を返す。

 

「げッ、クライス大尉かよ」

「げ、とは、上官といえど失礼ですね」

「大尉はどうしてここに?」

「ええ、ちょっと。野暮用で」

 

 袖で口元を拭うエドワードが威嚇する猫のように頭の毛を逆立てる。その隣の席へと腰掛け、エルバはいくつかの食事と飲み物を店主に注文する。

 

「しかし、久しぶりにお会いしたのに鋼の錬金術師殿は、なにやら私に当たりが強いですね」

「兄さんは大尉にトラウマがあるんだよ」

「ねえよ! そんなもん!」

「トラウマ?」

「ええ、あれは昨年の北方司令部と東方司令部での合同訓練の時のことです」

 

 隣でぎゃいぎゃいと騒ぐエドワードを無視してアルフォンスは続け、出されたエッグハンバーグをナイフとフォークで切り分けながらエルバは耳を傾ける。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「君はエドワード・エルリック、鋼の錬金術師が護衛する対象を見つけ出し手中に収めれば勝ちだ。もちろん彼は抵抗してくる。だがお互い多少の負傷は仕方なくとも殺してはいけない、これはあくまで訓練だからね」

「心得ています」

「それと、通常時の市街地訓練のため住民は避難していない。訓練自体の説明はしているが、くれぐれも民間人に危害を加えないように」

「……はい」

 

 エルバにそう説明するのは、この北と東の合同訓練を企画した中央から送られてきた中央所属の佐官だ。ハンドボードに挟んだ資料を捲りながらどこかと通信している。準備ができたかどうとかと話しているところを見るに、エドワード側についている管理者と話しているようだ。

 北方司令部と東方司令部の合同訓練。数日に渡り行われるこの訓練の終盤。本日の内容は要人警護と要人奪還の同時訓練のようで、片や要人を連れて開始地点から所定の回収地点へと無事連れて行くこと。もう一方はその要人を奪取することを目的とする。

 公式な軍人ではない鋼の錬金術師だったが、「国家錬金術師」としてその実力を軍の内外に見せつけるために招集されていた。マスタング大佐は別件の仕事があり、参加できなかったらしい。

 

「では向こうの準備が整って移動を開始した。君は十分後、この時計が鳴ったら追跡を開始するように」

 

 そう言い残すと佐官は小さな時計を手渡し、そそくさと逃げるように去って行く。エルバはその佐官の顔をイシュヴァールの内乱で見覚えがあったため、彼の自身を避けるような態度には疑問を感じなかった。

 訓練場所はイーストシティから少し外れた東部の郊外にある市街地。もとよりイーストシティほどの人口はいないが、どの付く田舎と言うほどではないため、民間人にはそれなりに気を使わなければならなさそうだ。

 静かな路地裏、建物の建設現場。本日の業務は休みのようで、そこに放置されている資材の上に腰を下ろし大きく息をつく。

 

「仕方ない……」

 

 そう呟く彼は正直この訓練に乗り気ではなかったものの、仮にも北部の代表として参加させられている以上は無様な姿を晒すわけにはいかなかった。

 手元の時計を見つめる。長針が丁度真上を向き一瞬ベルのような音が鳴ったかと思うと、エルバは間髪入れずにそれを止めて立ち上がる。

 ぐっと背筋を伸ばして体をほぐすと、時計を資材の上にちょんと乗せ、腕や首を回しながら出陣した。

 

「鋼の錬金術師、お手並み拝見」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ああッ、くそッ! もう追いついてきやがったッ!」

「きゃあッ!」

 

 エドワードは護衛対象役の女性軍人を引き連れながら路地を駆け抜ける。護衛対象にはあえてデスクワーク専門の女性が選ばれているようで、30代半ばの年齢に色白の肌、少し肉付のよいその体はお世辞にも体を動かすのが得意そうには見えない。彼女を連れて走り回るだけでも一苦労のようだ。

 人混みをかき分け、彼女の手を引きながら細い裏路地へと駆け込むエドワード。その少し後方には既にエルバが差し迫っていた。

 エルバは町の様子や、軍人である自身を目にした一般人の反応を確認し、頭に叩き込んだ町の地図を脳内で広げる。最も逃走に適した場所はどこか。人混みに紛れつつも錬金術で足止めできる路地裏……。

 

「んにゃろッ! これでどうだッ!」

 

 エルバが当たりを付けた路地を曲がると、そこには焦るエドワードと手を膝につき肩で息をする女性軍人の姿が。

 エドワードはエルバの姿を確認すると、慌てて両手の平を叩き合掌する。その手を地面に当てると青白い漏電のような錬成反応が辺りを包み、みるみるうちに巨大なコンクリートの壁が路地を塞いだ。

 地面や建物の外壁を錬金術で障害物へと錬成させたようだ。思わず見上げるほどの巨大なその壁で時間稼ぎをするつもりらしい。

 

「これでしばらくは……、って、はぁッ!?」

 

 その壁に幾本もの光の筋が走った。するとその分厚いコンクリート壁が大きな音を立て、滑らかな断面と共にいくつかに分断されて転がり落ちてきた。

 その瓦礫と土煙の向こうにはサーベルを抜刀したエルバの姿が。信じられないが、信じるしかない。彼がこの障害物を叩っ切ったのだ。

 

「こっちだッ!」

「ちょっと、まだ息がぁっ……!」

 

 慌てて踵を返したエドワードが、へとへとの女性の手を引き路地の奥へと駆けていく。抜刀したままそれを追いかけるエルバ。このままでは次の瞬間にはその刃先がこちらを捉えるであろうことはエドワードにも容易に想像ができた。

 

「お姉さんそのまま走って!」

「な、なんで私がっ、こんな役ぅ……」

「早くッ!」

「は、はいぃっ……!」

 

 手を引いていた女性軍人を先に行かせるエドワード。女性の後を走りながらチラリと後方に迫るエルバを確認すると、先程と同じように両手で合掌し壁を叩く。

 

「これで、どうだッ!」

 

 青白い錬成反応と共に建造物の外壁が隆起し、幾本もの太いコンクリートの支柱が横向きに錬成されエルバとの間を遮る。

 しかしそれをまるで、熱したナイフでバターでも切るかのように滑らかに抵抗なくサーベルで切断し、文字通り道を切り開くエルバ。

 走りながら次から次へと錬成するエドワードと、それを切り伏せながら確実に距離を詰めるエルバ。

 エドワードが舌打ちと共に再び地面から巨大な壁を錬成する。

 

「また(それ)ですか、……ッ!」

 

 半ば呆れたように呟いたエルバが再びその巨大なコンクリート壁を切断したとき、その土煙の向こうから幾本もの巨大な腕が殴りかかってきた。

 粉塵をかき分けながら迫るレンガや石の拳をすんでの所で受け止めるエルバ。サーベルの刃を迫る拳に当て峰を左手で支える。拳の勢いを利用しそのまま縦に引き裂くように斬る。

 

「ぅぉッ……!」

 

 しかしその拳の勢いに体はいくらか後方へと押し戻される。その隙にエドワードは再び両手を地面に押し当て錬成を行う。自身と女性軍人の足下の石やレンガ、土などを錬成し巨大な柱を生やすかのように上空へと避難する。建物の屋根まで到達するとそのまま女性を連れて逃走する。

 少しは距離を稼げるだろう、そう想いチラリと振り返ったエドワードの顔には、この日何度目かの驚愕の表情を浮かべる。

 

「逃がしませんよ……ッ!」

 

 エルバはエドワードの錬成した柱の一部を削るように斬り出し、右足のつま先を引っかけるようにそこに飛び乗る。腰を落とし膝を曲げ、屈伸した体を一気に伸ばすように全身のバネを使って跳躍する。反対側の建物の窓の縁へと飛び乗り更に跳躍、壁面に伸びる配水管を手に取り自身の体を振り子のように下から上へと振り上げる。

 エドワードたちがいる屋上と、路地を一本挟んだ建物の屋上へと上ったエルバ。息つく暇もなく錬成された支柱へ飛び移り、そのままエドワードたちのいる屋上へと突っ込む。

 エドワードが咄嗟に手を合わせ、屋上を素材に再びいくつもの硬いコンクリートの拳で殴りかかるも、エルバはその一切を斬り伏せる。

 

「だったら……ッ!」

「遅いッ」

 

 眼前に迫るエルバを迎撃しようと再び手を合わせるエドワードだったが、自身の機械鎧の腕を武器へと錬成する前に、エルバの有無を言わせぬ切っ先がその喉元へとあてがわれた。

 

「……」

「……ま、参った」

 

 その鋭い眼光と大総統を彷彿とさせる眼帯と剣捌きを前に、エドワードも思わず冷や汗をかいて白旗と共にその両腕を上げざるをえなかった。

 降参の言葉を聞くと、エルバもその鋭い瞳をいつもの柔和なものへと変え、剣を下ろして小さく微笑んだ。

 

「かーっ、信じらんねえ。インチキくせえにも程が……ッ」

「きゃぁっ!」

「ッ!」

 

 エドワードが悔しそうに目を閉じ頭を掻きながら愚痴をこぼそうとしたとき、護衛対象役の女性の悲鳴が上がる。咄嗟に目を向けるエルバとエドワードの視界には、足下が崩れ今にも屋上から落下しそうな彼女の姿が。エドワードが最後のラッシュの際に屋上を素材として錬金術を行ったため、屋上の一部が薄く脆くなっていたようだ。

 

「やべッ……!」

 

 慌てて錬金術を発動させようとするエドワードの横でエルバは自身のサーベルを素早く逆手に持ち、そのまま全身の筋力で弾き出すように投擲する。真っ直ぐに突き進む剣先は女性軍人の軍服を縫うようにその首の裏側、背中上部の軍服部分のみを刺し貫き、彼女の体重を支えられるほど深々と壁面へ突き刺さる。

 

「ふげっ……!」

 

 壁へと縫い付けられるように制止する女性が、絞まる首元に思わずうめき声を漏らす。屋根を飛び降り、宙ぶらりんの彼女の元へとエルバが駆け寄る。そしてその体を支えながら剣を引き抜き、彼女をその力強い片腕にそっと抱き寄せ地上へと降りていく。

 

「……完敗だな、こりゃ……」

 

 その一連の流れを見ていたエドワードは、今の咄嗟の救出劇の対応力や素早さ、そして今回の訓練のことを思い返し、どこかつまらなさそうに、しかし感服したように後頭部を掻きながら小さく呟いた。エルバの動きや戦闘力などを見習うように、屋上から彼を眺めるエドワード。

 

「大丈夫でしたか? お怪我は?」

「は、はひ、大丈夫、です……」

「軍服を斬ってしまいましたね。申し訳ない」

「い、いえ、そんな、とんでもないですっ」

「しかし、その綺麗な肌に傷を付けなくてよかった」

「あの、その、ちか、近いです……大尉……」

 

 女性軍人を心配するように声をかけるエルバだったが、彼女は近づけられる彼の顔に思わず焦ってしまう。

 そんな真っ直ぐな眼で見つめられ力強い腕で抱き寄せられて、甘い声で囁かれたり助けてもらったりしたら年甲斐もなく多少なりとも心が弾んでしまって、ああずっと走ってたから今自分は汗臭いんじゃないかとか化粧が崩れたりしているんじゃとか最近またちょっと太ったから重いんじゃないかとか気になってしまって……。

 

「だだ、大丈夫でありますです……ッ!」

 

 彼女はハッとしたように我に返り、その両手で力なくもエルバの胸板を押して距離を開けようとする。微かに頬を染めるのは激しい運動の後だからと言うだけではなさそうだ。

 

「でもあれは見習わねえ!」

 

 エドワードもまた屋上から見ていたエルバの行動に大きく呆れたように溜め息をつくのだった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「自分の錬金術じゃ全く歯が立たなかったって兄さんが」

「そこまで言ってねえ! ちょっと油断したってだけだ!」

 

 からかうように楽しげな声色で思い出話をするアルフォンスとそれに噛みつくエドワードを眺めながら、エルバも楽しそうに微笑む。

 ナイフとフォークを皿に置いたエルバがコップ一杯の水を一気に呷り飲み干すと、「さてと」と重い腰を上げた。

 

「なんだ、もう行くのか?」

「仕事で来たので、職務に戻らないと」

 

 食事代を店主へ支払い愛想よく会話を交わしたエルバが店を後にする。露店形式の席を立ちエルリック兄弟へと振り返って呟いた。

 

「賢者の石、見つかるといいですね。ご武運を」

「……どうも」

「クライス大尉もお仕事頑張ってください」

 

 こちらに手を振る大きな鎧へ、エルバも小さく手を振り返す。エドワードもまた、振り返りはしないものの、後ろ手に手を振っていた。

 

「あれ、そういえば大尉はなんの仕事でわざわざこの町に?」

「さあな。どうにも底が見えねえやつだからな」

 

 隣で水を飲みながらぶっきらぼうに答える兄を横目に、アルフォンスは小さくなっていく軍服の背中を見送った。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

『まさか……、貴様ぁーーーーッ!』

 

 夕暮れの茜色に染まるリオールの町にしゃがれた初老の男の絶叫がこだまする。小さな街並みの隙間を縫うように音は反響し、全ての町民がその声を聞くには十分な声量だった。

 

『いつからだ! そのスイッチいつから……ッ』

『最初から。もー全部だだもれ』

『なっなっなっ……なんて事を……っっ』

 

 町の中央に存在する場違いなほど大きく立派な教会の屋上に、錬金術で錬成した巨大な拡声器を担ぐ鎧の姿が確認できた。その拡声器から聞こえてくる悪意ある声に町民たちの開いた口は塞がらない。

 

「これだから三流は……。まあ、よかった、かな」

 

 一人、アメストリス軍の軍服を身に纏う青年だけが、困ったように眉を垂らして呟いた。しかしその顔はどこか晴れやかにも見えた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 アメストリス東方司令部内、マスタング大佐のデスクの上に白いハンカチに包まれた金属片が差し出された。大佐はそれをまじまじと見つめ、頬杖をついて摘まみ上げたそれを指先でもてあそぶ。

 

「リオールの賢者の石に関しては東方司令部の上より中央へ報告が入り、私が調査に向かいました。大した成果はありませんが、ご報告だけでもと」

 

 デスクの前にはその偽物の賢者の石がはめ込まれていたらしいボロボロの指輪を持ってきたエルバ。

 しばらくその指輪と報告書に目を通した大佐が溜め息交じりに尋ねる。

 

「それで、賢者の石は本物だったのかね?」

「いえ、偽物でした。得られたのはこの残骸だけです」

「……その教主というのは?」

「……鋼の錬金術師殿との戦闘の後、失踪しました」

 

 エルバは表情一つ変えず、その報告は淡々と事務的に伝えられるも、その言葉の微かな間にマスタング大佐は追求する。

 

「君ほどの手練れが、取り逃がしたのか?」

「申し訳ありません」

「黄金柏葉剣が泣いているぞ」

「……」

 

 マスタング大佐の言葉に小さく頭を下げるエルバ。床を見つめるその視線はどこか焦点が合わず、何かをぼんやりと思い出しているかのようだった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 エルリック兄弟の手によって身の程を知らぬ野望を打ち砕かれた男。このリオールで信仰を集めていた太陽神レト教の教主。

 賢者の石を手に鋼の錬金術師、エドワード・エルリックと相対するも、敗北。贋作の賢者の石は男に激しいリバウンドを引き起こし、その右腕は金属片と一体化してしまう。

 

「……くそ!! あんな小僧に私の野望を……」

 

 教主の裏側とこの町の闇を白日の元に晒したエルリック兄弟であったが、肝心の賢者の石が偽物だと知り失意のままに街を後にする。彼らに見逃される形となった教主は、怒りに染まる町民から逃げるように教会奥へと避難していた。

 

「冗談じゃないぞ、これまでどれだけの投資をしたと……」

 

 今にも破られそうになる教会の扉と、エルリック兄弟によって始末された粗末な合成獣(キメラ)の死骸を尻目に教会の秘密の地下室へと逃げおおせる。

 

「ほーんと、せっかくいいところまでいったのに。台無しだわ」

 

 金属と合成してしまった右腕の痛みに脂汗を流し息の上がる教主に、地下室の奥から妖艶な艶のある女性の声がかけられた。

 

「久しぶりに来てみれば何この騒ぎ。困った教主様ねぇ」

 

 そこにはウェーブがかった長い黒髪に涼しげな切れ長の瞳。豊満な胸を強調するかのように肩口から胸元まで大きく開いた、闇に溶け込むような黒いタイトドレスを身に纏った女性の姿が。どうやら声の主は彼女のようだ。

 床に座り込む男の姿も見て取れる。腹が大きく出た肥満体型にスキンヘッドの頭。太い腕は何かの肉片を鷲掴み、それを貪っている。まるで赤子のような瞳と体型をしたその男が薄暗い地下室で咀嚼音を立てながら生肉を食す光景は不気味なものだった。

 その男の背中に座る女性が、退屈そうに呆れたように、高いヒールの足をぷらぷらと振る。

 

「あ、あんた達どういう事だ!!」

 

 その2人を知っているのか、教主は声を荒げて食ってかかる。

 

「あんたがくれた賢者の石! 壊れてしまったじゃないか! あんなハンパ物掴ませおって!」

「いやぁね、あなたみたいなのに本物渡すわけないじゃないの」

「ぐ……この石を使えば国を取れると言ったではないか!」

「んー、そんなことも言ったかしら?」

 

 女はその細く長いしなやかな指を口元に当て、怒る教主に対して嘲笑うかのように冷ややかな視線と冷笑を浴びせる。

 

「こっちとしてはこの地でちょっと混乱を起こしてくれるだけでよかったのよね。それとも何? あなたみたいな三流が一国の主になれると、本気で思ってたワケ?」

 

 女は心底愉快そうに高笑いを上げる。

 

「ほんっとおめでたいわ、あなた」

 

 女の言葉に教主の眉間の皺は深くなっていき、こめかみが小さく痙攣する。音が聞こえそうなほど強く歯を噛みしめる。

 

「ねぇ色欲(ラスト)、このおっさん食べていい? 食べていい?」

 

 何かの肉を貪っていたもう一人の男の方が、無邪気そうに彼女へ問いかける。その言葉に色欲(ラスト)と呼ばれた女の瞳は細められ、呆れたような侮蔑の視線を教主へと向ける。

 

「だめよ暴食(グラトニー)、こんなの食べたらお腹こわすわよぉ。こんな三流……いえ、四流野郎なんか食べたらね」

「ぬああああ! どいつもこいつも私を馬鹿に……ッ!」

 

 ラストの言葉に教主の目が見開かれた。血走った瞳を剥き出しラストへと殴りかかろうとしたとき、地下室の扉が開かれた。その蝶番の軋む高い音は外の騒音と隔絶されたこの地下室にはよく響き渡った。

 教主は殴りかかろうとした動きを止め、思わず扉へと振り返る。ラストとグラトニーもまた、その扉へと視線を向けた。

 

「ああ、なるほど。こんな地下室があったんですね」

 

 そこにはこの場に似つかわしくない素っ頓狂な声を上げて地下室へと入ってくる男の姿が。先程まで頭に血が上っていた教主だったが、その男の姿を見るやいなや、その足下へと跪くように懇願した。

 

「お、お前っ、い、いや、あなたはあのアメストリスの天剣と謳われるエルバ・クライスか! ちょうどよかった、この犯罪者共をなんとかしてくれぇ!」

 

 そこにいたのはアメストリス軍の紺碧の軍服を着込んだエルバの姿が。その勇名は東の果ての片田舎にも届いているようで、教主はエルバの足下に跪いてまるで神にでも祈るかのようにその両手の指を組む。

 なぜ彼がここにいるのかという疑問すら持つ余裕はないようだ。

 

「無様ねぇ。こんな時こそあなたの信仰する神様っていうのにでも祈ればいいじゃない。ねえ、()()()

「うるさいッ! 私の身を守るモノこそが神なのだ……ッ! 今はこの人こそが私の救世の神だッ!」

 

 ラスト達へと振り返った教主の顔には先程までの怒りと不安にまみれた色はなりを潜め、正に虎の威をかるように後ろに立つエルバを指さす。

 

「ほんとに彼、あなたの救世主(メシア)かしら?」

 

 グラトニーの背に足を組んで座り直し、教主を小馬鹿にするように小さく微笑むラスト。肘を膝について頬杖で口元を支える彼女が心底楽しそうに、まぶたを下ろし細めた切れ長の瞳で色っぽくも意地悪そうに教主を見つめる。

 その笑みに、声に、仕草になにやらぞわぞわとする不安が脳裏を過ぎる。そういえば今自身の後ろにいるこの凄腕の軍人はどうしてさっきから動かない。なぜ口を開かない。なぜ()()()()()()()()()()()()()

 薄暗い地下室で、教主は自身の視線の先に浮かぶラストの胸元にあるウロボロスの入れ墨が、妙にハッキリと見えた気がした。

 

「んふふっ。教主様、あなたの神様って、そんな眼をしているの?」

「…………ッ!」

 

 彼女の言葉に、油の切れた機械のようにゆっくりと振り返る教主。その視線の先にはただ黙して静観するだけのエルバが。

 ラストの愉快そうな視線の意味を理解しているエルバは、その目を一度閉じて静かに小さく嘆息すると、自身の右目の眼帯へと手を伸ばす。

 エルバがその眼帯を外し、痛々しい古傷の刻まれた右の瞳を開眼すると、教主は驚愕に目を見開き、開いた口も塞がらず、ただただ目の前の光景を信じられないと言うかのように首を横に振っていた。

 

「まさか……あんたも……ッ」

 

 その右の眼には、左の深い瑠璃色と相対するような紅蓮の色をしたウロボロスの紋章が刻まれていた。

 

「まあ、そういうことです、教主様。私はあなたを()()()()

「そんな、アメストリスの天剣と謳われるこの国の英雄が……ッ、大総統から勲章を授与されたと聞いたが、まさか大総統をも、この国の軍部をも騙して……ッ」

 

 床に座り込んだまま両の手足をバタつかせてエルバから必死に距離を取る教主。ラスト達とエルバを交互に見やると、ラストはまた楽しそうに、しかしどこか小馬鹿にしたように小さく笑っていた。

 

「ふふふっ。彼はその大総統から剣を教わったのよ。ここに来たのも大総統府、引いてはキング・ブラッドレイの指示で。あなたを助けるためでも、この町の胡散臭い宗教を咎めるためでもない。わかる? 教主様」

 

 ラストの挑発的な視線が教主の胸中を貫く。横ではグラトニーが子供のようににんまりと微笑む。エルバは何も答えず、眼を隠すように再び眼帯を巻き直す。

 

「まさか、まさか……ッ!? 大総統……キング・ブラッドレイもッ、この国さえもッ、もう既にッ……ッ!」

 

 何かを察した教主の顔はみるみる青ざめ、その目は再び見開かれ手足が恐怖で震える。絞り出すような声で()()()()()をするも、返ってきたその回答はラストの研ぎ澄まされた鋭利な爪だった。

 木の板でも貫くような心地のよい音と、柔い肉が裂かれ脳髄のひしゃげる水音が反響する。

 

「ええ、そう。でもね、あなたもう用済みなのよ」

 

 ラストがその凶器と化した爪を引き抜いて手についた鮮血を吹き払うように指先で宙を薙ぐ。口を開けたまま白目を向いた教主は額の風穴から噴水のように真っ赤な血を吹き出して崩れ落ちた。

 既に教主には興味を失ったのか、ラストは自身の長い艶やかな後ろ髪をうなじからかき上げ首筋に風を通すと、瞳を閉じ眉尻を下げて困ったように言葉を紡いだ。

 

「あーあ、せっかくここまで盛り上がったのに、また一からやり直しね。お父様に怒られちゃうわ」

 

 ラストはその豊満な胸元を強調するように腕を組み、その細くしなやかな右手の指先で額をとんとんと叩く。知恵を絞り出すように悩むその仕草も、どこか色気に溢れていた。

 彼女の隣にいたグラトニーは既に動かない教主の死体を興味深そうに持ち上げると、しばらくその肉体を注視した後、よだれと共にでろりと舌を出し、歯を剥き出しにした。ウロボロスの紋章の浮かぶグラトニーの舌が、教主の死体を()()()()

 

「あら。食べちゃいけないったら」

 

 骨の砕ける音と柔い生肉を咀嚼する水気を含んだ粘つくような音が地下室を反響し、途端に鉄臭い血の匂いが辺りに充満する。食事に夢中のグラトニーの頭を楽しげにそっと撫でたラストが、エルバへと視線を向ける。

 

「それで、あなたがどうしてここに? 憤怒崩れ(エクスラース)

 

 ラストがその高いヒールの音を鳴らして彼に近づく。スタイルのよい彼女は女性の中では比較的背の高い方だが、それでも目の前のエルバの顔を見つめるには顎を上げて見上げる形となる。

 

「最近リオール(ここ)のやり方に東方司令部が疑惑を持つように。下手に調べられる前に手を打つよう大総統府……大総統より指示を受けてきました。もっとも、鋼の錬金術師殿の登場でこの有様ですが」

 

 目の前に迫る美女の圧にも負けず、エルバは淡々と自身の状況を報告する。そんな彼の態度にラストは小さく微笑んで顎を引き上目遣いに瞳を見つめる。

 

「そう。()()()()()()()()()に感づかれるのは面倒ね。うまく誤魔化しておいて」

 

 そう呟いたラストが自身の手をエルバへと伸ばしその手のひらで彼の胸板を扇情的に撫でる。

 

「あなたも上手に軍に潜り込んで、東奔西走の大活躍で信頼を得てるみたいね。北にも潜り込めたみたいだし。あなたを大総統の弟子として動きやすくして正解ね」

 

 ラストの手が左右に滑るようにエルバの体を撫で下りていく。

 

「……でも、あんまり悪い女に捕まっちゃだめよ……?」

 

 エルバに体を押し寄せて顔を近づけると、耳元で官能的に囁くラスト。彼の腹筋を指先で伝い、手先が腰回りを撫で、そっと、彼が腰に帯刀している()()()()()()()()()()へと手を伸ばそうとする。

 それを察したかのようにエルバは左足を一歩下げ、ラストの指先が剣にかからないように半身を引いた。まるで彼女にその剣を触れられることを避けるかのように。

 そんな彼の態度にどこか不満そうに鼻を鳴らして離れるラスト。

 

「忘れちゃだめよ? あなたが()()()()なのか」

「……はい。心得ています」

「ほんとかしら。あなたは凄く、人間くさいところがあるから」

「……」

「あら、そんな顔しないで。褒め言葉かもしれないわよ」

 

 からかうように笑うラスト。それを見つめるエルバの顔はなにかを葛藤するかのように歪む。そして自身の眼帯越しに右目に触れる。

 

「……この眼がある限り、私は私の立場を理解しています」

「そうね。あなたは憤怒崩れ(エクスラース)。一つの命しか持たない憤怒(ラース)に万が一があったときの予備だものね」

 

 再びそのしなやかな指先でエルバの胸板を突くラストが「でも……」と続ける。

 

「あなたも一つの命なんだから……あんまり無茶して死なないようにね」

 

 そう言い残すとラストは踵を返し、教主を美味しく頂いたグラトニーを引き連れて地下室の深く濃い影の中へと溶けて消えていく。

 最後にチラリと振り返った彼女の瞳は獲物を見る獣のような、男を見定める女のような、悪戯する子供を咎める母のような、様々な色が見て取れた。しかしそのどれもが、自身に釘を刺しているかのようで、エルバはどうにも居心地が悪かった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 椅子に深く腰掛けるマスタング大佐が背もたれに体重を預け、既にぬるくなっている手元のマグカップのコーヒーを一口すすった。

 

「偽物だとしても報告に上がっている石の性能は相当なものだ。ただの辺境の新興宗教の教主が作れるとは思えない。……誰か不審な者はいなかったか? 裏で手を引いているものは?」

「……誰も、いませんでした」

 

 淡々と報告を続ける彼だったが、大佐の執務室を後にするその時一瞬浮かべた何かを葛藤するような苦悶の表情を、大佐は見逃さなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「そうか。中央の遣い、ご苦労だったな」

 

 暴力的なまでの吹雪が吹き荒れる、アメストリスの北の果て、ブリッグズ砦にエルバは帰還した。

 今回の仕事を上官でありこのブリッグズ砦のトップであるオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将の執務室にて報告を行うも、彼女は簡素な労いの言葉を投げかけるのみで報告そのものには興味がなさそうだった。

 

「それで?」

「報告は以上ですが……?」

「違う。……抜いたのか?」

「……へ?」

 

 少将の言葉に思わず間の抜けた返事をするエルバ。痺れを切らしたオリヴィエが自身の右手でデスクを叩いた。

 

「剣は抜いたのか、と聞いているんだ」

 

 そう聞く彼女の瞳は肉食獣のそれを思わせた。鋭く切れ長の鮮やかな青い瞳は何かを期待するように、どこか恋慕に揺れる乙女のように微かに濡れるも束の間、エルバの「いえ」という返答にキッと鋭くつり上がる。

 

「私の剣が抜けぬのか?」

「いえ、そう言うわけでは、その……」

「では私が嫌いか? その剣は貴様にとって重荷か?」

 

 いつもの豪胆にして強気な態度は崩れないものの、その言葉の中には僅かな不安と気遣いの色が滲んでいた。あまりにも微かなものだから他の人には分からないかもしれないが、エルバにはオリヴィエのその感情が感じ取れた。

 だからこそ、その期待に応えられない事にやきもきするのだ。エルバも朴念仁ではない。相手の気持ちはよく理解しているし、自身の気持ちにも気がついている。しかし、後先考えずに行動できない自分の立場に、唇を噛みしめるのだった。そしてまた適当にはぐらかして、残念そうに眉尻を下げるオリヴィエに背を向け、彼女の執務室を後にした。

 オリヴィエの執務室を出たエルバはその扉に額を当て深く静かな溜め息を、長く零した。

 反対を向き扉に背を預ける。目の前には廊下の大きな窓が広がるも、外は見えない。明るい室内から暗い外を覗き込めば、ガラスには自身の姿が反射されるのみだった。自身の右目を隠す眼帯に右手でそっと触れる。

 ふと自身の腰に下げられた銀細工のサーベルを見つめる。その柄を左手でそっと撫で、力強く握り込んだ。

 

「……人ならざる私に……()()()()()()は、不相応なのです、少将……」

 

 強く握りしめられたサーベルの柄は、何かを諦めるかのように、そっと手放された。

 ブリッグズの吹雪は全てを覆い尽くす。様々な人の感情や思惑さえも……。

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