この眼に視えるモノ   作:ニコフ

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03話 建国祭

「まったく、中央(セントラル)は気楽なものだな。父上もブリッグズ砦(こちら)の事をもう少し考えて頂きたい」

 

 アメストリスの極北、ブリッグズ砦内の自身の執務室で、オリヴィエはなにかの資料を片手に嘆息を零していた。

 窓の外ではここしばらくの吹雪が嘘のように久しぶりの太陽がその雲間から顔を覗かせ、辺りの銀世界を眩しいほど煌びやかに照らしていた。

 彼女はブリキ製のマグカップに注がれたコーヒーに口を付け温度を確かめると、それを一気に飲み干す。香りと味を楽しむ優雅なティータイムなどではなく、その苦みとカフェインで朝の眠気を吹き飛ばし仕事に取りかかるためのもの。質実剛健で実直な軍人たるオリヴィエらしい一服であった。

 彼女はどこか呆れたように「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、その手にあった書類を興味もなさそうに丸めて足下の屑籠へと放り込んでしまった。それは何かの案内のようにも見えたが……。

 

「少将、マイルズです」

「入れ」

 

 執務室のドアがノックされると、扉越しにくぐもった男性の声が聞こえた。部屋の主の許可が下りると、ドアノブを捻り入ってきたのは1人の軍人の男。褐色の肌に、赤い瞳、その眼をサイドガード付きのサングラスで隠し、白い髪を全て結い上げ後頭部の高い位置で縛り、オールバックのように髪の毛をまとめている。オリヴィエの補佐を務める北方軍山岳警備隊の士官、マイルズ少佐その人である。

 

「中央より少将宛ての書類が」

「……ふん」

 

 マイルズから分厚い封筒を受け取ると、オリヴィエは少し鬱陶しそうに嘆息し、封筒の口を破る。中から取り出した資料を確認しながら必要なもの、緊急性の高いもの、そして無視しても構わないものをより分けていく。

 数枚の資料に目を通した彼女の手がピタリと止まった。それに気がついたマイルズ少佐がオリヴィエの手元を覗き込む。

 

「ああ、建国記念祭の通知ですね。もうそんな時期ですか」

「今し方、同じようなものを捨てたところだ」

 

 その書類には、何やら国を挙げての一大イベントの催しについて記載されており、それの参加を要請する書類のようだった。

 オリヴィエの言葉に思わずチラリと屑籠に視線を送るマイルズ少佐。

 

「父上が、夜の方に参加しろとな。軍人ではなくアームストロング家の長子として」

「なるほど。確かに夜は多くの名家の方々が参加されると聞きます」

 

 腕を組む少将がデスクチェアに大きくもたれ掛かりまぶたを閉じて鼻から息を吐く。どこか呆れたような困ったような、鬱陶しそうに、目の前に待機するマイルズ少佐にも聞こえないほどの声量で小さく零す。

 

「私に、……あいつ以外の誰と踊れと言うんだ」

 

 そっと開かれた切れ長の青い瞳が、眩い陽光に照らされる白んだ空を反射した。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「なんだかやけに賑やかなような……?」

 

 まだ日の高い中、中央(セントラル)には大総統府を後にするエルバの姿が見えた。遣いの仕事として中央へと顔を出していた彼だったがそれも片がついたらしく、休憩がてらセントラルシティ内を1人散歩していた。

 街の巡回も兼ねてしばらく彼がぶらついていると、いつもとどこか違う街の変化に気がついた。街のあちこちからいつもより活気づいたかけ声や、何かを建設するような釘打ちの音が聞こえ、いつも以上に鼻腔をくすぐる美味しそうな料理の香りが漂ってくる。その匂いに釣られるように歩みを進め角を一つ曲がると、一軒の小洒落た洋食屋さんが目に飛び込んできた、どうやらこのデミグラスのいい香りはそこから溢れてきているようだ。

 

「ああ、そういえば、もうじき建国記念祭か」

 

 その洋食屋の看板の横には『祝・建国記念祭特別価格!!』と派手な塗料でデカデカと書かれた看板が吊されていた。

 それを見てエルバも自然と心が高揚する。お祭り事の準備を見ていると思わず子供のように気持ちが弾んでしまう。

 

「ん? よー、エルバ! 奇遇だなこんなところで」

「あ、ヒューズ中佐。少し仕事で中央に寄ったところでして。中佐は……一体なにを?」

 

 エルバがお店の看板を見上げていると、通りの向こうから両手いっぱいに食材をの詰まった袋を抱えたヒューズ中佐が声をかけてきた。その様子に思わず怪訝な視線を向けてしまうエルバ。軍服ではなく普段着であるとこを見るに今日は非番のようだ。

 

「いやさ、なに、もうすぐ建国記念祭だろ? ここ、うちの(カミ)さんの知り合いの店でな、記念祭に向けた新しいメニューの開発に協力してんのよ」

「なるほど。記念祭はアメストリス中から人が集まりますし、稼ぎ時ですからね」

「あら、クライス大尉、久しぶりね」

「ご無沙汰しております、グレイシアさん」

 

 2人の会話を聞きつけたヒューズ中佐の妻、グレイシア・ヒューズが店の入り口から顔を覗かせる。明るいブラウンのショートヘアに温和な笑みを浮かべ、その香る色香にエルバも少し心が綻びそうになるが、そんな気配を見せようものなら隣のヒューズ中佐からどんな仕打ちをされるか、と紳士的に振る舞う。

 エルバが「ということは」と、体を横に倒しながら店の中を覗き込むと、何やら一生懸命に料理の準備を手伝う小さな女の子の姿が見えた。ヒューズ中佐の娘、エリシア・ヒューズ嬢のようだ。

 

「ああかわいいぃ! エリシアが一生懸命料理してるぅ!」

 

 両手を頬にあてがい体をくねらせながら身もだえるヒューズ中佐を尻目に店内へと入るよう促されるエルバ。彼が断ろうと申し訳なさそうに眉尻を垂らすと、ヒューズ中佐がその首に腕を回してくる。

 

「そうつれねえこと言わずに、お前も試作品食ってけよ」

「いや、しかし私はまだ職務中でして」

「こんなところふらついてんだから、終わったんだろ?」

「まだ報告が……」

「じゃあ上官命令だ。急な仕事って事で」

「……分かりました、仕事というのなら」

 

 観念したかのような深いため息をつくエルバだったが、店先を漂う香りに思わず腹が鳴ってしまう。「食事をとって体調管理するのもお仕事よ」と小さく微笑むグレイシアに恥ずかしげに頬をかく。

 ヒューズ中佐に引きずられるように店内へと連れ込まれると、彼らの姿を確認したエリシアがパッと明るい笑顔で駆け寄ってくる。エルバがその頭を撫でてあげている姿を見るに、彼とヒューズ家の親交は深いようだ。もっとも、ヒューズ中佐が妻子自慢したいがために何かにつけてエルバに構っているようにも見えるが。

 

「ところでお前さん、舞踏会の方には出るのかい?」

 

 グレイシアとエリシアが厨房で、グレイシアの友人というこの店のオーナーと思しき女性の手伝いをしている。

 試食係であるエルバと買い出し係の仕事を終えたヒューズ中佐は、店内の4人がけテーブルに向かい合って座り、休憩がてらコーヒーを片手に料理が出てくるのを待っている。ふと何かを思い出したかのように、ヒューズ中佐が右手に持つマグカップでエルバを差しながら尋ねる。

 

「舞踏会? ああ、建国祭の夜に行われるあれですか?」

「そう、あれだ。政府主催のパーティ」

「いえ、私は特に……」

 

 ヒューズ中佐の言葉にエルバは今の今まで忘れていたことを思い出したかのようにきょとんと返事を返す。眉尻を下げ肩をすくめる彼に、ヒューズは眼鏡の縁を親指と薬指で持ち上げながら嬉しそうに笑う。

 

「俺はグレイシアとエリシアを連れてホールの方まで行くぜ。軍関係者の特権ってヤツだ、普段仕事ばっかで家族団欒の時間を削って働いてやってんだ、こんな時くらい小せえ権力使わねーとな」

 

 家族の話をするヒューズ中佐を見て、どこか眩しげに眼を細め微笑むエルバ。「いいですね」そう相槌を打ち温くなりはじめたコーヒーを口に含んだとき、思わぬ言葉がかけられた。

 

「お前は舞踏会の方、あの氷の女王様と一緒に参加しねえのかい?」

「ッ……!」

 

 その質問に吹き出そうになるコーヒーを堪えるエルバ。気管にでも入ってしまったのかむせ返り激しく咳き込む彼を、向かいのヒューズ中佐はテーブルに頬杖をつき眺めていた。

 

「ッ……、……いや。……、少将はそういった催しに興味はなさそうですし、パーティは中央(セントラル)で行われますから、ブリッグズ砦を離れるわけには」

 

 テーブルに備え付けられた紙ナプキンを数枚取って口元を拭うエルバ。落ち着いたのか、淡々と応える彼にヒューズ中佐は面白くなさそうな顔を浮かべる。

 

「なんでえ、誘ってみりゃいいじゃねえか」

「私が叩っ切られますよ」

「女王様のドレス姿が拝めるかもしれないぜ」

「……」

 

 ヒューズ中佐の一言に思わず何かを想像するように黙り込んでしまうエルバ。

 

「……」

「それはそうと、今年の演習内容は聞いたか?」

 

 黒く揺れるコーヒーの水面を見つめながら物思いにふけるエルバに、ヒューズ中佐は小さく息を吐くと、背もたれに大きく寄りかかりながら何かを期待するように目を輝かせて尋ねる。聞こえていないのか、ぼーっとするエルバに「おい」と声をかけると、彼はハッとしたように顔を上げた。

 

「演習だよ、演習。記念祭の昼間の」

「ああ、軍事演習ですね。特に内容は伺っていませんが」

 

 建国記念祭、アメストリスの中央(セントラル)で行われるこの国一番のお祭りごと。昼には他国へ軍事力を見せつけるかのように軍事パレードや軍事演習が執り行われ、自国民への国力のアピールも兼ねそれは民間人も見学が可能なように一般公開される。

 建国以来、常に隣国や国内部での小競り合いの絶えないこの国での、国民のガス抜きのような役割も兼ねているため、催しは毎年お祭りのように活気立っている。当然国中から多くの人が中央(セントラル)に集まるため、商業施設や飲食店もかき入れ時となる。

 

「それに私はパレードの方に呼び出されていますから。パレードに参加する者は演習の方は免除されています」

「あー、そういや毎年パレード(そっち)だったな。今年の演習は面白えから、お前さんが参加するんなら見に行こうと思ったんだがな」

「……、一体何なんですか? 今年の演習内容は」

 

 つまらなさそうに口を歪ませコーヒーを一口すする中佐。すっかり冷めたそれに思わず唇をへの字に曲げる。

 エルバはそっとカップをテーブルに置くと、チラリと店内にかけられた時計に視線を送ってしまう。大した興味もなさそうだが話しの種にと尋ねた。

 

「まあいつも通りの火力演習が主だが、今年はイベントが一つ用意されてる。……中央と東西南北の各司令部が代表一名を選出しての実戦訓練だ」

「……また変な催しを」

「大総統が許可を出したんだとよ。“面白そうだからOK”だそうだ」

「……」

 

 額に指をついて思わず眉間に皺を寄せ、呆れたように目を閉じて小さなため息をつく。「よくもまあそんな演技を」という言葉を飲み込む彼の姿は、端から見れば総統の軽口に辟易する部下のようにしか見えない。ヒューズ中佐もそう感じたようだ。

 

「前にも東方司令部で焔の錬金術師vs鋼の錬金術師なんてイベントを大総統の鶴の一声でやったみてえだし。それが軍内部で意外と好評だったみたいだぜ」

「各司令部のプライドをかけた一大イベントですか。建国祭の公開演習の一環であれば一般人も当然見学可能でしょうし、ますます負けられない訳ですね」

「どこも国家錬金術師を選出するだろうな。お前さんが出ないなら国家錬金術師の力を一般人に見せつけて終了か」

「デタラメ人間の万国ビックリショー、ですね」

「お前さんも十分デタラメだ」

 

 中佐の冷静な一言を受け流すように手元のメニューをぱらりとめくったエルバが、何かに気がついたように顔を上げる。鉄板の上で弾ける肉汁の音と芳醇なデミグラスの香りが、厨房を覗き込む彼の鼻腔をくすぐり思わず鼻がひくつく。

 

「で、話し戻すけどよ、ダンスパーティーに少将殿は誘わねえのか?」

「……」

 

 そっぽを向くエルバに、頬杖をつきながら面白そうににやつくヒューズ中佐が再度質問する。その言葉に思わず半眼の横目で中佐の顔を覗き込むエルバ。しつこいですね、とその視線がもの申す。

 

「そんな顔すんなよ。俺はお前さんに幸せになってもらいてえのよ」

「……私に幸せなど……」

 

 建国祭の夜には中央(セントラル)にある国営の大ホールにてダンスパーティーを兼ねた立食パーティーが執り行われている。それは華やかで盛大、豪華絢爛に執り行われ、セントラルシティは一昼夜お祭り騒ぎとなる。

 軍関係者やこの国の有力者などが主な参加者だが、そのホールの周りや広場でも同様にダンスパーティーがはじまり、一般人も含めて一帯がお祭りの夜を楽しむ。

 ホール周辺には昼間からの出店などが並び続け、ゆらゆらと揺れるガス灯のネオンは舞台をオレンジ色に染め上げる。辺りに装飾されたイルミネーションは見るものの胸を高鳴らせ、どこかから聞こえてくる音楽はそこにいる者たちの心を躍らせる。

 そんな夜に異性をダンスに誘うということには、当然()()()()()が込められていることは明白だった。

 

「……」

「……ったくよ」

 

 自然とエルバの視線がコーヒーカップに落とされる。何を言うわけでもないが、その静かな彼に対して中佐も困ったような呆れたような、手のかかる子供の相手をするように、目を細めて小さく笑った。

 2人の間に沈黙が居座ったとき、厨房の方から幼い少女の声が聞こえてきた。

 

「パパ! おにいちゃん! どーぞ!」

 

 エリシアが2人のテーブルに置いたのはお皿に盛られたポテトサラダ。火を使うのは大人だが、ふかしたジャガイモと材料を一生懸命に混ぜ合わせたのはエリシアのようだ。その自信作を差し出して瞳を期待に輝かせる。

 

「エリシアの手料理でちゅかー! パパがぜーんぶ食べちゃうよー!」

「パパだめ! ふたりでたべて!」

 

 テーブルのお皿を持ち上げてそのままの勢いよく全部かき込もうとするヒューズ中佐。彼の上着の裾を引っ張りそれを食い止めようとするエリシア嬢。

 

「ありがとう、エリシアちゃん。頂くね」

「エリシアの手料理が……他の男に……?」

 

 俯きがちにブツブツと呟く中佐に苦笑いを浮かべるエルバ。ヒューズ中佐の眼鏡の奥で暗い瞳がギラリと研ぎ澄まされた。その腰に下げられた銃を引き抜き、鈍い金属音を立てて弾丸が装填される。

 

「食うなよ、食ったら撃つぞ。食わずにエリシアを悲しませても、撃つ」

「……どうしろと?」

 

 スプーンですくい上げたポテトサラダを途中で止め、呆れた顔を中佐に向ける。

 

「エリシアー」

「パパおひげくすぐったいー」

「エリシア、パパと一緒に踊ろうなー」

「うん! ママもいっしょー」

「もちろんだ、三人で行こうな!」

 

 目の前で娘に頬ずりをするヒューズ中佐と、眩しいほどの家族団欒。それを見ながらポテトサラダをすくったスプーンを思わず皿へと置いてしまい、何かを考え込むエルバ。

 

「少将の、ドレス姿……」

 

 口元を隠すように頬杖をつき、目の前のヒューズ中佐にも聞こえないほどの声量でエルバはぽつりと呟いた。

 その深い瑠璃色の瞳はテーブルの上の食事を映してはいるものの、その意識は遙か彼方へと飛んでいるようだった。美しい何かを想像するように、目の前の幸せな日常に自身と誰かを投影するように、その瞳が儚くも満足そうに細められた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 北の僻地、ブリッグズ砦。弱肉強食を掲げる、頑強にして強靱な一枚岩の拠点。

 エルバが中央での仕事と報告を終え、試食係という緊急の仕事もこなした後、砦に帰ってきたときにはすっかり日は沈み込んでいた。

 大粒の雪が降る曇天の空には星や月の姿も見えない。ファーの付いた北方司令部支給の黒いコートの襟首を掴み首元まで覆う。吐く息が蒸気のように白く煙るなか、エルバは砦の番兵と挨拶を交わし中へと入っていく。

 

「うー、寒い。余所に遠征すると戻ってきたときが辛いんだよなぁ」

 

 肩に積もった雪を軽く払いのけ、砦内を暖める地下施設の蒸気のぬくもりに縮こまった体を解す。交代制で24時間常に設備の点検を行う整備士達が、せわしなく辺りを動き回っている。それの邪魔にならないようそそくさと上階へ駆け上がるエルバ。

 すれ違う者たちと挨拶を交わしながら食堂へ辿り着くと、いつもとどこか違う雰囲気が漂っている気がする。

 普段はこの過酷な環境と山の向こうの大国ドラクマを相手に緊張の糸を張っている砦内だが、今日はどこか浮き足立っているように感じた。

 

「おお、帰ってきてたのか、エルバ」

「お疲れ様です、クライス大尉」

「ああ、バッカニア大尉にヘンシェル少尉。つい先程戻りました。お二人揃って食事ですか?」

 

 中央辺りの席に腰掛け食事を取る二人の人影。一人は熊を思わせる大きな巨体に機械鎧の右腕を備え付け、モヒカンのように頭頂部を残して綺麗に剃られた頭、後ろ髪は弁髪を思わせる長い三つ編みを垂らしている。鼻の下に伸びるナマズのような髭を汚さないように器用に食事をとっているのはバッカニア大尉。

 もう1人は金の短髪を撫でつけるようにオールバックにセットした、バッカニアほどではないが大柄で強面の男、ヘンシェル少尉である。

 

「なんだか今日は砦内が浮き足立っていませんか?」

「例の建国記念祭が近いからですよ。ブリッグズ(うち)は男ばかりで女性がいないに等しいので、みんな建国記念祭で縁がないかと落ち着かないのです」

 

 厨房に暖かいコーヒーを頼んでからエルバが戻ると、ブリッグズ内の様子に気がつく。気のせいかどこか上の空な者、髪型がいつもと違う者、逆に雑念を払うかのように黙々と仕事に打ち込む者と、違和感を感じる。わざわざ非番に街まで降りたのか、髪を染めている者もいた。

 彼の疑問にヘンシェル少尉は苦笑いを浮かべて説明する。普段は浮かれる暇もなく国境を守っている強固な一枚岩のブリッグズ砦、仕事一本硬派一筋と言わんばかりの連中だが、やはり多少なりとも思うところはあるらしい。

 この僻地においてはそういったイベントが仕事として合法的な、数少ない出会いの場となるのだ。なんなら普段の仕事よりも気合いの入っている者もいる。砦内はいささか色めき立っていた。

 

「悪かったわね、女性がいないに等しくて」

「あ、先生、いや、そういう訳では」

「先生はいつも通りですね」

「まあね。こんな時だけ気合いを入れたってすぐにぼろが出るものよ」

 

 ヘアバンドで髪を持ち上げている眼鏡をかけた色白の女性、先生と呼ばれ慕われるブリッグズ砦の女軍医である。休憩を終え医務室に戻るところでヘンシェル少尉の言葉がたまたま聞こえたのか、コーヒー片手に吐き捨てる。

 エルバの言葉にさも当然と言わんばかりに肩をすくめる。

 

「それに、女成分ならボスがいるじゃない」

「あんなおっかないのメスじゃねえよ」

「……」

 

 彼女の言葉に応えたのは後ろの席で食事をとっていた整備士。ここブリッグズ砦の機械鎧整備士をしている、自身の金髪が仕事の邪魔にならないよう額に巻いているバンダナが特徴の男、ベニー整備士。普段は無精髭を生やした彼だが、今日は綺麗に剃られている。

 彼のぼやきとも取れる一言に思わずその鋭い瑠璃色の瞳を向けてしまうエルバ。それに気がついたベニーは慌てて乾いた笑いで誤魔化した。

 

「全く、どいつもこいつも浮かれよって。もう少し緊張感を持って仕事をせんか」

 

 鼻をフンッとならし自慢の髭を揺らしながらバッカニア大尉が腕を組む。砦内の現状を快く思っていないようで、どこか不満そうだ。しかしそのバッカニア大尉の姿にエルバは違和感を感じた。

 

「あれ、そういえばバッカニア大尉、機械鎧を新調しました? いつものごついのと比べると随分スタイリッシュな腕ですね」

「……」

「しかもお洒落に彫刻(エングレーブ)まで刻んじゃって。実戦ではなんの戦術的優位性(タクティカルアドバンテージ)もないわね」

「なんだ、自分も意識しまくってんじゃん」

 

 エルバの質問に先生の辛辣な一言。呆れたようにぼそりと呟くベニーに思わず顔を伏せるバッカニア大尉。耳までさっと赤く染まり、どこか恥ずかしそうに見える。大熊の如き巨漢のそんな姿を見たベニーが思わず吹き出すと、「フンッ」とその大熊の一振りが彼を襲う。砦内に男の悲鳴がこだました。

 

「いてて……、でも建国祭が今年で最後なんて噂も聞いたけどな」

「建国祭が最後? そんなわけないでしょ、()()()()()()()()建国記念日はくるんだから」

「どこからの噂ですか? それ」

 

 バッカニアにどつかれた頭をさすりながらベニーが、これ以上余計なことを言って殴られる前にと、最近耳にした噂について話を逸らした。

 先生がこのブリッグズの気温にすっかり冷めてしまったコーヒーを一口すすり、呆れたように嘆息混じりにその噂を訝しがる。

 ヘンシェル少尉も、毎年行われている国を上げてのお祭りである建国祭が急に終了するなど信じられないと、肩をすくめながら噂の出所について尋ねた。

 

「さあ、知らねえけど、そんな話も聞いたってだけで」

「……ああ、そうか……」

 

 ()()()()()()()()()()()、エルバがポツリと呟いた。それは誰の耳にも届かなかったようだが、エルバは1人、心にぽっかりと穴が空いたような気がした。

 しばらく何もないテーブルを虚ろに眺めていたエルバだったが、音もなく、しかし力強く立ち上がる。その顔にはどこか寂しさや悲哀、葛藤と苦悩、様々な感情が見て取れたが、それらを覆い隠すように、決意めいたものが宿っていた。

 

「クライス大尉、どうかしましたか?」

 

 突然立ち上がったエルバに、ヘンシェル少尉がきょとんとした顔で尋ねる。バッカニア大尉や先生、ベニー達も見守る中で、エルバは何やら覚悟を決めたかのようにその唇を開いた。

 

「……少将を、ダンスパーティーにお誘いします……」

 

 真剣なその眼差しと低く重いその声色には、彼の決意が滲み出ているかのようだたった。

 

「「……うえぇっ!?」」

 

 エルバの呟きは周りで休息していた他のブリッグズ兵達にも聞こえていたようで、食堂内にいた全員の困惑と驚愕の声が重なった。

 彼がオリヴィエに対してそこまで積極的に動くことが珍しかったようだ。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「少将っ! 私と、……私と、ダ、ダンスパーティーに出て下さいませんか……?」

 

 善は急げと食堂を後にし、オリヴィエの執務室に駆け込むように現れたエルバ。普段落ち着いている彼がどこか焦ったように飛び込んでくるものだから、オリヴィエも思わずきょとんと仕事する手を止めてしまう。同室に居合わせたマイルズ少佐も表情こそ薄いがどこか驚いた様子。

 気がせいているように彼が開口一番、オリヴィエを建国祭のダンスパーティーへと誘う。いったい何の話しをしているのかと少し思考を巡らせたオリヴィエだったが、数秒の間を置いて何かに気づいたように、小さな嘆息と共に彼の提案を一蹴した。

 

「……ああ、建国祭の話か。……私がブリッグズ(ここ)を離れてどうする。国中が浮き足立つこんな時だからこそ我々国境を守備する者は気を引き締めねばならない」

 

 ほんの少し、誰にも気づかれないほど微かにだが、一瞬瞳の奥を輝かせたオリヴィエだったが、それを悟られまいと小さな溜め息と共に瞳を閉じて(かぶり)を振る。金色の絹のような髪がさらりと舞い、執務室の明かりに弾ける。

 チラリとエルバの表情を見ると、よほど急いで駆けつけたのか、息を整えながらまだ微かに肩を上下させていた。そんな彼の姿を見ていると断るのも心苦しくなり、思わず手元の資料に視線を落とすオリヴィエ。自身の気持ちを誤魔化すように、どこかぶっきらぼうに言葉を紡いだ。

 

「しかし少将、中央(セントラル)からも出席するようにと……」

「私が出ずとも北方司令部からは他の暇な連中が顔を出すだろう」

 

 話を聞いていたマイルズ少佐が口を挟むも、オリヴィエは手元の資料にペンを走らせながら淡々と受け応える。

 少し唇を結んだ後、オリヴィエは事務連絡のように口を開く。

 

「国内の有権者も多く参加する。キャスリンも父上と母上と共に行くだろうし、そっちに合流してやってくれ」

 

 チラリと覗くエルバの顔。その視線は執務室の床へと落とされ、微かに首も傾いている。沈んだ肩とは裏腹に拳はそっと握られていた。そのどれもが微かな仕草ではあったが、オリヴィエの目にはありありと彼の落ち込む姿が見て取れた。

 思わず眉間に微かな皺を浮かべて嘆息と共にこめかみを掻く。本意ではないものの自身の発言は事実だ、しかしエルバの表情を見ていると彼女もまたどうにも気まずい。もっとも、氷の女王はそんな気持ちを態度には表さないが。

 

「しかし、少将も働き詰めでしょう……」

 

 エルバの後を追って共に執務室へ来ていたバッカニア大尉が、見てられないとでも言うかのように、2人の間にそっと言葉を挟んだ。

 その言葉の真意を推し量るようにオリヴィエの鋭い視線がバッカニアを捉える。

 

「先日の、久しぶりのオフも結局は働いておられましたね」

 

 続くように、傍らに佇むマイルズ少佐も言葉を続ける。

 

ブリッグズ兵(我々)にも一応、順繰りで休暇はあります」

「何が言いたい……?」

 

 サングラスを右手の中指でくいっと持ち上げるマイルズ少佐。濃いレンズの奥の視線は見えないが、首の角度を見るにカレンダーを見ているようだ。

 オリヴィエの底冷えするような詰問が2人を問いただす。

 

「せっかくです、少将。息抜きがてら、たまの休みと思って建国祭へ行かれては?」

「私は十分に、必要な分は休息をとっている。それに指揮官である私がここを離れてどうする」

「普段も少将が中央の議会などに行かれる時など、ここを留守にされる際は我々だけでブリッグズ砦(ここ)の守備を行っておりますし……」

 

 そっと提案するマイルズ少佐にオリヴィエは淡々と応える。すかさずバッカニア大尉が援護射撃のように続けた。

 

「しかしだな……」

 

 なおも食い下がるオリヴィエに、マイルズ少佐は小さな笑みを浮かべ、バッカニア大尉は快活に笑いながら、共に胸を張り堂々と言い放った。

 

「真の主が不在でも動揺せず、一つの意思の元に動くことのできる巨大な一枚岩……それがブリッグズ砦」

「我々、あなたに育てられたブリッグズ兵にお任せ下さいや!」

 

 彼らの言葉にオリヴィエは今日一番の大きな溜め息を吐きながら椅子に深く腰掛け背を預ける。肘掛けに右肘を突き、額に手をあてがい目を閉じる。幾ばくかの逡巡の後、諦めたようにオリヴィエは左手に持っていた書類をデスクへと放った。

 

「……わかった。そこまで言うなら行ってやる。部下にここまで言わせておいて行かなければ、お前達に対する信頼も疑われかねん」

 

 これまでの一連の説得の流れを見ているしかできなかったエルバだったが、オリヴィエのその言葉にハッとしたように顔に光が差す。

 マイルズ少佐はニヒルに微笑み、バッカニア大尉はエルバの背中を叩いた。執務室の外で耳を澄ませていた他のブリッグズ兵たちも楽しげににんまりと笑い、室内に気づかれないように小さくハイタッチする。

 

「……ただし、ダンスパーティーで私をエスコートしたいのであれば条件がある」

「条件、ですか?」

「不服か?」

「いえ、何なりと」

 

 彼女の提案に気合い十分のエルバが間髪入れずに応答した。

 身を乗り出すオリヴィエがデスクに肘を突きエルバを指さす。

 

「今年の軍事演習の内容は知っているか?」

「はい、多少は。各支部から代表を選出しての実戦訓練だとか」

「そうだ。そして北方司令部からの代表はブリッグズ兵(うち)から出せと言われている」

「しかしブリッグズ兵(われわれ)は……」

 

 2人の話しを聞いていたマイルズ少佐は少し困惑したように意見をするも、「わかっている」と言わんばかりに右手でそれを遮ったオリヴィエが続ける。

 

ブリッグズ兵(われわれ)は部隊としての、軍としての戦力ではアメストリス随一だ。それは疑いようがない。だが、『個』の戦力で見た場合、国家錬金術師を擁していないうちの戦力、火力、制圧能力は低いだろう」

「……」

 

 その意見にマイルズも眼鏡を上げながら沈黙し、バッカニアも眉間に皺を寄せるも口は噤んでいる。2人ともオリヴィエに同意はするも快くは思っていないようだ。

 

「まあそれを承知の上で、ブリッグズ(われわれ)にデカい顔をされるのが癪に障る阿呆共が、恥をかかせるために手を回したのだろう」

 

 呆れた、と言わんばかりに腕を組みそっぽを向くオリヴィエ。小さな嘆息が聞こえたのは、マイルズとバッカニアもオリヴィエと同意見だったからだろう。

 

「つまり、条件というのは……」

「悪いが、元々はバッカニアにでも出てもらうつもりだった。個の戦闘力で見るならば、エルバを除けばうちでは最も高いだろう」

 

 その言葉にバッカニアも満更ではなさそうに頷く。

 

「だが、バッカニアがブリッグズ(ここ)の守備に当たるなら当日は残ってもらわねばな。……だからお前が参加しろ」

「……なるほど」

「お前が北方司令部、もといブリッグズ砦(うち)の代表だ。そしてお前がもし優勝できれば……、私の手を引かせてやる」

 

 挑発的に切れ長の青い瞳を細めてエルバを見つめる。そのどこか扇情的な艶めかしい視線に思わず生唾を飲み込みそうになりながら、エルバは力強い瑠璃色の瞳で真っ直ぐに見つめ返し、右の手のひらを胸に当てながら小さく頭を下げる。

 

「お任せ下さい。必ず勝利を少将に」

「あー、気合い十分のところすまないが、クライス大尉は当日パレードの方に参加するのでは?」

 

 マイルズ少佐が少し困ったように手を上げながら進言する。オリヴィエがチラリとマイルズを横目に確認すると、頬杖をついてエルバを見る。「どうするか選べ」と、その視線は訴えていた。

 

「パレードは建国祭の開始を告げる開会式のようなものですので、朝から執り行われます。なのでパレードに参加後、午後からの演習には間に合います」

 

 指を顎に当て思い出すように部屋の隅を見つめるエルバに、オリヴィエも満足そうに微笑んだ。

 エルバは念押しでオリヴィエに当日のスケジュールと、一緒に踊るための条件を確認してから執務室を後にする。バッカニアとマイルズもそれぞれ仕事へと戻っていく。

 皆が執務室を後にしたのを確認し、オリヴィエは何食わぬ顔でいそいそと、足下の屑籠から案内の資料を取りだし、デスクの上で皺を広げてそれを確認する。

 

「なに、パーティは夜18時より……? まずい、時間が……」

 

 ぶつぶつと呟きながら忌々しそうに爪を噛むオリヴィエ。デスクの端に置かれた外線電話を引っ掴むと、慌てた様子でどこかへと電話をかける。

 

「私です、オリヴィエです。突然ですが至急私のドレスの準備を……、ええ、そうです、父上。……はい、参加すると言っているのです。ええ、いえ、そんな時間は……。はい、ですから私のドレスを……はい、お願いします」

 

 どうやら電話の向こうは中央(セントラル)の自宅、アームストロング家だったようだ。受話器の向こうから聞こえたしゃがれた男性の声は父親のようで、その詮索に「まったく……」と思わず嘆息するオリヴィエ。

 受話器を置いた彼女がキョロキョロと辺りを見回し何かを探すように物色する。しかしお目当てのものは見つからなかったようで、少し考えてから自身のデスクの脇に据えられた軍刀を手に取る。少し鞘から抜かれたその美しい刃面に反射する自身を、様々な角度から確認して物思いにふける。

 軍刀を収めた彼女が手の甲に顎を乗せ数秒の沈黙の後、「ふむ……」と何やら悩ましげに自身の毛先のカールする前髪をちょんと摘まんだ。

 

「髪か……」

 

 しばらくの間、彼女はぶつぶつと呟きながら自身の体を見回していた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 建国祭当日。近年、この国で続く様々な血なまぐさい事件を忘れるかのように、中央(セントラル)は人々の笑顔と活気に溢れていた。

 晴れ渡る雲一つない晴天に大きな祝砲が放たれ、国を上げてのお祭りは開催された。

 大総統府の前の大通りを頑強ながらも威厳のある軍用車両が、指紋一つなく磨かれた真っ黒いボディの高級車両を取り囲むようにゆっくりと進む。

 その車には大総統や軍関係者、名のある国家錬金術師、そしてアメストリスの天剣と謳われる男、エルバ・クライスなどを乗せてまるで凱旋パレードのように華やかに突き進む。道の両側を取り囲むように市民が群がり、彼らを一目見ようと背伸びをして覗き込む。軍事国家であるこの国では、軍を賞賛する輝く瞳と、戦争に傾倒していく政府に不信感を抱く白い目の、両極端の視線が集まってくる。もっとも、その中には国家錬金術師のファンもいれば、天剣殿への黄色い声援なんかも混じっているようだ。

 

「……」

「クライス大尉、笑顔を」

「……」

「大尉っ……」

「……っ、あ、はい、申し訳ありません」

 

 彼の隣の軍上層部関係者が、上の空のエルバを肘で突く。大総統などが威厳を象徴するかのように厳格な態度で臨むのとは裏腹に、エルバの仕事は軍のイメージアップだ。英雄と賞される彼が笑顔で手を振ればそれだけで軍への印象は良くなるのだ。

 

「……」

「大尉ッ……!」

 

 もっとも、彼自身はこの後の演習のことで頭がいっぱいのようだ。

 彼の記憶の中では、国や軍のためではなく、ホムンクルスの指示でもなく、民を救うためでもなく、自身の望みを叶えるために剣を抜くのは、これが初めてのような気がしていた。

 眩しい陽光に照らされ、白くも見えるほど晴れ渡る青空を見上げて、眼を細めた。どうにも心が落ち着かなかったが、それがなぜなのかは分からなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「もうっ! あんたの旦那どこ行ったのよ、この忙しいときに!」

「ごめんなさい、どうしても見たい物があるんだって聞かなくて」

「それって、例の演習? でもあんたの旦那って軍法会議所の所属で演習には参加しないんでしょ? というか今日はオフなんでしょ!」

 

 建国祭を告げる凱旋めいたパレードがセントラルシティの大通りを縦断すると、街は一気に活気づく。辺りは香ばしい何かが焼ける美味しそうな煙りに包まれ、通りは車の通行が制限され、そこに置かれたテラス席では昼間からお酒を楽しむ人たちもいる。

 アメストリス中から押し寄せてくる人の波にセントラルシティ駅も朝早くからごった返し、駅から中央市街までの道のりは人の頭で埋め尽くされた。

 店主も祭りを楽しみたいのか、「建国祭休業」する店もある中、営業中の飲食店は目が回るほどの忙しさのようだ。ここ、マース・ヒューズ中佐の妻、グレイシア・ヒューズの友人が営む店もその例に漏れない。今日に向けて開発された新作料理と、店先で客引きをする可愛らしい3歳の女の子に釣られてお客さんは引っ切りなしだ。

 グレイシアも店を手伝うも人手は十分とは言えず、同じく手伝う予定であったヒューズ中佐も別のところへ顔を出しているようだ。

 

「ええ。参加はしないけど、『見とかなきゃ損だ』って」

「もう、なによそれー」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

『えー、お集まりの皆様っ! お待たせいたしました! 軍属の方はもちろん! 一般の方々も本年度の実戦演習は例年以上に必見!』

 

 セントラルシティ、中心街よりやや外れにある国有の軍事演習施設。普段は用途に合わせて様々な訓練に使用されているこの会場だが、今日はいつもと様子が異なる。

 競技場の中央には国家錬金術師の手により生成されたと思しき、大きな石畳のリングが。縦横2m程の石のタイルが四方に十数メートルと整列しており、正四角形の大きな『場』となっている。かつて焔の錬金術師と鋼の錬金術師がイベント的に戦った施設と比べると、規模も観覧席となる周囲も、何もかも何倍も規模が異なるほど大きな演習施設だ。

 普段は軍の訓練施設ともなり民間人の立ち入りは禁止されている施設だが、今日は一般市民の入場も認められている。今日ここで行われる「軍事演習」は一般にも公開されているからだ。

 そのため競技場の周囲にも様々な出店が立ち並び、軍人民間人を問わず会場に足を運んだ人たち相手に商いをしている。

 競技場内の客席を見渡せば出店で買ったであろう食べ物や飲み物を片手に見物に来た人たちで埋め尽くされていた。群青の軍服もあれば私服の民間人も、今日はオフながらも見に来た私服の軍人の姿も見て取れた。

 そんな会場全体に響き渡るようにマイク越しの大きなアナウンスが流れている。メインステージだけでなく、会場の至る所に設置されたスピーカーからも流れているようだ。

 

「よー、ホークアイ中尉にハボック少尉。制服着てるってこたぁ、サボりかい?」

「ども、ヒューズ中佐。人聞き悪いこと言わんで下さいよ。演習(これ)見学するのも仕事の内っすよ」

「ヒューズ中佐は私服と言うことは、オフなのにわざわざ?」

 

 観客席の最前列付近でコーヒーを片手にホットドッグを頬張るハボック少尉を見つけたヒューズ中佐が隣に腰掛けた。反対側にいたホークアイ中尉が身を乗り出すようにヒューズを見やる。2人とも軍服を着ているところを見るに、今日はオフではないらしい。

 ホークアイ中尉の言葉に、同じく買っていたコーヒーを一口すすってからヒューズ中佐は目を輝かせる。

 

「ったりめえだろ、今日の演習、見とかねえと損だぜ。国家錬金術師様同士のガチンコバトル、滅多に見られるもんじゃねえ」

「そっすよね! 男なら燃えますよ!」

 

 どこか子供のようにはしゃぐヒューズに対し、ハボック少尉も食べ終わったホットドッグの包みを握りつぶして応えた。ホークアイ中尉だけが2人を横目に小さく息を吐いた。それには「男の人というのは……」と言外に呆れているようにも見えた。

 

「それに、こんなカードもう二度と見られねえ」

 

 はしゃぐ子供のような笑顔とは打って変わってニヒルな笑みを浮かべるヒューズ中佐。

 頭に「?」を浮かべながら、その言葉の意味を尋ねるホークアイとハボック。そんな2人にとっておきの秘密を教えるように、ヒューズ中佐はちょいちょいと手招きをすると、体を傾け耳を寄せる2人にそっと囁いた。

 

「今日の演習、北方司令部の代表は、エルバだ」

「ま、まじっすか、それ」

「いつもパレードに出て演習には参加してなかったから、予想外ね」

 

 咥えたたばこに火も付けず手に取り、思わず聞き返すハボック。ホークアイ中尉も顎に手を当てて何やら考えているようだ。

 

「で、東方司令部の代表は? ま、ここにあいつの姿が見えねえあたり、察しはつくがな」

「ええ、まあ。お察しの通り、うちの大将っすよ」

「しかし、エルバ君……、クライス大尉が出るなら中央代表にされそうなものですが」

 

 この先の演習を想像してか、困ったように乾いた笑みを浮かべるハボック。その隣からホークアイ中尉が至って冷静に呟く。

 

「ああ、まあ一応あいつは正式にはブリッグズ砦、もとい北方司令部の所属だからな。中央(セントラル)の遣いはよくやってるけど」

「あっ……」

「……」

 

 顎髭を撫でながら青い空を見上げてホークアイの質問に応えるヒューズ中佐だったが、目の前の2人の視線が自身の後方へ向けられている事に気がつく。彼が後ろを振り向くよりも先に、そのハスキーがかった力強くも艶のある、()()()()()声がかけられる。

 

「一応とは何だ。やつは(れっき)としたブリッグズ砦(うち)の所属だが。何か問題があるのか?」

 

 そこには氷の女王、ブリッグズ砦の主、オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将が弟のアレックス・ルイ・アームストロング少佐と、数名のブリッグズ兵を引き連れて、腕を組み仁王立ちしていた。

 なぜこんなところにこの人が、という疑問が一同の頭を巡り反応が一瞬遅れる。しかし誰かが慌てて立ち上がり敬礼をすると、それに釣られるように皆が敬礼する。彼女たちの存在感はあまりに強く、そしてあまりに目立ち、周りの軍属関係者も次々とオリヴィエへと向き直り敬礼をする。また、オリヴィエの後ろに控えるブリッグズ兵たちも目の前の上官であるヒューズ中佐へと敬礼をする。

 彼女が軽く手を払い皆に礼を崩させた。

 

「今日はたまの休日だ。そう畏まるな」

 

 そう言ってヒューズ中佐から2席ほどの空席を空けて客席へと腰をかける。ヒューズ中佐も思わず零れそうになる「だったら軍服を着てくるなよ」という言葉を飲み込んだ。

 突然の少将の登場は無言の圧となり、再び沈黙が一同を包む。さっきまでなんの話しをしていたっけと思い出さなければならないほどの衝撃だったが、この沈黙を破るようにヒューズ中佐が少将へと声をかける。

 

「し、しかし、将軍閣下がなぜこんな客席に……? 少将ともなれば上の観覧席からゆっくりご覧になられるものかと」

 

 ヒューズ中佐が右手の親指で指したのは、観覧席中央上部、会場全体を見渡せる場所。座席もゆったりと並び、客席ほどごった返していない。現にこの演習を大総統や軍上層部はそこから見るようだ。

 

「あそこは気に食わん。息が詰まる。リングまで遠い。以上だ」

「ああ、はい……然様(さよう)で」

 

 ぴしゃりと言い放つオリヴィエは最早会話に興味をなくしたようにリングを見つめ、剣の鞘を地に突き、その柄の先で手を組む。威風堂々たる佇まいは自然と辺りに心身を凍てつかせるようなブリッグズの寒風を思わせる、気の抜けない空気感を漂わせる。

 そんな空気を察したようにアームストロング少佐がその輝く頭に汗をかきながら恐る恐る姉へと進言する。

 

「姉上、本日はせっかく休みを頂いたのです。軍服を脱がれては? 夜のパーティーの衣装の方も……ッ」

「アレックスッ、口が軽いぞ、少し黙っていろ」

「パーティー?」

 

 夜のダンスパーティーの件を口に出そうとするや否や、少佐のそのカールする僅かばかりの前髪がふわりと風に舞った。オリヴィエの剣先がアームストロング少佐の鼻先へと向けられたのだ。鞘こそ抜かれてはいないが、そのあまりの速さと威圧に口を噤み参ったと言わんばかりに両手のひらを向けるアームストロング少佐。

 

「あの、少将もしかして今夜のダンスパッ」

「少し、黙っていろ。そしてその苛立たしい薄ら笑いをやめろ」

「い、イエス、マム」

 

 少佐の言葉をしっかりと聞き漏らさなかったヒューズ中佐が思わず耳を大きくして反応するも、オリヴィエの鞘の切っ先が振り返り様にその鼻先へと向けられる。

 アームストロング少佐と同様に両の手のひらを見せて切っ先と距離をとるも、思わず頬はにやけそうになる。

 

「そもそも、私がパーティーに出るかどうかはこの演習の結果次第だ。場合によっては、演習が終わり次第ブリッグズ砦へと帰るだろうな」

 

 再び剣を突き手を組んだオリヴィエが嘆息混じりに瞳を閉じる。

 

「それはどういう……?」

「姉上はエルバ殿と約束をしておりまして、この演習にてエルバ殿が優勝すれば、彼と一緒にパーティーの方へ参加すると……」

 

 ホークアイ中尉の質問にアームストロング少佐がチラチラと姉の顔色を窺う。

 

「やつが私と参加したいと言ったのだ。代わりに私の要求の一つでも飲んでもらわねば」

「なにを要求したんで?」

「他の代表及び各司令部の鼻を明かしてやれ、だ」

「……あー、なるほどね……」

 

 “こちらの要求を全うすれば、一緒に参加してやる。”という上から目線の態度の裏に、彼女のプライドと本心が薄らとだが見え隠れしていることに気がついたヒューズ中佐はその場で一人苦笑いを浮かべる。

 なんにせよ、あいつが氷の女王を誘ったのなら良しとしよう、そうホークアイ中尉とハボック少尉へと目配せするヒューズ中佐に、2人も小さく頷いた。

 

『なお、本会場への入場に必要なチケット代ですが、こちらは今後の国家の繁栄、軍需の拡大、医療の推進、錬金術への更なる研究などなど、このアメストリスをよりよい国へと発展させていくために使用させて頂きますので!……――――』

 

 実況か司会進行役か、ステージ中央に立つ女性軍人の落ち着いたその声が会場にアナウンスを続ける。ろくに聞いている者もおらず、ざわつく観客席。開始時刻へと迫る頃、広かった会場が少し窮屈に思えるほどの人入りで観客席は満員となった。

 演習による民間人の見学者への被害を考慮し、最前列から数段は軍属専用の観覧席となっている。中央のリングを取り囲むように紺碧の壁が並んでいるかのようだった。

 

『本日の演習は各司令部からの代表選出された五名によるトーナメント形式の実戦演習となります! また、中央司令部代表者が決勝シードとなります!』

「中央だけ試合数が少ねえってことかよ」

「ちょっとでも中央(自分ら)が有利に進むようにですかね? 汚ったねえ」

 

 実況のルール説明に思わず愚痴をこぼすヒューズ中佐とハボック少尉。

 

『錬金術の使用はもちろん、武器装備の使用も許可されております! また観客の皆様には被害が及ばぬよう、前方観覧席は国軍関係者用としております! 万全を期してはおりますが、一般観客の皆様も十分にご注意頂きますようお願い申し上げます!』

 

 長々と前口上が続く。先程までまだ入場中の観客でざわついていた観覧席も落ち着きはじめた頃、司会の女性軍人がチラリと選手の入場口へと視線を送る。小さく頷く彼女の様子を見るに、ステージの脇から準備完了のサインが来たようだ。

 

『えー、皆様大変お待たせいたしました! それでは! 出場選手の準備も整ったとのことなので! これより第一試合をはじめさせて頂きます! 出場選手の紹介は入場時にさせて頂きます!』

 

 場を繋ぐのも大変だと困りはじめていた実況がパッと明るい表情でそう告げると、待ってましたと言わんばかりに会場は大いに盛り上がる。もはや会場の雰囲気は普段の重苦しく堅苦しい軍事演習ではなく、ただのイベントと化していた。

 

『では各代表選手の皆さん! 各々、日頃鍛えたその術と肉体っ、鍛錬の成果を思う存分に披露し! 互いにぶつけ合って下さい!』

 

 マイクを片手にバッと広げた右手が『東』と大きく書かれたゲートを指す。一同の視線がそのゲートの奥へと向けられる。

 

『第一試合! 選手入場! まずは東門へご注目! アメストリス国軍東方司令部代表! 女と錬金術の扱いは超一流! かつては歴戦の猛将にして今はクールなナイスガイ! ご存じっ、英雄と呼ばれるこのお人! 焔の錬金術師! ロイ・マスタング大佐の入場です!!』

 

 影となった通路の奥から軍靴のかかとの鳴る音が聞こえてくる。吹き抜けとなっている会場の陽光に照らされて、足下から徐々にその姿が露わとなっていく。

 ニヒルに微笑むマスタング大佐が軍服の首元を緩めながら入場する。良くも悪くも名の知れた彼の登場に観覧席からは大きな声援と、恨み節が聞こえてくる。

 純粋な声援と、主に男女関係のいざこざからの怨嗟の叫び、そして一部からは黄色い声援が飛び交う。石畳のリングへと上がったマスタング大佐が観客席へと手を振り、賛否両論のかけ声に応えていた。

 

「おーおー、流石はイシュヴァールの英雄。ロイの声援は大したものだな」

「ろくでもないかけ声もあるようですが」

 

 楽しそうなヒューズ中佐と呆れたように額に手をあて溜め息を漏らすホークアイ中尉。オリヴィエは手を組んだまま興味もなさそうに鼻で息を吐く。

 

『えー、続きまして! 西門にご注目!』

 

 リングインしたマスタング大佐に敬礼をした実況者が、マイクを持ち替え左手を広げる。手の先には『西』と大きく書かれたゲート。その奥から、先程と同じく軍靴(ぐんか)が硬いタイルを踏み奏でる音が聞こえてきた。

 

『アメストリス国軍北方司令部代表! 最早説明不要のこの男! 胸に煌めく“黄金柏葉剣ダイヤモンド付騎士鉄獅子勲章”の輝きは本物だっ! 氷の女王の懐刀! アメストリスの天剣こと! エルバ・クライス大尉の入場です!!』

 

 

 

 

 

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