薄暗い通路を抜けると、エルバの視界に目が眩みそうなほどの眩い陽光が差し込む。耳を劈くほどの大歓声が会場内に響き渡り、高い空へと吸い込まれていく。
「おお……、気圧されそうなほどの人の数ですね……」
“試合”という形式で闘うことなど今までになかったエルバ。観客席を見回して思わず声が漏れた。
実況者に手招きされるようにリングへと上がる。マイクに拾われないよう小声で実況の女性がエルバに声援へ応えるよう促す。エルバが困ったように少々戸惑いながらも、例年のパレードを思い出しながら観客席へと手を振った。
観客席から声援が上がるのはマスタング大佐の時と同じだが、どうも異なるのは、その声援の中に恨み節が聞こえてこないことだろうか。また、彼の声援にも黄色い歓声が聞こえてくるが、少しばかり、彼と比べて年上なお姉様方の声が多いような気がする。
それに反応するように観客席の一部から、大きな舌打ちも聞こえた気がして、ヒューズ中佐がいささか怯えているようだ。
「やあ、クライス大尉。こんなところで会うとは奇遇だな」
「ええ、そうですね。できれば会いたくはなかったのですが」
「いやはや、それは私も同意見だね」
両雄への歓声が鳴り止まぬ中、リング中央で言葉を交わす2人。困ったなと言わんばかりの2人だったが、その視線はいつもより鋭く絡み合う。
その間に立つ実況者が天に手をかざすと、少しずつ歓声は収まっていく。
『それでは2人とも開始地点へと着いて下さい』
そう促されたマスタング大佐は一言「お手柔らかに頼むよ」と言い残すと、エルバから距離をとり石畳に刻まれた目印へと下がる。
その言葉に何かを言いかけたエルバだったが、少し考え込むように口を噤むと、自身も開始地点へと下がった。
『それではアメストリス建国祭! 軍事演習実戦火力演習第一試合! 始めて下さいッ!!』
そのかけ声と共に掲げられた実況者の手が振り下ろされた。それを合図に会場に複数設置された大きなドラが内臓を震わせるほどの低く重い爆音を響き渡らせる。戦いの火蓋を切って落とすその合図に、再び観客席からは声援が飛び交い、雰囲気をより一層盛り上げるように音楽隊によるファンファーレが鳴り響いた。
「……悪いですが大佐」
「ん?」
開始と同時にエルバが大佐へと声をかける。不思議と辺りを包む歓声にもそれはかき消されなかった。
「今日の私は
「ほう……。嘗められたものだな」
懐から発火布で織られた特製の手袋を取り出すマスタング大佐。手袋の甲には錬成陣が記されている。
手加減という言葉にいささか目の色の変わった大佐が両の手を振り払うと、青白い漏電のような錬成反応と共に、その軌跡に緋色の眩い焔が追従する。そのパフォーマンスに観客席からの歓声は一層に盛り上がっていく。
焔を生み出す大佐に呼応するように、エルバも自身の腰に下げられた二振りの剣の内、軍支給の軍刀サーベルを抜刀した。刃を己の眼前に立て、刃面に反射するその深い瑠璃色の瞳には、僅かばかりの憤怒が見て取れた。
「イシュヴァールの英雄とアメストリスの天剣、これは事実上の決勝か」どこかから、そんな声が聞こえた気がした。
*****
「マジで火を自在に操ってるよ、すげー」
「ああ、とんでもねえや」
「なんだ、大佐のあれ見るの初めてか?」
観客席でハボック少尉の前に座っていた東方司令部所属の二人の軍人が思わず声を漏らした。知った顔だったのか、それに気がついたハボック少尉が声をかける。
「いったいどうやったらあんなことを……?」
「大佐の手袋は発火布っつー特殊なのでできててよ、強く摩擦すると火花を発する。あとは空気中の酸素濃度を可燃物の周りで調整してやれば……「ボン!」だそうだ」
「理屈はわかりますけど、そんな……」
「それをやってのけるのが錬金術師ってやつよ」
困惑する男達にどこか自慢げに答えるハボック少尉。
「信じられんな……あれが人間兵器と言われる国家錬金術師……」
「ああ……、人間じゃねえよ。あんなの錬金術師じゃないクライス大尉じゃ……」
男達の哀れみさえ含まれたその言葉に、今度はヒューズ中佐が声をかける。
「なんだお前ら、エルバの戦闘も見たことないのか?」
「は、はい。まあ、噂で聞く程度にしか」
「しかしどれも浮世離れしたものばかりで」
「……だとしたら、お前らが度肝抜かれるのは、エルバの方かもしれねえな」
楽しそうにニヤリと笑いながら自身の髭を撫でるヒューズ中佐。彼の言葉が聞こえていたのか、長い前髪に見え隠れするオリヴィエの口元も、微かにほころんでいるようだった。
*****
『おおっとッ、マスタング大佐! 先制のご挨拶だぁっ!!』
パチンと、何かが弾けるような乾いた音がした。それは決して大きくはない音だったが、ざわつく会場中に響き渡ったかのように、自然と観客は口を閉ざす。
ロイ・マスタング大佐が自身の右腕を突き出し、その指先を擦り合わせると、その発火布から微かな火花が飛び散った。それが
その指先に相対するエルバは静かにサーベルを掲げる。両手に持ったその剣を頭の裏にまで振り上げ、剣先は背後の床を指す程だ。
「なッ!?」
『うそぉッ!?』
思わず実況が仕事を放棄し、素のままに驚きの声を上げてしまう。マスタング大佐も自身の焔で膨張した熱風に前髪を吹きさらしながら、思わず眉間に皺を寄せる。
それは無理もなかった。全身の筋力を膨張させるかのようにその制服に詰まった筋骨を隆起させたエルバが、両の手にしっかりと握り込み振りかざしたサーベルを差し迫る焔の波へと渾身の力で振り下ろしたのだ。
左足を引き己の膂力を支える、右足は半歩踏みだし剣を振り抜く力をぶれさせない。そしてその剣先が光る鈍色の軌跡を描くほどの速度で振り抜かれれば、まるで
焔を斬った、そう錯覚させるような目の前の光景に観客さえも開いた口が塞がらない。「んな、ばかな」誰かが呟いた言葉が皆の心の声のようだった。ただ1人その光景に口元を綻ばせるのは、やはり氷の女王その人だけだった。
「……
「……」
半ば呆れたように半笑いに呟くマスタングに、黒煙を背に静かに佇むエルバの撫でつけられ整えられた黒髪が僅かに綻び熱風に揺れる。その瑠璃色の瞳は彼にしては珍しく、勝利に固執しているかのように爛々と怪しい光を湛えていた。
「焔を、斬ったんですか、今……」
観客席ではハボック少尉の前に座る軍人がひねり出すように声を漏らす。こちらも半ば信じられないかのようにタバコをくわえたまま吸うのを忘れているハボック少尉に代わって、ヒューズ中佐が面白そうに口を開く。
「
「その四散した空気に焔は追従してクライス大尉の四方へと霧散していった、というところでしょう」
落ち着いた口調で続けるのはホークアイ中尉。顎に手を当てて冷静に推察する彼女にハボック少尉が思わず突っかかる。
「いやいやいやいや、理屈はそうかもしれませんがね中尉、そんな無茶苦茶な」
「その無茶苦茶をやってのけるからアイツは
目を細めて呆れたように笑う中佐が肩をすくめてハボック少尉を宥めるように言い聞かせる。
納得いかないように「いや、でも」と続けるハボック少尉の声は、ようやく目の前で繰り広げられた出来事の理解が追いついた観客の歓声でかき消されてしまった。
*****
ぐっと身を屈めたエルバが「挨拶は終わり」と言わんばかりに、サーベル片手にその俊足でマスタング大佐へと疾風の如く駆けだした。
弾丸が弾けたかと思うほどの踏み込みと、瞬きする間に視界から消えてしまいそうな加速。しかしそれに反応するはマスタング大佐。彼が眼前へと迫りその剣の射程圏内に入る前にと、右手を振りかざし発火布を擦り合わせるために指を鳴らそうとする。しかしエルバはそれを許さない。いくら彼でも
駆け抜ける勢いそのままに右足を軸に体を翻す。走ってきた力をそのまま回転力へと乗せ、その場で身を屈めてくるりと回る。その回転に合わせるように剣先を石畳へと斜めに薄く這わせると、刃先は石畳を削り取り、その剣速に弾かれるように飛散した細かい瓦礫は散弾の如く
「ぐっ……!」
被弾したところで大した被害はないものの、顔面へと飛ばされる飛礫に思わず視界を狭めてしまう大佐。エルバの目的は視界を奪うことにあった。
「嘗めるなよッ……!」
「っ!?」
一瞬の隙に大佐の懐へと飛び込もうとするエルバだったが、大佐は飛び込んでくるエルバを牽制するように腕を振り抜き自身の周囲、その足下へと焔を叩きつけた。あわや直撃するところだったエルバは自身の脚に力を込めると飛ぶように後退し、大佐との距離をとる。
「大人しく一本取られて頂きたいのですが……」
「残念だが、私にも
屈めた身を起こすエルバが自身とサーベルに纏わり付く黒煙を振り払うように剣を振り抜き、眼前へと構える。その刃面には体に付いた土埃をはたく大佐の姿が反射する。
「だから、次は少々、
まるで自身を抱きしめるかのように両腕を交差させる大佐。その口元を隠すようにクロスする両腕の向こうに見える瞳が挑発的に細められる。
一際大きな乾いた音がしたと思えば、大佐の両腕は振り下ろされ、その両手からは先程よりも数倍はあろうかという爆炎が膨らみ燃え上がる。
焔の砲弾のような一撃がエルバの眼前へと差し迫る。一瞬その火力と自身のほどけた前髪をふわりと持ち上げる熱風に目を見開いたエルバだったが、即座にその瞳は冷静さを取り戻す。
彼が目にも止まらぬ速さでサーベルを数度振り回す。光る鈍色の剣先が彼の足下を幾本か駆け抜けた。すると即座にエルバは自身の眼前の石畳へと剣を突き刺し、その膂力を持ってして引き剥がすかのように石畳を持ち上げる。先程の剣撃は石畳を自身の体を隠すくらいの程よい大きさへと切り抜いていたのだ。
「ぐッ……熱ッ」
まるで質量のある重量物がぶつけられたかのように激しい焔の一撃がエルバの跳ね上げた石畳へと衝突する。石畳の裏にいるエルバが影に飲まれるほど眩い焔が石盤の周囲へと四散していく。
石畳の表面は焼きすぎたトーストのように真っ黒に焦げ黒煙をもくもくと湛え燻るも、その激しい一撃をなんとか耐えてくれたようだ。
周囲が焔の閃光と黒煙、燃えて飛散する細かい瓦礫と、熱風に巻き上げられた土煙に視界を防がれる中、真っ先に動いたのはエルバだった。
黒く焦げた石盤が倒れる前に、それを後ろから渾身の脚力を込めた回し蹴りで前方へと蹴り飛ばす。その一撃にいくらか砕けた石盤だったが、それでも十分に大きな瓦礫が黒煙と土煙をかき分けながらマスタング大佐へと飛来する。激しく煙る中で一瞬反応に遅れた大佐だったが、前方から迫る轟音と煙の向こうに微かに見えた何かの影に体はすかさず戦闘態勢を取る。
その影が何かは分からないが、マスタング大佐は再び振り構えた右腕を振るった。その激しい焔が迫る影と衝突する。人体であればひとたまりもない火力だが、そこには
三度の衝突、マスタング大佐へと迫っていたその大きな瓦礫は、彼に達する前に灰と化し、その眼前で焔と共に弾けるように爆散する。
飛び散る火花と千切れた焔。さあ牽制は潰したぞと、マスタング大佐は再び右手を締め発火布の準備を整え、右腕を振り上げ構える。次に来るであろうエルバへと警戒を怠らない。
真上から照りつける正午の太陽が大佐の影を黒く濃く足下へと映し出す。周囲に蔓延する爆煙の影もまた薄灰色に石畳に広がっていく。視線を泳がせ神経を研ぎ澄まし、辺りを警戒していた大佐の視界の足下にふっと、黒い影が映り込んだ。
「後ろかッ!」
即座に踵を返し、無駄な動作を削ぎ落とした俊敏な所作で振り返る焔の錬金術師。振り向きざまに力の込められた右手の発火布からは、青白い漏電のような錬成反応が円の軌跡を描く。
「……ッ!?」
そこにいたのは確かにエルバ・クライス大尉その男だった。大佐の後方で膝を曲げ、腰を落とした彼が軍刀サーベルの切っ先を下方から大佐へと向け構えている。
だが、エルバが突くが速いか、マスタングの焔が速いか、
腰を落とし構えるエルバと、右腕の錬成を構えるマスタングの間に、何かが降ってきたのだ。とっさに目の前を縦断する
「しっ、手榴……ッ!?」
それはエルバの用意していた虎の子の一撃。自身の後ろ腰に差していた一発の柄付手榴弾だった。マスタングの視界に広がるのは落下していく手榴弾と剣を構えた
即座に視界内の情報を把握する。落下していく手榴弾の安全装置は外されていなかった。しかし、このまま構えた右腕の焔を振るえば、己の焔が手榴弾を飲み込み大惨事は免れない。それほどの威力があることは自身が一番よく理解している。かといって迎撃しなければ天剣の刃にやられる。
マスタング大佐が下した結論は、咄嗟に空気の錬成を変更し、手榴弾を避けるようにその左右の空気を調整する。そうすれば焔の軌道は手榴弾を避け左右両側からエルバを飲み込むはずだ、と。
「……ッ!」
しかし、そこまでの判断を下すのにかかったほんの僅かな瞬間は、
思わず心臓が激しく大きく、どくりと脈動する。己の首筋へひやりと冷たい金属の、無機質な感触がした。
「……っ……」
下方から迫るエルバの神速の突きは、的確に、正確に、
そして手袋を貫いた剣先はそのまま大佐の首元、左頸動脈すれすれを通り過ぎ、大佐の襟足を僅かに散らせる。ひたりと、冷たい金属の感触が首元へとあてがわれた。
両手で構えていた剣から左手を離し、落下する手榴弾を受け止めるエルバ。右手の剣を対象へとあてがい、だらりと垂らした左手に手榴弾を掴むその姿は、天剣と呼ぶにはあまりに黒く恐ろしく、その深い瑠璃色の瞳は目を合わせた者を萎縮させ動けなくなるほどに鬼気迫る物があった。
「……お、おぉ……」
「勝負あり、ですね、大佐」
思わずうめき声にも似た感嘆の声を絞り出す大佐。
首元の冷たさは、少し、ほんの僅かに力を込めて引き抜けば、その刃が己の首筋を切り落とすことを大佐の頭に容易に想像させる感触。
ここで即座に左手の発火布を弾いて爆炎を巻き起こそうか。いや、この男はそれを許さない。こちらが指先の筋一本でも動かせば先にこの首を跳ね飛ばすだろう。そう思わせるだけの力量と雰囲気と、経歴が彼にはある。額に一筋の冷や汗を垂らしながらそんな事を考えるマスタング大佐。
演習とは思えないその気迫に、困ったように苦笑いを浮かべながら、焔の錬金術師はその手を上げた。
「参ったね、これは……」
*****
「いやはや、今日の君は鬼気迫る物があったよ。完敗だ」
「なにを。言った通り最初から本気の火力でこられていたら、私もひとたまりもなかったですよ」
会場を後にした2人が選手控え室で言葉を交わす。
認識が追いつかない程の激しくも一瞬だった2人の攻防に静まりかえっていた会場だったが、実況兼審判がマスタング大佐の降参を確認すると、手を空にかざして高らかにエルバの勝利を告げた。
その宣言に会場は一気に歓声に包まれた。マスタング大佐を激励する声やエルバへの賞賛、マスタング大佐への恨み節とエルバへの感謝の声。そして大佐の敗北を慰める黄色い声援と、エルバの勝利を褒め称える黄色い声援。
会場に試合の幕引きを告げるドラの音とファンファーレが鳴り響く中、2人の英雄は舞台を後にした。
「しかし、どうしてそこまでこの試合に固執しているんだ? 君らしくもない」
不思議そうに肩をすくめ尋ねるマスタング大佐を一瞥すると、エルバは少し視線を泳がせてから、零すように言葉を紡いだ。
「今年を逃したら、来年はどうなっているか、わかりませんから……」
「?」
意味深な彼の言葉に大佐は頭に「?」を浮かべてしまうのだった。ただ、先程までの鬼気迫る気迫の込められた天剣の瞳とは思えないほどに、その遠くを見つめる視線はどこか不安げに揺れているような気がした。
*****
「いやー、しかし驚きですね。勝っちゃいましたよ、大尉」
雨でもないのにマスタング大佐が負けてしまった事実に、思わず驚嘆の声を漏らしてしまうのはハボック少尉。いつの間に買ってきたのか、その手にはおかわりのホットドッグとコーヒーが握られている。
ホークアイ中尉は困ったように瞳を閉じて小さく溜め息を吐く。右手を額に当てやれやれと言わんばかりに首を振った。
オリヴィエは満足そうに手を剣の上で組んだまま小さく鼻を鳴らして微笑んでいた。
「しかし、最後のあれ、手榴弾持ち込むってどうなんですか?」
ハボック少尉の前に座っている軍人が様子を窺うように苦笑いを浮かべながら後ろのハボックへと振り返る。ハボックが「んー……」と何かを言いたげに思考を巡らせていると、その横にいたヒューズ中佐がからかうような、呆れたように笑った。
「そりゃ個人が携帯できる武器兵器の持ち込みはOKってルールだからな」
「いやでも大佐は丸腰ですよ?」
その一言にキョトンとしてしまう一同。ヒューズ中佐が心底おかしそうにひとしきり笑った後、ニヒルな笑みを浮かべて男に問いかけた。
「じゃあ聞くがお前さん、さっきの試合を見て、剣一本と手榴弾一個でロイと勝負してみるかい?」
「いや、それは……」
先程の焔の錬金術師の妙技を思い出し、慌てて両手と首を振る男。
「俺だって嫌だね、戦車を渡されたってゴメンだ。国家錬金術師ってのはただそれだけで数多の武器兵器に匹敵する。それを剣一本と爆弾一発で制したんだ。ほんと、デタラメ人間だよ」
リングを見ながらぼやくヒューズ中佐に釣られるように男も視線を向ける。黒く焦げ炭化した石畳は、未だに緋色に燻っている。ゆらゆらと焦げ臭い黒煙を見ながら、男は己と次元の違う、己の想像や常識とは別の所での話しなのだと理解し、呆然と体から力が抜けるのを感じた。
*****
『それではお待たせ致しました! ただ今より第三回戦! 勝ち上がってきた北方司令部代表と南方司令部代表との試合となります!』
第二回戦は南部と西部の戦いとなったが、南部代表が勝ち進んだようだ。三回戦、南部代表と戦うエルバだが、南部と西部の試合の間、1人休憩していたためそれぞれの代表をまだ見ていない。
係の軍人に呼び出されて、一回戦と同じく実況の呼び声と共に会場へと入場すると、興奮冷めやらぬ観客からは一回戦以上の歓声が上がった。
「ああ、あなたでしたか、南部の代表は」
試合が終わるたびに国家錬金術師が会場の石畳を修復しているようで、リングインするエルバの足下はすっかり綺麗に補修されていた。
中央付近に立つのは実況とエルバ、そして南部の代表、バルマ中佐という男だった。
褐色の肌は生来のものではなく、南部の厳しい陽光に照らされて焼けており、微かに見える軍服の首元などは少し色が薄い。微かに赤毛の混じったブラウンの髪は多少乱雑ながらも視界を邪魔しないように短く切りそろえられている。身長は体躯の良いエルバと比べて一回り小さいながらも、その肉体が屈強に鍛えられているのは軍服の上からでもよく分かる。
しかし何よりも目を引くのは、その整った容姿を台無しにしてしまうほどの、顔面のほぼ半分を覆い尽くす酷い火傷の跡だった。目こそ見えてはいるのだろうが、肌は焼け爛れ色素は変色し、一般人からはいささか見るに堪えないものだった。
「はい、准将のご指名ですので。……
小さく会釈する姿、階級的に下官であるエルバに対する丁寧な言葉遣い。それだけでその男、バルマ中佐の人となりが分かるようだった。
だからこそエルバも柔和な笑みで彼に声をかけたのだ。しかし、バルマ中佐の口から「灼陽の女王」という言葉が出てくると、エルバが困ったようにその半眼の視線を泳がせてから小さなため息を吐いた。
「ベネルト准将には何度も丁寧にお伝えしているはずです……。上の指示があれば南へ行きますが、私の意思で北を離れるつもりはないと」
「私も、准将からよろしく伝えるよう、言われただけですので」
気さくに微笑むバルマ中佐だったが、その瞳の奥には僅かに、ほんの微かな意思が見え隠れしていた。
*****
「おっと、クライス大尉の試合には間に合ったかな」
「あれ、大佐」
観客席のヒューズ中佐やハボック少尉達の元に、少し急いだ様子のマスタング大佐が合流したのは、エルバとバルマ中佐がリング中央で言葉を交わしている時だった。
「大佐、試合が終わってからなにしてたんですか」
「負けたのが悔しくてトイレで泣いてたのか?」
「そんなわけないだろう。なに、私を慰めたくて仕方ないと言う女性が多くてね、少しばかりファンサービスをしていただけさ」
「……」
「あ、ちゅ、中尉もいたのか。ははは、奇遇だな」
ヒューズ中佐のジョークに噛みつきながら、大佐はかいてもいない汗をわざとらしく拭いながら自慢げに話す。その言葉を聞いたホークアイ中尉は静かに大佐を見つめていた。なにを言うでもないが、その目は口以上にものを語っているかのようだった。
「この軟派な男が代表とは、東方司令部の底が知れるな」
「げっ、アームストロング少将⋯⋯も、いらしたのですね……。相変わらずお美しいですね、クライス大尉がうらやましいですよ」
「……」
一瞬顔をこわばらせるも、息をするように女性を褒めるマスタング。彼の言葉に睨みをきかせるオリヴィエの目もまた、口ほどにものを言っているかのようだった。
「おい、それよりロイ、さっきの南部と西部の試合見てなかったろ。すげえぜあの南部代表の
「ん? おや、これは……、珍しい顔を見たものだ」
「なんだ、知ってんのか」
ヒューズ中佐がリング上のバルマ中佐を指さすと、それに釣られてマスタングも視線を送る。バルマ中佐の姿を見たマスタング大佐が驚いたように自身の顎に手を当て目を見開く。
「
記憶を辿るように視線を上空に泳がせるマスタングだったが、何かを思い出すと、少し得意げにそのニヒルな笑みをヒューズへと向ける。
「しかし、面白い錬金術を使うだろう、彼は」
「なんだ、そこまで知ってんのかよ」
「ああ。彼は、
「
聞き慣れないマスタングの言葉にホークアイ中尉が思わず聞き返す。ヒューズ中佐も興味深そうにマスタングを見やるも、オリヴィエだけがどこか不愉快そうにその眉間に皺を寄せる。
腕を組みヒューズ中佐の隣に腰掛けるマスタングが記憶を辿るように、時折オリヴィエの顔色を窺うように横目に彼女を見ながら、視線を泳がせる。
「南部、アエルゴとの国境戦線の指揮を執る南方司令部所属のイザベラ・ベネルト准将。その軍人としての手腕と功績から、北のアームストロング少将が
「……ふん……」
「その、北と南の女王様の片腕同士がやり合うって訳か」
不愉快そうに鼻を鳴らすオリヴィエの様子をチラリと覗き込んでから、ヒューズ中佐は肩をすくめる。
「実力は折り紙付きだろう」
「見物だな」
顎に手をやり、リング中央の2人の男を見ながら興味深そうに呟くマスタング大佐に、全員の視線が釣られる。ヒューズはニヤリと笑い、その眼鏡は怪しく光っているかのようだった。
まだ高い日の光が会場をじりじりと焼き付ける。
*****
『それでは第三試合! 開始ですッ!!』
実況者が掲げた手を振り下ろすと、開幕を告げる激しいドラの音とファンファーレが鳴り響いた。
ボルテージの上がった会場の観客からは怒号にも似た歓声と声援が飛び交う。
「フッ……!」
そんな会場の雰囲気などどこ吹く風で、開幕早々に動き出したのは南方司令部代表、バルマ中佐からだった。彼がぐっと腰を屈めて踏ん張りをきかせ、後ろに回した両の手で後ろ腰から投擲用のスローイングナイフを抜き取ると、その抜き取った勢いそのままに両腕を振り抜いてエルバへと投げつける。
鍛え抜かれた腕と肩の筋力に、使い慣れたその武器の洗練された動作、短く吹かれる呼吸は腹筋を締め体幹をブレさせない。絶妙に効いた手首のスナップはより一層刃物に勢いを付加する。
しかしエルバもまた開幕と同時に己の左手で軍用サーベルを持ち上げ、右手は柄に手をかけ抜刀の姿勢に入っていた。飛来する2本のナイフの軌道を、抜刀した一閃の斬撃で叩き落とす。
金属のぶつかり合う激しい音が
己の方が
バルマの戦術には迷いがない。エルバとの距離を詰めながらその
「おッ……と」
エルバの顔面を掴みかかるように突き出された右手の平に警戒するエルバは、その手に捕まれまいと咄嗟に上体を反らす。
空を切ったバルマ中佐の右手からは青白い漏電のような錬成反応、そして皮の焼け焦げる匂いと白い煙が、その振り抜かれた手の軌道上に立ち上る。
しかしその右手も囮、本命の左手が体を仰け反らせた状態のエルバへと襲いかかる。こちらもまた薄手の黒皮の手袋に包まれており、その手に錬成反応が起こるやいなや、力が込められ微かに曲げられた指関節からギシギシと何かの軋む音が聞こえ、手に纏うように白い
上体を反らしたエルバにもう一歩踏み込んだバルマ中佐が、左手の掌をエルバの体へと叩きつけるかのように、上から下へと振り下ろす。しかし彼の目に映ったエルバの表情、その眼には恐怖も驚愕もなく、ただただ凍える程の冷静さと燻されるほどの憤怒が見えたような気がした。
「ッ……!?」
思わず背筋にぞくりと冷たいものを感じたバルマ中佐が振り下ろしかけたその左手を咄嗟に引いた。
その刹那、バルマの視界を鈍色の一閃が薙いでいった。それがなんなのか理解できたのは、自身の短い前髪がふわりと風圧に揺らされ、その毛先がはらりと眼前を舞ったのを確認してからだった。
過ぎ去ったのは、不安定な体勢からも横一線に振り抜かれたエルバの刃だった。あのまま腕を振り下ろしていたら、己の手が相手に触れるよりも速く切り落とされていただろうことは容易に想像がついた。
一度止まってしまった開幕の奇襲、このまま戦い続けるのは不利だと、バルマ中佐はエルバから距離を取る。エルバもまたそれを追撃することもなく、逸らされた自身の上体を逆再生のようにぬるりと起こした。そして一度剣を振り払ってからその刃を己の眼前に立てる。
「……腕一本、容易に取られるところでした。剣を持ちながら空手の私より速く振り抜くとは、なんと速い剣捌き」
「流石にその
「……恐縮ですよ、天剣殿……」
エルバの言葉に自身の前髪にそっと触れるバルマ中佐。刃を立てていないにも関わらず、この短い毛先を散らせたのかと。その想像を絶する剣速に思わず冷や汗が頬を伝う。
『まずはバルマ中佐の速攻から始まった三回戦ッ! 実況する間もありませんでしたが、苛烈な攻防が繰り広げられておりますッ!』
実況のアナウンスに会場から再び大きな歓声が上がった。そんな歓声を気にもとめず、エルバの深い瑠璃色の瞳はバルマの手を捉えて放さない。先程の攻撃から想像するに、その手が相手の攻撃手段であることは明白だった。
その視線に気がついたバルマ中佐が、己の右手につけている焼け溶けたかのようにボロボロとなった手袋を脱ぎ捨て、その掌をエルバへ見せつけるように突き出す。
重苦しい鈍色の鋼の手が突き出された。拳そのものを武器として使用することを想定された頑強な造りながらも、装着者の動きを極力邪魔しない軽量さ、相反する二つを絶妙な塩梅で兼ね備えた機械鎧。素人目にも傑作だと分かるほどだ。
その機械鎧の内側には錬成陣が刻まれているのか、内側に刻みきれなかった刻印が僅かに外側にも漏れ出していた。
「私の体に刻み込んだ錬成陣です。お察しの通り、こちらの手もあります」
左の手を振りながら話すバルマ中佐。しかしそれ以上を語らないところを見るに、具体的な錬金術の内容について教えるつもりはないらしい。
「しかし機械鎧は右手だけのようで」
「……」
「重心が僅かに右に寄っているように見受けられましたので」
「本当に、良い眼をしていますね……」
エルバの観察眼に鋭い視線を送るバルマ中佐。そんな彼に対してエルバも微かに眼を細め、剣の刃面に鋭い眼光を反射させながらバルマの錬金術に対して考えを巡らせていた。
*****
「熱?」
「ああ、そうだ。バルマ中佐の錬金術は熱に関係している」
「確かに中佐の手袋が焼けてるみたいでしたけど、大佐と同じ感じですか?」
観客席ではマスタングがバルマ中佐の錬金術の正体について解説を行っていた。錬金術師ではないハボック少尉やヒューズ中佐はもちろんのこと、数席離れた位置に座るオリヴィエもまた興味深そうに聞き耳を立てていた。
「いや、私のものとは異なる。私は焔を、正確には酸素濃度だが、それを操作した結果熱が発生するだけだ。だが彼の錬金術はその手に刻まれた錬成陣で触れた対象そのものの熱量を操作する」
「はー、ほんとデタラメ人間ばっかだな」
「食い物暖めるのに便利そうっすね」
「大佐、他の錬金術師の錬金術について口外してもよろしいのですか?」
ホークアイ中尉の言葉に少し困ったように笑うマスタング。
「確かに、中尉の言う通りあまり他人の錬金術についてべらべらと話すものじゃないが、こんな場に出てきて披露しているんだ、多少は構わんだろう」
それに、と続けるマスタングの表情が微かに曇ったかと思うと、困ったように肩をすくめて短くため息を吐いた。
「私にも理屈はさっぱり分からん」
*****
「灼陽の女王……ベネルト准将が貴方に執着している事は、私が南部に派兵された頃から存じております。そして貴方が今は氷の女王ことブリッグズ砦のアームストロング少将の懐刀と呼ばれることも」
「……それが、なにか?」
バルマ中佐は左手の手袋を外しながら呟く。その左手は確かに生身の人間の手をしていたが、元の肌が見えない程に深く傷つき酷い火傷のような凍傷のような古傷がいくつも見て取れた。
突然の彼の言葉にエルバも一瞬きょとんとしてから聞き返す。
両手の手袋を外したバルマ中佐が、準備運動をするかのように何度か両の手の指を開いては握り込む。
「ベネルト准将もアームストロング少将も節穴などとは思っておりません。事実、貴方は黄金柏葉剣ダイヤモンド付騎士鉄獅子勲章を授与されている。……だからこそ、直接知りたいのです。アメストリスの天剣、それがどれほどのものか、体感してみたいのです」
「……光栄ですが、ご期待に添えるかどうか……」
「どうか、私が納得するまで、その腕前を見せて頂きたい……ッ」
それだけ言うとバルマ中佐は再び駆けだした。
エルバは焦ることなく落ち着いた様子で、チラリと足下に落ちているナイフを確認すると、抜刀している剣先をナイフへとあてがいくるりと回しはじめる。何回転かの後、剣先ですくい上げるようにナイフを持ち上げ、回転の勢いを乗せそのナイフをバルマ中佐へとまるでラケットでボールを打つかのように、弾くように投げ飛ばす。
しかしバルマ中佐の脚は止まらない。駆け抜けながら自身の金属製の右手の平を突き出し、飛来するナイフへと向ける。それは戦闘の素人から見ても、金属でできた己の機械鎧での防衛行動だと思われた。しかしその想像は大きく外れた。
「この程度……ッ」
「ッ……!?」
バルマ中佐の手にナイフが触れる直前にその手からは錬成反応が。ナイフの刃がバルマの手に触れるやいなや、まるで雪か、それとも水に溶ける綿菓子のように、そのナイフは一瞬にして真っ赤に熱され粘度を含んだ液体のようにどろりと溶け出し、その滴は糸を引くように引き延ばされながらバルマの右手の指の間をすり抜けていく。
その錬成能力もさることながら驚くべきはその錬成速度と精密かつ熟練された練度だった。金属を容易に融解させてしまうほどの熱量を瞬く間に錬成したのだ。それも己の機械鎧は溶かさぬように。
「お返しですッ……!」
バルマ中佐は溶け出した超高温の
しかしエルバも、飛来するそれを
「本当にッ、速いですねえッ!」
「ッ!?」
「脚ッ、一瞬止めていただきますよッ……!」
エルバの懐へ飛び込むバルマ中佐、それはエルバにとってもバルマにとっても必殺の間合い。身を屈め極力的を小さくしながらエルバの足下に迫るバルマ。腕を軽く振ると、その右手の裾から何か液体の入った小瓶がするりと落ちてくる。それを落とさぬよう掴み、咄嗟に頭を引いて躱すエルバの眼前で、猫だましのように両の手を合わせると同時に挟み込んで叩き割る。
両手に瞬く漏電反応があったかと思うと、その液体が気化したのか、膨張した大量の蒸気が2人の体と視界を覆う。
剣先で足下のバルマを刺し貫くように構えていたエルバだったが、その蒸気により視界は遮られる。
このままバルマのペースに飲まれてはまずい、エルバは視界に広がる真っ白な蒸気の向こうに微かに揺れる影か見えた。殺す気はない、しかし多少の怪我は致し方なしと自身の中で問答し、エルバの切っ先はその影を刺し貫いた。
「囮……ッ!?」
金属の剣先が石畳を刺し貫く激しく鈍い音、手応えはなかった。
蒸気は一時的なカモフラージュに過ぎず、この数瞬の間に晴れていく。エルバの視界に見えたのは自身が刺し貫きサーベルで石畳に縫い付けたバルマ中佐の軍服だけだった。
「殺るッ……今ッ!!」
大きく避ける暇はなかった。いや、保身のために大きく身を翻していては、ほんの微かに、一瞬作ることのできたこの隙を突く前に体勢を立て直されてしまう。そんなことはバルマ中佐が一番よく理解していた。
エルバの足下で己の軍服を囮に最小限の動きでその凶刃を躱したバルマ中佐は、左手を自身の後ろ腰へと回し、水筒のようなものを取り出す。バチバチと錬成反応を見せる左手で、その液体の入った容器をエルバの右足元へと叩きつける。
破砕された容器から飛び散った液体は一瞬のうちに凍結し、エルバの右足を捉える。仕切り直すため一度下がろうとするエルバだったが、自身の右足が地面に縫い付けられたかのようにガクンと停止する。ただの水であればいくら凍り付こうが、あの量でここまで頑強な氷にはなるまいと、エルバが一瞬自身の右足に意識を向けていると、バルマ中佐はその隙を突くように流れるような攻撃を仕掛ける。
「フッ……!!」
エルバの足下に身を屈めた状態のバルマ中佐は、右足の裾に仕込んだナイフを引き抜く。何度目かの錬成反応、右手に握り込まれたナイフが溶け出さぬ程度に、しかし人体に致命的な重度の火傷を与えるには十分なほど、赤く熱される。足下から立ち上がる勢いそのままに、下から上に刺し貫くようナイフの一閃を振り上げるバルマ。熱された赤い輝きが軌跡となって追従し、火の粉のような溶鉄が舞う。
蒸気と囮で虚を突かれ、片足を捉えられたエルバ。対して素早く流れるような連撃を繰り出すバルマ。遅れをとったエルバだったが、その眼だけは、バルマの動きを、飛び散る火の粉を、舞う粉塵を全て捉えていた。
「いや、遅い……ッ」
「……ッ!?」
自身の顎を狙って下から突き上げてくるナイフ。エルバはそれを
大きく空振るバルマ中佐の隙だらけの右脇腹、そこに峰打ちを叩き込むためにサーベルを構えるエルバだったが、ここまで冷静に戦ってきたエルバに微かな驚愕の色が見えた。彼の視界に入ってきたのは、大きく振り抜かれたバルマの右半身と、そこからそっと回された左手に握られたハンドガンの銃口だった。
振り抜いた右腕の肩越しにバルマ中佐の瞳は確かに、未だエルバを捉えていた。一筋縄でいかぬ事など百も承知、だからこそ抜かりなく、念には念を、隙を与えぬ幾重にも周到に準備された攻撃だった。
引き金にかけられた指は一切の躊躇いもなく、撃鉄を落とす。火薬の弾ける爆音が二発、会場を
「くッ……!」
「ッ!!?」
誰もが反応どころか、認識すらできない刹那の世界で、エルバだけはその弾丸を視認した。構えていたサーベルを眼前に立て刃を飛来する弾丸の軌道にあてがう。
弾け出す弾頭はエルバの構えた刃に当たると真っ二つに両断され、エルバの両側へと分かれるように飛んでいく。二発分の鉛玉を両断するも、二発目の弾丸の片割れは大きく軌道を外れず、エルバの右肩を掠めていく。
「まだッ……」
バルマ中佐が次弾を弾こうと引き金に力を込める。
対するエルバは凍結された右足を軸に強烈なローキックを放ち、バルマ中佐の脚を後ろから払い飛ばす。
体勢を崩したバルマ中佐の視界に抜けるような青空が広がった。背中から倒れる中、それでもバルマは受け身を取るよりも、もう一発エルバに銃弾を叩き込むことを優先する。重力に引かれながらも左手の指先に力を込めた。
エルバは蒸気に包まれていた先刻と同じように、足下に落ちていくバルマ中佐を刺し貫くかのようにその剣先を構える。バルマが銃を弾くのと、エルバが突きを放つのはほぼ同時だった。
会場を包み込む三度目の銃声。しかしそれは火薬の弾ける快音ではなく、金属の激しくぶつかり合う鈍い音と混じり合っていた。
バルマの銃が弾丸を発射すると同時にエルバの剣先はその銃口から水平に切り裂くように刺し貫く。弾頭はバレルの中で両断され上下に分かれるように飛び出し、裂かれ砕けた銃身の部品が宙を舞う。切り裂いた剣先は勢い余り再び石畳を穿った。
「ッ……」
「ゲフッ……!」
射出された弾丸の片割れは空の彼方へと飛来し、もう半分はエルバの右足を掠め地面に砕ける。エルバは己を掠めた弾丸の破片に顔を歪ませ、バルマは受け身もなく背中から地面に叩きつけられ、肺から弾けるように空気を吐き出してしまう。
「カハァッ……ま、だッ……!」
背中と同時に後頭部も打ち付けたようで、ぐらりと歪む視界の中で、バルマは息も絶え絶えに己の機械鎧の右腕に力を込める。肘を曲げ前腕だけをなんとか持ち上げると機械鎧の手首を外側へと倒す。するとその関節部分から顔を覗かせたのは一発のライフル弾。
仕込み銃ではない、言うなれば仕込み弾丸。発射機構などバルマには不要。青白く瞬く錬成反応がその機械鎧を包むと薬包は熱され弾頭は弾け飛ぶ。バレルはなく、狙いも雑だが、眼前にいる目標へ当てる程度であれば問題はなかった。
そう、それがエルバ・クライスでなければ、問題はなかった。
「ぐゥッ……!!」
ライフル弾の初速は拳銃弾のそれとは比にならない。ライフル弾を視認したエルバもそれは理解していた。
突如として王手を突きつけられたエルバが渾身の力で体を捻り上げる。ガラスの砕けるような亀裂音と共に固められていたエルバの右足が捻れるように動き出す。
先程よりも激しい銃声が耳を劈く。下から迫る凶弾はエルバの体を撫でるように天へと駆け上る。自由となった右足を軸に回転するように身を翻し、その致命の一撃をなんとか躱すエルバ。しかし彼でも無傷とはいかず、弾丸は微かにエルバの左こめかみを掠めていく。強烈な回転のかかった鉛玉は確かにエルバの肉を抉り取った。
こめかみという当たり所のせいで、傷の深さ以上の鮮血が吹き出し、観客席から息をのむ声が聞こえる。
しかしそんな傷も出血も構わず、エルバは躱した勢いのままに体に回転を加え、己の膂力に遠心力が上乗せされた刃を振り抜いた。回転する彼の軌道に赤い液体が追従し、円を描くように辺りへと飛び散る。
バルマもまた己の認識が追いつくよりも速く、無意識にその機械鎧の右腕に錬成を行う。知覚は追いつかなくとも、歴戦の経験から相手が次にどこを狙ってくるのかは分かっていたからだ。
バチバチと弾ける錬成音と共に熱され赤々と染まるバルマの右腕。触れるものを瞬く間に溶かしてしまうその機械鎧に、甲高い金属音が鳴り響いた。
飛来するナイフを瞬く間に溶かしてしまうバルマの錬金術だったが、その神速の刃を捉えることはできず、エルバの振るった刀身は僅かばかりの白煙を纏うも溶解には至らず。
振り抜かれたエルバの剣は溶かされるよりも速く、その神速の刃で朱色の右腕を切り飛ばした。
バルマの持ち上げていた機械鎧の右腕が弾かれるように数メートル彼方の石畳を転がる。
「まだァッ!」
「いやッ……」
右腕を吹き飛ばされて尚も、左手を錬成反応と共に突き出そうとするバルマだったが、それよりも速くエルバの右足がバルマの左肘を踏み抜くように押さえ込む。そして左の膝を立てバルマの右肩を押さえる。
片膝立ちのような状態でバルマへとのし掛かり彼の自由を奪ったエルバは、そのサーベルの刃を上から押し切るかのようにバルマの首筋へと立てる。
「勝負あり、でしょう……流石に」
打ち付けた後頭部と激しい運動、目が回るほどの攻防にぐらぐらと揺れていた視界が徐々に正常さを取り戻すと、バルマ中佐の視界には突き抜けるような高い青空を背に微笑む英雄の姿があった。
なんとも清々しく、完敗だった。思わず笑いが込み上げてきたバルマ中佐はひとしきり笑い声を上げると、ふうと小さく息を吐いて呟いた。
「完敗です。……あなたは強い、本当に」
その一言に実況がエルバの勝利宣言をすると、静まりかえっていた観客席から盛大な歓声が轟いた。
降り注ぐ歓声と音楽隊の演奏が降りしきる中、エルバはバルマ中佐から立ち上がると彼の左手を掴み引き起こす。
「あなたは本当に強かった。ご教示いただき痛み入ります」
「なにを、中佐こそ。身が引き締まる思いでした」
「謙遜も遠慮もおやめ下さい天剣殿。……お察しの通り、私はあなたを殺すつもりで挑みました。入念に下準備もし、虚も突きました。そうしなければ勝負にならないと思ったからです」
エルバが困ったように微笑みながら刀身を鞘へと収める。バルマ中佐は左手で自身の体に纏わり付く土埃を払い、投げ捨てられた自身の軍服の上着を拾い上げる。
「ですがあなたは、そんな私に極力怪我を負わさぬように立ち回っていました。もし最初からあなたも私と同じように、こちらを殺す気できていたなら、勝負にはならなかったでしょう。完敗です」
「そんなことは」
「ご安心下さい。それでプライドが傷つけられたなどおこがましい事は言いません」
バルマ中佐は体の調子を確認するように左腕や右肩を回しながら、吹き飛んだ己の機械鎧を拾いに行く。
数歩歩いた彼が少し振り返って、少し意地が悪そうに呟く。
「お二人の女王が取り合う理由が分かりました。灼陽の女王……、ベネルト准将には
「いや、それは少々困ると言いますか……」
戦闘中の鬼気迫る雰囲気がすっかり消えてしまったエルバを見て、バルマ中佐はもう一度おかしそうに微笑むと、そのまま拾い上げた機械鎧の腕で手を振るようにガシャガシャと揺らすと、選手入場口の奥へと消えていった。