ポケモン世界で配信者、始めました! 作:ルルル・ルル・ルールルールー
「こんばんは、カレンです」
いつも通りの穏やかな1日を過ごし、太陽が西の方へ落ちていく。窓の向こうは橙色が綺麗に輝いていた。そんなまったりとした我が家に愛娘の愛らしい声が響く。今晩の夜ご飯の準備をしていると、リビングでトトちゃんと一緒になって遊んでいたカレンがほぼ毎日の日課となっている配信を開始したようだ。
チャンピオンカップが終わって一時期はまるでナマコのようにダラダラしていたのが、今ではこうして活発に活動している。あのまま娘がダメになったりしなくて母としては嬉しくもあり、少し心配でもある。というのも、カレンの配信を観に来る視聴者の多くが、ちょっとアレな感じの人が多いからだ。
だけど、ダラダラしていたカレンに何か熱中できるものをと配信を勧めたのは私だし、今更やめろとは言えない。カレン自身も楽しんでいるようだから、これはこれで良いのだろう。カレンももう私にとやかく言われるような子供でもない。ちょっとアレな人たちのことも上手く制御できているようだし、やはり心配は残るがここは見守っているべきだろう。もし何かの問題が起きれば母として協力してあげれば良いのだ。
子供ではないといえば、この間カレンが真剣な顔をして大事な話があると言いながら口にしたことには驚いた。なんと、カレンはジムリーダーになるらしい。確かにジムリーダーに求められる能力に対して、カレンのポケモントレーナーとしての実力は十分すぎると言えるだろう。それどころかチャンピオンにだってなれると思う。私が言うと親バカにしかならないかもしれないけれど、カレンの強さは本物だ。ポケモンバトルの才能も、ポケモンへの愛も、バトルへの情熱も、カレンは全てを兼ね備えている。だからこそカレンは強い。どこまでも強くなる。そして何よりも恐ろしいのが、この子がまだポケモントレーナーになって約二年しか経っていないという事実だろう。二年でチャンピオンクラスにまで上り詰めたカレンは、一体どこまで成長していくのだろうか。
私もガラルに来る前はジョウトでかなりの立場にいたポケモントレーナーだった。ポケモンバトルの祭典、バトルフロンティア。その中で最も純粋にポケモントレーナーの腕を競う施設であるバトルタワー。私はそのバトルタワーにおける最強のトレーナー、フロンティアブレーンの一人であるタワータイクーンの椅子に座っていた。そんな私から見ても、カレンの才能は贔屓目無しで怪物と称していいほどのものだと思う。ガラルのチャンピオンもかなりのトレーナーだが、才能で言えばカレンの方が僅かに上かもしれない。尤も、経験や知識で劣るカレンではチャンピオンを超えることはまだできないだろうが。どちらにしろ、才能という面ではカレンもチャンピオンも私以上だ。二人がライバルとなって競い合い、どこまで成長していくのか楽しみだ。
でも、私が驚いたのはジムリーダーになることだけではない。それは、カレンが私に何の相談もせずにジムリーダーになることを決めたことだ。今までのカレンは何か大切なことがあれば必ず私に相談していた。お母さん、お母さんと何でも頼りにしてくれるカレンのことが可愛くて仕方なくて、我ながらかなり甘やかしていたと自覚している。それが、今回は何もなかった。完全に事後報告。カレンは私に相談すらせずに自分で悩んで、自分で決めたのだ。ジムリーダーになるというのは、カレンの人生に関わる大きなことだ。聡いカレンならその選択の重要性はきちんと理解していただろう。それでも相談せずに自分一人で決めた。カレンはすでに私に庇護されるだけの子供ではない。母としてそれが、嬉しくもあり、寂しくもあった。
何がカレンをここまで大きく成長させたのか。ジムチャレンジか、チャンピオンカップか。配信活動が原因かもしれない。赤ん坊の頃から大事に育ててきた何よりも愛しい娘の、その成長をこうして目の前でまざまざと見せつけられると、感慨深いものがある。私としては、12歳で大人になるのはまだ早いというか、もっと私を頼って欲しいというか、本当に複雑な思いだ。だけどカレンが大人になろうとするのなら、私もそろそろ娘離れしなければいけないということなのだろう。寂しい気持ちに蓋をして、カレンの成長を見守ろう。でもやっぱり寂しいものは寂しい。辛い。
そんなカレンは、今もリビングで元気に配信をしている。トトちゃんを膝に乗せて、楽しそうに話している。話題はどうやらピアノに関してのようだ。カレンは昔から私の知らない曲をピアノでよく弾いている。カレンにはどこで知った曲なのかと聞けば、夢の中と答える。だけどそれは、おそらくだけど嘘だ。本人は気づいていないようだけれど、カレンは嘘を吐くときに髪の毛を指先でいじる癖がある。カレンの吐く嘘は、おやつを勝手に食べたことを内緒にしようとしたときなど、すぐにバレるような可愛らしい嘘ばかりだ。
だけど、この嘘に関しては本当にわからない。夢の中で知ったというのは嘘だとして、それならどこで知った曲なのか、なぜ教えてくれないのか。仮にカレンが作った曲ならばなぜそうとは言わないのか。これほどカレンのことがわからなくなったことはない。だからまぁ、開き直って気にしないことにした。言わないということは、言えないということで、それなりの理由があるということだ。カレンはこの歳の子供には見合わないほどに賢い。そんなカレンが敢えて秘密にしているのならきっとそれは大切なことなのだろう。
「お母さんにも聞いてほしいから来て」
どうやらこれからピアノを弾くようだ。カレンに誘われてピアノ部屋について行く。あの人が用意したこの家は私とカレンの二人で暮らすにはあまりにも大きくて持て余す。貴族として生まれ育ったあの人には庶民の感覚がわからなくて、よかれと思ってこの家──というか屋敷を用意したのだと思うけれど、本音を言えばもっと小さい家でよかった。家事をするにはこの広さは大変で、一時期は割と本気で使用人でも雇おうかと思ったほどだ。だけど、使用人を呼んだら私のやることがなくなってしまうので結局やめたのだけど。
そんな家だから、空き部屋もたくさんある。カレンのピアノ部屋も、無用の長物と化していた空き部屋を音楽室に改造したものだ。とはいえ、私は楽器なんてロクにできないし、カレンもピアノにしか興味なかったようで、グランドピアノがポツンと置いてあるだけの物寂しい音楽室だ。一応、ピアノの練習中に休めるようにとテーブルと椅子が置いてあるが、それだけだ。
「それじゃあ、弾きますね。曲名は『愛をこめて花束を』」
やはり知らない曲だ。この曲も例の夢の中で知ったという曲なのだろう。カレンの指先が繊細なピアノの旋律を奏でる、それと対照的に不釣り合いなほど拙いカレンの歌声がミスマッチだが、一生懸命で楽しそうで、聞いてて幸せな気持ちになれそうだ。私が思うに、歌というのは上手いだけが一番ではないと思うのだ。その歌に込めた感情と楽しむ心。他にも色々あると思うが、心を揺さぶる歌というのは何も上手な歌だけではないはずだ。カレンの歌もまさしくそれで、決して上手ではないが想いの乗った一生懸命な歌声は、どこか感情を揺さぶるような特別な熱を持っているように感じた。
歌の歌詞はどこまでも素直に感謝を伝えるようで、大切な人を想起させ、優しい気持ちになれるような、そんな歌詞。綺麗なピアノの音色と合わせて心地よい。大切な人に伝える純粋な愛。どんなに時が経とうとも一緒にいたいという気持ち。とても素敵な曲だ。
カレンの演奏が終わると自然と拍手をしていた。
「ありがとうございました。この曲は、えっと……お母さんに向けて歌いました」
そう言ってカレンはほのかに赤く染まった顔で照れながらはにかんだ。その言葉を聞いた瞬間、感極まって思わずカレンに抱きついてしまった。
「わっ! お母さん?」
カレンが私の知らないところで成長していて、いつの間にか私の庇護もいらないくらいに大人になって、少しずつ親離れしていって、私も子離れしていくことになるのだと、寂しくなってしまっていたからだろうか。「ありがとう」、「ずっといっしょにいて」そんな素直で純粋な気持ちがカレンの歌から聞こえて来るような気がして……嬉しかった。
私はダメな親かもしれない。娘の成長を祝い、娘の親離れを喜んで、離れた位置から優しく見守り続けるのがきっと良い親なのだろう。だけど私は、娘の成長を寂しく思ってしまうし、親離れを悲しく思ってしまう、離れた位置からなんて言わないでずっと近くで見守り続けたいと思ってしまう。まったくひどい親だ。だけどカレンは、そんなどうしようもない私を、どうやら愛してくれているみたいだ。それならば、もう少しだけ。許されるならまだ少しだけ。この小さく愛しい体温を感じていたい。カレンのことを近くで見守っていたい。
思わず、そんな風に願ってしまった。
愛が重い母親。
クロツグの前かその前ぐらいのタワータイクーン