嬉しいです。
次の日、陸實は放課後の図書室で時間を潰していた。部活に加入することが絶対ではないこの高校ではあるが、それでもほとんどの生徒は部活に加入しているし、そうでない生徒もとっとと自宅に帰宅している。そのため、図書室の奥にある薄暗い個別のスペースを使う人間は滅多にいなかった。使うならば、出口に近い明るい長机を使う生徒が多い。
陸實はここでよく本を読んでいた。古びてかび臭い文字についての本だ。姉が残していったものを学校に持ち込み、陸實はここで時間がたつのを待っていた。陸實がこの人気のないところにいるのにはもう一つの理由があった。
異様に重苦しい空気が近づいてくる気配を感じた。
「また、ですか。」
「石上陸實がタバコを吸っているところに出くわしたという情報が
風紀委員長であるこの几帳面そうな男性は何度かここを訪れていた。そしてそのたびに持ち物検査をしていた。それは先ほどの彼女の言葉通り、「おたくの制服を着ている、包帯を巻いた女の子がタバコを片手に歩いている」という目撃情報が学校に来るからである。
そして陸實自身には、確かにその連絡を入れられることをしている自覚があった。外出時に陸實は手巻煙草に火をつけて出かける。しかし、身を守るためその行為をやめるわけにはいかなかった。実際にタバコを吸っているわけではないし、手巻煙草の中身はタバコとではなくお香だ。
だからこそ、こうして持ち物検査を甘んじて受けている。しかし、些か面倒なのでここで彼から隠れるために過ごしていた。
「石上陸實。君が入学してからまだ1か月で、それなのにもう5回目だ。こんなことは学校始まって以来だそうだ。」
「そういうのは実物を見つけてから言ってください。」
投げ渡された学生カバンを机の上でひっくり返し、教科書などが散らばる。カバンの中身を見るたびにこの工藤という男は眉を顰める。教科書と一緒に零れ落ちてくるのは大量の呪符。青黒い墨で描かれた図が一枚のそれに大小さまざまな大きさで描かれている。
「相変わらず……、気持ち悪いな。」
「ひどいこと言いますね。家の稼業だったんですよ、呪符作りは。」
「こんなの、ただの迷信だろう。」
工藤の独り言に返事をすると工藤は丁寧な口調をどこに置いてきたのか、投げ捨てるように言葉を返した。工藤の言葉に陸實は目を細めた。しかし、そんな様子を工藤は気にすることなく散らばった呪符を一枚一枚束ね始めた。
「そんなことないんですよ、先輩。呪符に書いてある文字は天界から零れ落ちた言葉です。これが神の御言葉であるならば、それ相応の効力というものがやはりあるんですよ。」
「それに」と教科書の一つ一つを確認する工藤に続けた。
「知っていますか、先輩。呪符の中には病などを言葉にして封じたものもある。それを一枚でもなくして中のものが出てきた日には、呪い殺されてしまうかもしれないんですよ。」
「三国志、読んだことあります?」と軽い口調で尋ねてみたものの工藤はそれに反応することはなかった。彼自身、陸實の言葉はたばこを探すことに集中させないためだと思っていたからである。これだけ無駄に多い呪符もその一つだと考えていた。
工藤は陸實の言葉を聞き流しながら一枚の呪符を手に取ったとき、ぴたりと手が止まった。縦10㎝横3㎝ほどのそれに描かれた大小さまざまな文字をじっと見つめて眉を寄せる。何か、引きずり込まれるような感覚に工藤は苛まれていた。
「なるほど、気に入られましたね。工藤先輩。」
陸實の声に、工藤は慌てて視線を背けた。クスクスとマスクで隠れているはずの口元を隠すように笑う陸實を工藤は睨んだ。
「人間関係に苦労されているのですか? しかも女性関係ではなく、ただの人間関係。」
「何が言いたい?」
「よかったら、貸してあげますよ。」
「呪符」と、陸實は工藤が持っていた呪符を指さした。そう言った陸實の言葉に工藤は呪符を一瞥するものの、それを机の上にたたきつけた。「結構だ!」と力強く否定の言葉を吐き捨て、「次の目撃情報が出たら、停学の処分も先生方は考えている」と言って去っていた。つまりは「気を付けろ」ということらしい。
「嗚呼、先輩。」
立ち去ろうとする工藤を陸實は呼び止めた。それは陸實なりの親切心だった。彼は度々この図書館を奥を訪れ、陸實の無罪を証明する手助けをしているようなものだった。実物証拠など探さずに状況証拠だけで判断してしまえばいいものを、現代の裁判官のごとく彼はそれを許さなかった。そこに付け入っているのは陸實であるのだが、使える人間をここで失うのは嫌だ、と思ったのだろう。
「素人が
「何の、話だ。」
「そうですか……、頑張ってください。」
楽し気な声音に工藤は隠しもせず舌打ちをした。踵を返し本棚の奥へと消えていく工藤を手を振って送り出した。もし本当に工藤が陸實を呪うようなことがあったのならば、陸實は一切の容赦なく呪詛を返すことだろう。彼がいなくなった後、大げさにため息を吐き出す。
セーラー服の袖から取り出した二本のタバコを見て勝ち誇ったように陸實は鼻歌交じりに笑みを浮かべる。
「お疲れ様です。」
「嗚呼、気をつけて帰るように。」
秋月と工藤の会話が耳に届いた。陸實が図書館で時間をつぶす1番の理由が秋月だった。彼女の部活動が終わるのを待っていた。これは依頼されたわけではなく、単なる陸實の初めての友達に対する心遣いだった。
机の上に散らばった呪符や教科書をカバンの中に片づけ、座席から立ち上がる。陸實の姿を見つけると小走りでこちらに近づき、「また?」と尋ねてきた。陸實が首肯で返すと、秋月は「気を付けた方がいいよ」と忠告してくる。
陸實自身、特段学校というものに思い入れがあるわけではないのだが、確かに面倒なことは避けたい。
「あれ持たないで外歩いたらいい話じゃないの?」
「おいおい、無茶言うなよ。俺たち今から外歩くんだぜ?」
そうだけど、と秋月は口をすぼめる。
「ほんのちょっとの油断で痛い目見るのはこっちだぜ。死ぬのと停学になるの、秤にかけるまでもないな。」
「そう、なんだね。」
女性にしては些か大きい身長の陸實を見上げた。殆ど見る事の出来ないその肌がどんなものなのか、今となって秋月と陸實のみが知っている秘密だ。震え上がるような恐怖がそこにはあった。自分は怖がりであると自負している秋月には、その恐怖以上に睦實と一緒にいることのメリットがあった。
だから、秋月は陸實に注意をした。いなくなられては困る、と。そう言った意図は陸實はきっちりと受け取っている。
そうした利害関係だからこそ秋月唯奈と石上陸實は上手くいっている。秋月はそう思っていた。最初にそう予防線を張ったのは陸實だし、秋月はそれを信じていた。
秋月は一番上にある下駄箱から靴を取り出した。
「そんなに心配しなくても、お前はもうそこらの呪霊に見つけられねぇよ。お前が言葉を交わさない限りな。」
靴を履きながら陸實は秋月の方を向かずにそう告げた。
秋月は制服に隠れて見えない首から下げた木簡を握る。四方3~4㎝ほどのそれには朱い墨で書かれた図が書かれていた。
これ一つに200万円という法外な値段をこの木簡に吹っ掛けられたが、出世払いでいいし、利子は付けないと陸實は秋月に告げた。最初は
今までの事を考えると物の相場を知らない秋月は、200万円でもよいかもしれない、と思っていた。それに陸實に対して勉強や一般常識を教えることで時給で差し引かれているらしい。
「ごめんね、開かずの間の事。止められなくて。」
「別に。お前以外、大したことねえから下手なもんは呼んでこねぇだろう。事前に結界も作っとく。」
学校の校門を出たとたん、陸實は服の袖から手巻煙草を取り出した。その手をぱちんと叩き、秋月は15㎝ほど身長の大きい陸實を睨み上げた。陸實はうんざりとした様子でそれを服の袖にしまった。
「言われたそばからそういうことするんだから。」
「必要なことなんだぞ?」
「魔除け、だっけ?」
陸實は「ああ」と袖の中のそれをいじりながら返事を返した。元々は姉が作り出したものだった。通常の結界のように『守る』のでもなく、呪術界が持っている天元様のように『隠す』のでもない。『誤魔化す』ことに特化した結界。
姉の話では元々は村で使われていたものらしい。あの村は碌なものを作り出さない、と呆れながらも姉が一番最初に教えてくれた呪符だった。これを燃やすことで時間を限定した結界を作り出していた。
姉がいなくなった今、陸實は自分自身を守らなくてはならなくなった。一般人として生きていくのならば、これまでの関係とはすべて縁を切る必要がある。見つかるわけにはいかない。そういった意味でこの結界を貼れるか貼れないかは死活問題になってくる。
「でも、怖いなぁ。」
時間制限などの制約が使えないので仕方ない、とマスクを下げ呪符からお香を取り出した。そして呪符を口の中に含もうとしている横で秋月がそう零した。
「
「そう、行方不明者が出てるって噂があるし、実際に去年いた高校の先生がいなくなっちゃったって話だよ。」
高校教師が不法侵入なんて世も末だ、なんて思いながらくちゃくちゃと呪符を噛みながら陸實はその話を聞いていた。なんでもそこに忍び込んだ生徒が行方不明となり、高校教師が昼間にそこに乗り込んだ結果、行方不明となったそうだ。
「これ以上ないほど美しい、『木乃伊取りが木乃伊になる』だな。国語の教師か、そいつは?」
「世界史の先生だって。」
「似たようなもんだろ。歴史に学べよ。」
真面目に返答してくる秋月に呆れるようなため息交じりに「阿保だろ、ソイツ」と言葉を返した。
しかし、実害が出ているというのなら話は違ってくる。人のうわさ程度ならば、そこにいる呪霊などどうとでもなるだろう。話を聞けば、遺体は見つかっていないらしい。これが約一年前の夏の話。それからちょくちょく訪れた人がいなくなっているそうだ。
「横山には、破滅願望でもあるのか?」
今回の開かずの間の話題を出してきたのは横山だった。そんな恐ろしいところだとわかっているのならば、行こうなんて思わないだろう。
「どっちかっていうと、舞の方じゃないかな。」
佐々木舞には、破滅願望があるらしい。確かに呪霊に憑りつかれていた秋月と一緒にいるということは見える人間からしたら破滅願望以外の何物でもない。それとも、その呪霊を佐々木舞が操っていたとか。そう言ったことでないのならば、
「男癖悪いし。」
「……、はぁ?」
佐々木が付き合っている男についての情報がないため、陸實は首を傾げた。男癖が悪いとどうやら破滅願望があると思われるらしい。それを聞いて姉の男癖の悪さを思い出した。
いや、姉は呪詛師であったのだから必然的に付き合いは悪い方に向かうし、それに姉は別段その男と付き合っていたわけではない。そう、違う。断じて違う。とても楽しそうに話していただとか、いつもご飯を奢っていただとか。そんなことだけで判断するのは些か早計だ。たとえその時の姉の年齢が20歳だったとしても、だ。
「大丈夫?」
突如、頭を抱えてた陸實に秋月はそう声をかけた。その声音は確かに陸實の事を心配していた。
「何でもない。」
「幽霊のせい?」
「そういうんじゃない。思い出したらイライラしてきただけ。」
「あと、呪霊ね」と秋月の発言を訂正し、苛立ち気にため息を吐き出した。
「年上の人と付き合ってたみたいなの。援交みたいなかんじだって皆言ってた。」
「えんこう?」
「援助交際。お金あげるから、その、良い事させてほしいってやつ。」
秋月は言葉を濁しながら陸實に説明した。陸實はなるほど、と思う。他人から見れば確かに佐々木の行動は無茶が過ぎるのだろう。
しかし、ここで負の感情を持てない陸實は、やはり自分の境遇は他の人間とは違うものなのだ、と改めて思った。中学生に上がるのと同時に姉も似たような生活を送っていからだ。当時、呪霊に体を奪われ呪霊となっていた陸實では金を稼ぐことは出来なかった。だから時には姉が身を売って生活費を稼いでいたこともあった。姉が博打を覚えるまでは専らそれだった。
「でも、本人はそう言ってないだろう?」
「騙されてるかもしれないじゃん。」
「そんなのは、当人たちじゃなきゃわかんねぇだろ。付き合ってるやつ知ってるのか?」
「はっきり見たわけじゃないけど、スーツを着た男の人と一緒にいたから。その、キスしてたし。」
陸實は、「そうかい」と議論を切った。この時、もし秋月がその男を友人のために殺してほしいと願ったのならば、戸惑いなく陸實は殺しただろう。殺害を依頼されるならばその容姿から何から聞き出しているところだが、ただの人間の男に陸實は興味がなかった。
なにより良識があり倫理観が秩序を尊ぶ秋月はそんなことは頼まない。
―――嗚呼、殺したいな。
と、陸實はその機会をただ待ち望んでいた。