SEVENS 03
海幸を探すために必死で走ってきた真子はもうそれほど早くは走れない。息はすぐに上がり、呼吸をすればするほど体が重く苦しくなっていく。
気を抜けば金縛りに遭ってしまいそうだと真子は思った。気持ちが折れてしまえば体の自由が根こそぎ奪われてしまいそうであった。
追手が真子に追いつく気配はない。しかし、追ってきてはいないということではないようだった。
「すっごくふらふらだけど、大丈夫? 逃げても無駄だと思うけどなー。だって、一瞬でお姉ちゃんのところまでボクなら飛んでいけるから」
走り続ける真子を、声が襲う。焦る真子はその声の主を探している余裕はない。その声に真子は殺されそうになってるのだから。
もしかしたら、殺されそうになっているのは気のせいかもしれない。真子の中の緊張感が少し和らぐ。
「聖杯戦争を見られたら、殺すのが常識なんだけどなー。ボクの少女からなにも答えが返ってこないし」
真子の小さな希望は一瞬にしてかき消された。少女からの返答がない限り殺されることはないようではあるが、裏を返せば、返答があればすぐにでも真子は殺されるという状況でもあった。
声が聞こえる限り、真子に死神がつきまとっている。その声があまりにも無邪気に真子を殺すと宣言しているので、真子にとってはこの上ない恐怖であった。
そもそもどこに逃げればいい。どこに逃げても助かる見込みはない。
真子は声から逃れる方法を必死で考える。もがき苦しむ思いで解決策を見つけようとする。
人が多い場所に逃げればなんとかなるのではないか。
繁華街のある場所まではバスを使わなければならないほど遠い。
誰かに助けを求めれば。交番は――
交番までたどり着けるほどの体力は真子には残っていなかった。
真子が逃げ込める先などあらかじめひとつしかなかった。城戸邸しかなかった。真子は転がり込むようにして、城戸邸のやたらと大きな門をくぐった。
息も絶え絶えながら広い庭に独り真子は転がる。城戸邸に車で真子を襲っていた声も、城戸邸に入った途端、聞こえなくなってしまった。
真子は空に坐する大きな月を見た。
自分は再び助かったのだと安堵した。
また生き残ってしまったのだと後悔した。
「そうだ。海幸は!?」
あのよくわからない怪物たちに殺されたのではないか。言い知れぬ寒気が真子を襲う。いてもたってもいられぬと立ち上がった真子の耳に微かな物音が入ってくる。軽いものが地面にすとん、と落ちたような――
「いやあ。やっとママと連絡取れたんだ。あ。ママっていうのはボクの少女ね。どうやら追ってたお姉さんが魔術師らしいって言ったら、仲間になるか敵になるか聞けって。で、仲間にならなかったら――」
真子はごくりと喉を鳴らす。屋敷にまで入って来られたら、もう逃げ場はない。せめて一秒でも長く生きられる方法を探す。
誰が今の真子を助けに来てくれるというのだろうか。一秒でも生き永らえたところで、待つ運命は変わらないだろうに。
「殺せってさ」
真子は身軽な野良猫のように駆け出す。体中のばねを限界まで使い、早さを求め続ける。目指すは蔵。かび臭くほとんど触ったことのない蔵に向かって真子は駆け出した。
近くて頑丈な建物、蔵に真子は飛び込んだ。扉に止めがあったはずだが、真子はそれを自分で解除したことすら覚えていない。ただただ必死であった。真子の頭の中を占めていたのは生きることであった。目に映っていたのは、自身がかつて体験したすべてを焼き尽くす炎であった。
真子はズボンのポケットをまさぐる。小さなポケットの中から煙草を取り出し、マッチで素早く火をつけた。点いた煙草の火は蛍のように点滅している。
「あら。蔵から月明りが差してる」
というか、勝手に煙草吸わないでくれます? 未成年じゃん。作者の設定にそんなもんねーぞ!
「かくいう作者。銀魂読んでただろ。そのせいで刷り込まれたんだよ。月島さんみたいに」
銀魂の話なの? BLEACHの話なの!?
煙草の影響で真子の視界は揺らぐ。
蔵の中は静かであった。蟲の這う音すらも聞こえてきそうなほどに。
蔵の中の物はよくわからないガラクタだらけであった。真子の叔父が集めたものだろう。海外の骨とう品のようなものが整理されて置いてある。真子がほとんど掃除せず、真子が城戸邸に来た時から大いに埃をかぶっていたため、きれいに整理されてあるとは一見わからなかった。
真子は煙草の煙を肺の中で充分味わった後、勢いよく外に吐き出す。
「あー。たまんねーわ。この吐き出した後の余韻。やっぱやめらんないね。14から吸ってりゃ」
吐き出された紫煙は上って消える。
真子は蔵の門にカギをしなかった。内側にカギはないので当然である。ゆえに骨董品を押しやってカギの代わりにしたかというとそうでもない。外から入ってくるものを真子は拒みはしなかった。
故に、城戸邸に紛れ込んだ異物はやすやすと蔵の中に入ってくる。
「お姉ちゃん、煙草なんて吸って。悪い人だね」
真子はその時初めて追手の姿をはっきりと見た。
その姿は少年だった。まだ小学校に入りたてかそれよりも小さいくらいの歳ごろ。星の王子様の挿絵のような、金髪碧眼の風貌。そんな外国少年が日本語をペラペラしゃべっているのが真子には不思議で仕方がなかった。
「で? きみは私を殺すの?」
「うん。だって、お姉ちゃん、魔術師じゃないんでしょ? 工房に逃げ込んだら何かしてくるかなって思ったけど、そうじゃないみたいだし。魔術の道具もこんなに埃被ってるんじゃあ魔術師じゃないかなって」
「魔術師じゃなかったら殺すの?」
「うん」
少年の言葉はあまりにも無邪気だった。そこには喜びも悲しみもない。コマンドがあったから実行するというような、機械的なしぐさを行おうとしているに過ぎない。
「そう」
真子は煙草を吸い、紫煙を吐き出す。吸いかけの煙草を地面へと捨てる。
「私は死なない。死にたくない。まだ、何もできていない。なにもなせてない。こんなところで死んでたまるか」
真子の目はどこまでも真っすぐであった。その視線が少年を射抜き、少年は少したじろいでしまう。
途端、真子の足元から小さな爆風が巻き起こる。煙草の火が地面に燃え移ったのだった。燃え続ける火は、月の光に照らされて青く変色する。
「魔法陣!?」
青き炎の描く円とその模様を見た少年は真子を殺さんと、細い西洋剣の切っ先を向ける。
しかし、すでに遅かった。
「トレース・オン」
真子は二つの剣の交わる光景を見た。少年の繰り出すレイピアと何者かの繰り出した片手の短剣。真子への攻撃を防いだ蛇のような刀に真子は安心感を覚えた。
「くっ」
少年はバックステップを取り、間合いを開く。たった一度の跳躍で蔵の外まで出て行ってしまった。
「ここで待っていてくれ。終わらせてくる」
何者かは強い意志のこもった声でそういうと、隙を見せぬ足取りで蔵の外へと出て行った。
真子は炎の掻き消えた蔵の地面とシケモクと化した煙草を見やる。そして、再びポケットから煙草を取り出すと、ライターで火をつけた。
「煙草を吸うときのコツはね。火をつける時に少し吸ってやるんだ。そうじゃないと火が付かない。それと吸い始めの頃はヤニ酔いってのをするからね。頭がぐるんぐるんする。だから気をつけなくちゃいけない」
真子は口に煙草をくわえたまま蔵の外に出た。
太陽もかくやというくらいに降り注ぐ月明り。その月明りに照らされて、二人の男が相対していた。一人は星の王子様。その手には体の大きさを超えようほどの長い西洋剣、レイピア。
もう一人の男はランニングシャツにベージュに近い、土色の短パン。虫取りもかくやという恰好であった。その両手には真子を守った一対の短剣。
「まさか王子を召喚するなんて思いもしなかったよ。お姉さん、一体何者?」
「今きみの目の前に立ってるのは俺だ。名は赤の王子」
「その刀を相手にするのはとっても嫌なんだけど王子なら倒すしかないよね。でも、分が悪そうだな。ボクの宝具は今の状況では役に立たないから。緋色の王子。
少年の持っていたレイピアはまばゆい光を放ち姿を槍に変えていく。
その槍を見た瞬間、真子の心臓は不自然に跳ね上がる。真子の目はその槍の目に見えぬ何かを捉え、真子の身体に警鐘を鳴らしているのだった。
「ちょっとあなた! あの槍は危ない! 逃げて」
「そうだな」
赤の王子は槍の脅威を認める。しかし、その場を退こうとはしない。
「いろんな槍を知ってるけど、あれは当たればとびきり恐ろしい。当たらないようにしないと」
「バカなの? 逃げてって言ってるでしょ?」
煙草を口から離し、真子は怒りのまま叫ぶ。目の前の救世主は驚くほど馬鹿だと真子は思った。
「大丈夫。これは戦争なんだ。俺が死ねば少女であるきみも死ぬ。俺が逃げればなおさらだ。受肉しているとはいえ、少女がいなければ存在できなくなる。言わば相互利益の関係だと思ってくれ」
どこが大丈夫なのか。真子はそう叫ぼうとしたがその前に、二人の王子は衝突した。
緋色の王子はただ穿つ。赤の王子の姿を狙っているのかすら怪しい。ただ、槍が赤の王子を貫きさえすればいいという攻撃。さながらマシンガンのような動きであった。その動きは目で追えない。そのはずであるのに、赤の王子は一対の短剣で槍を弾き、一突きを躱していた。銃器対短刀。そんな戦いはどちらが勝つのか目に見えている。しかし、実際のところはどちらも傷一つ付けておらず、ついていない。
間合いを取ったのは緋色の王子だった。
「その剣、きみの宝具じゃないよね。それは魔剣だ。本来の持ち主なんて存在しないし、きみに真の力すら与えていない。でも、どうして持ち主のように使いこなせるのかな」
「ただ単に守るのが得意なだけだ。それを言うなら俺はきみの方が恐ろしいよ。まさかこんな聖杯戦争にきみみたいな王子が召喚されるなんて。人類の側に立っている存在だとは思わなかったよ」
「ボクはずっと人類の見方だよ。ずっと人間に力を貸してきた。ボクにはきみの方がよくわからない。きみは英霊じゃないだろう。なんなんだ、きみは」
「そんなもの、俺にだってさっぱりだ。今は俺の少女を守る。そのための剣ならいくらだってあるぞ」
緋色の王子は肩をすくめて頭を左右に振る。
「今のボクではきみに勝てそうもないし、退散するよ。きみの相手は他の王子の方がいい気がするし」
そう言い残すと緋色の王子は塀をひと飛びして夜の闇に消えていった。
「とんでもない王子だったな。少女。大丈夫か?」
赤の王子は何事もなかったかのように笑顔で真子に近づいてくる。そんな王子に真子は平手打ちを食らわせる。静かになった城戸邸が再びにぎやかになる。
「って、なんで突然はたくんだよ!」
「いい? こういう小説の基本は戦闘シーンなの。あんなにさっさと終わらせるなんてありえないわ」
「それをいうならさ! もっと蔵の中の描写をはっきりとしようよ! あんたが煙草吸ってることくらいしかわからないし、煙草もいつ口から外したのかわからないじゃないか! というか未成年が煙草なんて。それもきみみたいな可愛い女の子が」
ぱちん。乾いた音が再び広い庭にこだまする。
「女の子に可愛いって言ったら何でも許される家庭にいたのね。それでいろんな厄介事から逃げてきたつもりでしょ。意気地なし。そうよ。あんたは逃げてるだけだわ」
「なんでこんなことになってるの!? 俺、まだ自己紹介もしてないぞ。ほら。Fate的にこの辺り重要な場面じゃないのか?」
「あれ? アーチャー? ごめんなさいね衛宮くん。電話越しだとアーチャーそっくりだったから」
「メタ発言も大概だろ! もう読者もなにがなんだかわかってないぞ」
「気にしなくても大丈夫。もう作者にすらなにがなんだか」
「アラ~。なんか変な音するで屋敷ん中入ってみたけど、あのガキんちょは逃げよったか」
ぽとり、と塀を飛び越えてニット帽の男が庭に下り立つ。
「赤の王子。あれをやっつけなさい」
真子の口から残酷な言葉が発せられた。