クラークの第三法則:十分に発達した科学は魔法と区別が付かない。熱力学第三法則:絶対零度における完全結晶のエントロピーはその種類によらず等しい(=ネルンストの定理:有限回の操作では絶対零度には到達不可能である)。運動の第三法則:二物体の及ぼし合う力はそれぞれ反対のベクトルを持つ。
“工学界のアスクレピオス”イデア・シュラウドの名前を知らない人間など、ロボット工学のみならず医学の世界にも存在しないだろう。彼の為したことはまさしく偉業だ。錬金術の極致たる永遠の生命に並ぶ、人類史の全編にわたる共通の悲願。召喚術の極致としても語られる、神の領域を侵す行い。
すなわち、死者蘇生である。
イデア・シュラウドがその技術と才能をクラス中に見せつけたのは、入学式から二ヶ月と経たない、実践魔法の授業中だった。みっちり10分も注意喚起をしてから、今か今かと実習を待つ生徒らにマジカルペンを手に取って良いと教師が告げた時だった。
「シュラウド、マジカルペンはどうした」
「ひ、必要ないので……」
イデアがそう言った途端、教室中から視線が向く気配がした。手元にあるのはノート代わりに使われている(教科書と内職も兼用のようだが)タブレットと、髑髏型の、おそらくは機械。
「は?」
マジカルペンが手元にないわけではない。一応学生証扱いだから、鞄の奥深くに沈んでいるだけだ。
「ひっ。ご、ごめんなさい。でも
余計なことを言わずに大人しくしておくべきだったのではないかという思いが一秒ごとに募っていくが、それでもまだ今のイデアには自分の成果を存分に示したいという思いの方が勝った。
「シュラウド?」
「えっあっ」
「……まあいい。本当に必要ないというならやってみろ」
魔導エネルギーを正しい形で循環させれば、魔法現象は実現する。呪文も魔法陣も同じだ。召喚術がわかりやすいだろうか。供物と触媒を大量の魔力と外付けの魔力特性変換術式で代用する方法は、個々の事例に限れば数百年も前から知られている。魔力特性の即時変換はブロットが溜まりやすいし、魔法石やらに貯蔵しておくとしても大量の魔力を一度に消費することには変わりないので、オーバーブロット一直線な方法ではあるが、理論上は成立する。
回路内に存在するスイッチの切替えで、数百パターンの魔法が使える。微調整は回路へ入力する魔力の波形パターンで対応できる。そこに使用魔法の選択という判断はあっても、意思の強さなんてものは関係ない。
髑髏型のオブジェの中には高度平均化魔導エネルギーのバッテリーと、シリコンとミスリルと金とその他諸々からなる大量の回路。イグニハイドの設備がなければ、初期モデルをここまで小型化するには難しかっただろう。
どうせ失敗するだろうという嘲笑の割合は考えたくもないが、寮の自室と通信を繋いだタブレットの向こう側にいるオルトの期待を裏切れない。オルトの
「それで何ができるって、」
「黙って見てなよ。嗤うのは失敗してからで十分じゃない?」
ぐだぐだ言う外野に、イデア本人が何か言う前にポムフィオーレの生徒が吐き捨てた。イデアは知らないことだが、彼は医師の息子で、父が興奮気味に語るイデア・シュラウドの偉業を知っている。
ホロキーボードをタイプする。数値そのもののベタ打ちではないにせよ、適切な数値を選ぶのに使える諸条件のうち、判明しているものを入力することはまだ必要だ(オートスキャンだと項目が絞りきれないためエネルギーを馬鹿食いする)。
「術式回路選択、完了。環境条件入力、完了。魔導エネルギー波形最適化……完了」
正しい回路、正しい入射パターン、十分なエネルギー。クラスの中でも随一の完成度を持って、当然のように目的の魔法は発動した。
「嘘だろ?」
誰とも知れない呆然とした呟きが落ちて、数秒の沈黙。それからようやく、教師は掠れた声で訊いた。
「シュラウド、魔法石は……」
イデアから魔力を吸い上げる様子がなかったのだから、髑髏がマジカルペンの改良品でないのは明らかだった。実用レベルのサイズでブロット排出に耐えられる魔法石は希少だが、嘆きの島と、その地下からつながる死者の国は鉱物資源の宝庫だ。シュラウドの嫡男であれば手に入ることだろう。一年生が扱うような魔法とはいえ、ブロットを受け止める魔法石すら必要としない仕組みを作り上げたのだとは思いたくない一心でそう訊いた教師だったが、返ってきた答えは否だった。
「自前の魔力ならともかく純度高い魔導エネルギーならブロット排出は最小限ですからな。ま、自然解消する程度にブロット抑えるならその辺から引っ張ってこれる規格じゃまだ駄目なんで実用レベルにはほど遠いっすわ」
それはおおよそ教師の問いに対する答え方ではなかったが、そんなことはどちらも頭から吹き飛んでいた。イデア・シュラウドがたった今引き起こした魔法現象は異質が過ぎる。なにか決められた一パターンの魔法しか再現できないはずの近代式魔道具に、それはよく似ていた。
それを魔法と呼ぶのならだが、無味乾燥、とさえ称せる魔法だった。個人に依存する要素を一切排した、機械仕掛けの魔導。
既に当然整備されるべきインフラの一つとして扱われている魔導エネルギーを利用するため、魔力の多寡どころか有無でさえ関係ない。
ブロット効率も一律で、これは標準規格の魔導エネルギーを使用するなら既存の方式よりずっと排出量は少ない。魔導エネルギーは色のない魔力のことだ。変換効率も一般に高いが、それ以上に使えなかった部分、澱や淀みとも称されるブロットが無視できるレベルでしか発生しないからこその国際基準だ。これなら魔法石とも呼べない屑石にも利用価値が生まれるだろう。
事前にプログラムしておくんだからその場でのミスなんてボタンの押し間違いくらいしか在り得ない。詠唱を噛むとか、覚え間違えるとかそういうミスとも無縁。
人が覚えられる魔法の数は、個人差もあれどおおよそ100程度と言われる。勿論マイナーチェンジ版は除いて。けれど、これなら詠唱もパターンも覚える必要はない。必要なのは並んだ選択肢から正しい物を選び出す行為だけ。
革新的、などという言葉では収まらない。それは間違いなく魔法に対する工学の勝利だった。魔法が神秘ではなくなったのが古代と近代の境であると言われるが、技能ですらなくなる日がすぐそこまで来ている。
「魔道具ですらない、自己魔力に依らない魔法現象の任意発動、ってこと?」
ディアソムニアの誰かが、魔法に優れていることの価値が十年後には暴落することに気がついて震える声を抑えられずに言った。
「シュラウドはその場で細かい条件入れてたっぽいけど、判断プログラム組めれば自動化のレベルも上がるよな」
イグニハイドの誰かが、いかにもそれをやってみたいと言いたげに弾んだ声で言った。
「これ、魔法の定義からひっくり返るやつじゃ……」
サバナクローの誰かが、何を見ているのか理解したくないと叫びそうになる喉を押さえつけて言った。
異端の天才、工学界のアスクレピオス。その名が決して誇張ではないことを、その日彼らは嫌が応にも思い知らされる。
高度に発達した科学は魔法と区別が付かないという先人の言葉通り、魔導工学の革命は確かに成った。
今週も、オルトの命を魔力で繋ぐ。魂を地上に縛る。これは、これだけは魔導エネルギーでの代替の見当も付かなかった。詠唱や魔法陣の確立した魔法よりも、ずっと原始的な術。神秘そのもの。
魔力は魂の余剰分だ。HPやMPのバーから溢れる
名前も付かないこれは、世界で一番おぞましい魔法だとイデアは思う。原始的で、属人的。冥神の裔たるシュラウドに生まれていなければ使い得なかっただろう、魔の法。イデアが嫌う「魔法」の象徴のようなそれに縋らなければならない自身をこそ、イデア・シュラウドは心底嫌悪する。
それを塗り替えるかのように、イデアは今日も弟のアップデートを続ける。世界に置いていかれないように。まだ辿り着いていない理想形に、1Åだけでも近づけるように。デジタルの精神と機械の肉体を、よりよいものにしていく。どれだけ迷走してもきっと、未だ見えぬ終着点は一つしかないのだろうと信じて。絶対なるもの、完全にして無欠なるもの、ただ正しきもの、そんなものがもしあるとするなら、たった一つに収束するだろうと確信して、一歩ずつ。
判断プログラムに、学習データに、外部保存されたメモリーに目を通して、オルト・シュラウドに必要のないものを削り落とす。まだ違和感の残る合成音声の波形を、活動で歪んだフレームを、シリコンゴムの外装の形を整えて、人間の形に近づける。化け物などと呼ばれないように。歩き方を。笑い方を。足りないものはいくらでもある。人類種の脳は意識そのものよりもずっと高度で、その複雑怪奇な無意識の部分こそがイデアに必要なものだった。
食べるという行為を、必要がなくても、きっとそのうち教えてやりたいと思う。少しだけランダムな時間に終わる毎日の
正しく
全知にして万能なるもの、
いつか神の領域に届く日が来るまで、雷霆に撃たれる日が来るとしても。シュラウドの異端児は歩み続ける。
人が、神話の先へ辿り着けることを信じて。
人に造れないものはないとは思っているけれど、それとなんでもかんでも造りたいかどうかは別の話だ。
名前が上がっていた書籍を読もうとしたら、電子化どころか学内図書館の書庫にさえ置いていないという。イデアの実家にさえないものだから仕方がないのかもしれない。
「クルーウェル……先生」
図書館が駄目なら置いてありそうな所は一箇所しかない。各教員の自室、というか研究室だ。ぐだぐだでぼろぼろの精神を振り絞ってなんとか突撃する。オルトの完成度を上げるためなのだからと言い聞かせて。
「どうした仔犬」
「この、本。読みたくて。先生の研究室ならあるかなって」
永遠性が担保されるのなら生きている必要はない、なんて馬鹿な割り切り方をした研究者の著書だ。著者は結局
「ああ、これか。あるぞ。一年が読むには難しいと思うが、まあお前なら大丈夫か」
ついでに茶でも飲んでいけ、と言われて、イデアは見事断るのに失敗した。それから、本を返しに行っては新しいものを勧められ、というのを何度か繰り返すうちに錬金術教室を自習に使う許可を得ることができたのだけが救いか。
少しばかりプログラミングに集中しすぎて魔法薬の授業に出損ねた、翌日のことだった。すれ違いざまに無断欠席の分追加の課題を出すから研究室まで来いと言われて、部屋に通された。かと思えば、デイヴィス・クルーウェルは開口一番に、到底17になったばかりの生徒に対するそれとは思えない台詞を吐いた。
「お前、錬金術向いてないぞ」
錬金術は、“完全なもの”をつくり出すことを目的とした学問だ。純金が完全な物質だと考えられていた頃の名残で“錬金術”などと呼ばれてはいるが、現在の目標は術者自身を完全な存在へ近づけることが
「知ってます」
だから錬金術師は皆、自分の信じる理想的なものを心の中に抱えている。迷走を続けるイデアとは違って。
永遠の生命。神の体。それが決していいものではないのを、シュラウドは知っている。なにせ今でも、グレートセブンたる死者の国の王は忙殺されているのだから。死が、救済の一種であることを。冥界が、安寧の(しかし決して永遠ではない)地であることを。イデア・シュラウドも知っている。
「そうか。ならいいが授業には出ろよ。必修だからな」
完全なもの、とは諦めであり、想像力の敗北に過ぎないとイデアは思っている。最高のものでさえ常に向上の余地があることを、神にさえ更新と進化の余地があることを、イデア・シュラウドは疑っていない。
「……」
それはそれとして、外には出たくない。イデアの無言の抵抗を、クルーウェルは一言で切り捨てた。
「そんなに補習がしたいのか?」
「……出ます」
未来は不確定だ、と人は言う。
逃れられない運命もある、と
お前は人では終われない、と星は言う。
占星術は嫌いだ。空が人のことを気にするかのような扱いも、人の生き方が空に支配されているかのような解釈も、そのどちらもが受け入れ難かった。イデアが星を見上げないように、空はイデアのことなど見ていない。そう、信じていたい。未来が、人類が足掻いた先にだけあることを。寿命と呼ばれるものを、人の手で塗り替えられることを。
「いつか兄さんと行ってみたい場所がたくさんあるんだ」
オルトは、いつでも未来を謳った。いつか来る日々を。歩み続けた先にあるものを。無限の拡張性を誇るように、不定形の未来を謳った。自分で動かせる部分が上半身しかなくて、車椅子なしには活動できなくても、きっと
「
その言葉を聞く度、自分がいかにオルトのことを信じていないのか思い知らされる。冷え切って凍りついた冥界の底深くを覗いている気分だった。冥神の青炎すらも届かないくらやみの奥の奥、
機能を追加する度にオルトは、病弱で碌にベッドから離れられなかった
「そうだね……うん。そうだ」
反重力装置の小型化を進めなければ、とは思う。キャタピラで移動させるのはあんまりだが、状態の異なる地面に対応した歩行プログラムを組むのは難しい。色々候補はあるが、飛ばすのが確実だろう。
けれど。反重力装置が完成したら、オルトは自由に動き回れるようになる。イデアの部屋から出て、バッテリー切れまで飛び回ることができる。空の彼方、海の果てへ一人だけで立ち寄ることができるようになる。イデアを置いて、一人だけで。
何か言葉を出して思考を切り替えようと口を開いて、空気だけを呑み込んでまた閉じた。時計は23時を指している。
「……もう寝なよ。夜だし」
「兄さんは?」
「レポート書かなきゃ。寮費の申請書も」
「そっか。僕にできることは……」
「一人で大丈夫」
食い気味に言ったそれを、疑えるようにするのは簡単だ。けれど結局、オルトの
年々少なくなる睡眠時間を悟られないようにと、人間の必要エネルギーよりも遙かに少ない食事しか取っていないことに気付かれないようにと願う。シュラウドの子らが季節が巡る毎に死者に近付くのを、オルトには
オルトが変わってしまうのが恐ろしい。イデアの知っている、覚えているオルト・シュラウドに辿り着くよりも前に、それを置き去りにして進んでしまう“オルト”に怯えている。
過去に囚われている自覚はある。オルトの人でない部分だけを愛する自分がいることも。人より人であれ、と願うのは人でないものだと知っているからだ。
「わかった。おやすみなさい」
「おやすみ、オルト」
スリープモードに切り替わったのを確認して、心臓部を開ける。精神を収める
オルトの身体と精神とを構成するすべてを書き出せることに、今日も安堵している。辛い記憶を消去することが、機能停止から復帰することが、可能であることに安堵している。
イデア・シュラウドの最高傑作。魂持つアンドロイド。オルトにそういうものであって欲しいと祈る自分を、決してイデアは否定できなかった。
ごめんね、と言ったかどうかわからない。脳の、罪悪感が渦巻くところとは別の部分が、地上を歩くなんて弱キャラのすることだと、浮遊に必要な重力場の計算を考え始める。食事なんて弱キャラのすることだけど、食物を口中に入れても清掃の必要がなくなる方法を考案しようとする。ぼくのかんがえたさいきょうのオルト・シュラウド、なんて今はお呼びじゃないのに。
かつてのオルトと同じことができる体を与えたいと言ったその舌の根も乾かぬうちに、人間などとという弱いものに縛られない体を作ろうと思う。この眠る
イデアもオルトもお互いに同じだけ作用し合っているはずなのに、イデアには、過去へはじき飛ばされた自分を置いて、オルトだけが未来へと進んでしまっているような心地がしてならない。お互いを突き飛ばして倒れ込む子供のような、火薬銃の反動で腕を痛めるのと同じような、作用と反作用。二人で手を取って並んで進んでいくそれだけのことが、オルトは望んでいるのだと分かっていてなおもイデアには難しすぎた。