異世界人はダンジョンに理想を見るか 作:千名@センメイ
突然だが、質問をしたい。
『鳥は自由だろうか』
重力という枷を破り、その思うがままに大空を飛ぶ姿を思い浮かべてほしい。
そしてもう一度、聞きたい。
『鳥は自由だろうか』
多くの人が、「自由だ」と答えるだろう。
人が自力では到達できない場所を悠々と飛ぶこと。我々のように、社会に、そして世界に縛られることなく、生きていること。自分が持たないものを持っていること。
理由はそんなものだろう。
もちろん僕だって同意見だ。でも同時にこうも思う。
『鳥はきっと人間より不自由だ』
鳥は僕らから見たら自由だ。
でもそれはあくまで僕らが見た自由だ。僕ら人間がそれぞれ求めてる自由だ。
鳥はどこまでも高く飛ぶことはできないこと。
鳥は自然に縛られていること。
鳥は僕らが持っているものを持っていないこと。
彼らは心を知らない。
鳥は僕らのように、何かに意味を求めない。だからきっと、僕らにとって価値のあるものは、彼らにとってどうでもいいものなんだと思う。だから愛も希望も正義も、悪意も嫉妬も憎悪も。そしてその美しさと醜さも何も知らない。
彼らは自分たちが自由だということも、それがどれだけ素晴らしいことだということも、そして『自由』の意味さえも知らない。
それは多分、とても『不自由』だと思う。
だから僕は、彼らが『羨ましい』。
何も知らず、何も考えず、ただ自分のことだけを考えて、すべてに無感動になれたらどれだけ素晴らしいことだろう。
僕はそうなりたかった。
僕は鳥になりたかった。
名前もなく、理性もなく、知ることも考えることも、感動することもなくただ生きて、そして誰にも知られることもなく死ぬ。
そうありたかった。
そうなれなかった。
「そろそろ終わりにしようぜ、なぁ。『正義の味方』」
僕の目の前に、よく見知った顔があった。
王国の切り札。人類最高戦力。
――勇者。
彼が、輝く剣を携えて僕の前に現れた。
死神と呼ぶには余りにも綺麗な彼が、僕の目の前にいた。
「……死んで、無かったんだね」
「あんな雑魚相手に俺が死ぬものかよ。それともなんだ、俺が死ぬと思ってたのか」
「まぁ、ね。さすがに君でも、魔王相手だったら、死ぬんじゃないかって、期待してたよ」
「…………」
彼――勇者が手に持った剣を振りかぶる。
「まずは足だ」
まっすぐに振り下ろされた剣は狙いたがわず、僕の両足を切り落とした。
「っ――――ぁギッ」
喉の奥から、鳥を絞めるような音が出た。
頭が真っ赤にスパークしたような感覚。激痛が僕の全身を突き抜けては、喉から出ていく。
痛みなんて、久しぶりの感覚だった。
「いてぇだろ、オイ」
勇者が何かを言っている。
何かを言っているのは分かる。でも何を言っているのかが、全く分からない。
痛みで脳が、思考が支配される。
痛い、いたい、イタイ。
ちかちかと明滅する視界の端で、切り落とされた僕の足が見えた。
生まれた時からずっと一緒だった僕の足は、剣で切り落とされてもまだ、じたばたと暴れている。
まるで僕が感じている痛みを共有しているように、跳ねる。
「気持ちわりぃ体だよな、不死ってのはよ」
不死。
「生まれたときに呪印が浮かぶんだってな。ハハッ」
切り落とされてもまだ動き続ける僕の足を、勇者が細切れにしていく。
その度に、僕の体に感じたことのない。形容できない激痛が走る。
ゾブリ
そんな音を立てながら、まだ温かい僕の体を、冷たい鋼の感触が侵す。
薄い皮膚が裂ける。肉の繊維の一本一本がブツリと切れていく。硬い骨がバターのように割られて。肉が切られて。皮膚が千切れる。
その痛みが、何重にもなって僕を襲う。
どうして僕がこんな目に合わないといけない?
どうして僕がこんなことをされなきゃいけない?
どうして。なんで。僕はただ――――
「ど、うし……て」
「アん?」
「ぼくは、ただ……ぼくは」
「おいおいおい。嘘だろ『正義の味方』。痛みでぶっ壊れるのは無いぜ」
「なんで、こんな――」
「全部テメェがやったことじゃねぇか」
――――え?
「足をぶった切られて、腕をミンチにされて、体の端から生きたまま魔物に喰われる。お前がずっとやってきてたじゃねぇか」
――――そんなこと。
「してねぇ?んなわけねぇだろ。おい。ちゃあんと思い出してみろよ」
――――思い、だす?
「お前が見捨てた、少数の犠牲の最後をよ」
仕方のないことだった。
僕は『正義の味方』で、正義のためには犠牲が必要で。より多くの人を救うことが正義で。自分の意志とか、感情だとか、そんな下らないもので、救うべき人間のその多数を見捨てるのは『悪』だろう?
「きみだっ、て。そうだろ?ぜんいんをたすけるのは、むりだ」
「ちげぇだろ。全員を助けてこその『正義の味方』だろうが」
「むりだ。できは、しない。りそうだけじゃ、『正義』なんてかかげられない。ぎせいは、ひつようなんだ」
「『世界を救うこと』……それが、俺の『正義の味方』が掲げてた『理想』だ」
なんで、そのことを。
「……俺もそれを掲げた。そして成した」
嘘だ。
「テメェが見捨てた少数を救った」
やめろ。
「掲げた正義の果てを知った」
やめてくれ。
「あんたがその果てだ――『正義の味方』」
昔、一人の少年を救ったことがある。
長く続いていた戦争を終わらせるために、世界のあちこちを飛び回っていた時期だった。
助けて。そう叫んでいた少年を、救ったことがあった。
左半身が真黒な
それから少年は、僕によく懐いた。
終わりがないような薄汚い戦地を、どこまでも少年は付いてきた。
砂漠に飲まれた街を。怒号と断末魔の叫びが飛び交う密林を。数多くの住民が住む市街地を。
どこまでも少年は付いてきた。
いつしか五年が経っていた。
少年は青年へとなろうとしていた。
――あんたの夢って、なんなんだ。
そのときの少年のことをよく覚えている。
長く続いた戦争が終わる。その前の日の晩のことだった。
僕をまっすぐに見つめる少年の目の中に、単純な疑問の中に混ざり合った、恐怖と、それを塗りつぶす憧憬が見えた。
それをとても眩しく思えたことを、今でもよく、覚えている。
――僕の夢……そうだな。世界を救うこと、それが僕の夢だ。
そう言ったあの日のことを、僕は、いつしか忘れてしまっていた。
「あんた、言ったよな。いつか自分がこの理想を捨ててしまったら――」
――君の手で、同じ痛みで、僕を殺してくれ。
そんなことを、言っていた。
あの頃の僕はそんなことを、言っていた。
「約束を果たしに来た」
勇者が――もう青年になってしまった少年が、再び剣を振り上げる。
痛みを堪えるように、何かに耐えるように。
ゆっくりと、剣を振り上げた。
「ぼくの『正義』には、きみはひつようじゃなかった」
「知ってる」
「きみのことを、『理想』と『正義』をまちがえた、ばかだって。おもってた」
「……知ってる」
「まおうところしあって、かってにしぬんだろうって、おもってた」
過去の僕と、今の僕は違う。
同じ人間でも、過去と今じゃ、『正義』も『理想』も何もかもが違う。
勇者と僕の『正義』は、絶対に交わらないことも、分かっていた。理由は分からなかったけど。
今ならわかる。
『理想』という、必要のない心を持った勇者/昔の僕は、きっと今の僕にとって――『正義』という
そしてその愚かさは、人が最も大事にしているものなのだと。
僕は、全てに裏切られて、そして勇者と対面して、気付いた。
「その腹の傷、裏切られたんだな」
「うん……うしろから、うたれたんだ」
「ざまぁねぇよ」
「そうだね。でも、まちがっていたとは、おもわない」
「そう、か」
「これがぼくの、『正義』だから、ね」
ぼんやりと空を見上げた。
雲一つない空には、一匹の鳥が飛んでいる。
彼らは自由と言う言葉を知らない。
彼らには名前がない。理性がない。知ることも考えることもない。ましては正義も善悪もない。
どれだけ素晴らしいことだろう。
何も疑問に思わずに、自らの本能を振るえることは。
空に影が差す。
勇者の剣が、僕に向かって振り下ろされていた。
避けることはしない。ただ、受け止める。
ゾブリ
肉を鋼が侵す音がして。
僕の意識は途絶えた。
*
閉じた瞼の向こうに、光が見えた。
森の木々の向こう側に見える、木漏れ日のような光だ。
「ここは……いったい」
目を開くと、そこは薄暗い地下牢だった。
錆びているにも関わらず、頑丈な偉容を見せる鉄格子。干からびて白くなった石畳。近くには、折れた鉄パイプが転がっている。壁には蜘蛛の巣と植物の蔦。天井は崩落して、所々から光が差し込んでいる。
もう何年も放置されているような、そんな雰囲気のこの場所に、いつの間にか僕は居た。
「たしか僕は、彼に……僕は、死んだんじゃ、なかったのか」
記憶の繋がりが断絶している。どうしてこんな所にいるのかが、思い出せない。
一番有力なのが、彼が僕を殺さずに気絶させ、ここに運び込んだこと。
これが一番現実味がある。だけどそれは絶対にありえない。彼が、過去の僕との約束を破ってまで、今の僕を生かそうとする理由が見つからない。
次に、第三者が僕を助けた可能性。
無い。まったくもってありえない。僕は全世界共通の犯罪者として扱われているし、もし第三者が僕を助けようとしたとしても、あの時僕を殺そうとしていた彼を出し抜いての救出なんて、不可能だ。
そもそも、多数を生かすために躊躇なく少数を殺すような人間を、危険を冒してでも助けようとする人間なんていないだろう。
最後に……これが一番ありえない。
「まったく別の世界に転生した可能性……か」
過去、僕が出会った人間の中に、稀に居た人物たち。
自らを転生者と呼び、信じられない力を振るう超常のモノたち。彼らの話を聞いたところによれば、割とよくあることらしい。死んだ魂が全く別の世界で肉体を持つことは。
しかしそんなことが本当にあるのだろうか。
到底信じられることではない。
信じられることではないが――
「ともかく、外に出てみない限りには何もわからない、か」
呟いて、立ち上がる。
そうして、そこまでしてようやく、僕は自分の身に起こっている異常に気が付いた。
「目線が低い……周りのモノが巨大なのか。いや、体が縮んでいるのか?」
最初に感じた違和感は目線の位置。
立ち上がってみると、とてもよくわかる。自分の身長なんて覚えていないけど、こんなに小さくはなかったことは確かだ。かといって周りのモノが巨大なのかといえば、そうでもない。足元を這う蜘蛛が、常識的な大きさであることが証拠だ。
次は声。
僕の喉は、ずいぶんと昔にいかれてしまっている。声を出しても、出るのは空気が漏れるような、擦れた低い声だったはずだ。
だけど今出していた声は、まるで、そう。まるで幼い少女のような、透き通った、綺麗な声。
最後に、五感。
殆ど聞こえなくなった耳。眼鏡をかけていないと、ピントが合わなくなっていた目。利かなくなった鼻と、触覚。
その全部が、ハッキリと僕に情報を伝える。
脳に、もう得られることがなくなってしまっていた刺激が、津波のように押し寄せてくる。
「こ、れは……」
ふらりと、足元が崩れて尻もちをつく。
心臓の音がバクバクと暴れている。
「ありえない。こんなことが、いや、でも、これは。夢?」
自然、息が荒くなる。
自分を落ち着かせるために掻き毟ろうとした頭に、それはあった。
まっすぐに立って。
柔らかな毛に覆われた。
大きくて。
まるで獣のような。
「――耳?」
耳が、生えていた。
「な、な、な……なッ」
驚愕に身を固まらせていると、視界の端にゆらりと動くものを見つける。
それはまるで動物の尻尾のようだった。いや、間違いない。それは、動物の尻尾だった。
ふさふさとした毛並み。先端に向かって細くなっている形状。意志を持っているかのような、ゆらりゆらりとした動き方。
どうしてそんなものがここに。とか。
そんなはずがない。だとか。
現実逃避じみた考えが次々に頭に浮かんでは、消えていって、最後には結局。
ゆっくりと、不規則に動くその尻尾を目でたどっていく。
先端から、その根元を確認するために視線を動かしていく。
そしてソレは、僕の背後に続いている。
「まさ、か」
そんなことをこぼしたけど、もうとっくに答えは頭に出ていた。
視線の先、首を背後に回して見た、僕の目には想像通りの光景があった。
その尻尾は、僕から生えていた。
「なァ――――ッ!?」
ありえないありえない。
僕は動物になってしまったのか。
いやそれならまだ良かった。まだ生きる場所がある。
だがまさか僕はよりにもよって、『魔人』になってしまったのか!?
何の因果かは分からない。どうして死んだはずの僕が生きているのかとか、どうして背丈が縮んで、殆ど失ってしまった五感が再生しているのかだとか。そんなことはもうどうでもよかった。
ただ僕は、自分が魔人になってしまった。その事実に打ちひしがれていた。
『魔人』というのは、彼――勇者が討伐した魔王。その眷属のことだ。
『魔人』はみな、例外なく主である魔王に忠誠を誓っている。そして理性と、本能と、心と、魂を代価に、常人ならざる身体能力と、馬鹿げた魔法適正を手に入れた『元』人間。
決して死ぬことのない、不死身の化け物。
それが『魔人』。
特徴は、
上半身はヒトだけど、下半身は蟷螂。見た目は人間そのものだけど、猛獣の爪や牙を持つもの。果てには顔以外が梟になっていたもの。
それが『魔人』。
魔王の眷属。
人を根絶させるために、全世界に戦争を仕掛けた愚王の兵。
その魔人に、僕はなっていた。
「嘘だ」
ぽつりと声が零れる。
「嘘だ」
僕は『正義の味方』だった。
誰になんと言われても、どんなに外道に落ちたとしても。『正義の味方』だった。
人を救うため、死ななくていい誰かを救うため。そのために僕は『正義の味方』になった。
その、僕が。
「嘘だ」
死ななくていい誰かを、理性も本能も心も正義も善悪も。なにも掲げずに、何も持たずに、殺し続ける『魔人』になってしまった。
「……嘘だと言ってくれ」
だったらもう、僕が取るべき行動は一つしかない。
『正義の味方』である僕が取るべき選択は、一つだけだ。
「死ぬしかない」
僕は転がっていた鉄パイプをひろう。
まるで誰かが僕の為に用意してくれていたかのように、目を覚ましたその瞬間からそこにあったモノ。
あの時の彼のように、僕は大きく鉄パイプを振りかぶる。
「死ね」
*
ベル・クラネルは冒険者である。
といっても、つい半月前になったばかりの、成りたてではあるが。
田舎からはるばる、この迷宮都市オラリオにやってきたベルは、数々のファミリアに入団を断られていたにも関わらず、自分を眷属として受け入れてくれた女神の為。そして自身の夢である、ダンジョンでの女の子との出会いのため、今日も朝早くからダンジョンに潜ろうとしていた――――のだが。
「迷っちゃった……?」
道に迷ってしまった。
このオラリオには、ダイダロス通りという、迷宮じみた区画が存在する。
入ってしまったが最後、複雑怪奇な道と、日の光の届きにくい故の薄暗さで、抜け出すことは運次第。そんな、なぜこんな場所があるのか理解に苦しむ場所がある。
そのダイダロス通りこそ、今現在ベルがいる場所である。
「ど、どど、どうしよう……」
このダイダロス通りにベルが迷い込んで、そろそろ一時間が過ぎる。
人気のないこの場所で、一人で迷い歩くのは心細い。
もうずっとここから出られないかもしれない。
そんな考えが、ベルの頭をよぎったその瞬間。
「え、うっ、うわぁっ!?」
突然ベルの歩いていた道が崩れた。
当然、回避できるはずもなく、突然できた落とし穴に落ちるベル。
「いたたた――あれ?」
受け身も取れず、体をしたたかに打ち付けられたベルは、痛みにうめく。
しかし次の瞬間には、その痛みも忘れていた。
「――――ッ」
ベルの目の前には、まだ年端もいかぬ
曇り空のような灰色の髪に、磨き抜かれた紫水晶のような紫の瞳をもつ少女。
少女は、死んだような眼をして、光が差し込んだ緑の地下牢の中に一人、鎖でつながれていた。
まるでそれは、祖父が自分に言い聞かしてくれたおとぎ話に出てきた、捕らわれの姫のようだった。
その光景に、ベルは短く息をのむ。
少女の美しさや、その幻想的な光景にではない。
鎖につながれている少女の、あまりの痛ましさにだ。
どれほどの時間ここにつながれていたのかは分からない。
だけどきっと寂しかったに違いない。心細かったに違いない。
こんな地下牢に繋がれているなんて、尋常のことじゃない。
――助けなきゃ
ベルは急いで立ち上がると、牢の前に駆け出す。
「大丈夫?心配しないで、今助けるからっ」
精一杯の笑顔を少女に向ける。
そしてそのまま、牢の扉を思いっきり引っぱった。
するとどうだ。牢を閉じていた扉は、驚くほどあっけなくその禁を解き、少女への道を開いた。
勢いのままベルは牢の中に入り、少女を縛っている鎖を引き千切る。
鎖もまた、思い切り力を籠めるまでもなく、簡単に砕けた。
牢を開け、鎖を砕いたベルは、少女の前にかがみこむ。
薄ぼんやりとした少女の瞳をしっかりと見据えると、こういった。
「僕はベル。ベル・クラネル。キミは?」