異世界で頑張ったので出戻りますね あるいは彼女は如何にして悩むのを止め、現代をエンジョイするようになったか 作:大回転スカイミサイル
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―――ふと気づけば。その少女は、深く深く降り積もる雪の中で佇んでいた。
少女の隣りにいる、少女と見紛うばかりの少年もまた、佇む少女の隣でしんしんと降り積もる雪に埋もれるように座している。
見回せば、荒野。
雪は総てを覆い隠し、押し流すかのように降り積もる。
降り積もり、いつかは解け消えるそれは、まるで二人の悲しみのようにしんしんと、しんしんと、深々と降り積もっていく。
「……そろそろ行きましょう」
「……そうね。もう、ここで私達ができることはなにもないわ」
ふと降り積もる雪の向こうを見れば、斧を携えて二人を待っている山人が一人。
「気ぃぁぁ済んだかいや?」
「うん、ごめんね。カイム師匠。もう大丈夫」
力なく、疲れと悲しみと怒りと―――少しの憎しみを綯い交ぜにした笑みを浮かべた少女は、カイムと呼ばれた山人へと会釈して、一度だけ振り返った。
なにもない荒野。
ただ、そこにはかつてなにか温かいものがあったのだとわかる。
その思い出を振り切るかのように耳長の少女は歩き出す。
髪は太陽、肌は白磁、瞳は翠玉。
その長い長い耳は彼女が上古の森人であることを如実に示していた。
「……さよなら」
少女は静かにその雪の大地をあとにする。
―――その世界には、きっと何も残っていない。
命も、光も、希望も、絶望も、明日も、過去も。
だから―――彼女はその瞳の端から二粒涙をこぼした。
それで、何もかもが仕舞。
この地での物語は幕を閉じる。
―――なぜこんな―――無の大地しか残らない物語が紡がれたのか。
時は数ヶ月前に遡る……
「ぬぁぁぁ!まぁぁぁぁずぅぅいッ!!なんじゃいなこりぁぁ!!」
酒場でその酒を飲み干した山人の吟遊詩人―――カイムは憎しみすらこもった呆れ声を爆発したかのように響かせた。
「うーえー実際まっズゥ……薄めたワインのが114514倍マシなんだけど、なにこれぇ……」
青いリボンで髪をまとめた耳長の少女はそう言ってまだマシ―――というよりむしろうまい部類に入る付け合せのチーズを口にして一息ついた。
「うーん。ハーブの入れすぎかつ酒の質そのものが悪いようですね。これはほぼ毒物です」
酒精を好まないと見える色黒の少年は、そうしてぺっぺっと吐き出すように舌を出して辟易する。
「悪魔よぉ、なんだってこんなまじぃ酒ぁ作るぅ思うぇ?」
げんなりして、自分の腰のスキットルを取り出して中身を呷ったカイムが聞くと、「このルル・ホーレスといえど専門外のことはわかりかねますねえ」と苦笑する。
「ミナさんはどう思います?」
「どう、って聞かれてもあんたと同じ感想だけど。食い物はともかく、酒は相当ケチってるわこれ」
ミナもまたカイムと同じく無限のバッグから水筒を取り出して中身をグラスに注いだ。
それは柑橘で造られた果実酒で、先日故郷へ足を運んだときに姉のポーティから樽一つぶんもらったうちの一部であった。
「はー、テンション下がるわぁ。ああ、師匠これ飲む?」
ミナが水筒を差し出すと「酒精がよえすぎっけんじも、こいよらぁマシよなぁ」と苦笑して彼はジョッキを彼女へと差し出した。
普通の店なら持ち込みは遠慮されるところだが、この店はいわゆる冒険者の宿であり、別にいくら持ち込みがあろうと店主が気にすることはないだろう。
紫の髪をした給仕……短いながらも尖った耳を持つ少年から注文した豚の丸焼きを受け取りつつ、ルルは「あなた方山人は飲み過ぎなんです」と辛辣な言葉とは裏腹な笑顔を向けた。
「わいにそのニヤケヅラぁ向けんねぇ、この変態はぁ」
鬱陶しいとばかりにカイムは丸焼きにナイフを刺して解体していく。
その間にミナはもう一つの注文、緑野菜の肉詰め丸煮を受け取ってそちらを解体していた。
「まぁまぁ……」
ミナは微妙に険悪なままの二人を仲裁するかのように二人の前に取り分けた丸煮を置いていく。
何故こうなっているかと言えば、ほぼルルが悪いと言える。
ハルティアと彼女の兄を「名もなきワタシ」から奪い返し、そして今目の前で従者となっている少年に名を与えてからすでに3年が経過していた。
それでもハルティアと彼女の兄がいた頃は、二人がカイムをなだめていてくれたのだが、二人が北の国に帰ることになって一旦パーティ解散してから半年。
日に日に二人は険悪になるばかりである。
「師匠~お願いですから、『ワタシ』とこのあんぽんたんは割と別モンになっちゃってるってこと認めてくださいよぅ……ルルも煽んじゃねえよ。おめー、自分が何したかだけは覚えてんだろうが」
丸煮にフォークを刺しつつ、ミナはうんざりと二人を窘めていく。
しかしそれも当然だろう。
カイムはルル……ワタシと名乗っていた黒い悪魔に仲間と弟子を殺され、しかもその死体と戦わされた。
更には2度も煮え湯を飲まされるという経験をしているのだ。
如何に彼が何者か……彼を作ったか、産んだかは不明だが、彼の親に当たる何者かからの呪縛から解き放たれ、こうして自我を持っているとしてもそう簡単に仲良くできるはずもない。
「ふん……ワイはええわぁ。煽っちくぅこいが悪いわ」
「僕は何度も謝罪していますし、何よりハルティアさんやイナースさんは許してくれました。3年前ならともかく、今の僕に落ち度はないのですが」
ルルはそれ以上は口にしなかった。
彼が何を言おうとしたかはミナにもわかる。
―――結局、侵入者を殺しただけなのだ、彼は。
彼が関係ない一般人に手をかけようとしたのは、リドル輸送団の本拠地での一度だけ。
その一度とて、怪我人がいくらか出ただけで死者はいない。
……闇の住人、バグった存在であるとは言え、彼の罪はミナの永遠の従者になることで許されるはずなのだ。
カイムはそれをまだ納得できていないらしい。
「イナースさんも言ってたでしょう。ルルは調和の一部。殺したら後々の世で災いが起きるたぐいの存在なんだって」
調和神の神託、そして豊穣の女神プロマールも同じ神託を出した。
つまり、彼を殺してしまえば確実に災いが起きると言って過言ではないのだ。
「そいがぁ納得いかにぇっち言うてんだわいや。だぁから鍛冶神さんの神官とこさ行こうべって話じゃろぉ」
そのカイムの言葉、吟遊詩人としての師匠の言葉にミナはしばし内心で頭を抱える。
人に味方する正しき神々にも意志がある。
故にその意見は異なる可能性がある。
もし鍛冶神が彼を殺すべしとしてしまえば、最悪只人と山人の間で宗教戦争が起こりかねない。
只人にとっては、調和神ディーヴァーガ、豊穣神プロマール、戦神テムジナーを始めとする六柱の大神こそが信じるべき神だが、山人にとっては鍛冶神と酒神が主神だ。
エルフであるミナにとっては、頭の痛い問題である。
事実として、神官としてはすでに最高位、古代語の魔術師としても中堅以上という彼女にとっては。
「師匠、わかってますってば。だから飯のときくらいは機嫌よく行きましょうよ」
ミナははーと大きなため息をついて、カイムが切り分けた六脚豚の丸焼きの一切れをバクリと一息に口に入れて咀嚼し、そして姉の酒で飲み下した。
「……わぁっとぉがぁ。だいど、こいほど酒ぁまじぃと……機嫌よくしろたぁ無理がいな」
カイムの言葉にミナも内心同意する。
旅路の途中、疲れた頭を休ませるには強い酒が必要だ。
ドワーフたちのよく言うことだが、ミナもまた同じように捉えていた。
酒は嫌なことや直面している問題を、忘れさせてくれることはない。
だが、脳を麻痺させて気にしないようにしてくれる魔法の液体だ。
前世の頃からミナはそう思っていたし、だからこそ―――邪神の跳梁を知らぬこの頃は―――酒の飲みすぎで死んだのだと思っていた。
「っすねー……ルルゥ、なんか良い魔法ない?」
「難しいですねえ……浄水の魔法は酒精をも分解してしまうものですし」
ルルはそうして首を傾げて、「ちょっとメモを調べてみます」とバッグから出した分厚い辞書のようなメモ帳を紐解き始めた。
それを見てこれ以上この場では余計なことは言われないと察したのか、カイムは「じゃぁ飯にすっぱいぇ」と諦めたような声音でため息をついた。
「りょーかいっすー」
ミナもどこか脱力した様子で水筒を3つほど出した。
全部が全部、ミナが集めた酒のたぐいで、どれもこれもがエルフ好みの酒精の弱い果実酒であったが、それでもカイムの機嫌が直ってほしいとの願いを込めて空になったカイムのジョッキに注ぎ込む。
「んーーー確かにこいつぁうぅまいがよぉ」
「前の街で火酒追加購入しときゃよかったっすねー……」
二人は遠い目でうまいアルコール度数の高い酒のことに思いを馳せた。
するとしばらくして、店主と思しき青髪の青年―――顔立ちから言って、給仕をしている少年の兄か父のハーフエルフなのだろう。
そんな男が話しかけてきた。
「失礼。他国から来た冒険者さんと見受けますが」
丁寧に、しかし僅かな敵意を込めた言葉にミナは「そうですけど?」と気づいていないふりをして目を細め、そう答えて丸焼きをむしゃりと食む。
その様子に、何故か苛つくものを感じたのか、青年は「酒を出すのは結構ですが、見ての通り―――いえ、味わってくださってのとおり、今の国にはまともな酒がない」と周囲をちらりと見回してから、ミナの目を睨んだ。
「……確かに、なんか睨まれてるわね。敵意なら気づいたけど……」
それは敵意ではなく、羨望だ。
ミナとカイムが飲んでいるその酒、ハイエルフの果実酒というめったに手に入らぬ高級酒を惜しげもなくガブガブ飲んでいる二人を羨んでの目だ。
その目に、明らかに酒に飢えているのだ、とカイムとともに持ってきた酒が完全にすっからかんになりながら砂漠の神殿を目指した日のことを思い出す。
「あー……なにがあったか、教えてもらえます?」
「ワイも気になるぇ。こん国にいる間、ずぅっとこいがまじぃ酒とミナの薄い酒だけでぁ死んじまわぁ」
ミナが苦笑しながらそう聞くと、カイムが不機嫌にそう続けた。
「……随分と自信があるようだ。では教えましょう。上流の館に住む領主殿が、なんでも病を根絶する実験と称して良質の酒を集めているらしい。そのせいでこうした場末の冒険者の宿や、庶民には安酒、それもこうして香草を飲めなくなる寸前まで混ぜないと飲めないカス酒しか手に入らんのですよ」
ボサボサの髪を掻いて、カマーベストの端をパンと叩く。
「……あなたも冒険者なら、報酬は必要でしょう?」
少しだけ言いよどんで、彼はそう言って笑う。
おそらくはその仕草と表情から、100の巡りは生きていると見える彼にミナは「いただけるなら」と肩をすくめた。
正直、ミナとしては特に彼から依頼を受ける義理も人情もない。
そして、彼の言葉からすると領主とやらは「消毒」の研究をしているように思えた。
だったら放っておけばいい、とすら思うが……
ミナは一瞬逡巡して答えを紡ぐ。
「いいでしょう。領主さんのやろうとしてることはまぁまぁ想像がつくのだけど、庶民の生活を台無しにしてまでやることじゃないしね」
「ワイもミナに賛成じゃわぁ。酒は飲むもんで、傷を焼くのは副次的なもんじゃわい。添え物つーかなぇ」
そう、少なくともこの国……シースター王国のような小国にはちゃんとした上水道がない。
井戸水を利用できる場所はともかく、それ以外の場所は川の水を煮沸した上で酒を混ぜて飲むのが一般的なのだ。
それを糞不味い酒しか残さないようでは、消毒以前に腹の衛生面で民が死にかねない。
放置しておくにはなかなか面倒な事態であった。
「ルルもそれでいい……ってまだメモ見てたんかい」
ペラペラと自分の書いたメモ……ほとんど研究資料と言っていいそれを逐一読み込み続ける従者に、ミナはチョップを頭に食らわせる。
「痛いじゃないですか」
「痛くしてんのよ。とりあえずこのお兄さんの話を聞きましょう?」
抗議する少年にミナはそう返して、青髪のハーフエルフへと視線を向けた。
「……真なる白いシーが死に侵された黒きシーを下僕にしているとは、なんとも珍しいですね……」
青髪のハーフエルフはそういうと、羊皮紙を一つ取り出して「依頼の前におふたりともサインください」と今までの警戒心はどこへやら、ニコリと笑って告げたのであった。
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