異世界で頑張ったので出戻りますね あるいは彼女は如何にして悩むのを止め、現代をエンジョイするようになったか 作:大回転スカイミサイル
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烹炊所へのドアを抜け、そのまま食料庫の底へと歩んでいく。
十数段ほど降りて―――気づいたのは、強烈な酒の匂いだった。
「うっ……これは……」
消毒用アルコールそのものの匂い。
酒好きのミナでも辟易するほどのその匂いは、平気なのはカイムだけで、ラトリもルルでさえも鼻を押さえるほどのアルコール臭だ。
「なんだぇこいはあ……」
カイムはそうしてラトリに「灯り、消すべきだぁな」と言って、彼もまたカンテラの火を消して立ち止まった。
「……私なら大丈夫です。この眼鏡は暗視用の魔法の眼鏡でもあるので」と参謀は笑い、そのまま階段を降りていく。
そこには……
「いらっしゃったのですか。ナターシャ様」
淡い金色の流れるような見事な髪をポニーテールに縛った、軽装の女戦士がいた。
「……ラトリ。そのものらは?」
「異国の勇者ミナ・トワイライト殿とそのお仲間にございます、奥方様」
鋭い瞳と豊満な身体。
しかし、腹筋はよく見ればかすかに割れており腕や脚も筋肉がないわけではない。
よく鍛え上げられた戦士の身体をしている女性だった。
「……ほう。あなたが……詩歌に謳われる姿ではないが、そういうものだろう」
ニヤリと笑ったその顔は猛禽を思わせ、今はこの場にいない友人の顔を思い出させる。
「我が名はナターシャ・ツマイサ。カーツ・ツマイサ伯爵の妻をしている……こういう言い方は変かもしれんが、許されよ」
元は軍人だったのだろう、実直なその様子にミナは好感を持った。
「お世話になります。ミナ・トワイライトと申します」
ミナがそう言って彼女に近づいていくと、より一層酒精の匂いが強くなった。
「不躾ですが、この強烈な御酒の匂いは……?」
ミナがそう聞くと、彼女は深い溜め息をついて―――「我が夫が吐いているものだ」と俯いた。
ミナはその言葉を噛み砕くように聞いて、そして自分の想像が一部当たっていることを確信した。
「―――魔王の呪い、ですか」
「然り。魔王を倒したこともある貴女ならわかるだろう。酒の魔王に我が夫は魅入られてしまった―――ここから出さぬためには、酒が必要なのだよ」
ミナはそれを聞いて目を掌で塞いで、あちゃぁ、と小さく呟いた。
当然だ。
すなわち、もう―――
「……なるほど。それではもうできることは一つしかないはず……」
ミナがそう表情を消してナターシャを見れば、彼女は薄く笑っていた。
その笑みが何を意味しているのかは―――わからない。
「ええ、わかっているとも。こうなっては殺す以外に方策はないが、我が領にも我が国にも魔王の呪いでバケモノとなったものを殺すことのできるものなどおらん」
元は王都の貴族子女であったというナターシャは、すでに中央にはこの件を伝えているのだと言う。
だが、魔王である。
辺境の小国に対処できるはずもなく……国から予算をもらい、一時的にこうして酒漬けにして封じているのだ。
「……では、私にやってほしいことというのは」
「そのとおりです―――伯爵閣下を殺して差し上げてほしい」
後ろで控えていたラトリが感情を押し殺して、ミナを見つめていた。
その視線に恨みがましい目を向けながらも、納得するしかないとナターシャもまた複雑な表情を浮かべている。
「想像の1000倍以上の難事、だということはよくわかりました。しかし……」
「そがいんなったもんば殺しちも、貴族さ殺すんかぁんねえじゃろぇ。ワイらに罪ぃ押し付けるようなぁこたぁねぁと確約してくれっけぇ?」
言いよどんだミナの言葉をカイムがつないだ。
あまりに直截であるがゆえ、その言葉にラトリは少しだけムッとするが、しかしすぐにも表情を整えて見返してくる。
「無論のこと……王都におわす王も王妃もこれはご了承いただいているものとご理解ください。この城館で知るものは我々だけですが、ね。流石に王に知らせぬのは問題だ」
ラトリは忸怩たる思いがあるのだと、唇をへの字に歪めてそう返した。
「……私とて、助けられるのであれば夫を助けたい。政略による婚姻ではあったが、しかし私はあの男を愛しているのだ……そしてラトリ参謀も同じである」
聞けば、ラトリは父無し子として生まれ、母も早くに亡くして伯爵に拾われて育ったのだという。
義理の父とも言える男を殺してほしいなどと、普通には言えないだろう、とミナもカイムも思う。
「……?」
理解がうまくいっていないのはこの場ではルルだけであった。
「……良いのです。私の育ての父は、あの日、魔王に殺されてしまったのです……」
ふいと目をそらし、男は憎悪すら―――おそらくは自分への―――抱いた顔で奥歯を噛み締める。
ギリ、と砕けよとばかりに噛み締めた口の端からは一筋の血が流れていた。
ミナはその二人の様子に、深く思う。
―――下手に言われたままやったら大変お労しいことになるが、言われたままにやらなかったらそれはそれで二人が悲しむという二律背反しか存在しない。
これはそのような話なのだ、と。
魔王の呪いを放置したままにすることも出来ない―――成長した魔王が伯爵を媒介に地上に出るようなことがないとは言えないのだ。
「……呪いの大本になるバグダンジョンは割れていますか?」
勇者が問うと、二人共が首を横に振った。
ミナは天を仰ぐしかない―――ほぼ詰みである。
あるとすればこの先にいる魔王の呪いに蝕まれた伯爵をここから出して、誰もいない洞窟にでも封印すること―――
或いは、ホーリーフィックスを使ってバグと化してしまった彼が外に出ることのできない空間を作って、そこから出さないこと。
どちらもミナがつきっきりになって対処を続けねばならず、現実的な方法とは言えなかった。
―――何より、ホーリーフィックスはミナにとってもまだ一度しか成功したことのない術。
確実ではない方法に身を委ねることは難しいと言わざるを得なかった。
ミナはカイムを見つめ、彼もまた首を横に振ったことを確認すると「仕方ない」と小さく、低く呟く。
呟いてから、「わかりました。状態を見て、ダメそうなら―――私が介錯します」と淡々と感情を交えずに答えた。
「ありがとうございます……」
「感謝する、勇者殿……」
理屈で納得できていても、心が納得出来ないという顔の二人にミナは神官として「悲しみすぎないでください。私は魔から彼の人を救い出しましょう。彼の人をバグのループから調和の輪に戻してみせましょう」と声をかける。
その様子をルルだけが、終始理解ができないという顔で見つめていた。
「魔王の呪い?」
ミナが口を潤すためにオレンジジュースを口にした一瞬に、空悟がそう聞いてきた。
ミナはこくりと喉を鳴らしてジュースを飲み下すと、その疑問へと回答する。
「ああ、そうさ。魔王、魔精霊と言った連中はこれと見定めた人間を遠隔で呪うこともある……もしかするとかけるちゃん―――の先祖もそうなのかもしれない」
その呪いは厄介で、通常の方法では解呪できない。
「まぁ今の僕やミナさんほどともなれば、無理やり解呪も全然できるんですけどね」
お茶を注ぎながらルルはそう言って微笑んだ。
「まぁそれでも解呪できないパターンもありますが―――とりあえずこのときの僕もミナさんも能力不足で、ツマイサ伯の呪いを解くことは不可能でした」
ルルは遠い目で、かつての自分を呪うように天を睨み付ける。
その顔を見たミナは、フッと笑ってまたハープを手に取るのであった。
―――ひと目見て。
もしかしたらとか細い希望を抱いて見たその―――人間だったものは。
勇者の期待を全く裏切るものであった。
「……申し訳ありません。もしかと思って解呪を最大の力で―――我が従者とともに仕掛けてみましたが」
それ以上は言葉にはならなかった。
ミナとルルが魔力の半分以上を使って使ったリムーブカースの術。
それは何の意味もなく、小さな光を放つのみで霧散してしまっていた。
「これは……魔王そのものからカースの力を補充されているようですね。魔力の強い流れを感じます―――奴さん、よほど外に出たいようだ。かなり絶望的だと言わざるを得ませんねえ」
「言葉ぁ考えろスカタン悪魔がぁ!」
わずかに落胆した伯爵夫人と参謀の表情を見抜いたカイムが拳骨を思いっきりルルに振り下ろした。
ガヅン!となんとも痛そうな音が響く。
「……あなたに殴られるいわれはないのですが」
「カイム師匠が殴ってなかったら私が全力でぶちかましてたわ、この大馬鹿野郎!!」
ミナが大声を出してルルの頭を地面に叩きつけ、「大変申し訳ありません、うちのバカが失礼を!」と一緒に土下座した。
「こ、頭を上げられよ!我等とて諦めてはいたことだ!その従者殿の言葉はともかくとして、貴女に頭を下げられては!」
大慌てでナターシャはミナの肩を掴んで、半ば強引に彼女の頭を自分の顔へと向けさせる。
「……申し訳ない。介錯を頼み申す……」
そうして涙ぐみ、ミナの手を握る女戦士に―――勇者は「話してください。この―――人であった方がどうしてこうなったかのお話を」とつぶやくように言った。
本当は聞いてはならないことであろうというのはミナにだってわかっている。
だが、だからこそ聞いて置かなければならない。
そう思った。
―――カーツ・ツマイサ伯爵はこのツマイサ領の領主一家に生まれ、国境に面する領の主として武技の研鑽に弛むことなく努め、無事に領主となり、妻であるナターシャを娶り、幸せに暮らしていた。
しかし、カーツは多くの武芸者、冒険者がそうであるように酒を好む人間であった。
やがて彼はより旨い酒は何か、酒の酔う以外の効能は何か、ということを追求していくようになったと言う。
「ドワーフの秘術を知り、蒸留の実験も行っていました。ひとえに病と娯楽に飢える民のため、そしてほんの少しの趣味のために」
ラトリはそう言って嘆息する。
それが酒の魔王に目をつけられたのだろう、と。
ここまではまっとうな話である。
領主には何の落ち度もなさそうであった。
ミナは考える。
その程度で辺境の領主風情を魔王が見咎め、こうして―――酒を飲む口と盃を掴む腕だけの怪物にしてしまうだろうか。
凄まじい酒気を放つ人であったものを見つめて、ミナは考える。
こう言う場合、なにか禁忌を犯したというのが相場だが―――しかし……
「ご領主がこの地から離れたことはありませんか?」
「いえ。伯爵閣下はご成婚後は王都での急用、または王からの召喚を除けばまずこの城館か城下町でしか行動していないはずです」
ラトリがそう答えて、一冊の本を懐から取り出した。
「それは?」
「カーツ様の日記です……最後の日までほとんどが政務のことだけが書いてあります」
ミナは渡された日記をつぶさに確認していき―――
「なるほど……確かに日記には何も怪しいところはなさそう―――か、な?」
ミナは最後のページを捲ると、そこにランダムに記載された文字がいくつもあることに気づいた。
「……えーと……全くつながらない文字列ですね……うーん……」
ミナはそうして―――後ろから覗いていたルルに声を掛けられた。
「ミナさん、一番下の数字はなんですか?ページ番号ではないようですが」
「あ、ホントだ」
ミナもそれに気づいて、そして―――少しだけ頭痛がして、小さい頃、幼い頃に―――否。
前世の友、今野空悟という中学卒業のときに別れたっきり―――だと思い込まされていた―――親友の顔が思い浮かんだ。
「……スキュタレー暗号」
ミナはそうしてナターシャへと向き合って、「奥方様、一つお許し願いたいことがございます」と彼女の紅玉の瞳を見つめる。
「奥方様はやめてほしい……こそばゆい。ナターシャで良い。敬語も少なめで頼む」
ナターシャにそう言われて、ミナは「ではナターシャ様。このページに書かれているのは『転置暗号』というものです。これは―――」とそのページに書かれた暗号について話をした。
スキュタレー暗号とはギリシャ語でバトンを意味する「スキュタレー」に由来する。
決められた範囲で意味のある文章を綴り、それを切り裂いて帯とする。
このとき記載された文章は一見意味のない文字列に見えるようになる。
その帯をスキュタレー、即ち一定の太さを持つバトンへと巻きつけることで意味を回復させるのだ。
ミナはそれを空悟が好きだったとある特撮映画で知っていたのだ。
こちらの世界ではミナは少なくともまだ見たことがなく、目の前のラトリ参謀もまた知らなかったようだ。
「これは―――私も知らないものですね。奥様は?」
ラトリが主君の妻にそう聞くと、「……結婚する前に、恋文にこんなのを持ってきたことがあったな……全く読めず、どういうことだと直接聞きに行ったら、結婚したいって直接伝えるのが恥ずかしかったと……」と目を伏せる。
地面に小さく水が落ちる。
―――それはたしかに涙であった。
その涙をミナは見ないふりをして―――そしてラトリに「この数字が巻きつけるべき太さのスキュタレーです。これを作るか、あるいは伯爵の持ち物から見つかれば内容がわかると思います」とページの下の方に書いてあった数字を伝えた。
「―――わかりました。一縷の望みの可能性はある……いいでしょう。この太さの棒を用意させます」
ラトリはそう言って一礼し、階段をいま来たのとは逆に登っていく。
ぽたり、ぽたりとナターシャの涙が階段へと落ちていく。
階段の先に見えるのは―――ああ、そうだ。先にも言ったとおり。
樽から酒を酌む腕と、それを飲み下す口しか持たぬ。
全身から汗―――否、訓練していないものなら昏倒しかねない濃密な酒気を放っている。
ミナはその人であった怪物を一瞥し、そしてナターシャの隣りに座ったのであった。
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