異世界で頑張ったので出戻りますね あるいは彼女は如何にして悩むのを止め、現代をエンジョイするようになったか 作:大回転スカイミサイル
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アルコールの海を泳いでいるようだと、ミナは思った。
ブルーリボンもウォーターブリージングも通り抜けて、此方を酩酊させ、麻痺させ、死に追いやる停止の風。
深呼吸するだけで泥酔しかねない。
「まさに究極のアルハラね……!」
解毒の魔法を唱えつつ、しかしそれだけでは無意味と悟りながらミナは魔力を集中させる。
『ふっふふふははははははは!何だそのざまは!ワシの酒を飲んでねえのにそのざまたぁ、笑わせおるわ!』
巨大な盃を掲げ、なみなみと注がれた白い酒をその魔は飲み干した。
「み、ミナ……あれは……!!」
「あ、ぐぁぁぁぁ……!」
なんとか意識を保ってはいるものの、もはらナターシャもラトリも息も絶え絶え、急性アルコール中毒の疑いを示す真っ赤な顔になっている。
「やっべー……まさかのまさかだ」
「僕も書物でしか読んだことがありませんね。アレは―――成長した魔王だ」
ミナは逆に顔を青くして、黒い肌の少年は興味深そうに、しかしミナを心配して冷や汗をかきながらその魔王を睨めつけた。
「やぁべぇなんちぃもんでぁなかぇ!逃げっぞな!」
カイムが叫ぶが、ミナはその言葉を脳裏に移してただ一つ思う。
―――大魔王からは逃げらんねえんだよなあ……!
半ば絶望に等しい状況である。
何しろ、目の前の巨人は。
酒樽を飲み干す男は。
できるだけの耐毒対策を施している今でさえも、見ているだけで酩酊するような酒精の風を放っているのだ。
いや、もはやそれは風ではない。
絡みつく粘液のごとし、だ。
「逃げられると思う?師匠」
ミナは努めて冷静にそう言って、ミナの知る最大の解毒力を持つ神聖魔法を調和神へと乞い願った。
「世界を調律する我等が祭神よ。暖かき御手でこの者らを包み給え。我らを阻害するすべてを癒やせ!リフレッシュ!!」
光が降り注ぎ、ラトリとナターシャの顔色が肌色に戻っていく。
しかし、それはきっとすぐにも―――
「ルル!ちょっとの間でいい!スキを作って!!」
ミナはそう叫ぶと、すぐさまに主神への祈りを始めた。
―――今まで一度しか成功したことがない術のために。
「あれですか……わかりました。やりますよ。カイム殿も、どうか援護を!」
ルルはその言葉と祝詞で総てを理解し、腕に―――青い水晶の腕輪―――高速同時詠唱のためのマジックアイテム「二口水晶」を装備した。
「できる限りたくさんの氷または矢をぶつけてください」
すでにルルはブリザードの詠唱を終えて、それを放つ寸前である。
すぐにラトリもナターシャも氷礫と矢を放ち始めた。
「本当に大丈夫ですかね?」
「私はこうなれば信じるぞ!というか、このままでは間違いなく我々は死ぬ!!」
ポッと出、突然現れた恐るべき酒の魔王にナターシャは毒づき、そしてミナを見た。
妖精の勇者は調和の聖印を切り、そして空へ向けて祈りを投げかける。
「世界を調律する我らが祭神よ。世を蝕むもの。真なる邪悪。生まれ落つる世界蟲を正しき姿へと調律し給え―――」
ミナは遠く、天上の世界なのか、或いは常世なのか。
遠く、遠く、輪廻の中に調和する女神の御顔を拝する。
『―――!』
女神は何事かをミナに問いかけている。
その言葉は、ミナの心に、体に痛みをもたらす。
「ハッ……グゥッ……!塵は塵に、灰は灰に!歪みと過ちは正しき姿へ!」
―――これ以上は危険だと。
先程にして大海の精霊の力を借りたミナは、マジックポーションによって魔力こそ回復しているものの万全ではない。
それを神は警告したのだ。
しかし、それで―――仲間を守れず、魔王に贄を与えるのでは―――
「我らの持つ原罪を許し給え。どうか我らを聖なる地へ導き給え。ホーリー・フィックス!」
ミナは最後まで祈りを唱える。
唱えて、口端から一筋の血を流した。
「ミナ!」
ナターシャが叫んで、ミナに駆け寄りその体に抱きつく。
だからどうだというのだろう。
ミナはその肩に手をおいて。
「だいじょぶだよ。ナターシャもラトリも師匠も死なせないよ」
と柔らかい表情で笑った。
「僕はどうです?」
「おめーさぁ、殺して死ぬタマか?」
ミナがそう言って、やがて長年の相棒となる不死者へとニヤリと笑いかけた。
瞬間、ミナと仲間たちの足元へと魔法陣が―――調和神の大聖印が描かれる。
それは酒気を―――魔の酒風を総て拒んでいった。
「う、ふっふふふふ……!」
『ふっはははははは―――!オレの酒を拒むやつはオレが生まれて始めてよ!なんだ!おまえはなんだ!!』
楽しそうに、嬉しそうに酒の魔王が笑う。
笑う魔王の顔をミナはギリと歯を食いしばんで睨み返した。
「そりゃもう―――あんたを滅ぼしに来た勇者だよ、私はぁ!!」
ミナは鼻血を吹きながらも、元気にそう言い返したが―――内心では焦ってはいる。
ミナ自身やルルは言うに及ばず。
カイムも長年のミナとの付き合いで成長した魔王との戦いで遅れを取ることはないだろう。
事実、この中で酒の魔王の酒気に―――そもそも状態異常にならないルルを除けば―――まったくあてられていないのはカイムただ一人である。
―――問題はラトリとナターシャだ。
二人はかなりの実力の冒険者に匹敵する―――成長していなければ、魔王との戦いにいたとしても死ぬことはないであろうレベルの斥候と魔術師だ。
だが、そんな二人でも―――目の前の魔王は手に余る。
今の倍は強くなければ成長した魔王との相手などさせられるはずもない。
強さ云々で言えば、今の彼女たちは―――未来で言うところの、戦略兵器の魔王へと挑んだ頃の岬や空悟とそう変わらないのだ。
―――だから、ミナはホーリーフィックスを唱えたのである。
「だ、大丈夫なのか!血、血が出ているぞ!!」
ナターシャが抱きついたままそう聞いてくるが、ミナはバッグから一つの薬包紙に包まれた赤い粉薬を見せた。
「でーじょぶでーじょん。ブラッディパウダーの一つや二つは用意してるから」
ニヤリと笑って、その血の味の薬を口に含み、革袋の水で飲み干す。
そしてガブガブと酒を飲み続ける酒の魔王を睨めつけた。
「―――私、無理やり人に酒を飲ませるやつ、大嫌いなの。あんた、なんでナターシャの旦那をあんなにした?」
怒りと憎悪を込めて、女は酒を飲む男の姿を持つ人でなし―――文字通り―――を睨めつける。
男の答えはいたって簡単であった。
『酒宴には余興が必要だ。あのものであれば良い憎しみが生まれると思った。少々拍子抜けであったがなぁ。フハハハハハ!』
癇に障る酔っぱらいの笑い。
それがどれだけのものかは、カイムの無表情が示しているであろう。
酒と寄り添う山人にとって、それは最悪の存在だ。
それはミナにとっても同じだ。
「私、そういう気分悪い酒は嫌いなの。死んでしまうわ」
―――前世の彼女はそうして―――ミナは口をつぐみ、『吹雪』を掲げる。
ナターシャは何も言えない。
言えないままに表情を強張らせ、ラトリに支えられていた。
「貴様ぁ……!カーツ様を……そのような理由で……!!」
憎しみをぶつけるのはラトリだが、その憎しみを「うまそうに」酒の魔王は眺めては、『その程度では足らんなぁ!』と笑うばかりだ。
ミナは瞑目して、心の中に沈む。
右手の薬指には、彼女の古代語魔法の師からいただいた指輪が光る。
古代語魔法の発動体としては、かなり上等なもの―――ミナはその指輪に唱える。
唱えられる呪は一つ。
「偉大なるロジックよ。刃に鋭さを与える論理を宿せ。その太刀で総てを切り裂くために。シャープウェポン!」
武器に鋭さを与える古代語魔法。
そして精霊へと希う。
「水の娘ウンディーネ、火の子サラマンダー、風の乙女シルフ、土に棲むノームよ―――我に世界を支える四つの力を与え給え!火に弱きものには水を、水に弱きものには炎を!風は土を衰えさせ、土は風を防ぐ―――戦乙女ワルキューレよ!四つの力を束ね、時に応じ我を守り給え!」
「吹雪」が四色に輝き、そして消えた。
それは―――四大の精霊によって敵の弱点属性で攻撃ができるようになる精霊術、レギンレイヴ。
同時に彼女の身をそれらより守るための術でもある。
即ち。
「ミナよぉ、やるんかいなぁ」
沈黙を保っていたカイムが厳かに、静かにそうミナに声を掛けた。
「もちろん。ナターシャ、ラトリ。ふたりともその魔法陣から絶対出ないで。出ないまま、私達を援護して」
ミナはもう振り返ることはない。
ナターシャは己が夫を無惨なものへと変えた存在へと目を向け、そしてギリと歯を食いしばった。
「わかった……頼む、夫を……どうにかしてくれたあの魔王を……!」
ミナはそれに前を向いたままでサムズアップを返して、「吹雪」を天高く掲げる。
掲げて呪を唱える。
「真なる銀の剣よ。破邪顕正の力を秘めたるものよ。我が手にありて名を問わば応えよ。汝の名は『吹雪』なり!」
瞬間、猛烈な冷気が剣から放たれる。
レギンレイヴの効果はそのままに、「吹雪」の威力もまた流れ出す。
『ほぉう!珍しいものを見せられているなぁ!ハハハ!精霊の制御をそこまでやれる人間は初めて見た!』
哄笑を気にせずに、ミナは次の呪文を唱えた。
あの時は。
ハルティアを20年に渡って失ったあの日の『死』の模造品との戦いでは、己を削ることでしか使えなかったその呪を。
「―――輝け、冬の嵐よ。煌け、冷たき風よ」
唱えれば冷気は氷の粒となり、氷の粒は雪の結晶となり、雪の結晶は刀身に吸い込まれてその輝きを膨らませる。
しかし、今はミナは冷たさをその手に感じてはいない。
レギンレイヴによる完全な精霊の制御が、完全開放した「吹雪」のデメリット―――全身の熱を奪い去っていく冷凍地獄を防いでくれている。
これもまた20年、隣で身体能力賦活の魔法を唱えている少年を倒すために編み出したものの一つだ。
『ふふふふははははは!これはまた!なるほど、なるほど!お前が―――の言っていた魔王殺しの勇者か!今はまだ未熟だが―――!』
哄笑が響き―――ナターシャが一つのことに気づいた。
気づいてしまった。
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