異世界で頑張ったので出戻りますね あるいは彼女は如何にして悩むのを止め、現代をエンジョイするようになったか   作:大回転スカイミサイル

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第269話「幕間3-1 奥様の日常前編」

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―――ある日のこと。

 

ミナは目の前のものを前に、あーでもないこーでもないと唸っていた。

 

場所は神森市図書館。

 

その唸り声は小さく、聞けば唸り声というよりは小さな歌のようにも聞こえる美しい声だ。

 

現状、その様子に文句を言いたげなのは目の前で彼女を睨めつける人妻一名のみである。

 

「なにをうんうん唸っているんですか、先輩。ここは図書館ですよ?」

 

呆れ気味の司書さんは、まだ20代前半にしか見えない若々しい顔をミナに向けてむっつりとしていた。

 

「あ、いや、その……清水さんにも聞いてもらうか……」

 

「……?」

 

ミナが手に持っていたのは、小さな種のようなものであった。

 

「なんです、それ」

 

小さく古びたその種は、どう見ても発芽するようには思えないものであった。

 

そんなものを前に公共の場である図書館で唸っている目の前の元男に、文はフッと肩をすくめて「どうせ厄ネタなんでしょ、それ」と笑う。

 

ミナはその様子に「まぁ、厄ネタオブ厄ネタではあるんだけどさ……」と周囲を見回した。

 

「実は、これさ。いつぞやの街中ダンジョン騒ぎん時に見つけたものなんだけど……」

 

「ああ、空悟さんもへとへとだったあの時の……そこで拾った、と?」

 

そうなんだ、と彼女はため息を吐いて種をバッグへしまう。

 

「実は、これ、世界樹の種なんだ」

 

「世界樹……!?」

 

「声!清水さん声!」

 

―――幸いにして平日の昼、周囲にはほとんど人はおらず、彼女を見咎める者も存在しなかった。

 

「……ルルさんにはお話したんですか?」

 

「そりゃあ勿論さ。でも、あいつは廃棄した方がいいって言うんだよね。今後のことを考えると、取っておいた方がいいとオレは思うんだけどもなぁ……」

 

ミナはそうして頭の後ろで手を組んで枕にし、椅子をグラグラと揺り篭のように揺らし始める。

 

「お行儀悪いですよ、先輩。それはともかくとして、本当にあの?」

 

ミナは指摘されて椅子を揺り篭代わりにするのをやめて、文の目を見た。

 

「そりゃもうマジもマジ。うちの婆様のお墨付き」

 

ミナはそうしてハァ、とまたため息を吐いた。

 

世界樹。

 

多くの神話の中に語られる世界を支える大樹であり、グリッチ・エッグにおいては森の上位精霊エントが宿る巨大な木のことである。

 

「一本じゃないんですか、そちらでは」

 

「本物は一本だけど、そっちが枯れたり切られたりすると候補が新しい世界樹になる。候補はハイエルフの森はあることが多いかなあ……確認できただけで5本。うちの森にはないけど」

 

ミナはそうして頭を振った。

 

「うーん……とはいえ今はただの木の種でしょう?取っておいてもいいと思うんですが、私」

 

文は首を傾げてミナを見る。

 

「まぁ、そうなんだけど……ルルはこの世界で発芽すれば何が起こるかわからないから、廃棄するか、錬金術の素材にして消費してしまえって言うんだよ」

 

「その言い分ももっともだと思いますけど。私としてはそれが発芽したら何が起こるかだけ教えてもらえれば」

 

文がジト目でそうミナを睨む。

 

睨めつけられたミナは―――

 

「まぁでっかい木が生えるだけさ。ただまあ……街中で発芽したら大変なことになるなあ。何しろ成長が早いから」

 

そうあっけらかんと抜かして、文に頭にチョップを食らわされた。

 

「あいたっ!?―――やっぱダメ?」

 

「ダメに決まってます。危険物じゃないですか。二度とバッグから出さないでくださいね」

 

その言葉にミナは「はぁい、わかったよ」と返して、種をバッグへとしまい込んだ。

 

そして文へと「じゃあ、オレはここらへんで。読みたいものも読み終わったしな」と言って、立ち上がって図書館から出ていってしまう。

 

「やれやれ。あの人、何度見ても水門先輩と同一人物とは思えませんけど……」

 

本人曰く、年齢は634歳……いや、そろそろ635歳になるはずの彼女だ。

 

その間に会ったことで変わったんだろう、と文はフッと肩をすくめて少し嫌味な笑みを浮かべた。

 

「うちの旦那をあんまり巻き込みすぎないでほしいですけど、ま、言っても仕方ないか。子供の頃からそうみたいですしね」

 

文は諦めの笑みを浮かべて、誰かが出しっぱなしにしていった本を本棚に戻して、再び司書の席へと座って事務作業を始める。

 

外は厳しい暑さが続いているはずだが、図書館の中は涼しい。

 

とは言え、それは少し冷え性気味の彼女にとってそうであるだけで、設定温度は26度だ。

 

クールビズの根拠なき設定温度28度ではないが、それでも人が汗をかかずにいられる気温ではない。

 

図書の状態を悪くしそうな気温だからクールビズやめてほしいなぁ、と文はふと思いながら作業を進める。

 

「……うん、特に問題はありませんね」

 

これまでの常識外の出来事が起きていても、日常はゆるく回っていく。

 

世界ではいろいろな事件が起きていても、そうそうすぐには日常に影響はしないものだ。

 

「パンデミックとか戦争とかが起きれば別なのでしょうけども」

 

文は誰にも聞こえない声で小さく言って時計を見る。

 

そろそろ12時。

 

司書席は次の人員へ引き継いで、食事へ行く時間が近づいていた。

 

 

 

お昼休み。

 

図書館の脇にある市役所食堂で、文はお昼ごはんを食べていた。

 

―――優雅なランチ、と言ってもお弁当である。

 

いつも20円の味噌汁か50円のコーンスープだけを頼んで、それと一緒にお弁当を食べる。

 

主婦の節約術……ではなく、見回せば半数近くはそうして持ち込みの食物を食べていた。

 

もちろんこれは市職員でもある文たちに許された特権―――というべきほどのものでもないが、そういうことになる。

 

以前、そうして市職員や図書館員がお弁当や持ち込みのコンビニ飯をここで食べていて、それを見咎めた半グレと外国人が自分たちにも使わせろとゴネたことがあったのだが、ミナが半グレを全部片付けてしまったことで有耶無耶になっていた。

 

一時は食堂の閉鎖も検討されていたことなので、これは素直にミナに感謝すべきことであった。

 

(それにしても)

 

以前はマナーが悪い利用者も多く、文もストレスが溜まっていた時期もあったのだが、ミナが半グレを片付けた後はそういう輩はほとんど姿を消した。

 

それはそうであろう。

 

街からは半グレやそれに連なる不法滞在の元外国人労働者がほとんど姿を消した。

 

今や神森市にとどまる外国人は、正規の手段で来日し真面目に働いている人間がほとんどである。

 

そう、悪事をそれほど働いていなかったと思われる末端の構成員までほとんど姿を消したのだ。

 

一罰百戒、殺一警百である。

 

謎の災害で殺されるくらいなら、とあの半グレのリーダーが消えた後、殆どが街を離れたのだろう。

 

……つまり、である。

 

本当にあの少女の姿をしたかつての友人が半グレたちを殺してしまったのだろうか。

 

それを思えば空恐ろしいものがあったが、結局のところ―――

 

「私には、関係がないこと……だと思っているのかも知れませんね、私」

 

夫や子供たちのお弁当にも入れたタコさんウインナーを食めば、まだパリと皮を破る良い音がする。

 

「はー……空悟さんを見ても全然信じられないんですよねえ……」

 

彼女はもう三十路だが、しかしそれを思わせない若々しい容姿を持て余すかのように足をブラブラと振る。

 

彼女自身もミナより気功術と護身術の基礎を習っていて、その効果も実感はしているが、それでも全く信じられない。

 

(習ってから、明らかに肌艶も良くなったし、疲れも殆ど感じなくなったんですけどね……不思議すぎます)

 

文は常識人らしくそう考えて、お弁当のゆかりごはんを食べ終え、味噌汁の最後の一口を飲む。

 

「さて、じゃあ少し仮眠したら午後もがんばりましょうか」

 

そう言った瞬間、後ろから「今野さん、ちょっとお話しませんか?」と眼鏡を掛けた同僚が話しかけてきた。

 

職場の人間関係はとても大事だ。

 

おそらくは何か相談事でもあるのだろう、少し眼鏡の同僚の顔は曇っていた。

 

「はい、なんでしょう?」と文はいつもの笑顔で応対する。

 

これでは仮眠は取れないですけど、悪くはないですか。

 

そう思いながら味噌汁椀の乗ったトレイを持ち上げ、立ち上がるのであった。

 

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