異世界で頑張ったので出戻りますね あるいは彼女は如何にして悩むのを止め、現代をエンジョイするようになったか 作:大回転スカイミサイル
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神森市水道局。
表向きは普通の地方自治体の水道局であり、ほとんどすべての人員は表向きの上下水道管理業務しか行っていない。
その証拠に、かつて水門ミナの母・茜の後輩であった阿南岬はそんなこと全く知らなかった。
しかし、実態として30人ほどの水道局員の中の十分の一ほど。
茜を含む3人の人員は、別の業務がある。
―――即ち、この街に潜む神秘の監視である。
「水門さん」
書類……そう書類である。
アナログにも手書きで情報が書かれた紙の束を抱えて廊下を歩いている茜に声を掛けるものがいた。
「ああ、関くん。どうしたの?」
話しかけてきたのは、細長の眼鏡をかけた、同じく切れ長の瞳を持つ男だった。
年のころは30過ぎくらいだろうか。
「あなたの息子さんの案件です。サナトリウムへの入院偽装ですが、労基の関連で照会が来ています」
「面倒ね。私が処理するから回しといて」
茜はそう指示すると、紙の束を抱え直してふぅっとため息を吐いた。
「ちょっと確認しますけど、いつまでこのままにしておく気ですか?」
「もう少し、というところよ。何しろここまで色々起きてるのだし、いい加減国の方も動くわよ」
よいしょ、と50歳超えのおばさんらしく掛け声をしてから歩き出した茜に、関は「動くわけないじゃないですか」とあきらめ気味の声を上げる。
その言葉を聞き流すふりをしてしっかり聞いていた茜は、しかし何も言わずに廊下を歩いていく。
(どーせそろそろどっちらけになるわよ)とにべもなく考えながら。
―――茜がこの仕事に就いたのはもう20年以上前のことだ。
給料は良い。
だから続けていると言えることだが、それがまさか息子―――今は娘の役に立つとは思ってはいなかった。
神森市水道局は、実を言えば大正時代にこの街に潜む何か―――バグに気づいた軍が用意したカモフラージュ的な組織であった。
戦後、そうした情報は破棄され、没収されたものも非現実的妄想として破棄された。
そう、破棄されたのである。
他の場所にも探せばあるのかもしれないが、しかし、少なくとも我が国にはグリッチ・エッグと関係のありそうな場所はA県神森市にしか存在しない、というのが茜の見解である。
でなければここはきっと米軍あたりが封鎖しているに違いない。
ただの誇大妄想の与太話。
アドルフ・ヒトラーがオカルトにはまっていただの、イギリスの呪術師がヒトラーを呪い殺そうとしただの。
そう言ったものと同じである、と見做されたのだ。
―――しかし、政府部内の一部にそれを律義に信じているものがいた。
そして、改の会。
それを信じて暗躍していた組織もいた。
だから、今はまだこの組織は国から予算が出ている。
半ば非合法、であるが。
ほんの少し。
誰にもわからない、国税もうっかり見逃すような、小さな小さな予算の流用。
それが積み重なって茜や先ほどの関、もう一人の監視員の給料となっているのだ。
(あの子の持ってきた貴金属の換金も順調。情勢からすれば、そろそろ潮時、か)
そんな物騒なことを想いつつ、茜は目の前の扉を開けた。
扉には―――神森水道局長室と記載されていた。
……神森市ではなく。
「来たかね、水門くん」
茜よりわずかに年上と見える小柄な男が、かすかに微笑みながら執務机から立ち上がった。
「どーも、局長。うちの息子の件です?」と足で扉を閉めつつ、茜は男を一瞥した。
「いや、例の『信濃』だったか。ようやく微細地震の件も含めて情報封鎖が完了したよ―――ただ、だね」
男は若いころは豊かだったであろう、しかし今は薄くしか残っていない髪をかきあげて茜を見返してきた。
「あー、例の貝」
娘と既に物理的な血はつながっていないのに、親子だと一目でわかるジト目になって茜は唇を不機嫌に歪める。
その視線の向こうには、水槽に入った二枚の貝があった。
そう、既に漁大くらげ屋がほぼ独占的に獲っていたグリッチ・エッグ産の貝は、新種の貝として学者が注目を始めているというのだ。
―――驚くべき速度でそれは拡散している。
「まあ、仕方ないんじゃないですかね。流石にステルス空母と違って生物ですし、地震の測候所誤魔化すのとはわけが違いますし」
「問題はこの有害物質を無制限に分解していく能力だよ……これは福音にはならないぞ」
祈るように手を組んで、局長は深いため息を吐いた。
「でしょうね。間違いなく火種になりますよ、これは」
―――そう、硫化水素などの自然物質のみならず、マイクロプラスチックや工業廃水、それどころかレジ袋やPCBですらこいつは食べてしまうのである。
そしてそのすべてを無害な物質として排出する―――
「エコを飯のタネにしている連中は間違いなく騒ぎ出すでしょうね」
「ま、有体に言えばそうだな。元々神森市は外国人も多かった……どうなるものやら」
局長は窓の外を見つめて、もう一度大きな、大きなため息を吐く。
「この貝は……君の息子さん……今は娘さんが行ってきた異世界とやらのもなんだね。困ったものだ」
「うちの娘に関係なくこの貝がいたのは間違いありません。そのままであればいずれどうなったかを想像するとぞっとしますわね」
腕を組んで茜はへの字口を作り、同意であることを伝えた。
そして静かに謎の貝を見遣る。
繁殖力次第だが、この貝は世界を変えてしまうだろう。
「この貝や信濃もそうだが、君の娘さんやその仲間もそうだよ。一人は市内の警察官のようじゃないか―――そんな超人がいることが露見すれば、現代社会の危機だよ」
参ったなあ、とばかりに局長は微笑む。
「でもなんだか楽しそうじゃないですかね」
「そりゃそうだろう。私もウ●トラ●ンや●面ライ●ー、マ●●ガーやらヤ●トやらで育った年代だよ?そりゃあ少しくらいワクワクもするさ」
「まあ私もギャ●ンとかデ●ジ●ンとかガ●●ムとかマ○○スとかミン●ー●モとかで育った世代ですけどね」
茜の言葉に、局長は肯定し、茜もそれを認める。
しかし、それでもそんな世界の到来は望ましいものではないとわかっているくらいには二人とも爺さん婆さんの年代に足を突っ込んでいた。
「どうしたもんですかねえ」
「どうしたものかねえ」
二人ともいつか来ると覚悟していたものが、もうすぐ訪うと睨んでいるのだろう。
しかしまだ諦念に負けてしまう段階ではない。
「それでは今日の報告を始めてくれたまえ」
「承知しました」
気を取り直した局長が促せば、茜が紙の束から報告書らしき書類を幾枚か選び、報告を始める。
その報告書には―――『魔法少女事件』とはっきりと記載されていたのであった。
――― 一方その頃。
『こんなこともあろうかと、A県内に配置していた自動機械が異常熱源を複数捉えた。魔力やバグの反応ではない。これは疑いなく改の会によるテロルの準備に違いない』
骸骨の姿をした科学者が、困ったものだ、と言わんばかりに頭を振った。
「やはり9月中には動きますか」
夕がその首に掛けられたリングネックレスを握りしめながら残念だとばかりに目を伏せる。
「信濃は連中も捕捉はしていないようです。それを背景にひっかきまわして見せましょう」
廻は研究所の格納庫に運び込まれた信濃の主力艦載機『台風』を睨みながらニィと獰猛な笑みを浮かべる。
『うむ。秋遂は切り札だ―――改の会を滅ぼすときには必ず必要となるだろう』
『私はミナ様たちの輸送に尽力しましょう、ますたぁ』
薺川の言葉に、秋遂の通信が中央研究室に響いた。
「そうしてくれると助かる……」
廻は小さくため息を吐くと、その女性の声に「だからと言って躯体を勝手に作るのは不許可だ」と返して薺川へと向き直る。
「博士もどうかお願いします」
その顔は微かなストレスを感じている男の顔そのものであった。
『まあ、今は余裕がないからね、躯体製造は君たちの強化に振るしかあるまい。しかし、いずれは秋遂の『気持ち』も汲んでやることだ』
薺川の言葉に、廻はわずかに逡巡する。
―――岬のことだけでも精一杯なのだから、これ以上恋愛ごとによる問題は避けたい。
それが偽らざるこのアンドロイドの気持ちである。
それでも生みの親の言葉であり、何より彼女は―――秋遂は、道野枝兄妹の妹と言えるものなのだ。
「善処します」
今の廻に言えることはそれだけであった。
「……私からは何も言わんぞ、兄よ」
フッと肩をすくめた夕がそう言うと、「わかっているよ、妹」と言って廻は瞑目する。
『今はそれでいい―――改の会を滅ぼし、あの時代の過ちは我らが必ず消し去るべきなのだ。そして、我々もまた……』
薺川博士はそこで言い淀んだ。
『どくたぁ。自己破壊は認められません』
―――そんな秋遂の声が響いた。
『わかっている、わかっているとも。嗚呼、ミナ君の来た異世界への転移を行えれば、それが一番なのだがね』
薺川は深い疲労を感じる溜息をついて、そして道野枝兄弟を見た。
「まあ、ミナなら……あの金髪娘なら何ぞできることもあるでしょう」と夕はまた皮肉げに肩をすくめる。
廻は「如何なる場合でも、我々は我々の任を果たすのみです」と内心を顕にはしなかった。
そんな二人に薺川博士は首肯して、『ミナ君たちにも伝えたまえ。後は君たちの仕事になる。改の会、そしてその首魁と思しき桜海鷹人なる人物の我が国からの排除。それが今後の明確な君たちの任務となる』と透き通るように真面目な声で指令する。
二人は無言で敬礼をする。
廻は陸軍式の肘を大きく突き出す敬礼を、夕は海軍式の肘を収めた敬礼を。
―――モニタには、いくつもの光点が。
改の会のものと思われる熱源反応が発見された場所が、光点として記録されていた……