異世界で頑張ったので出戻りますね あるいは彼女は如何にして悩むのを止め、現代をエンジョイするようになったか   作:大回転スカイミサイル

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第77話「初めての間抜け -昔のお話Ⅱ③-」

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「いるか?」

 

カンテラの火を消して、ミナにそう聞いたのはルートだった。

 

ミナは目を凝らして開けた広場の中を見る。

 

広場は朽ちた遺跡の一部だったのか、破損した石畳で覆われていることがわかった。

 

「杖持ってるのが1名、弓が2名、後は皆近接武器ばかりですね。全部で15ほど」

 

つまり、シャーマンと弓兵がいるということだ。

 

「なるほど……少しきついな。ホブがいないのは幸いだが。斥候を3匹、先程11匹斃したゆえ30匹ばかりの巣か……」

 

そこまでを勘案したルートは、次に女性がいいづらいことをミナに聞いてくる。

 

「捕虜はいるだろうか?」

 

「んーおっぱい大きい子が3人、お腹も大きい子が2人、村で聞いてきたさらわれた村娘と旅人の数と特徴には一致しますね。おっぱいおっきい子ばかり狙うとか、完全に女の敵」

 

ミナは何ともサラリとそう言って、イーサに恐怖を与えていた。

 

「へ、平気なのですか……」

 

自分の豊満な胸を掻き抱いて怖気を震うイーサに、ミナは苦笑して「平気ですよぉ」と答えた。

 

元男であるミナにはそこらへんのデリカシーが薄く、更に女体については前世の記憶を取り戻す前は母や姉、周囲の女性ハイエルフたちと沐浴したりしていたので気にならなくなっていた。

 

因みに、彼女の姉も3000歳に達し肉体はかなり豊満だった。

 

(イーサちゃんの胸は姉さんよりはちょっとちっちゃいかな?)

 

そんな声に出したらセクハラだと言われそうな感想をいだきながら、ミナは広間の中を見る。

 

ぎゃいぎゃいとシャーマンと斧兵が話をしているのが見えた。

 

これはホブたちが戻ってこないことに気づいたなあ、とミナは内心でため息をつく。

 

「気づかれたっぽいです」

 

「うむ、君が言うならそうなのだろう。リージェとミナはシャーマンを優先的に排除。次いで弓兵、長剣持ち。イーサは松明をつけて広間に投げ視界を確保。シャーマンを始末したら俺と共に突っ込んで人質を確保だ」

 

「わかりました」「了解です」「承知」

 

三人が肯んじたことを確認すると、ルートは雑嚢から火打ち石を取り出してイーサに渡す。

 

そしてその火打ち石で松明に火が尽き、その火を借りてカンテラにも火が入った。

 

「よし、今!」

 

ルートの合図とともに、ミナは集中するため一本だけ番えた矢をゴブリン・シャーマンへ向けて放つ。

 

「ギィッ!?」

 

シャーマンは気づいたのか、その矢に杖を向けたことがはっきりと分かった。

 

だが、もう遅い。

 

おそらくはサラマンダーの術、ファイアボルトを放とうとしたのだろうが、ミナが一手早かった。

 

その矢はシャーマンの肩に深々と突き刺さり、シャーマンは杖を―――取り落とさなかった!

 

「チッ!リージェさん!」

 

舌打ちをして二射目を準備するミナは、リージェに促す。

 

「偉大なるロジックよ……力の矢となれ……砕け……!エネルギーボルト!」

 

「ギャァァーッ!」

 

促してすぐに魔法の矢が飛び、しかしシャーマンのファイアボルトが放たれたのも同時だった。

 

「やべっ!?」「ギィ!?」

 

エネルギーボルトがシャーマンの頭に着弾したとほぼ同時に、ファイアボルトはミナの肩に突き刺さって皮の鎧の一部を燃やしてしまう。

 

「あぢぢぢぢぢぢっ!?」

 

ミナは衣服ごと上半身の鎧を脱ぎ捨てようとし、それはすぐに成功してくれた。

 

「大丈夫!?」「平気!こんなときのためにすぐ脱げるようにトーチャンが細工してくれてたから!」

 

ボタンを外すだけで一部が脱げる謎のエロ仕様をミナのレザーアーマーと衣服は持っている。

 

無論簡単にボタンは取れるものではないので、意図せずに脱げるような心配はほとんどないものだが。

 

「エロ目的で考えた仕掛けでしょ、父上」と自分に聞かれた父が目をそらしたことが想起され、切羽詰まった状況だと言うのに少女の口に一瞬苦笑が浮かぶ。

 

脱ぐ際に少し髪が焦げたが、少女は気にすることはなく肩の火傷が弓をひくのにじゃまにならないものだと確認して。

 

下着までは無事だったようで、ミナはシャツのまま次の矢を構えた。

 

シャーマンが倒れたこととミナの無事を確認すると、突っ込んでくるゴブリン共を見据えて「予定変更!ここで迎撃する!ミナは弓を潰してくれ!」と叫んで小剣を抜き放った。

 

次の瞬間、「了解!」と声を荒げて叫んだミナは二射を同時に放ち、それは弓兵が矢を飛ばしてくる中正確に彼らの頭蓋を捉えて絶命させる。

 

「よし!」とルートは兜のバイザーを下ろして、小剣を正眼に構える。

 

そして、斧を持ったゴブリンの心の臓を一突きして、ニヤリと笑った。

 

「さぁ、お前たちの罪を数えろ!」

 

裂帛の気合を持って放たれたその気勢に混乱したゴブリンたちの一部は人質を取ろうと後ろへ走ろうとしたが―――それはすべてミナの矢とリージェの魔法とスリングによる投擲で失敗に終わる。

 

後は、言うまでもなく―――ゴブリンたちが全滅するまでそう時間はかからなかった。

 

 

 

そうしてゴブリンたちが全滅した広間にいた、ほとんど廃人のようになっていた捕虜たちを集めて、イーサとリージェが裸身が見えないように布をかけていく。

 

その間にミナは半分以上焼けてしまったレザーアーマーを再度着込んで、ゴブリンたちが生きていないか拾った棍棒で頭をバキンバキンと砕いて確かめていた。

 

ルートはゴブリンの子供がいないかどうか探している。

 

国法によってゴブリンやコボルトの子供は見つけ次第殺さなければいけないことが決まっているからだ。

 

少なくとも、お腹を大きくしている二人の少女は、戻ったらすぐに堕胎が行われるだろう。

 

痛ましいことだが、よくあることでもある。

 

そして、最後にミナはシャーマンの死体の前に立つ。

 

「レッドチェックもこれでおしまい―――っと」

 

棍棒をそのシャーマンに振り下ろそうとした瞬間。

 

その指が動いて。

 

カチリ、となにかスイッチが入る音がして。

 

―――ミナの足元の床が。

 

石畳がぱっくりと開いて。

 

「ウソでしょおおおお!?」

 

ニタリと死体が笑った気がした。

 

足元に続くは闇。突起物などによる殺傷が目的ではないのか、と一瞬思うが無駄なこと。

 

彼女はとっさに脇に抱えていた雑嚢から、保護用のおがくずとポーションの瓶を詰め込んだ袋を一つ、遠ざかっていく空に向けて投げた。

 

「それ死にそうな子に飲ませてあげてぇぇぇぇぇぇぇぇエエェェぇぇぇ!?!?!?!」

 

「ミナさん!!」

 

イーサのひどく焦燥した声が聴こえる中、ミナの絶叫は闇の中に飲まれていったのだった。

 

 

 

ちたん、ちたんと水の垂れる音が聞こえる。

 

どれだけ気を失っていただろうか。

 

―――ミナは、己の体の上を這い回る小さな手の気味の悪い感触に目を覚ました。

 

その手は―――

 

「ギッ!?」

 

小鬼が目を覚ましたミナに驚くが、所詮は女と侮っているのだろう。

 

そのいやらしい手を止めることはなかった―――が、次の瞬間。

 

「何やってんだてめぇぇぇ―――ッ!!」

 

ミナは開かれてしまっていた股を急に閉じて、小鬼の頭蓋を太ももで挟んで体をひねる。

 

エルフの持つ柔軟な体は、彼女の体に負担をかけることなくそのまま右方へ倒れ。

 

「ギィーーッ!?」

 

そのままバゴン、とゴブリンはその顔面を地面に叩きつけられて昏倒する。

 

彼女の前世で言えば、フランケンシュタイナーに近い形であった。

 

「ハァ……ハァ……とんでもねぇ野郎だ……!って、オレ、今裸じゃねえか!?」

 

切羽詰まった状況だからなのか、自然に日本語の男言葉が出てしまった彼女は周囲を見回す。

 

見れば、石畳で舗装された部屋のようである。

 

うず高く積まれたガラクタは、ゴブリンたちが収集したものか、あるいは落とし穴から捨てられたものか。

 

遺跡の中に落ちてしまったことにミナは落胆した。

 

そして肝心の敵だが―――どうやら、ここにはこのゴブリン一匹だけ……だが、気配だけは何匹も存在していることがわかる。

 

「……やべぇ。服も見当たんねえし……」

 

「ぎぃ……!」

 

「ちょっと黙ってろクソが!」

 

焦燥の声を出した瞬間、昏倒しただけだったゴブリンは目を覚まして―――しかし、ミナがすぐさま頭蓋をストンピングして強制的に沈黙させた。

 

「ギャッ!?」

 

どうやら今度こそ死んだらしいことを確認して、念の為頭蓋に踵落としを食らわせる。

 

そして、目が完全に慣れてくると……どうやら、ここはなにかの廃棄場のような場所であることがわかった。

 

臭いがそうひどくないことからすると、排泄物や残飯のたぐいを投げ捨てる場所ではないこともまたわかる。

 

どうやら、ここのゴブリンは比較的ゴミの分別というものに気を使っているらしかった。

 

……まあ、そうひどくない、と言ってもツンと鼻腔を灼く程度には獣臭と腐臭がするのではあるのだが。

 

ということは、である。

 

そこに自分が廃棄されたわけではなく、おそらく自分はここに落ちてきたのだ。

 

そしてさっきのゴブリンの仲間が自分の衣服や鎧を剥いで上にでも報告しに行ったんだろう、こいつは見張りを任せられていたのだろうが抜け駆けしたのだろう、とミナは結論づける。

 

ゴブリンにしては理性的な対応のおかげで処女を失うことがなかったのは幸いだったかどうか。

 

ふと周囲を見ると、自分のリュックサックが随分離れたガラクタの山の上に落ちていることがわかった。

 

足を怪我しないように突起物を避けながら、そこに近づいていく。

 

リュックサックを手にとり、中のポーション袋を確認すると―――奇跡的に割れてはいなかった。

 

「よっしゃ!これでなんとかなる!」

 

小分けにしておがくずを詰めていた数時間前の自分を褒めてやりたい気分になる。

 

既に奪われた装備について、ミナはもう諦めていた。

 

―――ぶっちゃけここから脱出することが先決であった。

 

ミナは思いっきり仁王立ちになって、雑嚢の中から布か何かを取り出そうとして―――気配が集まってくることを感じた。

 

「ギー!」「ギゥ!?ギャァァァギャッ!」

 

小鬼たちが群がってくる―――ヤバイヤバイヤバイヤバイ!このままでは自分も孕み袋か食料である。

 

ミナはそう思った瞬間、体を覆うことは一切忘れてリュックサックを背負って入り口へ向けて駆け出した。

 

「どけどけどけどけぇぇぇぇ!!」

 

廃棄場の入り口へと向けて、股間も胸も隠すことなく全力で疾走する。

 

「ゲギャギャギャ……ウギャ?」

 

ゴブリンのうち何匹かは、こちらを見て嘲笑している。

 

所詮はメス、劣情を抱くものに見られれば恥ずかしがる、とでも思っているのだろう。

 

だが―――

 

「オレの貧相なボディ見ておっ勃つ変態ゴブリンに見られたって関係ねえええええ!!」

 

「ギェェェェ!?」

 

ミナは全力で一匹のドタマを蹴り上げると、跳ね跳ぶように取り落したそいつが持っていた槍を脚で器用に絡め取って奪い更に走る。

 

「ギィ!?」「ギャーーーッ!ギギギギ!」

 

ゴブリンたちが怒りの声を上げるが、関係ない。

 

上古の森人らしい優雅さなど全く無く、ミナは日本語で罵倒を繰り返しながらゴブリンたちを置いて去っていく。

 

元男であることを思い出したミナは、裸を見られるということにまっっったく抵抗感がなくなっていた。

 

これは2世紀半近くが経った元の世界への帰還時まで全く変わらない癖である。

 

「ぎゃーぎゃーうるせえんだよ死ね!トーチャンからもらった鎧と服返せや死ね!とにかく死ね!ふざけんな死ね!」

 

槍で後ろから襲いかかってきたゴブリンを殴り飛ばし、その血潮を浴びながら目を見開いてニタリと笑う。

 

「おくびょーもんの腐れゴブリン共がァ……オレとヤリたいなんぞ2万年はえーんだよ!」

 

「ヒッ!?」

 

その狂った笑いにゴブリンたちはビビって一歩後ろに下がってしまった。

 

―――しかし、その下がったゴブリンは。

 

ぶん、と空気を裂いて振られた巨大な棍棒によって頭蓋を叩き割られて絶命する。

 

殺したのは。

 

「グルォォォォォォォォォォッ!!」

 

雄叫びを上げる、普通のゴブリンの何倍もある巨躯と肥大した腹と顔。

 

間違いない、とミナは冷や汗を流した。

 

「ゴブリンチャンピオンじゃねえの……やっべ……死んだわ、これ」

 

顔が青ざめていくのを感じる。

 

防具も何もなしの状態で、武器はゴブリンのボロついた槍だけ。

 

彼女には―――まだ―――なんのチートもギフトも発現していない、転生したとは言えただのハイエルフの少女でしかない。

 

こんな状態であんな物食らったら、100%死んでしまう。

 

ミナは、もう一も二もなく逃げるしかないと悟る。

 

チャンピオンはミナから20mほど離れた場所で、取り巻きのゴブリンたちとともに待ち構えた。

 

この場は一本道で、逃げ場所はないように思われたためだろう。

 

ミナはその侮りに、ニヤリとする。

 

「小さき灯りの子リンカよ―――私の手に小さな灯火をちょうだい。その灯火をまっすぐ前に飛ばしてちょうだい!」

 

咄嗟にミナは精霊へと呼びかけ、手に生まれた灯火をチャンピオンの目に向けて投げつけた。

 

「グオゥ!?」

 

精霊術において第二位階に位置する術の一つ、フォックス・ファイアの術である。

 

本来照明とするそれを狐火として相手にぶつけ、目潰しをする術だ。

 

「グァァァァァァァァ!!」

 

視界が奪われたことに苛立ったチャンピオンは、その棍棒を地面に叩きつけて吠える―――

 

その一瞬に。

 

「ヒ、ヒィ!?」「ギャァァァギャッ!?」

 

雑兵ゴブリンたちはビビり上がり、うろたえ始める。

 

それはミナにとって絶好のチャンスであった。

 

ミナはあえて踵を返して、今までとは真逆の方向へ、戻る方向へと跳ねるように走り出した。

 

「追いつけるもんなら追いついてみろ!ハイエルフ舐めんじゃねえぞ!」

 

少しでも時間を稼ぐため、挑発めいたことも叫んで一目散に逃げ出す。

 

後ろから追いすがってきたゴブリンたちの頭を踏んで飛び上がり通路に転がり込み、また走る。

 

「ギャァァァギャッ!ギーッ!」

 

怒って追いかけてくる連中を置いて、ミナはガラクタ置き場の方へと戻っていく―――そして。

 

上を見た。

 

見れば、そこには―――見事な鍾乳石がちたん、ちたんと水を地面へと落としていた。

 

遺跡の天井が鍾乳石になっているとは、なんとも幻想的に見える―――地面のガラクタさえ目に映さなければ。

 

そう、起きた時の水の垂れる音はそれだったのだ。

 

そんな鍾乳石が存在する割には、ガラクタ置き場の石畳はほとんど侵食されていない。

 

魔法かなにかがかかっていることが彼女にはよくわかった。

 

そして、床に―――汚い床であることを我慢しつつ―――耳をつけると。

 

ざぁざぁと水が流れる音が聞こえた。

 

ミナが咄嗟に推測したとおりである。

 

「問題。このままここでうだうだしてゴブリンに殺されるか孕み袋にされるのと、一か八かでこの下の水路だか地下水脈に落ちてみるの、どっちが生存確率が高い?」

 

ミナは天を仰いで一瞬躊躇するが、それまで。

 

背負ったリュックサックから、2枚の巻物を取り出す。

 

父が、どうしてもというときなら使っていいと念押しして渡してきた魔法のスクロールだ。

 

トンネルと水中呼吸の精霊術を封じたものだと父は言っていた。

 

自らの不注意のせいで装備の殆どを失い、このようなことになるとは……

 

ぎゃあぎゃあとゴブリンたちがこの場へとやってくる声が聴こえる。

 

少なくとも、自分は間抜けだったのだ。

 

少しでも体力を回復させるためキュアポーションをおがくず袋の中から出して一息に飲み下して、ミナは己の間抜けを恥じながら「ええい、ままよ!」と叫んでスクロールを開く。

 

今の実力でゴブリン共を、チャンピオンを倒すことは不可能だ。

 

「見てろよぉぉぉ!いつかリベンジしに来るからなァァァァァ!!」

 

ボゴン、と土の精霊が石畳とその下の地面に穴を開けて―――ミナはドボン、と絶叫とともに地下水路あるいは水脈へと落ちていったのだった。

 

 

 

ミナが遺跡の闇に消えてから一昼夜が過ぎた。

 

輝く日光の下、川のたもとでルートたちは野営を片付けていた。

 

娘たちはすべて村へと連れ帰り、村長に確認を取って街へと戻る途中である。

 

今は乾季で、ほとんど雨が降ることはない。

 

流れている川―――ラシェランの街へ流れていくアロルベ川は、その水源が地下水であり今の時期でも尽きることはないとルートは剣の師匠に教えてもらっていた。

 

殆ど氾濫することのないその川のほとりで革袋に水を汲んで、少年は額に拳を当てて沈鬱な表情をしている。

 

「……参ったな。これはきついものだ……習うこともできんことだが……」

 

あの奈落に落ちては、ミナは助からないだろう。

 

彼も、彼の幼馴染もそう考えて落ち込んでいた。

 

ただ一人、魔法使いの半妖精だけは「そういうこともある」と達観しているようだったのもまた辛いところだ。

 

会ったばかりだが、生死をともにした仲間がこうもあっさりといなくなってしまうとは。

 

この喪失の重さは経験し、そして堪えていくしかないのだろう、と少年は臍を噛む。

 

もしもこれがイーサであったなら。

 

自分は立ち上がれるだろうか。

 

その悲しみや怒り、ひょっとしたら憎しみに負けてしまうのではないだろうか。

 

そんな思いが去来する。

 

頭を振って、少年は立ち上がり―――そして。

 

信じられないものを見た。

 

最初はブクブクと不審な泡が川面に浮かんだことだった。

 

やがて泡は消えて、ゆっくりと何かがゆらりゆらりと浮かび上がってくる―――

 

それはリュックサックを背負ったと思われる人体であった。

 

完全に土左衛門の様相を見せながらも、ゆっくりと川面を流れていくそれは確かに女性の形をしている。

 

その姿に―――

 

「―――まさか!?」

 

確かに見覚えがあった少年は目を凝らしてそれを見た。

 

その女の形をした漂流物は、手足をバタバタともがかせながら確かに岸へ近づいてきた。

 

そして、少年が目を見開いている間にそれは確かに泳ぎの形となって―――

 

「ぶぅぅはぁぁぁぁぁぁぁっ!死ぬかと思ったわァァァァァ!!」

 

バザン、と素っ裸に背嚢だけを背負った女が叫びながら岸へと上がってきたのであった。

 

「―――ミナ、か?」

 

陰部も胸も隠す気配すらなくぜぇはぁぜぇはぁと荒く息をしながらもしっかと地面に立った少女。

 

それは紛れもなくハイエルフの少女、ミナであった。

 

「君、生きていたのか!?」

 

「ルートさん!?そっちこそ無事で良かった!」

 

驚愕して思わず幽霊でも見たかのように彼女を指差してしまうルートに、ミナはだいぶ青い顔でそう笑う。

 

ガニ股で。

 

水草を頭から垂らしながら。

 

普通、誰もがドン引きするような真っ青な顔で。

 

「……まずは服を着よう」

 

「……そっすね」

 

その事実に気づいた時、二人はそんなことしか言うことが出来なかったのであった。

 

 

 

「いや、流石にそれはないわ」

 

素っ裸のミナに自分の替えの下着と外套を渡しながらイーサはジト目でそう言った。

 

大声に気づいたイーサとリージェが駆け寄ってきた時、ミナは体を隠すこともなくスタスタとこちらに歩いてきたのである。

 

傍に顔をそらしているルートがいるにもかかわらず、である。

 

「ハイエルフと言えど、裸身は恥ずかしがると聞き及んでいる。何?露出狂?」

 

着替えつつ、リージェのからかいにミナは「返す言葉もございませぬ……」と顔を赤らめていた。

 

無論、それはそんなアタリマエのことを言われたことによる羞恥であって、男の目の前で素っ裸で歩いていたことに対する羞恥ではないのは言うまでもない。

 

そこらへんは250年経ってもそのままだったのだから、それは仕方ないと言える。

 

本当に仕方ないと言っていいかどうかについては議論の余地はあるだろうが、最早1000年単位の時間を経てしか解決しない問題であろう。

 

それに気づいてか気づかずか、口を開いたのはルートであった。

 

「……うむ。そこらへんは俺には何も言えん。とりあえずミナが無事だったことを喜ぶのみだ!」

 

ようやくミナが裸身を隠したことにほっと一息をついて、ルートは元の調子に戻ったのか勢いよくそう言って笑った。

 

「ま、そうですね。とにかく生きて帰ったことは喜ばしいかと」

 

咳払いをしてイーサは白湯をミナに差し出した。

 

「それにしても、本当に良く無事だったわねあなた……良かった……」

 

「最初の冒険で仲間を失うのは幸先が悪い……それも上古の森人とあれば相当なもの。何よりもあなたは興味深いと感じている。無事で何より」

 

女の子二人は、そうしてそれぞれにミナの無事を喜ぶ。

 

「ありがとうございます。こちらも死ぬかと思いましたけど、なんとかみんな無事で良かった」

 

ミナは白湯で体を温めながら、ニコリと笑った。

 

そして、やがてミナの顔色が十分に戻ったところでイーサが口を開いた。

 

「……ところで、川底から浮かんでくるなんて何があったの?」

 

「いや、実は……」

 

ミナは訥々と話し出す。

 

奈落の下の遺跡。

 

鍾乳洞と合体したガラクタ置き場。

 

そこにはびこるゴブリンたち。

 

命からがら、父が預けてくれたスクロールでなんとか地下水脈に落ちて助かったこと。

 

そして水中呼吸の術が切れる寸前になんとか地下水脈から川に出て、浮上して助かったことなどを話したのであった。

 

「って感じで……マジで死ぬかと思いました。いや、あの時ゴブリンチャンピオンがちょっとでもこっちに走ってきてたら死んでました」

 

「うむ!相当に運がいいんだな、君は!正直ゴブリンに囲まれた時点で普通は死ぬ!我々のような駆け出しはな!」

 

少年が感心してそう言うと、ミナは「いやあどうかなあ……父母に与えられたこの体と、父のスクロールがなかったら死んでましたし」と謙遜する。

 

「謙遜することはない!運も実力の内だからな!」

 

「いや、ほんとねえ。普通はそのまま死にますよね。すごい悪運……もしかして、幸運神の加護でも得てるんじゃないですか?」

 

二人にそう言われて、ミナは少し照れる。

 

そして……

 

「いつかあの遺跡にリベンジしたいと思います。父からもらった鎧とか、剣とか……多分残ってないでしょうけど取り返しに行きたい」

 

ミナはそう決意を表明する。

 

「……地下水脈に通じている遺跡か……興味深い。入り口も私達しか知らないし」

 

リージェはニヤリと笑って、ミナを見た。

 

「やっぱり運がいい。瞳も綺麗。私はあなたとこのまましばらくパーティを組みたいと思う」

 

その不気味とも言える笑みに、ミナは苦笑する。

 

「うむ。俺もリージェの意見に賛成だ。実力は十分にあったし、あそこから生きて戻ったのだ。このまま俺も組み続けたい。イーサはどうだ?」

 

「そうですねえ……ルートがいいと言うなら、私には否やはないです。今回は本意よ」

 

ルートとイーサもそうしてミナとパーティを組み続けることに賛成した。

 

「こちらこそ、今後とも宜しく……まずは武具を買い直して……」

 

ミナが頭を下げてから、思い出したようにバツの悪い顔をした。

 

「―――しばらくは、大鼠や巨大G退治、ですかね……」

 

「装備買うお金はないってこと?」

 

イーサにそう問われて、ミナは両の人差し指を胸の前で突き合わせて「弓はどうにかなると思うけど、剣とかはちょっと……」と情けない顔で笑った。

 

「中衛の装備がなければゴブリンやコボルトを相手にするのは危険だ!ミナの言うとおりにするべきだな!生活費はポーション代の分は俺が持とう!そして落ち着いたら次の冒険への算段をつけよう!」

 

ルートの言葉に、イーサもリージェも否という事はできなかった。

 

「結局ゴキ相手するはめになるのかぁ……不本意です……」

 

「もうあんな間抜けはやめて。いい?」

 

「はぁい……すいません……」

 

「では、戻ろう!我らが街へ!」

 

うなだれる少女たちを尻目に、ルートは勢いよく立ち上がった。

 

ミナが小剣と革鎧を揃えるのは、そして4人がコボルトの巣に向かうことになるのはそれから三月ほど後のことである。

 

そこでもまた結構な失敗が待っているのだが、それはまた別の話であった。

 

 

 

―――意識が急速に浮上していく。

 

夢から目覚めるのだ。

 

最初の仲間たちの姿が薄れ、現実へと意識が帰還する。

 

彼らと別れたのはあの無様な間抜けを晒した冒険から10年の後、あの遺跡に眠るものを斃した後―――街を離れる決意をした時のことだ。

 

それからもエトス都市国家群へ行った時は、必ずチャータムの3人のもとへ顔を出した。

 

そんなルートとイーサはもう170年も前に亡くなっているし、ハーフエルフのリージェももう老境へと入っているだろう。

 

懐かしい、懐かしい思い出であった。

 

「……さて」

 

ミナは起き上がって時間を見る。

 

今日もピッタリ5時おきだ。

 

岬を起こさないようにベッドから出て、三郎の机で日誌を書くルルへと「おはよう」と声をかけた。

 

「おはようございます。ミナさん。今日から自動車教習所とやらに行くのでしたか?」

 

「そうね。まあ、その前にご飯作らないと」

 

まだ肌寒い3月半ばの朝の空気を吸うためにミナはドアを開けて階下を目指す。

 

トントン、と階段をリズミカルに降りていき、玄関から外に出てみる。

 

空は白み、後数分もしないうちに日の出であろう。

 

「よし。今日もなんとか頑張ってみますか」

 

かつての自分の間抜けな姿を思い返し、ミナは笑う。

 

さぁ、今の自分は勇者なのだから、襲いくる困難程度いくらでもぶっ飛ばしてやろう。

 

そうして朝の冷たい空気へ向けて、少女は大きく伸びをしたのであった。

 

 

 

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