フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844~1900)
「……つぐみを。アイツらをよろしくな」
悟られるな。
それ以上でも以下でもない、ただのそれだけの一言。
俺の“歴史”を託すには、“それだけ“で十分。この男には、”それだけ“の言葉で十分。
助手君──日寺壮間は少しきょとんとした顔を残し、でけえタイムマシンのハッチが閉まると同時に隠れて見えなくなった。
あんな調子だが、あいつは信頼のおける男だ。王になる、というのは実のところ天才☆科学者の俺でもよくわからないけれども……
「才能だとか……素質だとか。偽善とか、正義だとか、憧れだとかどうでもいい!!」
「何も成して無い奴の戯言なんて、何の意味もないんだよ!」
「俺は……王になる! この力で、“俺”という存在を歴史に刻む! それが俺の戦う理由だ!」
今はまだ、”自分”の為。
けれど、きっといつか……“誰か“の明日を創る為に、戦える男だ。
「さよならだ」
その言葉が聞こえたのか、聞こえていないのか。
壮間の乗ったタイムマシン──”タイムマジーン”は、時空を越えるトンネルの中に帰っていった。
☆ ☆ ☆
──2015.5.29
「バンド? お前達が?」
それはあまりにも突然の
羽沢珈琲店で店番をしていた天介は、
「バンドねえ。名前とかももう決めちゃってたり?」
「ふふふ~~、あたし達はね……。【Afterglow】だよ~~……」
天介の問いに、青葉モカがいつものスポンジで出来たロードローラーが走るかのようなゆったりとした口調で返す。
アフターグロウ。あふたーぐろう。天介はしばし思案する。
「グロウっていうと烏の」
「……それはクロウ」
美竹蘭がぼそりと突っ込む。
「バットと」
「グローブ!」
上原ひまりは苦笑いした。
「黄金の夜明け団の分裂の契機となった、二十世紀初頭の魔術師だな」
「そ・れ・は! アレイスター・クロウリーだろぉ天さん!」
宇田川巴の良く通る凛々しい声での突っ込みに、天介は目を丸くした。
「いやよく知ってるな! 巴のキャラじゃないぞそれは」
「あこがそういうの好きだからさ……」
茶化すのはその辺にしてよ、とつぐみに言われ、天介は頭を掻く。
「冗談。Afterglow。『夕焼け』。良い名前じゃんか」
でしょお、とモカがにやけたのを見てから、天介は改めて五人を見た。
「しかしまあ、何でバンド?」
この五人はいつも一緒だ。天介が記憶を無くし養子として羽沢家に引き取られた時、既に五人の世界は出来上がっていた。
今でこそその才覚と人柄の良さで兄貴分のように振舞ってはいるが、当時は全てにおいて自信が無かったこともあり、そのコミュニティの中に入っていけない、自分の居場所などどこにも無いと思ったものだ。
この五人はその絆で、安寧と安らぎに溢れた日常を──”いつも通り”を謳歌している。
そんな中でバンドという新しいこと──”いつも通り”の変革を始めるというのは、何か特別な理由があるはずだ。
「ほら、前に言ったじゃない? 蘭ちゃんが……」
つぐみの少し歯切れの悪い切り出しから大体のことを察し、天介はああと得心して返した。
五人は学校でもずっと同じクラスなのが自慢だったが、今年度のクラス替えで初めて蘭だけが隣のクラスとなってしまった。
もっとも、長い人生の中から見ればそんな連続性の消失はほんの些細なこと。そんなこともあった、と流してしまえる程度のことだ。
だが、当事者にとってそれは全く違う。
わずか14年という吹けば飛ぶような短い人生の中で、大部分を占めていた”五人”の”いつも通り”。
それが不可逆のどうしようもない潮流によって変わってしまうことは当人──蘭にとって、些細なことでも流してしまえる程度のことでもないのだ。
その小さなほころびが、いつか大きな亀裂を作るのではないか。
“いつも通り”が“いつも通り”である保証など、どこにもない。
今日見ている景色が、明日も変わらずそこにあると、誰が保証できるというのだ。
その不安に苛まれ押し潰されそうになった蘭は、授業をフケ始めた。
たった一人で屋上に佇み、ただただ不安を、焦燥を……滓のように心の中に溜まった気持ちをどうすることも出来ぬまま、青春の貴重な時間を浪費していった。
「あ、あのさっ。その……蘭ちゃんとクラスがわかれちゃって、なかなか5人みんなでいる時間が少なくなってきて……どうしたら5人で一緒にいられるかって考えてたんだ」
「部活とか、みんな色々あるかもしれないけど……みんなで一緒に何かやってみたらきっと、一緒の時間……たくさん作れるよね?」
それは、幼馴染の彼女達にとって共通の想いだった。
環境の変化によって生まれる亀裂を恐れる蘭の行動が、皮肉か僥倖か、つぐみ達にも亀裂への危機感を与えたのだ。
学校以外で、一緒にいられる時間を作りたい。
何か、五人だけで共有できるものを。
それを命題として解決案に悩んでいた彼女達にバンド活動を提案したのは、他ならぬつぐみであった。
「そうか」
羽沢天介に言えるのは、それだけだ。
義兄妹とその友人たち、という関係は随分と馴染み、精神的距離もまた随分と縮まったが──天介は、彼女達の”核”の一歩手前までしか踏み込まないことを心に決めていた。
それは年齢差や性差といった違いからくる自然なものと言うよりも、天介の矜持に近い。
天介は時々考えるのだ。自分の存在はまるで
それが幸か不幸かはわからないが少なくとも今の天介にとって、
彼女達との日常は、この上も無く心地よいのだ。
「天兄もいつか、聴いてね」
そう言う蘭の表情は、バンドを結成したことでだいぶ救われたように見える。
「ああ。いつか、な」
☆ ☆ ☆
──2017.5.27
「ボトル……ねえ」
役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、
「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がある」
──と、結んだ。
「おい筋肉馬鹿」
天介のいらいらした声に、東馬はきょろきょろする。
「何してんだよ」
「いや、お前が呼んだキンニクバカさんはどこにいるのかと」
「お前だよ! おーまーえ! YOU! 経堂東馬=筋肉馬鹿! ドゥー、ユー、アンダースタンンン!!?」
俺か、と別段驚いたふうもなく、東馬はまた天介を見た。
「筋肉の何が悪い? 重いのを持ち上げるやつとか楽しいぞ」
「そこは問題じゃあ無いんだよ!」
全く疲れる奴だと天介は頭を抱えた。
経堂東馬は街一番──否、世界でも有数の富豪たる弦巻家の令嬢、弦巻こころ専属の使用人兼ボディーガードのような男だ。
天介は”仮面ライダービルド”として戦う過程で彼と知り合い、自らの秘密を知る数少ない相手となった。
その時以来何かと縁があり、ヒジョーに嫌々ながらも行動を共にすることも多い。
そうなってくると、「明日の地球を投げ出せない」というぐらいの覚悟でヒーローとして戦う天介としては避けられない問題があった。
「俺の秘密を知っていて、ネビュラガスも吸った。否が応でもお前と行動が一緒になることが多いとなったら……お前もスマッシュに狙われる可能性が高くなるんだよ」
そこなのだ。
天介自身周りに被害を出さないよう、犠牲を出さないよう戦ってはいる。だがどうしても、守り切るには限界がある。
幸いにして東馬が頭の出来と引き換えに見事なまでの恵体を持っていることを利用し、彼にフルボトルをひとつ預けて護身用にさせようと天介は考えたのだった。
「フルボトルは振るだけで使用者に力を与える。持ってろよ、そのボトル」
「ボトル……ねえ」
役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、
「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がある」
──と、結んだ。
「おい筋肉馬鹿」
「それは俺のこと、だったな」
「よく解ってんじゃねえか。そこでよく解ってるオリコーサンな東馬君に聞きたいんだがな」
「何だ」
「何で一回飲み干して氷まで食ったのにもう一度アイスコーヒーを飲み干せるんだよお前は!!」
「あ」
無意識にやっていたと見え、東馬は手に持った空のグラスを見た。
「それは俺のアイスコーヒーだっての! いいから聞けよ」
「兄さん?」
つぐみがビルドラボの階段を降り、顔を出した。
「ちょっと静かにしようよ」
「あーごめんつぐみ! ど、どうだ練習は?」
「楽しいよ! ハロハピにキーボードはいないけど、やっぱり勉強になることが多くて……」
ビルドラボはライブハウス” CiRCLE”の地下にある。地上では、Afterglowとハロー、ハッピーワールド!の二大バンドによる合同練習が行われていた。
「お嬢はどうだ」
「やっぱり凄いねこころちゃんは! 練習なのにバク転したり、見てて飽きないっていうか……」
つぐみから聞かされるこころの姿に、東馬は内心嬉しい気持ちになる。
だが、それは表情には出ない。否、出せない。経堂東馬とはそういう男なのだ。
世界を笑顔にするバンドに一番近しい男が、笑顔を知らない。
皮肉で、滑稽な話だ。
「つぐみ、悪いけどまりなさんに言ってアイスコーヒーもらってきてくれるか? 一人分な、一人分。この筋肉馬鹿のぶんは必要ないからな!」
「ああ……うん」
つぐみは取って返すと、すぐにアイスコーヒーを盆に乗せて持ってきた。
「ありがとな」
「兄さん……その」
「ん?」
何の話をしてるの、と聞きたかった。
だが天介の顔をじっと見ていると、つぐみにそれは切り出せなかった。天介が何かを秘密にしているのはとっくに解っている。義妹とは言え、ひとつ屋根の下で暮らしてきたのだ。
だがそれを詮索しようとするのは、天介の矜持への侮辱となるだろうというのもまた解っていた。
彼女は知っている。
羽沢天介は何よりも、誰よりも──自分を、Afterglowを大切にしてくれているのだと。
その天介が自分達に「言わない」という選択をしたのならば、それを詮索するべきではない。
「知りたい」という気持ちもまた、十二分にあるのだけれども。
「何でもない! コーヒー置いとくね」
つぐみはそう言うと、足早に去っていく。
その後姿を見ながら、天介は自分のヒーローとしてのアイデンティティに思いを馳せていた。そしてまた、東馬の方へと向き直る。
「とにかく、だ。お前だってハロハピの皆を巻き込みたくはないだろ? いや……既に美咲ちゃんが巻き込まれてるか。だからお前はそのボトルで……」
「ボトル……ねえ」
役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、
「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がある」
──と、結んだ。
「おい」
「何だ」
「だから、どうして俺のアイスコーヒーを飲むんだよ!!」
「あ」
「あ、じゃない! お前は俺の話を聞くのか聞かないのかどっちなんだ!!」
「聞くつもりだが」
「じゃあ聞けよ! リッスン!」
「満州事変の調査団だな」
「それはリットン! お前馬鹿のくせに何でそーゆーのは知ってるんだ!」
天介は半ば憤慨しながら上に上がると、まりなさんにうるさくしてすみませんとぺこぺこ頭を下げながらアイスコーヒーを貰って戻ってきた。
「まだ飲むのか?」
「まだ、って俺はまだ一度も飲んでないっての!」
「俺は腹が少し緩いような」
「立て続けに三杯もアイスコーヒー飲むからだろ!」
クールで細マッチョな天才科学者の正義のヒーロー、を自称する天介にしてみれば、まったくここまでエクスクラメーションマークを多用する会話は他に無いとため息をついた。
やっぱり、経堂東馬は馬鹿だ。けれど、放っては置けない。
何故かは解らないが、この男を無下にすることはできないと感じるのだ。
「お前のそのおツムと引き換えの筋肉なら、きっとボトルの力を引き出せるって話なん……あっおい! 返せコーヒー!」
「ボトル……ねえ」
役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持った団扇でぱたぱたと風を額に送り、ゴリラかこれは?──とボトルを摘んでかちゃかちゃと振ってみせ、それから手元のアイスコーヒーを飲み干して氷を一気に奥歯でがりがりと噛み砕いてから、
「俺には必要ないな。何故なら俺には筋肉がげーぷ」
天介は深い溜息をついた。
「あのなあ経堂、せいぜい三回どまりだぞこの手の冗談は」
「だな。今のはわざとやった」
「味を占めるな!! というか最初の三回は天然なのにびっくりだよ!!」
とにかくだ、と天介は叫び、半ば強引にしっかりと東馬の手にゴリラフルボトルを握らせた。
「お前が持ってろ! お前ならハロハピの皆や周りの人間を守ることができる、そのボトルで!」
「ボトル……ねえ」
役に立つのかそれは、と経堂東馬は呟いてから、手に持っスパァァン!
「もうアイスコーヒーは無いぞ!!」
天介が、思いきり筋肉馬鹿の頭をはたいていた。
☆ ☆ ☆
──2017.7.20
「はァァァァァん」
KIHACHIのアイスがとろっとろに溶けたかのような声を上げ、天介はテーブルに突っ伏した。
「いや無理だ! やっぱり俺に作詞は無理!」
「どうしても?」
向かいの席の蘭が突っ伏した頭を覗き込む。天介はがばと顔を上げ、蘭と目が合った。
Afterglowの新曲の歌詞を一緒に考えてほしい、というのが蘭の提案だった。普段は一人で歌詞を考えており、そういうことを言ってくるタイプでも無いが故に珍しいなと思いつつ、それが嬉しくて応えたものの──
羽沢天介には、絶望的に文学的センスが無い。
「いやね? 俺はそりゃあ天才☆科学者ですから……できないことは無いんだけれどもね? けれど、こう……メロディに乗せるような文の流れを考えるのは何というか……」
「貸して」
蘭は天介の手元から何やら文の書かれた紙をひったくる。
「あッちょっと待て! お待ちになって!」
「どれどれ」
そこには、几帳面かつ丁寧な字でこう書かれていた。
パイナップルと同じくらいあなたが好き
シュークリームと同じくらいあなたが好き
だからあるのです
パイナップル入りシュークリーム
ほうれん草は嫌いです あなたが好き
生ビールは嫌いです あなたが好き
だからないのです
ほうれん草入り生ビール
「……これは?」
「詞」
悪戯を見つかった子供のような顔で、天介は蘭を見る。
「詞ってより詩でしょこれは!? ふざけてる!?」
天介はまた、はァァァァァんと声を上げる。
「これが俺の全力なんだ! わかって!」
隣のテーブルで眺めていた他のメンバーは、呆れ笑いでそれを見ていた。
「まあ天さんはな……」
「向き不向きってあるもんね!」
「メソメソクヨクヨするな~~、テンシンメン食べて昨日を忘れよう~~……」
そこに、つぐみが厨房からアイスクリームを器に盛って人数分持ってきた。
「ほら、兄さんはね……理系だし。文系の才能は……」
「それは偏見だッ! 俺は皆のその言葉が痛い……!」
天介は改めて自分の詞を見た。
感情や心の機微に疎いわけでは無いが、それを言葉にして紡ぐとなるとそれはやはり才能の如何だ。
「なあ。何で俺なんだ? 詞だったら蘭のほうが才能がある。わざわざ俺が……」
「……一個ぐらい」
「ん?」
「一個ぐらい、天兄との思い出の曲……作るのもいいかなって」
言ってすぐ、蘭は顔を真っ赤にした。それはきっと、彼女の奥底にあった本音だったのだろう。
「必要あるか? 俺はただ、お前達の“いつも通り”を守って……」
「あたし達は……」
「天兄がいるところまで含めて、“いつも通り”だから」
今度は天介が顔を赤くする番だ。
自分なりに線引きをしていたつもりだったが──そう言ってもらえるのは、何とも嬉しく、恥ずかしく、誇らしい。
「そうか」
勿論、そう思ったことを悟られないようには取り繕ったのだけれども。
「文学って言えば、この間薫先輩の公演見てきてさー!」
どことなくこっ恥ずかしい雰囲気を、ひまりが他の話題を出して変えていく。
「アタシも見たぞ! 『銀色の眼のイザク』、良かったな~!」
巴も乗ってくる。
「ねー! 絶滅したアルテスタイガーの最後の一頭、銀色の眼のイザクを薫先輩、見事に演じてて……」
ひまりはそこまで言って、少し表情を曇らせた。
「ど~したのー、ひーちゃん」
「うん……。イザクに語りかけるヒロイン役の先輩、すごくスタイルが良くて……」
ひまりは自分の身体を見下ろす。決して太っているわけではないが、肉付きがよくボリュームのある身体だ。
「私だって頑張ってるんだけどなぁ~~……。私じゃない私になりたい……」
「ひまり!」
天介は思わず立ち上がった。言いようのない感情に、目じりがピグピグと動いている。
「あ……」
場の空気が澱む。
記憶喪失で「自分」を失った天介の前で馬鹿なことを言ったという空気。
そして天介もまた、反射的に反応して空気を悪くしたという後悔。
「……悪い」
天介は自分からそう言うと、ひまりの頭に手をやった。
「ごめんな。でも、自分は自分。人は人。誰だって『自分』を生きていくしかないんだ」
「私、こそ、その……」
「ひまりは今でも可愛い」
天介は笑った。釣られて、周りも笑った。……ただ一人を除いて。
「蘭ちゃん?」
つぐみは恐々蘭を見る。蘭は何かに憑かれたかのように、目を見開いて天介を見ていた。
「それだ……それだ天兄!」
蘭はペンを取ると、紙の上でそれを滑らせ思いついたフレーズを書きなぐった。
僕は僕。君は君。生きよう。
say! “That is how I roll!”
「……思い出の曲、できそうだね~」
モカが、全てを飲み込んで笑った。
☆ ☆ ☆
──2017.10.11
「さあ……さあさあさあ!!」
「やめろぉぉぉぉーーーー!!」
ビルドの叫びは、届かなかった。
パンドラボックスが、ブラッドスタークの手によって起動する。
大地が。
国が。
世界が。
日常が。
分断される。
パンドラボックスは強い光を放ちながら、巨大な壁を三方向に創り出していた。壁は容赦なく人々の日常を破壊し、分断していく。市街地も、山林も、お構いなしだ。
ビルドはただ、その光景を見つめていることしか出来なかった。彼は
スカイウォール計画を、阻止することは出来なかった。
「俺は……おれ、は……」
同刻、羽丘の屋上ではつぐみ達が突如現れたスカイウォールにただただ圧倒されていた。巨大な壁はちょうど屋上に差し込んでいた夕陽の日差しを遮り、影を作っていた。
「夕焼けが……」
「見えない……」
何かとんでもないことが起こり始めているのは解った。
だがそれ以上に、目の前の”これ”は圧倒的だ。
“いつも通り”が“いつも通り”である保証など、どこにもない。
今日見ている景色が、明日も変わらずそこにあると、誰が保証できるというのだ。
「あたし達の……”いつも通り”が……」
それは羽沢天介にとって、完全なる敗北を意味していた。
☆ ☆ ☆
──2018.3.19
「待ってて、友希那お姉ちゃん」
仮面ライダーエボルは、装置の中で人形のように微動だにしないまま眠る湊友希那を見つめながらそう言った。
「……あなたは、間違っているわ」
友希那に言われた言葉が、潮騒のように頭の中に寄せては返す。
「世界を、変える」
誰に言うとも無く、そう呟いた。
「キリが無いな……」
「どこまでも出てくるな」
羽沢天介と経堂東馬は、背中合わせに立っていた。
大量のクローンスマッシュが、世界を終わらせんと溢れ出す。
終末のラッパが鳴った時というのは、こういうものなのだろうか。
「まだいけるよな」
「お前よりは体力があるつもりだ」
そんな中でも二人は、諦めてはいない。
「経堂」
「何だ」
「これが最後の戦いだ」
「そうなのか」
「そうなんだよ。……ここで俺達が終わらせて、そうさせてみせる」
天介は笑った。
「聞かせろよ。お前は何の為に戦う?」
「何の為?」
「俺は、つぐみの……あいつらの為に戦う。あいつらの“いつも通り”が“いつも通り”であり続けられるよう、俺が戦う。お前は?」
「俺は……」
相変わらず無表情なその顔。だが、天介には解る。
経堂東馬は今、心で笑っている。
「お嬢の為に戦う。それはつまり……『世界を、笑顔に』する為に戦う!」
「ああ……最ッ高だ!」
“ジーニアス!”
“ボトルバーン!”
「変身!」
二人の声が、重なる。
“完・全・無・欠のボトルヤロォォォォーー!! ビルドジーニアス! スゲェェェーーイ!! モノスゲェェェーーイ!!”
“極・熱・筋・肉ゥゥゥ!! クローズマグマ! アチャチャチャチャチャチャチャチャーーッ!!”
「“いつも通り”が、“いつも通り”である為に!」
「世界を笑顔にする為に!」
「俺達は、勝つ!!」
同じ頃、弥生北斗と四谷西哉もまた、背中合わせになりながらクローンスマッシュを撃退していた。
「おっさん!」
「おっさんは……やめろと! 言っている!」
「おっさんはおっさんだろーがダボカス!」
「ダボッ……」
憎まれ口を叩き合いながらも、手は休めない。
「俺ら、死ぬかもな」
「あ?」
西哉は怪訝な顔になる。
「どーせ死ぬんなら、推しに看取ってもらって……」
「馬鹿か、クソガキ」
「あァ!?」
「死ぬつもりで戦ってるなら、帰れ」
そう言う西哉の顔は、流石にいち社会人として、組織の人間として激しい潮流に揉まれてきた大人の顔だった。
「俺は戦う。笑顔を失くしたあいつらに……キラキラやドキドキは、消えたりしないと証明するために」
「おっさん……」
北斗はその姿に、へへっと笑った。
「上等だコラ! 俺だってなあ……証明してやるんだよ! 努力すれば叶わない夢は無いってな!」
“ボトルキーン!”
“プライムローグ!”
「変身!」
二人の声もまた、重なる。
“激・凍・心・火!! グリスブリザァァーード! ガキガキガキガキ、ガキーーン!!”
“大・義・晩・成!! プライムロォォォーグ! ドリャドリャドリャドリャ、ドリャーー!!”
「努力を!」
「キラキラとドキドキを!」
「俺達は、守る!!」
☆ ☆ ☆
「────はっ!?」
羽沢天介は我に返った。
今見ていたものは、確かに自分の歴史。だが、後半からはおかしい。
まだ体験してすらいないものを、彼は確かにこの目で見た。
「スカイウォールが……。それに、四谷さんが仮面ライダーローグって……」
だが彼は、それを瞬足で理解した。
きっとそれらは、歴史を託さなければ本来あり得た時間の流れなのだ。
思っていた以上に大変なものをあの“王様”に託してしまったとも思ったが……天介はすぐに、頭を振ってそれを打ち消した。
「お前なら、大丈夫だ。助手君」
それが、歴史から消えた羽沢天介の最後の言葉だった。
☆ ☆ ☆
「天介さん……」
壮間は羽沢珈琲店のテーブルで、羽沢天介に思いを馳せていた。
ビルドの力と歴史が自分の掌中にあることで、あの“いつも通り”は“いつも通り”では無くなったのだ。ならば自分に出来ることは何か。
取りあえずは──言葉通り、見守っていくことだ。
羽沢天介が、何よりも守りたかったもの。
この、日常を。
「つぐはまたツグってますな~~」
隣のテーブルでは、モカと香奈がつぐみと談笑している。
「本当だよね! つぐちゃんってなんかこう……妹にしたい!って感じあるよね!」
香奈の何気ない一言に、壮間はぴくりと反応する。
(妹……)
「あはは……」
そう苦笑したつぐみの眼から、すうっ……と一筋の涙が落ちた。
「え?」
困惑する香奈。
「え?」
だが誰よりも困惑したのは、つぐみの方だ。
「あれ? な、何でだろう……。妹、って言われると何か懐かしい気持ちになっちゃって。変だよね」
壮間は一瞬どきりとした。
だが、きっとそれは偶然。そう、偶然だ。彼はただひたすらに、王として全てを守る決意をより強くした。
誰も覚えていない、あの約束。
それが果たされる日はきっと、「おかえり」の一言と共に。
おわり