ゼロの使い魔~竜の国からの遭難(?)録   作:ショウマ

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悲哀は情愛と共に 後編

 

 

「さて」

 

 玉座にも似たこしらえの椅子に座り、狂ったように笑っていた男。

 

 不意に落ち着きを取り戻した彼は右手を持ち上げ、その長く美しい形の指を鳴らした。

 

 高く澄んだ音が何もない室内に木霊すると、中空でウロウを縛り上げていたローレシアの雷が跡形もなく消失してしまう。

 

 呪文を唱えた様子も一切無く、強大で凶悪な魔力を誇るローラのそれを打ち消したことに、メイジ達は皆一様に顔色を変えた。

 

 当のローラは無言で無表情を保ったまま、しかし絶対零度な視線がニヤつく男に向けられている。

 

 解放されたことで床に墜ち、そのまま力尽きて倒れ伏す少女。

 

「ウロウ!」

 

 友人の元に駆け付けたいシエスタだが、二人の間にある部屋に開いた大穴がそれを阻んでいる。

 

 倒れたままのウロウの近くに豪奢な椅子を移動させると、男はそこに座ったまま足下の少女を容赦無く足蹴にした。

 

「なっ……!」

 

 それを目の当たりにしたルイズとセレスティナが怒りの声を、キュルケもまた不機嫌そうに片眉を跳ね上げる。

 

 唯一表情に変化が見られないタバサだが、その無骨な長杖を握る手には普段よりも強く力が込められていた。

 

 それらの様子に気付いたらしい男が、ローラの評した『悪趣味クズ』という言葉通りの愉しげな表情を浮かべる。

 

「おやおや、どうかされましたか? 素晴らしく不機嫌そうですが」

 

 黙って立っていれば誰もが見惚れるであろう、貴公子然とした容姿。

 

 しかし、その顔にあるのは愉悦の表情。

 

 眼は他者を見下し、親しみの欠片もない侮蔑の光を宿している。

 

「ウロウから、その汚い足をどけなさい!」

 

 傷付き倒れている才人を助け起こしながら、毅然とした態度でルイズが声を張り上げる。

 

「普段そんなに付き合いがある訳じゃないけど、それでもそんな扱いは見るに堪えないわね」

 

「同じく」

 

 ユラリと立ち上がったキュルケの横に、タバサも並ぶ。

 

「ほうほう、それが人お得意の友情パワーと言うものですか? いや、実に素晴らしい!」

 

 大仰な仕草を伴って、男は喋る。

 

 しかし、その内容とは裏腹に、口調は相手を小馬鹿にしたもの。

 

「しかしですね、自分の奴隷をどう扱おうとも主人であるこの(わたくし)の勝手。……そうではありませんか、貴族の皆さま方?」

 

「奴隷……?」

 

 思いもよらない言葉を耳にして、シエスタが呆然と聞き返す。

 

「それが気になると言うのなら、別に家畜でも構いませんよ? 私にとってはどちらでも変わりませんし」

 

「家畜だって……!?」

 

 本当にどちらでも言いと言わんばかりの男に、聞き捨てならないとセレスが激怒する。

 

「おやおや、あなた方に私を非難する資格がおありなのですか? 身分制度なんてものがあれば、使役する側からの扱いなんて多少の差異はあっても、結局は同じなんですよ。仕える者がその現実をどう受け止め、どう思うか。それらによって、名称が違ってくるわけですが……ま、その程度のことです」

 

 

 朗々とした口調で、男が語る。

 

 ボク達は違う! と、男に叫び返す……返したかったセレス。

 

 しかし、彼女は知っていた。一部の貴族が、魔法を使えない平民達を実際にそのような扱いをしていることを。

 

 男の言葉が決して間違いではないことに、セレスは悔しそうに歯噛みする。

 

「あんたも、さっきのウロウもそうだったけど、杖を持たずに魔法を使ったわよね?」

 

 セレスがそんな想いを抱いている中、男の話をまるで無視するかのように、ルイズが別のことを訊ねた。

 

 その視線は一瞬ウロウに向けられ、すぐに男へと戻る。

 

 この男同様に、ウロウもまた杖を持たずに火球を生み出していた。

 

「それが何か?」

 

 剣呑な目こそ向けられたままではあるものの、最も激しく反応しそうな相手から受けた“肩透かし”に意外そうにしながら、訝しげに男が聞き返す。

 

「つまり先住魔法……あなた、エルフね!?」

 

 エルフ。

 

 遥か東方の地に住んでいる、美しい容姿と長い寿命を持つ亜人種。

 

 メイジ達が使う四系統魔法が、意思によって世の理を無理矢理変える魔法であるのに対し、先住魔法は世の理に沿った効果を発揮する。

 

 使用の際に杖を用いない代わりに、自然界に存在する精霊達の力を借りているのだ。

 

 人間を軽く凌駕する高い魔力と魔力容量、高い技術力と文明を誇る彼らとの仲は、険悪。

 

 これまでにも、人間とエルフ達の間では大なり小なりの戦闘が発生している。しかし……彼らに勝つには十倍の戦力が必要と言われるほどに、人間側が劣勢であった。

 

 そして、彼らは人間達のことを蛮族と呼び、蔑んでいる。

 

 目の前にいる、この男のように。

 

 だが――。

 

「違いますよ」

 

 男は即座に否定する。

 

 そこに侮蔑を込めて。

 

 それと同時に納得もしていた。

 

 自分をエルフだと思っていたからこそ、先のような反応だったのだと。

 

“彼ら”ならその程度のことは言いそうだという認識があったがために、彼の言葉に反応を示さなかったのだろうと、男は一秒にも満たない時間の中で結論づけた。

 

 その上で言葉を続ける。

 

「彼らの思想に、一部共感する部分はありますがね。ただ、彼らも結局のところ亜人であるため、私にとっては人族なのですよ。あなた方と大差ない、ね」

 

「なっ!?」

 

 恐怖の対象ともされるエルフと同じ扱いをされたことに、何人かの口から驚愕の声が上がる。

 

 ここで、ローラの表情が僅かに揺れ動いた。

 

 傍目には全く変化が無いように見える、本当に僅かな変化ではあるが。

 

 男に向けていた彼女の視線が、より険しいものとなる。

 

「異端思想……ってだけではなさそうね」

 

「考えなんて、それぞれで異なるに決まっているではありませんか。それでも統一したいのなら、それこそゴーレムでも使えば良いのですよ。……まあ、方法は一つだけありますがね」

 

 キュルケの軽口にも聞こえる牽制に、男は指を左右に振りながら丁寧に答えていく。

 

 どこまでも慇懃無礼な物言いと、椅子に腰掛けた尊大な態度のまま。

 

「圧倒的な力を持って、反抗する気すらも完全に摘み取れば、それも可能かもしれません。もっとも、そこまでやった上で歴史から姿を消した事例も存在しますが」

 

「ええ、そうね。けど、あなたもすぐにその仲間入りをすることになるのではなくて? ミスタ」

 

 キュルケが皮肉を用いて啖呵を切る。

 

 いくら顔は良くても、やはり性格に多大な問題があるのは駄目らしい。怒りによって、ただでさえ燃えるような赤毛が、今は陽炎のごとくゆらめいている。

 

 それを前にして、男はより愉しそうな表情を浮かべた。

 

「美しきお嬢様。その程度の者達と、この私を一緒にしないでくれませんか? そもそもですね、私は世界征服などといったことに、全く興味がありませんし。……そう、私は――」

 

 椅子に座ったまま、男は優雅に一礼してみせた。

 

「――私は、ただの演出家なのですから」

 

「――……さ、様」

 

 その時、倒れていたウロウの身体がピクリと小さく動いた。意識を取り戻し、か細い声と共に顔を上げる。

 

「ウロウ!」

 

「ウロウさん!」

 

 友人の名を呼ぶシエスタとセレスを、男は面白そうに見やり――。

 

「はうっ!!」

 

 容赦無くウロウの背を踏みつけた。

 

「やめなさい! なんて人かしら! あんたみたいな人は、すぐにでもしかるべき場所に突き出してあげるわ!」

 

 毅然とした態度で怒鳴り付けたルイズも、才人を支えているのとは別の手に持った杖を相手に向けて構える。

 

「チェルノボーグの監獄は確実」

 

 タバサが、トリステイン城下で一番監視と防備が厳しい場所の名を出した。

 

 これだけ大勢の人々を連れ去ろうとしたのだ。

 

 罪が立証されれば、男が牢の中から外に出ることは二度と出来ないであろう。

 

「さっさと立って、失敗を取り戻しに行ってくれませんか? それとも、“あれら”諸共に始末してほしいのであれば――」

 

 大穴向こうの面子を一瞥して嘆息すると、男はつまらなそうに足下の少女に言い放つ。

 

「! す、すぐに行きますので……それだけは、どうかお許しを……」

 

 男の言葉に、ふらつきながらも立ち上がったウロウの顔からは、みるみる血の気が引いていく。

 

 大穴越しにルイズ達に向き直ったウロウは、左手及び半身を前面に、右手を引き気味にして身構える。

 

「どうあってもやるってわけね」

 

「……言ったはずです。あたしはこの道をいくだけだと。そのことに、躊躇いはありません」

 

 男への視線に割り込むようにして立ち塞がるウロウに、キュルケの視線が向けられる。

 

「ツェルプストーの炎のことは、あなたも知っているはずよね? 全て、燃やし尽くすわよ」

 

「申し訳ありませんが、あたしは今、死ぬわけにもいかないんです。ですので、丁重にお断りさせていただきます」

 

 キュルケの脅しにも一歩も引くことなく、ウロウは堂々と応じる。

 

 威勢のいい言葉とは違いその顔は蒼白のままではあるが、それでも、その目には強い意思を宿していた。

 

「ウロウ……! もうやめて……」

 

「シエスタ……」

 

 チラリとそちらを見た後に、ウロウは辛そうに視線を逸らした。

 

「友人知人同士が拳や杖を交える悲劇――。よくある光景とはいえ、実際に起きてみればこれほど“美味しい”シチュエーションは無いと思いませんか?」

 

「「思わないわよ!」」

 

 含み笑いをしながら同意を求める男に対し、ルイズとキュルケが同時に叫び返す。

 

 それは残念と男は大袈裟に肩を竦めると、ウロウ越しにとある人物へと視線を向けた。

 

「望む望まぬなど、そんなのは二の次。そうせざるを得ない理由があるなら、それが全てなのですよ」

 

 男の言葉は、それが向けられている人物と、察しているらしいローラにしか分からない。

 

「………………」

 

 その人物――タバサは言葉の意味を正確に読み取ると、視線を受けたらしいミニサイズとなった使い魔が髪の毛に身を隠す中、『雪風』の二つ名の如きその凍てつく氷のような瞳を男に向ける。その瞳の内には、憎悪にも近い感情が宿っていた。

 

「ふふ、実に心地よい。ですが、私も多忙の身。そろそろお暇させていただきます。……ですが」

 

 男は愉しそうに笑いながら、再びその指を鳴らす。

 

「なっ!?」

 

「えっ!?」

 

 一瞬の内に、一同は気球の中から外へと移動し――させられていた。

 

 気球が停泊していたトリステイン郊外と景色は似ているものの、明らかに異なっていた。

 

 そよそよと風に揺らぐ見たこともない草花に、澄みきった青空と白い雲。

 

 遠目には、城に似た造りの建物も見える。

 

 驚きの声を上げなかったのはローラと男、ウロウくらい。

 

「――ですが、今回私を見付けた褒美として、五分だけ時間を割いてあげましょう」

 

 椅子からゆっくりと立ち上がりながら、男は尊大な態度で言い放った。

 

 その挑発的な眼は、真っ直ぐに黒衣の少女に向けられている。

 

「セレス。あなたは下にいた方が良い。ここは危険」

 

「ローラ?」

 

 友人へのあれこれな態度で男に対しヒートアップしていたセレス。しかし、ローラが押し殺した声で自分に話しかけてきたことで、ハッと我に返った。

 

 抱き止めたままの姿勢で聞き返す。

 

「ここは危険。そこに居たままだと、護り切れないかもしれない」

 

 その言葉を聞いて、セレスは驚きの余り言葉が出なかった。

 

 セレスの中でのローレシアは、大切な友人の一人にして自分よりも遥かに強い恩人である。

 

 今回、何故か苛烈な行動を見せている少女。その彼女をして、そう言わしめるほどの相手。

 

 つい先程、ローラの攻撃を受け止める姿を見たばかりではあったが、あれはきっと手加減がされていたからだと思っていたかったのだ。

 

「そんなに強いの? あの人」

 

「うん」

 

 あっさり頷かれ、信じられないと言いたそうなセレス。

 

「それに……」

 

 何かを言いかけたローラだが、言葉を中断せると静かに首を横に振った。

 

「これは今のあなたには関係がないこと。もっと見聞を広めて、必要になったら説明する」

 

「…………うん。でも、絶対だよ? 『やっぱり面倒だからやめた』は無しだからね?」

 

 納得はしかねることではあったが、ローラのその判断をセレスは受け入れた。

 

 おかしなトラブルを巻き起こすこともあるが、いつでも彼女はなんだかんだで自分のことを気遣ってくれている。

 

 今回のウロウへの魔法攻撃も、彼女なりに何か事情があろうことは、セレスも彼女との付き合いから頭では理解していた。

 

 しかし、それを素直に受け入れられるかどうかはまた別問題である。

 

 幼少期、ずっとベッドで寝たきりだったセレスに友人は皆無であり、学院で出会った彼女達は家族とは別のかけがえのないものであった。

 

 だからこそ、授業や模擬戦などといったものでは無く、友人同士が本気で傷付けあう姿をセレスは見たくなかったのである。

 

 才人とギーシュの決闘の時も、薬の調達を目を逸らすための自身への言い訳に使って。

 

 だが……。

 

 もし今、目を逸らすことで大切なものが失われることになるのなら――。

 

 目を背けず、逃げず、堂々とそれに向かい合わなくてはならない。

 

 彼女の中で、そう確固たる想いが固まった。

 

「………………うん」

 

「答えるまでの間が気になるんだけど……。それと、少し修正させて。話せる範囲で良いから、事情を聞かせてもらうからね!」

 

 知らないことを知る。

 

 幼少期にそれで長く身体を壊すことになった彼女ではあるが、その本質である旅への思いは変わることがなかった。

 

 今、それが怖くないと言えば嘘になる。

 

 しかし、学院生活が――友人達との日常が失われるかもしれないことの方が、余程怖いことであった。

 

 恐怖は、誰かが居れば払拭出来る……乗り越えられる。

 

 それをローラが、ルイズやシエスタ、キュルケ達があの時教えてくれた。

 

 ローラへの言葉は、逃げないことに対する自身への誓いでもある。

 

 抱き締めていた手を離して地上の仲間の元に向かいながら、セレスはそんな想いで言葉をかけた。

 

 僅かな動きで、黒衣の少女が頷く。

 

 今の言葉に、セレスは二種類の意味を込めていた。

 

 まず一つ。みんなもある程度は事情を知りたいだろうし、ローラもいつもの如く面倒臭がりながら、最低限の説明はしてくれるだろうという考え。

 

 もう一つは、その行為の前提条件。

 

 ローラと男がこの後ぶつかりあうことは、想像に難くない。

 

 だからこそ、セレスは信じるのだ。

 

 ローラが、男との戦いに勝つことを。

 

 セレスの視線は、余裕綽々といった表情で空に昇っていく男から、地上でこちらに向かって身構えている友人に移る。

 

 仲間達のいる地上に降りたセレス。

 

「魔法をかける時のあの子の顔、とても辛そうだったわよ」

 

「キュルケ?」

 

 そんな彼女に、赤毛の友人がそっと呟いた。

 

「面倒なだけか、寡黙なのか、ただの口下手なだけなのかは分からないけどね。けど、内に溜め込むタイプなのは確かでしょうね」

 

 日頃友人達“で”遊んでいるせいか、それとも身近な良く似た親友の関係か、キュルケはローラの様子を見ていたようだった。

 

 派手な学院生活が目立つ彼女の、友人に対する気遣いや気配りといった面はそれなりに親しい者しか知らない。

 

「案外、似た者同士なのかもね? あなた達」

 

「少なくとも、あそこまでキレやすくはないと思うんだ……ボク」

 

 キュルケの言葉に肩を竦めたセレスは、不安そうに自分を見ているシエスタに一つ頷く。

 

「一つだけ、作戦があるんだ」

 

 

 

「ふふ、実に面白い。毛色の違った役者が、こうも揃っているとは。そう思いませんか?」

 

 ローラと向かい合うように滞空する男が、足下の少女達のことを面白そうにそう評した。

 

「そして、まさかこんな所で守護者の一柱たる“白の竜神”に属する者と会えるとは思いませんでしたよ。たとえ理解されなくても、自らが傷付くことになっても他人のために動く。相変わらずの偽善者振りで、吐き気がします」

 

「ここも、あの地も、そこで暮らす者達の世界。私達が関与してはいけない。あの子を含む人々を解放し、今すぐ立ち去って」

 

 吐き捨てるように言う男の言葉には構わず、静かにローラが告げる。

 

「ふふ、お断りします」

 

 それを男は一蹴した。

 

「知恵があってもそれを活かせぬ者達……ある意味稀有な存在ですよ。数多の世界で蔓延りながらも、その粗暴さや他の存在への破壊衝動は共通している。そんな危険な輩は誰かが管理、統治せねばならないでしょう」

 

「違う。彼らの多くはまだ種として未熟なだけ。成長をしている途中の段階に過ぎない」

 

 男の言葉に、ローラもまた頭を振る。

 

「ではなおさらではありませんか。より優れた者が管理しながら、愚者を導く必要があるでしょう」

 

「彼らには彼らなりの成長速度がある。そこに、外的影響は必要無い。それを見守り、本当に必要な時だけ最低限の干渉をする程度で良い」

 

「ふ。長命な者らしい呑気な言葉です。そんな悠長な日和見主義を気取っている間にも、野蛮な種族によって多くの生命が失われているわけですが」

 

 男は侮蔑の表情を浮かべているが、ローラは未だ無表情を保っていた。

 

 少女はただ静かに、しかし押し殺した声で言葉を紡ぐ。

 

「その多くはあなた達の仕業では? 率先して他の世界を破滅へと導いては破壊していく。……あなた達が言わないで」

 

「ククク、さて何のことでしょう? 申し訳ありませんが、終幕した劇をいちいち数えている程、私の器は大きくありません……と、我々がこんな話をしていても平行線。あの娘では五分も保たないでしょうしね」

 

 男がやれやれと言わんばかりに両手を横に広げ……その姿が消え去った。

 

「――もっとも、生死なんて刹那で決まるものですがね」

 

 囁くような声が少女の耳許で聴こえてくる。

 

 硝子が砕け散るような音が響き渡ったのは、同時であった。

 

 

     ※ ※ ※

 

 

 草原が朱に染まる。

 

 両者の手に生まれた、赤々と燃える火球によって。

 

「〈ババンガ〉!」

 

「〈フレイムボール〉」

 

 ウロウの引き気味の右手に生まれた火球はみるみる大きさを増し、押し出すような彼女の手の動きに合わせて勢いよく飛び出していく。

 

 キュルケの杖先に生まれた火球もまた同様。燃え盛る炎の塊が、こちらに飛んでくる火球に向かって撃ち出される。

 

 両者の丁度中間でぶつかりあった二つの火球。

 

 押し合うそれらは、やがてウロウ側に後退する形で弾けた。

 

 辺りに小さな火の粉を撒き散らし、幸いそれで燃えるようなことは無かったものの、強い炎同士がぶつかることで発生した熱風がウロウに強く吹き付ける。

 

 反射的に両手で顔を庇う彼女とは対称的に、火術勝負に勝ったキュルケの側には吹き返しの風はほとんど無い。

 

 もっとも、返ったところで彼女が身に付けたサークレットの効果で影響は無いのだが。

 

 そんなことを知るよしも無いウロウは、平然とした様子で呪文を唱えているキュルケを見て、純粋な魔法勝負では勝ち目がないと判断した。

 

「噂には聞いていましたがこれほどなんて」

 

 キュルケから放たれた二発目の〈フレイムボール〉の魔法。ウロウも同じ魔法で迎撃を行うが、結果は同じ――いや、先程よりも強い吹き返しがあった。

 

 その熱風により、残り少ない体力がジリジリと削られていく。

 

 学院内においてキュルケとタバサが強力なメイジだということは、一メイドに過ぎないウロウの耳にも当然届いている。

 

 故に、不意打ちという形で杖を奪い無力化を狙ったのだ。

 

 その目論見も途中までは上手くいっていたものの、結局は失敗に終わってしまったが。

 

 攻撃魔法は他にいくつか使えるウロウではあるが、ババンガが通用しないとなると手持ちのそれらでは心許ない。

 

 彼女がその場から跳び退ると同時に、その場所に氷の矢が突き刺さった。

 

 そして彼女の後を追うように、タバサが放つ風と水の魔法が緩急織り混ぜて執拗に迫ってくる。

 

 連続バック転から側転に繋げ、最後には草原を転がるようにして移動するウロウ。

 

 五十メートル程の距離を置いて、ようやく彼女は動きを止めた。

 

 しかし、諦めようとはしない。

 

 いや、ローラやキュルケにも言った通り、そんな選択肢はもとより彼女には無かった。

 

 ダメージが蓄積して、とうに限界を越えた肉体は悲鳴をあげている。

 

 そんな状態でも、ルイズ達に向けている視線には悲痛なまでの覚悟が込められていた。

 

「それならもう一度、あれを使うまで……!」

 

 そう言った彼女が口早に唱えた魔法の効果で、その肉体はより軽やかな動きを可能となる。

 

〈ダッシュ〉の魔法によって跳ね上がったスピードを用いた奇襲――一番得意な戦法による起死回生を狙った。

 

「(ごめんなさい! 派手なアザは残るけど、出来るだけ痛くないようにするから)」

 

 声に出せない想いを、心の中でそっと謝る。

 

 一陣の風のように、草原を疾駆する少女。

 

 速度を高め、拳を握り締めた彼女はほとんど間を置かずにルイズ達の元に辿り着く。

 

 狙うのは……ルイズ。

 

 もし無力化に失敗した場合、キュルケやタバサだとそこからの万が一があり得るからだ。

 

 才人を庇うような姿勢の彼女ならば、自分の攻撃をかわすことは絶対に出来ない。

 

 さらに、近くにはセレスとシエスタも居る。

 

 三人――足下の才人も含めれば四人の内の誰かを捕縛すれば、そこから他メンバーの降服勧告に移れるかもしれない。

 

 そんな考えがあった。

 

 ――その時までは。

 

「ごめんなさい!」

 

 

 ルイズの眼には、いきなりウロウが現れたかのように映ったであろう。

 

 そのまま、硬直しているルイズの華奢な身体にウロウの拳が突き刺さる……筈だった。

 

「――えっ?」

 

 硬く、鈍い音と共に伝わる手応え。

 

 ウロウの口から、驚きの声が上がった。

 

 その視界に映っているのは、遮るように下から突き出された鞘。

 

「へへ……そう何度も、助けられないってのは格好悪いからな」

 

 鞘に納められた愛剣デルフを両手に持ち、気絶から目覚めた才人が決まりが悪そうに笑っていた。

 

 不意に強烈な一撃を受けたことで、闇の中を漂うような感覚に陥っていた。だが、懐から伝わる暖かく温かな力によって完全に意識を飛ばされずに済んだ。

 

 いつの間にか手の中にあった愛剣からも、何かの力が注がれてきた。不得手と言わんばかりに、痛みを和らげる効果は微々たるものであったが。

 

 鞘に納められたデルフは相手を傷付けないためか、それとも五月蝿いと思われたのかは不明である。

 

「そんな……あっ!?」

 

 起き上がった才人に動揺したウロウの耳が、セレスとルイズが異口同音に呪文を唱えていた声を捉えた時には、既に彼女の身は二本の風のロープに拘束されていた。

 

「キュルケとタバサが彼女を追い込んで、接近してきた所を捕まえる……筈だったんだけど」

 

 セレスの、青いフクロウの杖を持つ手が小刻みに震えていた。

 

 まさか一瞬で移動してくるとは思っていなかったため、才人が目覚めなければルイズが殴られていたであろう。

 

「ほら、セレス。しっかりしなさい!」

 

 逆に、ルイズの方がセレスを叱咤していた。杖を持つ手は震えもしない。

 

 ウロウが急接近してきた直後、ルイズも焦りと驚きからパニックになりかけていた。しかしそれも、才人が動き出すまで。

 

 才人が自分を守ってくれたと認識した時には、既にその口は作戦通りの呪文を紡いでいた。

 

「ルイズ。キミは本当に強いね」

 

「これくらい、母様との修行に比べればどうってことないわ! そう……か、かか、母様とのアレにくく、比べれば……」

 

「る、ルイズ?」

 

 サアッと顔色が悪くなった親友を、セレスが不思議そうに見る。

 

 ルイズの母親は、セレスの昔の記憶の中では優しくされた思い出しか残っていないのだが。

 

 二人に捕縛されたウロウの所に、沈痛な表情のシエスタが遠慮がちに近寄ってきた。

 

 キュルケとタバサは、少し距離を置いてこちらを警戒していた。

 

「ウロウ……」

 

「――……っ、〈マジクリン〉」

 

 シエスタがほぼ目の前まで来たとき、ウロウを縛っていた二本のロープが消えた。

 

 それに対し、キュルケよりも早く反応したタバサだが、ウロウの早さはさらに上回る。

 

 素早くシエスタの背後に回り込み、彼女を捕まえるために右手が首筋に伸ばされる。

 

 危害を加えるつもりは毛頭ない。ただ、体勢を立て直す時間が欲しかった。

 

 首筋を軽く締め上げる右手が、その前に誰かの手に掴まれる。

 

「――え」

 

 足が払われ、天地が逆転したかと思えば、その背中は強かに地面へ打ち付けられる。

 

 右手が、そのまま強い力で背中側に回されて拘束される。

 

「し、シエスタ……? どうしてあなたが、あたしと同じ技を……」

 

 痛みに喘ぎながら、ウロウが背中で自分を拘束しているシエスタに問う。

 

 返し投げ。相手の力を最大限に活用してのカウンター技であり、そのまま相手を拘束するか別の投げに繋ぐことも出来る。

 

 タイミングを見極める必要があるため、それなりに難しい技であるのだが。

 

「これは、私の住む家……というよりは村に伝わっているものです。メイドとしてご奉公に上がる前に、メイドとしてもこれくらいは出来ないとということで、私も学びました」

 

「シエスタ。訳がわからないんだけど」

 

 その時だった。

 

 頭上から、ガラスが砕け散るような甲高い音が響き渡ったのは――。

 

「ローラ!」

 

 セレスが、すぐに頭上を見上げた。

 

 

     ※ ※ ※

 

 

 ローラの身を常に護っている障壁が、男の魔力を纏わせた拳の前に儚く砕け散っていく。

 

 その勢いのまま、タバサと余り変わらぬ小柄な身体の背中に叩き込まれた。

 

 少女の華奢な身体であれば、簡単に砕けるであろうほどに重い一撃。

 

「それでも……私達は信じている。いつか、多くの者達が手を取り合える日が来ることを」

 

「む……」

 

 男の拳は、ローラの身体に触れる寸前で止まっていた。

 

 いくら力をこめても、何かに固定されたかのようにそこから動かすことが出来ないでいた。

 

「でも」

 

 ローラが手にしていた巨本がどこかに消え去ると同時に、ゆっくりと背後へと振り返る。

 

 美しく神秘的な黒曜石のような瞳は、凶悪な竜眼へと変わっていく。その中には、噴き出すような激しい怒りが渦巻いていた。

 

「あなた達は多くの者達を不幸にしている。そして、イマあなたがしているコウイ、ワタシ ダ イ キ ラ イ」

 

 男の手を止めていた見えない何か――文庫サイズの小さな黒い本が現れると、ローラの身体から黒い魔力光が吹き上がった。

 

 魔力は黒い嵐となって吹き荒れ始め、球状に拡がりながらローラと男を覆い隠していく。

 

 それは、下から見上げていたルイズ達も当然気が付いていた。

 

 迫る嵐を前に才人がデルフを鞘から抜き放ち盾になろうとするものの、不吉極まりないそれを前にして一人と一振りは自然及び腰になる。

 

「待って」

 

「ローラの本が」

 

 先に消えたあの巨本が現れたことに、周囲を見渡していたタバサとセレスが気が付いた。

 

 本はゆっくりと開きながら、ごく狭い範囲ではあるが結界を張り巡らせる。

 

「いつもみたいに守ってくれるみたいね」

 

「働き者ねー」

 

 乱れる髪を押さえながらルイズとキュルケが頷き合うと、シエスタを助けてウロウを連れたまま結界の中へと入っていった。

 

 荒れる風に身を任せたまま不安そうに空を見上げているセレスの肩を、誰かがポンと叩いた。

 

 そちらを振り向くと才人が立っており、安心させるようにニッと笑った。

 

「ローラならきっと大丈夫だって。だから、俺達も行こうぜ」

 

「う、うん」

 

「オレの出番が――」と言っているデルフを鞘に納めながら移動する才人の後を追って、もう一度空を見上げたセレスも急ぎそちらに向かった。

 

「吹キ荒レルハ魂スラ凍テツカセル冥凍気。顕現セヨ……永久ナル静寂ノ世界!〈エンドレス・クリスタル・オーバー・ドライヴ〉」

 

 ローラの両手が本に添えられると、嵐は黒く染まった吹雪へと変わっていく。

 

 そんな状況の中、男の身体は急速に凍結していくのだが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「冥凍気を召喚することもさることながら、それを操り、かつこの私に用いた上で凍結させていくとは……やりますねぇ。実に素晴らしい」

 

 短時間の内に、既にほとんどの部分が黒い結晶に覆われているというのに、男の横柄な態度と物言いは最初の時から全く変わっていない。

 

「フフフ。しかし、あなた方は悲しみを増やすだけ。それに、あな……が取り返……いと願う……は、終わら……舞台から永……に戻――」

 

 やがて、男は黒い結晶の中に完全に閉ざされた。

 

 中の様子を窺い知ることは出来ず、ローラの両手も依然本に添えられたまま。

 

 ローラの口からは、いつかの音とも声とも取れるあの細い口笛のようなものが紡がれていた。

 

 吹雪が結晶を中心に渦巻き始め、徐々に球状に構成されていく。

 

「第七の竜罰ズィーベン・ゲバウト〈エンド・オブ・エタニティ〉」

 

 構成された球と重なるようにして、外に漏れ出さないように周囲を覆っていた外部の結界が小さくなっていく。

 

 二つの球が、少女の手のひらよりも小さな一つへと圧縮されていき――彼女が打った柏手一つと共に弾け飛んだ。

 

 跡には、何も残っていない。

 

 辺りを覆い隠していた黒いカーテンが取り払われた後には、気持ちのいい蒼穹の青空が再び姿を表した。

 

 黒髪を風になびかせたまま、いつもの気怠そうな表情――実際に強い疲労を感じているが――に戻ったローラが大きく息を吐いた。

 

「これで終わりなら良かったのに、この先はまだまだ長そう」

 

 憂鬱そうにそう一人ごちると、ローラは地上から自分を呼ぶ仲間達の元へと向かい始めた。

 

 彼女の言う通り、事件はまだまだ終わっていないのだから。

 

 いつの間にか姿を消したウロウに気が付いたのは、この直後のことであった。

 

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