「ト、トリステインじゃないですってーっ!?」
青空に、ルイズの絶叫が響き渡った。
近くで羽を休めていた鳥たちが驚き、一斉に飛び去っていく。
「ど、どど、どういうことか、説明しなさい!」
近くで今の声を受けたために、キーン……という耳鳴りでクラクラしているセレスティナ。
彼女の腕の中で怠そうにしているローレシアを、ルイズは奪うようにして自らの元へと引き寄せた。
ワープもこれで二回目だなーと、背後で呑気に言っている少年を、ルイズは鳩尾に蹴りを入れることで黙らせる。
「さあ、ローラ! きちんと説明して!」
黒曜石のような輝きを放つ、少女の漆黒の眼。それを覗きこみながら勢い込んで言うルイズに、黒衣の少女が口を開く。
「面倒」
「言いなさーい!!」
二度目の絶叫が、空の中に吸い込まれていった。
「――つまり、あの気球で違う場所に連れてこられたってわけね?」
「そう」
ぜぇはぁ……と息を切らせているルイズを尻目に、確認してきたキュルケに対して、再びセレスに抱かれたローラが頷く。
「じゃあ、あれを使えば帰れる?」
「理論上は、としか言えない。私はあれの操縦方法、知らないし」
タバサが、一行から少し離れた所にある気球を指差すが、それへの答えは非常に曖昧なものであった。
そこに、やりとりを見守っていたシエスタが遠慮がちにローラへ話しかける。
「あの、ウロウはどうなったのでしょう……?」
自分の手で拘束していたはずなのに、少し目を離した隙に姿を消した友人。
意識は逸れてしまっていたが、手を弛めたつもりはなかった。
「おそらくは、個人用の転移魔法の類い。自力で唱えたか、あの悪趣味男が連れて逃げた」
「転移……魔法!?」
「何かと便利そうね」
「スゲェー! ゲームみたいだ、ファンタジー」
「興味ある」
「悪趣味男って、さっきキミが倒したんじゃ!?」
一斉に間近で叫ばれ、ローラが僅かに眉を潜める。
「あ、ゴメン」
その様子に気付いたセレスは、一番近くで叫んでしまったこともあり謝罪を口にする。
それに「問題ない」と答えたローラだが、何やらアゴに手を添えると考え始めた。他のメンバーは何も言わずに、彼女が続きをジッと待つ。
そんな中、シエスタだけはあることに思い至っていた。一年前の、ローラとの別れの日を。
他の三人は見ていなかったが、ローラを迎えに来た彼女のお姉さんが唱えた魔法。あれが、転移だったのでは? と。
力尽きていた三人とは違って、姉妹がその場から消え去った瞬間をシエスタだけは見ていた。
「言うことはあるけど」
「あるけど?」
それだけで続きを察したらしく、セレスが聞き返すのに合わせてルイズは大きく息を吸い込み始め――
「面倒」
「いいから、早く喋りなさい!」
予想通りのことを言うローラに合わせて、すかさずルイズがツッコむ。
本人も言われるのは分かっていたようだが、それはそれというものである。長い年月で培われたモノが、そう簡単に変えられる筈もなかった。
「自分の身体を使わないといけない、現実世界は本当に面倒」
「あなた、いつもどんな生活してたのよ……?」
ため息をつきながら不可思議なことを言う少女に、ルイズは呆れたと言わんばかりの表情である。
そんな親友に、答えを知っているセレスは虚ろに笑って見せた。
「聞かない方が良いよ、ルイズ」
「なんで……って、大体わかったわ」
日頃の生活からでも、その片鱗は窺える。
それを悟って、ルイズは諦めたように嘆息した。
「順番に言うと、転移魔法はある。あなた達の世界にあるかは知らないけど、私の世界も含めて、種類はそれなりにある」
興味津々といった表情で話を聞いている一同に向かって、ローラは説明を続ける。
「転移魔法は効果範囲や対象など、種々様々なモノがある。中には、街や国ごと転移するようなものも」
「国ごと!?」
脳内で、トリステイン王国を内包する気球を想像してしまったルイズが驚きの声を上げる。
「失敗して、瞬く間に滅びた例もある。このタイプの術を使うなら、細心の注意が必要。転移した先が石の中とか、人が生きられない場所だったら目も当てられない。……もっとも、その時にはもう当てることも出来ないけど」
「笑えないジョークねー」
デートや買い物に良さそうと思っていたが、それが命の片道切符になっては意味がない。
その近くでは、何やらルイズが「どーん……」などと呟いていた。
「ゆえに、その術の性質によっては逃げることなど造作もないこと」
「ゲームだと、そういう場面だと何故か使えないんだよな。実際使えるなら、とっとと使うと思うんだが」
「他者の転移……転送もまた同じ。むしろ、これの使い手は厄介極まりない。対抗手段が無いと、それだけで終わる」
うんうんと何度も頷く才人に、ローラは肩を竦めながら「転移の話はこれでおしまい」と一同に告げた。
しかし、セレスがそれに待ったをかける。
「ローラ。あの変な人は生きてるの? キミが倒したと思ったんだけど」
「次元の狭間……は、説明がめ……複雑すぎる。簡単に言えば、溶けない氷で固めた上で、海の真ん中に捨てた」
少女の気怠げな凛とした声は、ゴミをゴミ箱に捨てたという呈で話しているように聞こえる。
「なにサラッとヒドイこと言ってんのよ!?」
「ソレ、死んでるヨネ?」
「可愛い顔していつも面倒そうにしてる割りに、やることはえげつないわねー」
「逆に、面倒臭がりだからこそ覚えた可能性も」
「ゴミを捨てに行く代わりに、ですか?」
口々に何かを言うが、肝心のローラ自身は気にしているようには見えない。――事実、全く気にしていないが。
ただ――。
「生か死か、それはそのことを確認した時に初めて分かること。それまでは、確定した結果なんかは無い」
とだけ口にした。
「格好いいけどよ、それ聞いたらテスト思い出したじゃねぇか」
そう言いながら才人が渋い顔をするものの、他の者もそれぞれに思い当たる節があるらしく、みな似たような表情をしている。
しかしセレスは、二度三度と頭を左右に振ってその考えを追い出すと、真剣な表情で抱いている少女に話しかける。
「つまりは、また出てくるかもしれないってことだよね? きっと……ウロウさんも」
「あの二人の関係と、性格を考慮すれば」
「……っ」
セレスとローラの会話を聞きながら、姿を消した友人のことを憂いたシエスタの心はどんどん暗い闇の底へと沈んでいってしまう。
ウロウが現れるということは、今回のような争いがまた起きてしまうということだからだ。
あの男が何を考えているのかは分からないが、彼女が彼に従っている限り、それは避けられそうにない。
沈む彼女の肩を誰かが叩いた。
シエスタがそちらを見れば、そこには才人の姿がある。
彼はニカッと、人懐っこい笑顔を浮かべた。
「どうやればいいかは分かんねえけどさ、みんなで考えれば、何か良い考えが浮かぶかもしれないだろ? だから、辛いだろうけど元気出そうぜ!」
「サイト……さん」
俺にはサッパリなんだけどなーと言ってはいるが、彼なりに自分を一生懸命励まそうとしてくれているのは分かった。
彼の屈託のない笑顔につられて、不思議と暗くなっていた心にも光が射し込んでいるかのような気分になる。
旅のことや、ローラと話している時のセレスもそうだが、この二人は他者を惹き付ける何かを持っているのだろう。
「そうよ! それにあんな奴、また現れたら今度こそ牢屋にでも入れてしまいましょ!」
男の態度や言葉遣い、その他アレやコレを思い出し激しく息巻くルイズ。
「そうだね。みんなを誘拐しようとしたんだし、あいつは捕まえて、ウロウさんを助けよう!」
「悪事の片棒を担いでたんじゃ、あの子も罪に問われるんじゃない?」
「いや、情状酌量ってやつがあるだろ?」
みんなが口々に喋るのを聞きながら、タバサは気付かれないように小さく嘆息する。ウロウを“助ける”のは、生半可なことでは不可能であると悟っていた。
男とのやりとりから、ウロウの置かれている状況を彼女は――おそらくローラも――理解していた。だからこそ、それが困難であると分かるのだ。
自分のことを知っているかのような男の態度も不可解ではあるが、今それを確かめる術は無い。
問題が山積し憂鬱な気分になるが、今出来ることを着実にこなしていかなくてはならないと、彼女は冷静に判断を下した。
「それで、この後どうするの?」
というタバサの一言で押し黙ると、ローラを除く全員がそれぞれに顔を見合わせた。
「とりあえず、落ち着いて考えていきましょ」
ルイズが中心となって取り纏めたところ、現状で把握しておかないといけないのは――
・現在地
・帰る方法
・ブタになっていると思われる人々の救助
である。
他の件……男とウロウに関しては、今のところこちらから打てる手は無いということで保留されていた。
「ガリアかゲルマニア、もしかしたらアルビオンかもしれないけど、あそこで訊いてみましょ」
ここが異世界云々というのは横に置いておき、まずは少し離れた場所に見えている、城みたいな場所に行ってみようという話になった。
ここが異世界だという二名に対して、まずはこの地がハルキゲニアであるというのを前提に動くべきという、ルイズの主張が通った結果である。
もし知った地名であるなら、そこから帰る手段や学院への連絡など、見当の一つでもつくからだ。
「そういえば、ローラさんはここがどこだか分かりませんか?」
はたとシエスタが抱かれた少女に尋ねるが返事はない。
黒衣の少女は腕をダランと垂らし、脱力した姿勢で
「ローラさん?」
「ローラ?」
シエスタやセレスが覗きこむようにして顔を見つめると、少女は目をつむり、深雪のように白い肌からは一層血の気が引いているように見える。
その様子を確認した二人が再度呼びかけると、ローラが薄く目を開けた。
キョロキョロと辺りを見渡し、自分を見つめている二人の視線に気が付く。
「ん……なに?」
「なに、じゃなくて……かなり顔色が悪いけど、大丈夫?」
「問題ない。それで、何かまた質問?」
いつもの声音で素っ気なく返事を返したローラに、シエスタが先程の質問を口にする……が、彼女からの答えは「分からない」の一言だった。
それだけでは情報不足と思ったのか、でもとローラが言葉を付け足す。
「少なくとも、私の知る世界や場所ではない」
それだけ言うと、ローラはセレスの腕からスルリと脱け出した。
そのまま彼女は地面に足を着けることなく、空中を漂うように移動しながら手放していた巨本を手繰り寄せる。
飛んできた本をいつものように片手で受け取ると、僅かに背後にいる仲間達の方に顔を傾け、
「少しだけ離れるね」
そう言って、城とは逆方向にある気球の方に移動していく。
少女の背中をシエスタと並んで不安そうに見ていたセレスだが、ルイズに呼ばれると意識を切り替え、キュルケと揃って城行きの詳細を練り始める。
その話をなんとはなしに聞いていたタバサ。そんな彼女の耳元では、小型化した――された使い魔のシルフィードが何かを囁いていた。
黒衣の少女を中心に巻き起こっていた風が、ゆるやかに収まっていく。
それに連れて、揺らめいていた髪や服も落ち着きを取り戻す。
壊されてしまった結界の再形成。
それを終えてホッと一息をつき、
「…………っ」
顔を歪め、地に降りると同時に少し身を屈める。
額には脂汗が浮かび、空いている片手が腹部を押さえていた。
震える声で小さく呪文を唱え、治癒魔法をかける。
腹部に当てている彼女の手が、ほんのりと儚く輝いた。
「効果は低いけど、相性だから仕方ない」
ローレシアの、治療魔法の適正は皆無。術を使うことは出来ても、その効果はほんの僅か……血が滲んだ程度の擦り傷を癒すくらいでしかない。
そんな彼女の背中を不意に誰かが触れ、その身体がビクリと仰け反る。
弾みで巨本を落としそうになるが、なんとか堪えたようだ。
ローラが背後に視線をやると、無表情な青髪の少女が立っていた。
「タバサ? いつのまに」
「やはり、気付いてなかった」
普段の彼女なら、自分と同じく“相手を無視して”本を読んでいるのだが、今は完全に気付いていなかったらしい。
つまり、それだけ今のローラには余裕が無いということになる。
「どうして……」
セレス達の前で、痛みは見せなかった……はず。
背中から治癒魔法をかけてくれている相手に、疑問を投げかける。
「この子が教えてくれた」
怖いお姉様から血の臭いがする、そう告げたらしい風の幼竜をローラは睨み付けようとしたのだが、それより早くタバサの陰に隠れられてしまった。
「傷は背中だけ?」
「…………そう」
誤魔化そうかとも思ったが、ここに至ってそれは意味が無い。諦めて、頷く。
癒しの力を背中から感じながら、自身も前から治療魔法を唱える。傷口に直接でなくとも効果はあるが、肝心の治癒能力がやはり低い。
男の攻撃は完全に防いだつもりだったが、敵もさるもの。魔力か何かは分からないが、見えないソレは彼女の肉体だけを切り裂いていた。
セレスやルイズに抱かれている間は痛みを堪える、痩せ我慢の呈を様してしまったが。
「あなたに訊きたいことがある」
「なに?」
二重に治療魔法をかけている最中、タバサから話しかけられる。
首を傾けて背後に向けられた漆黒の瞳と、紺碧の瞳が見つめあう。
「あなたと、あの男の関係は?」
「敵」
ノータイムでの即答。
それに頷きつつ、
「シルフィードやキュルケ達の話から、あなたは強い力を持つ竜と聞く。そのあなたであっても、あの男は強い?」
「うん」
続けられた質問にも、即答で返ってくる。
それを聞いてタバサが押し黙ってしまうと、今度はローラが口を開く。
「タバサ。おそらく、アレはあなたにも何らかの形で関係がある」
男がタバサに視線を向けたことはローラも気付いており、直前に投げかけられた言葉の意味もある程度察しはついていた。
さすがに正確な事情までは分からないが、雪風と言われるほどに閉ざされた心が、今の彼女が望まぬ環境にあるということは容易に予想がつく。
それに、瞳の中で冷たく吹き荒れる雪嵐が、心の内を物語っている。
「でも、だからこそあなたには……ううん、私にもアイツは倒せない」
タバサもまた気付く。黒衣の少女の瞳の奥――何もかも飲み込む程に、昏い闇を孕んだ深淵を。
「負の感情では、アイツを倒すことは出来ない」
その言葉に、悔しさを滲ませながら。
そして治癒に感謝を述べたローラの身体が、再びフワリと空中に浮かび上がった。
完治にはほど遠いが、タバサの魔力をこれ以上使わせるわけにもいかない。
「あの男は、なに? 知っているなら教えてほしい」
ローラは少しばかり悩むふうであったが、やがてゆっくりと頭を振る。今はまだ言えない、と。
「私には制約がある。ゆえに、あなたが望んでいるようなことはおそらく応えられない。でも、この借りはかならず返す。きっと、あなたの心もキレイなはずだから、それを見たいから」
タバサはクルリと背を向けると、そのまま何も言わずに友人達の元へと歩いていく。
空を仰ぎ見るローラの視界に、ゆっくり流れていく白い雲と傾き始めた太陽が入ってくる。
「人間同士の争いに、私は関与してはならない。その上で、友人達の心と日常を護るにはどうすればいいんだろう……」
タバサと、遅れてローラが五人の所に戻ってきた時だった。
「あーっ!?」
唐突に聞こえてきた叫び声。かなり近くからだったため、何人かの身体が驚きの余り跳ね上がる。
「な、なに!? 何よ、今の声は!?」
ルイズが激しく鼓動する心臓を押さえながら、辺りを見渡し始めた。
ルイズ以外のメンバーも慌てて辺りを見渡しているのだが、草原には他に人影は見えない。
「あれは、ジョーダンの気球クピ!?」
「それより、ボク、お腹すいたんだな……」
続けざまに、複数の声が聞こえてくる。
「下」
叫び声が聞こえると同時にセレスに抱き締められたローラが、少し苦しそうにしながら足元を指差す。
「下?」
六人が視線を下に向けると、自分達の膝くらいの背丈しかない、三匹の不思議な生き物を見つけた。
それぞれ白とピンク、緑色の体色をしており、愛嬌もあって可愛らしい外見をしている。
三匹もまたルイズ達を見上げており、代表して白い子が話しかけてきた。
「こんにちは。ボクは貝獣島のバブです。みなさんは冒険者ですか?」
それが、彼女・彼らの最初の邂逅であった。