夜半、二つの月は分け隔てなく大地へと優しくその光を注いでいた。
それは当然、トリスティン魔法学院にも。
皆が寝静まっているはずのこの時間。女子寮となっている塔の一室の窓が開いており、夜風が室内のカーテンを揺らしている。
部屋のベッドには、しっかりと布団をかけられた少女が一人、静かに寝息を立てていた。
その横で、まるで眠る少女を夜風から守るかのように、巨大な本がそびえ立っていた。
上空、学園を見下ろせる位置で漆黒の少女が浮かんでいる。
少女の周囲には七色に煌めく光の粒子が無数に浮かぶという、幻想的な光景が広がっていた。
大きく息を吸いながら背中をそらし始めた少女の中へ、周りにあった光の粒が次々と吸収されていく。
その都度少女の輪郭に沿ってポゥッと光輝き……やがてそれも内へと消えていった。
それを幾度か繰り返してもなお、光の粒子は尽きない。
吸収する度に、新たな光が生まれてくるのだ。
「この世界は本当に魔力素がたくさん、それもごく自然な形で残っている」
砂を掬うように、両手で光の粒子を持ち上げる少女――ローレシア。
魔力素を体内にタッップリと取り込んだ少女が“食事”を終えると、それに反応していた光の粒子達が徐々に輝きを失い、また人の目では見えなくなっていく。
巻き起こった夜風で乱れる髪を押さえると、ローレシアは空を――月を仰ぎ見る。
「色々な景色を見る。その夢はとても純粋で、綺麗だと思う。この世界は本当に素晴らしく、見るところも多い。でも……」
朝。休日である虚無の日を明日に控えた学院。
「……ックシュン!」
食堂に、セレスティナのクシャミが響き渡った。
「大丈夫? セレス、風邪?」
以前よりもかなり改善されてきているが、余り身体が丈夫じゃないために『虚弱』の二つ名を付けられている親友を、隣に座っているルイズが心配している。
「あら、あなたも一晩中窓を開けてたの? この時期には珍しく、今日は冷え込んだわね」
対面でタバサと並んで座っているキュルケが、空になったワイングラスをトン! と机に置いた。
そのキュルケに、ルイズはキッ! と、その
「セレスが、あんたみたいに男を待つために一晩中窓を開けてるわけないでしょ!」
「誰もそんなこと言ってないでしょ? ルイズは発想が貧困ねー、胸と一緒で」
「な、ななな……」
「たまには月を見ながらワインを傾けるのも良いものよ? ま、そういう心を持たない子には無理かもしれないけど」
挑発的な目を向けるキュルケに対して、ルイズもまた強気の表情を浮かべて鼻で笑って見せる。
「ついに誰にも相手にしてもらえなくて、喋らない月位しかいないのかと思ったわ」
「ルイズにしては面白い冗談ね」
キュルケの目が細められる。
しばし睨み合う二人。
「飽きない?」
キュルケの横で、はしばみ草のサラダを口に運んでいるタバサが、ポツリと呟く。
「だって退屈なのよ。ルイズをからかう位しかやることないじゃない」
嘆息を吐きながらゆっくり首を横に振るキュルケ。
「退屈だからって人に絡んでこないでよね、キュルケ」
以前のセレスの件で協力(?)して以来、二人の間にあった家と家のいがみ合いは減少していた。
代わりに行われるのが、このようなやりとりである。
互いに、悪友とはいえ憎からず思っているのは悪い傾向では無いだろう。
「タバサは相手にしてくれないもの」
「知らないわよ。それに、あんたの退屈よりも今はセレスの方が大事に決まってるでしょう」
「ッシュン!」
再び大きなクシャミ。
「お~い、大丈夫か?」
「ダーリン。今日もお手伝い?」
シエスタ達と共に、才人が食後のデザートを配りに来ていた。
彼は平民ということで体面的に貴族達と一緒に席を共にするわけにもいかない――ルイズの使い魔という待遇で床での食事は許されたが、才人が嫌がった――ため、ルイズ達に頼まれたシエスタに連れられて、食堂の裏にある厨房で食事を摂るようになっていた。
厨房に勤めているのは平民ばかりで、特にコック長であるマルトー親父は貴族嫌いである。
先日の決闘と、才人が持ち合わせている性質――明るく、会話で溶け込みやすい――も合わさってすっかり気に入られていた。
厨房にいるメンバーとすっかり打ち解けてしまっている彼は、最近ではギーシュやギャブーロを中心とした生徒達とも会話を楽しむようになった今でも、食堂での食事を断り厨房で摂っていた。
「ああ。手伝うって決めてるからな」
「さすがだわ、ダーリン」
「キュルケ! 人の使い魔に手も色目も出さないでちょうだい」
はっきりと言い切る才人にうっとりとした目を向けるキュルケ、それにまた目をつり上げるルイズ。
一切を無視して黙々と食事を続けるタバサ。
それまでボーッとしていたセレスティナが、ここでようやく言葉を発する。
「みんな心配かけちゃってごめんね。ちなみにボクのこれは風邪じゃないよ」
「大丈夫、セレス?」
「風邪じゃないなら何よ?」
「原因から聞く方が早い」
食が細いために食べきれない料理をセレスティナから受け取りながら、既に目の前にある大量の皿を空にしたタバサ。
「原因……。原因はローラだよ」
ルイズや才人、キュルケ(とタバサ)に掃除で訪れるシエスタと、ほぼ毎日誰かが訪れているセレスティナの部屋。
だが、その様相は昨日とは一変していた。
後片付けのあるシエスタ以外のメンバーで訪れたわけだが。
花。花。花。壁や床で咲き乱れる色とりどりの花。
「「な、何よこれ?」」
これを見たルイズとキュルケが、異口同音に唖然と呟いた。
「花? でも見たことない」
あちらこちらに蔦を伸ばして咲いている花に顔を寄せて、タバサが早速観察を始めていた。
「ックション! 朝起きたら……クシュン! こうだよ。シュン! あのガラクタの山の……ックション! 山の中にあったらしく……シュン!」
「ちょ、ちょっとセレス!?」
「あ~、花粉症か。酷いのだと俺達もやばいかも」
生活していた地球でも知人友人を含め多くの人が苦しんでいる症状に、才人がすぐに思い当たった。
「ダーリン、それ何?」
「花粉が……って言っても通じないのかな? 簡単に言うとクシャミが止まらなくなって、酷いと熱も出るんだっけか。みんながなるわけではないけど、ならない奴には分からない苦しみがあるそうだ」
大雑把だがキュルケの他にも知らないメンバーにそう説明する。
「解決策は?」
「解決っていうか、マスクで鼻や口を覆うことだな。吸い込んじゃダメなんだ。症状が酷い人は目も覆わないといけないらしいぞ」
自分はその“ならない人”のために、才人のそれは聞きかじりの知識だが。
「とりあえず、セレスは顔をしっかり洗って花粉を落として、マスクをした方が良い」
「う、うん……クシュン! 分かったよ」
才人に言われた通り、顔を洗いに行こうとするセレスティナ。
フラフラしている彼女をルイズが支えた。
「フラフラして危ないから、わたしも一緒に行くわ」
「ごめん、ルイズ。あり……ックション! がとう」
部屋を出ていく二人を見送ると、三人の視線はベッドの上でいつもの姿勢の元凶である黒い少女に向けられる。
「なぁ、ローラ。何をどうしたらこうなるんだよ?」
「……今朝の魔法の実験のせい」
答えるまでに間があったのは無視しようかと迷ったらしいが、結局は答えないといけないことだと判断したらしい。
「あなたね……隅に積み上げてあるガラクタの山の件で懲りなさいよ……」
呆れたようにキュルケが部屋の一角を指差した。
以前の取り寄せ魔法の時に出来た山だが、どこから持ってきたのかが分からなく、捨てるのも……ということで放置されていた。
取る魔法があるのなら戻す方もあるかもしれないという、セレスティナの考えによってなのだが。
ローラ曰く。
『目隠しをして連れていかれた先で砂を一粒拾ったとして、それを正確に元の位置に戻すのは至難なこと』
らしい。
「実験をしないと得られないことも多い」
「やるなら迷惑にならない形でやりなさい……って、どうかしたのタバサ? あたしを見て」
「別に」
怪訝な顔で自分を見る親友に、ゆっくりと頭を振るタバサ。
「これは私も想定していなかった状況。夏と冬に備えて温度調整の魔法を試したら、こうなった」
夏と冬。身体の弱いセレスティナの事をおもんばかって、自主的に何かをしようとしたらしいが。
パタンと例の巨大な本を閉じるローレシアが立ち上がる。
そして、指を一本立てる。
「解決策その一。全て焼き払う」
「魅惑的だけど、部屋はどうなるのかしら?」
それには答えず、ローレシアは二本目の指を立てた。
「その二。全て凍らせて砕け散らさせる」
「興味ある。けれど、ここは?」
三本目。
「その三。面倒だから全部吹き飛ばす」
「考えるのを諦めんなよ、おい。しかも方法が少しずつ違うだけで、結果は全部一緒じゃねぇか」
「その四。このまま」
「「「却下」」」
三人に一斉に言われた少女は怠そうに唸り始める。
「唸るな。あと、短気だけは起こすなよ?」
持ち前の神秘性と引き換えに、気怠さの他に非常に短気ということも最近判明した少女に、才人は釘を刺して置くことを忘れない。
普段ならセレスティナやよく入り浸っているルイズの役目だが。
魔法が使える者達は逃げられるかもしれないが、そんなものは使えない上に唯一の武器である剣は部屋に置いてきてしまっている彼が、一番危険に曝されることは想像に難くない。
三人でジッと見つめる。
「何とかする。だから部屋の外へ。どうしても見たいならベッドの上に」
当然のように三人はベッドの上へと移動する。
入り口側のベッドの端に寄って、足を投げ出して座ったローラの左右にタバサと才人、手元を覗き込む形で後ろにキュルケ。
ローラは本を膝に乗せ、胸の前で両手を合わせる。
それに最初に気が付いたのはタバサだった。
「……音? 声?」
かすかに音が聴こえる。
声にも聴こえるそれは、しかし言葉には思えない。
それはローラの口から紡がれているようだった。
空気が僅かに震えるような細い口笛のような音に合わせて、少しずつ両手が左右に開いていき――黒い球体が生まれていく。
左右に広げていた動きを止めた時には、小さな球体は一抱え出来るほどになっていた。
「散、翔」
次に少女が呟いた言葉は理解出来た。
浮かんでいた黒い球体は、小さな一欠片を少女の手の中に残して床に下りると同時に、一面に拡がっていく。
「うわっ!?」「きゃ!?」
そして一同が座っているベッドや、重いクローゼットを含めた調度品が浮かび上がった。
積み上がったガラクタの山も、それぞれに浮かび上がり――その中から根や茎、蔦を伸ばした毛根状の物が現れた。
「翔」
かけ声に、ローレシアの手の中の欠片がソレに向かって飛び出す。
欠片はソレを飲み込むと、他を巻き込まないようにそこから伸びていた物を巻き取っていく。
四方八方で咲き乱れていた花も、その中に引き込まれていく。
植物を全て取り込んだ欠片と、拡がって黒い床と化していた闇の球体が、再び一つになりながら少女の広げられたままだった手の中に戻ってくる。
少女の口からは、またあの不思議な音が紡がれ始めた。
次に起きたのは――風。
優しいそよ風といったそれは部屋全体に吹き、飛散していた花粉を残さずかき集めていく。
全て採取し終えると、風は黒い球体の中へと収束していく。
「エンド・オブ・エタニティ」
パァン! と大きな風船が破裂したかの如く大きな音を立てて、左右に広げていた両手を胸の前で合わせる。
それが、意図せず自らが起こしてしまった事件(?)の幕引きとなった。
部屋の隅で、支えを失った何かが崩れる音と共に。
「あ」
「……ふぅっ」
夜半。
思いがけず魔力を消費したことで、補充のために二日続けての“食事”となったローレシアは、空の上で小さく息を吐いた。
『出来るのなら最初からやりなさいよ!』
『手伝うから片付けも頑張れ』
『今の、詳しく』
『なにそれ!? ボク(わたし)も見たかったのに!』
終わったあとも崩れたガラクタの片付けや、あれこれ言われたりもしたが、マイペースな彼女は必要な最低限だけをこなした。
少女の食事に反応していた魔力素が、その輝きを失い人の目には見えなくなっていく。
しかし、少女は降下しようとはしなかった。
漆黒の髪が、複雑な紋様が描かれた負けず劣らずに黒い長衣が、夜風に吹かれはためいている。
「どうやらバレとったらしいの」
下の学園から飛んできた人物――オスマンが、イタズラが見つかった子供のように罰が悪そうな顔でそう言った。
「遠見の鏡。知っておったのかの?」
「似たような考えをする者は、どの世界にでもいる。使われる目的や造られる物もまた、似たり寄ったり。対策もまた練られる」
ローレシアと向かい合う形で浮かぶオスマンに、少女は怠そうに答える。
「なるほどな。やはりこの世界の存在ではない……か」
「そう。こことは異なる世界から、縁があって喚ばれた」
「それは訊いても?」
「セレスに訊いて」
「ふむ……あの噂通りであるならば、ここに来たのはあくまでも偶然と」
顎髭に手をやるオスマンに、ローレシアが問う。
「あなたが訊きたいことはそんなことではないはず」
「それもお見通し……いや、じゃからこそここで待っておったのであろうな」
頭を掻きながら苦笑するオスマンに、静かに首肯で応えるローレシア。
「ならば問おう。お主の正体と目的は何じゃ?」
「私の正体なら、噂でセレスやルイズ達から聞いているはず。あなたの使い魔のネズミが」
「当然のように気づいておるのう……。可愛いモートソグニルが倒れとったのもお主か」
オスマンの使い魔のネズミ――モートソグニルが『いつも通り』女生徒や学校関係者の足下を通り抜けていると、周りに何もない場所で急に床に押し付けられた。
偶然ではなく、二度や三度でもすまない回数が。
「使い魔自体には罪はないけど、繰り返すなら本体に行う」
「真実を探究する老メイジの楽しみが」
「するならすればいい。私も私の楽しみでするだけ」
オスマンに対し、この件に関しては譲るつもりが皆無なローレシアはにべもなく冷ややかな目で返す。
「おのれ……。では、目的は何じゃ? 主人の娘では到底御しきれぬ……いや、並のメイジでは束になっても敵わぬほどの大きな力を持つお主は、何が目的か?」
「特に何もない」
「な、なんじゃと?」
意を決して訊きに来たというのに、キッパリと返ってきた答えは想定外だった。
「あえて言うなら、日々をごろごろして、セレスが見たいという世界を一緒に見ること」
「待て待て待て。ごろごろダラダラぶらぶらするのが目的じゃと言うのか?」
続く言葉に、慌てて待ったをかける。
「そこまでは言ってない。それにダラダラもぶらぶらもしない。面倒」
「余り変わらん気がするが……」
「私の中では違う」
「そうか……」
理解しようとすればするほど、こちらが疲れるだけというのは誰が言った言葉じゃったか? と、内心呟くオスマン。
それを知ってか知らずか、ローレシアが話を続ける。
「私はこの世界に、人間達の社会に積極的に関わるつもりはない。セレス以外の、ルイズ達に関しては彼女の友達だからという理由でしかない」
心に芯がある彼女達のことは嫌いではないが、目の前の老メイジの前では口にしない。
「……この学園にいるメイジ達は、生徒に教師も含めて、お主から見れば考えが幼い者が多いじゃろう。メイジや平民云々に拘るどころか、その考えを延長してしまって人間として上か下かを考えるような……そう、精神の在り方が幼い者が。もし、その者がお主に」
そこまで言うと言葉を途切らせるオスマン。
「言った通り。私はこの世界の成り立ちや在り方に関わるつもりはない。それによって、社会が成り立っているのだから、なおさら。使い魔の儀式については、純粋な心配からお節介を焼いたけど」
その漆黒の目で、ローレシアはオスマンを見つめる。
「同意出来る限り、この世界のルールに私は従う。しかし、不必要に私を束縛しようとしたり傷付けようとするなら、その限りではない。けれど」
「けれど?」
オスマンに、ローレシアは微笑を浮かべる。
「セレス達のように、綺麗な心の持ち主もまた少なからずいる。それが広がっていくことを、私は信じている」
オスマンに使い魔について問われ、それについての考えを述べた後、ふとローレシアが今いる場所よりも上空を見上げる。
「気球?」
「何じゃ?」
黒い点にしか見えないが、高く昇った月の手前を何かが飛んでいた。
そして、そこからは何かが大量にばらまかれているようだ。
風に舞うそれを、ローレシアが取り寄せる。
「『世紀のビックリショー。ジョーダンサーカス、本日公演』?」
「サーカスとは何じゃろうか」
【おまけ】
「それにしても、やはりお主は黒が似合うの」
「第一の竜罰アインス・ゲバウト〈ヘヴィグラビティ〉」
「く、黒い球がが……変な意味ではぎゃあああぁぁぁぁ………!?」
凄い勢いで地面に近付いていくオスマン――。
「第二の竜罰ツヴァイ・ゲバウト〈スカイドライブ〉」
「…………ぁぁぁああああぁぁぁぁ…………!?」
逆に、今度は風竜にも負けない勢いで上空に打ち上げられていく。
「学園内の質に関しては、あなたにも問題があるのでは?」
それにはもう見向きもせず、部屋に戻っていくローレシア。
「きゅるきゅる(散歩してたら人が飛んできたのね。これなに?)」
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