CoC中に人気があったり、私が気に入ったパート。もしくはPCの昔話などを置いています。
※実際に私や知り合いが使っているCoCのPCの話ですので、都合上クトゥルフ神話の要素が出るかもしれません。ご了承ください。
「また黒板消してんのかよ、お前がやるから誰もやらないんだぞ。それ」
「消えているからそれで良いんだよ。私は気にしてないしね」
その言葉を俺が気にしていることを、どうやらお前は気づいていないらしい。
彼方がこういう自己犠牲に走る悪癖に味をしめたのは、多分家庭環境なんだろうなと想像してる。
武家の長女というのは大変だ、聞くだけで窺い知れる。曰く『妹に面倒事を押し付けたくない』とのことだが、それを言うなら安心院彼方は安心院家という家に面倒事を押し付けられてるわけで。
ともかく。俺はこうやって、夕日の中でせらせら笑って黒板消しを手に取る彼女が大嫌いである。
「進んで献身に身を割くなんて、俺には全く分かんねえな。馬鹿みたいだろ、それって」
「…………そうだね。確かに馬鹿みたいだろうさ」
彼方が伏し目がちにはにかむと、何故か俺の方を見た。意味ありげな視線だが、コイツに関してはそういう示唆の全てを詳らかにするのは無理難題となる。スルーだ。
勉学はトップクラス、読者モデルの誘いは腐るほど断り、家はそこらでは有名な武家の娘。字面だけ見れば恵まれた人生みたいな女だけど。その認識はあんまり合ってないな、と俺は思う。彼方に関するひそひそ話は多くて、恋慕なり、嫉妬なり、羨望なり、まあ色々だが至近距離で見てる側としてはあーんましの感触。
「普段はお前の周りにたかってる誰も、此処には居ないぞ」
「…………居ないよ。
その姿形を持て囃す男も、その不可視のカーストにすり寄る女も、その誰だって…………今此処で白いチョークを大きくなぞって、夕日に焼けていくお前の横顔なんて知りやしない。
俺だって、知らない。見てるようで見ちゃいない。分かってるんだ、分かってる。皆私利私欲まみれの偽善者だ。
知らないよ。誰も。
「そうやって返してもらえない事ばっかりして楽しいか? いいことは必ず帰ってくるなんて嘘だぞ、人間は平気で恩を仇で返す。きっとお前がここに居ることだって、誰も知らないんだぞ」
「…………知らないだろうね、知られたくてやってる訳じゃないから」
知らないんだぞ。
お前が部活に入れないのが家の事情で時間ばっかり取られてるからだってこと。
お前がへらへら笑ってる時は相手のことしか考えてないときだってこと。
お前がこんな事ばっかりするのは、そうしないと生きていけないからだってこと。
人間ってのは不平等だと思う、高校生にもなれば分かる。やっぱり届かないものってのが有って、欲しい物を諦めなきゃいけないときも沢山ある。
でもこれって、そんなレベルの話か?
お前が欲しいのは、”ありがとう”なんてたいそれた物じゃないのに。
誰も知らないんだぞ、そんな事。
「馬鹿だな。お前、教養ばっかりで馬鹿だよ。人生何時も損してる」
「かもしれない、きっとこれからも損して生きていくよ。ごめんね」
謝られても困る。
チョークを揃えだした。丁寧なやつだ、教師も一限目の時はいつも楽そうに黒板の前を歩き回ってる。勿論、二限目には滅茶苦茶だ。
アイツラは元の場所に戻すことも出来ない。何で彼方がそんなやつのために動いてるのかも、俺にはわからない。
学級委員長だって押し付けられてた。全然気にしてない風に気のいい笑顔で引き受けていた、家に帰ればまた忙しいのに。寝不足だって言ってたろ、お前。
納得行かない。
俺はなあなあでオカルト部に入ってる。勉強も、あんましなくてもまあまあ出来る。運動神経も、壊滅的じゃない。背はちょっと低いけど、これでも女にだって全く縁がないわけじゃない。
これって幸せだ。幸せぐらい、皆平等に持っててもよくないか?
「もう全部投げ出して逃げればいいのに」
「逃げないよ、だって
それじゃ足りねえよ。何笑ってんだよ、何で今に限ってそんな心から嬉しそうに笑うんだよ。どうせならいつもみたいに薄っぺらい張り付いた笑顔を見せろよ。
俺が黒板消し持ってるだけじゃ足りないだろ。お前はもっとありがとうって言ってもらっていい、よくやってるって言われていい、もっと色んなご褒美が貰えていい。
無いじゃないか。何もない、安心院彼方はいつも押し付けられるだけ。
きっとあの名家様の当主も押し付けられる。こうやって仕切りを押し付けられる、大事な時間を奪われる。報酬は、無い。
俺は我慢ならなかった。乱暴にクリーナーの上に黒板消しを走らせる。まるで暴れてるみたいだった。
「代わりに不満を言ってくれる」
駄目だろ。
「代わりに覚えててくれる」
意味ないだろ。
「代わりにお礼をしてくれる」
足りるわけないだろ。
「私より、泥花が一生懸命だから。もうそれで良いよ、私は」
「良い訳無いだろ…………」
それ以上言い返す気力がなかった。黒板消しを投げるみたいに置き直して、かばんを持つ。
酷い態度だったが、彼方は当然みたいに横に居る。
「君が待ってくれることが、私には代えがたいことなんだよ。泥花、そういうものさ…………人の幸せはそういうものだったんだよ」
「…………」
無駄な正論だ。納得する気も出ない。
合ってるよ、俺がお前の幸せ決めるべきじゃないって。お前が満足してりゃそれが良いんだって。
でも俺の幸せには、お前が居ないと駄目なんだ。俺の知ってるやつが全員、ちゃんと報われてないと。
それは俺の幸せに遠すぎるんだよ、彼方。
「だから勉強はしないって言っただろ。めんどくせえ、医学部なんか絶対行くかっての」
「まあまあそう言わずに。拘りがないなら敷かれたレールに乗ってしまうものだよ」
家が中途半端に医者だったりすると、往々にしてこういう事を勧められるもんなのかもしれない。俺はお断りだ。
彼方はうちの親とも結構仲が良い。まあ品行方正に加えて眉目秀麗、文武両道と来ればそりゃあ誰だって気に入るとも。俺だって、嫌いとかそういうチープな嘘はつけない。
幼馴染がこれなら心配ないな、と親父は笑った。何となく期待を裏切ってやりたかったのを覚えてる。
「というか、泥花は私が教える必要なんてホントはないんだよ。お父さんは分かってないみたいだけどね…………はい、公式表。暇だから作ってきたよ」
「何処が暇なんだよ何処が」
そう言わずに、と押し付けられた彼女の手書きの公式表。字が綺麗だった、昔からこれは本当に感心してる。
しっかし時間が有るわけがない。コイツに時間なんて有るもんか、家に帰りゃ習い事だの催事だの。仕事も何だかんだ押し付けられるから学校関連のだって有る。
「マジでもう少し自分の時間を持てよ。何がしたいんだ彼方は、俺はこんなもん用意しても賢くならん」
「…………何がしたい、か。うーん、泥花に何かしてあげたい?」
考え込んだ割には結論がガキみたいで、笑うことも出来ない。
そう言おうと寝っ転がってた体を起こすとふと目線があってしまう。場違いに澄んだ翡翠の瞳、髪も手入れなんかしてないってのが嘘みたいに綺麗で滑らか。
相変わらず、慣れない。俺も高校生だ。正直自分の部屋に女がいるだけで、本当は気が気ではない。
「はぁ。お前もうちょっと警戒しろよな、幼馴染とは言え男の部屋にポンポンと出入りするのは如何かと」
「ふーん、泥花って私をどうにかしちゃおうと思ってるんだ?」
「寝言は寝て言え」
傾国の美女に手を出せるだけの金がねえ。
っつーか母親もおかしい。彼方がうちで夕食を食って帰っても何も言わない、そんな時間まで女の子が男の家にいるなよとしか言いようがねえ。
もうないないづくしだ。常に半ギレ、やさぐれボーイにはちょいときつい。
公式表をベッドに置いてもう一回寝っ転がる。
「もう諦めろよ…………俺は適当にやって適当な大学出て適当にこき使われてりゃ良いんだから」
「せっかく頭いいのに勿体ない」
そんな事はどうでも良いのだ俺には、ゲームができりゃそれでいい。
寝っ転がってしばらく彼方を放置する。彼女も暇ではないのはやっぱりそうで、そのうち一緒にやる予定だったらしき課題を一人でぱぱぱぱっと解いていってしまう。シャーペンがノートを走る音がまるで途切れない、さすがというか。
ぽりぽりと母親が持ってきたせんべいを食べる音がした。遠慮しすぎるのは良くない、というところまで気が利く女なのでもらったら割と食ってしまう。曰く「こういう普通のお菓子、あんまり家で食べれないから美味しい」と言っていたが、何処までが真実なのやら。
ぽりぽり。
ぽりぽり。
ぽりぽり。
ぱりっ。
視線を感じる。凄い視線を感じる、わざと寝返りを打った、まだ視線を感じる。
俺は気づかないようにした。絶対気づかないふりをする、今日こそは帰らせる、絶対に俺は負けないからな。
「…………せっかく作ったのに、使ってくれないんだ…………」
おいやめろ、その寂しそうな声をやめろ。そんな声出したって俺は…………俺はだな……うぅ。
畜生使うよ、使えば良いんだろくそったれ!
思い切り体を起こして公式表を手に取った。
「ええい鬱陶しい奴め! 覚えりゃいいんだろ覚えりゃよぉ!」
「……相変わらず甘いね」
「うるせえペテン師め!」
声に反して彼方の顔は意地の悪い弧を描いている。いっつもこうだ、俺が押し負けるのをいいことに泣き落とし狙い。
しかし俺には逆らえん…………他ならまだしも、彼方だと勝てない。
渋々公式表を読む。彼方がふにゃっと笑うので、何かもう諦めたほうが速いんだろうかなんて一瞬思いそうになったが、俺は諦めることを諦めることにした。
「嫌なもんは嫌だ。今回だけだからな」
「そう言って毎回付き合ってくれるくせに」
やかましい。