のんびり夢島 作:イーブイ
ぽかぽかの木漏れ日を浴びながら、思いゆくままに惰眠を満喫する。日が傾き始めた頃に一度目を覚ます。そして、気ままに島を歩き回り、夜が更けた頃に夢の中へと旅立つ。
いつからか、これが私の生活サイクルとなっていた。しかし。
変わることのなかった日常に、突如として異物が現れた。
「おかあ…さん…サウロ…うぅ、みんなぁ…」
何やら、密かな自慢である膨らんだ腹の上を、見覚えのない小さな黒いものが控えめに占領していた。
呼吸をする度にジワリジワリと伝わる高い温度。
すぅ…すぅと不規則な掠れ音には、何処と無く耳を不安にさせる何かがあった。
「ォォオ…ウゥゥ」
何度か呼びかけてみるも、一向に返事はない。寝入っているいるようだ。
大きさから判断するに恐らく子どもだ。そういう種の場合もあるが…鼻の奥をを打ち付けるような、妙な匂いのする子どもだ。
いや、待て。これは一度嗅いだことのある匂いだ。スンと鼻を鳴らしてみる。
「…」
ああ、これは火か。この子どもからは、火の匂いがする。かつて、この島に上陸した船の人間達が起こしていたもの。その匂いだ。
「…」
臭い。一度意識をすれば、気になって仕方がない。
しかし、どうやってここに入って来たのか。過去に島に上陸した者はいれども、この奥地まで入ってきた者は一としていない。ここは、島の中心部に位置する場所なのだ。
私が歩けば木々が避けそこに道ができるが、侵入者に対しては、物理的、非物理的な完全なる防御壁を構築する。
この子どもはどうやって入ったのか…いや、そもそもだ。何故私の腹の上に乗っているのか。
何故、私のことが見えたのか。かつてこの島に上陸した人間には、一人を除き、私の姿は見えていなかった。
「…」
この子どもが起きぬことにはどうしようもない。腹の上から落とすわけにもいかない。睡眠の邪魔をするなど、以ての外である。
寝よう。
片手で鼻を軽く押さえながら、瞼を落とす。
日がすっかりと沈み、空に星が瞬き始めた頃に私は目を覚ました。
依然として、腹の上に重さがある。
一つ欠伸をして、重さの原因へとそっと目を向ける。
暗がりの中、私はそれと目があった。バチっと。
いや、これは語弊があるか。この暗さでは、向こうからはハッキリとは見えていないだろう。人間に、夜目は効かない。
「あなた何?」
「ヴォォウ」
子どもは、左へと小さくその首を傾げてみせた。
「ォォオーゥ?」
「おーう?」
どうやら意思は伝わらないらしい。
唐突に、光が差し込んだ。
雲から顔を覗かせた月明かりが、淡くこの場を照らした。
子どもの顔が、見る見るうちに驚きに…いや、ほんのごく僅かな驚きへと変化した。そしてそれも一瞬のこと。スっと、また無表情に戻った。
その濁った瞳は、私の頭部ーーおそらく耳だろうーーに向けられている。
「あなた、何の動物…?どの図鑑でも見たことないわ」
「ゥォ…」
「…」
子どもは、更に表情を無くした顔でジッと私の目を覗き込んできた。
ぐきゅるるるる。
私ではない。子どもの胃が鳴らした音だろう。私は、趣向目的以外に現実において物を食べることはないのだ。
子どもは、私の腹に顔を埋めた。そんなに腹が空いているのか。
背中に手を入れ、探る。確か、この辺りに…。
「ォオア…ヴォウ」
指で、子どもの頭をそっと突く。子どもは、バッと顔を上げた。見開かれた目が、目の前にある私の手へと移った。
「…もらっていいの?」
「オゥゥ」
「ありがとう」
へたりと私の腹の上に座り直した子どもが、紐を解き包みを開ける。
「…木の実?」
子どもは一粒手に取って、ひょいと口に入れた。そして一つ、また一つと口に運ぶ。
「あ…」
もう全て食べてしまったのだろう。子どもの手には、何も握られていなかった。
包みを大きく広げ、挟まっていた木の実を見つけると、少しだけ嬉しそうになって、その最後の一粒をゆっくりと咀嚼した。
「おいしかった……ありがとうございます」
へこりと子どもは頭を小さく下げた。
ここでようやく確信した。子どもの正体は人間で年の頃はおおよそ…わからないが、確かに子どもだ。
「あ、ごめんなさい。お腹に乗ってしまって」
無表情な顔の目尻を下げ、子どもはようやく私の腹の上から降りた。
そして、水を飲んでくると言葉を残して、上へと登り始めた。
妙な光景だ。
子どもの手から、更に手、手、手、手、手、手、手と、伸び増えていったのだ。
面白そうだが、残念ながら私にはできそうにないな。
暫くして、子どもは戻ってきた。
自らの頭上に器ーー手が幾重にも重なり合って形成された器を乗せて。隙間があるのか、ポタリと一雫落ちる。
「お水、どうぞ」
私の分を運んで来てくれたのか。初めて見る運び方だが、新鮮で良い。
「ァァアアォオオ」
お礼を述べ、私は大きく口を開ける。
「大きな口」
子どもは驚く様子も無く、水を私の口内へゆっくりと流し込む。
冷えた清水が喉を通り抜けていく。ゆっくりと流し込まれるそれは、一層の冷たさを感じさせた。
「私、ここにいてもいい?」
ここ、とはこの島のことだろうか。それとも今いるこの森の中心部のことだろうか。
「…」
どちらでもいいか。
この子どもがここにいるということは、つまり、多分そういうことなのだから。
「ボートが、壊れちゃって。それにどうやってここに来たのかこれからどうすればいいかもわからなくて…」
「オゥ」
「…いいの?」
「オゥゥ」
「どっちなのか分からないわ」
無表情ながらもどこか不安さを滲ませ始めた子どもに、私は大きく頷いてみせる。
意図が伝わったのか、子どもも頷き返してきた。
「ありがとう」
そして子どもは、すぅと力尽きたように眠ってしまった。今度の寝息は、規則正しく聞こえた。
子どもが居着いてから、日が百は巡った。
私は日の出ている内の殆どは眠っているため、子どもが何をして過ごしているのかは知らない。ああ、腹に乗ってきていることは知っているが。
つまり食糧となる木の実を渡すだけで、それ以外に子どもと会話することもも触れあうこともなく、これまでとそう変わらない日々であった。
だがこの日、子どもがポツリと一言、非常に小さく漏らしたのだ。
大したことではない、単に本が読みたいだけらしい。
私は背に手をやり漁る…が、そんなものはなかった。
「…」
そうだ。
本がないのならば手に入れに行けばいいのだ。そのために必要なものならば持っている。おそらく、それなりの価値があるものが。
「なに…?宝石?きれい」
「オオゥ」
これで交換してくればいい。もう遠い昔、女神様から美しい石には価値があると教えられた時から、島で見かけたら集めておいたのだ。
夢でも、このような美しい石にその身を委ねる人間も多くいた。
本とは、となりのトトロでも子どもが扱っていたものだ。この石があれば、きっと沢山の本が手に入るだろう。
「でも、動けない…」
子どもはいつかの夢にあったように、その身を石に埋もれさせていた。
失敗した。
五つ残して、後は元に戻す。
「ふぎゃ」
沢山の手を生やして脱出を図っていた子どもは、突然石が消えたことで尻餅をついた。生やした手で尻をさすりながら恨みがましく睨めつけてくる子どもに、私は石を渡す。
「これ私に?でも…あっ、もしかしてこれで本を買っててこと…?」
子どもの言葉に、私は頷いてみせた。
しかし、子どもの表情が晴れない。
「買えないよ。ここがどこにあるか知らないし、他の陸なんて見えたことないもん」
子どもの言うことは確かだ。海から浮き漂うこの島から、陸など一度も見えたことはない。別に気にすることでもなかったが、そうか。
では、こうしよう。
「…こま?」
背から取り出したブンブンに紐を掛け、一息に回す。コマは勢いよく宙へと躍り出で、ぶうんと音を立てながら滞空する。よし。
私はその上に両足を乗せた。
ついに、この日がやってきたのだ。高鳴りはしない胸を膨らませ、子どもを急かす。
「…?」
子どもは、小首を傾げている。
残念ながら、私の意図は通じなかったようだ。期待があったために、気持ちが少しばかり沈む。
私は、子どもを両手で掴み上げ、腕の中に収めた。子どもに抵抗はなく、されるがままだ。
コマが、私の意思に沿って上昇していく。風を起こして土を舞い揚げ葉を揺らし、私達を避けていく幹や枝を通り過ぎる。
私達は、星の海へと飛び出した。
雲一つない夜空に、無数の星々が、そしてその星達を霞ませる程の満月が私達を照らしている。
美しい。今日ここに来て良かったと、心から思える。ああ、この子どもに感謝だ。
「うわあ…空、飛んでる。お月様があんなに近くにあるよ…!すごい、すごい」
「…」
あの大人しい子どもはどこにいった、これは何だ?そう思った。
夜の大海を悠々と漂う黄金色の月球。子どもの瞳は、それにも優る輝きを帯びていた。
何よりも美しく感じた。
不思議だ。
「ねえほら見てあの星座!」
子どもの指差す方へ辿るーーああ、そうか。
これは現実だ。夢ではなかった。夢のような心地だが、夢ではない。
感情が、確固として実在している。私の全身が感動している。
「ゥウウヴヴォオオアアアアアアアアアアオ"オ"オ"オ"アアアアアアアアアア!!!」
気づけば私は、まだ見ぬ猫を呼ぶ時以上にその喉を震わせていた。
沸き起こる抑えきれない思いを開放することの、何という心地良さだろうか。
最高だ。
何が最高かは知らない。別に知らなくてもいい。でも最高だ。永遠に委ねていたい。
ああ気持ちいい。頭がどうにかなってしまいそうだ。
私は訳が分からない程に笑い上げながら、空を舞った。コマは海面の僅か宙を進む。
左右に切り上げられた月色の海が、尾を引きながら流れていく。
「いいい!ああー!!すぅー…うああああああああ!!!」
子どもも、これでもかというほどに口を開け、叫びを上げていた。私も負けじと胸を膨らませ、叫び続けた。
雨風ーーというには少々厳しいーーを抜け、嵐を抜け、無風地帯を抜け、雷雨を、雹の礫を、石飛礫を抜けた。そんなことを、何度か繰り返した。
案内の画面には大きな本屋と表示がある。本屋とは、そんなに希少なものなのだろうか。
私は今、化け猫の車に乗っていた。もちろんタイヤがない代わりに足があり…ヤケに鋭利な見た目をしている。雨風その他を凌いでいた透明な皮のようなものは既にない。
四隅のネズミが奏でるメロディーも、どるるるんーー!と暴力的なまである。
そして何の意味があるのか知らないが、化け猫の顔面にはレンズが黒く着色された眼鏡がのっている。
ついでに足が二十四本ある。
こんなには無かったはずだ。つまり、昔に観た映画から想像していた姿よりも、ずっとと大きい。
この化け猫は、私と子どもが雄叫びを上げる中、突如として現れた。その幾本もの足で海面を滑り、時には跳ねながら化け猫は姿を現した。
「すごーい…。海を、飛んでる…!」
この、私が望んでいた猫であるだろう化け猫は、いつからなのかは知らないが、今までゾウの背中に乗っていたらしい。その前は…いや、これはいいのだ。
そのことよりも何故ーー今更だがーーバスの姿をしていないのか。重要なことだった。
しかし訊いてみれば、昔はそんな姿をしていたようにゃ〜?、と曖昧で何とも軽い答えが返ってきた。
ていうか、お前誰だっけにゃ?呼ばれた気がしたから来てみたんだけどにゃー、とも。
そうなのである。実のところ、私はこの化け猫とは全くの初対面であったのだ。
「ォォオウウ(よろしくね)」
「にゃー(にゃー)」
「にゃー?うふふ!」
これで挨拶は終えた。
子どもが真似したことについては、特に触れる必要はないだろう。
直後、チュチュっと前の体毛に張り付いている二匹のネズミが鳴いた。お前達への挨拶もまだだったなと頬を掻いたところで、目に飛び込んできたものがあった。
二匹の間に位置する、今まで一向に変化のなかった画面に、一面の青とほんの小さな緑が出現していた。
水平線に目をやり、凝らしてみると確かに陸らしきものがあった。
初めて見た。
あれが本物の大地か。
赤いな。
「…」
いや、アレは壁ではないのか。近づくにつれ、だんだんと高くなっていく。
「ねえ、ここ。レッドラインって出てる」
「…」
画面をじっと見ていた子どもが、ポツリと呟いた。
そして、別の文字が表れた。しかし私は文字を読めない。子どもの言葉を待つ。
「…」
今度は、子どもは目を大きく開くだけで、何も言わなかった。
そのまま壁を登っていくかと思いきや、化け猫はふわりと浮いて飛んだ。
辿り着いた先にあったのは、大地である。ずっと向こうに、大きな建造物が見える。
少しばかりの感動を覚える私をよそに、化け猫は立ち止まることなく夜道ーー夜宙を駆けていく。
「う…わあ」
化け猫が起こす風を受けた木々がざぁーと揺れ、下にいる人間の幾らかが煽られていた。
化け猫は全く構う素振りもなく駆ける。本のある場所を目指して。
そこには、数え切れないほどの本が並べられていた。私の三倍はある天井に届きそうなほどまである。
子どもは化け猫に乗ったまま、左右上下にせわしなく目を回している。
「オハラの図書館より……貸出カード?期限が三年…?…ねぇ、わたしも借りてもいいのかな」
とりあえず頷く。
子どもが化け猫から手を五本分伸ばして(目が付いている)取ったのは、一枚の固そうな紙だ。
貸出カード?
「…あのね、ここ、図書館だと思う。貸出期限が三年っていうのは不思議だけど…え?気に入った本は貰ってもいいって書いてある…変なの」
子どもは、暗い瞳を僅かに輝かせた。