file01:異動ノ命令
3月28日午後、大本営
「意外でもあり、妥当でもある、か」
提督は退出した会議室の扉を閉めると、呟いた。
「御用件は済みましたか?提督」
振り向くと秘書艦の赤城がにこやかにこちらを見ている。
提督は複雑な思いで見返した。
1時間以上廊下で待機させられたうえ、度々漏れ聞こえたであろう罵声は、彼女の居心地もさぞ悪いものにしただろう。
だが、それももう終りだよ、赤城。
「あぁ、終わったよ」
「それでは、鎮守府に帰りましょう」
「ん、いや、甘味処でも寄ろうか」
出口に向かいかけた赤城がぎょっとしたように振り返り、素早く手の平を提督の額に当てる。
「熱は無いようですね」
「たまには良いだろう」
「全くの初めてですが?」
「周期が長いだけだよ」
過去を振り返り始めた赤城に、提督は続けて語りかける。
「まぁ、無理にとは言わないが」
「いただきます!」
演習の時にもそれくらいキリッとした表情を見せてくれと言ったのは、聞こえなかったのか聞き流されたか。
3月28日夕刻、某所
大本営と鎮守府の中程、海沿いの喫茶店に入ったのは日が西に傾きかけた頃だった。
客は私達二人だけだったので、窓際の4人掛けのテーブルに腰を落ち着けた。
赤城は、見慣れぬ店内が物珍しいのだろう、席に座ってもそわそわしている。
そうか、店といえば間宮さんの喫茶店か鳳翔さんの料理屋しか選択肢が無かったか。やはり女の子だな。
「提督!山脈パフェですって!幾つ頼みますか?」
違うな、メニューに興奮していただけだ。
水とおしぼりを受け取りつつ、注文を取りに来た店員にコーヒー2つと山脈パフェを頼むと、
「およそ四人前ですが、よろしいですね?」
と念押しされた。食べ終わる頃には納得してくれるだろう。
赤城は厨房をキラキラした目で見つめている。打ち明ける頃合を思案していると、
「て、提督!」
「ん?」
「み、見てくださいあの容器!修復バケツより大きいかも!」
「後ろだから見えないよ・・」
「う、うわー!チョコソースをあんなに!あんな贅沢に!」
「ムダだと思うが少し落ち着きなさい」
「あ!あのアイス何味でしょう?そんなに何種類も!ブラボー!」
「拍手するのはよしなさい」
うん、話は後だ。野暮とかどうの以前に聞いてない。
「お待たせ!おじさん張り切っちゃったよ!」
「ありがとうございます!心して頂きます!」
この人懐っこさがあるからこそ秘書艦の一角を任せている訳だが、店のマスターにまで打ち解けなくても良いのだよ赤城さん。
「提督!頂きます!」
「召し上がれ」
文字通り山脈のような、見ているだけで体温が下がっていく甘味のカタマリを一口運ぶ度に喜びの表情を見せる赤城。
彼女の千変万化の表情と確実に減っていく色とりどりの山を、提督は微笑みながら見ていた。
「御馳走様でした!」
「嬢ちゃん一人で食べちまったのか?なんてこった!」
「美味しかったです!」
「満足したか?」
「はい!」
「ゆ、ゆっくりしていきな、急に動くと体に悪いぞ」
「ありがとうございます!」
まさにぽんぽこりんのお腹と表現するにふさわしい有様の赤城である。
店のマスターの狼狽ぶりと提督の落ち着いた態度は対照的だった。
単にこれが日常と言うだけだが、慣れとは恐ろしいものだ。
クレーターの如きパフェの容器が去ると、コーヒーが2つ残された。
提督は窓の外を見ながら、コーヒーを啜った。
丁度、夕日の下端が水平線にかかる頃だった。
「提督」
「なんだ?」
「赤城は、これで思い残す事はありません」
ふいに発せられた重い言葉。
ガラスに映った赤城の表情は真剣そのものだった。
「普段は資源管理に鬼の如く厳しい提督がこのような事を仰るのですから、天地が割けるか槍が降るか」
「そこはかとなく馬鹿にしてないか?」
「滅相もございません」
提督は言葉を切り、水平線に目線を戻した。もう半分くらい沈んでいる。
「赤城」
「はい」
「ソロルに行くことになった」
「遠征ですか?出撃ですか?」
「いや、私が4月1日付でソロル泊地に異動になった」
「随伴艦は?」
「無し。ついでに言うと向こうには秘書艦も居ないらしい」
「なっ・・・」
今度は赤城が言葉を切った。
水平線に、日が沈んだ。
3月29日朝、鎮守府
「それは譲れません」
加賀が通信機に向かって何時間が過ぎただろうか。
折り返し届く声は疲弊しきっているが、加賀は涼しい顔だ。
通信室。
鎮守府内にある、他の鎮守府との通信を行う専用棟である。
通常は任務娘が日に2回ほど任務の伝令を受ける為に使うのだが、今朝から任務娘は体調を崩し、部屋で眠っていると報告された。
そこで任務娘の代わりに通信室の鍵を手渡されたのが、本日の秘書艦だった加賀であった。
(この鎮守府では秘書艦は持ちまわり制である)
提督は任務娘の見舞いに行こうとしたが、娘の部屋に男が訪ねるなど以ての外と加賀が一喝。
任務を持ち帰るまで荷造りを進めてくださいと自室に押し込めてしまったのである。
しかし、通信室には加賀のほか、2名の影があった。
「以上でよろしいでしょうか?」
「了解。まぁ妥当だわな」
「取引は明日の夜。ご準備の程よろしくお願いします」
通信機のスイッチを切ると、加賀は小さくガッツポーズをした。
「やりました」
部屋の奥で懸命に書き物をしていた任務娘が、不知火に呟いた。
「書類、仕上がりました」
「感謝します」
不知火は書類を受け取ると、さらさらと目を通していく。
「良い改造ですね」
任務娘と笑顔を交わすと、加賀の方を向く。
「全書類、準備終わりました」
加賀はインカムに向かって短く指示を発した。
「加賀より全艦娘へ。通信棟での任務完了。次の段階へ移行せよ」
刻限は凶悪なペースで迫っている。一刻の猶予も無い。
「いいか、今回の遠征で間違いは許されねぇ。気合入れていけよ!」
「はい!」
入渠棟の、普段は更衣室として使われている部屋の奥で、第6駆逐隊隊長の天龍は直立不動の駆逐艦娘達に檄を飛ばしていた。
龍田は一つずつ装備を点検・調整していた。
第6駆逐隊だけではない。部屋のあちこちで駆逐艦が、軽巡が、重巡が、軽空母が、班毎に集まって作戦の調整を行っていた。
大勢の艦娘が狭い部屋の中で右に左に走り回っており、さながら野戦病院のようだ。
その様子を少し離れた所から見つめる目があった。
「うちらは蚊帳の外かぁ」
北上が拗ねた口調で独り言を言った。
「そう腐るな。この隙に深海棲艦が提督を襲ったりすれば何の意味もないからな」
北上の頭をポンポンと叩きながら、長門が諌めた。
「提督警護隊、良い響きじゃないの」
大井が口添えすると、北上はむくりと立ち上がり、
「もし深海棲艦が鎮守府に来やがったら、ギッタンギッタンにしてやりますよー」
と、魚雷を撫でながら呟いた。
加賀が持ってきた任務表を見て、提督は違和感を覚えた。
毎日、山ほど発令しているので細かな数値まで覚えてないが、こんなに長時間の遠征で獲得燃料10とか少なくないか?
しかし、任務表は「不調をおして」出てきてくれた任務娘が間違いないと太鼓判を押す以上は正規の物なのだろう。
大本営が私の「成果」を低くするために細工したのか?今更すぎるか?
首を捻りながら任務表を眺める提督を涼しい顔で見る加賀。
隣に並ぶ任務娘は、一瞬ちらっと加賀を見た。
「・・・ふーむ。まぁ良いか」
「では、いつも通り演習と遠征に入ります」
「解った。よろしく頼む」
提督が書類の1枚1枚に承認印をポンポンと押していく。
ある1枚に押した時、任務娘はそっと溜息をついた。
「・・具合悪そうだな」
「ひゃいっ!?」
机越しに提督がチラリと視線を寄越しながら発した一言に、任務娘は変な声を上げてしまった。
「ここは大丈夫だから休め。間宮で何か甘い物でも頼むと良い。私が払っておくから」
「あ、ありがとうございます」
にこりと微笑む提督に何とか返事をする。
任務娘は冷や汗と共に、喉がカラカラに乾いていくのを感じた。
あとで加賀さんに怒られる。絶対怒られる。隣から発される紅いオーラが・・・見える・・・
3月29日午後、鎮守府
「あれ?」
「どうかされましたか?」
窓の外を見ていた提督はポツリとつぶやいた。
加賀が応ずると、提督は言葉を続けた。
「なぁ、今日はやけに外が静かじゃないか?」
それはそうだろう、と加賀は思った。
普段なら4艦隊全て出撃しても残っている艦娘達の賑やかな声が聞こえるのである。
しかし今はほとんどが出払っているか工廠に篭っているから静まり返って当然だ。
出航制限?何の事か全く解りませんね。
加賀は少し眉をひそめ、うつむきがちになりながら、用意しておいた答えを発した。
「提督の件を知って、皆気落ちしているのですよ」
「うぅ」
途端に提督の肩がガックリと下がる。
「か、菓子でも持って励ましに行った方が良いかな」
「却って責任を感じる子もいるでしょうし、辛くなるだけです」
「ぐぅ」
矢印のように肩を落とす提督を見ながら、加賀は思った。
ごめんなさい提督。うちの艦娘達はそんなにヤワじゃないのだけれど。
今は鎮守府の、提督室でじっとしててもらわないと困るのです。
加賀は窓の外を一瞥した。
「中将、そうそう上手くはいきませんよ」
まだ本題に入れない(><)
次は噂の真相が・・・
時間関係の説明を追加しました。