艦娘の思い、艦娘の願い   作:銀匙

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時雨の場合(3)

3年前。時雨が事務方に着任した日の朝。

 

着任者と事務方との顔合わせが終わった後、文月はにこりと笑って言った。

「今日は初日ですから、仕事を覚えて頂く事も兼ねて軽く行きましょ~」

と文月は言ったが、その言葉に敷波が静かに首を振り、叢雲が

「あまり夢を見させるのは可哀想よ」

と継いだ事に不知火が深く頷いた。時雨達は首を傾げた。

時雨達は1人1つずつ机をあてがわれた。真新しい木の香りのする広い机。良い香りだ。

デスクスタンドも、ファイルも、ペン立ても新しいし趣味が良い。エアコンも効いている。

心地の良い職場だなあと思った時。

 

どすっ。

 

申し訳なさそうな目をしながら敷波が書類を置いた。

鈍い音の通り、高さは10cmを超えている。

「じゃあ、説明してくね。今日は申請書の確認と訂正をやってほしいんだ」

「どうすれば良いんだい?」

「こっちのファイルの中身が記載例。これなら大丈夫って書き方と判断のポイントが書いてある」

「うん」

「で、この束から1枚取る」

「うん」

「ファイルから同じ書式を探す。この申請書は・・・このページだね」

「ああ、同じ書類・・・でも、随分書いてる事が違うね」

「書くマスが違うとか、書かなきゃいけない事が無いとか、あるでしょ」

「そう・・だね」

「で、赤いボールペンを持つ」

「うん」

「位置が違うだけなら正しい位置に転記して、抜けてたり間違えてるならそれが何か書いて欲しいんだ」

「なるほどね。解ったよ」

「記載は短くて良いからね。これが相手だから」

と、束をパンパンと叩く敷波。

「うん、頑張るよ」

ふと、時雨は気になった事を聞いた。

「ところで敷波」

「ん?なぁに?」

「これはいつまでにやれば良いんだい?今週中?」

敷波が頭をポリポリと掻いた。

「あー・・・えっとね。これ、1日分なんだ」

「・・・へ?」

「とりあえず5枚出来たら見せに来て。一緒に確認しよ。私はあそこの机に居るからね」

指を追った時雨は目を疑った。机?書類置き場じゃなく?

あ!デスクスタンドの上端が見えてる!

「ま・・まさか・・・あの書類に埋もれているのが敷波の机なのかい?」

「今日の分と、今日までの分の書類なんだ。早く片付けないと雪崩が起きちゃうよ」

時雨はハッとして文月の机を見た。だが、文月の机はほとんど紙が無い。

「文月は少ないんだね」

敷波は力なく笑うと言った。

「休憩取りたいなと思ったら、ちらっと見てみると良いよ。文月千手観音て言われてるから」

「え?」

その時。

 

どすっ。

ずしっ。

ずん。

音の方を見ると、他の三人も同じように書類の山を置かれ、青ざめていた。

なるほど。これを増員無しでこなすのは不可能だ。

それにしても、千手観音てどういうことだ?

 

 

時雨は手元が霞んだ。正確には、意識が飛びかけた。

14時。

首をぶるぶると振る。食後で一番集中力が切れる時だ。ちょっと休もうかな。

周りに気付かれないようにそっと腕を伸ばす。

そういえば、文月を見ると良いと言ってたっ・・・

時雨は文月を見たまま目が点になった。

両腕が残像が見えるほどの速さで動いている。まさに千手観音のように。

書類を取り、資料を引き、判断し、何かを書き込むか判を押している・・・多分。

それが全く絶え間なく、紙は次々と流れるように受付から終了のカゴに入って行く。

1枚を何ミリ秒で処理しているのだろう・・・

文月が受け付けカゴの最後の1枚を取った瞬間。

いつの間にか近づいていた不知火が文月の受付カゴに、高さ20cmはある書類の束を置いた。

代わりに終了のカゴから同じ位の高さの書類を持ち帰り、席に戻って行く。

時雨はそのまま不知火に視線を移した。

不知火の机の前には様々なプラケースが蓋を開けて置かれている。

ケースには「経理1課」「資材本部」「OO鎮守府」「酒屋」等、行先が書いてある。

不知火は左手に持った書類をチェックしながら、右手に持ち替えては指で弾いていく。

弾かれた紙は無駄の無い軌跡を描きながら、それぞれのケースに収まっていく。

ケースの1つが満杯になった。

すると不知火は席を立ち、「発送」と書かれた台に運ぶと、代わりに空のケースを手に取った。

不知火は片目で位置を測りながら慎重にケースを置き、出来栄えに納得したようにうむと頷いた。

そして着席した不知火は、元の作業に戻っていった。

弾かれる紙はまるで、見えないレールに乗っているかのように同じ軌跡を描いている。

時雨はごくりと唾を飲んだ。

敷波や叢雲も自分とは桁違いのペースで処理しているが、まだ人間として理解出来る速度だ。

だが、あの二人は次元が違う。何というか・・・本当に、次元が違うとしか言いようが無い。

なるほど、文月は千手観音に違いないが、不知火も人外の存在に違いない。

二人に祈ったら御利益があるだろうか?

時雨はそっと手を合わせると、書類に向き直った。

せめて渡された分は頑張ろう。眠気なんて吹き飛んでしまった。

 

 

17時。終業の鐘が鳴った。

 

結局、山は半分ちょっとしか減らせなかった。

これほど終業を告げる鐘が早いと感じた日があっただろうか?

時雨は正直心が折れそうだった。なにせ余りにも訂正箇所が多すぎるのだ。

チェックを終えた書類をジト目で睨む。

今日、自分がチェックした書類は「設備使用許可申請」「休暇申請」「文具手配申請」だ。

どこの鎮守府にも普通にあり、書く欄も少ないこんな書類に、何故こんなに個性的な記載があるんだ?

君達には失望したよ。宇宙クラスのボケを詰め込まないでくれよ。突っ込み疲れたよ。

丸文字で枠からはみ出てるなんて可愛い物だ。

借用期限欄に「チョット借せ」とか、ありえないだろう。眼帯没収するよ?

思わず突っ込みの口調のまま書いてしまったじゃないか。

少しペースを落としながら、時雨は考えを継続した。

事務方を全鎮守府で標準とすべきではないか?

いや、むしろ艦娘達に正しい書類の書き方を教えるべきではないか?

普通の鎮守府には教育施設など無いが、ここのように艦娘数が100を超える所はザラにある。

こんな書類を秘書艦一人で相手にしてたら過労死しないか?僕なら絶対お断りだ。

「時雨さーん、初雪さーん、霰さーん、黒潮さーん」

文月の呼ぶ声がした。

「はい!」

文月の所に駆け寄ると、文月の机の上は朝と同じく綺麗に片付いていた。

朝は普通に見ていた机の上の綺麗さが、今は畏敬の対象に代わっていた。

「皆さんお疲れ様でした。夕食の時間ですから今日は上がって良いですよ。後は私達でやります」

初雪達は一様にほっとした表情を見せたが、時雨は

「せ、せめて今日渡された分は頑張るよ。返すのは申し訳ないから」

と言った。文月は時雨を見てにこっと笑うと、

「じゃ、ご飯はちゃんと食べて来てください。手伝ってくれるのはとてもありがたいです」

と返した。

「無理しなくて良いんだよ~?」

と敷波から声が飛んで来たが、時雨はにこっと微笑んだ。

今から親友の机に書類を重ねるのは余りに可哀想じゃないか。

 

 


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