とある土曜日の昼過ぎ。
黒潮がガスコンロ等を仕舞いながら、思い出したようにぽつりと言った。
「1回な、赤城はんに焼き始めた所を見つかってしもたんよ」
不知火と文月は心の底から哀悼の意を込めた眼差しを送った。
「・・よぅ解ってくれて嬉しいわ。解放された時には腕パンパンで、うちの1ヶ月分の備蓄がのうなってたんよ」
「私も・・・あります」
「不知火はん、死んだ魚のような目をしとるで。何かもっと恐ろしい経験があるん?」
「私、うどんを打ってたんです」
文月と黒潮はごくりと唾を飲み込んだ。
うどん打ちは1回でも重労働だ。
全体重をかけてしっかりこね、上半身全体で打ち、延々と正確に切って、茹でて、やっと出来上がる。
「15回打った時点で脚も腕も上がらなくなって赤城さんに土下座して勘弁してもらいましたが・・・」
「・・・・」
「自分は・・・結局1本もうどんを食べられませんでした」
「な、なんという悲惨な体験・・・」
「エゲつない。エゲつないでホンマ・・・」
「あの後から、私はちょっとうどんが苦手になりました」
「完全にトラウマですね」
「そら、しゃあないで・・・」
「解ってくれますか!」
しかし、その時。
不知火は、うんうんと頷く二人の後ろに、鎮守府のある坂から砂煙をあげて誰かが走ってくるのが見えた。
「!」
噂をすれば影!赤い方か!
「はっ!早くたこ焼き器を仕舞うんです黒潮さん!」
「あ、あわわわ、ファ、ファスナーが噛んでもうた!」
「う、上に!上に座って!」
ざざっ!
「何か焼いてませんでしたか!?ソースの焦げるにおいが!」
不知火は内心震えていた。
浜から寮まで直線距離でも優に500m以上ありますよ?どんだけの嗅覚を持ってるのです?
黒潮は明らかに挙動不審だった。
「あ、ああああ赤城はん?い、いや、う、うちらは本を読んでただけやで?」
赤城の目がジト目に変わると、ゆっくり、きょろり、きょろりと3人を見回す。
「今日の風の流れと湿度からすると、発生源は皆さん以外考えられないのですが・・」
そんな能力を増強せんでええやんと黒潮は言いかけて止めた。
既に赤城が赤城でなくなっている気がしたからだ。
これが噂の・・・
ぴくりと赤城の鼻が動く。
くんくんくん・・・くんくんくんくん!
犬か君はと不知火は心の中で突っ込んだ。
「不知火さん」
ぎくり。一滴の汗が滴る。お、落ち着け。ボロを出したら嫌な予感しかしない。
こっ、これが湿度と会話の関係なのか?バカな!
「・・・不知火に何かご用ですか?」
「口の端に・・鰹節がついてますよ」
不知火はハッとして、つい拭ってしまった。しかし、
「しっ、不知火はん!うちはかつぶしは使うてへんで!ネギと青海苔だけや・・・・・・あ」
赤城が邪悪な、勝ち誇った笑みを浮かべている。般若を背景に背負って。戦闘力が急上昇している!
「この私を差し置いて・・・お好み焼き・・パーティ・・だと・・・・」
「ちっ!ちゃう!たこ焼きや!パ、パパパパーティやない!ほんの!ほんのささやかなもんや!」
「先程は本を読んでただけと仰いましたね・・・」
「ひっ」
「逃げ切れるとでも思いましたか・・・・」
赤城の目がギラリと光る。
こりゃアカンと黒潮は観念した。でも食材はホンマにもう無い・・・どないしよう・・・
その時。
「赤城さぁん」
「・・・なんですか、文月さん」
「今日は【閉店】、です」
赤城が途端にぎくりと硬直した。
不知火と黒潮は我が目を疑った。
けっ、気圧されてる?赤城が噂の食欲大魔王モードなのに気圧されてる!?
あのモードになったら提督や長門さんはおろか、加賀さんですら死闘を演じないと勝てない筈なのに?
何この竜虎決戦状態。
さらに、文月は上目遣いのまま目から光を抜き、赤城を見つめながら言葉を継いだ。
「お代わり自由では、無いんですよ?」
すると、赤城の雰囲気があっという間に戻ったかと思うと、
「あは。皆さん仲良く召し上がってくださいね。では私はこれで。」
と言って、スタスタと去っていったのである。
黒潮も、不知火も、ぽかんとしたまま文月の種明かしを待った。
「・・・私は、丁度居合わせただけなんですけどね」
頷く二人。
「その日、私はちょっと用事があって街に出たんです」
「帰る前にご飯食べていこうと思ったんですけど、港近くの通りの様子が変だったんです。」
「変?」
「ご飯屋さんだけシャッターが下りてたり、本日閉店って札が下がってるんです」
不知火と黒潮は嫌な汗がじわりと出てきた。まさか・・・
「おかしいなあと思って歩いてたら、通りの端にあったハンバーガー屋さんが開いてたんです」
息を飲む二人。
「店に入ろうとしたら、赤城さんと、大本営の武蔵さんが居て」
最悪だ。ブレーキ無しのツインターボエンジンじゃないか。
展開が読めて手で顔を覆う二人。
「お二人のどちらかが窓口で品物を受け取る間、もう一人は席についた途端に飲むように平らげて」
「窓口にはお二人いずれかが常に並んでましたし、両方で並ばれる事も多かったです」
「お店の人は絶え間なく補充してたんですけど・・ゾンビのようにやつれた顔をしてて・・」
「メニューの所に「メガセット完食で何回でも御代わりOK!」ってキャンペーン看板が見えて」
悲惨すぎる展開に涙が止まらない二人。
「やがて在庫払底したって断られて、食べ足りないと言いながらお二人が出て行かれて」
「その後、窓口に行ったら、サイドメニューのプリンしか残ってませんって謝られてしまって」
「お肉屋さんでコロッケを買って話を聞いたら、2人が入った店は次々閉まり、救急車も何回か来たって・・」
「酷過ぎる」
「殺生や・・・殺生やで・・・」
「翌日、大本営に商店街の会長さんから苦情が行って、大本営からうちにも問い合わせがあって」
「そら・・そやろな・・」
「加賀さん同席の元で、私が見てた事、お肉屋さんで聞いた事を言った上で聞いたんです」
「完璧に逃れようのない状況やんなあ」
「そしたらお父さんには絶対内緒にしてって言うので、私が提督名で状況と謝罪文を書いて送ったんです」
「凄まじいカードですね」
文月は険しい表情になり、声を潜めると、
「あれを見て、うちの鎮守府では食事をバイキング形式にするのだけは絶対止めようって決めました」
二人は尤もだと頷いた。もし赤城の後に食堂に入ったら、残ってるのはせいぜい食器と爪楊枝だ。
「だ、大本営の食堂だけは勤務しとうないな・・・」
「そうですね・・大和さんと武蔵さん、他にも大勢・・・・」
「毎日誰か倒れてそうですよね」
三人はちょっと空を見上げてブルブルと震えた。
あんまりにも簡単に予想がつき、あんまりにも悲惨だったからだ。
文月がぽつりと言った。
「間宮さんと鳳翔さんは、凄いですよね」
「・・・・花でも買うてこうか?」