村雨の入社から1ヶ月経った後。鎮守府経理方の会議室。
「と、いう事で、えっと、この数字が先月、この数字が今月の実績で・・・」
この1ヶ月、連日のように長月と薫がみっちりと教えた結果、村雨はメキメキと成長していた。
一方で白雪達と一緒に聞いた事務方の説明を薫達に説明したので、求められる数字を効率よくまとめられた。
「これなら今月は、村雨さんに説明してもらっても良さそうですね!」
「うむ。村雨は本当に飲み込みが早くて助かる。ぜひ鎮守府への説明役も頼む」
と、二人から太鼓判を押されたのである。
そして社内で何度か練習し、長月が同伴する形で、白雪達の待つ経理方に書類を持参したのである。
「・・という事になりますが、ご質問は?」
「お待ちください」
恐る恐る上目遣いに白雪を見た村雨は、ぞくっと鳥肌が立った。
白雪がかつて無い程真面目に書類を凝視しながら、時折電卓を叩いている。
そっと長月を見ると、長月はにこりと笑って頷いたので、小声で聞いた。
「あ、あの、何か失敗しましたかね?」
「いや、立派な説明だった。私より上手い」
「じゃ、どうして白雪ちゃ・・経理方の人は怖い顔で書類見てるんでしょう?」
「それは当然だ。あの書類に従って数千万のカネが動くのだから、真剣に確認してくれなければ我々も困る」
「気迫が凄いんですけど」
「あれで怖がってては身が持たないぞ。不知火が確認すると親の仇のように睨んでたからな」
「な、なるほど」
「文月の場合は顔は笑ってるが般若の軍団が背後にいるかのようだった」
「ふ、普段からは想像もつかないですね・・・」
「まあ、数字を作ってるのが薫だから、精度は・・」
長月が言いかけた時、白雪が顔を上げた。
「完璧ですね。全ての数字が合っています」
そしてほっとした表情になると
「白星食品の書類は信じて良いと言われてましたが、その通りのようですね」
と言った。
村雨が返した。
「えっと、という事は、陸奥さんの工房は・・・」
川内が途端にげっそりとした表情で肩をすくめ、
「昨日まで訂正に次ぐ訂正。真夜中までかかっちゃったわ。こういう夜戦はお断りよ・・」
と言った。
長月ががたりと席を立った。
「では、今月の処理はこれで良いのだな?」
白雪が頷いた。
「ええ、ありがとうございました」
「ならば私は事務所に戻る。村雨、今日はこのまま帰宅して良いぞ」
「えっ?」
長月がふふっと笑った。
「友人と会話を楽しむと良い。鎮守府を出るのは2000時を超えるなよ。薫が怒られるからな」
「あっ・・・ありがとう、ございます」
「礼なら薫に言え。薫の計らいだ。ではな」
ひらひらと手を振ると、長月は行ってしまった。
村雨が白雪を振り返ると先程とは打って変わって、すこし呆けたような表情になっていた。
「村雨さんの方はどうですか~?」
「一気に気が抜けましたね」
「経理方って、どっちを向いても結構大変な仕事なんですよ~」
川内がくすくす笑いながら言った。
「ついに平日のバンジーは諦めたよね、白雪ちゃん」
「えええっ!?」
「月次処理とか陸奥さんとやり取りする時は食事の時間も削らないといけないんで・・・」
「バンジーどころじゃないですね」
「予定より早く本来の仕事も引き受けつつあるのですが、もう少しバンジーを楽しんでおくべきでした」
「なんで早めたんですか?」
白雪はふぅと溜息を吐くと
「響さんが文月さんと不知火さんの三文芝居に引っ掛かりまして」
と言うと、川内がとりなすように
「ま、まぁまぁ。響も後で気付いたし、今はその分頑張ってるじゃない」
「そうなんですが・・・うっうっ」
「今週中には白雪ちゃんに代わって貰ってる分も引き取れるしさ、もうちょっと協力してよ」
「解りましたよ~」
川内と白雪の会話を聞いていた村雨は、自分との間に吹く微妙な隙間風に気がついた。
自分が白星食品で長月や薫と過ごした時間を、白雪達は経理方として過ごしている。
白雪達は友達という事は変わらない。
でも、私も白星食品で過ごしている以上、互いに知らない事が出てくる。それは仕方ないのだ。
互いに自分の足で立ち、会えば友達として過ごす。そうしていこう。
川内が考え込む村雨に気が付いた
「どったの?」
「ううん。元気でやってるなあって」
「もうへとへとだよぉ」
「私も色々大変だけど、一緒に元気に働こうね。ちゃんとした数字持って来るから」
「ほんとお願いね。出来れば陸奥さんの面倒も見てください」
「あ、そこは会社が違うので」
「うぇー」
白雪が目を細めて自分を見ている事に、村雨は気付かなかった。
入社式の夜の電話で村雨が心配になった白雪は、翌日天龍に相談していた。
天龍はむうっと考え込んだ後、
「・・しばらく放っとけ。次に会った時の目を見ろ。死んでたら取り返しにいくから言え」
と答えたので、白雪は頷いた。
天龍はやると言ったらやる。取り返すと言ったら取り返す。だから今は白星食品に任せてみよう、と。
そして今日。
説明する村雨の目は生き生きとしていたし、長月とも楽しそうに話をしていた。
新しい環境でちゃんと生きて、仕事をしている。
仕事が大変なのはどこでも同じだ。
一緒に働く人と仲良く出来るか否かが生活の質を決めていく。それが目に出る。
だから村雨は、仲良く生きている。でももうちょっと確かめよう。
「白雪ちゃん、なんか私の顔についてる?」
村雨が白雪の視線に気づいて声を掛けた。
「白星食品で働くのは楽しそうですね」
「んー・・そうだね。薫ちゃんも長月さんも凄く尊敬出来るし、仲良くしてくれるよ」
「部長をちゃん付けですか」
「薫ちゃんは薫ちゃんだよ~、1日付き合えば解るよ~」
「終業後も一緒に居たりするんですか?」
「お風呂や食堂とか一緒に行ったりするよ~」
「お休みの日は?」
「んー・・・」
村雨は一旦言葉を切ると、
「休みの日は・・会ってないかな」
と、答えたのである。
「1日ずっと、一人で居るのですか?」
白雪は言葉のトーンを少し変えた。余り良くない兆候かもしれない。
「え?あ、違うよ。一人で引きこもってるとかじゃないの」
村雨はぶんぶんと手を振った。
「じゃあ何をしてるんですか?」
白雪はぐいっと身を乗り出した。村雨はきっちり追い込まないと、はぐらかす癖がある。
「え、えぅ・・」
村雨は左右をチラチラ見ると
「ナイショだよ?」
「はい」
しばらくもじもじした後、
「つ、釣り・・・」
と言ったのである。