電力会社との打ち合わせまであと2時間。発電室の脇。
夕張は島風が入れてくれたカフェオレを一口啜るとカッと目を見開いた。
「・・・し、島風ちゃん」
「なーに?口に合わなかった?」
「超美味しいんだけど、これ何?」
「・・・ふっつーのカフェオレだよ?」
「ええー!コーヒーって牛乳と砂糖入れるとこんなに美味しいの!?」
「何で知らないの夕張ちゃん!」
「入れた事無かったんだもん!お茶とかウーロン茶に牛乳とか入れないでしょ!」
「そうだけど、喫茶店とかなら普通に置いてあるじゃん!」
「・・・あれはパンケーキとかに使う物だって固く信じてたよ」
「良かったね、美味しい物発見できて」
「今までの人生相当損してた気がするわ」
「人生のスケールが小さすぎるよ」
「・・・美味しいわー」
「工廠長さん、もう1杯如何?」
「ん、いや、残り4基を組み立てるとするよ。安定してるようじゃしの」
「手伝いますよ!」
「夕張はもう少しカフェオレを楽しんでからおいで」
「ありがとうございます。じゃあ、この1杯飲み切ったら行きます」
「うむ。ではの」
「・・・島風ちゃんのおかげでまた1つ楽しみが増えたよ。ありがと」
「んふふん。週に1回位は間宮さんのお店に行けるといいね!」
「そうね。それくらい出来るように貯金しておくわ」
「・・・もうちょっと貯金しても良いんだよ?」
「もちろん。貯めないと怒られちゃうからね!」
「よし!これで行けちゃいます!」
5基のスターリングエンジンはトントントントンと小気味良い音を立てて回っていた。
追加した発電機が生み出す電力は意外な事に、既存発電量の半分近くに達したのである。
「スターリングエンジンの良い所は、ターボディーゼルの廃ガスでも回る所よね!」
「うむ。熱源が何であろうと熱量さえあれば良いからの」
「この発電量はきっと役に立つわ」
「うむ。随分100V系も200V系も余裕を持てたのう」
「じゃあ龍田さんに報告しに行きましょう!」
「まだ刻限までは30分ほどあるしの」
龍田は事務方の応接室に居た。
「あらぁ、もう実物が出来ちゃったんですか~?」
「ええ。この資料も全て実測値ですから確実です」
「私も準備出来たし、アテがあれば営業担当との交渉も余裕が出るわ~ありがと~」
「折角なので同席しても良いですか?」
「んー・・・他言無用に出来ますか~?」
「え?え、ええ」
「解りました。じゃあ同席しても良いですよ。工廠長さんはどうしますか~?」
「い、いや、わしは遠慮しておくよ。文月も同席するんじゃろ?」
「はい~」
「そうじゃ!わしはメインクレーンのエンジン化とコンベアの中型化も進めておくわい」
「助かります。お願いします~」
「・・・」
工廠長は席に座っている夕張の肩を叩くと、耳元で
「好奇心は猫をも殺すというぞ。同席は勧めん。忠告したぞい」
と囁くと、そのまま出て行った。
夕張が意味が解らずぼうっとしていると、工廠長と入れ違いに文月が入ってきた。
「龍田会長、今日は時計、これに代えても良いですか~?」
龍田と夕張は文月が持って来た時計を見た。随分古いゼンマイ式の置き時計だ。
1秒ごとにカチ、コチ、カチと金属が時を刻む音がしている。
「良いですね~、さすが文月さんですね~」
「この前骨董市で見つけたんです。可愛いでしょ~」
「じゃあ時間合わせましょうね~」
「は~い」
夕張は首を傾げた。わざわざ柱の電波時計を外して置時計にするのは何でだろう?
そこに不知火が入ってきた。
「中南海電力の方がお見えです。御通ししてよろしいでしょうか?」
「初めてお目にかかります。中南海電力第2営業部の相模谷、と申します」
「ソロル鎮守府の龍田と申します。事務長の文月、研究室の夕張が同席致します」
相模谷は夕張と文月をちらっと見ると
「・・ああ、初めまして」
と言いながら、どかりと腰を下ろした。
夕張は感じ悪いなと思った。私はもう何度か会ってるのに。
あの時もこんな風に居丈高だったな。技術の人は真面目で優しいおじさんなんだけど。
ちらっと見ると、文月も龍田もニコニコしている。
「お越し頂いたのは、今朝鎮守府に頂いた通知書について申し上げたい事がありまして」
そう言いながら龍田は夕張から貰った手紙を広げた。
相模谷はちらりと手紙を見て、出されたコーヒーを手に取ると、
「ええ、それが何か?」
と言って、啜り始めた。
「簡単なお話です。高過ぎるので契約打ち切りますね~」
相模谷はカップを持ったまま硬直した。
夕張は一瞬、先程の態度から一気に転落した相模谷に溜飲が下がる思いがした。
しかし。
相模谷は口に入ったコーヒーをごくりと飲み下すと、気は確かかと言う目で龍田を見た。
「あの、龍田さんと仰いましたね?」
「はい~」
「こちらで今契約されているのは特別高圧2系統と100V、200V系の待機用です」
「はい~」
「こちらの施設でご用意されるんですか?特別高圧を?」
「それは軍事機密ですが、もう用済みだと申し上げてるんです~」
1ミリも笑顔を崩さない龍田。
眉間に皺を寄せているが、次第に汗を流し始める相模谷。
部屋を沈黙が支配する。
そんな沈黙の中、文月が持って来た時計が音を刻む。
カチ、コチ、カチ。
たっぷり1分以上沈黙した後、相模谷はようやくカップを机に戻し、慎重に口を開いた。
「全て、契約解除されるのですか?待機契約分も?」
「はい~」
夕張はおやっと思った。待機契約はターボディーゼル発電機故障時に備えて持っておきたい。
だが、夕張はこの静かで凄まじい圧力の中で口を開く事は出来なかった。
部屋の静寂も、文月達のニコニコした笑顔も今は怖すぎる。
カチ、コチ、カチ。
更に数十秒か、数分の沈黙が流れた。
「あ、あの、海底ケーブルは3月末にこちらまで専用線を引いたばかりでして」
「契約は私が行いましたし、その為に高い初回料金をお支払したんで~」
「あ・・そうですか・・」
カチ、コチ、カチ。
「ほ、ほんとに契約解除なさるんですか?」
「はい~、高過ぎるので~」
相模谷の目が泳ぎだした。
カチ、コチ、カチ。
夕張は事情が見えてくると、相模谷が可哀想に思えてきた。
ソロル鎮守府は軍事施設であり、電力会社は送電ケーブルを引けと言われれば断れない。
それが遠方の島で、軍施設以外に需要が無いという最悪の高コスト対象でもだ。
だが、それは軍施設が容易には撤退しない、つまり長期契約を見込むハラがある。
1回の旨味は少なくても長期契約なら、いずれはコストを回収し、利益に出来る。
しかし、引いたのは僅か2か月前。つまり今はほとんどコストを回収出来ていない。
1つでも契約が残るならその契約をべらぼうな高額にすれば予定通りコストを回収出来る。
それが今朝の状態だ。
契約がある限り電力会社の勝ちなのだ。
しかし、全て要らないと言われたら超大赤字であり、それは営業マンの成績を直撃する。
まさかこんな話が来るとは考えもしなかったから、あんな最初の態度だったのだろう。
しかし、それは可哀想なくらいの重傷を自らに与える事になった。
その時点でようやく、夕張は文月の行動を理解した。
あの置時計は可愛いとか、ノスタルジーの為とかで置かれたのではない。
1秒1秒響き渡るカチコチという音は、張りつめた雰囲気を更に極限まで高めている。
見かけは小さい子供である文月を相模谷の目に留まる入口側に座らせたのは油断させる為だ。
徹底的に相模谷を追い詰める工作は、開始前に完了していたのである。
龍田と文月の策は完璧だ。準備ってそういう事か。
後は二人は黙っていても望む答えが引き出せるわけだ。
これを回避出来る営業マンは相当の手練か、島に着く前から油断しない人だけであろう。
いずれにせよ相模谷はまんまと頭のてっぺんまで罠に嵌ったのである。