駆逐艦寮、現在。真夜中。
「・・んぅ・・・うぅ~ん・・・がはっ!」
弥生は真夜中にあまりの息苦しさで目が覚め、そして周囲を見回し、溜息を吐いた。
睦月の腕が自分の首の上に乗っている。
文月がうつ伏せで自分の腹の上に覆い被さっている。
毎晩のように起こされる身にもなって欲しいが、寝てる間の行動なのでどうしようもない。
この二人の寝相の悪さは鎮守府の中でも折り紙つきだ。
たまたま夏のキャンプで睦月と同室になった球磨が、
「夜中に鳩尾へ踵落とし食らって死にかけたクマ。殺気も感じないからフラ戦より怖いクマ」
という出来事があり、以来「球磨殺しの睦月」という徒名で呼ばれ、伝説になっている。
もちろん睦月自身は1ミリも記憶に無い。
「・・・んん~っ!」
起こさないようにそっと二人をどかすと、ふるるっと震えた。
寒い。掛布団はどこへいった?
首を動かした範囲では見つからなかったので、仕方なく半身を起こした。
そう、出来れば起こしたくなかったのである。
弥生は東雲によって深海棲艦から艦娘に戻った者の一人である。
深海棲艦の頃は同じく深海棲艦だった陸奥が率いる戦艦隊で、研磨班として働いていた。
一番最初から陸奥に習っていたし、陸奥からセンスが良いとよく褒められた。
艦娘に戻る時も陸奥と一緒に最後まで研磨作業を続け、沢山の宝石を売った。
仲間が去る時の路銀にする為にである。
艦娘に戻った後も、提督の計らいで陸奥と一緒に小さな工房で宝石を磨いている。
戦艦隊の仲間が文字通り山と積んでくれた原石から、月に1籠分だけ取ってくる。
そして陸奥と半分ずつ分け合い、1ヶ月かけて1つ1つ調べては磨くのだ。
会社として厳格に運用するビスマルク率いる白星食品とは違い、陸奥は経営の関心は薄かった。
だから二人は提督の鎮守府に所属する普通の艦娘であり、寝食も鎮守府内で行う。
そして空き時間があれば借用した工房で過ごして良いという許可が出ている、という形だった。
実際は長門も提督も陸奥と弥生の職人としての才覚を知っていたので、
「二人で週に1日だけ演習に顔を出し、後は好きにしなさい。非常時は手を貸してくれ」
と、言われていたのである。
ちなみに陸奥は第1艦隊の6番艦を務める実力者だが、第1艦隊の召集そのものが少ない。
ここ1ヶ月を振り返っても大鳳組との仮想演習戦に1時間ほど駆り出されたくらいだ。
極めて特殊なソロル鎮守府だからこそ成り立つバランスであった。
そんな弥生は部屋に来たばかりの頃は、驚き半分怒り半分で勢いよく睦月と文月をどかしていた。
だが、床を数回ほど転がり、目覚めた二人は
「姉としてみっともない所をおみせいたしましたにゃ~、私とした事が情けないですにゃ~」
「ふみぃ~、申し訳ないのです~。今回の、むにゃ・・睡眠妨害に・・つきまして・・」
と、起きてるとも寝てるともつかない様子で詫びの言葉を紡がれ、こちらが寝るに寝られない。
しかも話してる相手の方は翌朝、
「へっ?そんな事言いましたっけ?」
と、ケロッと忘れている。
つまり自分の睡眠時間を削られるだけだと気付いた弥生は、以来そっとどかすようになった。
そして現在。
「・・・ええと」
弥生が部屋を見回すと、自分の掛布団は皐月がしっかり抱え込んでいた。
「・・・・」
ああなると引っぺがすのは本当に骨が折れるし、皐月自身の掛布団は皐月の下敷きだ。
どうしたもんかと首を捻っていると、腰の辺りにぽすっと小さな衝撃が走る。
振り返ると文月がいつのまにかこちらに足を向け、片方の足の先が自分の腰に当たっていた。
もう片方の足は先程まで弥生が寝ていた枕の上に乗っている。
「はぁー・・・」
またそっとどかさない限り、もう横にもなれない。
だから身を起こしたくなかったのである。
最初は昔別れ別れになった姉妹と同じ部屋で一緒に過ごせる事をとても喜んだ。
今も嬉しい事は嬉しいが、それは相手が起きてる時に限らせてもらいたいと思う。
「・・怒ってなんかないよ、怒ってなんか・・」
湧き上がる何かを抑えた弥生は、そっと立ち上がった。
そして部屋の入り口に転がっていた睦月の枕を拾いながら廊下に出た。
廊下は月明かりで青白かった。
窓の外を見ると、満天の星空と月が見えた。
「・・綺麗」
弥生は深海棲艦の頃から、星空を見るのが好きだった。
月は細い三日月が好きだった。その方が星が良く見える気がしたから。
でも月の無い晩は暗すぎて嫌だった。
今夜は丁度、弥生好みの三日月だった。
「・・また起こされたのか?」
弥生が声の方を向くと菊月が居たのだが、弥生は息を飲んだ。
「・・菊月」
「なんだ?」
「お願いだから顔にきゅうりパックしたまま出てこないで。心臓が止まる」
「海の上の紫外線は強いから寝ている時の手入れが肝心だと扶桑が言ってたんだ」
「妹のパック顔を見たのが死因なんて嫌」
「まったく、わがままな姉だ・・・」
ペリペリときゅうりを剥がす菊月を見ながら弥生は考えた。
私もきゅうりパックした方が良いだろうか?
だがすぐに思い直した。1日中室内で研磨作業をしてるのだから紫外線も無いだろうと。
「で、また起こされたのか?」
菊月の問いに弥生は肩をすくめて頷いた。
菊月は溜息を吐くと、睦月部屋の引き戸を少しだけ開けて覗き込み、振り向いた。
「・・・文月はなぜ逆立ちしたまま寝てるんだ?」
弥生は首を振った。
「私が居た時はうつ伏せで寝てた」
「文月と睦月の寝相はもはや曲芸だな・・弥生」
「ん?」
「提督に頼んで部屋を変えて貰ったらどうだ?毎晩ではしんどいのではないか?」
「・・・睦月達が、傷つく」
「事実だから仕方ないだろう」
「それに、睦月達と昼間を過ごすのは、楽しい」
「・・・そうか」
「うん」
「なら、今夜もうちの部屋で寝れば良い」
そう。
この鎮守府で睦月型は睦月、文月、皐月、菊月、三日月、望月、如月、弥生が居る。
本来、同型艦は1部屋が基本だ。
しかし、4人定員の部屋であり、7人目として睦月が着任した時点で割り当てられた二部屋の一大部屋替えを実施。
そして寝相の極めて悪い睦月と文月、それに何故か2人の攻撃をかわせる皐月が合部屋になった。
もう1部屋は菊月、三日月、望月、如月の4人が入り、その時は平和だったのである。
しかし、そこに一人遅れて着任した弥生が睦月部屋に入って一人負けしているのが現在だ。
駆逐艦寮は人数が多く、部屋もギリギリで運用している。
他の鎮守府に比べれば部屋は広いが、畳部屋で昼は勉強部屋、夜は布団を敷いて寝る構造だ。
軽空母以上は1人1ベッドで机も置いてあるし二人部屋だ。大層羨ましい。
「海の見えるベッドがいいなー、レディの嗜みよねー」
とは某暁型駆逐艦の台詞だが、弥生が激しく頷いて同意したのはそういう事だ。
「さ、入れ。遠慮は要らぬ」
弥生が菊月達の部屋に入ると別世界が広がっていた。
皆きちんと掛布団を被って寝ているのだ。
「枕は持って来たか?」
弥生は菊月の問いにこくりと頷いた。
「なら、もう寝よう」
菊月の布団へ一緒にもぐりこんだ弥生は、ことりと眠りに落ちて行った。
菊月は弥生の寝顔を確認すると、うむと頷いた。
弥生が睦月部屋になると聞いた菊月は、ずっと弥生の事を心配していた。
相部屋だった時、菊月が一番文月の洗礼を受けていたからである。
睦月部屋の引き戸は開け閉めするときゅいっと音が鳴る。
夜中に開けるのは起こされた弥生だけなので、その音がすると迎えに行く。
でないと弥生は朝まで廊下に座って空を見つめている。
遠慮しなくて良いと言ってるのだが、誘わないと入って来ない。
「まったく、手のかかる姉だ」
菊月もまた目を瞑った後、すぐに静かな寝息を立て始めた。
一部矛盾した点があったので書き換えました。