陸奥の工房、昼。
眠い。
工房の自分の席で、弥生はしょぼしょぼする目をそっと擦った。
寝不足が最近積み重なってきている。
宝石は中には1cm近い大きさの物もあるが、大概は2mm程度の粒である。
従ってほんの少し手元が狂えばカットの仕上げが悪くなるし、一切取り返しがつかない。
むんと気合を入れ、眉間に皺を寄せる。
その方が眠気が飛ぶような気がするからだ。
それでも、今日のノルマは楽なものにしようと思った。
見学者に渡すお土産用のキーホルダーを補充しておこうか。
あれなら大きいし、宝石にならないと判断した原石を動物の形とかに磨くだけだ。
サファイアのカットに比べれば失敗しても笑って済ませられるし、磨く練習にもなる。
最近、毎週のように深海棲艦の見学会が開かれる。
いっぺんに何十体も来る訳ではないが、足りなければ可哀想だし、多めに用意してあげたい。
電動砥石を動かし、ストーンの研磨に入って行く。
荒研ぎまでは先日済ませてあるが、今日の出来も仕上がりを左右する大事な工程だ。
1つ、また1つと削って行く。
ドルドルドルという回転音は単調で眠気を誘う。
眠い。
その時。
カランコローン、カランコローン。
入口に吊るしてあるドアベルが鳴った。
弥生が電動砥石のスイッチを切って振り向くと、羽黒が立っていた。
「あ、あの、お出かけ用に小さなブローチが欲しくて、その」
陸奥がにこりと微笑んだ。
「それなら弥生が幾つか作ってたわ。見てみる?」
「あ、はい。お願いします!」
弥生は作っていたブローチをケースごと盆に載せると、羽黒の近くのテーブルに持って行った。
「わぁ、可愛い」
羽黒は楽しそうにブローチを眺めていたが、弥生が眉間に皺を寄せてるのに気付いた。
「・・・あ、あの、何か気に障るような事してしまいましたか?」
「弥生・・怒ってなんかないですよ?」
「ご、ごめんなさい」
「だから・・怒ってないんですって・・もう、そんなに気を遣わないでください」
陸奥は首を傾げた。
弥生は確かに普段から無表情だが、今日はかなり怒ってるように見える。
羽黒が怯えるのも解らなくはない。
「あら、あらあら」
陸奥は羽黒が帰った後、弥生に訳を尋ねた。
弥生はしばらく躊躇っていたが、やがてぽつぽつと寮の近況を話して聞かせた。
陸奥は同情的な眼差しで答えた。
「幾ら文月ちゃんでもお腹の上に乗られたらしんどいわよね」
弥生は黙って頷いた。
「確かに部屋割り上は仕方ないんだけど、毎晩だと仕方ないでは済まないわよね」
「・・・でも、睦月達とお喋りするのは、好きなんです」
「同じ部屋だからこそ喋れるって事はあるものね。私も長門と同室だから解るわ」
「・・一人部屋は、きっと寂しいと思う」
「そうね・・・部屋は一緒だけど安眠を確保する方法、か」
「・・わがまま、かな」
「そんな事は無いわ。きちんと寝る事は大切よ」
「・・・」
「で、昨夜はそのまま寝直したの?」
「いえ・・・隣の菊月が寝床を貸してくれたので、一緒に寝ました」
「それは初めて?」
「いえ、何度か貸してくれてます」
陸奥はポンと手を打った。
「じゃあこんなのはどうかしら?」
「別に、構わないぞ」
夕食の後、弥生は菊月達の部屋を訪ね、菊月に陸奥から聞いた策を打ち明けた。
起きてる間は睦月部屋に居るが、寝る時だけこっちで寝かしてもらえないか、という事である。
先に相談した睦月も薄々自覚していたので、
「その方が良く眠れるなら、夜だけバイバイですね~」
と言ってくれたし、文月や皐月も
「寝てる間に迷惑かけてしまってごめんなさいです~」
「僕もどうやって攻撃を避けてるのかさっぱり解んないからね、力になれなくてごめんね」
と、気持ちよく送り出してくれたのである。
その夜。
布団をえいこらさと抱えて来た弥生は湧き上がる安堵感に自分で驚いていた。
こんなにも安眠を楽しみにしていたのか、と。
「お、お邪魔・・します」
「皆の布団は窓側に寄せておいた。布団一組はそこに何とか入る筈だ」
弥生は頷いた。多少布団が入りきらなくても全然問題無い。解決出来る物の方が遙かに大きい。
気持ち的には寝袋でも構わないくらいだ。
「ありがとう、皆」
弥生がぺこりと頭を下げると、如月がニコニコして言った。
「同じ睦月型の姉妹なのですから遠慮は要りませんよ。さ、皆も目覚ましをかけましたね?」
菊月がチラッと如月の目覚ましを見て、パチンとスイッチを上げた。
「あ、あら。言ってる本人が上げてないのはダメですね」
「構わない。助け合えば良い」
「では皆さん、おやすみなさいませ」
「おやすみ」
「うむ」
「・・おやすみ」
弥生は安堵と共に1つ大きく深呼吸をすると、あっという間に眠りに落ちて行った。
「ひえぇぇえええ・・・遅刻!遅刻ですにゃ~ん!あれ~!?」
隣の部屋の絶叫で目が覚めた菊月は、もぞもぞと枕元に置いた時計を手に取った。
睦月姉はたまに寝ぼけて夜明け前なのに遅刻だとか騒ぐ事があるからだ。
布団の中に引っ張り込んだ時計を見た途端、菊月は目をパチパチさせた。
「・・・なっ、なにっ!?」
何度見ても朝食時間終了5分前。普段起きる時間を55分も過ぎている。
食堂までは全速力で走っても5分かかる。食べる時間が無いからもう無理だ。
菊月は必死に記憶を辿った。
昨晩もいつも通り、皆で確認して目覚ましを掛けた・・筈だ。
自分のアラームスイッチも確認したし、如月のアラームをONに上げたのも覚えている。
だが、時計のアラームボタンはしっかりオフになっている。いや、それどころじゃない。
「み、みんな!起き・・・・」
がばりと布団を開けた菊月は、かくんと顎が下がった。
そこには望月の目覚ましに手をかけたまますやすやと眠る、文月の姿があったからだ。
「ごちそうさまでした~」
睦月型全員大寝坊で朝食を食べ損ねるという珍事に宿直当番だった神通は溜息を吐きながら、
「さすがに、これは提督に報告しないとだめですよ・・」
と言い、全員で提督室に出頭するよう命じた。
そのまま提督室に向かい、睦月と菊月が事情を説明して謝ったところ、提督は苦笑しつつ、
「珍しいなあ。間宮に何かないか聞いてくれないか。少しでも食べないと辛いだろう」
と、特に咎めもせず、本日の秘書艦である扶桑に命じた。
そして応接コーナーで、睦月達は卵かけごはんを2杯ずつ食したのである。
睦月達は駆逐艦の中でも燃費が良いので、これでも十分お腹一杯になるのである。
どこかの誰かさんに聞かせ・・いえ、なんでもありませんよ赤城さん。