夕張の招待に虎沼が応じて相談に来た日。提督室。
「御無沙汰しております」
「こんにちは、提督さん」
虎沼と恵の挨拶を受け、提督がにこりと笑った。
「お二人とも元気そうですね。さぁどうぞどうぞ、おかけください」
応接コーナーには文月、加古、古鷹、最上、そして夕張が座っていた。
「・・・攻撃まで回避して自動運行出来る船なんて、あるんですか?」
「別用途ですが、太平洋上で多数の運行実績があり、1度も轟沈していない船です」
鎮守府に招かれた虎沼は、危うく飲みかけのオレンジジュースを吹き出す所だった。
かつては物資輸送の主役だった海運。
深海棲艦の出没以来、外洋、それも特に主戦場と被る太平洋航路は完全に遮断されていた。
危険を承知で出航するのは近海向けの漁船と小型貨物船位で、極少数に留まっていた。
それでも毎日のように深海棲艦による襲撃と犠牲になった船のニュースが流れている。
そこに以前よりは高額だが、今となると格安で安全な海運手段が戻ってくるとなれば。
「プランは良く解りました。私の役割は?」
「対外的な窓口を行う前提で、事業参画のご判断と航路選定をお願いします」
「なるほど。ふむ、まずは事業の可能性を・・」
虎沼は資料を見ながら傍らの恵に向かって話しかけた。
「やるならこうだよなあ」
すると、恵は鞄から資料を取り出し、見ながら答えた。
「そうね、こうすれば良いと思う。最初は知名度も低いから、この分野を足掛かりに」
「なるほど。それならこの航路か」
「そうだね」
夕張は目を細めた。
「恵ちゃん、すっかり虎沼さんの片腕になったね」
すると、少し大人びた恵は頬を染めると、
「お父さんを無理させたら可哀想だと思って手伝ってたらいつの間にか、ね」
「ちょっと背も伸びたよね」
「ちょっとだけじゃないよ、3cmも伸びたんだから」
虎沼が顔を上げた。
「良いお話だと思います。航路は太平洋、米国西海岸と日本の間で始めてはどうでしょう?」
文月は頷いた。
「はい。私達もそこを皮切りにする事を念頭に置いておりました」
「では造船、給油、修理については鎮守府で」
「受注、運航差配、荷の積み下ろし、請求と債権回収は我々で」
文月がさらっと続けた。
「それで、利益の配分比率ですが」
途端に虎沼は眼鏡をくいっと上げ、恵の目がきらりんと光った。
「一番の、問題ですな」
文月がふふっと微笑んだ。
「その通りです」
虎沼は文月をじっと見た。
「まずはご提案を伺いましょう」
文月は真っ直ぐ見返しながら言い切った。
「我々7、そちらが3で」
文月以外の艦娘と提督は内心「酷くない?」と思ったが、黙っていた。
虎沼が眉をひそめた。
「んーーーーー」
片目を瞑って考えていた恵は虎沼に二言三言囁き、虎沼が頷いた。
「あ、荷物の保障は鎮守府側で宜しいですね?」
文月が途端に苦々しい顔になった。
「・・・ロイズとの交渉はそちらでお願いしたいのですが」
ロイズとは、イギリスにある海運関係の保険取引を扱う市場である。
出航する民間船は必ずロイズで保険をかけ、事故時はこの保険金で支払う。
保険が使われなければ投資者の利益になる。だから投資者にとっては賭博場である。
だが、海運保険はあまりにも事故が相次いでおり、バクチ過ぎて誰も出資したがらない。
保険として成立させ、かつまともな掛け金にするには特殊な交渉術が必要とされる。
当然虎沼は知っており、慣れた分野だが、3割なら受けかねるという事である。
虎沼はメガネを外して布で拭きつつ、わざと弱々しい声を上げた。
「いやぁ、掛け金も日を追う毎に上がっておりましてねぇ・・」
しかし、文月は恵を見つめると、にこりと笑い、
「人間に戻ってから、体調とか御変わりないですか?」
途端に虎沼の眼鏡を拭く手が止まり、渋い顔になった。
恵が養子になった経緯と我々への恩義を忘れてないよな、という意味だからである。
「む・・むむむむむ」
「難しいですね・・」
重苦しい4分半の沈黙の間、恵と虎沼は机の下で指でやり取りを交わし、
「ロイズは我々とするならば、取り分は我々3.5、そちらが6.5で如何?」
だが、意外にも文月は小さく首を振り、
「私達が6、そちらが4で良いです」
意外な申し出に、虎沼は警戒を解かないまま答えた。
「・・良いんですか?」
文月は上目遣いに虎沼を見て、ニヤリと笑った。
「代わりに、港湾荷役全般をお願いします」
「ぐっ・・解りました」
港湾荷役とは、簡単に言えば港で起こりうる全ての作業を指す。
荷の積み下ろしは勿論、船内清掃、ヤードへの輸送、果ては港湾役所への付け届け。
果ては停泊期間中に台風が来た場合、沖合いに避難させるタグボートへの手間賃等も含まれる。
その時携わる港湾労働者や業者の腕次第で高くも安くもなるバクチ的な費用だ。
虎沼は勿論知ってるが、面倒な事この上ないので黙っていたのである。
文月は決定事項を契約書の特記欄にさらさらと書きこみ、提督に署名させると、
「では、ご署名を」
と言って虎沼に差し出したのである。
提督がサインして手渡した事で土壇場の一押しを封じられた虎沼は黙ってサインした。
契約書を返しながら虎沼がニヤリと笑った。
「お嬢ちゃん・・見かけによらず豪腕だね」
文月はくすっと笑った。
「虎沼さんには敵いません。安心してお任せ出来ます」
「ふっふっふ」
「うふふふふ」
提督は苦笑するしかなかった。
文月の交渉術はもはやグローバルビジネスレベルなのではなかろうか。
見ていて全然不安にならない。鉄板の安定性だ。
それから1年が過ぎた。
太平洋航路の復活。
その報せは瞬く間に米国と日本の中を駆け巡った。
攻撃の回避機能を持った自動航行する小型貨物船。
船としては少量だが他手段より格安とあって、虎沼海運の受付は連日パンク状態だった。
船は増設に次ぐ増設を重ね、既に就航数は90隻を数えていた。
その全てが無事故とあって、保険料も「虎沼プレミアム」として破格の待遇を受けた。
虎沼海運は今までの事業をすべて清算し、この海運事業に特化。
虎沼はかつての同僚等に声を掛けながら、少しずつ従業員を増やしていったのである。
一方、鎮守府では。
「加古、予定通りNO16と38が来たよ。入渠お願い」
「あいよ~古鷹、NO16を第4クレーンで釣り上げる~」
「はーい」
貨物船の整備は加古と古鷹で行っていた。
最初は給油もメンテナンスも全て引き受けていたので、ドックには常に数隻存在していた。
ただ、船の多くは給油だけなので、文月と相談し、アルバイトを募集した。
「港での給油作業!半日で2万コイン!手を貸してください!」
しかし、このなり手が少なかった。その後3万コインまで上げたが変わらなかった。
何故かを説明するより、夕張と島風がこのバイトを終えた直後の控室を見てみよう。
「・・げほっ、げっ」
「ハードだよねぇ・・島風、腕も足もパンパンだよ。夕張ちゃん・・うん、ダメだね」
「は・・半日で・・2万コイン稼げるって・・割が良いと思ったんだけど」
「普段簡単に入渠とか補給とか言ってるけど、妖精さんに感謝だよね」
「補給用の燃料ホースの微調整がこんなに腰に来るなんて思わなかったわ」
「ホース固定用のレバーも結構重いしね・・・」
「何とかなんないのかねー」
「お、終わって・・喋るのもしんどいって・・結構なもんよね」
「うん。お風呂入る?」
「むしろ・・入渠したい」
「そうだね・・小破くらい行ってそう」
「バ、バイトは・・文月ちゃんので良いや・・」
「だね」
というわけで、最初は集まったバイトもすぐ集まらなくなってしまったのである。
加古達の苦境を見かねた長門や金剛姉妹、重巡達も手伝ったが、焼け石に水であった。
船は増える一方で、計30隻を超えた時点で無理と判断した二人は文月に相談。
虎沼側と再交渉を行い、給油業務を虎沼側に移し、虎沼5、鎮守府5の割合で妥結した。
文月が交渉後、提督に報告した内容では、
「今回で加古さん達と打合せた比率通りです。1回目を高めに妥結しておいて正解でした」
一方で虎沼側も給油毎に鎮守府まで往復する分の燃料を節約したいと思っていた。
つまり互いに丁度良かったのだが、再調印の席上では互いに渋い顔をしながら、
「抜き差しならぬ事情ゆえ、こちらが運営出来るギリギリの妥結点とさせて頂きました」
「我々も今後大変ではございますが、御恩のある方がお困りとあらば何とか致したいと」
まさに狸の化かし合いである。
交渉後は故障対応だけとなり、二人の負荷は週に1~2隻というペースに落ち着いた。
現在は週3隻位だが、ちゃんと休みも取れているようである。
で。
鎮守府側にもたらされる利益を手にしているのは加古と古鷹の二人である。
その3%は自動的に文月の懐に入るとはいえ、母数が莫大であり全く痛くも痒くもない。
そもそも、加古も古鷹も艦娘としての収入で充分生活出来ているのである。
この話を聞いた提督は
「自分で考えて汗かいて稼いで役立ってるんだから立派な仕事です」
と、時折様子を見に来ては、わしわしと二人の頭を撫でて帰って行く。
加古は現状に満足していた。以前の鎮守府とはまるっきり違う。
自分の考えが皆の力添えで実現し、納得して働き、提督が褒めてくれる。
時折涙が出そうになる位嬉しかった。
古鷹もやっと来てくれた妹と毎日過ごせるのが楽しくて嬉しくて仕方が無かった。
だから、二人は稼いだ金には執着しておらず、相談した結果2つの事をした。
1つは加古が最上と夕張の所に行き、
「装備開発で欲しい物があったら買ってきなよ。支払いは任せな!」
と言った。二人はとても喜んだ。
ちなみに夕張が
「フィ、フィギュアやブルーレイも、その、娯楽の研究開発の一環だから・・あのね」
そう言いかけたが、
「そこは自腹でよろしくぅ♪」
と、軽く却下されたそうである。
一方の古鷹は間宮の売店に行き、間宮に
「これからは売店で皆が買うお菓子の代金は、私達がお支払いしたいのですけど」
と申し出た。
「だ、大丈夫なんですか?これが先月の売り上げですけど」
間宮が見せた帳簿を古鷹はチラリと見て、
「はい。ご心配なく!」
と言ったが、再び帳簿をじっと見て
「・・・ボーキサイトおやつ、凄い売上げですね。良いですけど」
と、苦笑しながら頬を掻いた。
間宮は
「それでは皆が感謝を忘れないように、値札はそのままにしましょうね」
そう言うと、レジの後ろの壁に
「お菓子の代金は古鷹さんと加古さんが払ってくれるそうです 間宮」
と、書いた。
お菓子の話題には敏感な艦娘達である。
この話は瞬く間に鎮守府中に知れ渡り、さすが重巡の天使は一味違うと言われた。
「え、え、そんな徒名があったんですか?て、天使じゃないです・・」
古鷹は耳まで真っ赤になりながらそう答えたそうである。