ル級の一言に硬直した長門は、搾り出すように声を発した。
「・・な・・に?」
「ヘ?」
「い、1万・・だと・・?」
ル級は肩をすくめ、両手で説明し始めた。
「ダッテサ、週ニ1回美味シイカレー出シテクレルシ」
「う、うむ」
「鎮守府近海デノ軍閥争イハ徹底的ニ御法度ニナッテルシ」
「陸奥が指示したのが今も有効なのか・・まぁそうか。条件が変わってないしな」
「至近距離ニアル鎮守府ハ攻撃シテコナイシ、鎮守府ガアルカラ他ノ鎮守府ノ艦娘ハ来ナイシ」
「そうだな。わざわざ他の鎮守府の近海で戦闘したりはしないな」
「コウシテ艦娘トモ普通ニ話セルシ、希望スレバ艦娘ニモ人間ニモ戻シテクレルシ」
「うむ。日に100体近く戻しているな」
「海ハ暖カクテ綺麗ダシ、食ベ物ニハ困ラナイ」
「南国だし、魚貝類は豊富だな」
ル級は肩をすくめた。
「コンナ平和ナ楽園カラ、誰カ出テ行クト思ウ?」
「・・そうだな」
「確カニ艦娘トカ人間ニナリタクテ来ル子モ居ルシ、ソウイウ子ハ短期間デ居ナクナルケド」
「うむ」
「私ミタイニ、居心地良クテ居着イチャウ子モ居タリスルノヨー」
「そうか・・」
「大勢ニナッタカラ、カレーモ抽選制ニナッチャッタケドサ」
「抽選?」
「全員デ毎週押シカケタラ摩耶サン過労死スルデショ?」
「1万食はさすがに用意出来ないだろうな・・」
「ウン。ダカラ摩耶サン達ノ様子ヲ見テ、毎回500名限定ニシタノヨー」
「そうか。そっちで秩序を保ってくれていたのか。礼を言う」
「コッチモ末永ク食ベタイシー」
「競争率20倍か、厳しいな」
「ウウン、100倍ダヨ」
長門が眉をひそめる。
「うん?1万人居て500名だから20倍ではないのか?」
「エットネ、抽選枠ハ毎回100名分ナノヨー」
「ほう」
「残リノ枠ハ、外レ続ケタ人ノ救済枠」
「救済枠?」
「抽選ハ週ニ1回クジ引キチデヤルンダケド、ソノ外レ券50枚デ抽選ナシデ1回食ベラレル」
「ほう」
「ダカラソノ人達ノ枠ニ400名分ヲ割リ当テテルノサ」
「優しいな」
ル級は首を振った。
「デナイトサ・・凄マジク険悪ナ抽選会ニナッチャウノヨ・・」
「な、なるほど」
「最初ハ半々ダッタンダケド、順番待チガ長スギテネ・・・」
「そもそもハズレ50枚って、ほぼ1年外れたって事だよな・・」
「ソウナルネ。デモ外レ10枚ナンテアットイウ間ニ溜マッチャウシ」
「いっそ単純に順番待ちでも良いんじゃないか?」
ル級が真っ青になって手を振った。
「ダメダヨー」
「なんでだ?」
「受付ノ子カラ必ズ「食ベラレルノハ半年先デス」ッテ言ワレルンダヨ?」
「そうだな」
「クジ引キナラ、運ガ良ケレバ今日食ベラレルカモシレナインダヨ?」
「ま、まぁそうだが」
「少シデモ希望ガ無イト、食券争イデ内紛ガ起キチャウヨー」
「そうか・・」
「皆デ喧々囂々ノ大論戦ノ果テニ、救済策付ノ抽選ッテ事デ決マッタンダヨー」
「凄いな」
「1ツノ組織ジャナイ深海棲艦同士デ、コレダケ話シ合ウ海域ハ世界デココダケダヨー」
「他ではどうなるのだ?」
ル級は何を今更という風に首を傾げた。
「拳デ語ルカ、実弾デ決着付ケルト思ウヨ?」
「それに比べれば平和だな」
「イ級ガ、レ級ニ意見ヲ言ウナンテ、他所デハアリエナイ。初メテ見タ時ハビックリシタ」
「なるほどな」
「ウチラハ、カレー民主主義ッテ呼ンデル」
「本当にカレーが食べたいんだな」
「餓エナイノハアリガタイケド、魚貝類バッカリダト飽キテ来ルンダヨー」
「甘味はどうなんだ?」
ル級がピタリと動きを止めたので、長門は心配そうに声を掛けた。
「・・ど、どうした?」
「・・ソウダネ。艦娘ニ戻リタイナッテ唯一想ウノハ」
「う、うむ」
「お菓子ヲ思イ出シタ時ダネ!」
「涙目になる程か!」
ル級はバタバタと腕を動かした。
「ダッテ!海底デ甘味ナンテ一切ナイモン!塩味100%ナンダモン!」
「そこまでボロ泣きしなくても良いじゃないか」
ル級はがくりと肩を落とした。
「アー、シュークリーム食ベタイナー」
「・・うん?」
「艦娘ダッタ頃、1度ダケ司令官ガ喫茶店で奢ッテクレタノヨー」
「シュークリームを?」
ル級は夢を見るようなうっとりとした表情で答えた。
「ウン。美味シカッタヨー。死ヌマデニ、モウ1回ダケ食ベタイヨー」
長門がうちで作れるかもと言おうとした時、はめていた腕時計のアラームが鳴った。
朝食開始10分前のアラームだった。
「あぁ、もう行かねばならないな」
「オ仕事大変ネー」
「ありがとう。では、またな」
「ジャーネー」
長門はル級と別れると、見回りのルートを再び歩き始めた。
確かに、こうして見ていても視界のあちこちに深海棲艦が見えてはいる。
その深海棲艦達はこちらに手を振ったり、兵装を外して遊んでいたりと至極牧歌的である。
出撃先で見る敵意剥き出しの深海棲艦達と同じ外見だから昔は違和感もあったが、今は慣れた。
長門はチ級に手を振りかえした後、顎に手を当てた。
戦う必要が無く、艦娘と共存するこの場所を楽園と呼ぶ。
楽園を守る為に長い事話し合ってルールを作り、我々にも気を遣う。
深海棲艦=好戦的と断ずるのは、「人間は野蛮」というが如く大雑把過ぎるのではないだろうか?
長門は工廠の角を曲がった。今日も敵は見えず。ただし要報告事項あり、だな。
いずれにせよ、あのル級がそこまで統括しているなら、1度礼を考えるべきだろう。
提督に報告のついでに相談してみるとしよう。
それにしても朝食のアラームが鳴ってからだいぶ経ってしまった。
陸奥はまだ寝てるのだろうか?
「さすがに起きてるわよ」
長門は引き戸を開けながら陸奥を起こすべく声を掛けたが、陸奥は着替え終わっていた。
「起きたばかりだろう?」
「そ、そんなこと無いったら!」
だが、長門は自分の後頭部を指でつんつんと突いた。
「・・なによ?」
「寝癖。直したら食堂に行こう」
陸奥は慌てて鏡の前に駆け寄る。
「あ、あらあら。ん?そっか。今日は当番か」
「そうだ」
当番とは、もちろん秘書艦当番の事である。
普段、長門は陸奥と一緒に食事する。
だが秘書艦の時は朝食を持って提督室に行き、提督と一緒に食事を取ってから仕事を始める。
陸奥はニッと笑った。長門が秘書艦当番を楽しみにしているのは良く知っている。
「デートの時間を削っちゃ悪いから、すぐ直すわね」
長門は頬を染めながら返した。
「ば、馬鹿者。ちゃんと直せ」
「はーいはい」
「まったく」
陸奥は長門とほぼ同時期に着任したのだが、1度轟沈して離れ離れになった。
その為、長門はLV100を超えているが、陸奥はLV99にもまだ程遠い。
とはいえ深海棲艦時代に鍛えた戦略立案能力は秀でており、第1艦隊に復帰している。
縁あって戻って来てくれた妹は大事にしたいし、沈めた事に対する罪滅ぼしをしたい。
それは提督も同じ思いゆえ、第1艦隊所属でありながら宝石工房を許しているのである。
だが、朝食ギリギリまで寝るのを許すのは、ちと甘やかし過ぎているか?
「さ、行きましょ、姉さん」
にこっと笑う陸奥を見て、どうしたものかと思いながら長門は苦笑した。