ふつ、ふつ、ふつ。
柔らかな肉は程よくタレを含み、食べ頃である事を告げている。
糸こんにゃくや春菊が良い茶色に染まっている。
豆腐がくつくつと揺れ、ネギもくたくたに煮えている。
全員が箸を持ち、ごくりとつばを飲み、今か今かとその一言を待つ。
鳳翔が豆腐を返してにこりと笑うと、言った。
「火が通りましたよ、さぁどうぞ」
この一言の間に、第1回戦の勝負はついた。
「火」と言った時、同じ肉の両端をビシッと掴んだのは文月と三隈。
二人はそのまま一歩も譲らなかったので綺麗に二つに裂けた。共倒れである。
火花散る2人の箸を掻い潜り、下にあった小さめの肉を救出したのは夕張と島風。
結果的には文月達より大きかったので作戦勝ちである。
「ましたよ」と言う頃には提督と睦月が豆腐を卵に浸し、
「さぁ」の頃に東雲が皆の隙をついて大きな肉を引き寄せた。
一方、激戦地を避けてひょうひょうとネギと春菊をつまんだのは最上である。
「どうぞ」の頃に長門が苦笑しながら糸こんにゃくをつまみ上げた。
どうぞという前に中身の半分近くが消えているではないか。
ほふほふと言いながら、提督が続いて僅かに顔を出していた肉をつまんだところ、
「あー!」
「それはー!」
「みー!」
「お父さぁん!」
という声が被ったが、提督はふふんと笑いつつ引きあげた肉を卵にくぐらせると、
「ほれ、あーん」
といって長門に食べさせたのである。
不意打ちを食らった長門は反射的に食べてしまったが、食べながら顔を真っ赤にした。
こ、この席で、あーん、か・・
案の定、
「うーわー!ここで!ここでやっちゃいますかにゃーん!」
「凄いね提督!敵なしだね!」
「むしろ全方位に敵って感じですけど」
「ひゅーひゅー!」
と、熱い声が飛んで来たのである。
ちょっと照れながらひょいひょいと新しい肉を入れつつ、提督は
「東岸は調理に入るから、西岸から食べなさい」
と、菜箸で豆腐を仕切りのように動かしつつ言った。
最上が聞いた。
「提督って鍋奉行?」
提督は菜箸を動かしながら答えた。
「どうだろうねえ。率先してはやらないけど、誰もやらないならやるよ」
「このメンバーなら間違いなく提督の出番だね!」
「あー、皆、喰い専か。お、春菊欲しい人~」
「はいっ!」
「げっ!取られた!」
「その糸こんOKだよ」
「頂きにゃーん」
「その豆腐行ける・・はいよっと」
「何で東雲ちゃんだけ取り分けてあげたんだい?」
「背が低いから挑みにくいでしょ?」
東雲がふるふると首を振った。
「水平線上に良い色の肉の影が見えたら、掴みます」
「肉オンリー?!」
「そういえばさっき大きい塊持って行ったわよね!?」
「他は見えません」
「じゃあ野菜食べなさい。ほれネギ」
「むー」
「好き嫌い言わないの。ほれ、糸こん」
「あうー」
だが夕張は東雲の僅かな表情を見逃さなかった。
「はっ!提督!それは罠よ!」
「へ?なんでだい夕張?」
「まんじゅう怖い作戦よ!」
「・・チッ」
ぎょっとした顔で睦月が東雲を見た。
「し、東雲ちゃん、今舌打ったにゃーん?」
「黙秘します・・頂き」
「ああっ!その肉狙ってたのにー!」
「いーから喧嘩しないの。ほれ」
「ぎゃああああ!その肉は僕が育ててたのにー!」
「提督、それはあまりにご無体ですわ!」
提督は溜息を吐きながら新しく肉を乗せ、タレを足した。
「じゃあこれは最上の、ね」
恐ろしい勢いで肉が無くなっていくなあ・・うん?
「ねぇ、南岸のこの辺に肉無かった?まだ生煮えだったと思うんだけど」
「げふっごふっ!まだ生だったんですの!?」
「三隈かい!?意外だな・・」
「ふっ・・すき焼きと焼肉はチキンレースです」
「そこまで瞬間を争いなさんな、文月さんや」
「お父さん、甘い事言ってると一切れの肉も食べられませんよ?」
「殺伐としてるなあ」
「頂きにゃーん!」
「・・確かに煮えてたけど、煮えたか煮えてないかギリギリだったよね睦月さん」
「文月の箸の速さは良く知ってますにゃーん」
「しくじりました~」
「手の内を知ってる姉妹同士は怖いね。骨肉の争いだね」
そこに、肉の皿を手に鳳翔がやってきた。
「さぁさぁ、そろそろお肉を補充しましょうね~」
「やった!」
「解ってますね!」
「さすが鳳翔さん!」
「提督、さぁどんどん入れてくださいな!」
三隈に急かされ、提督は苦笑しながら答えた。
「あー、肉どころか最初の豆腐一切れで終了って感じだな」
その時、最上が長門をつつき、耳元で囁いた。
「西岸の糸こんの6mm下に肉があるよ、提督に食べさせてあげたらどうかな?」
長門がボンと真っ赤になりつつ、えいやと箸を延ばす。
ガシイイン!!
「・・凄い瞬間を見たなあ。長門が肉を掴み、最上が島風の箸をブロックしたか」
「邪魔されたー!」
「協業!?」
だが、長門は肉を鍋の中で押さえたままふるふると震えている。
「どうした長門?早く引き上げないと焦げちゃうぞ?」
長門は艦隊決戦の夜戦もかくやという程にギッと提督を睨むと、
「てっ!提督っ!」
「な、何?どうしたの長門?」
「あ、ああああ、あーん!」
と言いながら、ぎゅっと目を瞑りつつ、提督の口に渾身の力を込めて肉を押し込んだ。
果たして肉は提督の口に入ったが、刹那の沈黙の後。
「あ・・・あっひゅいーーーーー!!!」
突然の熱さに目を白黒させる提督の口に、夕張が慌ててコップの氷水を流し込む。
「て、提督!ほらお水お水!」
「おぶっ!んがぐぐ!」
文月が二人を引きはがす。
「な、何やってるんですか!自分で飲まないと気管に入っちゃいます!」
「げっほ!げっほげほげほ!」
「大丈夫ですか提督、御手拭をどうぞ?」
「す、すまん。げふっ」
修羅場と化した提督の一帯を、長門はしゅんとした顔で見ていた。
私はどうしてこうなのだろう。
ああいう女らしい行動はどうやったら取れるようになるのだろう。
「丸餅を9個、うどん玉4つをお願いします」
「解りました」
大騒ぎのすき焼き合戦もそれぞれのお腹が満たされるにつれて静かになり始めた。
まだ箸が進んでいる段階だったが、提督は鳳翔に締めのオーダーをしたのである。
ゆえに夕張は首を傾げて聞いた。
「まだまだ行けちゃいますよ~?」
「その位に始めておいた方が良いんだよ」
島風がオーダーを思い返して尋ねた。
「提督、どうして丸餅なんて頼んだの?」
「お楽しみシステムに化けるからです」
「お楽しみシステム?」
島風が首をかしげていると、鳳翔がやってきた。
「お待たせしました。おうどんとお餅です」
「おっ、ありがとう」
提督は鳳翔から皿を受け取った後、ふと長門の箸が進んでない事に気が付いた。
「なーがと?どうした?」
声をかけられた長門はびくりと反応した。
「あ、い、いや」
「ん?卵足すか?」
「いや、そうでは、ない」
「どうしたの?」
「あ、あの、提督、さっきはすまなかった」
「もう何度も謝ってくれたじゃない。気にしてないよ」
長門は提督をじっと見た。
「・・口の中、火傷して痛いのではないか?」
「ん?なんでそう思う?」
「提督、ずっと食べてないじゃないか」
提督はちらっと長門を見返して苦笑すると
「まぁ、その、ちょっと沁みるね」
「だから一緒に、我慢する」
提督はうどんと餅を鍋に投入しつつ微笑んだ。
「いいから食べなさい。今日は東雲の慰安の席なんだから、明るく祝ってあげなさい」
長門は提督の肩にコツンと頭を当てた。
「どうして私は、ガサツというか、女らしくないのであろうな」
提督はうどんにタレを絡めた後、箸を置いて長門を見た。
「誰がそんな事を言ったんだい?」
「誰も言わぬが、自分でそう思う」
「たとえば?」
「先程も、その、上手に出来なかったし」
「うーん」
「その後の対応も、夕張や、文月が上手にやってくれたから良かったが・・」
「え、あれ、もう少しで溺死する所だったんだけど?」
「私はああいう時、おろおろするばかりで何も出来ぬのだ・・」
「・・」
提督は黙ってぽんぽんと長門の頭をゆっくり撫でていた。