長門は優しく提督の肩をもみながら囁いた。
「提督、先程はすまなった。説明を聞く前から声を荒げてしまった」
「当然の反応だよ。誰もが次の海域に全力で取りかかっていたのだからね」
「だが、説明を聞いて納得した。そして私もまた、沈んだ子達の事を失念していた」
「・・」
「気さくな山城、世話好きな叢雲、真面目な神通、思慮深い日向」
「・・」
「そんな仲間の1人でも失えば、討伐が終わった後も長く尾を引くだろう」
「・・うん」
「大破だろうが、疲労困憊だろうが、轟沈さえしていなければ間に合う」
「うん」
「間に合う段階で、提督が中止を決断してくれたのだ。感謝こそすれ恨む気持ちは無いぞ」
「・・長門」
「なんだ?」
「もし司令官が変わっても、皆を守ってやってくれ。どの司令官も間違いを犯すものだからね」
「弱気に過ぎぬか?」
「これから大本営に告げる事を考えれば、弱気にもなるよ。さて、と」
「どうした?」
「やる事をやるよ。通信棟に、行こうか」
「私も行く。第1艦隊旗艦としてな」
「・・止めても無駄だね?」
「あぁ」
「じゃあ伊19さん、ちょっとここに居てね」
「はぁーい」
伊19は生返事を返した。
書類の文章が回りくどいし、資料という資料が絡まって非常に読み辛い。
「なんなのね、これ。暗号か何かと間違えてるのね」
「中将は只今作戦会議中ですので、折り返しとさせて頂きます」
「解りました。終了目処は解りますか?」
「間もなく終わる予定ですが・・その」
「紛糾している、という事ですかね」
「・・その通りです。ですからしばらくかかるかもしれません」
「解りました。我々は御待ちします。通信は切って頂いて結構です」
「すみません。なるべく早くご連絡します」
「お願いします」
通信のスイッチを切った提督は大きな溜息を吐いた。
長門は提督に向いて言った。
「どうした?」
「あー、えっとね」
「うむ」
「ロシアンルーレットで引き金引いたら空だった感じ」
「・・なるほどな」
長門がくすっと笑った時。
ドンドンドン!ドンドンドン!
通信室の戸が勢い良く叩かれ、
「提督!長門!ちょっと待って!」
という龍田の声が聞こえたのである。
長門がドアを開けると、伊19を連れた龍田が入って来た。
「伊19ちゃんが、書類を解読してくれたのよ!」
「解読って・・どういうこと?」
怪訝な顔になる提督に、伊19が興奮気味にまくしたてた。
「この鎮守府の必須事項は、第1海域の攻略まで!なの!」
提督と長門は目を剥いた。
「えええっ!?」
「ど、どどどどういう事よ龍田さん!?」
「私もまだ詳しい事は聞いてないの、伊19ちゃん、教えて」
「イクで良いの。えっとね、この部分は、討伐全体の目的と必達目標が書いてあるのね」
「第4海域奥の主力艦隊と敵基地を攻め滅ぼす、とあるね」
「そうなの。で、この指示仔細第28条には、規模に応じて指定刻限までに指定海域を討伐の事とあるのね」
「そうだね」
「そして、付表41によると、ここはクラス6の鎮守府にカテゴリされてるのね」
「ええと・・そうだね」
「クラス6への指示は、付表22には無いのね」
長門が頷いた。
「そうだ。だからその情報は無視し、クラス4の指定に準じたのだ」
「そこが違うのね。付表22の注18に、付表22にないクラスは第56条に従って攻略する、とあるのね」
「・・・文字が小さ過ぎて読めん」
「い、いや、辛うじて読める。よく読んだねイクさん」
「イクで良いの。で、56条には、本項該当の鎮守府は攻略支援を目的として第1海域までの進撃で良しとあるのね」
龍田、長門、提督が一斉に56条に釘付けになった。
「・・ほ、本当、だ」
「指示書の解りづらさは相変わらず天下一品ね~」
「・・それなら私は、やっぱり君達から非難されて当然だよ。それを見落としてたんだから」
「その話は後なの!大本営に、何て言ったのね!」
「ま、まだ連絡してない。中将待ちだ」
「それなら良いの。クラス6の指定通り、第1海域の攻略を、指定刻限までに終えたって言えば良いのね!」
「・・・あ、そうか。・・そうだね」
「なんにも謝罪する必要はないの!胸を張って、終わった事を言えば良いのね!」
伊19がニッと笑った時、提督はぎゅっと伊19を抱きしめた。
「んにゃっ!?」
「ありがとう・・実は怖くてたまらなかった。助けてくれて、ありがとう。ありがとう・・」
伊19の肩に提督の涙が零れた時、通信機の呼び出しブザーが鳴ったのである。
「・・うむ、第1海域の攻略、ならびに伊19のドロップ、了解した」
「ありがとう・・ございます・・」
「ご、ご苦労だった・・本当に苦労したようだな」
「はい・・それはもう・・色々と・・」
「まぁ良い。皆でゆっくり休息し、充分英気を養ってから通常任務に戻りなさい。数日の休暇を許す」
「皆に・・伝えます。ありがとうございます」
「うむ。・・あー、いや、良いか」
「・・はい?」
「実はな、もう少し増援をという要請があって、クラス6でも余力がある者は海域2も頼んでいるのだよ」
「!」
「だが、まぁ、それだけ疲れた声をしてるのだ、提督の所は余力無しと報告しておく」
「ご期待にそえず、申し訳ありません」
「良い。所定の目的は遂行してくれたのだからな。では私は他にも待たせているので失礼するよ」
「はい・・では、通信を終わります」
ブツッ。
しーん。
数秒間、通信棟の中を静寂が支配した。
その後、提督が呟いた。
「終わった・・ね・・」
長門が頷いた。
「あぁ、結局私は横に居ただけだったがな」
「心強かったよ。ありがとう」
龍田がハッとしたように手を口に当てた。
「あ!じゃあ皆に海域2の進撃は元々要らなかったって伝えて来るわね!」
長門が頷いた。
「そうしてくれ。きっと龍田から言う方が皆納得するだろう」
「それはどういう事ですか長門さん」
「提督だとまた間違えてんじゃないだろうかと疑われかねないからな」
「ぐふっ」
「じゃあ急いで行ってくるわね~、えっと、全艦娘招集指示~」
提督はぐったりと椅子の背に頭を乗せた。
その提督の顔を、伊19が両手で優しく包むと、こう言った。
「イク、大金星なのね。提督のご褒美、期待しちゃうなのね~」
提督は一瞬目をぱちくりさせた後、笑った。
討伐が始まって以来、約2週間ぶりに心から笑うなと思いながら、笑った。
伊19はそっと手を離しながら、長門と肩を叩きあいながら笑う提督を見て思った。
ちょーっと涙もろいし頼りないけど、ちゃんと責任を取る優しい人、なの。
頼りない所は、しょうがないから、イクさん頑張っちゃうのね。
なお、提督が通信棟でスイッチを切った頃、真っ二つに割れた筈の板が元に戻った。
間宮さえ厨房に居り、誰も居ない筈の食堂のテーブルで、それは起こっていた。
直る瞬間を誰も見ていないのでどうやって戻ったのかはさっぱりだが、ヒビ1つ無く戻っていた。
龍田に呼ばれ、再び食堂に集められた艦娘達は、元に戻った板を見て愕然とした。
間宮を問い詰め、知りませんときっぱり言われた面々は理解した。
約束を忘れただけでこんな現象が起こせる何者かがここには居るのだと。
提督が言った事は大袈裟でも何でもなかったのだ。
もし、轟沈を頭を下げて防いだ提督の陰口でも叩こうものなら、それこそ強烈な罰が当たる気がする。
動揺した艦娘達は、そのまま実は第1海域の攻略だけで良かった事を告げられた。
その事を着任したての伊19がたった一人で解明したという事で、伊19は瞬時に人気者となった。
一方で、こんな解りにくい命令書があるかと、艦娘達は口々に嘆いたのである。
討伐作戦が終わった後、提督は古巣の117研究室に問い合わせた。
すると、本作戦での轟沈原因1位は過進撃による疲労轟沈だったと告げられた。
クラス6どころか10以下の小規模な鎮守府までもが第2、第3海域に突撃していたのである。
これには中将も首を傾げていたし、我々も不思議なのですと117研究室のメンバーは言った。
そこで提督は、伊19が指摘した事を伝えた。
驚いた117研究室は過進撃を命じた司令官に問い合わせたところ、全員が作戦指示書を誤解していた。
これにより、作戦指示書の記載方法について議論される事になった。
とはいえ、この不都合な事実は秘匿され、117研究室も提督も表立って評価される事はなかった。
ただ、数日の後、提督宛に大本営から小包が1つ届いた。
提督が封を切ると大本営で売っている焼き菓子が沢山詰められており、
「良い仕事をしたね。ハラショー」
というメモが添えられていたのである。
来ちゃいましたね。500話、150万文字オーバー。
でも、まだ大鳳建造のたの字も出てきてないですね。
ぶ、文庫本でも最後の一冊だけ、ちょいと分厚いというのは…よ、良くある事です。
い、いや、決して5章は15話位とか言ってた過去を誤魔化す為の言い訳じゃないですよ?(目逸らし)