艦娘の思い、艦娘の願い   作:銀匙

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エピソード67

ずっと昔の、ある日。

 

ヴェールヌイ相談役はまた一つ、腐敗による粛清を受けた鎮守府の顛末を記した報告書を読み終えた。

重い溜息を吐くと、部屋を抜け、階段を上がる。

途中、すれ違った事務官達は直立不動で敬礼するが、ヴェールヌイ相談役は一瞥しただけで歩き去った。

人間が皆、とんでもなく性悪に見えてくる。

どいつもこいつも面の皮一枚で笑っている悪魔なんじゃないか?

つかつかと廊下を大股で歩き、突き当たりにある温室に入る。

温室はむわっとするほどの熱気で出迎えた。

ヴェールヌイ相談役はこの温室の隅、巨木の木陰にひっそりと置かれたこのベンチが大のお気に入りだった。

ちょこんと腰掛けると、巨木から零れる日の光をぼうっと見上げる。

どうしてだ。

どうして私達艦娘は、ああも醜い争いをする人間の為に、命を賭けて戦わねばならないのだ。

むわりむわりと湧き上がる黒い疑問を押さえるように目を瞑る。

 

すぅーっ。

 

胸一杯に、熱帯植物が生み出したばかりの酸素を吸い込む。

 

はぁーっ。

 

肺の中にある息を全部吐き出す。まるでそうする事で苦しい思いが吐き出せるかのように。

ヴェールヌイ相談役はベンチにごろんと横になると、顔の上に帽子を被せた。

誰にも邪魔されない、貴重な息抜きの場所。

泣きたい時、腹が立った時、モヤモヤした時。

いつもここにきて横になり、時に涙する事で、なんとかやり場のない怒りを自己解決してきたのだ。

 

ヴェールヌイ相談役は、ロシアでの改造実験は概ね成功とされた。

しかし、実際は大きな問題を抱えていた。

どれかの実験の副作用で、忘れる事が出来なくなってしまったのである。

あらゆる記憶が、ずっと記憶として残る。

だからこそ、全ての記録が集まる資料室に陣取り、情報のゆらぎから不穏な動きを察知している。

雷が粛清する調査の発端はヴェールヌイ相談役の気づきによる物が多い。大事な仕事だ。

だがその一方で、ヴェールヌイ相談役はあまりにも軍の汚れた部分を見過ぎた。

過去からの全ての経緯を覚えているからこそ、同じように繰り返される腐敗に辟易していたのである。

 

「おや相談役、サボりですか?」

ドキッとして帽子を取ると、提督が両手にカップを持って見下ろしている。

「サ、サボりじゃない。休憩だよ」

「なるほど。ところで間違えてチョコパフェを2つ買ってしまったのですが、1つ如何ですか?」

「・・・頂く」

「どうぞ。隣よろしいですか?」

「・・うん」

 

しばらく無言でパフェを口に運んでいたヴェールヌイ相談役は、ふと手を止めて提督に訊ねた。

「提督」

「はい」

「何故このベンチを知っている?通路からは見えない位置にあるのに」

「そりゃ、私が配置したからですよ」

ヴェールヌイ相談役が驚いた顔で提督に振り向くと、提督はニッと笑いながら続けた。

「内装業者に大本営が発注したベンチの型番を教えてもらいましてね」

「じゃ、じゃあ、このベンチは」

「私の私物です」

「・・いつ運び込んだ」

「年に1度、温室の清掃日があるじゃないですか」

「業者に大掃除をさせる日・・あっ!」

「ええ。あの日は全てのベンチを運び出し、外で水洗いして、元に戻しますよね」

「その隙に自分で運び込んだのか?」

「いいえ。ベンチを1個書き足したんですよ。業者向けの搬入指示図に」

ヴェールヌイ相談役は呆気に取られた後、ぷふっと吹き出した。何と大胆で周到な!

しかし、そのおかげで、私は今まで壊れずに済んだ。

そしてこれからも必要だ。

「・・では私も、共犯という事になってしまったな」

「そうなんですか?」

「それを聞いたのに一切処罰する気も無ければ、このベンチを撤去したくもないのだから」

「・・相談役」

「うん?」

「そこまで自らを厳しく律していては、身が持ちませんよ」

「私は艦娘の長という立場もあるからね。きちんとまっすぐであらねば」

「どうせこの世は曲がりくねってます。無理に真っ直ぐでいる方がしんどいですよ」

「えっ?」

「人の世は理不尽です。治世者に緩く、庶民はずるく、皆不正をやっている」

ヴェールヌイ相談役は伏目がちになると、そっと口を開いた。

「・・・提督」

「はい」

「人は、護るべきものか?私には解らなくなってきた」

「・・そうですね。報告書に書かれる位の目立つ者だけを見ていると、心底反吐が出るでしょう」

「うん」

「でもですね」

そういって提督は、熱帯植物の葉っぱを拭く清掃員を指差した。

「ああやって毎日、この暑い温室で、植物を愛し、丁寧に世話をする人は報告書に乗る事はありません」

「そうだな・・彼らが頑張ってくれるから、この温室は清潔だ」

「はい。目立つ者だけを見ていれば、この世を一部で判断する事になります」

「・・」

「大多数の目立たないけれど地道に生きている人と、一部の目立つ人々」

「・・」

「それがこの世の構成なんですよ」

 

ヴェールヌイ相談役は提督の笑顔を見返しつつ、提督の言葉が引っかかっていた。

「だが、皆不正を働いているのであろう?」

「ええ。自販機のつり銭入れに残ってる小銭を神の恵みと言って懐に入れたり」

「・・えっ?」

「黄色信号で横断したり、駆け込むなといわれてる電車に飛び乗ったり」

「・・」

「そんな不正を、人間はするものですよ」

「それくらい・・別に良いじゃないか」

「不正は不正です。でも、それが人間です。ミスをし、私利私欲に弱く、自分が大事で、3つ子の魂100まで」

「・・そういう、ものなのか」

「そういうものです。でも、判断するのなら目立たない人を基準にしてください」

「・・」

「目立たない人々こそ、この世の大多数を占めるのですから」

「・・ダー、解ったよ」

ヴェールヌイ相談役はそう言って自分で驚いた。

こんなに素直に相手の意見を受け入れたのは何年ぶりだろう。雷に言ったら

「大変!明日は絶対晴れたままドカ雪が降るわ!避難命令出さないと!」

と、目を丸くするに違いない。

提督はヴェールヌイ相談役から空になった容器を引き取りながら言った。

「さてさて、私もそろそろ追っ手がかかる頃なので、戻りますよ」

「追っ手?」

「はい。いつまでサボってんですかーって。結構怖いんですよ?」

「そうか。提督はサボってたんだね」

「ええ。相談役と二人で」

「だから私は休憩してただけだ」

「じゃ、私も休憩してただけ、ですね」

ヴェールヌイ相談役はジト目で提督を見た。

提督はくすくす笑いながら、空になった2つの容器をそっと掲げる。

ヴェールヌイ相談役はぎゅっと深く帽子を被ると、帽子の影でささやいた。

「まったく・・だから人間は見捨てられない」

「何か仰いましたか?」

「何も。じゃあ私はそろそろ戻る。提督も酷い目に遭う前に帰る事を勧めるよ」

「そうします。では」

これがヴェールヌイ相談役と提督が、仕事以外で会話した最初の出来事だった。

以来、ヴェールヌイ相談役は提督と会えた曜日と時間に、合わせるようにベンチに通った。

誰かと、仕事と全く関係ない、他愛の無い話がしたかった。

提督は仕事の事を深く聞かず、くだらない話に興じてくれた。

提督の計らいで鳳翔の甘味お取り寄せ同好会にまで引きずり込まれた。

メンバーと一緒になって甘味に舌鼓を打ったりした。

いつしか提督は、資料を借りに来たと言って資料室を訪ねてくるようになった。

「ここは隠れるには絶好の場所だからね」

「はて、何の事でしょう?」

すっとぼける提督を追い返さない自分こそ叱られそうだと思ったとき、ヴェールヌイ相談役は気づいた。

私は提督がここにくるのを、毎日楽しみにしているのだと。

私が記憶し続ける化け物だと知っても、提督は態度を変えずに居てくれるだろうか。

ヴェールヌイ相談役は俯き、寂しげに微笑んでいたのだが。

「・・は良いものですよ、相談役」

「うん?あ、えっと、ごめん。今ちょっと聞き逃してしまったよ」

「人と触れ合う温かさは良いものですよと申し上げました」

「えっと、たとえば?」

「そうですね。手を繋ぐとか、膝枕とか、頭を撫でてもらうとか、何気ない事ですが気持ち良いですよ」

「・・された事が無い」

「それなら、やってみますか?」

「・・ダー」

 

ふっ・・ふおおぉぉぉ・・おぉおおお・・

ヴェールヌイ相談役は提督の膝に座り、わしゃわしゃと頭を撫でられながら震えていた。

きっ・・気持ち良い。なんだこの快楽は。

温かい風呂に入ったような心地良さ。

全てが許されるような優しさ。

あぁ・・あぁ・・いつまでも・・こうして・・いたい・・

「おっと、危ない」

ヴェールヌイ相談役が落ちそうになるのを支えた提督は、ヴェールヌイ相談役が眠っている事に気がついた。

「・・お疲れなんですね」

そういうと提督はヴェールヌイ相談役を膝の上で抱きかかえると、ぽんぽんと背中を優しく叩いた。

 

1時間後に目覚めたヴェールヌイ相談役は耳まで真っ赤にしながら言った。

「なっ、なんで起こしてくれなかったんだ!」

「お疲れなのかと思いまして」

「・・うー」

「何かご用事がありましたか?」

「いや、その、何も無い」

「そうですか。もしお気に召さなかったのなら、もう致しませんよ」

「あっ、いや・・その・・そうじゃない」

「え?」

「まっ、また・・その、時間がある時にだな・・」

「解りました。その時はここにおかけください」

そういって提督は、ぽんぽんと自分の太ももを叩いたのである。

 

 

「・・」

ヴェールヌイ相談役は返事も出来ず、その瞳はすっかり光を失っていた。

 

提督が、居なくなる?

 

数分前。

提督と資料室の前でばったり会い、そのまま並んで温室へと足を運んだ。

そしてベンチに座った後、司令官として異動する事になったと提督から告げられたのである。

ヴェールヌイ相談役は、凍りついた。

温室に居る筈なのに、体がじんわりと冷たくなっていくような感覚。

冷たく暗い、戦いと腐敗の歴史を見続ける自分の唯一の希望。明日を迎える楽しみ。

こんな事が起こらないように、あんなブツブツ愚痴ってるオッサンも快く引き受けたのに。

私は良い事をしたよ。それなのに、こんな酷い仕打ちをするのかい、神様?

 

 行かないでくれ。

 私の全権限を使って阻止するよ。

 またここで一緒にパフェを食べよう?

 

そう、言いたかった。

でもそれは、どう考えても自分の我儘で、提督を辛い目に遭わせるだけだ。

だが、せめて。せめて理由を。

「・・どうして事務官である提督が、司令官として着任するんだい?」

「んー」

提督は言い淀んだが、ヴェールヌイ相談役はぎゅっと袖を掴んで言った。

「いずれ私の所に情報は集まってくるが、友の口から、今、聞きたいんだ」

提督は溜息を吐き、チラと周囲を見回し、ヴェールヌイ相談役に片目を瞑った。

「では、今から私は独り言を言います」

 

「・・ふうん」

ヴェールヌイ相談役は全身をこわばらせたまま、どうにかその言葉を引き出した。

 

 ど ち く し ょ う

 

1ヶ月前に来たあいつのせいで提督は無茶苦茶な立て直し役を押し付けられた・・だと?

完全なババじゃないか。

提督は内憂外患のハイリスクな危険に晒され、私は楽しみを奪われるというのか?

許されない・・許されないだろう、こんな事は。

悶々と考えるヴェールヌイ相談役の横で、時計を見た提督はそっと立ち上がった。

「すみません相談役。私はそろそろ列車に乗らねばなりません」

「えっ・・そ、そうか。行くのか」

「行く先は戦地です。何があるか解りません。だから出発前にお話出来て良かったです」

「ダメだ。そういう事を言ってはいけない!」

提督はくすっと笑った。

「フラグが立ちますか?」

ヴェールヌイ相談役はキッと睨み返した。

「バカ!安物アニメじゃないんだ!」

「すみません。不謹慎でしたね」

「無事に戻ってこい。絶対に戻ってこい。これは相談役命令だ!」

「相談役命令ってあるんですか?」

「うるさいうるさいうるさい!何でも良いから命令だ!」

「・・はい。解りました。それではまた、大本営へ戻って来る日まで」

 

何度も振り返っては手を振る提督を、ヴェールヌイ相談役は見えなくなるまでじっと見ていた。

 

ダスビダーニャ・・スチャストリヴォ・・

ベレギテ セビャ・・ベレギテ セビャ・・

 

提督が見えなくなるまで。

小さく、小さく、何度もそう呟きながら、力一杯拳を握っていた。

約束するよ、提督。

この騒動の元凶には、ふさわしい最期をくれてやるとね。

静かに資料室を向いたヴェールヌイ相談役の瞳は死神のようだった。

 

さて、殺りますか。

 


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