白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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今回は少し難産でした・・・
頭のいいキャラを書こうとすると、自分も頭のいいキャラになれるようにしなきゃいけない。頭脳戦が書ける作者様を心より尊敬します。

ところで、この小説をもっと多くの人に読んでもらいたいと思っているのですが、タイトルとかキャッチーなのに変えるべきでしょうか?


前日譚 高校生編6 修学旅行二日目

 目の前に、雄大な山々と広大な湿原が広がっていた。秋が深まる中、山は紅葉の紅と黄に染まり、地面には金色のススキが風になびく。そのススキの海を真っ二つに割るように木製の桟橋がどこまでも続くように伸びている。そこは葛城湿原。街という人間が作り出し、自然を追い出した場所に住む者たちにとっては、異界といってもいいだろう。思わず見とれてしまうのも無理のないことであり、それは久路人と雫も例外ではなかった。

 

「・・・・すごいな」

「うん。私が封印される前でも、こんなのは見たことない」

「そうなの?」

「私がいたころはこんなところは妖怪が住んでて、暴れてたから」

「なるほど」

 

 朝のうちには、妙な温もりを感じると思ったら隣にお互いが横になっており、飛び起きて「なんだ!?夜這いか!?」と毛部君と野間琉君を驚かせてしまったり、昨日の入浴のことを思い出して赤くなって気まずくなっていた二人だが、この光景の前にはそんなものは吹き飛んでしまったようだ。まあ、この旅行中だけでも気まずくなるのが多すぎて慣れてしまったというのもあったが。

 

「今日はこの遊歩道をずっと歩くんだって」

「・・・・私が言うのもどうかと思うけど、修学旅行として正しいの?それ」

「さぁ・・?」

 

 普通は修学旅行と言えば、沖縄、京都、東京、北海道あたりが鉄板だろう。中には海外に行くという高校だってある。それなのに、いくら絶景とはいえひたすら野山を歩かせるというのはどうなのだろうか。それならば修学旅行という名目ではなく「〇〇合宿」とかそんな風に変えた方がいいのではないだろうか。そんな風に思っているのは、久路人たちだけではないようだ。

 

「よっ、月宮」

「どうしたんだよ。そんな山の方をぼーっと見て。やっぱ山登りは嫌か?」

「おはよう、池目君に伴侍君。いや、山が紅葉ですごい綺麗だからさ」

「ああ、確かに」

「もう俺は写真に撮ったよ。でも、あれに登るのはきつそうだ」

「うぉっ!?毛部に野間琉か!?」

「お前らいつの間に後ろに・・・・」

「さっきから二人ともずっとそこにいたよ・・・」

 

 そこそこ交流のある池目君と伴侍君が近くに来た。この二人はスポーツもできるのだが、それでも山登りはさすがに面倒くさそうである。そして、同じ班の毛部君と野間琉君は久路人が雫と話している時には結構近くにいたのだが、池目君たちは気が付かなかったようだ。だが、毛部君たちもそんな反応には慣れているのか、特に何も言わない。ちなみに、この二人もパルクール部を作ってまじめに活動しているせいか、運動神経は良い方だ。高校でもいつの間にか3階から1階に雨どいを伝ってショートカットしていることがあった。しかし、やはりというかなんというか、バレたら怒られそうなのに久路人以外には気づかれていなかったが。

 

「まったく、男子高校生が情けない。私や久路人を見習うべきだよ!!」

(そりゃ、僕らと一緒にしちゃダメでしょ。僕ら、一応人外並だし)

 

 そもそも人外の雫に、その人外と戦って生き残れるように幼いころから訓練を続けてきた久路人だ。湿原のハイキングや山登り程度はただの散歩と変わりない。

 

(人外といえば、ここは妖怪はいないのかな?)

 

 ふとそこで昨日の京が言っていたことが耳に残っていた久路人は、腕輪をチラリと見るが、特に黒ずんだりボロボロになっている様子はない。

 

(・・・・黒飛蝗(こくひこう)

「久路人?」

 

 久路人は、普段自分の近くに忍ばせている黒鉄を、ちょうど風が吹いたタイミングで薄く砂嵐のように散布する。雫が不思議そうな顔をしているが、これは久路人なりの索敵である。宙に舞う小さな黒鉄の一粒が久路人にとってはレーダー光であり、霊力のあるものに反応する。そうして少しばかり周りを探る久路人だが・・・

 

(特に反応なしか)

「私も少し霧で探してみたけど、特になにもいないみたいだよ」

 

 これといった反応は見られなかった。雫もこの黒飛蝗のように霧を使った「移流霧(いりゅうぎり)」という似たようなことができるのだが、それでも見つからないということは、本当に何もいないのだろう。まあ、京の術具と違って二人の索敵は調べられる範囲はやや広いものの、正確性には若干欠けるのだが、二人としては危険な大物以外ならばどうとでもなるので気にしなかった。

 

「? 月宮君?」

「調子悪いのか?」

「ああいや。滅多に見れる光景じゃないから目に焼き付けてただけだよ」

「へぇ~、月宮君、自然が好きなんだ」

「なんとなく分かる気はするけどな」

「月宮、爬虫類のこととか詳しいしな」

「いやあ、ははは・・・」

 

 探知に少しの間集中していたせいか、少し不審に思われつぃまったようなので笑って誤魔化す。それに、自然が好きなのは嘘ではない。自然や生き物が好きだから雫に出会ったのだから。

 ともかく、そうして話しながら歩き出した時だ。

 

「あ、久路人、足元危ないよ」

「え?」

「ほら、足元。木が腐ってる」

「あ、本当だ」

「もぅ~!!ダメだよ気を付けないと!!怪我したら大変でしょ!!」

「ああ、うん」

 

 雫がバッと久路人の前に出てきたと思うと、通せんぼをするように久路人の足元を指差した。確かに雫の言う通り桟橋の一部が腐って穴が空きかけているが、久路人の足が抜けるほどのものでもない。

 

(なんというか、最近雫がなんか過保護だなぁ・・・・)

 

 しばらく前から、どうにも雫が久路人のことを前にもまして気にかけているような気がする。特に訓練の後なんかはその場で服を脱がせて手当てしようとするなど結構露骨である。やはりそういう気遣いは嬉しくないとは言わないが、年頃の男子としては複雑だ。というか、今日はいつにも増して雫がハイテンションなように思える。昨日よりも調子がよさそうだった。

 

「今日の雫、なんか元気がいい感じがするけど、なんかあったの?」

「へ?う~ん、特になんかあったわけじゃないけど、ここを見てると、なんか走り回ってみたい気がするの」

「へぇ~、雫がそんなこと言うなんて珍しいね」

「うん。なんでだろ?」

 

 雫もどことなく不思議そうである。ここにあるのは雄大な山と広い湿原だ。だが、湿原と言えばいかにも蛇や蛙が好みそうな場所である。

 

・・・・だから、それは自然と久路人の口から出てきてしまった。

 

「う~ん、蛇だからじゃない?」

 

 それは、久路人からすれば、本当に何気ない一言だった。

 

「・・・・・」

「雫?」

 

 ほぼ直感的にそう言った久路人だったが、一瞬雫の顔が悲しそうに歪んだのを見て、動きを止める。なにかマズいことを言ったかと焦って、取り繕おうとするが・・・

 

「あ、その・・・」

「・・・もぅ~、いくらなんでも、この時期のススキ原なんて見てもテンション上がんないよ。単純に、ここがすごく綺麗な場所だからじゃないかな?」

「そ、そうなんだ・・・」

「お~い!!月宮、何してんだ?置いてくぞ~!!」

「あ、ゴメン!!すぐ行くよ!!」

 

 すぐに表情を元に戻し、明るく気にしていないといった風の雫に、久路人は何も言えなかった。そうこうしている内にクラスメイトから呼びかけられ、久路人は桟橋の穴を飛び越えて進み、雫もすぐ後ろを着いていく。

 

「・・・蛇だから、か」

 

 ほんの小さく、口の中だけでつぶやいたような小さな声は、雫以外の誰にも聞かれることなく消えていった。

 

 

-----------

 時は進んでお昼時。

 一行は道半ばを多少過ぎたところに差し掛かり、昼休憩を取ることとなった。

 

「最初は自然を見るのも悪くねぇなと思ってたけどさ・・・」

「悪い、やっぱ辛ぇわ」

「景色が単調すぎるっていうかな~」

「話のネタも正直あんまないしね・・・」

「ははは・・・・」

 

 朝に話していた5人で進むこととなり、そのまま歩いていた一行だが、景色に変化もなく、話題もループし始めたあたりから次第にしんどくなってきたらしい。5人で円を組むように丸くなって座り、昼食に支給されたおにぎりを食べていた。ちなみに、雫はいつも通り久路人の隣に陣取って同じようにおにぎりを頬張っている。

 

「んぐんぐ・・・ぷはっ!!確かに最初は綺麗だな~って思ってたけど、結構歩いていると見慣れちゃうよね。私も飽きてきたよ」

(同感・・・)

 

 かくいう久路人も似たような感想である。普段から鍛えているため疲れはほとんど気にならないが、基本的に人と話すのがあまり得意ではないため、話題がなくなった時のちょっと重くなった空気が辛かったのは他の4人には内緒だ。5人でまとまって歩いていたのに、「あれ?毛部どこ行った?」とか「野間琉がいねぇ・・・遭難か?」といったことに3回ほどなって、影の薄い二人が泣きそうになっていたのは久路人の心の中に仕舞っておくつもりである。

 

(泣きそう、と言えば・・・)

 

 そこで、チラリと久路人は雫を見るが・・・・

 

「ん?どうかした?」

 

 雫は不思議そうに、おにぎりを持ったままこちらを見るだけだ。どうやら朝の悲しそうな雰囲気は引きずってはいないようだ。「何でもないよ」と目だけで答えると、首を傾げたまま捕食活動に戻った。

 

(気のせいだった・・・ってわけじゃないと思うんだけどなぁ)

 

 考えてみるが、久路人には何が原因であんな顔をさせてしまったのかわからなかった。

 小さいころから小学校のころまでならよくしていたような会話だっただろう。だが、久路人からみれば大事な家族同然の友達を悲しませてしまった状態なのだ。しっかり答えを見つけるべきだろう。

 

(蛇って言われるのを嫌がった・・・んなわけないか。だって雫は出会った頃から蛇だったんだし、蛇の姿だろうが人の姿だろうが、接し方を変えた覚えはないし)

 

 まあ、「女の子なんだし、ベタベタ触られるのは嫌だろう」ということで、人の姿になってから、例え蛇に戻っても過度なスキンシップをしないようにはしているが。

 

 ・・・・久路人は気付いていない。自分が蛇から人の姿になれる化物のすぐそばで暮らしていることに何の疑問も恐怖も持っていないことを。ましてや、その人の姿と蛇の姿で全く態度を変えない、気にしないことがどれほど異常なのかということを。久路人はそんなことを思い浮かべもせずに思考を続ける。

 

(大体、毎日匂いチェックなんて頼むくらいだから雫としてはまだ人間よりも蛇に近いメンタルなのかもしれないし)

 

 思い浮かべるのは旅行前の朝のひと時だ。

 まっとうな人間ならば匂いを嗅がせようとはしてこないだろう。それなのにそんなことをしてくるということは、雫はまだまだ動物的な本能というか習性が残っているのかもしれない。雫が人化する前には腕や首に巻くなんてこともよくやっていた。それか・・・

 

(完全に僕が男として見られてない・・・とかはちょっと複雑だなぁ)

 

 久路人の心の中にモヤモヤとしたモノが立ち込める。なんというか、それでは完全に久路人の独り相撲だ。

 

(こっちは結構気を遣ってるんだけどな・・・・)

 

 訓練の時も、最近はこちらの攻撃が早々通ることもないのでやらないが、最初のころは結構攻撃するのを遠慮したりした・・・・これはむしろ失礼だったろうか。

 雫が服装を変えたら、必ず反応するようにする。

 女の子の残り湯にいつも浸かってると思われたくないから風呂は久路人が先に入る。

 雫を朝に起こしに行く時は、雫の場合は一瞬で終わると言え、間違っても着替えに遭遇しないようにちゃんと声掛けとノックを徹底する。

 雫が浮いているときは下から覗き込まないように絶対に真下にはいかないようにするとか。

 件の匂いチェックだって、自分と雫の体がぴったりと接しないように少し離れるようにしているとか。そう、自分の心音が間違っても届かないように・・・・

 

(だあああああ!!何考えてんだ僕は!?)

「く、久路人?」

「お、おい月宮?」

「いきなり首振り回してどうしたんだよ!?」

「なあ、もしかして昨日くらいじゃ欲求不満・・・」

「しぃ!!ここにはイケメンが二人もいるんだぞ!!刺激するな!!」

 

 周りのそんな様子にも気づかず、久路人は思考の深みにはまっていく。最初は「どうして雫が悲しそうな顔をしていたのか?」ということについて考えていたはずなのだが、いつの間にか別なことを考えていることに気付いていない。その思考は電気を通したかのように高速でグルグルと駆け巡り、止まろうとしても止まれない。「何考えてんだよ!!いや、けどあの時は・・・」とか「うわぁあああ!!なんかめっちゃキモイこと考えてる!!でもあれは雫だってグイグイ気にしてないみたいに来るから悪いのであって・・」みたいな、そんなループに入り込んでいた。

 

(いやでも、昨日の風呂は雫も緊張してた・・・のかな?なんか僕もよく覚えてないや。というか・・・・いや、これ以上はダメだ!!!)

 

 しかし、そんなループもついに昨日の風呂のことを考えた時に終わりが来たようだ。思い浮かぶのはバスタオルを取った雫の白い背中に、その背中に触れる自分の手、手が触れた瞬間の、肌の感触と艶めかしい声が・・・・

 

「だああああああああ!!?」

「久路人?しっかりして、久路人!!」

「お、おい月宮、本当に大丈夫かよ!?」

「お、俺誰か呼んでくる!!」

 

 いきなり叫び出した久路人の首を揺すって正気に戻そうとする雫に、うろたえる池目君、助けを呼びに行った伴侍君。そして・・・・

 

「なあ、月宮のズボンが・・・」

「馬鹿!!食われたいのか!?あれは完全に戦闘モードだろうが!!」

 

 雫の姿を思い出して一部が元気になった久路人を見て、ますます誤解を深める毛部君と野間琉君。だが、幸いにも本人たちは「触らぬ神に祟りなし」とばかりに静観を決め込み、他の面々も普段とはまるで異なる久路人に気を取られてそちらには気づいていなかった。いや、雫は・・・・

 

(はっ!?久路人のほっぺたにご飯粒が付いてる!?)

 

 ウンウン唸りながら頭を振っている内に付いたのだろう。久路人の頬におにぎりの米粒が付いていた。

 それを見た瞬間、手が久路人から離れ、代わりに脳内にかつて読んだことのある漫画のワンシーンがフラッシュバックする。

 

(これは、これは、あの「ご飯粒ついてたよ♡」という絶好のシチュエーション!?ご飯粒を指でとって、目の前で食べて、それから「じゃあ、俺のこいつも食べてくれよ・・・」に繋がるあの!?)

 

 「きゃ~~!!」と先ほどの久路人のように頭を振って妄想に走り出す雫。雫が読んでいた漫画は当然R18 指定である。

 

「葛原さん、こっちです!!」

「ええと、これはどういう状況ですか・・・?」

「月宮が、月宮がなんか変なんです!!」

「月宮君が・・・・あの、大丈夫ですか?」

「はっ!?僕は何を!?」

 

 雫が妄想にふけるうちに、伴侍君が近くにいた大人ということで葛原を呼んできていた。雫による脳シェイクや葛原からの呼びかけもあり、久路人は正気に戻ったが、雫は気が付かない。その脳内はピンク色の妄想とそれを実行しようとする意志に溢れていた。

 

(そう!!これは、チャンスだ!!単なる「蛇」から抜け出すための機会!!)

 

 雫の中にあるのは、やはり先ほどの久路人の言葉であった。あのときは久路人の蛇呼ばわりを雫は笑顔で取り繕って流したが、やはりショックは受けていた。だが、ここでこうやって「女の子らしい」アピールをすれば、久路人も自分をもっとそういう目で見てくれるのではないか?いつまでもヘタレていては何も変わらない。昨日など、風呂にも布団にも一緒に入ったではないか。それに比べれば、頬についたご飯粒を取ってあげることが何だというのだ。

 

(京もメアも言ったではないか。恐怖から目をそらすための逃げではなく、前に進んだという足跡を残すのが大事なのだと)

 

 人化したばかりの雫ならば、さっきの発言を受けて泣いてしまったかもしれない。しかし、京やメアに背中を押してもらい、あれからも、久路人に意識してもらえるように匂いチェックのようなスキンシップを取ろうと足掻いてきたのだ。ショックを受けたが、いや、ショックを受けたからこそ、今の雫の気持ちは燃えていた。

 

(よし!!やるぞ!!)

「あ、久路人・・・」

「あ、月宮君、顔にご飯粒ついてますよ」

「え?あ、本当だ。ありがとうございます」

「いえいえ」

 

 しかし、そんなやる気に満ちた雫が声をかける数瞬前、まさかの葛原のインターセプトが入る。葛原に言われて自分の頬に付いた米粒に気が付いた久路人は、自分で取ってしまっていた。

 

(こ、この雌豚がぁああ!!!いつの間にぃぃいいいい!!!)

 

 せっかくの夢のシチュエーションを叶えるチャンスを潰され、湧き上がる憤りを久路人に聞かれぬように奥歯をかみ砕かん勢いで震える。だが、次の瞬間には、「フゥ」と息をついてクールダウンした。

 

(フン!!今日の妾は淑女的だ。運が良かったな!!)

 

 雫から見れば、葛原や周りの人間は命拾いしたと言える。冷静かつ寛大な自分だからこそ、心の整理が付いたのだ。これが他の女だったら、もしくは、久路人本人ではなく、葛原が飯粒を取って食べていたら、今頃この辺りにいる人間は久路人以外凍死していただろう。まあ、その内心は言葉とは裏腹にいまだに荒れ狂っていたが。

 

(焦るな。焦るな妾。こいつはただのガイドだ。修学旅行が終われば会うことは二度とない。そう、この妾と違ってな!!!)

 

 内心で、雫は葛原に対してマウントを取って心の平静を保つ。

 

(妾と久路人の今までの絆に時間を考えれば、こんな女の入る隙間なぞあるものか!!それに、妾には未来がある!!)

 

 まだまだ、自分と久路人が過ごす時間はたくさんあるのだ。焦る必要ない。少しずつ、少しずつ距離を詰めていけばいい。いつか、いつかもっと距離が縮まった時にこそ、やりたいことも、やろうとしていることも必ずできるはずだから。

 

(そうだ。その通り!!急いては事を仕損じるというではないか)

「クシッ!!・・・・じゃあ、私は先に行きますね」

「あ、はい。その大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありませ・・・クシュン!!問題ないですよ!!それでは!!」

 

 このとき雫は、まるで何か近寄りたくない物から全力で遠ざかるような葛原と、そんな彼女を不思議そうな目で見送る久路人を視界の隅に入れつつ、心の中で独りごちていた。

 誰に言い聞かせるでもないのに、まるで誰かに言い訳するように、言い聞かせるように。

 

(だから、だから、いつか、きっと・・・・)

 

 何度も何度も、心の中の何かが告げる警鐘から耳を塞ぎながら。

 

 

-----------

 

(まったく、あいつら、実は吾に気付いているのではなかろうな?)

 

 暴走する久路人たちの元を離れた葛原は、内心で毒づいた。昨日から鼻が痛くてしょうがない。あの蛇から放たれる悪臭が、凄まじい不快感をもたらしていた。

 

(霊力の感知は五感と結びついている。嗅覚を鈍らせるような術は使っているが、それでも抑えきれんとは)

 

 思わず表情が歪む。それほどまでに耐え難い悪臭であった。だが、これもあの少年から力を得るために越えなければならない障害だ。「仕方ない」と葛原、否、九尾は割り切った。

 

(しかし、あの様子からすると、あのガキも蛇も気付いてはいないか・・・人化の術ならばやはり問題はないのぅ)

 

 この辺りに居を構え、今は九尾に支配されている霊能者の一族の表の顔は、観光業だ。それを利用し、数か月前からガイドとして潜り込み、今回の修学旅行を利用してターゲットに近づく狙いであった。元々化かす、すなわち演じることが得意であり、人化の術への適性が極めて高い九尾にとってはガイドに成りすますなど簡単なことだ。久路人たちを観察するに、幻術に対抗するような術具を持ってはいるようだが、人化の術は「人外を人間のように見せる幻術」ではなく、「人間の体そのものに変える術」であるために、幻術を見破る術具では意味がない。特に、雫と違って人化の術に適性の高い九尾の場合は霊力を漏れないように制御すれば看破するのは実質不可能である。

 

(この格好は怪しまれずに観察するのには都合がいい。周りのませた餓鬼どもの目が鬱陶しいがな。発情した猿か貴様らは)

 

 今も遠めにチラチラとこちらを伺う男子生徒たちの視線を感じながらも、それに関する不快感は表には出さない。昨日の紹介の後も自分の顔やら胸やらに無遠慮に見てくる男が多く、気持ちの悪さといら立ちはそれなりに感じていたが、その浅ましさを内心で嘲笑うことで溜飲を下げていた。

 

(吾の封印を解いた餓鬼どもも「顔のいい奴だったら倒してヤってもいいよな」だのなんだの言っておったな。まあ、吾の瘴気を浴びた瞬間に小便を漏らしていたが、あれは滑稽だった)

 

 自分を解放したあのガキ3人を幻術と暴力を使って軽く尋問してやったら、あっさりと色々と吐いたことを思い出す。あの3人はどうやら霊能力が目覚めていたらしく、付近の鬼火やら亡者やらを倒して調子づき、「レベルアップ」だの「中ボス戦」だのと言って山の中に入り込んでいる内にあの大岩を見つけたらしい。大物妖怪には容姿がいいものが多く、過去の物語でも異種婚姻譚のような話があるため、スリルとそういった下半身の目的で封印を解いたとのことだった。だが、人外の放つ霊力、常世に満ちる霊力に近い瘴気は一般人、異能者関係なく毒であり、嫌悪感もしくは畏怖の念を抱かせる。雑魚ならば大したことはなかったのだろうが、九尾ほどの大物の瘴気だ。ガキ3人はそれだけで精神崩壊しかけていた。

 結局いたぶった後にその辺の獣どもを動かして骨まで食わせてやったが。

 

(しかし、今周りにいるやつらは他とは違うようだの。衆道は今の世にも残っているのか)

 

 そこで、九尾は周りを見た。九尾は今、教員も含むとあるグループにくっつくようにして移動していたのだ。

 

「ぬわああああん疲れたもおおおおんぬ!!」

「チカレタ・・・・」

「おら、なめてんじゃねーぞ!!」

「先輩!!何言ってるんですか!!弱音吐くのは止めてくださいよ本当に!!」

「人間の屑がこの野郎・・・・」

(やかましいのぅ・・・)

 

 さきほどの伴侍君が呼びに来る前にもいたのだが、こいつらが周りにいると他の学生が寄ってこないのである。チラチラと向けられる視線やらつまらない会話に付き合うよりはマシなので九尾はそのグループにいるというわけだ。

 

「このキャンパスで、この大自然を芸術品に仕立てや・・・仕立てあげてやんだよ」

「まったく、最近の高校生は軟弱なことしか考えないのか・・・・」

「まったく困ったもんじゃい・・・」

「あぁ~、この山の空気がたまらねぇぜ。さっきから、肺の中でぐるぐるしている」

 

 上から美術教師の黒久保(くろくぼ)先生、物理担当の平田(ひらた)先生、剣道部顧問にして日本史担当の桂木(かつらぎ)先生、現国担当の土方(ひじかた)先生である。これに先の5人を合わせた布陣であり、いかに九尾が扮する葛原が美人だろうと、近づく者はいなかった。おかげで九尾も冷静に考えをまとめることができていた。

 

(あのガキと蛇を庇護している、からくりとその作り手、七賢序列三位の月宮京の戦略は至って人間らしい)

 

 京の戦法は先んじて情報を集めて相手の特徴や戦法を知り、それを徹底的に対策した術具で本気を出させずに倒すというものだ。あらゆる術具の作り手である京は、七賢の中でも柔軟な戦い方を可能としており、相手に合わせて様々な術具を使いこなす。情報が集められずとも、直接相対すればわずかな時間で対抗措置を作ることもできる。だが・・・・

 

(今現在、戦略の上で吾が有利。西への陽動もうまくいっているようだしのぉ)

 

 そのやり方は、九尾相手には極めて相性が悪い。

 九尾は幻術においては七賢を上回っており、その痕跡を見つけることすら難しい。加えて、九尾本人はほぼ動かず、配下とした動物を介して一部の術しか使わないため、京は「何かがいる」ということは分っても、それが何なのかは分からない。九尾は直接戦うのではなく、相手に情報を与えず、じわじわと搦め手で弱らせるのが大の得意であった。それに対して、京は七賢であるために知名度も高く、その術具は異能の関係者間では高く取引されている。九尾が隠れ蓑にしている一族は零細であったが、そんな一族でも簡単に情報が手に入るくらいだ。

 

(こちらは一方的に相手の手の内を知り、向こうには一切の情報を与えない。戦いの鉄則よな)

 

 さらに、運も九尾に味方していた。京が「何かいる」と感づき、霧間本家を訪れたのはこの地に結界を仕込んだ後だったのだ。もしも仕込む前に気付いていたのならば、さらに強力な効果を突貫で組み込んでいた可能性もある。だが、今の現世には大物が現れることは難しい。本来は大穴を介さねば出現できないような九尾が、忘却界が展開された後にも封印という形で現世に残っていたとはさすがに予想外であった。封印の大岩も他の霊能者の一族によって管理されており、しかもその一族が放置していたせいで情報が逆に広まらなかったも九尾にとっては幸運だった。そして、その上で九尾は作戦を組み立てた。

 

(敢えて幻術は使わず、人化の術で接近し、隙をついて一気に身柄を奪う)

 

 京の手の内を知っているからこその作戦である。

 九尾は自分の幻術に絶対の自信を持っているが、相手もまた術具作成の達人だ。もしかしたら、自分の幻術を見切る術具も作れるのかもしれない。ならば、幻術を使うのはもはや相手に気付かれても問題のないくらいに王手をかけてからだ。「敵は幻術使いだ」と考えているのであれば、幻術を使わないことが最も有効な奇襲だ。昨日に久路人たちに近づいたのは、人化の術による隠ぺいが本当に有効か確かめるためでもあった。そして、今は・・・

 

(あのガキと蛇の「急所」を探す)

 

 こうしてガイドとして潜り込んでいる最大の理由が、ターゲットの観察である。もしかしたら、あの二人にも何か隠し玉があるかもしれないし、何気ない仕草から性格や考え方が、ひいては戦い方も分かる。封印される前には多くの村、街、都の住民たちの人心を読み解いて堕落させ、滅ぼしてきた九尾ならば一日の観察でもある程度のことは把握できる。九尾の目的にして勝利条件は「久路人を抵抗できないようにして力を得られるよう確保する」ことだ。それに対して、向こうは「修学旅行の間を無事にしのぎ切る」もしくは「九尾に気付き、討伐ないし撃退する」ことが勝利条件である。自身の勝利条件を満たす作戦を考えるための材料を集める腹積もりであった。

 

(この旅行を逃せば、あの要塞のような屋敷のある街に帰られてしまう。そうなれば今よりも圧倒的にやりにくくなる)

 

 九尾は久路人たちが住む街にも狐を放っていたが、それでも月宮家付近にはとりわけ厳重な結界が張られており、本体ならばともかく、遠隔操作する狐程度では近づくことができなかった。だからこそ、今この時間はとても貴重なものであり、今も歩きながら思考を回転させていた。

 

(一つ目の幻術を使ったかく乱はなし、二つ目に辺りのガキどもを人質にするのは・・・・これもないな。あのガキだけならばともかく、蛇には通用せんだろう。最悪人質を殺しかねん。三つ目、吾の支配した人間に薬か何か盛らせる・・・幻術を使うのと大して変わらんな。それに、あの蛇の霊力の質は水。毒の類は気付かれるか)

 

 様々な手を考え付くが、即座に否定する。いずれにせよ、護衛として傍に控える雫はどうしても邪魔だった。直接叩きのめして連れ去ることもできなくはないが、大っぴらに行えば東の方にいる吸血鬼も黙っていないだろう。

 

(あの二人を分断するのは、強引な手を使わねば難しそうだな・・・この悪臭をどうにかするには引き離すのが一番なのだがなぁ)

 

 昨日もホテルで霊力を追いながら観察を続けていたが、あの二人は風呂や寝床まで一緒のようだった。あれでは護衛ではなくストーカーである。元々鼻の利く九尾にとってあの蛇の発する臭いはもはや攻撃と変わりない。だが、その臭いもまた攻略の手がかりではある。

 

(この混ざりあったような臭い、いや、混ざりかけの臭いと言うべきか。あの二人、交わってはいないようだの)

 

 この悪臭は二つの異なる力が混ざろうとしているために生じる臭いだ。完全に混ざるか、一方が染め上げているのならばもっと違う臭いになるはずであった。

 一見すれば、いや、よく見ても親しい仲としか思えない二人であるが、どうやら一線は超えていないようだ。さらに、ごくごくわずかであるが、二人の間にはぎこちなさがある。それは、九尾にとって有益な情報だ。

 

(結局、あいつらがここに来る前から考えていた策が一番か。霊力の消費は激しいが、その方が色々と楽しめそうだしの。もう一つの手も考えてはいたが、やはりあり得ぬ)

 

 九尾の顔に一瞬耳まで裂けるかのような笑みが浮かぶ。遠方から覗くだけではわからなかったが、近くで観察することでより「愉しめる」策を選ぶことに決めた。もう一つの策は、九尾のプライドや心情的に取りたくない策だったというのもある。

 

(吾が、人間の雄に頭を垂れるなど、あり得ぬ)

 

 九尾がもっとも有効だと考えていた策は二つある。そのうちの一つは、「雫と同じように正式に契約を結ぶように交渉する」ことだ。あの蛇を連れていることからして、非常に珍しいことに人外への嫌悪感がほとんどないのだろう。ならば、自分の有益さをアピールして、従順に振る舞えば力を得るように契約を行える可能性は低くはなかった。だが、妖怪を弱らせる結界が張られている中で自分のような大物が突然現れれば警戒はされるだろうし、契約によって強力な制限をかけられる可能性もある。なにより・・・

 

(許さぬ、絶対に許さぬ)

 

 九尾の瞳に暗い炎が宿る。忌まわしい過去と、手の届かない理想がそこにあった。

 

 ああ、憎らしい。憎くてたまらない。

 なぜお前はそんなに強力な霊力を持ちながら、その年まで健康に生きている?

 周りの人間どもは、なぜそんな異物を追い出そうとしない?

 現世は、いつからこんな争いもない温い時代になった?

 あのからくりも、第三位の七賢とやらも、そんな強者がどうして味方をしている?

 それに、それに・・・・

 

(あの蛇は、何を根拠に「自分がいつまでも隣にいるのが当たり前」という顔をしている?)

 

 ああ、腹が立つ。理不尽だ。不平等だ。あいつらは恵まれすぎている。

 自分は、自分たちの時には手を差し伸べてくれるものなど誰もいなかったくせに。

 

(やはり、やはり力が必要だ。こんなクソのような世界を壊すための力が!!)

 

 その顔は、ずっと笑顔だった。優しいガイドさんと言ったら10人中10人が納得するような、そんな顔だった。その顔は仮面だ。その心の中に燃え盛る憎悪と嫉妬の炎を覆い隠す仮の面だった。その仮面の下から、冷徹な思考を以て、己の野望のために、九尾は観察を続ける。

 

-----------

 

 その日も、久路人と雫は旅行を満喫した。散々歩いてくたびれたと言いながら宿の夕食と菓子を食べた。

 風呂にも昨日と同じように一緒に入ったが、背中を流すのは雫の術を使った。同じ布団に入ったが、昨日と違って中々寝付けなかった。顔が熱くて、そんな顔を見られたくなくて、お互いに背中を向けて寝た。

 

 自分たちを睨み続ける、冷たい視線に気が付かないまま。




次回、九尾襲来。
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