白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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申し訳ありません。雫パートをここで全部書いてしまおうと思ったのですが、収まりきらなかったので分割して投稿します。それでも1万字越えちゃったけど・・・
書きたいことがたくさんあって、それを盛り込もうとして雪だるま式に増えていくという悪循環よ。


前日譚 天花乱墜3

「ここは・・・」

 

 雫の目の前にあるのはアスファルトで舗装された車一台が通るのがやっとの道路だった。立ち並ぶ電柱には色の褪せた選挙候補のポスターが貼られ、やや汚れた家々の壁や苔の生えたブロック塀が、それらが昔からこの地に建っていたのだと物語っている。時刻は朝の7時過ぎだろうか。自転車に乗る高校生や並んで歩く小学生の姿も見える。

 そこはこの2年、最愛の少年にくっついて通う高校への通学路であった。

 

「ふむ・・・?」

 

 雫が自分の恰好を見てみると、いつもの白い着物ではなく高校の制服であった。秋のこの時期にはもう衣替えを済ませており、紺色のブレザーである。

 

「妾は・・・」

 

 なぜ自分はこんなところにいるのだろうか?

 

「・・・・・」

 

 頭の中にある情報がささやきかけてくる。

 そう、今は10月。もうすぐ修学旅行だ。昨日も高校に行って、班決めを行ったのだった。自分もクラスの一員として、恋人である少年と同じ班になった。「よっ、新婚旅行か?」「あの女に縁のなさそうだった月宮がなあ・・・ま、おめでとさん!!」「あの月宮にこんなカワイイ彼女がいたなんてな・・・」「ああ、まさか両刀だったとは」と祝福されたのだった。

 

「・・・・・」

 

 記憶は語る。

 そう、雫と彼は恋人だ。幼いころからずっと一緒だった彼は、雫が蛇であることなど欠片も気にしなかった。妖怪に襲われやすい彼を守り続ける中で、自分の退屈さと孤独をすっかり埋められた雫は、彼に恋をした。そして、人間と妖怪の差などまるでないかのように振る舞う少年も、傍にあり続けてくれる少女を憎からず想っていたのだ。少年と少女のじれったい関係は、ある時不意に転機を迎える。なんと雫達の住む街に、強大な妖怪が襲い掛かってきたのだ。だが、その妖怪を二人は力を合わせて打倒し、その中でお互いの想いを知り、結ばれたのだ。

 

「・・・・・」

 

 雫も想いが通じ合ったのを機に周囲にも姿を見せるようになり、「普通の女の子」のように過ごすようになった。街を救うことになった二人は保護者や友人も含め、周りから大いに祝福された。

 ちなみに今の月宮家には少年と雫しかいない。彼らの保護者は祝福を告げた後に他の妖怪たちを抑えるため、街を旅立っていった。あと数十年は帰ってこないだろう。あの家は、今や二人の愛の巣と言っていい。

 

「・・・・・」

 

 お互いを想い合う年頃の男女が一つ屋根の下にいるのだ。「そうなる」ことは当然の成り行きだった。最初のきっかけは何であったか。保護者の術具師が「祝い酒」と称して未成年にも関わらず酒を送ってきたことだったか。あるいは雫が風呂上りにいつものように自分の匂いを確かめてもらう際に、アクシデントで着物がはだけてしまったことだっただろうか。ともかく、酒で湯だった頭と、湯上りでほんのりと赤らんだ白い肌が、甘く誘うような香りが、慎ましくも美しい形をした双丘が、それを手で隠しつつも、反応を伺うような赤い瞳の上目遣いは、少年の理性の壁を壊すには十分だった。そして、そんな最愛の少年が向けてきた獣欲と愛情を拒むことなど雫にはありえなかった。そうして二人はその夜に晴れて文字通りの意味で「結ばれ」、繋がった。その日から、毎晩毎晩想いを確かめるように体を重ねた。そう、つい昨日も・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで、雫は思考を打ち切った。その理由は二つ。

 

「雫」

 

 一つは、自分のすぐそばにいた「少年」が柔らかな口調で話しかけてきたからだ。自分に話しかけてくる者がいれば、意識が向くのは自然なことだろう。

 その黒目黒髪の少年は、どこにでもいそうな見た目ので、これまたありふれた学ランを着ていた。だが、まだ齢17とは思えないほどにどこか落ち着いた雰囲気がある。そして雫は、雫だけは知っている。その柔らかい目つきが、いざという時には刃のように鋭くなることを。窮地に立った時でも、自分が人間でない妖怪だと知っていても、決して見捨てずに体を張って守ってくれるナイトにして王子様であることを。

 そして、思考を止めた二つ目の理由も、その「少年」に由来する。

 

「雫・・・」

「失せろ」

 

 考えるのもおぞましくなるような記憶と胸の中からこみ上げるすさまじい不快感を糧にするかのように、その手に作り出した真っ赤な薙刀が振りぬかれ、こちらに手を伸ばそうとした「少年」の首が宙を舞う。

 

「馬鹿なっ!?」

 

驚愕する女の声とともに、世界にヒビが入った。

 

-----------

 

「虫唾が走る・・・!!!」

 

 その整った顔を忌々しそうにしかめながら、雫は辺りを改めて見回し、最後に己の手首を見た。そこに嵌まる腕輪は仄かな光を発し、やや熱い。その術具としての機能を発揮していた証拠である。

 

「やはり幻術か。気色の悪い真似をしおって・・!!」

「どういうことじゃ!?」

 

 紅葉の舞う深山の森に、その叫び声は響いた。辺りにはただただ森ばかりが広がっており、人の手が入った様子はない。原初の自然がそこにはあった。

雫はブレザーを白い着物に変えると、その袖から水鉄砲を取り出す。

 

「何故吾の幻術を破れた!?あの男の術具は吾を越えているというのか?模倣は完璧だったはずじゃ!?」

「模倣が完璧?あの程度で?はっ、貴様がどこの誰か知らんが、いや、確か葛原珠乃と言ったか?まあ、ともかくあんなお粗末な代物ではお里が知れるぞ」

「なんじゃと!?」

 

 声はすれど姿は見えず。

 だが、その慌てようから声の主が動揺しているのは誰でもわかることだろう。そんな相手に、雫は不快感に満ちた表情から、その顔に嘲笑を浮かべる。

 

「あんな漫画の安い実写映画のようなパチモンごときに騙されるか!!貴様は妾を本気で謀る気があるのか?実写映画を撮る時には金をかけて衣装とキャストに気を配り、余計な改変やオリキャラを入れないのが常識だろうが!!よもやあの木偶を久路人だとのたまうつもりではないだろうな!?」

「汝は何を言っている!?この吾の世界で展開した幻影が木偶だと!?」

 

 雫の言うことの意味がまるでわかっていないような声の主、否、珠乃に、雫は「やれやれ」と腹の立つような笑みを浮かべながら肩をすくめる。

 

「はんっ!!映画監督のセンスがまるでない貴様に教えてやろう。いいか?まず久路人は朝が弱いこの朝の時間の久路人は昼時に比べればややダウナーになっておるそれゆえに貴様の木偶より目付きの角度が2度低い加えて声音も貴様のものは高過ぎだしずく↑ではなくしずく~↓と若干下がるさらに言うなら肌の色も血行の鈍さで白さが増しておるのに貴様のは赤みが差していただろう他にも久路人はあれでズボラなところがあって学ランにシワがよく寄っているのにそれもなかったいや妾としては別にそういった欠点があることを責めているわけではないむしろそういう少し抜けたところがある方がかわいいし親しみやすいしお世話をする口実ができて大変によろしいのだがああ話がそれたが匂いも大事だな最近は朝にくっつくことが多いから久路人から妾の匂いが少し漂ってくるのだがそれがマーキングみたいで大変興奮するそれに引き換えあれはなんだ妾のマーキングがついていないどころか久路人の匂いに欠片も似ておらん本物のイチゴとかき氷のイチゴ味のシロップくらいの差があったぞいやすまんな細かいところばかり言ってしまったが要するにそもそも見た目も声も匂いもあらゆるものがあまりにお粗末すぎ再現度が低すぎだ!!」

「・・・・・」

 

 珠乃はそのあまりにもあんまりな内容の早口に何も言えなかった。その心の中にあるのはたった一つの感情。

 

(気色悪いのう、こやつ)

 

 惚れてるとか追っかけしてるとかそういうレベルではない。ストーカーの究極系か、好きが行き過ぎて設定がギッチギチに詰まったR18の夢小説を描くクラスのオタクである。しかも純愛厨でNTRとか見たら絵師に猛烈なクソリプで凸しに行くタイプだ。いろんな意味であまり関わり合いになりたくないタイプである。

 だが、珠乃の幻術を破ったのは事実だ。あまりの温度差に、珠乃の頭も冷え、現状の分析を始める。

 

(あの幻術避けの術具のおかげか?いや、霊力の消耗具合からアレに大した負荷はかかっていない。そうなれば、あの蛇本体の幻術や催眠への耐性が異常に高いのか。まさか本当にあのガキへの思慕が原因で?否、違う。あの蛇ではない。蛇に混ざりこんでいるあのガキの力か)

 

 高位の霊能者や妖怪は精神や記憶への干渉に耐性を有する。しかし、いくら耐性があるとはいえ、珠乃の箱庭と言っていい陣の中で、最も得意とする幻術が破られるのはおかしい。そして、雫の最も異質な点は、この2日間珠乃の鼻を刺激した悪臭だ。その悪臭は、二つの異なる力が混ざることによって生じるモノ。すなわち、混ざりこんでいる件の少年の血が幻術をレジストしたのだろう。それはあまりにも特異な力。

 

(吾の支配する世界でもそんな真似ができるのは、現世も常世も含めた、この世の偽らざる真理を見定める権利を有する者のみ。なるほど、あのガキに流れる力は・・・・)

 

「ともかくだ」

「む」

 

 珠乃のが自分のターゲットの正体に気付いたところで、長々と幻術の欠点を、辛口レヴューを描く映画評論家のごとく指摘していた雫はようやく話を変えた。その表情は話している間にもさらにフラストレーションが溜まっていたのか、眉間に深いしわが寄っていた。

 

「一時とはいえ、あんな紛い物と寝起きする記憶を見せられるとは不愉快極まる。それに、妾の体感で久路人から離れて10分は経っておる故、クロトニウムの欠乏も深刻だ。『久路人はどこだ?』などと聞きはせん。叩きのめして無理やりこの空間を解除させてやる!!」

「はっ!!囀るな蛇が!!一体どうやって・・」

「瀑布!!」

 

 ここは珠乃の支配する世界。その世界の中でどうやって術者を倒すというのか。

 大言壮語を吐く雫を鼻で笑う珠乃であったが、雫の回答はシンプルだった。雫の持つ水鉄砲から、凄まじい量の水が放たれ、周囲の紅葉を木の根ごと薙ぎ払う。いや、木々を押し流してもまだ止まらない。無限に水が湧き出る井戸の如く、とめどなく水があふれ続けていた。その水はただの水ではない。雫の豊富な霊力が込められた霊水とも言える水である。

 

「ちぃっ!!」

 

 自身の潜む影にまで霊力の奔流が届きかける。久路人の霊力が雷に近い性質を持つのに対し、雫の霊力は水に近い。霊力を知覚することができる存在にとって、雫の霊力に包まれることは溺死に繋がりかねない。たまらず珠乃は影の中から飛び出した。

 

「はっはっは!!なるほど、影に隠れていたか!!溺れずに済んでよかったなぁ!!」

「貴様ぁ!!!」

「京から聞いたことがある。陣は隔絶された一つの世界ではあるものの、無限の空間ではない。術者の霊力に応じた容量があるとな。このまま水に沈めてくれる!!」

 

 雫のやろうとしていることは単純だ。珠乃の天花乱墜という水槽の中に納まりきらないくらいの水を注いで溢れさせる。ただそれだけだ。陣は別の世界を作る術ではあるものの、その広さは有限である。雫から見るに、相手は幻術のような搦め手を得意とするタイプ。そういった輩は霊力の扱いは上手くともその量は少ないことが多い。逆に言うなら霊力の量が少ないからこそそういった搦め手を専門とするようになるといったところか。

 

「妾は霊力の量ならば自信がある!!出てきたのならば話が早い。この世界ごと貴様も沈め!!」

「この脳筋がぁ!!幻術で遊んでやろうと下手に出ればつけあがりおって!!」

 

 まさかこんな馬鹿正直な手で影から引きずり出されるとは。影から出てきたことで今までは触れてこなかった悪臭が鼻を突く。できる限りこの臭いから離れていたかったために隠れていたのに台無しであった。

 珠乃の顔が屈辱と嗅覚への爆撃で歪み、それまでのガイドの姿から、豪奢な着物を纏った金髪の姿に変わる。その背後には九本の狐の尾が揺れていた。

 

「九尾の狐か!!昔でも出くわしたことはなかったぞ!!ちょうどいい!!今の妾がどこまでの力を持っているか貴様で試してやろう!!」

「舐めるな蛇が!!くそ!!この吾がこんな正面から張り合うような真似をせねばならんとは・・・!!貴様、その皮を剥いで財布に・・・いや、こんな臭う皮なんぞ燃やしてくれる!!」

「・・・・よほど命がいらんようだな。だったら妾はその尾を引きちぎって襟巻にしてやる!!鉄砲水!!」

 

 雫は手に持った水鉄砲を向けて引き金を引くと、大木ほどの太さがある水流がまさしく鉄砲水のごとく珠乃に迫る。

 その水鉄砲は京と久路人謹製の術具、「蛇井戸」。とにかく大量の霊力を扱うことに特化しており、これを装備した雫は人化の術を使用した状態でも、元の大蛇と同等の規模の広範囲攻撃を行うことができる。久路人の血を10年に渡って取り込んだ雫の霊力は久路人には及ばないが、大妖怪として封印される前の量すら上回っている。さらに、蛇井戸と人化の術の影響で細かな制御も可能だ。珠乃に向けたセリフは決して大言壮語ではない。

 

「くっ!?この!!幻炎!!」

「妾に炎など効くか!!瀑布!!」

「この猪女が!!馬鹿の一つ覚えのように・・・!!」

 

 雫の放った激流を避けてお返しとばかりに幻術にかける炎を撃つも、再び周囲に無差別にあふれ出る濁流にあっという間に打ち消された。しかも幻術が効いている様子がない。

 

「九尾の狐と言えば、その最も得意とする術は幻術。しかし、その炎も妾には効かんようだな?」

「それで勝ったつもりか!!ここが吾の世界と言うのを忘れるな!!飯綱ぁ!!」

「雷など見飽きとるわ!!氷鏡!!砕けろ!!」

「くぅ・・・おのれぇ!!」

 

 珠乃が出した雷を氷の壁が阻む。さらに、壁は砕けると氷の礫となって珠乃に襲い掛かった。

 雫の言う通り、九尾の狐のメインウェポンは幻術だ。だが、その幻術は雫には効かない。雫としては、搦め手を無視できる以上、正面からの術の打ち合いに持ち込めば勝機はあるという考えだった。それは奇しくも同時刻、別の場所に飛ばされた久路人と同じ考え。しかし、霊力による肉体の損耗をほとんど気にしなくていい雫の方がより勝率は高い戦法だ。例え幻を見せられようと、その幻ごと巻き込む大規模攻撃は珠乃にとっても相性が悪い。だが、そこは珠乃の霊力で染められたフィールド。術の使用に関しては珠乃の方に一歩アドバンテージがある。それによって起きるのは・・・・

 

流氷(りゅうひょう)!!」

 

 人間の大人を上回る大きさの氷塊がいくつも浮かんだ大波が樹木が押し流され、今では完全に水底に沈んだ山肌をさらにえぐり取る。だが、珠乃は狐のごとく軽やかに跳びあがると、その氷を足場に激流を躱す。

 

「埋まれ!!狐塚(きつねづか)!!」

 

 反撃とばかりに、度重なる洪水によって湖となった場に島を作るように珠乃は巨大な土塊を落とす。その直下にはもちろん雫がいる。

 

「ならば腐れ!!紫霧(しぎり)!!」

 

 頭上に大質量の土塊が迫るも、雫に焦りはない。霊力を変換して生み出すのは、紫色の霧。その霧に触れた瞬間、土の塊はドロドロに溶解し、周囲の水気を吸い込んだ。

 

「お返しだ!!」

 

 毒気を含んだ土は水に支配され、濁流となって元の術者に返っていく。

 

「蛇らしく毒まで使うか!!だが、毒ならば吾も負けん!!狐毒ノ法(こどくのほう)!!」

 

 その濁流に真っ向から衝突するのは、毒々しい紫色の狐の群れ。だがその群れは走りながらもお互いを食らい合い、やがて一匹の巨大な狐の姿となり、両者はぶつかり合った。紫色の飛沫が辺りに飛び散り、湖を汚染する。

 

「水を汚そうと妾には無意味!!行けぇ!!紫大蛇(むらさきおろち)!!」

「迎え撃てぇ!!殺生石(せっしょうせき)

 

 湖が波打ったかと思えば、現れたのは高層ビルもかくやと言わんばかりの巨大な水の蛇。毒に染まった水のみを集めて固めた氷の牙を備え、その牙を突き立てるように大口を開けて珠乃を飲み込まんとするが、突如として出現した大岩が口に挟まり、動きが止まると口元から石化していく。やがて、湖にもろとも沈んでいった。

 

 

 繰り返される大技の応酬。水と氷が次々と現れ、それらを打ち消すように岩や土、果ては毒の塊までがぶつかり合う。狐の呼んだ風と雷が蛇の出した水と合わさり嵐となる。もはやそこに最初の山の面影はどこにもなく、海のごとく水平線の見える湖が広がり、かつての山頂が島となって点々と顔を出す。その島すら沈みそうになれば、頂きから溶岩が吹きあがり、陸地を増やす。それはまるで神話に語られるような光景であった。

 

 

-----------

 

 

「どうした。ここはお前の作った場所だろう?ほとんど水で埋まってしまったがな!!」

「この霊力デブがぁ・・・・!!」

 

 湖から本物の海のように一面が青に染まった世界。2体の化物はその波打つ青から少し高い空中に浮かびながら向かい合っていた。あれからも術の撃ち合いは続き、お互いに被弾もしたために服が少々痛んでるが、致命傷とは程遠い。だが、どちらが優勢かと言えば、それは眼下の海が物語っている。

 

(なんだこの蛇の霊力は・・・・底がないのか?何故吾が天花乱墜の中でこれほどまで拮抗している?)

 

 自身のアイデンティティともいえる陣。その陣を塗り替えるように満たす水は、その空間の支配者への叛逆の証だ。

 

(クソが!!陣の制御がブレる・・・!!奴の霊力に染まった水が増えすぎた)

 

 術の応酬の前に雫が言ってのけた作戦は、実のところ有効であった。もっとも、幻術を無効化できるほどの耐性と空間をパンクさせるほどの物体を生み出す霊力という高すぎる前提はあるが。

 

(吾との相性が悪い・・・!!幻術が効かず、影に入れば水攻め、分け身を使おうと分身ごと薙ぎ払う大規模無差別攻撃)

 

 それは雫にとって守るべき者がいないからこそできる戦い方でもある。久路人が傍に入たり、市街地でならばここまでの広範囲攻撃はできなかった。陣という空間が有利に働いたのは珠乃だけではなかったのだ。

 

(認めよう。相性はあれど、単純な力量ならばこの蛇は吾を上回っておる。陣を習得するための条件さえ満たせば、すぐに神格に至るであろうな。だが・・・)

「なんだ?黙りこくって?負けを認める気になったか?」

「・・・・・・」

 

 己の優勢を悟っているのか、饒舌な雫を見やる。事実、このまま続ければ雫がこの勝負を制するだろう。

 

「・・・そうじゃな。このまま続ければ吾の負けじゃろう。吾が霊力を損耗すれば、この陣も維持できなくなる」

「ふん、やけに素直ではないか。わかっているのならばさっさと降参したらどうだ?今なら楽に殺してやるぞ?」

「その前に一つ聞きたいことがある。お前とあのおのこに関わることじゃ。よいか?」

「・・・・言ってみろ」

 

 突然にしおらしくなった珠乃を見て、雫は不信感を持った。警戒心を高め、珠乃の一挙一動を注視する。何を企んでいるのか、何かの策の準備のつもりか。だが、久路人が関わることとなれば無視をするのも憚られた。そんな雫をよそに、珠乃は語り始めた。

 

「ならば言わせてもらおう。汝は、吾を倒したところで、その後どうするつもりなのじゃ?」

「何を言っておる?貴様を殺し、この空間を出たら帰るに決まっているだろう」

「そういう意味ではない。もっと長い目で見た話をしておる」

 

 いきなり何を言い出すのか。珠乃の意図が雫には理解できなかった。

 

「雫といったな?汝は、あの久路人というおのことの日常に戻ると言っておるのじゃな?」

「当たり前だろう?それの何がおかしい」

 

 それは雫にとって当たり前のことであり、最上の幸福だ。最愛の少年である久路人との何気ない日々。あの日常に戻れない結末など断じて認めない。

 

「そこに、人間と妖怪の壁があることを知っての上でか?」

「・・・・ああ。重々承知している」

 

 妖怪と人間との壁。それは能力であり、価値観であり、様々な要因がある。だが、そんなものは雫とて承知の上である。こんな話はもうすでに、水無月の名字を名乗ると決めた時に済ませている。その上で決めたのだ。それでも一歩ずつ前に進んでいこうと。そうして進んできたのだ。あの時から少しづつ。あれからずっと自分と久路人は親密になったと思う。人化したばかりのころは今ほど直接触れ合うことはなかった。スキンシップを、久路人は恥ずかしがることはあっても嫌がっていることはなかった。

 今の雫は確かな足跡の先に立っている。その自覚が雫にはあった。そうして、自分たちはその先に進むのだ。この先、もっと時間をかけて少しづつ。そうすればいつか・・・

 

「嘘をつくな」

 

 だが、そんな雫を、珠乃は否定する。

 

「何が重々承知しているだ。笑わせるな!!」

「・・・・貴様、そんなに早く死にたいか?」

 

 雫の周囲から、これまでとは別格の冷気が放たれる。眼下の海が見る見るうちに凍り付き、氷の大地が形作られていく。

 

「なんだ?もしかして自覚がないのか?この二日間汝を見てきたが、吾には一時の悦楽のためのお遊びに興じているようにしか見えなかったぞ?」

「死ね」

「狐影」

 

 次の瞬間、珠乃に襲い掛かったのは、無数の氷柱だった。空間に満ちる冷気が、足元の氷の地面が杭に形を変えて逃げ場を奪うように全方位から串刺しにせんと飛来する。しかし、珠乃は氷柱が届く前に足元の影に潜り込む。

 

「何だ?図星を突かれて怒ったか?」

「もう、貴様の話など聞くに値せん。疾く消えろ」

 

 雫の手に持った銃から、何度目かになる大波があふれ出す。その激流は氷の上を押し流し、影の中にも流れ込んでいくが、珠乃は出てこなかった。

 

「クフフ、あのガキが哀れじゃな。珍しく人間と妖怪の境を気にしない気質だというに、よもや信頼する傍仕えに弄ばれておるなど」

「妾を煽る前に自分の心配をしたらどうだ?貴様の肺活量がどのくらいか知らんが、いつまで水底でつぶれずに持つか見ものだな」

 

 今の状況において、有利なのは雫だ。珠乃は影の中に潜んでいるが、その中には雫の霊力が流れ込んでいる。恐らく影の中で結界でも張っているのだろうが、このまま雫が水量を増やしていけば結界を解くことも叶わず、酸欠か結界があまりの霊力に耐えきれずに崩壊するかのどちらかだ。

 

「おうおう、流石は男を手玉に取っているだけはあるの。大した悪女ぶりじゃ。本当にだまくらされているあのガキが可哀そう・・・」

「妾がいつ久路人を騙した!!」

 

 珠乃の言葉にとうとう雫の堪忍袋の緒が切れたのか、雫は激高した。それは雫にとってあまりにも否定せずにはいられない侮辱であった。雫にとって、久路人はすべてだ。京やメアも雫の中では一応、大事な家族のように思っているが、久路人は格が違う。極論、雫には明日久路人以外の人類が滅亡したところで別に構わない。久路人以外はどうでもいい。

 

 初めて自分を助けてくれた人。

 初めて無力な自分を守ってくれた人。

 初めて自分と友達になってくれた人。

 初めて自分の孤独と退屈を取り払ってくれた人。

 初めて自分に名前をくれた人。

 そして、それ故に、「私」が初めて恋をしてる人。

 

 文字に起こせばたったこれだけ。されど、その重みと想いは長い年月を孤独に生きてきた雫だからこそとても言葉にも文字にも表せない。そんな大切な想い人を、自分が騙すなど・・・

 

「我らから見ればほんの刹那の間のみ夢中にさせ、人間としてまっとうに生きる道を封じる。そして自身は別れの後も生き続け、新たな出会いを得る。向こうから見れば、騙された、遊ばれたと言われてもおかしくはないだろう?」

「何を言って・・・・」

「いい加減見ないふりはやめたらどうだ?」

「・・・・・」

 

 それまでのこちらを小馬鹿にするような口調から、言葉は一気に刃の如く鋭くなった。その圧に押され、思わず雫は口ごもる。

 

「汝が気付いていないというのならばいいだろう。かつての同じ道を通った先達としての情けだ。吾が教えてやる」

「・・・!!」

「例えここで吾を打ち倒して日常に戻れたとしても、そんな日常がいつまで続くと思っている!!」

「・・・やめろ」

「目をそらすな!!現実を見ろ!!汝とあのガキがともに歩める時間などどれだけ残っている!!」

「やめろ!!」

「人間と人外の『寿命の差』!!その壁があることを知りながら、どうして、この日々が永遠に続く、などという顔をしている!!」

「やめろと言っておろうがぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」

 

 それは、雫がずっと目をそらし続けていたこと。

 

 久路人の、人間の寿命。

 

 京から契約を持ちかけられた時には確かに言われた。

 

--それに、どんなに時間がかかっても、精々が百年程度の間だけだ--

 

--・・・・百年か。人間の寿命とは短いものだな--

 

 いつの頃からか、忘れていた。否、思い出さないように記憶の底に封じ込めた。

 人間と人外の寿命は驚くほど違う。人外にとっては人間の寿命などほんの少しの休暇程度だ。だからこそ、雫はその休暇にのめり込むようにしてみて見ぬふりをした。

 

「人間の中でも、異能者の中には我らと同じくらい長生きする者もいる。しかし、すべての異能者がそうではない。むしろその逆もいる。あのガキはまさにその典型だろうよ」

「・・・・」

 

 雫には何も言えなかった。思い当たる節がいくつもあった。

 訓練の後、体に傷が残ることが増えた。それは久路人の霊力が肉体の成長を超えて増幅しているためだ。本人にもコントロールできないような量のエネルギーは、その器を傷つける。

 雫とも互角に打ち合えるようになった。最初は護衛としての役割がいらなくなるかもと不安になったが、嬉しくもあった。それは、「久路人が自分と同じようなレベルに達した」と錯覚したからだ。だが、すぐにその気持ちは消えた。久路人が強くなったのは、単純に肉体が成長したから。しかし、それは不可逆の劣化だ。一度とった年は戻らない。今はいい。けれども、今から10年後は?20年後は?久路人はどんどん老いていく。妖怪の自分を置き去りにして。

 加齢によって肉体は衰え、そこを霊力による重圧に晒される。その結果、訪れるのは・・・

 

「いつか必ず訪れる、永遠の別れ」

 

 珠乃が、その答えを口にした。

 

「その結末を知りながら、我らの道に無理やり付き従わせることが、弄ぶことと何の違いがある」

 

 それは、珠乃の本心だった。

 

「いつか必ず別れが来るのならば、お互いに悲しい想いをするのならば、傷は浅い方がいい。むしろ、最初から出会わなければよかった。ここを出たところで、その結果は変わらぬ」

 

 その声音は穏やかだった。まるで後輩に優しく諭すように。「自分と同じ道を歩むことはない」という想いを込めて。だが・・・

 

「ふざけるな!!」

 

 雫は、その慈悲を跳ねのけた。

 

「さっきから聞いておれば、ゴチャゴチャと勝手に妾たちの進む道に口を出しおって!!それを決めるのは妾たちだ!!まさか、ここで貴様に大人しく殺されるのが正しいなどと言うとでも思ったか!!」

 

 珠乃の言うことは、彼女にとっては正しいのかもしれない。だが、それは珠乃個人の話に過ぎない。

 そのために自分から命を捨てろなどという話に、納得しろという方が無理な話だ。

 

「妾は、久路人と出会ったことを、久路人に恋したことを絶対に後悔などせぬ!!ああ、そうだ!!妾と久路人の寿命は違う。だが、妾は最期まで久路人に付いていく!!久路人が死ぬというのならば、妾もそこで死んでやる!!妾自身の意志でな!!断じて、貴様の言うことになど従うものか!!」

 

 先のセリフが珠乃の本心ならば、これは雫の魂の叫びだった。一種の開き直りでもある。雫にとっては、久路人がすべて。その久路人がいない世界など、到底耐えられるものではない。その時が来たのならば、喜んで命を捨ててやるつもりだった。

 

-----------

 

「・・・・鏡写しとは、こういうことを言うのかの」

 

 雫の決意を聞いて、影の中の珠乃は過去の自分を幻視する。

 ああ、自分もかつてはああだった。最愛の男に死んでもなお追いすがると決めていた。覚悟もしていた。だが、それも叶わなかった。

 

--生きて--

 

(そんな風に言われては、生きるほかないじゃろうに。本当に、ひどい男に惚れてしまった)

 

 それは、恋人から珠乃に刻まれた呪い。

 彼は死の間際に、自分の恋人にそう願った。だから彼女は生き続けた。生きて生きて、いつしかその執念の燃料には・・・

 

(そして、吾は今まで生き続けた。晴のいない、この地獄と変わらん世界を。だからこそ、吾はこの世界に復讐する!!)

 

 珠乃の眼にどす黒い炎が宿る。

 珠乃をここまで生かし続けたモノ。どんなに手を、身を汚すことになろうと、生に食らいつかせたモノ。

 それは復讐。かつて自分たちに襲い掛かった、この世の理不尽への怨嗟。

 

(故に、吾自身が理不尽の権化に成り下がろうと、止まりはせぬ!!)

 

 自らが、蛇とそのつがいの仲を裂くことになるのは承知している。そこに、罪悪感がないとは言わない。かつての自分が今の自分を見たら、果たして何と言うだろうか。けれども、それでも珠乃は止まらない。罪悪感は黒い衝動にしぶきの如く砕かれる。恋人の願いとこの世への恨み。それに加えて・・・

 

(かつての吾が歩めなかった道を往く者など、認められるものか!!!)

 

 過去の自分たちが行くはずだった道を進もうとしている者たちが、妬ましくてしょうがなかった。

 それらは、珠乃を突き動かす。どこまでも邪悪な智謀を生み出し、残忍な畜生に変貌させた。

 

(必ず、必ず、吾は成し遂げる!!)

 

 すでにあの蛇の心は乱れ始めている。後は、その隙を広げ、そこに食らいつくだけだ。

 影の中で、珠乃は霊力を研ぎ澄ませる。

 

(晴。お前に重荷を背負わせたこの世界も、人間も、すべて吾が壊してやる!!)

 

 そのはるか過去に、想いを馳せながら。

 




次回、過去編+雫パート後半。

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