本年も、この小説を読んでいただければ幸いです。
長く続けた九尾戦ですが、今回で決着です。
昔からそうだった。
「ルール違反だ。そう、これはルール違反だ」
口に出す。自分の荒れ狂う心の内を、少しでも吐き出さなければというように。
「ルール違反・・・・」
僕は約束とか、ルールとかいうものを守らなくちゃ気が済まなかった。
全部が全部っていうわけじゃない。「後で借りた百円返す」くらいの口約束とかそのくらいを破る程度ならまだ我慢できる。それでも・・・
人間社会を円滑に回すための常識というルール
人外はむやみに人間を襲ってはいけないという古に結ばれた協定
親友との、今では異性として好きになった女の子との、守りあうという大事な約束。
つまるところ、自分と雫、親しい人たち。そしてそれらを取り巻く世界の安寧を保つための決まり事。
この約束だけは破っちゃいけないという想いは常に胸にあった。
このルールは守らなければならない。
そのはずだった。でも、できなかった。
「ああ、守れなかった。僕は約束を守れなかったんだから」
ああ、今の僕の心中を何と言えばいいのだろう?後悔?怒り?悲しみ?嫌悪?あるいはその全てかもしれない。ルールを守れなかったということが、僕の心で消えない嵐のように暴れまわる。
「ああ・・・・」
初めてそういう風に思ったのがいつからかは覚えていない。
初めて妖怪に襲われた時かもしれない。あるいは別のタイミングだったかもしれない。
僕自身でなくても、ルールを破る存在というものに、どうしようもない苛立ちを覚える。
ああ、そうだ。今は他のやつらじゃない。とうとう、この僕が・・・・
「ああ、守れなかった。守れなかった。守れなかったんだ。守れなかった、破ってしまった。ああ、ルール違反だ。ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反ルール違反」
「・・・久路人?」
「おい!!汝、何を言っている!?」
「ああっ!!ああっ!!あああああああああああっ!!!!約束をっ!!この僕が、絶対に守ると誓った約束をっ!!ルールを、守れなかったぁああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」
叫ぶ。そうしなければ気が狂ってしまいそうだった!!
雫と珠乃が何か言っているが、耳に入らない。気が付けば、僕の体は地面に投げ出されていた。きっと珠乃が突き飛ばしたのだろう。だが、それも気にならない。
それは、僕が大事な約束を守れなかったから!!
約束を破った罪悪感と嫌悪感が霊力とともに体を駆け巡る!!
「ああ、僕はっ!!僕はっぁあああアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!!!」
そうだ!!僕は大事な大事な、とても大切な約束を守れなかったのだ!!なんという罪深いことをしたのか!!雫とどんな顔をして向き合えばいいのかわからない!!かくなる上は腹を切って・・・
--要因を排除せよ
「あ」
声が聞こえた。
--世界を乱す異物を除去せよ
まるで僕の内側から囁くような声。
その声を聞いた瞬間、頭が落ち着いた。やらなければならないことを思い出したのだ。そう、この感情の荒波をぶつけなければならない相手がいるではないか。自分を責める前にやることがある。
「・・・・・・」
僕に約束を破らせたのは誰だ?どうしてそんなことになった?何が原因で、何が悪いかなんてわかりきっているだろう?
--法を犯す者に、罰を
冷静になった頭で思う。
そういえば、雫と会ったばかりのころもこんな気持ちになることがあった。確かクワガタを採りに近所の雑木林に行って、人間をトカゲの形に無理やり変えたような妖怪に襲われたときだ。あの時は、その少し前におじさんから「妖怪と人間は『魔人』と『魔竜』っつー馬鹿みたいに強い奴らが決めたルールで仲良くしねえといけない」と教えられていたのだ。おじさんが言う「ルール」というものは現世と常世の平和を守る上で大事なモノ、ということは子供だった僕にもよく理解できた。だから、そのルールを破ったトカゲモドキは悪いことをしていて、悪いことをしたからには罰を受けなきゃいけない、ルール違反の責任を取らせなければいけないと思ったのだった。あの時と同じだ。考えてみると珠乃は・・・
「そうか、お前はとっくにルールを破ってたんだな」
「はあ?」
僕がそう言うが、珠乃は何が何だかわからないような顔をしていた。
まったく、これだからアウトローってやつはいけない。自分が何をしでかしたのかもわかっていないのだ。現世と常世の平和を保つということは、この水槽の均衡を保つということ。それを無視して現世で騒ぎを起こすばかりか、世界にとっての癌とも言える陣まで展開するなんて、厚顔無恥にも程がある。世界はルールを守ることで成り立っている。その世界にルールを無視するどころか己の意思のみを規則とする別の世界を作るということがどれほど水槽の管理者をコケにしたことかまるで理解できていない。水槽の壁を無理矢理加工して増築するようなもので、水槽そのものを歪めかねない事態だと言うのに。怒りを通り越して悲しくなってしまう。
「いや、今更気が付いた僕も僕だな」
思えば僕も随分と温くなった。
確かに、これまではあまりにも襲い掛かって来る妖怪どもが多くて、それが日常のように感じていた。だが、それは本来あってはいけないことなのだ。人間の良識という、これまた大事な規範を守るために、僕はあまり異能を使うのは好きじゃないし、手荒なことも嫌いだ。だから、僕、というか雫にやってもらったのは、僕らに襲い掛かってくる妖怪だけを倒すという対処療法だ。いつの間にかそれで満足してしまっていた。だが、そんなものでは足りないのだ。この現世に平穏を壊すために、すなわち世界そのものの均衡を乱そうとする輩はすべて消し去るぐらいでちょうどいいのだ。ルール違反を直接犯さなくとも、見て見ぬふりだって立派な罪だ。だから・・・
--罪には罰を。罪人には贖いを。
「責任を取ろう」
「・・・何をさっきから言っておるかわからんが、少し黙れ」
珠乃が再度近づいて、僕に手をかざした。何か術を撃つつもりなのだろう。ならば、対策をしなければ。幸い、今の僕には霊力が有り余っているうえに体の方も復調している。
--今ならば、今だけならば、使える術がある。
僕の「血」はそう言った。
すべてはこの無法者を誅するがため。陣を以て世界を乱す愚か者に罰を与えるため。
僕は内側から語るような声に抗わず、その術を使う。
「
与えられるのは神の視点。目に映るのは、紫色の毒々しい術。その術をまともに食らい、衰弱する自分の姿。
ああ、そうか。こいつはどこまでもルールを破るつもりなんだな、と再確認する。それならば、僕も容赦はしない。
「狐毒・・・なっ!?」
「当たらないよ」
ほぼゼロ距離で放たれた紫色の狐のようなナニカを、頭を軽くそらして避ける。何が来るのかわかっていれば、回避なんて簡単だ。今の僕にはそれができる。しかし、この距離は窮屈だな。ちょうど次に石化の霧が飛んでくるみたいだし、移動しなければ。
「どいてくれ」
「ちぃっ!?」
僕が全身から体に纏わせるように雷を出すと、術を出そうとしていた珠乃は後ろに跳んで僕から離れた。これで動きやすくなった。僕はそのまま雫の近くまで移動し、雫を後ろに庇うように立ちながら、珠乃を見た。
大丈夫だ。あいつは僕を警戒している。しばらくは、向こうから術は撃ってこない。
「久路人?さっきから、なんか変だよ?それに、そんな術見たことないし、一体どうした・・・」
「責任を取るんだ」
「え?」
雫が呆けたような声を出す。僕が約束を交わした女の子。僕が好きになった女の子。僕は彼女を守れなかった。約束したのに守れなかった。彼女を傷つけたのはあの狐だ。世界のルールどころか、雫にまで手を出した。
「責任を取らなくちゃいけない」
雫との約束を守れなかったことの責任。その償いを。
「責任を取らせなきゃいけない」
世界のルールを犯した責任。その罰を。
「『そのすべての元を断ち、清算する』」
あの狐を、この世界から消すことを以て。
「
僕が術を使うと同時、偽りの月夜に耳をつんざくような雷鳴がこだました。
-----------
「何だ!?その妙な霊力は!?」
珠乃は先ほどまでの情緒不安定な状態から一変して、能面のように無表情となったまま構える久路人に、珠乃はまくし立てた。
「・・・・・・」
久路人は答えない。
耳に入るのはシュウシュウ・・・と水蒸気の噴き出る音だけだ。巨大なドームほどはあろうかという太さの雷が降り注ぎ、珠乃の周囲の地面は黒く焦げ、未だに赤熱していた。咄嗟に発動した結界によって、珠乃の足元だけは元の地面が残っているが、完全には防ぎきれなかったようで、着物はところどころ焦げていた。
(ヤツの霊力は雷だけだったはず!!だが、今感じるのはそれだけではない!!何の属性かもわからんが、凄まじいもう一つの霊力が溢れている!!)
通常、人間だろうが妖怪だろうが、霊力には属性がある。属性は多種多様であるが、火、土、水、風、雷あたりが基本五属性とも呼ばれる。京や珠乃のように複数の属性を持つ者もいるが、久路人は間違いなく、鏡狐と戦っていた時には雷の属性しか帯びていなかった。
(だが、今のヤツが放つコレは?背筋が粟立つ・・・・炎のような熱さも、雷のような痺れも、水の冷たさも感じない。ただ、純粋な力の塊。無形の圧力。そんなナニカだ。あれが、月宮の持つ力なのか?)
珠乃にはもはや油断はない。
先ほどの久路人の戦いでは一瞬の油断から稲妻のような速さで心臓を貫かれた。こうしている今も、少しでも隙をさらせばそれだけで首を落とされそうなプレッシャーを感じていた。だが、付け入る点がないではない。
(妙な力こそ感じるが、肉体への負担がない、というわけではなさそうじゃの)
「久路人・・・」
珠乃がそう思うと同じく、雫が痛ましげな声を出した。
「・・・・・」
久路人の腕から、血が伝っていた。まるで内側から溢れる力が無理やり出てこようとしたかの如く、二の腕にぱっくりと大きな裂傷が開いていた。
(あの厄介な砂鉄はすべて、前の空間ごと消した。ヤツの攻撃手段は遠距離の術のみだ。ならば、少し耐え凌ぐだけで、ヤツは自滅する)
今のススキ原は、久路人が戦った場所とは異なる空間だ。前の空間にいた時、珠乃は万が一抵抗されたときのことを考え、傷を治すのは最低限とした上で黒鉄をすべて破棄したのだ。
(そうだ。あの異質な力は警戒に値するが、焦る必要はない。ヤツの血で、霊力も賄えた。何も問題は・・・)
「
「なぁ!?」
「久路人!?」
腕から血を流しながらも、それを一切気にした様子もなく、久路人は次の術を放つ。
放たれたのは雫の瀑布を超える、雷の大津波。
「狐塚!!・・・・・ぐぅううううううううう!?」
回避は間に合わないと悟り、土壁を出すも、雷は壁を紙の如く突き破って珠乃を飲み込んだ。
「・・・・・」
ブツリと、今度は頬に深い裂け目ができるが、久路人に動じた様子はない。
「おのれぇ!!」
そこで、全身を焦げ付かせた珠乃が激高しながら飛び掛かって来る。
「死ねぇ!!幻炎!!」
「・・・・・」
目の前に炎の塊が迫るも、久路人に焦りは見られない。まるで、そう来るのが分かっていたかのようだった。だが・・
(この炎を汝は躱せぬ!!)
「あ・・・」
雫が思わず声を出す。久路人は雫を庇うように立っていた。久路人が避ければ、雫にそのまま直撃する。普段ならばいざ知らず、手足が石化した状態で食らえばどうなるかなどすぐわかることだろう。
「
しかし、爆炎が雫の手足を砕くことはなかった。
まさに雷光のような速さで動いた久路人が、雫を抱えて移動したからだ。さらに・・・
「
雫を抱えたまま跳びあがった久路人は、まるで日輪のように全身から稲光を放った。
その光は偽りの月光を塗りつぶし、ススキ原を銀色から黄金に染める。
「ぐっ!?」
雫が座らされていた椅子の影から、黒焦げの人型が飛び出した。久路人が炎を防いでいる隙に、分身で雫を人質にでもしようとしたのだろう。
「・・・・盾と武器がいるな」
術の影響か、腕に新しい傷を作りながらも、久路人はそう呟いた。
「く、久路人・・・」
抱えられた雫にはわかった。傷ができているのは腕だけではない。服の下にも、おびただしい量の血が流れていると。珠乃は傷を治したが、それはあくまで応急処置。激しい術と運動の連発で傷が開いたのだ。
「久路人!!それ以上無茶しちゃダメ!!もう少し待てばこの石化も・・・」
雫は久路人に訴えかけた。
ただでさえ、その霊力の高さから軽い身体強化の術だけでもダメージがあるのだ。これほどの規模の術を使い続けて、生きているのがもはや奇跡なのである。
「・・・・ああ、なるほど。こうすれば届くのか」
「久路人?ねえ、お願い!!話を聞いて!!」
その声は届かない。
まるで聞こえていないかのように、久路人は霊力を高め始めた。その独り言は、一体誰に向けて、何を見て口に出したものなのか。
「・・・何をしようとしているのか分らんが、させるはずがなかろう!!」
珠乃には久路人の意図はわからなかった。しかし、全身を針で突かれたような圧を感じていた。
(マズい!!アレは止めねばマズい!!ヤツと蛇どころか、吾まで巻き込んで殺しかねんほどの力だ!!)
「炎獄!!」
ススキ原を燃やし尽くしかねないほどの炎の塊が現れる。
炎の狙いはもちろん久路人だ。珠乃は久路人を殺すつもりで術を放った。血を得ることよりも、ここでアレを撃たせたら、最悪ここにいる者全員が死ぬ可能性を危惧したのだ。
「・・・・・」
それでも、久路人は一切の動揺を見せなかった。これまでのように、まるでその先の結末が分かっているように。
パシンと音を立てて、炎がかき消された。
「な!?何が起きた!?」
「れ、霊力だけで、あの炎を消したの・・・?」
炎を防いだのは、何の形もとっていない、純粋な霊力だった。
霊力とは、生命力や精神力が魂という世界の欠片に染まって変質したエネルギーだ。確かにそれそのものが破壊力を持つが、術によって加工されていない霊力にできるのは指向性を伴わない破壊のみ。特定のものだけを選んでまるごと消滅させてしまうような真似は不可能なはずなのだ。そもそも、久路人や雫が影の中の珠乃に攻撃したときのように術としての形を持っていなければ、その破壊力にしても大きく劣る。
霊力を霧に例えるのならば、術というのはその霧を集めて固めて、水や氷に変えて出すものだ。その際、術そのものが放つ霊力は冷気のように特定の効果を持つ。しかし、なんの加工もしなければ、霊力は漂う霧でしかない。
「・・・・・」
久路人は黙したままだ。ただひたすらに、霊力を高め続けていた。
「これが、これが月宮の持つ力なのか?」
目の前の信じられないような光景を見て、珠乃がうわごとのように呟いた。
「現代にまで続く、『天使』の一族。もっとも水槽を覗く者に近い血を持つ血族」
封印が解け、葛原の地の霊能者を傀儡とした後、珠乃は現代の現世のことを調べさせた。それは今の自分を脅かす敵を知るためであったが、それによって高名な七賢や悪名高い旅団について知った。そんな情報の中に、月宮一族に関するものもあったのだ。
--月宮一族は天の一族。一族のすべてが天にまつわる異能を持つ。大いなる力の片鱗を宿す者たち。
「・・・・溜まった」
久路人はそこで、ポツリと口に出した。
その周りには、眩い黄金の輝きが目に視えるほどに濃密な霊力が渦巻いている。
--月宮一族が天にまつわる異能を持つのは、その始まりに天より降りた祝福を宿す者がいたからだ。
「久路人・・・」
久路人の腕の中で、雫は力無くその名を呼んだ。
嵐のような霊力の奔流のただなかにありながらも、その体に傷はない。だが、「もう止まらない」という、諦めに近い確信がその声にはあった。
--雷とは、すなわち神鳴り。天上の存在が振るう力の欠片。初代の先祖返りとも言える久路人に宿る力は、人の身で扱える程度に零落したといえど・・
「偽りの世界に終焉を。今ここに、裁きを下す」
久路人はそこで、上を見た。空に浮かぶ、偽りの月。その月を、空を砕くように睨みつけ、その名を唱える。
--その力は、まごうことなき神の力!!
「
夜空を割るかの如く、一筋の眩い閃光が、地上から天へと昇っていった。
-----------
「う・・・・」
目がつぶれるかと思うほどの閃光が通り過ぎた後、雫は目を開けた。
「久路人、久路人は?」
今、雫は地面に転がっていた。さっきまでは久路人の腕の中にいたのだが。抱えられている時は、いわゆるお姫様だっこというやつで、こんな状況でもなければ喜びの余り発狂していたかもしれない。だが、久路人の温もりは感じられない。
「あ、腕が戻ってる」
とりあえず周囲を探ろうと腕を動かしたら、ぎこちなくはあったが、動いた。どうやら石化の術が解けたようだ。とはいえ、毒はまだ残っているようで、霊力ともども、いつものように動かすのはまだ無理だったが。
「そうだ!!久路人は・・・いた!!」
周りを見回すと、少し離れたところで久路人が立ち上がるところだった。
さきほどの雷の術の威力が高すぎて、雫ごと吹き飛ばされたのだろう。立ち上がれるということは、生きているということだ。
「よかった!!久路人・・・・えっ!?」
そのままふらつきながらも雫は立ち上がり、よろめきつつ、久路人に駆け寄る。
そして、そこで気が付いた。
「・・・・・」
「久路人?」
久路人の周りに、黒い糸のようなモノが漂っている。それはまるで操り人形を手繰る糸のようで・・・
「久路人!?」
雫はそこでようやく理解した。久路人は立ち上がったのではない。立ち上がらされたのだ。その身に繋がる、黒鉄の糸で。
「・・・・・」
久路人の目に光がない。片目から血を流しながらも、焦点の合ってない瞳はひたすらに前を見ていた。そして、動きのない本人とは逆に、その周りに集まる黒い砂鉄の量は見る見るうちに増えていく。
「何!?何が起きてるの!?」
思わず叫んだ雫は、黒鉄の動きを目で追っていた。
今、この黒鉄が久路人を動かそうとしている。この事態を起こしているモノに繋がっているのかもしれない、と。
「え?空が、割れてる?」
黒鉄は空から降ってくるように集まっていた。雫が空を見上げると、月夜はそこになく、空には大きな亀裂がそこかしこに走っていた。その隙間から、薄ぼんやりとしたオレンジ色の光とともに、黒い砂が流砂のように流れ込んでいた。
「何、アレ?もしかして、外と繋がってるの?・・・・陣を、壊したっていうの?」
さきほどまでの戦いで、久路人は得意とする黒鉄を使わなかった。恐らくは珠乃によって没収か破棄されたのだろうと雫は思っていたが、それは正解であった。ともかく、今までこの世界に黒鉄はなかった。なのに、今この場にあるということは、外の世界にプールしてあった分を呼び戻しているに違いない。
だが、それはありえないことだ。陣は現世でも常世でもない別の世界。隣接はすれど、術者の許可なく干渉などできない。そんなことができるというならば、それは世界そのものを壊したということだ。
「黒鉄外套、装備完了・・・・」
「久路人!!ねえ、久路人!!」
そこで、砂鉄が形作る黒いマントに身を包んだ久路人は口を開いた。普段とは違う、何の温度もない声が響く。雫が呼びかけるも、反応はない。
「陣の破壊は・・・不完全。術者は・・・・生存・・・・排除、未遂」
久路人の右手に、黒鉄が集まっていく。それは、久路人の手の中で長十手のような直刀に形を変える。
「・・・雫、保護対象の、確保」
「やっ!?なにこれ!?」
ほんの瞬きの間に、雫の周りにも黒鉄が集まったかと思えば、黒い檻の中に雫はいた。
「久路人!!もうやめて!!後は私がやるから!!それ以上は久路人が死んじゃう!!!」
雫が檻の隙間から手を伸ばすも、久路人には届かない。
久路人は、血まみれの手で刀を握りしめた。久路人を吊り上げるような糸がユラユラと蠢き、久路人はフラリと歩き出す。
「罰の執行を・・・・再開する!!」
「久路人!!」
雫の頬を涙が伝う。あまりにも、自分が惨めだった。自分の無力が憎かった。
何が護衛だ!!久路人を守れなかったどころか、久路人に逆に庇われている!!久路人は今も死にかけるほど傷を負っているのに、それを止めることすらできていないじゃないか!!!
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」
そんな雫をよそに、獣の咆哮が響いた。
ガラリと音を立てて、あちこちがめくれ上がった地面をさらに壊しながら、家ほどもある狐が現れた。
「危険だ!!貴様は、危険すぎる!!」
狐は、否、珠乃は吠えた。
「陣を、世界を壊す力!!ああ、それは吾が望んだ力だ!!だが、ソレは、一個の命が持つにはあまりにも過ぎた力だ!!ほんの少しだけで、あらゆるものを狂わせる!!」
その力は、すべてを滅ぼしかねない。ともすれば、何かを壊す前に、その持ち主に牙を向くだろう。だが、それは世界のありように似ていた。あまりにも大きくて、ほんの少し身じろぎしただけで、運の悪いものを踏みつぶしていく、世界そのものと。かつて、狐の化身とその夫を襲った時のように。そして、目の前の少年の持つ力は、世界そのものとも言える存在の欠片だ。すなわち、世界とつながった存在だ。過去も、そして今も、世界は珠乃の前に立ちふさがる。そう、それが世界の意思だとするのならば・・・・
「吾を、晴を、弄んだ報いを受けよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!」
九本の尾がうねり、灰色の霧が火砕流もかくやと久路人に迫る。
「殺生石ノ法!!」
それは、珠乃の怒りのすべてだった。かつて、自分と夫を襲った理不尽。それを引き起こした世界そのものの力を持つ者が、目の前にいる。湧き上がる怒りは、すべてが霊力へと変わり、万物を石と化す灰色の嵐となった。
「蓄電・・・完了!!」
しかし、久路人には、その血を流す紫の瞳には、何が来るか分かっていた。それを壊すための準備もできていた。
いつの間にか、久路人の周りを漂う砂の色が変わっていた。鈍く光る黒から、鮮やかな紅色に。久路人の掲げた刀の周りに、渦を巻くように紅い輝きが宿る。
「
紅く熱を帯びた鉄は、久路人の太刀筋に合わせて形を三日月へと変えた。
あらゆるものを焼き切る美しい月が、灰色の嵐とぶつかり合う。
「・・・・!!?」
「ぐぅ!!!?」
刹那、爆発。
ぶつかり合った殺意の塊は、お互いを食らい合った。
爆風が地面を吹き飛ばし、視界が役に立たなくなる。
「はあああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」
「があああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」
しかし、久路人と珠乃には、そんなことは何の関係もなかった。
久路人はすべてを見通す目が。珠乃には、獣の鼻があった。
黒衣の少年と古狐は、再度ぶつかり合う。今度は術ではなく、その武器を以て。
--久路人の纏う黒鉄のマントが剥がれ落ちると、手に持った刀に吸い込まれていく。周囲を漂っていた黒鉄も同様だ。それは、防御を捨てて、貧弱な人間の体を晒して放つ一撃。からくりの如く体を操る糸が忙しなく蠢き、最も効率よく、すべてのエネルギーをその一撃に詰め込む構えを取る。
--珠乃の九本あった尾の内、八本が影に沈むように消えると、影から八本の触手が伸びてその爪に纏わりついた。これまで積み上げてきた霊力のすべてをつぎ込んだ一撃。その影が含むのは、数多の人間を葬ってきた毒の全て。
「
「
月すら砕くような刺突と、瘴気を纏った爪がぶつかり合った。
「くぅうううううううううっ!!!!!!!!!!!」
「おおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!」
月にまで届きそうな一撃が、珠乃の爪を砕く。
鉄すら侵す猛毒が、久路人の刀を溶かす。
「く、おお、おあああああああああああ!!!!!!」
「死ねぇええええええええええええええ!!!!!!」
二つの勢いは互角だった。
お互いがお互いを食らい合い、その命を奪おうとする。
どちらも譲らない。譲れない。
久路人には、己の信念と、この世界そのものからの勅令が。
珠乃には、永い時をかけてため込まれた世界への憎しみが。
どちらも譲らない。譲れない。
お互いに一歩も引くことなく、殺意の刃を押し付け合う。
「ぐ、ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!」
「ははっ、ははははははははははははぁぁぁあああっ!!!!!!!!」
だが、それは永遠には続かない。
決着は、必ず付くものだ。
狐の哄笑とともに、黒い刃が押され始めた。
「はははははははははっ!!!ははははぁぁぁあっ!!!!そうだ!!貴様は・・・・」
狐は嗤う。この勝負における、久路人の敗因を。
「貴様は所詮!!人間だぁぁぁあああああああああっ!!!」
「く、く、クソォォォオオオオオオオオオオオオオ!!!」
久路人の体が悲鳴を上げる。
一人、珠乃の分身と戦い、傷が癒えたばかりだというのに、世界を揺るがすような術を連発。その上で今の鍔迫り合いだ。体はとっくに限界だった。体のあちこちが裂け、肌の色が見えないほどに血に塗れている。それは、久路人が人間だから。脆い人間の肉体の、限界であった。
そしてとうとう、その黒い刀に、ピシリとヒビが入る。黒鉄の制御すら、もはや手放しかけていた。
「これで、終わりじゃあぁぁぁぁぁぁァアアアアアアアアアアアっ!!!!!!!!!」
「がぁぁぁああああああああああああっ!!!!?」
久路人の刀が砕け、同じように欠けながらも、まだ鋭さを残した凶爪が、久路人の心臓をめがけて突き出され・・・・・
「させるかぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!」
「なっ!?」
血を固めたような薙刀が、爪を流水に乗せるかのように受け流した。
全力を込めた一撃を流され、狐の体が宙を泳いだ。
「久路人ぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「はぁぁあああああああああああ!!!!!」
最後は一瞬だった。
「お、おの、れぇぇ・・・・・」
散らばった砂鉄が瞬時に集まり刃を作ると、月光のような輝きとともに振りぬかれ、狐の首が空に舞った。
紅い薙刀が奔り、津波のごとき勢いで、心臓ごと狐の胴体を縦に両断する。
小さく怨嗟の声を残し、永き時を生きた、人間と世界と、なにより己を憎んだ古き狐は、動かなくなった。
「久路人!!」
だが、蛇の娘には、そんなことはどうでもよかった。
「久路人!!!!」
さきほどの胴を断つ一撃で残っていた毒が広がったのか、全身に走る倦怠感に襲われつつも駆けだした。
「・・・・・」
雫の向かう先では、ドサリ、と文字通り糸が切れたように、久路人が倒れるところだった。
最近評価とか色々ご無沙汰ですので、押していただければ私のお年玉代わりになります!!
あと、「ここよかった!!」とか、「なんだこの展開いみわかんねーよ!!」とかあったら、感想お願いします!!