白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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筆が乗ったので、ついつい書いちゃいました。
色々と粗いので、後で手直しするかもしれません。
久しぶりにヤンデレ書けて生き返った気分。


前日譚 永遠にあなたと在るために

 ほんの少し前までススキ原だった荒れ地の上、空の至る所に、黒い亀裂が走っていた。

 

「久路人!!久路人ぉ!!」

 

 ひび割れていく世界の中で、悲痛な声を上げながら雫は久路人に駆け寄る。

 

「・・・・・」

 

 しかし、その声に返事はなかった。

 あの鍔迫り合いの最中で久路人が砂鉄の制御を失いかけたために、もう雫を囲っていた牢は欠片も残っておらず、同じように、さきほどまでその体を人形のように操っていた黒鉄の糸は霧散し、まさしく物言わぬ人形のように、少年は動かない。

 

「ひどい傷・・・・」

 

 久路人の黒鉄のマントはすでに無く、服は激戦の余波でぼろきれと化し、素肌が見えていた。

 そして、雫の言う通り、久路人の身体はひどいものだった。

 霊力の過剰行使による全身への裂傷とそこからの出血はもちろんだが、あの「鳴神」という術と、珠乃との最後の鍔迫り合いが特に響いたのだろう。胸の裂傷を塞ぐように心臓を中心として鎖骨まで広がるように火傷が走り、刀を持っていた腕と、体を支えていた脚は骨が折れておかしな方向を向いていた。

 

「早く・・・早く手当しなきゃ!!」

 

 自身の体も、珠乃の石化の毒による影響が残っており、本調子ではなかったが、そんなことは気にもならなかった。

 雫は水を出すと、久路人の体を洗い流し、傷口の上で水の動きを固定する。そうすることで止血はできるはずだった。

 

「・・・・・」

「ダメ!!こんなのじゃ足りない!!」

 

 だが、それは漏れ出る血を止めただけだ。体に負った損傷を癒すことなどできはしなかった。

 

「そうだ!!治療用の術具が・・・・」

 

 そこで、普段訓練の後に使う治療用の術具の存在を思い出した。本格的なモノは月宮家の備え付けだが、簡易のものならば携帯していた。そちらはほとんど使う機会もなかったために今の今まで忘れていた。

 

「あ・・壊れてる」

 

 しかし、先ほどまでの激戦で、その術具も壊れてしまっていた。石化していることから、獣となった珠乃に咬まれたときに体ごと貫かれたのだろう。

 

「どうしよう・・・・どうしよう!!」

 

 雫の頭の中が真っ白になった。どうしていいのか、まるで分らなくなったのだ。

 

「死ぬ・・・このままじゃ、久路人が死んじゃう!!」

 

 頭の中は白く、目の前は黒に染まるようだった。

 

--いつか必ず訪れる、永遠の別れ

 

 珠乃の言った言葉が、雫の中に蘇る。

 

「やだ・・やだよ!!絶対に嫌!!」

 

 久路人が死ぬ。

 久路人と二度と会えなくなる。

 久路人と二度と話せなくなる。

 久路人と二度と笑えなくなる。

 久路人と二度と触れ合えなくなる。

 久路人と二度と共に過ごせなくなる。

 

「やだ!!やだやだやだやだ!!やだやだやだやだやだやだやだやだヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!」

 

--まだ、一度も気持ちを伝えてないのに!!

 

 駄々をこねる子供のように、雫はひたすらに叫ぶ。だが、それで状況は変わらない。

 

 ガラガラと世界が崩れる音がする。

 珠乃の開いた陣は、久路人の術と術者が倒れていたことで壊れかけていた。しかし、その速さが妙に遅く感じられる。

 

「早く、早く!!」

 

--早くここを出なければいけないのに!!

 

 はるか上のひび割れを、血走った眼で見つめるも、崩れ落ちる速さは変わらなかった。

 何も変わらない。叫ぼうが、睨もうが、何をしようが。

 かつて護衛として契約を結んだ少女に、できることは見つからなかった。

 

「ちくしょう、ちくしょぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 

 幾度目かになるか分からない、雫の涙。

 悔しかった。憎らしかった。怒りが止まらなかった。

 ああ、なんで・・・

 

「私は!!私は何でこんなに役立たずなの!?」

 

 己の無力を、さっきまでも嫌というほど味わった。もうたくさんだった。けれども、世界はさらにその現実を突きつける。

 

「私は!!私は!!私はぁぁぁ・・・・・」

 

 ヘビとして拾われた時、京を介して結んだ契約も、幼いころの久路人と交わした約束も、どちらも守れていない!!

 守ることも、救うことも。あの狐に止めを刺したのだって、本来は守られるべきである久路人だ。

 ならば、自分は、自分はいったい何のためにここにいる!!

 激しい叫びは次第に弱まり、やがて嗚咽へと変わっていく。

 

「ごめんね・・・久路人、ごめんねぇ・・」

 

 久路人の頭を膝に乗せ、雫はただただ泣きながら謝ることしかできなかった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい・・・・・・!!」

 

 懺悔の言葉を口にしながら、久路人の頭をかき抱く。

 ポロポロと雫の瞳から零れ落ちた涙が、久路人の顔を伝い・・・

 

「・・・・う」

「久路人!?」

 

 その一滴が久路人の口に流れ込んだ時、久路人がわずかに身じろぎした。

 

「これは、なんで・・・・そうだ!!」

 

 雫は、自分の腕を見た。

 獣となった珠乃の牙に貫かれ、石と化していたその腕は、今では珠の肌の手本とばかりに傷一つない。それは、雫が蛇と言う極めて生命力の強い妖怪であるためだ。そして、雫の涙は、雫の体液でもある。そこには、雫の妖怪としての霊力が溶け込んでいる。それが、久路人の体に影響を与えたのだろう。

 雫の眼に、光が灯った。

 

「なら!!」

 

 雫は氷の刃を作ると、何のためらいもなく手首に深い切り傷を走らせた。鮮血が溢れるが、傷口はすぐに塞がろうとする。

 

「久路人、飲んで!!」

 

 雫は片手に刃を持ち、切り傷を癒さぬように広げながら、手首を久路人の口の上に持っていく。雫の腕から滴る血は、久路人の口に入っていくが・・・

 

「・・・ゲホッ」

「あ!!吐いちゃダメ!!」

 

 無意識なのだろうが、突然流れ込んできた液体を拒絶するように、久路人は咽た。血は零れ、辺りに飛び散っていく。

 

--このままでは、久路人は死ぬ。

 

 

 その考えが頭をよぎった瞬間、雫はそこで、今まで抱えていたこだわりを捨てた。

 

 

--雫の唇が、久路人の唇に重なった。

 

 

「・・ん」

「・・・」

 

 血を口に含み、自分の唇を久路人の唇に押し付ける。

 吐き出されないように、しっかりと久路人を抱きしめながら、舌を動かし、己の血を流し込む。

 久路人はビクリと震えたが、今度は吐き出すことなく、雫の体液を飲み込んでいく。

 

「ぷはっ!!」

 

 そこで、雫は、唇を離した。

 紅い糸が一瞬二人の間に架かり、切れた。

 雫はまた手首の傷を広げ、血を含む。

 

「はぁ、はぁ・・・・んぅ」

「・・・ん」

 

 そして、また二人は重なった。

 久路人の中に、雫の血が流れ込むたびに、久路人の呼吸が落ち着いていく。冷たかった久路人の体が、再び熱を持ち始めた。いや、熱を持っているのは、雫も同じだった。

 

「んくっ・・・・んっ!!」

「・・・・うう」

 

 それから、再び二人の間に橋が架かる。

 

「ん、れろっ・・・・・」

「・・・・・」

 

 何度も何度も、影が重なる。唇が触れ合い、舌が絡まり、互いの唾液が雫の血とともに交換される。そうして幾度目かの行為の後、雫は久路人から顔を離した。

 ふぅ・・・と一息ついて、どこか恍惚とした顔をしながら呟いた。

 

「・・・えへへ、ファーストキス、久路人にあげちゃった・・・あ、セカンドもサードも・・・何回したっけ?」

 

 久路人が死の淵から離れていくのが、肌で触れてわかったのだろう。雫の顔にも希望が戻っていた。その顔は、熱に浮かされたように赤く、紅い瞳は興奮に潤んでいた。

 

「はあ・・・・本当は、もっとロマンチックな感じであげたかったんだけどな」

 

 夕日を眺めながら、海の見える高台の上で、とか。

 満天の星空の下で、月を眺めた後に、とか。

 

 理想のシチュエーションでファーストキスを渡せなかったことにため息をつきながらも、その顔はどこか満足そうだった。

 雫が見つめる久路人の胸は規則正しく動き、いつの間にか傷が塞がりかけていた。まだまだ油断はできないが、死の危険から大分遠のいたことがよく分かったのだ。安堵の余り、雫は久路人の頬を撫で・・・・

 

「まだ、傷、治りきってないよね・・・・」

 

 ポツリと口に出した。

 

 

--ああ、今、久路人の体に、私の一部が入り込んだ。

 

 

「まだ、内臓とか、見えないところが、治ってないかもしれない・・・」

 

 ハッ、ハッと雫の息遣いが荒くなる。

 

 

--私の血が、久路人の中に入って、取り込まれた。

 

 

「もしも、跡が残ったら、久路人も嫌だよね・・・・」

 

 紅い瞳は爛々と輝き、体中に溶岩が流れているかのようにその身が火照る。

 

 

--私が、久路人を染め上げた!!

 

 

「はぁはぁはぁはぁ・・・・・!!」

 

 雫の下腹部が燃えるように熱くなった。

 キュンと何かが締まるような感覚。

 それは、久路人の血を雫が飲んだ時と同じ、否、わずかに異なる興奮と快感。

 

--久路人が私に入って来るのとは逆!!私が久路人を侵している!!

 

「あ・・ダメ、だよね、こんなの・・・気持ち、悪いよね・・・嫌われちゃうよね」

 

 だが、かろうじて残る理性が、過去に水無月を名乗る時に決めた誓いが、雫を繋ぎとめた。

 こんな欲望に負けて、獣のように襲い掛かるのは、今までの前へと進めていた歩みを無駄にするものだ。

 大体、人命救助だからやったのであって、断じてさっきまでの行為は雫の願望とは関係ない。相手の血を飲んで興奮するのも変態的だが、自分の血を飲ませて体が火照るなど、蛇だとか人外として見られるとかそれ以前の問題で・・・・

 

「・・・・・」

 

 そこで、久路人の唇の端に付いた、己の紅い体液が目に入った。

 唇にも及んでいた傷は、血が触れた個所を中心に癒えていた。

 

「あ・・・」

 

 それを見た時、ドクンと、雫の心臓が跳ねた。

 動悸が激しくなる。知らず、手汗が滲んだ。

 

「これは、これなら・・・」

 

 そのとき、雫は気付いた。己の中で囁いた、悪魔の誘惑に。

 傍から見ればおぞましいともとれる手段。想い人にすら疎まれかねない禁じ手。

 だが、それはあまりにも魅力的だった。それならば、今の、さきほどまでの戦いで、自分の中に植え付けられた憂いをすべて取り払うことができる・・

 

「でも・・・」

 

 雫は迷った。その天秤は揺れていた。

 想い人との束の間の幸せに浸りながら、逃げ続けるか。

 あるいは、想い人から拒絶される未来を孕むも、永遠に共に歩くか。

 

「私は・・・」

「ぐ・・・うう」

「!?」

 

 突然背後から聞こえてきたうめき声に、雫はビクリと震えて、振り向いた。

 

「お、おのれぇ・・・・!!」

「な!?お前、まだ生きて・・・!!」

 

 うめき声の正体は、珠乃の首だった。先ほどまで家ほどもあった図体であったが、今は普通の狐と同程度の大きさになっていた。

 そして、地に落ちた狐の首だけが、うわごとのように恨みを呟く。

 

「なぜ、だ・・・なぜ・・・吾には、晴には、お前たちのように・・・・」

「・・・・・」

 

 警戒した雫だったが、すぐにそれは杞憂であったと悟る。

 珠乃のからは、ほとんど霊力を感じない。その目からも、輝きが消えていた。

 

「吾も、晴と、歩き、たかった。もっと・・・・もっと、二人で・・・・」

「・・・・・」

 

 恐らく、もう雫のことも見えていない。今にも消えかかり、術を使うことも噛みつくことすら不可能だろう。

 雫は、黙って珠乃の今際の言葉を聞いていた。

 

「二人で・・・生きたかった・・・・子供も・・・欲しかった・・・家族、で・・・」

「・・・・・」

 

 今にも消えそうな声だった。聞き漏らさないように、雫は耳をそばだてる。

 聞かねばならないような、聞いてあげなければいけないような気がしたのだ。

 そうして・・・・

 

「ああ、晴・・・済まぬ。約束を・・・果たせ・・・なかった」

 

 蛇の見守る前で、今度こそ、多くの人間を殺め、雫と久路人に大きな爪痕を残した九尾の狐は死に絶えた。

 

 

-----------

 崩れかけた世界に、そよ風が吹いている。

 

「お前のおかげで、よくわかった」

「・・・・・・」

 

 久路人を慎重に横たえてから、珠乃の首の元まで歩き、雫はそう言った。

 狐の首は、もはやなにも語らない。

 

「きっとお前にも、愛した男が、いや、今でも愛している男がいるのだな」

 

 戦いの最中、珠乃は言っていた。自分は先達であると。あれは、ただ長生きした妖怪という意味ではない。きっと、自分と同じように人間に恋をした妖怪という意味だったのだろう。

 

「だが、お前は一人だった」

 

 その男は、最後まで姿を現さなかった。もうこの世にいないのだろう。何があったのかは雫には分からない。ただ、狐とその片割れが死に別れたということだけが確かだった。

 

「もしかしたら・・・・」

 

 そこで、雫は言葉を切った。

 

--もしかしたら、狐は、自分の未来の姿の一つなのかもしれない。

 

「愛する男を失い、それでも生き続けた。なぜ生きようとしたのかは、妾には分からぬ。お前の言いかけた約束とやらなのかもしれん」

 

--考えたくもないことだが、もしも自分と久路人が死に別れる時、「生きろ」と言われたら、自分はそれに従うだろうか?

 

「お前は、強かったのだな」

 

--愛する者がいない世界で、ただ一人生きる。考え得る上で最悪の地獄だろう。

 

 そして、そうやって生き抜いた珠乃は、自分よりもずっと強かったのだ、と。

 だが、想い人との約束というものが、どれほど重いものかは、雫にもよくわかっていた。

 自分がその時、どうするのかはそれでも想像できないが。

 

「お前は、久路人を襲おうとした。愛している男がいながら。妾達が妬ましかったのかもしれんが、他の男に手を出すほど、お前は・・・・」

 

 きっと、自分には耐えられない。

 自分の身も心も、久路人だけのものだ。それを、自分から他の男に食指を向けようとするなどあり得ないと思うが、最愛の男を失った珠乃は、もはや心が壊れかけていたのだろう。

 

「それほどまでに、何かを憎んでいた・・・」

 

--「吾と晴を、弄んだ報いを受けよ」か。

 

 二人に何が起きたのかは分からない。世界を憎むような理不尽があったのだろう。己の無力を呪ったのかもしれない。だが、雫には、そんな珠乃から学んだことがあった。

 

「お前のおかげでよくわかった。妾は、妾はと久路人は、ただ運が良かっただけなのだ」

 

--今回のことでよくわかったのだ。

 

「久路人が、ずっと妾の、いや、私の傍にいる保証なんてないんだって」

 

 久路人と雫の間にある、いくつもの障害。それが、たまたま今まで牙を剥かなかっただけ。

 

「お前の言ったとおりだよ。私は、たまたま今いる場所に立っていられるだけなんだ。久路人の心が、私じゃない誰かに向くことだって、あるかもしれない。また、お前のようなヤツが来るかもしれない」

 

 今日だけで、雫は学んだ。その魂に刻み付けられた。今まで目をそらしていたそれらを、これでもかと見せつけられた。こうなっては、もう気付かないふりはできない。

 突き付けられた寿命というタイムリミット、珠乃のような自分よりも強い敵。そして、久路人の中にある得体のしれないナニカ。久路人自身の心の在り方。

 

「この世界は、何が起きても不思議じゃないんだ」

 

 様子がおかしかったとはいえ、久路人は雫の言うことに耳を貸すことなく、無茶をした。

 あんな風に、自分のことなど一切気にかけず、他の女に向かうこともありえるのかもしれない。奪われることだってあるかもしれない。

 今日のように、突然平穏が壊され、離れ離れになることだってあるかもしれない。

 あるいは、不幸な事故や病気で、久路人と死に別れることも。

 少なくとも、今のままでは百年も経てば必ず人間の久路人と人外の自分はともに歩めなくなる。

 

「認めない」

 

 ポツリと、小さく俯きながら、しかし、次の瞬間に雫は顔をあげ、カッと目を見開いた。

 

「久路人と離れるなんて、私は絶対に認めない!!」

 

 雫は叫びながら、大きく足を踏み出し、狐の首を踏みつぶした。

 

「妾は・・・いや、私は!!お前と同じにならない!!お前の通った道は歩かない!!」

 

 何度も何度も、細かな肉片になるまですり潰す。まるで、狐の口にした全てを否定するかのように。

 

「私はお前を忘れない。感謝はしないけど、お前のおかげで進む道が決まったから」

 

--雫という妖怪のすべて。それは月宮久路人という少年のために。

 

 雫は、すべてを捧げる覚悟はとうにできていた。身も心も、それこそ命も魂すらも。それを、改めてこの場で見つめなおす。その上で、決める。

 

 グジュリグジュリと、偽りの世界に、雫の足に、その創造主が擦り付けられていく。

 それは、雫にとっての誓いだ。自分にとっての憎らしくも偉大なる先達。その生き様を自分に刻む儀式だった。それが意味するのは決別だ。自分の望まぬ道を歩いた狐との、そして、今までのぬるま湯に浸かっていた雫自身との。

 

「私は絶対に久路人を諦めない!!」

 

 

 その身を蛇から人へと変えた願いは変わらず、否、より強固なモノへと変貌する。

 

 

「久路人の全てを、私のモノにする!!」

 

 そこで、雫は完全に肉片となった狐の首に背を向け、歩き出した。

 

 

--待っているだけじゃ、今の速度で歩くだけでは到底届かない。

 

 

--もっとだ!!もっともっと、先に進まなくてはいけない。

 

 

 それは、傍に迫られる者にとって、決して受け入れられるものばかりではないだろう。

 

 ザッザと、雫は歩く。

 

 

「離れていったら、地の果てまで追いかける」

 

 絶対に逃がさない。

 

「他の女の物になったら取り返す」

 

 誰にも渡さない。

 

「嫌われるのならば、振り向いてもらえるまで居座ってやる!!」

 

 必ず私のモノにする。

 

「でも、それには足りない。久路人の残り時間が足りなすぎる」

 

 足りないもの。それは時間。

 久路人を手に入れ、二人でともに何の気負いもなく歩くには、それ相応の時間がなければならない。

 

 気持ちを伝えきれないうちに、自分の傍からいなくなっている内に、自分を嫌っている内に、人間の久路人が死んでしまったら何の意味もない。久路人のいない世界など、耐えられない。

 

「嫌われてもいい。それでもいいから、生きていて欲しい」

 

 だが、雫には、その解決法をすでに理解していた。奇しくもさきほど、久路人を助けるための咄嗟の行動で。それは、おぞましい方法。人を人でないモノに変えること。

 

「久路人を私と同じモノにすればいい」

 

 久路人の体をああもすぐに治して見せた、癒しの力を持つ妖蛇の血。

 久路人の中に流れる血を、すべてこの自分の血と入れ替える。

 そうなれば、体が壊れても死ぬことはない。時の流れによる劣化すらも受け付けなくなるだろう。

 

「前例はある」

 

 八尾比丘尼、太歳、ヨモツヘグイ。

 

 人間が人ならざるモノをその身に取り込んだ結果、自身もまたソレらに近づくというのはしばしば伝承として残っている。なにより、その逆もいる。

 

「この、私自身が」

 

 十年間、久路人の血を飲んだ雫は、普通ならばありえない速さで霊力を高めている。あの狐も言っていた。妖怪が嫌う臭いは、久路人の血に宿る力と、自分の力が混ざった結果であると。久路人にも臭いがついていないのは、血が混ざっていない証拠だと。逆に言えば、人間である久路人にも力を与えることが可能ということ。ならば、

 

「久路人を、私の、私だけのモノにできる!!」

 

 正確には、雫の「眷属」というべきモノになるだろう。そうなってしまえば、誰にももう干渉されない。

 

『眷属』

 

 それは、力ある妖怪によって、その身を魔に堕としたモノ。力を与えた主に永遠の忠誠を誓うモノ。

 元は吸血鬼という種族のみが使える術であったが、ある吸血鬼の皇族によって、極めて高度なものであれど、体系化された術。

 どんな動物でも、人間でもそうなれるとは限らない。抵抗力がなければ、肉体が崩壊するか、理性を失って畜生に墜ちるかだ。

 詳細までは語られていないために雫は知らないが、霧間朧の結んだ「血の盟約」も一種の眷属化だ。

 

「少しづつでいい。私の時みたいに、すこしづつ」

 

 だが、久路人ならば問題はないだろう。久路人は霊力の扱いに苦慮しているが、それはその身に秘める力が大きすぎるからだ。霊力による過負荷をかけないように、自分が子蛇のときに、少しづつ血を飲んでいったように、焦らず確実に染め上げてやればいい。

 

「眷属にしてしまえば・・・・」

 

 離れたくても、主たる自分から離れられない。

 他の誰にも奪わせない。干渉させない。

 己の一部、半身とも言っていい存在。

 それが、眷属。

 

「でも・・・」

 

 だが、当然問題もある。

 

「・・・・・」

 

 そうして、雫はたどり着いた。己の愛する少年の元に。

 

「久路人に、本当に嫌われるかもしれない」

 

 それは、先ほどから何度も何度も頭をよぎっていること。

 今まで恐れていたことは、「もしも」という仮定の中にあった。しかし、それに手を染めれば、仮の話では済まなくなる。

 だが、それは当然だろう。人間として生まれてきたのに、雫自身の我がままで人間を辞めるとなったら、普通の神経をしていれば受け入れられるはずがない。

 

「・・・・・」

 

 雫は、もう一度久路人の頭を膝の上に乗せた。久路人の髪を優しく撫でる。サラサラとした感触が心地よかった。

 

 久路人に嫌われる。拒絶される。

 

 それは雫が今までで一番恐れてきたことだ。

 それに比べれば、自分の血が混ざって汚染され、久路人の血を味わうことも力を取り込むこともできなくなることなど本当にどうでもいいことだ。

 

「・・・・でも」

 

 だが、それよりも恐ろしい事態が起こり得ると、今日知った。

 

--永遠の別れ

 

 そうなった道を歩んだ者の末路も見た。

 もしかしたら、自分も歩いていたかもしれない道の果てに行きついた結果を。

 

「・・・・・」

 

 今度は、傷の塞がった頬を撫でた。

 暖かかった。柔らかかった。ずっと守りたいと思える優しさがあった。

 触れる久路人の存在すべてが、雫の背中を押した。

 

「大丈夫・・・」

 

 雫は、久路人の温もりを感じながら呟いた。

 

 蛇は、覚悟を決めたのだ。

 例え疎まれることになろうとも、決して止まらない覚悟を。

 

 

「久路人は、他の人間とは違うもの」

 

 雫から見て、月宮久路人は元よりただの人間とは住む世界が違う。彼の身に宿る力を別にしても、人間の住む世界に適応できていない。彼にとって周りは自分と姿かたちは同じなれど分かり合うことはできない存在であり、干渉すべき存在でもない。そういう致命的な「ズレ」を抱えている。

 

「だから、大丈夫」

 

 もしも人間を止めたとしても、それまで人間社会で生きてきた久路人にはすぐには慣れないかもしれないが、元々ズレている久路人ならば、必ず受け入れることができるという確信が雫にはあった。

 それに、もしも、危惧する通りになったとしても・・・

 

「久路人が私と同じになれば、時間は私の味方だから」

 

 それまで自分たちを追い詰めていた時間は、それからは味方となる。

 嫌われたのならば、振り向いてもらえるまで居座る。

 喉が枯れようが、愛の言葉を贈ろう。

 例え千年経とうが万年が過ぎようが諦めない。

 他の人間の女は年老いて消えていき、妖怪は、あの月宮家に籠っていれば近寄れない。無理にでも近づいて来るなら、生まれてきたことを後悔させるぐらい惨たらしく殺してやる。

 京たちが邪魔をするのなら、どんな手を使ってでも排除する。

 いや、さきほどの行為が禁止されなかったということは、契約が緩んでいると言えど、あれは救命行為とみなされたということ。久路人の命を長らえさせたいという想いに、一切の偽りはない。ならば、京たちも自分には手を出せない。

 つまり、久路人を、雫だけが独占できる。

 永遠とも言える時間があれば、きっと久路人は分ってくれる。

 

--それは分かる!!なぜならば、今までずっと見てきたから!!

 

「そうすれば、そうなれば・・・・」

 

--そうすれば、久路人は、私のことだけを考えて、私のことだけを見てくれる。

--ずっと、私の傍にいてくれる!!

--永遠の時を、一緒に歩いていける!!

 

「ふふふ、ふふ、ふふふふふふふふ・・・・・・」

 

 雫の顔に、蕩けたような、歪んだ笑みが浮かぶ。

 

「ふふ、ははは・・・アハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!」

 

 とうとう、雫は笑い出した。

 その笑みは、誰もが目を向けてしまうほどに艶やかで、同時に、誰もが背筋を凍らせるような狂気を孕んでいた。

 

「ああ、久路人・・・・」

 

 そこで、雫はもう一度氷の刃を作り出した。

 雫の手首に、赤い線が走る。

 同じ色の瞳には、すぐ傍にいる少年への狂おしいほどの愛情と劣情が渦を巻いていた。

 恍惚とした表情のまま、その血を口に含む。

 

 

--私は、貴方のためにすべてを捧げる。

 

 

「だから・・・」

 

 

--だから、貴方の全てを、私にちょうだい?

 

 

「すべては・・・」

 

 

--永遠にあなたと共に在るために。

 

 

 二つの影は一つになり、深紅の液体が、今一度、少年の口に落ちていった。

 

 

-----------

 

「あ、出れた」

 

 久路人を背中におぶった雫は、亀裂から、現実の地面へと踏みしめた。

 

「術具も反応してない・・・・間違いなく現実だね」

 

 改めて自分の腕に嵌った術具を見るも、反応はない。その術具は久路人の持っていたものだ。

 雫の持っていた幻術対策の術具は壊れてしまっていたが、久路人の持っていたものは無事だったのだ。

 どうやら、黒鉄とともに久路人から没収していたようで、ススキ原の片隅に落ちていたのだ。後で解析でもするつもりだったのかもしれない。

 

「時間は・・・もう夜だね」

 

 雫たちが出てきたのは、珠乃に案内された広場だった。どれほど時間が経っていたのか、夕陽は落ちて、夜のとばりに包まれていた。月はススキ原のような満月ではなく、細い三日月だ。

 

「さてと、これからどうしようかな?とりあえず京に連絡はするとして、久路人を病院に運ばなきゃ。でも、普通の病院に連れてっていいのかな?」

 

 雫は少しの間悩んだ。

 自分たちは完全に訳アリである。自分が実態を現わせば受け付けはしてもらえるかもしれないが、何やら面倒なことになりそうな気がする。

 

「それに、学校のこともあるしな~。というか、他のヤツらはどこ行ってたんだろ?」

 

 そういえば、自分たちは元々他の生徒からはぐれたと騙されて連れてこられたのだ。何かしらの細工を生徒側にもしていたのだろうが、あの狐のことだから、陣の外で大ごとになるようなことはしないだろう。多分、あの無駄に肥えた脂肪の塊で馬鹿な男子でも誘惑したのだろう。

 

「ま、いっか!!面倒なことは全部京にまかせちゃお。そもそも、京が珠乃に気付いてればこんなことにはならなかったんだし、自業自得だよね」

 

 雫は、考えるのが面倒になったのか、京に丸投げすることに決めたようだ。

 雫自身もまだ本調子とは言い難いため、疲れがたまっているというのもある。

 

「そうと決まれば、とりあえず一旦旅館に・・・・!?」

 

--ビシリ!!!

 

 辺りに響き渡るような、何かにヒビが入る音がした。

 

「なっ!?」

 

 雫の目の前の広場に、黒く大きなクレバスのような裂け目ができていた。

 裂け目からは、濛々と肌を舐めるような濃い霊力が流れている。

 

「なにこれ・・・これは、瘴気?これ、もしかして、『大穴』!?」

 

『大穴』

 

 それは、常世と現世の間にある狭間に空いた、文字通りの大穴だ。

 今の現世は忘却界という共通認識を糧にした結界で、普通は小規模、できても中規模の穴が精々だった。

 大穴を使えば、神格持ちすら常世から現世に移動ができる。

 

「陣を開いたのと、久路人が使った術のせい?って、こんなこと考えてる場合じゃ・・・・!!!」

 

 過去、トカゲモドキに襲われる切欠となった穴も、久路人の霊力が原因で空いたものだった。陣の中とはいえ、霊力をほぼ全開放し、あまつさえ陣を破壊して現世に干渉したのだ。大穴が空いても不思議ではなかった。

 

--ォォォオオオオアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!

--ギギャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!

--アォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンンンン!!!!!!!!

 

「きゃっ!?」

 

 辺りに、耳をつんざくような、無数の咆哮がこだました。それは、大穴の奥から響く声だった。

 

「穴の向こう、何かいる!?」

 

 その大穴が常世のどこに繋がっているのかは分からない。

 雫は過去に常世にいたこともあるが、あそこは現世よりもよほど混沌とした世界だ。常世の中でいくつもの世界に分かれ、強者が徘徊する場所もあれば、弱者が寄り集まるところもある。

 だが、少なくともこの大穴の向こうにいる連中は、中規模の穴を易々と抜けてくるレベルのやつらとは格が違うのは分かった。

 

「まずい!!今の私じゃ・・・・!!!」

 

 今の雫は、本調子とは程遠い。それでも一人だけならばなんとかなるかもしれないが、雫は久路人を背負っている。当然、捨てていくなどあり得なかった。

 

「早く、早く逃げなきゃ・・・・!!」

 

 そうして、雫が走り出した時だった。

 

--オオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!!

 

 巨大な熊のような妖怪が大穴から這い出てきた。

 三つの頭を持ち、その毛は太い杭のように鋭く尖っている。

 ケルベロスと熊とハリネズミを掛け合わせたような妖怪だった。

 

「ちっ!!」

「グルルルルルルルル」

 

 熊の三つの首にある、計六つの目は、一心に雫を、雫の背中を見つめていた。その狙いは明らかだった。

 

「・・・・どこをほっつき歩いていた木偶の坊か知らんが」

「ゴォォォアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 雫が何か言っていることなど気が付いていないように、熊は爪を振り上げて襲い掛かってきた。

 そのコースは久路人はもちろん、雫も引き裂くコースである。

 

「久路人に手を出して、タダで済むと思うなよ!!」

「ゴギャァァアアアアアアアアアア!?」

 

 雫の瞳が紅く輝いた瞬間、熊の腕は氷漬けとなった。突然のことに驚いたのか、熊の動きが止まる。

 

「はぁっ!!!」

「ゴ・・ガ・・・」

 

 その隙に、雫は薙刀を作り出し、久路人を背負ったまま跳躍。

 片腕のみであったが、そのひと振りで三つの首を叩き落した。

 

「チッ!!最初の邪視だけでケリがつけられないとは!!」

 

 雫は舌打ちした。

 本当に、力が出せていない。それもあるし、大穴から出てきた妖怪の格は、普段襲い掛かって来る連中よりはるかに上だった。封印される前の雫より少し弱いくらいだろう。

 どうにかこうにか一体は瞬殺できたが・・・

 

「クソッ・・・・」

「ギァァァアアアアアアアアア!!!」

「ゴルォォォオオオオオオオオオ!!!」

「キシキシキシキシ・・・・・・・」

 

 雫と久路人はすでに囲まれていた。

 四本の腕を持つ猿のような妖怪。ワニのような頭に、人間の体を持った化物。無数の鋏を備えた付属肢を持つムカデのような人外。他にもウヨウヨと大穴から湧き出していた。

 いずれも、さきほどの熊モドキと同程度の霊力を持っているようだ。

 雫の悪臭に怯みつつも、久路人の発する霊力に引き付けられているのか、散らばっていく様子はない。

 

「・・・・妾は、私は、決めたのだ」

 

 だが、そんな大妖怪の群れを前にしても、雫は怯んでいなかった。

 その闘志は、むしろ燃え盛っていた。

 

「私は、永遠に久路人とともに在ると」

 

 雫は、体中の霊力をかき集める。

 さっきまでいた崩れゆくススキ原で決めた覚悟が、霊力の源となる。

 すべては、己と久路人の永遠に続く日々のために。

 まだ一歩を踏み出したばかりなのに、止まれるわけがない。

 群れに向かって、雫は吠えた。

 

「貴様らごときに、邪魔などさせるかぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!」

「「「ォォォオオオオアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」」」

 

 雫の叫びをかき消すように、妖怪の群れが吠えた。そして、とても食えそうもない悪臭を放つ蛇の少女が背負う、極上の獲物を食わんと雄たけびを上げながら飛び掛かろうとして・・・・

 

 

吸血皇ノ哄笑(ブラッディ・ハウリング)

「「「ギギャアアアアアアアアアアアア!!!!!!?」」」

「何!?」

 

 突然現れたコウモリの群れが、嘲笑うかのように飛び回りながら目に視えない何かを放った。

 すると、妖怪たちは全身を細切れにされたかのように、内側からはじけ飛び、大地を汚した。

 

「グゥゥウウウウウウ・・・ォオオオオオオオオオオオ!!!!」

 

 大半の妖怪は汚いシミと化した。

 しかし、大穴の近くにいた猿モドキはコウモリの範囲から逃れていたらしい。

 他に残っていた妖怪とともにひと塊になって、なおも雫を狙おうと身構え・・・・

 

枯山水(かれさんすい)

「「「ゴガァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!?」」」

 

 その行為は、突然駆け込んできた影によって無意味となった。

 なぜかガスマスクのような物を被った長身の男が振るった、血のように赤い刀身の大太刀に、猿モドキたちはまとめて切り捨てられた。斬られた体は未だに動いていたが、やがてその体躯から血が不自然な量と思えるほどに流れ落ち、ミイラのようになって死んでいった。生命の源たる赤い液体を酒を楽しむように、赤い刀が飲み干していく。

 

「な・・・お前は?」

「・・・・・」

 

 雫はガスマスク男に声をかけたが、返事はない。

 むしろ、雫の方を振り向くと、ビクリとガスマスクごしに鼻を押さえるような仕草をして、凄まじいスピードで離れていった。

 

「な!?失礼だろう、貴様・・・・」

「失礼なのはアンタの体臭よ」

「なんだとぉ!?」

 

 そこで、どこからか少女の声が聞こえてきた。

 雫が辺りを探すも、人影は見えない。

 そうして、首をあちこちに向ける雫の前に、一匹のコウモリが現れた。

 

「ここよ、ここ!!使い魔ごしに失礼するけど、それはアンタの体臭のせいだから」

「貴様・・・・・」

 

 本来は礼を言うべきとは頭で理解しているものの、自分を産業廃棄物のような扱いをしてくるその声にムカつきを覚えるのは仕方がないだろう。

 

「なぁに?アンタ、助けられたのにお礼も言えないの?はぁ~ヤダヤダ。これだから礼儀のなってないヤツは・・・・京のヤツはきちんとした礼儀作法も教えなかったのかしら?」

「お前、京を知っておるのか?」

 

 腹を立てていた雫だったが、コウモリが口に出した名前に反応する。

 

「ええ、もちろん知ってるわよ。同僚だもの。色々とアンタは礼儀がなっていないけれども、アタシの管轄するエリアの近くで起きた騒動に間に合わなかったお詫びも兼ねて、無作法には目をつぶって教えてあげる」

 

 そこで、コウモリは、いや、コウモリの主は名を名乗った。

 

「アタシは『学会』の幹部。『七賢』の第五位の席を預かる者。霧間リリスよ。んで、さっき刀を振り回してたのがアタシの旦那の霧間朧」

「七賢・・・」

 

 雫は驚きに目を見開いた。

 

 七賢は、この世の異能を扱う者たちの総本山である学会の7人しかいない幹部だ。全員が神格持ちであり、とてつもない実力者たちである。

 

「元々、京とも話をして、なんだかきな臭いことになってるのは知ってたんだけどね。まさか陣まで使えるようなのがいるなんて想定外だったわ・・・・まあ、ともかく、それでこの地にあった雷に気付いてここに急行したってワケ。ああ、ちなみに京には連絡済みよ?後で確認してもいいけど」

「なんとも・・・・」

 

 雫としては、突然の急展開に驚きである。だが、その言葉を疑う余地はなかった。

 雫も当然、七賢の情報は知っていたからだ。その得意とする術なども頭に入っていた。

 

「使い魔を扱う術に、霧間・・・・お前が『紅姫』か」

「リリスって名乗ったでしょうが。あんまりそのチュウニビョーみたいな呼び方は好きじゃないの。呼ぶならリリス様って言いなさい。リリスさんでも可」

「う、うむ、わかった、リリス、さん」

「む~、まあ、いいわ。それよりアンタたちは一度京と合流なさい。送ってってあげるから」

 

 そこで、どこからかパチンと指を鳴らす音が聞こえた。

 

召喚(サモン)亡霊馬(ファントム・スティード)

「おお!?」

 

 現れたのは、半透明の馬と、二頭立ての馬車だった。馬ごと、わずかに宙に浮いている。

 ギィィィと雰囲気のある音を響かせて両開きのドアが開く。

 

「この馬車には、アンタの住んでた街まで送るように言ってあるわ」

「お前たちは、どうするのだ?」

 

 七賢という立場の者がわざわざ出てきたのだ。確かに今ここで起きている事象はただ事ではないが、自分たちに何も聞かないでいいのだろうか?

 

「アタシたちは、ここに空いている大穴の封印作業をするわ。開いたばかりなら、封印もまだ楽だし。それで、そのためにはアンタの背負ってる子には離れてもらった方が都合がいいのよ」

「・・・・・・」

 

 少なくとも、これまでこのコウモリが言うことに筋は通っているし、自分が知る七賢の情報とも一致している。どのみち、あの霧間朧という男も併せて、自分たちよりも格上であろうことは間違いない。下手に逆らっていいことはなさそうであった。

 

「・・・・わかった」

 

 雫は馬車に乗り込んだ。

 そして、自分の膝に久路人の頭を乗せ、座席に久路人を寝かせる。

 すると、馬車の扉が勝手に閉まり、ヒヒーンと馬が高らかにいななく。

 

「あ!!馬車の中にアタシの連絡先のメモがあるから、ちゃんと持って帰りなさいよ!!それじゃ、発進!!」

 

 リリスが号令を出すと、馬車がフワリと浮かび上がる。

 馬車はそのまま走り出し、滑るように山の斜面から滑空すると、三日月の浮かぶ空へと舞い上がっていった。

 

「ふぅ・・・・」

 

 馬車の中で、雫は久路人の頭を撫でながら息を吐いた。

 未だに完全に警戒を解いたわけではないが、それでも限界が近かったのだ。

 

「さすがに疲れた・・・・」

 

 修学旅行の最中で、突然神格を持った妖怪に襲われ、陣の中に閉じ込められた。

 陣の中で激闘を繰り広げるも、敗北し、久路人を奪われかけた。

 そうこうするうちに、久路人が突然目覚めたかのように世界を壊すような大技を使い、撃破。

 だが、脱出するも久路人の影響か、大穴が開いた。

 大妖怪の群れに囲まれ、襲われかけたが、七賢の第五位が駆けつけて助けられた。

 そして、今は空飛ぶ馬車に乗って、帰路についている。

 文字に起こすだけでも激動の一日であった。

 

「ごめんね、久路人。私も、少し・・・寝る」

 

 そうして、雫の首がカクンと垂れた。

 そのまま、スゥスゥと寝息を立て始める。

 

--ヒヒィィ~ン!!!

 

 御者のいない馬車を引く馬は、空の上でいななきながら、主に命じられたように、もう一人の七賢にして、馬車で眠る二人の保護者が待つ街へと向かうのだった。

 

 

-----------

 

「行ったわね」

 

 馬車が去った後の広場で、コウモリたちが集まって蚊柱のようにまとまると、そこから金髪をツインテールにした少女が現れた。その手には黒い傘が握られている。

 

「朧、それ、もう外していいわよ」

「・・・・ああ」

 

 そして、今まで大穴から現れたいた妖怪を次々と切り捨てていた朧が、ガスマスクを取った。ガスマスクは、臭い防止のための術具であるが、雫の臭いはそれを貫通したらしい。

 

「・・・・ひどい臭いだった」

「同感ね。ちゃんとお風呂はいってるのかしら、あの蛇。使い魔越しでも少し臭うとか本当に何なのよ」

 

 二人して、雫が発していた悪臭に辟易とする。

 臭いにうるさい吸血鬼と、その眷属である血人だからこその文句である。

 もちろん、臭いは霊力のせいであって、雫は毎日風呂に入っていると、雫の名誉のためにここに記しておく。

 

「まあ、いいわ。あの子たちのことも含め、後の面倒ごとは全部保護者さんに任せましょ。アタシたちには別にやるべきことがあるわ」

「ああ」

 

 そこで、二人は目の前に広がる大穴を見た。

 

--オオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!!

--ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!

 

 その暗闇からは、未だに多くの雄たけびが聞こえてくる。よほど血の気が多い連中のいるところに繋がっているようだ。

 

「さて、本当にヤバいのが来るかもしれないし、さっさと塞いじゃいましょ。アタシは術に集中するから、いつも通り頼むわよ」

「任せてくれ」

 

 朧からの返事は短かったが、リリスにはそれで十分だった。

 もっとも信頼する、この世で唯一のパートナー。彼が任せろと言ったのならば、自分は絶対に安全だ。

 目をつぶり、傘を杖のように振るいながら、封印の術の準備をする。

 

(それにしても・・・・)

 

 朧が妖怪を切り捨てるたびに響く断末魔を聞きながら、リリスは思う。

 

(あの子たち、色々と拗らせてそうだけど、どうなるのかしらね・・・・ちゃんと結ばれてくれるのが、一番平和に済みそうだけど)

 

 七賢として、異種族と結ばれた先達として。

 馬車に運ばれていった二人の行く末が、波乱なく実を結ぶように小さく祈るのだった。

 

 

-----------

 

 同時刻。

 

「あの雷は、あの力があれば・・・・・」

 

 霧深い谷の集落で、一人の少女は恨みがましく呟いた。

 

 

-----------

 

 同時刻。

 

「おお、とうとう目覚める者が現れた!!初代以来の、現人神ぞ!!」

 

 山に囲まれた、丸く切り抜かれたような土地に建てられた屋敷の中で、一人の老人が歓喜に震えた。

 

-----------

 

・・・・・そして

 

「ククッ!!」

 

 同時刻、葛城山の近くの森の中。

 注連縄が巻かれていた、砕けた岩の影で、ナニカが嗤った。

 

「クククッ!!クハハッ!!」

 

 楽しそうに、本当に楽しそうに、クツクツと。

 

-----------

 

 この日より、世界は変わる。

 

 一人の少年が、その身に眠る力を呼び覚ましたことで。

 

 祝福された少年が、想い人に何を想おうと。

 

 蛇の少女が、想い人に何を想うと。

 

 この世界の鍵を握りかねない力を巡り、すべてが動く。

 




感想、評価プリーズ!!
次は閑話を挟んで、いよいよ時系列は現在に進みます!!

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