白蛇病恋譚~拾った妖怪に惚れて人間やめた話   作:二本角

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火曜日+2時間で投稿!!間に合った!!
でも、眠いんで後で手直しするかもです!!


白蛇と彼の一日(高校生編3)

「まったく、久路人ったら、昔から変なところで頑固なんだから」

 

 月宮家の一階にある台所。

 普段はストレートにしている銀髪をポニーテールに結んでからエプロンを身に着けた雫は、グツグツと煮える鍋の前に立っていた。鍋からは実に食欲をそそる匂いが沸き立ち、卵とトマトソースを落とされて赤色になった卵粥が湯気を立てている。

 

「久路人は「まだ」人間なんだから、無茶しないで欲しいんだけどな」

 

 少々怒っていたように呟いていた雫であったが、途中で何かを思い出したのか、嬉しそうな顔になる。

 

「ふふ、でも、護衛として傍にいられるのも悪くないね。京の話だと、まだまだ久路人のボディガードは必要ってことだし」

 

 雫にとって、久路人と一緒にいる理由は多ければ多いほどいい。それだけ離れにくくなるから。

 神の血に頼らないようにするために、久路人を厄介ごとから遠ざける。襲い掛かって来る敵はすべて自分が倒し、二人だけでこの閉じた屋敷の中に籠る。それは久路人が弱い人間の肉体でいる時にだけ味わえる贅沢だ。永遠を一緒に生きるのは最高だが、自分なしでは生きていけない久路人とというのも中々にいいものだと雫は思う。

 

「ゆっくりゆっくり進めていくけど、血もそのうち美味しくなくなるだろうし、今の内にたっぷり堪能しないと・・・っと」

 

 そこで、鍋の沸騰が激しくなってきた。十分に火が通った証拠である。雫はクッキングヒーターのスイッチを切ると、スプーンに少し粥を掬って、本来の意味での味見をする。

 

「ん!!ちょうどいい塩加減だね。よし、いい出来!!」

 

 粥の味付けはどうやらうまくいったようだ。雫の顔に満足げな笑みが浮かぶ。

 

「でも、『隠し味』が、まだ入ってないよね」

 

 だが、次の瞬間に浮かべていた笑みの質が変わった。

 理想の味付けができたと子供のように素直に喜ぶ笑みから、思わず目が離せなくなるように妖艶な、されどどこか粘ついたように恍惚とした、ドロリとしたソレに変わる。

 

「ふんふ~ん♪ふふ、こういう時は、不謹慎だけど久路人が動けなくてちょっと助かるかも」

 

 雫が取り出したのは、銀色に輝く包丁だ。雫愛用の一品であり、毎日毎日丹念に手入れをしており、変わらない切れ味を保っている。そして最近では、その「用途」から、まるで妖刀のような妖しさを醸し出していた。

 

「いつもは、久路人にバレないかちょっと心配しながらだけど、今日は大丈夫だしね」

 

 ハァッと息を吹きかけて、念入りに布きんで拭う。

 いつもの朝ならば、雫にここまでやる暇はない。久路人は朝が弱く、雫が味見をした後は少しまどろんでいるとはいえ、その隙はわずかな間しかないからだ。雫としても久路人が寝ている早朝に「仕込み」をした方が効率的だとはわかっているが、それは久路人との同衾タイムを減らすことになる。苦渋の決断の上、朝のわずかなひと時の間に必要なことをするという選択を選んだ。だが、今の久路人の状態ならばベッドから動かないだろうし、その気配もない。なので、念入りに道具の手入れができるというわけだ。

 

「うん、きれいになったね」

 

 幾重もの磨きによって、鏡のように輝く包丁に自分の顔を映し、満足げな笑みが浮かぶ。

 そして、熟練の板前のごとき手つきで、包丁を手に取り・・・・

 

「ふふ、えいっ♪」

 

 そんな可愛らしい声とともに、銀色が一閃され、雫の手首に赤い線が走る。

 

「隠し味、たぁ~っぷり入れなきゃね」

 

 雫の華奢な手首から迸る赤いシャワーが、粥の色をさらに赤く染めていった。

 そのまま思わず「トマトソースを入れたから」では誤魔化せなくなるほどの量を入れてしまいそうになってしまったが・・・・

 

「ふぅ~・・・まだ焦っちゃダメ。今は、本当に少しずつ入れなきゃ」

 

 およそ、コップ半分程度の量が入ったところで、雫は慌てて傷を塞いだ。

 

「まだまだやり始めたばかりなんだし、慎重に、慎重に・・・・」

 

 雫の「久路人眷属化計画」はまだ始まったばかりだ。

 旅行から帰ってきてからの朝からずっと、雫が久路人の朝食を作っているが、そのすべてに今のように血を混入させていた。ただし、血の色や匂い、霊力の残り香などでバレないように、また、久路人にとって急激な変化を起こさないように、少しずつだが。

 

「本当は、もっとたくさん入れたいんだけどな・・・」

 

 ハァと熱のこもった吐息と欲情したかのような上気した顔で悩まし気な目を鍋に向ける。

 だが、ここは我慢しなければならない。久路人の体のことも大事なのはそうだが、ここでバレてしまえばすべてが終わりだ。もっと眷属化が進行した段階でならともかく、今バレた場合には間違いなく京に追放されるだろう。そうなってしまえば久路人を浚ってどこかに監禁するしかないが、そこまでのことをしてしまえば契約が反応するのは避けられない。というか、想いが通じ合った後のプレイでやるなら興味津々だが、できることなら久路人が嫌がりそうなことをこれ以上重ねたくはなかった。無論、必要とあらばためらわないが。

 

「でも・・・」

 

だが・・・

 

「んっ・・でも・・わかってる、わかってるんだけど・・・」

 

 そこで雫は包丁を傍に置き、鍋の火を止めてしゃがみ込んだ。

 

 

--頭では、少しづつ進めなきゃって分かってる。でも、気持ちが止められない。

 

 

「ハァ、ハァハァッ・・・だって、だって・・・」

 

 先ほどまでは平常通りだった呼吸が、荒くなった。

 頬の赤みはますます強くなり、下腹部が熱くなる。

 

 

--だって、久路人と朝からあんなことしたんだもの。

 

 

「ダメ・・・我慢、できない・・・!!」

 

 とうとう、手を服の下に滑り込ませるのを止められなかった。

 

 

-- 新鮮な血ならば、それこそ、久路人の匂いに包まれながら、吸血鬼のように直接その体から吸えば・・・--

 

 それは、まだ雫が人化したばかりのころ、瓶に保存された久路人の血を飲むたびに思ったことだ。

 あのころは、鮮度の落ちた血であっても、体の疼きがこらえられずに自分を慰めてしまった。

 初めてその欲求の解放に成功したときは、しばらく自分が何をしていたのか自分でも把握できないくらい茫然としていたものだった。

 そこから水無月と名乗ることを決めてから、どうにか自制できるようになったのだが、『味見』の提案が通ってしまった日から、過去の自分が妄想していたことが現実のシチュエーションとなったのだ。

 

「ハッハッハッ・・・・」

 

 

--毎日、久路人と一緒に目が覚める。私の体に、久路人の匂いがたっぷり付いてて、久路人の方からも、私の匂いがする。

 

 

「ハッハッ・・・んっ!!」

 

 

--そのまま、恋人みたいに体をくっつけて、もっともっと濃い匂いを付け合って、首筋にキスしてから、あったかい血を吸う。久路人だって、私に顔を近づけて、くんくん私の匂いを嗅いで・・・・

 

 

「んぅっ・・・あっ!!!」

 

 

--それから、朝ごはんの用意をするけど、隠し味に私の血を入れる。ちょっとしたら、久路人も着替えて降りてきて、朝ごはんを食べる。私の、血と、一緒に・・・!!

 

 

「はっ!!あっ!!んぁっ!?」

 

 

--毎朝毎朝、お互いの体液を交換してる!!私と久路人が混ざり合って、侵しあってる!!久路人が!!久路人が・・・・・!!!

 

 

 料理をしていたらとてもしないような淫らな水音が台所に響く。

 雫がその名の如く水滴を滴らせ・・・・

 

 

--久路人が、どんどん私のモノになってく!!!!私に染まっていく!!!!

 

 

「久路人、久路人、久路人・・くろ、とぉ・・ふわぁっ!?」

 

 最後には、想い人の名をうわごとのように口にしながら、朝からの濃厚な体験によって溜まった欲望を解放した。

 

「はぁはぁはぁはぁ・・・はぁ、また、やっちゃった・・・・」

 

 びしょ濡れになった指やら下着やらを見下ろしつつ、雫はため息を吐いた。

 霊力を操り、水気をすべて飛ばして元通りにする。

 

「もう・・・ここのところずっとだよ・・・・」

 

 ここ最近は、朝からずっとこのように昂ってしまうのを止められないでいた。同衾だけならばまだ我慢できるのだが、久路人の匂いを体に付け、自分の匂いを嗅がれながら血を直のみし、さらにこれから自分の血をこっそり飲ませるなどと考えてしまうと、とてもでないが耐えられないのだ。どうにか朝食を用意するまで耐えられても、久路人が自分の体液ごと朝食を食べているのを見ていると、体が燃えるように熱くなる。とりあえずは、久路人が身だしなみを整えたり、トイレに行っている間に、2階のトイレか自室で素早く済ませているのだが、今日は久路人が動けないために妙な解放感があったのと、台所という普段とは違う場所という背徳感のせいでいつもよりも激しくなってしまった。そんな自分を、自分でも気持ちが悪いと思うし、心底嫌気がさすのだが・・・

 

「まあ、止める気はないけど」

 

 雫に、久路人の眷属化を止めるつもりは毛頭なかった。

 昔は、今も感じている嫌悪感に負けて足踏みしてしまっていた。

 久路人とのスキンシップで、嫌なことから目をそらそうとしていた。

 けれども、自分はもう止まらない。同衾にしたって、血の直飲みだって、今しがたの自慰にしても、すべては過去の自分との決別の産物だ。ここまでやったからにはもう後には引けないという、自分への追い込みだ。不退転の決意の現れなのだ。まあ、自己嫌悪はするが。

 

「はぁ~・・・あ!!お粥!!」

 

 自己嫌悪に浸っていた雫が慌てて鍋を確認すると、粥は少し冷めていたのだった。

 

 

 

-----------

 

「うん!!改めて味見してもいい感じだね!!トマトソースを入れてよかった!!」

 

 久路人の部屋に続く階段を登りつつ、指で掬った粥を舐めとり、満足げに雫は笑う。

 結局あの後温めなおすことになったが、味には別段問題はない。

 

「色も別におかしくないし、これならいけるね!」

 

 水を操ることにかけては妖怪のなかでもトップクラスである雫ならば、濃度の変化によって味や香りを調整するなど造作もないことだ。雫が食べてみても、血の香りも味もしない。

 そのまま踊るように廊下を進み、お盆を持っていることなど感じさせないように軽やかに歩いて、あっという間に久路人の部屋の前に着いた。

 

「よし・・・・久路人!!お粥できたよ~!!」

 

 そして、雫は扉を開けて中に入る。

 

「・・・雫?」

 

 部屋の中に入ると、久路人はベッドの上で眠たそうな顔をしていた。

 顔色が朝よりも少し赤い。熱が上がってきているのかもしれない。

 

「久路人、大丈夫?お粥作ってきたから、食べて?」

「うん・・・・」

 

 雫の顔を見て、なぜか一瞬申し訳なさそうな顔になったが、すぐにいつもの柔和な表情に戻る。

 もしかしたら、こんな風にお世話されることに後ろめたさを感じているのかもしれない、と雫は思った。思えば、久路人は体が丈夫なのでここまで風邪をこじらせるようなことはこれまでなかったのだ。当然、看病された経験もない。

 

(ということは、私が久路人の初看病いただきってことだね!)

 

 内心で、またひとつ久路人の初めてを奪ったことに喜びと謎の興奮を感じつつも、それをおくびにも出さず粥の乗った盆を差し出す。

 

「じゃあ、いただきます」

「うん、召し上がれ!!」

 

 そうして、久路人の膝の上にお盆を乗せ、スプーンを震える手で持った時だ。

 

「「あ」」

 

 カランと音を立てて久路人の手の中からスプーンが滑り落ちた。

 もう一度、盆の上に戻ってしまう。

 

「ごめん、ちょっと手が滑ったみた・・・」

「貸して!!」

 

 久路人がもう一度手を伸ばそうとしたとき、それを遮るように雫が先にスプーンを掴んだ。

 

「雫?」

 

 久路人がぼんやりとした目で不思議そうに雫の顔を見る。

 

「・・・・・」

 

 一方の雫は、真剣な顔でスプーンを見つめていたが・・・・・

 

「スゥ~・・・・よし!!」

「?」

 

 深呼吸を一回すると、気合を入れるように一声いれて、お盆の上の粥にスプーンを突っ込んだ。

 そして・・・・

 

「あ、あ~ん・・・」

「えぇ!?」

 

 熱で顔を赤くした久路人に対抗するように、頬を染めながら雫はスプーンを久路人の目の前に突き付ける。久路人としては朦朧としていることを差し引いても状況の把握に時間を要した。

 

「あの、雫?」

「あ~ん!!」

 

 久路人が問いかけるも、雫は一向に手を引っ込める様子がない。視線は真正面から久路人を見る余裕がないのか、壁の方を向いているが、チラチラと久路人の目をチラ見していた。

 

「えっと、その・・・」

「さ、さっきスプーンうまく持ててなかったでしょ!!だから、私が食べさせたげる!!それに、は、早くしないとせっかく作ったのに冷めちゃうでしょ!!だから早く、あ、あ~ん!!!」

 

 いつまでも踏ん切りのつかない久路人に業を煮やしたのか、若干ヤケになったかのように早口になりながらも、スプーンを久路人の口に付くギリギリまで伸ばす。その顔は、とうとう久路人よりも赤くなっていた。

 

「・・・・んぐ」

 

 熱の影響もあってなんだかもう考えることが面倒くさくなったのと、なにより雫の剣幕に押されて久路人は素直に己の欲望に従った。大人しく、雫の差し出したスプーンを口に含む。

 

「ど、どう?美味しい?」

 

 雫が少し不安げに聞くも、久路人はモグモグと口を動かしているだけだ。

 そのうちに、ゴクリと音を立てて粥を飲み込んだ。

 

「美味しい・・」

「そっか!!よかったぁ!!」

 

 久路人からの評価に、雫はホッと胸をなでおろす。

 きちんと自分で味見もしたが、やはり「隠し味」がうまく受け入れられるかは、ここ最近毎度のことではあるものの、少し不安だったのだ。

 

「でも、なんかトマトっぽい味するし、これってお粥じゃなくてリゾットじゃないの?」

「リゾットは最初にお米を油なんかで炒めてから使うから、これはお粥なんじゃないかなぁ?まあでも、美味しいならよかったよ。じゃあ、また、あ~ん」

「・・・・んぐ」

 

 今度は、二人ともスムーズな動きだった。

 久路人は、雫が一度やり始めたことを早々諦めないのをよく知っている。一回「あ~ん!」をやり遂げた以上、このお粥を自分の手で掬って食べることはもうないと確信していた。

 

しかし・・・

 

「熱っ!?」

「わっ!?大丈夫?」

 

 粥の温度が熱かったのか、久路人は反射的に吹き出しそうになった。だが、かろうじてその衝動に耐えて、時間をかけて飲み込む。最初の一口が食べられたのは、雫が「あ~ん」を迷ってなかなか久路人に差し出せない内に冷めたのだろう。

 

「は~、熱かった・・・」

「ごめんね、久路人」

「いや、大丈夫だよ。でも、もう少し置いておいた方がいいかな・・・」

「・・・・・」

「雫?」

 

 しばらく置いて冷まそうと久路人は思ったが、雫は再び何かを思案する顔をしていた。さっきの今である。久路人はなんとなく嫌な予感がした。

 

「えっと」

「・・・・・」

 

 久路人が不安そうに見るなか、雫はもう一度スプーンを手に取った。若干震えている手で粥を掬い、じっと見つめてから、顔を近づけ・・・

 

「ふ~、ふ~」

「し、雫!?」

 

 なんと、自分の息を吹き掛けて粥を冷まし始めた。

 

「そ、そこまでしなくてもいいって!!」

「せっかく作ったのに、置いておいて、冷ましすぎたら勿体ないよ。いいからちょっと待ってて!!」

 

 なんというか、あざとい。そして、この間が気恥ずかしい。

 そんな気まずさが、熱でぼやけていた久路人の頭を少しだけ冷やした。

 

「あ、そうだ!雫なら冷気でちょうどよくできるんじゃない?」

 

 少し冷えた頭で、我ながら名案だと思うような打開策を思いつく。

 雫は水と氷を操ることに関しては右に出る者はいない。粥を適温に冷ますくらいはどうとでも・・・

 

「無理!!」

 

 しかし、雫からの返答は2文字だけだった。

 それだけ言うと、また己の息を吹きかける行為に戻る。

 

「え、なんで・・・?」

「ふぅ~・・・だって、この部屋って、妖怪へのデバフが一番強いんだもの。細かい制御ができるかもわかんないし~?」

「え~・・・」

 

 なんとなく棒読みっぽい言い方だなと思ったが、雫の言うことは事実である。

 久路人の部屋は要塞と化している月宮家の中でも、特に妖怪の力を封じる効果が強く、雫ほどの妖怪であっても術の行使は難しくなる。できても、繊細なコントロールは不可能であった。まあ、雫からすれば単なる方便であるが。

 そして、満足いくまで吹いたのか、顔を離し、スプーンを前へと付き出した。

 

「はい、あ~ん」

「・・・・・」

 

 ふ~ふ~から、まさかの「あ~ん」続行である。

 その目は獲物を狙う蛇そのものであり、「絶対に途中でやめるものか!」という意思に満ち溢れていた。

 

「むぐっ」

「ふふ・・・今度のはどう?」

「ごくっ・・・ちょうどいいよ」

「じゃ、またやってあげるね。ふ~ふ~・・・・」

 

 そう言うと、またまた雫は粥を掬って冷まし始めた。

 やはり雫は生半可なことじゃ止まらないなと思いつつ、先ほど食べた粥の、まるで体に直接染み込んでいくような不思議な食感を思い出しながら、それからも久路人は雫に粥を食べさせられたのだった。

 

 

-----------

 

「・・・・・・・」

「ふふ、久路人、寝ちゃった・・・」

 

 粥を食べさせ、密かに持ってきていたリンゴを手刀でウサギさんに切って、これまた「あ~ん!」で食べさせた後。色々と肉体的にも精神的にも疲れたのか、久路人は眠ってしまっていた。

 汗のしみ込んだ服を「術が使えないんだからしょうがないよね!?」と言って無理やり脱がそうとしたことはきっと関係ない。さすがに着替えの際には追い出されてしまったが。

 

「なんか、この寝顔を見てると、ムラムラするっていうよりも落ち着くなぁ・・・なんでだろ?」

 

 実を言うと、理想のシチュエーションの一つであった、「風邪でダウン中に看病」、「ふ~ふ~からのあ~ん」が達成できたことによる満足感と興奮が激しく、さらには自分の血入り粥が久路人の喉を通っていったのを見た時には少し前に発散したにも関わらずまた催してしまったのだが、この安らかな寝顔を見ていると熱い気持ちが鎮まり、代わりに温かいものが胸に満ちていくのを感じていた。

 

「ふふ、つんつん」

「ん~~」

 

 なんとなく触りたくなって、久路人の頬を指でつつく。

 なにやら声は出しているが、それなりに深い眠りのようで、起きる気配はない。

 

「ま、さすがに病気の時にこれ以上構うのはやめよっか」

 

 これまで散々好き放題していたくせにどの口が言うのか、といった具合だが、雫はやおらに立ち上がろうとして・・・・

 

「・・・・雫」

「ひゃっ!?」

 

 離れそうになった雫の手を、久路人が掴んだ。

 

「え!?何!?久路人、起きてるの!?」

「・・・雫」

「久路人?・・・・寝てる」

 

 どうやら、寝相のようなものだったらしい。

 しかも、雫の名前を寝言で呟いていたが・・・

 

「私の夢、見てるのかな」

「・・・・・・」

「ふふっ・・だったら嬉しいな」

 

 雫は立ち上がりかけた姿勢から、久路人のベッドに腰を掛ける。

 その間、掴まれた手が離れないようにゆっくりと。

 

「・・・・雫」

「・・・何?久路人」

 

 やはり久路人は眠っていて、これはただの寝言だ。

 だが、久路人に呼びかけられたのならば、雫が応えないことはあり得ない。

 答えは返ってこないと知っていながらも、雫は返事をして・・・・

 

「傍に、いて欲しい・・・・」

「え?」

「僕から・・・離れないで、くれ」

「・・・・久路人」

 

 もう一度、注意深く観察してみるが、血液の流れからも、間違いなく眠っている。

 病気の時は心細くなるというし、これもそんな寂しさの一つなのだろう。

 しかし・・・・・

 

「夢の中の私は、脳みそが腐ったのかなぁ・・・!!久路人から離れようとするとか、あり得ないんだけど」

 

 久路人にそんなことを言わせているであろう、夢の中の自分に腹が立つ。

 いや、イチャイチャされても現実の自分でない以上、嫉妬するのは抑えられないだろうが。

 そんな内心を抑えつつ、雫は久路人の手を握り返した。

 

「ふふ、久路人の方から傍にいて欲しいだなんて・・・・嬉しいな。でも、言質はとったからね?私は、今の言葉、ずっと覚えてるからね?」

 

 届かないと思いつつも、届いてほしいと思って、声をかけて、手を握る。

 

「大丈夫。夢の中の私が何しようが、本物の私はここにいるよ」

「ん・・・・」

 

 久路人の手は汗が滲んでいたが、気持ちの悪さなど全く感じなかった。

 

「ずっと、ずっと、傍にいるから。だから、安心して眠って、早く風邪治そうね」

「・・・・・ん」

 

 雫の声を聞いたからか、誰かが手を握ってくれているのを感じているのか。

 久路人の寝顔が安らかになった。うわごとのように何かつぶやいていたのも止まり、穏やかな寝息を立て始める。きっと、悪夢から良い夢に変わったに違いない。

 

「本当にずっと、ずっと一緒にいるから。ずっと、ずっと、永遠に・・・・」

 

 そんな久路人の頬を優しく撫でてから、雫は自分の顔を近づける。

 

 

--雫の唇が、久路人の頬に触れた。

 

 

 触れていたのは、ほんの一瞬だった。

 繋がっていた部分はすぐに離れ、雫はもう一度久路人の寝顔を優しいまなざしで見つめながら、再び頬を撫で・・・

 

ポタッ・・

 

「あれ・・・?」

 

 滴が一滴、久路人の頬に落ちた。

 

「あれ、私・・・なんで?」

 

 気が付けば、雫の頬にも涙が伝っていた。

 雫には、なぜ自分が泣いているのか、最初は分らなかった。

 

「・・・・雫」

「え?久路人?」

 

 そこで、久路人が寝言を呟いた。それは、やはり自分の名前で・・・・

 

「・・・・・ありがとう・・・・ごめんね」

「あ・・・・・」

「・・・・・・」

 

 それっきり、久路人は喋らずに、さらに深い眠りに落ちていった。

 

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 しばらく、静寂だけがそこにあった。

 

「どうして・・・・」

 

 そして唐突に、雫は口に出した。

 

「どうして久路人が謝るの?」

 

 自分がどうして泣いていたのか、その理由が分かったから。

 

 

--ああ、私は、久路人の信頼を、心を裏切ったんだ。

 

 

「一緒にいて欲しいって言ってくれたのに・・・謝らなきゃいけないのは、私の方なのにっ・・・!!!」

 

 

--久路人を私と同じモノにすればいい。

 

 それは、あの崩れかけた世界で誓ったこと。

 それは、久路人を化物に変えるのと同じこと。

 受け入れられるはずもない、おぞましい外法。

 それを、自分は久路人に施している。

 あまつさえ、それに興奮し、自慰までしている。

 どこまでも汚らわしい、最低の化物。

 一体どの口で、「傍にいる」などとほざけるのか。

 

「ごめんね、ごめんね、ごめんねぇ・・・・!!!」

 

 ごめんなさい。

 謝っても許してもらえることじゃない。

 自分がやっているのは、最低で、下劣で、嫌われてもしょうがないことだ。

 でも・・・・

 

「本当に、本当にごめんなさい。でも、私はもう止まれないの」

 

 嫌だ。

 絶対に認められないものがある。

 それだけは耐えられない。

 

「あなたがいない世界なんて、耐えられないから」

 

 この罰は絶対に受ける。

 どんな責め苦でも、あなたが与えるものならば受け入れる。

 償えというのならば、どんなことでもやって見せよう。

 だから・・・・

 

「傍にいて・・・私から、離れないで・・・・」

「・・・・・・」

 

 ポタポタと、ベッドの上に水滴の落ちたシミがいくつもできた。

 

「うう、うぁぁぁ・・・うわぁぁぁぁああああ!!!」

 

 あふれ出る涙もそのままに、雫は久路人のベッドに顔を押し付けて泣いた。

 泣いて泣いて、涙が枯れ果てるまで。

 

「・・・・・」

 

 気が付けば、泣きじゃくる雫の頭には久路人の手が置かれていた。

 その温もりを感じながら、雫はポツリと呟いた。

 あの陣から出て、京の話を聞いてから、心の中にある、もしもの願い。

 それがなければ、今頃もっと自分と久路人の仲は縮まっていただろうかという、ありもしないことを考えながら。

 

 

「神の血なんて、なければよかったのに」

 

 

 そうしていつの間にか、雫も久路人と同じように、眠りの世界に誘われていった。

 

-----------

 

「雫、ここで寝ちゃったのか・・・・」

「ん~・・・・」

 

 久路人が目を覚ますと、自分の胸の近くに頭を乗せて、雫が眠っていた。

 時計を確認すると、時刻は夕方の6時を過ぎていた。

 外はもう暗く、夜のとばりが落ちている。

 

「体、大分軽くなったな・・・・」

 

 ん~っと伸びをしながら、体を動かすも、眠る前にあった倦怠感は吹き飛んでいた。

 

「・・・・雫のおかげかな」

「んん~・・・」

 

 朝に粥やらリンゴやらを食べて、栄養と水分を補給できたのも大きいだろう。

 スプーンを勧められるのは少し、いや、かなり恥ずかしかったが。

 

「雫、ありがとう」

「ん・・・・」

 

 寝起きでまだ頭が完全に起きていないからだろうか。

 普段ならばやらないが、久路人は雫の美しい銀髪の上に手を置き、頭を撫でた。

 

「ん~」

 

 寝ながらであるが、まるで日向に眠る猫のように、雫はどこか満足げな顔をしていた。

 

「・・・・あれも、雫のおかげかな」

 

 久路人は雫の頭を撫でながら、寝ている間に見ていた夢を思い返していた。

 とはいえ、よく覚えているわけではない。

 最初の内は、自分の血のせいで狂った雫の洗脳が解け、自分を罵って離れていく悪夢だった。

 夢の中とはいえ、胸を引き裂かれるような悲しみと絶望が襲い掛かったのを覚えている。

 

「けど、途中で変わったんだよ」

「・・・久路人ぉ・・・むにゃ」

 

 寝言だろうか。自分の名前を出してくれたことが、久路人には嬉しかった。

 そう、夢の中でもそうだった。

 

「雫が、傍にいてくれるって言ってくれたんだった」

 

 自分から離れていく雫。

 それをただ見ているしかできなかった自分。

 だが、突如として乱入してきたもう一人の雫が、「くたばれこのド腐れがぁぁぁああああああああああ!!!!!」と叫びながら離れていく雫の頭にドロップキックをかましてどこかに吹き飛ばした後、自分の方に駆け寄って、手を握って傍にいてくれると言ってくれたのだ。

 風邪をひいていたせいか少々バイオレンスだったが、それでも手を握ってくれたことがどれほど嬉しかったことか。

 

「でも・・・」

「んにゃ・・・?」

 

 そこで、久路人は雫から手を離した。

 雫が寂しそうな声を出すが、触れる気は、触れていい気はしなかった。

 

「それも、もしあの狐が言ったとおりだったせいだったら・・・・」

 

 

---汝の血がな?あの蛇を狂わせておるのではないか?と言う話だ---

 

 

 あの陣での戦いの後も、絶えず久路人を責めさいなむその言葉。

 風邪をひく原因にもなった激しい訓練も、すべては久路人自身が強くなり、雫の護衛としての役割を奪うためだ。

 あの言葉が真実だったのならば、自分は早急に強くならなければならない。

 雫が、自分の血を得るために、自分に気に入られるために、自分に好意を持たされているとしたら、早く血を断たせるようにしなければいけない。

 本当に、取り返しのつかなくなるくらい、雫が狂ってしまう前に。

 

「はぁ、本当に・・・・」

 

 ため息を吐きながら、後ろ向きになっていた考えを打ち切る。そういうネガティブなことはよくないと思ったからだ。だが、益体もない思いは消えずに残り、別の形をとった。

 そして、久路人はポツリと呟いた。

 あの陣から出て、京の話を聞いてから、心の中にある、もしもの願い。

 それがなければ、今頃もっと自分と雫の仲は縮まっていただろうかという、ありもしないことを考えながら。

 

 

「神の血なんて、なければよかったのに」

 

 

 そうして、奇しくも雫と同じ「もしも」を口に出すのだった。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 冬の夜に月が登っていた。

 不気味なほど美しい紅い光が、夜空を切り裂いて差し込む。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

 紅い満月は何も言わず、ただ部屋の中を照らし続けるのだった。

 

 

 

-----------

 

 時は少し巻き戻る。

 それは、久路人たちが白流市に戻り、吸血鬼の皇族が大穴を塞いでいる最中のことであった。

 

「ここは?吾は、死んだはずでは?」

 

 九尾、珠乃は不意に目を覚ました。

 否、目を覚ましたというのは正確ではない。珠乃の肉体はすでに雫たちによって破壊されており、その場にいるのは珠乃の意識だけだったからだ。

 

「これは、どういうことじゃ?」

 

 体は存在しないが、もしもあれば首をひねっていただろう。

 しかし、体は存在しないのに、周りが見え、匂いを感じ、音が聞こえる。どうたらそこは、自分が封印されていた岩の傍のようだった。

 どういう理屈で自分の意識がここにあるのか。

 

「死後の世界など、なかったということか?・・・・・これが、散々悪事を働いた吾への罰だと?」

 

 珠乃は、そんなことを思った。

 今まで珠乃は、理不尽な目にあったとはいえ、罪のないものも含めあまりにも多くの者を殺め、運命を狂わせた。まるで自分に降りかかったものを周りにぶちまけるように。

 その報いが、死んでも死ねず、亡霊として愛する人のいない世界を生前と同じようにただ彷徨うだけなのだとしたら・・・・それは珠乃にとって最も重い罰だろう。

 

「なるほど、これが、地獄『たま、の・・・』・・・・何っ!?」

 

 そうして、珠乃が己の境遇にどこか悟りすら開いた時だった。

 それは突然のことだった。

 男の声がした。

 

「今の、今の声は!?」

 

 聞き覚えのある声だった。忘れられるはずもない声がした。

 枯れ木のような見た目のくせに、あいつは妙に元気だった。

 いつでも明るくて、活気に満ちた声は、知らず知らずのうちに自分にも力をくれた。

 

「珠、乃・・・・」

「あ、ああ・・・!!!」

 

 その声は、その声だけは聞き間違えるはずもない。

 どれほど永き時が経とうと、気が狂おうと、その声だけは聞き漏らすことはない。

 

「珠乃・・・」

「お前か!?お前なのか!!」

 

 姿は見えない。

 けれど分かる。

 肉体がなくとも、感じることができた。

 そこにいると、確かにわかった。

 

「晴!!」

「・・・珠乃」

 

 間違いない!!

 意識だけとなっても、間違えるはずもない!!

 確かにそこに、自分の夫が、理不尽に奪われた、晴がいた。

 その瞬間、珠乃はすべてを理解した。

 そうだ、ずっと・・・・

 

「ああ、晴!!お前は!!お前はずっと吾の傍にいたのだな!!済まぬ!!済まぬ!!」

「・・・・・」

 

 珠乃は謝ることしかできなかった。

 苦しかった。

 自分が今までやってきたことを、晴が見ていたのならば、自分は何度謝ればいいのか。

 これこそが、罰なのかもしれない。

 だが・・・・

 

「謝って済むことではないだろう!!お前にだけ謝れば済むことでもない!!だが、済まない!!吾は、吾は!!嬉しい!!また、お前に会えたことが、何よりも!!」

「・・・・・」

 

 例え嫌われることになろうとも、軽蔑されることになろうとも、晴のいない世界よりもはるかにマシだ。

 これが罰だというのならば、自分は喜んで受け入れよう。どんなに辛かろうと、晴が同じ場所にいるというだけで耐えられる。世界が、地獄ではなくなったのだ。

 

「珠乃、珠乃・・・」

「どうした?吾に何か言いたいことがあるのか?何でも言ってくれ!!お前の言うことならば、吾は・・・」

 

 謝り続ける珠乃に、晴は何かを伝えようとしていた。

 珠乃はそれを聞こうとした。

 どんなに自分を口汚くののしる言葉だろうが構わなかった。

 晴と話せるということだけでも、珠乃は満ち足りるのだから。

 

「珠乃・・・・逃げ、ろ・・・・」

「何?逃げろだと?それは、どういう・・・・」

 

 だが、晴の言葉は珠乃を責めるものではなかった。

 むしろ逆に珠乃を案じる言葉で、本気でそう言っているのが心で理解できた。

 だが、だからこそわからなかった。

 一体、何から逃げろというのか?

 珠乃はそれを聞こうとして・・・・・

 

 

--捕まえた。

 

 

「ガッ!?」

 

 聞いたこともない男の声とともに、それまで意識だけしかなく、肉体の感覚から乖離していた体に痛みが走った。まるで熱した鉄鎖で体を雁字搦めにされたような、そんな痛み。

 

「いやぁ!!よかったよかった!!あんなスゴイ攻撃の後だったもの。壊れてないか心配だったよ!!でも、やっぱり愛の力は無敵だね!!君も良かったねぇ!!それまでずっと傍にいたのに気が付かれなかったのが、やっと同じ場所に来れたんだ。まさしく感無量ってヤツだろう?」

 

 いつの間にか。

 本当にいつの間にか、男がそこに立ってた。いや、立っているという言葉は正しいのだろうか?

 男の下半身は影の中に沈み込んでおり、上半身だけが宙に浮いていた。

 枯れ木のようだった晴よりもなお青白い。生きているのかわからないくらい白く、元は整っていたのだろう骸骨のようにやせこけた顔に埋まった目には、ギラギラと青い光が灯っている。小さな髑髏がいくつも着いた趣味の悪いシルクハットが、頭からずり落ちそうになっていた。

 

「珠・・乃・・・を、離せ・・・・クソ、野郎」

「オイオイオイオイオイ!!!なんだいなんだい!!君もやっぱり恋人に会えてテンションが上がってるんじゃあないか!!まさか数百年も世界を彷徨い続けた魂が、今もほとんど崩れていないなんて、奇跡としかいいようがない!!感動した!!愛の力は素晴らしい!!愛は、すべてを救うんだってよくわかるよ!!」

 

 会話が通じていない。

 よく見れば、男の傍にはボゥっと光る人魂のようなモノが浮き、そこから伸びる鎖が男の手に握られていた。その光っている塊のようなものから、晴の声がしていた。さらに今までわからなかったが、珠乃自身も光る玉のようなものになっているらしく、晴と同じく男の手と繋がった鎖に絡めとられていた。

 そして、握られている鎖は一本ではなかった。

 

「ああ、離して、離してくれ・・・・」

「おぁぁあああああ!!!!」

「お袋・・・・!!!」

「この声は・・・・」

 

 珠乃は、その3人分の声にも聞き覚えがあった。

 

「あれは、吾の封印を解いた、ガキども・・・?」

「おお!!君たちもあの時はご苦労だったね!!道案内してくれたそこの彼もそうだけど、君たちにも感謝しないと!!君たちが封印を解いてくれたおかげで、珠乃さんは現世に出てこれて、こうして恋人に出会えたのだから!!さあ、祝福しよう!!」

 

 もがき苦しむ声などまるで聞こえていないかのように、男はなおも明るい声で場にそぐわないことを言い続ける。頭がおかしくなりそうだった。

 

「一体・・・・何が」

「んん?おお!!これは失礼!!いきなりすぎて状況がわからないのも無理はないね!!さあ、落ち着いて深呼吸をするんだ!!安心しなさい!!ボクがちゃーんと説明しようじゃないか!!」

 

 珠乃の呟きに、男はビクンとバネ仕掛けの人形のように跳ねて、背後にいた少年たちに話しかけていた首だけがグルンと180℃回転する。

 

「な・・・」

「ふむ、そうだね、まずはなにから話そうか・・・・ボクは故あって数年前にこの国を訪れたんだがね?ちょうどこの辺りに来た時に、この地を彷徨う魂を、君の旦那さんを見つけたのさ!!!いや!!本当に素晴らしい!!確かに彼は魂が異常に大きいみたいだが、それでも数百年世界に還らないでいるなんて、とてもありえないことさ!!魂の強さと、君への想いのなせる業・・・おっと、話がそれた!!そう、そうして彼を辿って、君に気が付いたんだ!!そのころ僕はちょうど強い仲間を探していてね!!君の封印を解くことにしたんだが、さらにタイミングのいいことに、そこの3人がこの地にはいた!!好奇心溢れる、勇気ある若き異能者!!力を求め、それを振るう相手を探していた!!その輝かしい向上心に感動したボクは、彼らを鍛えてあげることにしたのさ!!ボクの力で妖怪や世界に還る前の魂を起こして、戦ってもらい、そして!!十分な力を得た彼らに、さらなる腕試しの場として、君のことを人づてに伝えた!!そうしたら、なんと素晴らしいことに、彼らは少しも怯えずに君の封印を解いてくれた!!悲しくも、目覚めたばかりで気の立っていた君に殺されてしまったが、それすらもボクにとっては幸運!!そんな勇気溢れる彼らを、ボクの友達にできたのだから!!まあ、君のいた場所で騒ぎになるのは面倒だったから、隣町で死に直してもらったがね!!おおっと、また別の話をしてしまった!!失敬失敬!!・・・そう!!本当はすぐにでもお誘いを掛けたかったんだが、君は目覚めたばかりだったし、それからも多忙なようだったからね!!何より、ボクにとっても、とっても面白そうなことをやろうとしていたからね!!君のやろうとしていることを見守ってから、今みたいに落ち着いて話せるようになるのを首を長くして待っていたというわけさ!!長くしすぎてちぎれちゃったけどもね!!ハハッ!!」

「馬鹿な・・・魂を、見る、だと?ましてや、操る、だと?」

 

 テンションがおかしいのと、長すぎてよくわからなかったが、その力の異質さに、珠乃は恐怖すら覚えた。

 それは本来あり得ないことだからだ。

 

『魂』

 

 それは、この世の万物を構成する肉体、精神、魂の3要素の一つ。

 世界から零れ落ちた欠片。

 まず魂がこの世に現れ、宿るべき肉体に入り、精神の紐で繋がる。

 魂は世界のあらゆる情報は詰まった高エネルギー体であり、肉体に応じて情報を開示し、また魂の情報に応じて肉体も変化しうる。

 そして、魂は世界の一部であったために、肉体から離れると速やかに分解されて世界に還っていく。

 アンデッドのような例外を除いて、魂は本来この世にとどまることなく、また認識することもできない。

 

「オイオイオイオイオイ!!!それは違う!!魂が世界に還るには個人差はあるがラグがあるのさ!!強力な力を持つ者は、それだけ長く魂が残りやすい!!そして魂の認識についてだが!!確かに大半の存在は魂に気づくことはできない!!しかし、何事も例外はあるものさ!!このボクのようにね!!」

 

 だが、ごくまれに魂を知覚し、時には操ることさえできる者がいる。

 それは霊力の高さによるものではなく、先天的な才能によるもの。

 しかし、死者を弄ぶようなその力は、多くの者に忌避される。

 それはそうだ。誰だって、自分の死後を操られたいとは思わない。

 そんな存在のことを・・・・

 

「まさか、お前は・・・・!!!」

 

 そこで珠乃は、現世に解き放たれた後に得た知識から、男の正体に気が付いた。

 そんな様子を察したのか、あるいは偶然か、男も自分の失態に気が付いたらしい。

 

「おおっ~と!!!なんたること!!!このボクとしたことが!!名前を名乗り忘れるだなんて!!これは、死んでお詫びせねばぁぁあああああああああ!!!!!!!!・・・・ああっ!!なんということだ!!」

 

 そして男は、下手糞な人形師に操られる人形のように大げさに体を振り回し、やがて自らの首に両手を添え・・・・

 

「ボクはもう、死んでいるじゃないかっ!!」

 

 ブチブチと音を立てて、己の首を引き抜いた。

 ドス黒く濁った血が、引きちぎられた断面から流れ落ちる。しかし、それをなんとも感じないように、首は喋り続けた。

 

「改めて、自己紹介をしよう!!ボクはヴェルズ!!ネクロマンサーのゼペット・ヴェルズ!!かつては「学会」で七賢として死霊術を修め、今は光栄にも、世を彷徨う哀れな迷い子を受け入れる「旅団」の幹部に席を置く者!!人はボクを「狂冥」と呼ぶ!!」

 

 ちぎれた首を小脇に抱え、ピエロのように愉快そうに死霊術師を語る男は、ヴェルズと名乗った。

 そして、ズルリと影に呑まれていた下半身を引き抜いて地に足を着き、首を元の位置に戻してから、出てきた影をさらに大きく広げてみせた。それはまるで、マジシャンがマントからとても収まりそうにないものを取り出す動きに似ていた。

 

「さらにさらに、ご紹介しよう!!ここに現れる彼女こそ、我が最愛の妻!!永遠を約束された淑女!!かつてはボクと同じく学会に身を寄せ、多くの人にあだなす悪魔を討った神殿騎士!!その名をぉ・・・!!」

 

 影が布のように波打ち、ヴェルズと同じような青白い足が現れた。

 そのまま鎧に包まれた腰や胸、兜を抱えた腕が続けて抜け出し、最後には金髪を後ろで太い三つ編みにした美しい顔が進み出る。

 

「我が名は、ガブリ・・・」

 

 そうして、その名を名乗ろうとした時だった。

 

「偽物がぁぁああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 それまで最も愛おしい存在を見守るような顔をしていたヴェルズが手に持った髑髏の乗ったステッキで、女の首を殴り飛ばした。その顔は憎悪に歪み、飛んでいこうとした首の三つ編みをつかみ取って、地面に叩きつけていた。

 

「・・・・・っ!!」

「偽物が!!偽物め!!ニセモノォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」

 

 ガッ、ガッ、ガッと、地面に堕とした首を殴る。

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る

 

「ハァ~、ハァ~、ハァ~・・・違う!!・・違う違う違う!!!何もかもが違う!!ガブリエラの声はもっと優しかった!!ガブリエラの歩き方はもっと優雅だった!!ガブリエラは、もっと美人だったぁあっぁぁぁぁああ!!!!!!!!!」

 

 意味の分からない言葉を叫びながら、ひたすらに首だったものを殴り続けた。

 やがて殴られすぎてペースト状になった腐肉を地面にめり込ませ、ヴェルズは杖を振るうのを止めた。

 

「ふぅ~・・・・いや、済まない、取り乱した!!見ての通り、ボクの死霊術はまだまだ未熟でね!!ボクの妻すら完璧に、「元通り」にできないんだ!!魂はちゃ~んと保管してあるから、何度でも試せるんだけど、無駄はよくない!!やるなら、極上の素材を使わないといけないのさ!!!」

「・・・・・・」

 

 妻だと言う肉塊を足で踏みにじりながら、笑顔でそう言うヴェルズに、珠乃は、戦慄を隠せなかった。

 

「狂っておる・・・・」

「そう!!愛は劇薬だ!!すべての人間は、愛の前には狂うしかないのさ!!ボクは、愛に狂っている!!!」

 

 やはり、会話が通じていない。

 珠乃の言った言葉が、正しく伝わっていない。否、理解しようとしていない。

 視線は合っているはずなのに、自分のことを見ていない。

 いや・・・・

 

「さて・・・・」

 

 そこで、先ほどまでの暴れぶりが嘘のように、ヴェルズはポツリと切り出した。

 

「本当なら、もっときちんと妻の紹介をして、君たちを祝福したいんだがね!!残念ながら、あまり時間がないんだ!!今は「大穴」の影響であの麗しい吸血鬼と、その忠誠心溢れる気高き侍はボクに気づいていないが、それも時間の問題だ!!申し訳ないが、『祝福』はボクだけで済まさせてもらおう!!」

「グゥッ!?」

「・・チィっ」

 

 ヴェルズは手に持ったステッキを振り回し、同時に珠乃と晴が繋がった鎖も投げ出された。

 宙に舞う鎖はそこで絡まり、珠乃と晴の魂を厳重に縛り上げる。

 

「グッ・・・クォオオァァアアアアアアア!?」

「ガ、ガァァァアアアアアアアアアアアア!?」

 

 本来ならば、嬉しくてたまらないはずの、晴との触れ合い。

 しかし、今そこには痛みしかなかった。

 棘だらけの鎖が、二人の魂を押しつぶしかねないほど強く締め上げる。

 

「愛し合う者たちは、共にいてこそ美しい!!愛し合う者たちは、常に一緒にいるべきだ!!数百年叶わなかった君たちの再会を!!君たちを『一つ』にすることで、ボクは心から祝福しよう!!!」

 

「「ウォォオオオオオオオオォォオォアォオアオアオアアアアアアアアアアアアアア!!!!」」

 

 歪む。

 鎖も、珠乃も、晴も、何もかも。

 歪んで歪んで捻じ曲げられて、こねくり回されて、潰される。

 砕かれ、壊され、粉にされ、そうしてまた固められる。

 それが、何度も何度も繰り返される・・・・・

 

 そして・・・

 

「ああ、おめでとう!!君たちは、今ここに!!一つになった!!」

 

「「ォォォオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」」

 

 そこにいたのは、一匹の狐のようなナニカだった。

 だが、それは決して狐ではない。

 人間の男と女の首が二つ生え、尻尾のように9本の腕が生えている。

 前足と後ろ足も人間の足でできており、胴体に生える体毛は人間の髪の毛だった。

 どこまでもおぞましい怪物。しかし、ヴェルズはそれが天からの使いであるように、眩しいものを見る目を向けていた。

 

「いやしかし!!今日のボクは幸運だ!!長くすれ違っていた恋人どうしを祝福で来た上に、友達になることができた!!とっても強い、優秀な友達だ!!さらにさらに、それだけじゃあない!!!」

 

 そこで、ヴェルズは珠乃の首を取り外し、眼球をえぐり取って、脳みそにまで指を伸ばす。

 さらには、晴の首にまで同じように手を伸ばしていた。

 

「ゴ、オ、アァァァアアアアアアアアア・・・・」

 

 二つの首が呻くが、ヴェルズがそれを気にする様子は一切ない。

 続けて、今にも踊り出しそうなくらい楽し気に語る。

 

「おお、おお!!思い出す!!思い出せるぞ!!!神の子だ!!!話にだけは聞いていた!!ずっとずっと会いたかった、ボクから『ナイトメア』を横取りした、あの『巨匠』が匿っていた神の子!!!しかも、しかもだ!!!」

 

 その口に上がるのは、先ほどまで珠乃の展開した陣で戦っていた少年と蛇の少女だ。

 

「あの蛇!!彼女のやろうとしていることは素晴らしい!!永遠の愛!!ボクの理想とも言えること!!ああ、知っているぞ!!彼らよりも前に!!同じことをした者たちを知っている!!その至る先を、知っている!!!実に!!実に都合がいい!!!」

 

 今度は晴の首の眼球に指をめり込ませつつ、そう言った。

 

「ああ!!準備をしなければ!!ボクの目的を果たす準備を!!彼らにふさわしい試練を!!愛には試練が付き物だ!!試練を乗り越えてこそ、絆はより強固に、本物になる!!!」

 

 ヴェルズは、首から手を離した。

 そして、調子の外れた歌を歌いながら、酔っぱらいのようにフラフラと踊り始めた。

 

「さあ!!!祝福と喝采を!!今日という良き日を、ボクは神に感謝しよう!!ああ、受け取っておくれ!!ボクの感謝を!!ククク!!!クハハハ!!!クハハハハッハハハハハ!!!!!!!!」

 

 それからヴェルズは踊り続けた。

 吸血鬼が大穴を塞ぐその時まで。

 己が気が付かれる寸前まで。

 楽しそうに、心底楽しそうに。

 友達だというおぞましい狐モドキの化物と、妻と呼んだ肉塊を、背後に置いたままに。

 




次から第三部に入ります!!
次の話はプロローグもかねて短編のリメイクかも?
章全体のテーマは「人間卒業」です!!

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